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マレーシア航空撃墜事件後のウクライナ上空の飛行機 [ウクライナ]

画像の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ウクライナで墜落したマレーシア航空に乗っていた乗客乗員の方々のご冥福をお祈りいたします。マレーシア航空が撃墜されて18時間後の2014年7月18日16時20分(日本時間)のウクライナ地域の飛行機の位置を上に表示してみました。画像をクリックすると広範囲を表示します。実は撃墜された場所に近い地域に行ったことがあったので本記事を掲載させてもらいました。
世界中の飛行機の飛んでいる場所をフライトレーダー(Flightradar24)というサイトで確認することが出来ます。ウクライナでのマレーシア航空が撃墜されたことで、各国の航空会社がウクライナの戦闘地域の上空をさけたルート(航路)に変更したことで、どのようになったのかを確認するためにウクライナあたりの飛行機の位置を表示してみました。
過去と比較は出来ませんがウクライナの上空を飛んでいる飛行機は少ないように感じます。赤丸は墜落位置です。墜落した場所は、下の2010年の大統領選挙の勢力地図でも判るように親ロシア派の地域です。ウクライナ東端の国境地域では明らかにウクライナ上空を避けて飛んでいるように感じられます。

下が2014年7月18日18時30分(日本時間)の飛行機の位置です。上の画像から2時間10分後ですが、こちらの方が明らかに墜落地域を避けていることが判ります。
   フライトレーダー      → ポチッ Flightradar24
   リアルタイム航空便追跡 → ポチッ Flight Aware


こちらは2014年7月19日4時20分(日本時間)の飛行機の位置です。クリックすると2014年7月19日5時12分(日本時間)の飛行機の位置を拡大画像で表示します。事件のあったDonetsk辺りは飛行機が飛んでいないことが判ってもらえると思います。
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墜落したマレーシア航空のアムステルダムからの飛行ルートです。



こちらはネットから転用させていただいたウクライナに入ってからの飛行ルートです。
赤色の破線はアムステルダムとクアラランプールを結ぶ直線(最短)コースです。協定世界時(UTC)12時8分から撃墜寸前の13時21分(日本時間22時21分)までの飛行機の位置を動画で表示しています。


墜落した時刻2014年7月17日22時22分(日本時間)のフライトレーダーの画像がネットに掲載されていたので転用します。
協定世界時(UTC) では7月17日13時22分(日本時間-9時間)となります。
画面にMH17と書かれた赤色の機影が撃墜されたMH17です。この時、シンガポール航空SQ351便と、エアインディアAI113便が近くを飛んでいたことが判ります。この画像を引用したツイートにはSingapore Airlines SQ351 (B777) and Air India AI113 (B787) were about 25 km from #MH17 when it disappeared.と書かれていました。緑色の丸が地対空ミサイルが発射された場所です。
ロシアの領空を飛んでいるS71024SU1104SU1124NN355UN9885N41909QD106R39725はモスクワ発着のロシアの航空会社の飛行機ですが、最短コース(直線コース)であればウクライナの上空を飛ぶことになります。以前からこのコースなのか、紛争後に、このコースに変更したのかは、知りたいところです。
驚いたことに、1ケ月前からウクライナ東部の、この地域を飛ぶ飛行機が減ってきていたことから、撃墜のリスク回避を行っている航空会社も多かったと想像されます。1ケ月前と言えばウクライナ空軍のイリューシン76輸送機が親ロシア派武装勢力によって撃墜された2014年6月14日のころです。さらにカンタス航空(オーストラリア)、大韓航空(韓国)、アシアナ航空(韓国)、中華航空(台湾)は数ケ月前からルートを変更していたそうです。安全と経済性のバランスに対する考え方は航空会社によって差が見られるようです。
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2010年の大統領選挙の古い資料ですが親ロシア派の地域が判りやすいと思い掲載いたしました。枠内は2014年7月18日の報道内容です。
ウクライナ東部のドネツク州のロシア国境近くで2014年7月17日夕(日本時間22時20分)、マレーシア航空の17便(MH17)のボーイング777型旅客機が墜落した。イタル・タス通信はロシア航空当局者の話として、乗っていた295人が死亡したとみられると伝えた。現場ではウクライナ政府軍と親ロシア派武装勢力による激しい戦闘が続いており、撃墜されたとの見方も出ている。


こちらの画像は2012年9月22日4時20分(日本時間)に世界を飛んでいる飛行機を表したものです。過去の画像のハードコピーを探しました。残念ながらウクライナあたりの画像は残っていませんでしたが、記事「えっ 町の中に飛行機が!!」を掲載した時に世界全体の画像のハードコピーを残していました。画像はクリックすると拡大するので多少はウクライナあたりが確認しやすいかもしれません。
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上の2012年の画像はクリックすると拡大しますがクリックするのが面倒な方のために拡大画像を掲載いたしました。赤丸が2014年7月17日にマレーシア航空MH17が撃墜された位置です。ウクライナの政情が不安になる前は同じように沢山の飛行機が飛んでいた想像されます。
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こちらが墜落18時間後の2014年7月18日16時20分(日本時間)の飛行機の位置です。判りにくいのですが上の2012年の画像に比べるとウクライナあたりの飛行機が少ないように感じられます。4時20分の時間帯の画像も明日には追加したいと思います。
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こちらは墜落30時間後の2014年7月19日4時20分(日本時間)の飛行機の位置です。時間帯の差もあるかもしれませんが、時間が経過するほど飛行機が減ってきています。2012年9月22日の時と同じ時間の画像です。こちらでは黒海の少し北のウクライナの上空に飛行機が飛んでいないことが判ります。2012年の同じ時間帯の画像と明らかに違います。
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上の2014年の画像はクリックすると拡大しますがクリックするのが面倒な方のために拡大画像を掲載いたしました。赤丸が2014年7月17日にマレーシア航空MH17が撃墜された位置です。類似縮尺の2012年の拡大写真と明らかに違います。ウクライナだけでなく黒海やクリミヤ半島も機影に隠れることなく見ることが出来ます。2012年の画像では沢山の機影に隠されてウクライナや黒海を見ることが出来ませんでした。


比較のために再度2012年の拡大画像を表示します。


参考に乗員・乗客の内訳を記載します。MH17便はKLMオランダ航空とのコードシェア便(KL4103便)であり、オランダ人の乗客が多く乗っていました。
本データーはフリー百科事典Wikipediaに記載されていました。

マレイシア機(MH17)が地対空ミサイル(BUK / SA-11)によって 撃墜され、墜落したウクライナ・ドネツィク州グラボベ村の近くの地図です。この辺りでは約1ケ月間の間にウクライナ軍のヘリコブターや2機の輸送機が撃墜されていました。
クリックすると拡大いずれも親ロシア派武装勢力よるもので、緊迫した状況にあったと言えます。また6月14日の撃墜は空港近くでロケット砲により撃墜でしたが7月14日の撃墜は6500mの高い高度を飛行中の輸送機が地対空ミサイルで撃墜されており、マレイシア航空のMH17が撃墜された場所は非常に危険な地域であったと言えます。右の写真が地対空ミサイル(BUK missile system)です。
正確ではありませんがその場所をGoogle地図にプロットしました。青色枠は地対空ミサイルが発射されたと発表された地域です。
 2014年6月14日 ウクライナ空軍 Il-76輸送機 撃墜  ルガンスク
 2014年7月14日 ウクライナ空軍 An-26輸送機 撃墜 トレーズ市近郊 
 2014年7月17日 マレーシア航空 MH17便 撃墜    グラボベ村近郊
  2014年7月17日 マレーシア航空 MH17便 飛行ルート
 2014年7月17日 ミサイル発射地域(トレーズ市とスニジネ市の間)
グラボベ(又はグラボボ)村はウクライナ語でГрабове、英語ではHraboveです。
過去にも民間航空機の撃墜事件がありました。
   1983年09月01日 ソビエト連邦    大韓航空007便   
   1988年07月03日 アメリカ      イラン航空655便  誤射
   2001年10月04日 ウクライナ     シベリア航空1812便 誤射 
   2014年07月17日 親ロシア派武装勢力 マレーシア航空17便  
     マレーシア航空撃墜事件に関する詳しい説明→ポチッ

より大きな地図で ウクライナ・ドネツィク州グラボベ村 を表示
ここが墜落場所です。今までは近傍(500m)にマークをしていましたが、公表された墜落の衛星写真から、正確な位置に赤色マークを移動させました。


こちらがマークを正確な位置に移動するのに参考にした公表された7月20日の衛星写真です。


フライトレーダーでマレーシア航空の飛行機だけを表示されました。
画面は2014年7月19日22時42分(日本時間)です。撃墜された22時22分に近い時刻です。MH17が予定通りに飛び立っていれば黒海に近いところを飛んでいるはずでしたが、出発が遅れて、この時点では、まだアムステルダムを飛び立っていなかったためにロンドン便のコースを表示させました。
ロンドン発のMH 3便(LHR→KUL)とクアラランプール発のMH 4便(KUL→LHR)ですが、ウクライナ上空を通らないコースに変更されているのが判りました。
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4時間15分遅れでアムステルダムを飛び立ったMH17の2014年7月20日2時50分(日本時間)の位置とアムステルダムからのコースです。ロンドン便と同じようにウクライナを避けて黒海の南側のコースを通っています。MH17はフライトレーダーの画面ではMAS17と表示されました。
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こちらはクアラランプール到着寸前の2014年7月20日10時46分(日本時間)の画像です。この瞬間に空中にある飛行機とMH17の飛行コースを同時に表示いたしました。クリックするとわかりやすいと思います。赤丸が2014年7月17日にマレーシア航空MH17が撃墜された位置です。
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コースが判りにくいのでマレーシア航空だけを記載させました。MH17が飛行したコース上に他のマレーシア航空の飛行機が5機も飛んでいます。ヨーロッパ線はヨーロッパ近隣以外は同じ飛行コースを通ることが判りました。つまりマレイシア航空のヨーロッパ線の飛行機は、すべて撃墜される可能性があったわけです。今はすべてウクライナは回避しています。
MH17が撃墜された場所から僅か12kmのトレーズ市近郊でウクライナの空軍のAn-26輸送機が 撃墜された3日前の7月14日の時点でMH17の飛行コースを下記の飛行コースに変更する判断するマレイシア航空のトップの人材がいなかったことが悔やまれます。
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クリックすると拡大ウクライナの国内で、私が今回の撃墜事件の場所に最も近くに行った町がドニプロペトロウシクでした。この時は首都キエフとドニプロペトロウシクを右の写真の飛行機で往復いたしました。地図の中のがマレーシア航空の民間機やウクライナ空軍の輸送機が親ロシア武力勢力によって撃墜された場所です。撃墜事件があった場所からドニプロペトロウシクは260km離れています。今回、使用された地対空ミサイルは射程が30~35kmなので射程外です。

より大きな地図で ウクライナ国内 飛行ルート を表示
MH17撃墜事件前と後でFlight Awareのサイトを使って飛行ルートがどのように変わったのかを比較してみました。比較したのはマレーシア航空です。MH17便と撃墜時刻に近くを飛んでいたシンガポール航空SQ351便と、エアインディアAI113便です。クリックするとわかりやすいと思います。撃墜事件前の画像はクリックすると撃墜事件前の2例を表示ます。赤い点がMH17の撃墜された場所です。

MH17便は撃墜事件後はすでに紹介している通り黒海の南側を通るルートに変更されました。変更前の7月18日以前の飛行ルートは偶然にも地対空ミサイルの設置場所の真上だったのです。7月17日も計画通りのルートを飛んでいたようです。
 MH17便7月16日計画ルート        MH17便7月24日計画ルート
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SQ351便は撃墜事件当時はウクライナ上空を飛んでいましたが、本来のルートはロシア領空を通るルートでした。撃墜事件後も類似のルートですがウクライナから少し遠いルートに変更されました。
 SQ351便7月17日計画ルート       SQ351便7月25日計画ルート
クリックすると拡大クリックすると拡大

AI113便は事件前はMH17便に近いルートでしたが撃墜事件後は大きくウクライナから離れたロシア領空を飛ぶルートに変更されました。AI113の7月17日以前の飛行ルートは地対空ミサイルの設置場所の少し北側を通る計画ルート通りでした。
 AI113便7月17日計画ルート        AI113便7月19日計画ルート
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マレイシア航空MH17便が地対空ミサイルにより撃墜されて墜落寸前の動画が2014年7月18日にYouTubeに掲載されていました。
人が乗っていると思うと、見るのはつらい映像ですが、皆さんに現実を知っていただきたくて、あえて掲載いたしました。
機体の右側が炎上しています。地対空ミサイルが発射された方向です。機体の右側の少し離れた場所でミサイルが爆発したと想定されていることとも一致した状況です。
撮影開始から20秒後に爆発音が入っています。高度10kmで飛行していたことから、撮影位置からミサイルの爆発位置までは最低で10km離れていることになります。真上が一番近いからです。撮影場所とミサイルが爆発した位置までの距離が仮に12km(10km)だとすると爆発音の35秒(29秒)前にミサイルが爆発したことになります。つまりミサイル爆発から15秒(9秒)後から撮影が開始されたことになります。
と記載しましたが最近タイトルが「Watch Ukrainian Military Plane An-30 Shot Down & Falling by SA-7 Missile - incredible video 」に変更されました。墜落機種はAn-30と書かれていることから、どうやらこれも偽映像だったようです。タイトルにAn-30と書かれていますが2014年7月14日にウクライナ空軍の輸送機An-26が撃墜された時の映像かもしれません。


こちらはYouTubeから切り取った墜落してすぐの画像です。
右の画像は左の画像から20秒後の画像です。
クリックすると動画クリックすると動画

偽(にせ)の動画もあるので注意が必要です。マレーシア航空MH17便(B777-200ER) はエンジンが2つですが、こちらの動画の飛行機はエンジンが4つの上に、右側のエンジンから火が出ていません。
さらに高度1万mから墜落してきたとは思えないゆっくりなスピードです。タイトルには「マレーシア航空機 撃墜の瞬間 ウクライナより」と書かれていますが、明らかに別の墜落映像です。調べてみると、B747-400型機(ナショナル・エアラインズ102便 貨物機)が2013年4月29日にアフガニスタンの空港で離陸直後に急激な重心移動により失速して墜落したところを偶然に車のドライブレコーダーが撮影していたものでした。→ポチッ


下の写真をクリックすると、削除された上の動画のオリジナル動画(B747-400墜落)を表示します。
クリックすると動画を表示

リバーサイドレストラン [ウクライナ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大ウクライナの地方都市であるドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)でNO.1のレストランと聞いて教えてもらったレストランです。本当にNO.1かどうか判りませんがリバーサイドにある素敵なレストランでした。上の写真がレストランの入口です。リバーサイド・レストランと書きましたが、湖と言ってもいいようなところなのでレークサイド・レストランと呼んでもいいかもしれません
すでに紹介したセレブなパーティーが行われていた湖畔のレストランとはまた違う雰囲気のレストランでした。Dnepropetrovskで一番のレストランを教えてほしいとお願いして、紹介してもらったレストランでした。
クリックすると?右の写真で真中に座っているのが私です。私の左側がウクライナの女性でウクライナ国内を案内していただきました。下の写真が店内の写真です。テーブルが満席の時はバーでお酒を飲みながら待つことも出来ます。遅い昼食(ランチ)だったので、幸いにも店内はすいていました。ランチでしたが、お店には13時15分に入り15時45分まで2時間半ほど食事や会話を楽しみました。この日は遅いフライトでキエフに戻るのでディナーを兼ねたランチでした。
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お店の方の服装も洒落ていました。


クリックすると別場面お店の方に記念写真をお願いしました。食事は右の写真の5人でいただきました。右の写真をクリックすると洒落た服を着たお店の方も写った別場面を表示します。
このレストランのすばらしいところはレストランから見える川の景色です。レストランから見て右側の景色です。こちらが下流側です。この橋の上をすでに紹介したように電車が走っていました。
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こちらが上流側の景色です。我々が食事をしたのは屋内でしたが、この写真を撮った屋外にもテーブルがあって、食事をすることが出来ました。屋外でも雨はかからないので、まるで船に乗っているような雰囲気で食事が出来るのです。
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レストランの正面にも素敵な建物がありました。
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やっぱり日本人ですね。最初は冷たいビールで乾杯です。


さすが一流レストランの雰囲気を感じさせてくれる前菜でした。
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ちょっと拡大してみました。チーズとトマトは合いますね。
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こちらのレストランはウクライナ料理店ではないけれども、やっぱり短い滞在期間なので日本人はウクライナの料理を頼みましたニシンの塩漬けです。ほとんど刺身の新鮮なニシンなので追加でさらに頼んでしまいました。
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新鮮さを判ってもらうために拡大写真を掲載します。
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こちらはローストビーフです。何気ない一品ですが、飾り付けが一流店の雰囲気を感じさせてくれます。
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こちらの一品も拡大いたしました。
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これだけの料理になるとワインが欲しくなりますね。赤ワインを頼みました。


赤ワインは2種類の見ました。こちらが後から頼んだ赤ワインです。


メニューの中でウクライナの料理は一割程度ですが、その中でウクライナ特有の料理を頼んでもらいました。ウクライナのスープと言えばボルシチですが、こちらもウクライナで有名なスープです。私が頼んだスープです。
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こちらがボルシチです。サワークリームがたっぷり付いてきました。隣の人が頼んだスープでした。
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有名なキエフ風カツレツです。ロール上の豚肉の真中に溶けたバターがたっぷりと入ったウクライナ名物料理です。
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切るとバターが流れ出てきました。こちらが隣の人のメインデッシュでした。
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ウクライナ風のロールキャベツです。地元料理のページから選んだウクライナ料理です。
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こちらのロールキャベツの断面も紹介いたします。日本から来た日本人だけがウクライナ料理を注文してウクライナに住んでいる方は一般的な料理を注文されていました。そちらもすばらしかったです。
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レストランを紹介いたします。ホームページから料理やデザートの写真を拝借いたしました。お寿司がメニューの中にあるのには驚きました。お寿司は世界的になってきているのですね。カザフスタンの地方都市のホテルでもお寿司を食べました。
  店名  COAST RESTAURANT AND LOUNGE
  住所  Dnepropetrovsk,Naberejnaya Lenina str., 61
  電話  056)-375-5050
  HP   http://www.coast.dp.ua/
  料理  Specialties
       Cuisine
       Porch Menu
       Banquet menu
       Japanese cuisine
クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。
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航空写真で場所を紹介します。真ん中あたりのナイフとフォークのマークがレストランです。紹介の鉄橋は電車のマークのところです。

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レストランから見える列車の走る風景 [ウクライナ]

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ドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk または ドニプロゼルジンシク)の町の記事を掲載中です。ここで機関車の写真を紹介いたします。次に掲載予定のウクライナのクリックすると拡大Dnepropetrovskのリバーサイドレストランの食事を終わって外に出たときに、ちょうど列車が橋を通りました。2両のディーゼル機関車だけで客車は引いていませんでした。

列車が通った橋の全景です。レストランの中からの景色です。
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ラッキーなことに食事中にも列車が通りました。ウクライナで機関車や列車を見たのはこれが最初で最後でした。
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橋とレストランの位置関係を航空写真で紹介いたします。

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何気ない町の風景 Dnepropetrovsk [ウクライナ]

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ウクライナの地方都市であるDnepropetrovskの朝の風景を紹介いたします。すでにこの町の路面電車教会などを紹介いたしましたが何気ない町並みを紹介いたします。こちらは石畳です。急な坂道の石畳で向こうからこちらに向かって登っています。車のタイヤで石畳がつるつるに磨かれているようでした。

古い建物が大切に使われていました。いったい何年前の建物なのでしょうね。


これが普通の景色なのです。Dnepropetrovskは日本語ではドニプロペトロウシクですが、一回では覚えられませんね。


広い歩道に、豊かな緑があふれる町でした。


このような感じの建物があふれていました。


大きな建物もありました。昔から豊かな町だったことを窺うことが出来た気がしました。


おばさんたちが掃除の合間に鳩たちに餌を与えていました。スカーフを頭に巻いているのは姿は、ウクライナを感じさせてくれる景色でした。
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上のおばさんたちと道路を挟んだところの小さな学校らしい建物の壁に女性の先生らしい像が取り付けられていました。下の文字が読めると像の由来がわかるのでしょうね。クリックすると拡大します。ロシア語かウクライナ語だと思いますが1868年と1872年が読みとれます。さてどのようなことがかかれているのでしょうね。
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ウクライナの地方都市のホテル [ウクライナ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。


クリックするとホームページ表示ウクライナのドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)という町に泊まりました。人口は100万人でウクライナでは第2あるいは第3の町だそうです。ちなみに首都キエフは250万人です。
泊まったホテルは、こじんまりとしたホテルですが清潔できれいなホテルでした。
手前から2軒目の建物です。
名前はReikartz Hotelで四つ星のホテルです。

泊まった部屋の窓からの景色です。緑が沢山ありました。こちらの町では超高層ビルはありませんでした。


こちらが部屋です。ネットで見る限り一番評判が良かったです。→ポチッ


浴室はやたらと広かったです。


朝食は豪華な感じではありませんが、なんとなく品質の高いものが並んでいました。
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気に入ったのがチーズです。


これが自分のさらに取り分けたものです。


パイ生地の変わったパンがあったのでさっそく食べてみました。甘みのある美味しいパンでした。
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航空写真でも緑が多いことがわかってもらえるとと思います。写真の中のマイナスのアイコンを数回クリックすると町全体がわかってくると思います。緑の家のマークがホテルの場所です。

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ウクライナの地方都市でドイツビール [ウクライナ]



ウクライナについて2晩目はドイツの居酒屋風のレストランになりました。ホテルの近くで簡単に食べようかといろんなレストランに入ってみましたがクレジットカードが使えるお店がなかなか見つかりませんでした。クレジットカードが使えるお店を探したのは現金をあまり持っていなかったためです。そんな時に上の写真のポールが立っているのを見つめました。
これは見覚えがあります。→ポチッ
もっと巨大なポールでしたがドイツの田舎の村で見かけました。マイバウムと呼ばれるお祭りで建てられるものです。ここはドイツ料理店だと直感して入口まで行ってみました。一応クレジットカードのマークもドアにあったのでさっそく入りました。

さっそくビールを頼みました。ドイツの無濾過のビールでした。


これはチーズをジャガイモに包んでフライにしたものです。これはビールに合います。


これは?
カザフスタンに着いた初日のカザフスタン料理で食べた裂きチーズに味が似ていました。見た目は違いますが裂きチーズです。


鶏肉の乗ったサラダです。これもビールに合いました。


ドイツと言えばソーセージです。ドーンと出してもらいました。


スモークサーモンに玉葱の料理です。なかなかウクライナのドイツ料理はいけました。


これがすばらしくビールに合いました。黒パンを揚げたものです。少し味がつけられていてビールに合うのです。


途中でスープを飲むのもいいですね。ビールばかりなので暖かいスープがより美味しく感じられました。


野菜の揚げ物に!


ジャガイモも頼みました。


ナイフとフォークのマークがドイツレストランの場所です。緑のマークが泊まったホテルです。ホテルから目と鼻の先でした。小さな写真は、すでに紹介した教会です。

より大きな地図で Dnepropetrovskのレストラン を表示

パンタグラフ [ウクライナ]



こちらはウクライナに入って最初に泊まったドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)です。この町には赴きのある路面電車が走っていたので紹介します。
上の路面電車で目立っているのが、大きなパンタグラフ (Pantograph)です。パンタグラフは菱形の集電装置のことですが、今ではパンタグラフと形のものは見かけなくなり専門家の間では電車の集電装置のことをパンタグラフと呼ばなくなったようです。でもこちらの町では今でもこの菱形のパンタグラフが活躍していました。
Dnepropetrovskは日本では長らくロシア語名に基づいてドニエプロペトロフスク、ドニェプロペトロフスク、ドネプロペトロフスクなどと表記されていたが、ウクライナの独立後はウクライナ語名に沿った表記が広く使われるようになってドニプロペトロウシクとなりました。ただし日本国内におけるウクライナ語の認知度が低いため現在でも「ドニエプロペトロフスク」と表記されることが多いそうです。
線路の雰囲気から、この町では古くから路面電車があったように思えました。右の航空写真の中心あたりが路面電車の写真を撮ったところです。
この町は人口は資料により110万から130万の間といわれおり、ウクライナ第2の都市または第3の都市と呼ばれています。ドニエプル川の河畔に位置する工業都市で兵器の生産やエネルギー産業などの重工業を主産業としているそうです。ソ連時代を含めて多数の人材を送り出しています。特に独立後の首相を4名(レオニード・クチマ、パーヴェル・ラザレンコ、ワレーリー・プストヴォイチェンコ、ユーリヤ・ティモシェンコ)も輩出していることには驚きです。より大きな地図で見る場合→ ポチッ


路面電車の後姿です。上の線路を走っているところです。ここは町の中でも丘の上で高いところを走っています。


こちらは町の中の路面電車の線路と架線です。


町のいたるところに路面電車が走っていました。


下の写真のように前から見るとパンタグラフの大きさが実感できると思います。冒頭の写真の丘の上の路面電車とは、かなりの高低差があったのでつながっていないかもしれません。より大きな地図で見る場合→ ポチッ
この地方で確認されている人間の居住は15万年前だそうです。いくつかの民族の交代があり、紀元後1世紀ごろからスラヴ人が住むようになったそうです。9世紀にキリスト教が伝わり、修道院が建てられたが1240年にタタール人に破壊されたそうです。タタール人の勢力がこの地方に進展したころには、ドニエプル川の東岸にタタール人、西岸にスラヴ人が対峙し、12世紀にコサックがこの地域を勢力下におくまでこの状態が続いたそうです。16世紀には、ポーランド王国、オスマン帝国、モスクワ大公国の勢力が角逐する場となったそうです。最終的にロシア帝国領となり、1775年現在の都市が建設されたそうです。当時の名は、ロシア皇帝エカチェリーナ2世の名をとって エカチェリノスラフ(Екатеринослав)と命名され、ロシア革命後に現在の名に改称されたそうです。


この町(ドニプロペトロウシク / Dnepropetrovsk)では路面電車だけではなくトロリーバスも発達していました。


さとけさんのプラハの路電にトラックバックしています。←車体がそっくりです。

レンガ造り [ウクライナ]



すでに紹介したとおりウクライナのドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)は石作りのビルが多かったけれども、レンガ(煉瓦)造りのビルも目立つ町でした。レンガ造りも趣のある雰囲気がありました。

煉瓦造りの風景もドニプロペトロウシクの町の風景の一つなのでいくつか紹介いたします。煉瓦の建物は3階までのようでした。


煉瓦造りのビルは石造りのビルは半永久的ですが煉瓦造りのビルは寿命があるようです。取り壊し寸前のビルもいくつかありました。



この円筒はなに? [ウクライナ]


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ウクライナのDnepropetrovskの街角に円筒形のものが建っていました。
これは何でしょう?    クリックすると拡大します。

  答えは 売店(キオスク/kiosk)でした。

雑誌や新聞などを売っていました。

キオスク(Kiosk)はJR東海の販売店の名前だと思っていましたが、奥の深い語源でした。キオスクとは現在のヨーロッパ、ロシア、アメリカなどでは、仮設小屋の一種を示す言葉で、ロシアなどでは、道端や公園など場所問わず設置されている小さな商店を指すそうです。ネットでのキオスクの説明は下記の通りです。
キオスクとは、地中海沿岸や中東などで発達した、庭園の簡易建造物。東屋やガゼボなどと同じく小さな建物で、全面または一部の面に壁がなく、外に開放されている。
キオスクはイランからインドにかけての庭園によく設けられていた。13世紀にはペルシャ人からトルコ人に伝わり、オスマン帝国では宮殿や庭園などにキオスクが建てられた。イスタンブルのトプカプ宮殿の周囲には多数のキオスクがあるほか、オスマン帝国の支配下にあった地域、例えばギリシアなどにもキオスクのある庭園が残る。
キオスクという語はペルシャ語のクシュク(kušk)に由来し、「日陰をつくる物」を指していた。これがトルコ語でキョシュク(köşk)になった。「キョシュク」は現在でも、オスマン建築の中でも宮殿や邸宅の離れといった住宅建築を指すのに使われる。当初は木造で、後には石造などでも建てられたキョシュクは、表面は石や金属やタイルなどで覆われ、2階建て以上の高さがある建物であった。トルコなどには、皇族や貴族が夏や冬に住みかえて過ごすための邸宅や離れが多数残っている。特に夏用の邸宅は風を取り入れるために開口部が大きい。18世紀にはヨーロッパにオスマン文化の影響が及び、庭園に「キオスク」と呼ばれる休憩用の建物が建てられるようになり、造園に際しての重要な要素となるに至った。
ギリシアの都市によくみられる型のキオスク現在のヨーロッパ、ロシア、アメリカなどでは、キオスクとは仮設小屋の一種で、一方の壁面に大きく開いた窓があるものを指す。キオスクを使う商人も多く、道路や公園などにキオスクを設置して新聞、雑誌、地図、ライター、タバコ、菓子など安いものを売っており、新聞スタンド・雑貨屋・駄菓子屋の機能を果たしている。ロシアでは、道端や公園など場所問わず設置されている小さな商店を指す。ソ連崩壊・ロシア市場経済成長と共に、大手スーパーチェーンの進出や浸透により数は少なくなりつつある。日本では駅売店がキヨスクと呼ばれている。
キオスクと呼ばれるものの中には、催し物を紹介する無料のパンフレットや地図などを配布したり、観光客の案内所として使われるもの(information kiosk, information booth)もある。またキオスク端末やインタラクティブ・キオスクと呼ばれる、コンピュータやインターネット端末を置いた小屋やブースを、路上や店舗内などに置いて公的サービスを提供したり情報を提供したりしている国もある。
各国の言葉は下記の通りです。
 ペルシア語  : کوشک‎ kušk
クリックすると拡大 アラビア語   : كشك‎ košk
 トルコ語    : köşk
 タガログ語  : kyos
 ウルドゥー語 : khoka
 フランス語   : kiosque
 ギリシア語  : κιόσκι
 ドイツ語    : Kiosk
 ポーランド語 : kiosk
クリックすると拡大 英語      : kiosk
 チェコ語    : kiosek
 ポルトガル語 : quiosque
 ルーマニア語 : chioşc
 ブルガリア語 : кьошк kyoshk
 クロアチア語 : kiosk
 セルビア語  : киоск or kiosk
 スペイン語   : quiosco or kiosco
 日本語     : キヨスク or キオスク  クリックすると拡大

ドニプロペトロウシクの教会 [ウクライナ]

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湖畔のレストランでウクライナ料理セレブなパーティーをを紹介したウクライナの100万人都市であるドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)の町を早朝に散歩をしているときに撮影した教会です。この教会は前日の夕方にレストランを探している時に見かけた教会でした。気になったので朝の散策の時に探してみました。時間は5時27分でしたがすでに人が集まりつつありました。ウクライナは朝が早かったです。
 
こちらが前日の夕刻に撮った同じ教会です。こちらの時間は18時47分でした。


道路を挟んで建っていた教会関係と思われる建物でした。5時28分と早朝でしたが中から神父が2名ほど出てきて車に乗って出かけました。教会に出勤のような雰囲気でした。建物の雰囲気は学校あるいは宿舎のような感じでした。
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教会と教会関係の建物の位置関係をGoogle地図に写真のアイコンで示してみました。小さな写真のアイコンがわかってもらえるでしょうか。

より大きな地図で Dnepropetrovskの教会 を表示
地図上に写真のアイコンを作る方法を紹介いたします。
 1. 事前にso-netにアイコン用の小さな写真(jpg gif)を登録しておきます。
   作るアイコンのサイズは64×64以下
右が32×32 で下が50×50
IMG_0091-50.jpg 2. Googleにユーザー登録をします。すでに登録してある場合は不要
 3. Googleをログイン状態する。
 4. 「地図」をクリック
 5. 「マイプレイス」をクリック
 6. 「新しい地図を作成 」をクリック
   すでにマイマップを登録してある場合は対象をクリック
 7. 地図の目印付けるのマークのアイコンをクリック
 8. 対象場所にマークをドラックしてクリックする。
 9. マークのタイトルを入力
10. 左のマークのアイコンをクリックして、出た画面の「追加」をクリック
11. 事前にso-netに登録した写真のアドレス(URL)を入力してOKをクリック
12. マーク登録のOKをクリック
13.マイマップにタイトルを入力した保存をクリックし完了をクリック
手順説明 以上
こちらが編集中の画面です。直線を引いたり道なりの線を引くことも出来ます。航空写真の画面だとアイコンがわかりにくいので地図の画面にしています。

セレブなプライベート・パーティー [ウクライナ]

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ウクライナのドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)という町の湖畔のレストランで食べたウクライナ料理を紹介いたしましたが、そのレストランで見るからにセレブな人たちプライベートなパーティーが行われていました。
単なる食事会でないと思われた理由は後で紹介するとします。ヨーロッパと同じ習慣だとすればこちらに背中を見せて座っている男性の何らかのお祝いだと思います。雰囲気からして誕生日のお祝いかもしれません。
白いジャケットの背中の模様も気になります。娘さんと思われる女性が一眼レフを持っているのもIMG_9835-248.jpg印象的でした。

パーティーを撮影する人も雇われていました。そのおかげで私も写真が撮りやすかったです。気になっていたジャケットの背中の模様を右に紹介します。クリックすると拡大するので是非と拡大写真をじっくりと見てください。MONDOの文字が気になります。


レストラン大きな敷地の中で一番景色のいい場所に特別にテーブルをセッテングされていました。クリックすると拡大するので雰囲気が少しわかってもらえるかもしれません。
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我々のテーブルの場所からの景色です。


ウクライナの農家をもとにしたレストランだそうです。湖の畔の素敵なレストランでした。極寒の冬の季節はこの建物の中で食事をするのでしょうね。


前にも紹介しましたが湖畔からの景色を紹介します。この景色の目の前手にテーブルがセッテングされていました。この写真はクリックすると拡大するので景色を楽しんでください。
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これはレストランのイベントではなく、上のパーティーの方がプライベーに依頼した踊りだそうです。確認したところウクライナの民族衣装でもないしウクライナの民族的な踊りとは関係ないそうです。先ほどのテーブルからこの踊りの会場に移動して皆さん楽しまれておられました。動きと迫力を実感してもらうために連続9枚の写真を掲載いたします。その次に掲載させていただいた動画を見てもらえればわかりますが女性や子供さんも興味深く(?)、見ておられました。8枚の写真はクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

動画も掲載いたしました。動画の最後にセレブなパーティーの人たちも登場しますので是非とも、最後まで見てほしいです。踊りの種類はサンバ系?
上の写真は4名で踊っていますが、この動画を撮った時は3名で踊っていました。上の8枚の写真のスライドショーはこちら→ポチッ


クリックすると拡大上の連続8枚の写真の後ろから2枚目の写真から切り取ったものです。髪の流れ方からも動きの大きな踊りであることがわかってもらえると思います。夕刻(18時44分)で暗くなってきている上に動きが早いので鮮明な写真ではありませんがクリックすると拡大するように設定いたしました。
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ウクライナの前大統領の演説はじまったとの事なので我々も見に来ました。でも我々と一緒に食事をしていたウクライナに住んでいる人が前大統領と顔が違う、本物ではない、と言い出しました。実は、これもプライベートのパーティーのメンバーが依頼した物まねのタレントの方だったのです。
右の画面が動画です。プレーボタン( )をクリックすると物まねを聞くことが出来ます。画面が小さいので画面の中のYouTubeの文字の部分、或いは右下の [  ] をクリックすると大きな画面で動画を見ることが出来ます。我々にはわかりませんが、しゃべり方が似ているのでしょうね。これ以外にもいくつかのイベントがあったので、かなりのセレブな人たちのパーティーであると判断したわけです。

湖畔のレストランでウクライナ料理 [ウクライナ]

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この日はカザフスタンのアルマトイ(アルマティー Almaty)からキエフにウクライナの航空会社であるアエロスヴィット航空で6時間25分のフライトでウクライナの首都キエフに着きました。本来は町で昼食をとることにしていたのですが、カザフスタンから飛行機が遅れていることもあり空港で昼食をとった後、すぐにウクライナの国内線でドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)という町に着きました。
ウクライナに着いたらやっぱりウクライナ料理です。さっそく夕食は湖畔にある素敵なウクライナ料理のレストランに行きました。上の写真がレストランからの景色です。

オープンな雰囲気のレストランでした。ここでいろんな肉を焼いて出してくれました。


レストランからの別の角度の景色です。


こちらがレストランの入口の門です。これがレストラン? ワイルドナ雰囲気の入口に驚きましたが中に入って納得でした。


レストランの中ではプライベートなパーティーも行われており、そのパーティーも素敵な景色になっていました。
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レストランは広大な敷地の中に個室が建てられている形式でした。この建物で食事を楽しみました。


個室の中のテーブルです。遠くからは個室は小さいように見えましたが実際に席に着くと結構広いテーブルでした。


分厚い皮張りのメニューにはPECYOPAHの文字とXymipの文字が読み取れます。一つがお店の名前でしょうか。もう一つがメニューの意味かもしれません。


さっそくビールです。民族衣装の方が持ってきてくれます。


ここから料理の紹介です。と言っても料理の名前は判りません。こちらはいろんなピクルス(日本流で言えば漬物)の盛り合わせです。ハーブも一緒に食べました。


これがウクライナの名物です。塩付けや燻製など5~6種類のいろんな肉が、出されました。カザフスタンと違い豚肉が自由に食べれるので豚肉も入っています。特に有名なのが豚の脂身の塩漬けサーロ(ウクライナ語:Сало 英語:Salo)です。サーロはボルシチやヴァレーヌィクと並んで、ウクライナの代表的な伝統料理とされています。


上の写真からサーロの部分を拡大しました。これが本場のサーロです。
サーロは、高カロリーの脂肪源として古来より重視されたそうです。農家や、戦争に出かけるウクライナ・コサックはいつもサーロを保存食として持参していたといわれています。18世紀初めのヘーチマン国家における忠心隊の1 日分の糧食にはサーロの割合が30.8 %を占めており、ウクライナの食文化におけるサーロの重要度を物語っているるそうです。ウクライナ人によるサーロへのこだわりは、東欧諸国においてしばしば笑いのネタにされており、ウクライナ人を「サーロ食い」と呼ぶこともあるそうです。
ウクライナ人の食生活では、以前はサーロはパンとならぶ主食の一つでしたが、生活様式の変化と、現代の人々の間に広まった低カロリー志向から、前菜的な役割のみ担うようになったそうです。


ウクライナ料理は自然な農村の中で食べるコンセプトのようです。以前ロシアでウクライナ料理を食べた時はレストランの中に農家を作って実際の動物や農夫がその中に居ました。
こちらではまさに自然の中にレストランを作ったのだと感じました。出てくるものも自然なものでした。生野菜がドーンと出てきました。


いかにもウクライナ人という雰囲気の方が民族衣装で沢山の料理を持ってきてくれました。


これがニシンの塩漬けです。ほとんど刺身状態と言えるほど新鮮でした。ニンニクやハーブと一緒に食べました。


写真を撮る前に2個食べられてしまいました。これもウクライナの独特の料理だと思います。なぜならばウクライナ独特の料理を選んで欲しいと頼んだからです。


ウクライナと言えばウオッカです。これは生姜を原料にして作ったウオッカです。初めて見ました。単にウオッカに生姜を入れたものではなく珍しいものだそうです。透明な普通のウオッカより飲みやすい気がしました。


ジャガイモ料理です。単に揚げたものですが味付けが良かったです。


春巻きのような料理でした。卵で巻いた物を揚げた料理でしょうか。


いよいよメインの登場です。最初に紹介した湖畔で肉を焼き始めました。


テーブルに出されてきました。やはり一番高級な牛肉だと思います。沢山出てきました。


カザフスタンでは肉はカリカリに焼きましたがウクライナでは多少ミディアム的な焼具合でした。タレは必要なく調理の時の塩と胡椒だけの味付けですが肉に含まれる脂の味だけて美味しくいただけました。クリックすると拡大します。
クリックすると拡大

レストランの位置を探し当てました。フォークとナイフのマークの位置がこのレストランです。地図内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。もっとアイコンをクリックすると、この町ドニプロペトロウシクの位置もわかると思います。

より大きな地図で Dnepropetrovskのレストラン を表示

チェルノブイリ原子力発電所の場所 [ウクライナ]

福島第一原発の事故(2011年03月11日)から5ケ月目(8月27日)の報道で、事故で放出されたセシウム137が広島に投下された原子爆弾の168倍にあたるとのショッキングなニュースが流れました。そんなに多かったのかと改めて感じてしまいます。最近の最新情報はまだ調べていませんが、その時のニュースの内容は下記の枠内です。
保安院の試算によりますと、福島第一原発の事故で1号機・2号機・3号機から、これまでに放出されたセシウム137の量はあわせて1万5000テラベクレルに上ります。これは、1945年に広島に投下された原子爆弾の168倍にあたる量だということです。セシウム137は半減期がおよそ30年と長く、長期間の影響が心配されます。
原子爆弾と原発事故では、放射性物質の放出の状況は大きく違い、保安院は「単純に比較することは合理的ではない」としていますが、事故で放出された量が膨大であることが改めて示されました。(27日02:26)
2013年3月時点で福島第一原発から放出されたセシウム137総量はチェルノブイリ原子力発電所事故の4倍、広島原爆の約4023個分であると発表されました。
今、ウクライナの記事をいくつか書いています。→ポチッ
ウクライナと原発と言えば27年前に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故を思い出しますが、チェルノブイリ原子力発電所がウクライナに行っている間もはっきりしした場所のイメージがなかったために思い出す意味もあり場所を検索してみました。
左側のマークがチェルノブイリ原子力発電所です。事故が発生したのは4号炉(1883年竣工)ですが、2000年11月まで3号炉(1881年竣工)は運転をしていたそうです。ちなみに2号炉(1878年竣工)は1991年10月の火災をきっかけに停止し、1号炉(1877年竣工)は1996年11月まで運転していました。


ソ連崩壊に伴い1991年8月24日に独立したウクライナが事故処理を引き継いだそうです。放射能汚染はチェルノブイリ原子力発電所の北側が深刻な被害を受けたためにベラルーシの被害が文献などに多く取り上げられています。


ウクライナの首都キエフから直線で110kmですが風向き関係で放射能の影響は少なかったと記憶しています。


下の航空写真がチェルノブイリ地区です。チェルノブイリの町はこの航空写真より少し南にあります。大気に漏れた放射性物質(ヨウ素131とセシウム137の合計)と広島原爆を比較すると次の通りです。
  福島       37京ベクレルor 63京ベクレル
           セシウム137 広島の 168倍(2011年8月発表)
                  広島の4023倍(2013年3月発表)
           事故評価 レベル7
  チェルノブイリ  520京ベクレル
           合計放射能  広島の 400倍
           事故評価 レベル7
                         京=10000兆
福島原発からの放射能汚染はチェルノブイリ原発事故で放出された放射能汚染の数分の一から10分の一程度ですが、あのチェルノブイリと福島が同レベルになってきたことに驚いています。ただしチェルノブイリ原発事故で放出された放射能汚染でも20世紀中頃に行われた沢山の大気圏内核実験による合計汚染と比べた場合は、100分の1から1,000分の1に過ぎないそうです。


これがチェルノブイリ原子力発電所です。航空写真で見る限りは立派な発電所だったようです。ここで1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)に事故が発生いたしました。


Google地図も掲載します。アイコンをクリックして拡大および縮小が出来るのでいろいろと活用できます。

より大きな地図で Chernobyl原子力発電所跡 を表示
マークの位置が4号炉だと思います。下の写真の煙突がクリヤーに写っています。


これがネットから拝借した地上から見た4号炉です。煙突の奥が3号炉だと思います。
事故の初期にソ連当局が行った応急措置は次の通りです。
 ホウ素を混入させた砂5000tをヘリコプターで4号炉に投下
 水蒸気爆発を防ぐため下部水槽(高濃度汚染水)の排水
 減速材として炉心内へ鉛の大量投入
 液体窒素を投入して周囲から冷却、炉心温度を低下させる
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ネット上で掲載されていた三次元CGの画像です。向こう側の煙突の前後にあるのが2号炉と1号炉で手前の煙突の前後にあるのが4号炉と3号炉と思われます。
クリックすると別角度

チェルノブイリ原子力発電所の事故による放射能汚染の状況を紹介しておきます。この画像はセシウム137の汚染状況を説明したものです。画像をクリックすると各文字が読める画像が表示されます。距離の感覚がわからないと思いますが原子力発電所とキエフ(KIEV)は直線距離で110kmなので汚染は数百kmに、およぶことがわかってもらえると思います。
クリックすると拡大

ついでなので1979年3月28日にレベレ5の事故を起こしたアメリカ合衆国ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所の場所も掲載いたします。写真の中のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。

より大きな地図で Chernobyl原子力発電所跡 を表示

ウクライナと言えば! ひまわり畑 [ウクライナ]



以前にカザフスタンとウクライナに出発した記事を掲載しましたが、ウクライナで最も印象に残ったのがヒマワリ畑でした。
紹介の写真は農業地帯を車で走っている時のものです。
上の写真は車の後部座席から撮ったものですが、走っている車の周りに見渡す限りのヒマワリの畑が続く景色に出会えました。バックミラーにも「ひまわり」が写っているのがわかってもらえると思います。360度がヒマワリ畑でした。

これも車からの写真ですが110km/hでの走行のために鮮明ではありませんが雰囲気はわかってもらえると思います。


クリックすると?車を停めてヒマワリ畑の景色を楽しむことになりました。2台の車で走っていましたが前の車がこの場所で停まってくれたのです。
後ろのランドクルーザータイブが私が乗った車です。
ほんとうに一面ヒマワリだらけでヒマワリの香りを感じたのも初めての経験でした。昔、イタリア旅行に行ったときフィレンチェの近くで広大なヒマワリ畑を見て感激いたしましたが、こちらのヒマワリ畑は桁違いの規模でした。


ほんとうにヒマワリ畑がどこまでも続いていました。この写真はクリックすると拡大するので是非とも拡大写真を見てください。
クリックすると拡大

少し拡大した写真です。こちらもクリックすると拡大します。停車して写真を撮ったので花の形がよく判ります。花がこちらを向いてくれています。
クリックすると拡大

道路も紹介します。このように道路沿いにヒマワリの畑が続いていました。
一般道路ですが交通量が少ないので、この道を巡航速度110km/hで走りました。時には160km/hでも走りました。スピード感はありませんが路面が悪いので上下振動が大きいため写真を撮るのに苦労しました。そんな意味で、停まってもらえたのはラッキーでした。こちらの写真もクリックするとヒマワリ畑の広さを実感してもらえる共に道路の雰囲気もわかってもらえると思います。
クリックすると拡大

計250km走っただけの感想ですがウクライナは農地か豊富な場所でした。この時期で、最も多かったのが小麦畑で次がヒマワリ畑でした。その次はジャガイモで、その次がトウモロコシでした。この写真は緑の小麦畑でした。


刈り取りに近づいた小麦畑や刈り取った後の小麦畑があり、小麦畑は一斉に同じ景色ではありませんでした。そんなことから一斉に同じ景色であればヒマワリ畑が一番多かったと思います。


クリックすると拡大この場所はソフィア・ローレン主演の1970年3月14日に公開された映画「ひまわり」の舞台となった場所になった地域なのです。映画は戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、劇中幾度か登場する、地平線にまで及ぶひまわり畑の美しさと、もの悲しさが圧巻でした。その映画の音楽とともに悲しい名場面の動画を紹介いたします。
是非ともプレーボタン( )をクリックして見てみてください。
画面の中のYouTubeの文字の部分、或いは右下の [  ] をクリックすると大きな画面で動画を見ることが出来ます。


映画のエンディングで撮影されたひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南南東へ500kmほど行ったヘルソン州で撮影されたものです。ウクライナは広い国ですが、今回の場所の隣の州なので、非常に近い場所と言えると思います。
  今回のひまわりの写真を撮った場所
  映画「ひまわり」で、ひまわり畑が撮影されたヘルソン州
 ━━ 車移動ルート ドニエプロペトロフスク → ニーコポリ

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ウクライナの郵便ポストは国旗色 [ウクライナ]



クリックすると拡大これがウクライナの郵便ポストです。色は黄色(イエロー)です。投入口や文字は青色(ブルー)です。イエローとブルートと言えばウクライナの国旗(右)ではありませんか。

これがウクライナの郵便局のマークだと思います。


ウクライナ語は判りませんが月曜日から金曜日は16時に郵便を集めに来ると言う意味ではないでしょうか。土曜日と日曜日は休みなのでしょう。


下の郵便ポストはウクライナの首都キエフで見つけた郵便ポストです。冒頭のポストはドニプロペトロウシクの町で撮った写真です。その時は「ウクライナのポストは黄色なのだ、確かバチカン市国とドイツのポストが黄色だったな。」と!
そしてタイトルは「ウクライナのポストは黄色」で掲載するつもりでした。
キエフのポストを見てポールがブルーだったことと、クリックすると拡大ブルーの色が国旗のブルーの色に近いことで、ウクライナのポストが国旗色だと気がついたわけです。
ウクライナの人は国旗の色を大切にしているようです。カザフスタンからウクライナに来る時に利用したウクライナの航空会社の飛行機はまさにウクライナ国旗色でした。→ポチッ


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