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伊香保神社から次に目指したのは湯元にある露天風呂 朝の散策 [群馬県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大前日にゴルフをして伊香保温泉で泊まり、早朝の散策で石段街を登ってきて右の写真の伊香保神社に参拝しあと境内を散策していると「露天風呂 飲泉所」と書かれた上の写真の案内板を見つけたので散策を続けることにいたしました。この時、6時56分でした。
 前日の記事はこちらです。 →ポチッ
 石段街の記事はこちらです。→ポチッ

本航空写真で一番上に伊香保神社があります。一番下に緑色の文字で伊香保露天風呂と書かれているところが目的の露天風呂です。案内板では350mと書かれていましたがGoogle地図では620mでした。途中に伊香保飲泉所がありましたが、そこまででも525mありました。
 ━━ 私が歩いた伊香保温泉街散策ルート


冒頭の案内板と同じ場所で道路を挟んだ位置に同じ看板がありました。矢印は反対ですが道路を挟んでいるので進んでいくべき方向は同じなのです。
クリックすると拡大つまり河鹿橋(かじかばし)までが350mだったのです。冒頭の案内板は河鹿橋の文字の上に右のクリアシートに入れた写真を貼り付けてしまったために露天風呂までが350mだと思ってしまったのです。
写真を貼った担当者は河鹿橋も露天風呂も同じ程度と思ったか、近くにこの案内板があるので、分かってもらえるつもりだったのかもしれません。ただし、この案内板から河鹿橋までの距離は420mなので、下で紹介の合流地点に取り付けるつもりでつくった案内板だと感じました。
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それでは露天風呂に着くまでの景観を紹介したいと思います。露天風呂は写真の左奥に進んだ方向にあり、緑豊かな場所に入っていきました。
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進んでいくと3本の道が合流して1本になり露天風呂の方に延びていました。合流地点に黒い板張りの見事な建物が建っています。山の斜面に沿って建てられていました。上の道路からだと2階建てですが、下からだと5階建て以上の建物です。この合流地点からならば河鹿橋まで350mで通用すると思います。
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大きな扁額に右側から湯乃花饅頭と書かれていることから、クリックすると拡大有名な右下の写真の「湯乃花まんじゅう」のお店のようでした。湯乃花饅頭の文字の下には右のように先頭が読めない文字で店名が描かれていました。クリックすると拡大とりあえず当て字で叢明店( クリックすると拡大)にしておきます。「湯の花まんじゅう」と言えば石段街の300段の表示版のところにある勝月堂が有名ですが、こちらの黒い建物の扁額の左端に勝月堂と書かれていたのです。どちらが本店か分かりませんが、本店と支店の関係のように思われました。Google地図のアイコンをクリックすると、どちらのお店の住所も「群馬県渋川市伊香保町伊香保591-7」と同じでした。さらに入口のガラス戸のところを見ると「湯乃花饅頭 考案の店 創業明治四十三年 勝月堂」と書かれていました。
現在では全国各地で見られる茶色の温泉饅頭の発祥は、勝月堂の創始者である米田勝三が考案して1910年(明治44年)に売り出された湯乃花饅頭と言われています。クリックすると拡大米田勝三は東京の風月堂(当時は米津風月堂)で修行し伊香保に帰郷した際に、地元の古老から「伊香保にこれといった名物がない。何か新しい土産物を!」と依頼を受けて伊香保温泉の茶色い湯花をイメージして黒砂糖を使った茶色の饅頭を作ったそうです。勝月堂の創業が1909年なので米津風月堂がパピヨットを考案(1907年)したころになります。右の写真は大正初期に撮られた米田勝三と当時の店舗です。クリックすると静止画を表示します。
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参考に石段街の300段のところの勝月堂のお店の写真を掲載いたします。こちらの看板にも湯乃花饅頭の文字が使われていました。発売から24年目の昭和9年に昭和天皇が2円分の「湯乃花まんじゅう」を買われて、その時の買上書がお店に保管されている記事も書かれていました。
Googleストリートビューはこちら→ポチッ1 ポチッ2 ポチッ3
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伊香保温泉の石段街のGoogleストリートビューの撮影機材は徒歩で撮影するためトレッカーが使用されました。本写真は2018年2月15日に投稿された渋川市のツイートに掲載されていた写真を転用させていただきました。撮影は2017年10月に行われたことがクリックすると拡大ストリートビューの右下に書かれています。Googleの撮影機材は撮影車(自動車)、トライク(自転車)、トロリー(押し車)、トレッカー(徒歩)、専用スノーモービル、トレッカー(らくだ)などがあります。
ちなみにGoogleの撮影機材を初めて紹介させていただいたのは、フランスのアヌシーの旧市街地の記事の中でした。→ポチッ
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道の合流地点に伊香保温泉観光案内図がありました。
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趣きのある道が続いていました。
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道沿いの家は山に沿って建てられているので、家と家の間には急な道が作られていました。
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家の間からの谷の景色です。下にも道路があり、その道沿いに建物が建てられているのです。
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露天風呂まで徒歩5分の案内板がありました。どうやら温泉噴出し口もあることが分かりました。時刻は7時01分でした。7時06分+αくらいには着ける計算となります。+αは写真を撮る時間です。
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山深い道が続きました。
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道沿いには白い花も咲いていました。
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その花を拡大いたしました。
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緑に囲まれた道は続いていました。
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谷を挟んだ向かいの山です。中央に岩らしきものが見えたので写真を撮りました。
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ズームでその岩を撮りました。よく見ると岩はV型になっていました。
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道は続いていました。
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道を横切る小さな谷の部分に橋がかけられていました。その先にも赤い欄干の端が見えます。おそらく案内板にも書かれていた河鹿橋だと思われます。
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橋の下の川には水が流れていました。
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見えていた橋はやはり河鹿橋(かじかばし)でした。
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ここで谷から上がってきた道路と合流いたしました。私は右から歩いてきて、露天風呂を目指して左に進みました。
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クリックすると拡大合流地点には古い「湯元呑湯道標」と呼ばれている石の道標が建てられていました。写真の左端の石柱が道標で、右は説明板です。道標には次のように書かれていました。左と書かれている湯元と呑湯の方に進みました。
 道標の正面
   右 棒名山 二ッ嶽
               道
   左 湯元  呑湯
 道標の右側面
   明治二十三年五月二十八日
   高崎相生町 粕川 龍蔵 建之 
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説明板も紹介します。呑湯を示す道標は全国的にも珍しいことから、市指定の史跡になったようです。
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正面の道が昔で言う「湯元と呑湯」方向です。今でいえば「温泉噴出口と飲泉所と露天風呂」です。道の左側に建っている小さな建物が飲泉所(呑湯)です。
木で出来た電話ボックスも趣きがありました。
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こちらは飲泉所(呑湯)です。縦表札には伊香保温泉飲泉所と書かれています。ここを通るときは飲泉所は露天風呂の中にあると思っていて、この建物は単なる休憩所とばかり思っていたことから写真を撮っていませんでした。道路を撮った広い範囲の写真から切り取って掲載させていただいたので写真の鮮明度はもう一つなのはお許しください。右の温泉と水が流れ出ている写真はネットから転用させていただきました。
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趣きのある煉瓦造りの入口がありましたが、閉鎖されていて、「伊香保露天風呂 この先26m」の張り紙が貼ってありました。おそらくこの建物の裏側の板塀の中に露天風呂があるのだと思います。
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小川の水は茶色く濁っていました。我々がゴルフに来る前も晴れていたし、左からの湧水も茶色く濁っているは、温泉の「黄金の湯」が濁っているの関係しているのかもしれません。
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源泉の湧き出し口に着きました。湧出口第二号源泉と書かれていました。昔の道標の湯元なのだと思います。時間は7時8分だったので徒歩5分の案内板の場所から7分で着いたことになります。写真を撮りながらだったので、徒歩5分は妥当な表示だったようです。
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湧き出し口は透明のドームで覆われていました。Google地図の等高線より高さを読み取るとここの標高は約845mでした。
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エルヴィン・フォン・ベルツ博士(1849年~1913年)の銅像と石碑が建てられていました。ベルツ博士はドイツ帝国の医師で、1876年(明治9年)に日本に招かれ1905年までの29年間にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くしたひとです。その功績が称えられて、1900年に勲一等瑞宝章、1905年に勲一等旭日大綬章を受章しました。ベルツ博士は日本温泉医学の父であり、伊香保温泉の大恩人だそうです。 ベルツ博士は日本各地の温泉の指導を行いましたが、第1番目が伊香保温泉だったそうです。伊香保のいろんな旅館のホームページにも大恩人と書かれていることから、温泉が見直されるきっかけになったのかもしれません。
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ラドン発見の碑も建てられていました。写真をクリックすると建碑の意義の説明石碑を表示します。ラドンは怪獣の名前ではなく原子番号86の元素で、元素記号は Rnです。−61.85°C以上では気体で最も原子番号の大きな希ガス元素です。同位体はRn210、Rn211、Rn222、Rn224の4つがあり、最も半減期の長いRn222がラジウムエマナチオン(Radiumemanation)と呼ばれているようです。1909年に日本で初めて伊香保温泉でラドンが発見されたことを記念して建てられたそうです。
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温泉湧き出し口敷地内に露天風呂の入口がありました。
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残念ながら利用時間は9時からだったので中を見ることは出来ませんでした。
クリックすると拡大 名称 伊香保露天風呂 or 伊香保温泉露天風呂
 住所 群馬県渋川市伊香保町伊香保581
 標高 約845m(Google地図の等高線より読取)
    入口の説明板には標高810mと記載
 泉質 硫酸塩泉(黄金の湯)
クリックすると拡大 温度 44.3℃(源泉)
 管理 源泉掛け流し
 定休 第1・第3木曜日
 時間  4月~9月: 9:00~19:00
    10月~3月:10:00~18:00
 料金 中学生以上:450円 小学生以下:200円
 備考 1歳児未満は入浴不可 小学生未満は付添要 男女別
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入浴の心得も紹介させていただきます。
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温泉の中は撮れないので渋川伊香保温泉観光協会のホームページの写真を転用させていただきました。
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宿への帰路についたのは7時13分でした。朝食は8時からでした。
宿を出てからだと34分(=7時13分-6時39分)で、伊香保神社を出てからここまで17分(=7時13分-6時56分)でした。17分間の中で伊香保温泉が日本初ことを3つも発見いたしました。1つ目が温泉饅頭、2つ目がベルツ博士の指導、3つ目がラドンの発見でした。前記事の石段街の記事の本格的な温泉街(含む石段街)の整備が約440年前に行われたのも日本初と言えると思います。つまり、34分間に日本初を4つも発見したわけです。伊香保温泉、恐るべし!
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