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早朝の伊香保温泉の石段街 [群馬県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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すでに前記事で紹介した通り2019年5月25日に伊香保ゴルフ倶楽部で16名参加したゴルフコンペがあり、ゴルフが終わったあとは伊香保温泉に泊まりました。夕食、二次会のカラオケ、三次会は全て宿のオーモリ内で行ったことから伊香保温泉の温泉街を見る機会がありませんでした。そのため翌日の5月26日の朝食前に温泉街を散策することにいたしました。上の写真はその時に撮った伊香保温泉の石段です。伊香保と言えば石段と言われるほど有名ですが、恥ずかしながら私は伊香保温泉の石段が有名であることは知らなかったのです。初めて知ったのが宿に戻ってきて朝食の時に石段があったことを話しをしたところ「伊香保温泉と言えば石段」ですよと言われてしまいました。
有名であることは知らなかったけれども独特の雰囲気を楽しめたので写真はたくさん撮ったので紹介したいと思います。

こちらが朝の散策で最初に撮った宿の前の写真です。写真の右端に宿のオーモリが写っています。この時、6時39分でした。
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先ずは宿より少し低い場所に降りて景色を撮りました。先ずは宿より少し低い場所に降りて景色を撮りました。本来は部屋の窓からも同じような景色を撮ることが出来るのですが、我々が泊まった時は外装工事中のために、クリックすると拡大これほどの見晴らしの写真は撮れなかったのです。遠くに見えている雪が残った山は谷川岳で、手前の右端の山は上州十二ヶ岳(1201m)です。右の写真が泊まった部屋からの写真です。その写真の中央に写っているのが子持山(1296m)で、左端の山は上州十二ヶ岳(1201m)と思われます。
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上の写真を撮った場所の近くから撮った我々が泊まった宿です。この後、写真の右方向に散策を始めました。
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温泉街の風情を感じながら歩きました。右のお店の看板には「ボットル 射的」と書かれていました。クリックすると拡大ボットルの意味が分からないので調べてみるとボトル型の積み木にボールを投げで落とすと景品がもらえるケームだそうです。射的は動く景品をおもちゃの銃で落とすともらえるゲームだと思います。
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手作りの「湯の花まんじゅう」のお店では、すでに作業されていました。お店の名前は「大黒屋 本店」と書かれていました。
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土蔵の右側の細い路地を進みました。
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進んでいった細い路地です。その路地のストリートビューです。→ポチッ
路地を進んでいくと驚く景観に出会えたのです。
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その驚く景観がこちらでした。突然に石段のある道に出たのです。石段に出た瞬間の写真を撮っていなかったのでGoogleのストリートビューで再現いたしました。つまり、知らないで散策していたら伊香保温泉で有名な石段街に偶然にも出たのでした。別の方向に歩いていたら、この石段街には出会えなかったと思うと、偶然に石段街に出たのだと、後で実感いたしました。ビュー回転アイコンをクリックすると歩いてきた路地も表示します。


その石段街の場所を紹介します。緑色ライン(━━)が石段街です。右端に我々が泊まった宿「和心の宿 オーモリ」があるので方向が分かっていただけると思います。石段は南から北に登っています。
 ━━ 石段街
 ━━ 私が歩いた伊香保温泉街散策ルート


石段街マップをネットから転用させていただきました。利用させていただいたサイトはホテルきむらさんのホームページです。Googleマップで説明させていただいているように地図の上方向が南で、下方向が北になります。
石段部分に「小満口」の文字が4ケ所書かれています。400年前に石段が整備された時に作られた小満口(小間口)と呼ばれる温泉引湯口です。引湯権を持つ大屋の温泉宿に、決められた一定量の湯を流す分湯システムが400年続いてきた小満口制度で、現在も受け継がれているそうです。地図の中の小満口は流れる湯をガラス越しに見ることができ小満口観覧所です。クリックすると拡大右の写真は212段のところの小満口観覧所です。クリックする周辺も含めた大きな写真を表示します。昔は小満口を持っていた大屋が12軒あり、屋号に十二支をシンボルとして、そのプレートが旅館のあった場所の石段に残されているので探してみるのも石段の楽しみ方の一つだそうです。
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先ずは見晴らしがよさそうな場所まで石段を下りてみることにいたしました。右側には「おみやげ処 いさごや」と「村松旅館」があります。
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石段を下りて見晴らしのいい場所から撮った写真です。
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Wikipediaに今から約130年前の明治20年代の写真が掲載されていたので転用させていただきました。すでに前記事で紹介させていただきましたが伊香保温泉は万葉集(759年~780年頃)に名前が出てくるほど歴史が古く、伊香保温泉の発見は1900年前(第11代垂仁天皇の時代)あるいは1300年前(僧侶・行基による発見)の2説があるようです。この地に温泉が湧くようになったのは榛名山の側火山である二ツ岳の古墳時代以前の爆裂によるものとされています。
クリックすると拡大そして、現在のような石段街や温泉街が形成されたのは戦国時代だそうです。泉質は硫酸塩泉(黄金の湯)やメタけい酸単純泉(白銀の湯)などがあるそうです。下の写真の右端に丸い2本の門柱が印象的ですが、その表札の一番上の文字が「千」のように見えます。現在もここに近いところに、今から517年前の1502年創業の千明仁泉亭があることから、もしかして明治20年代の千明仁泉亭なのかもしれません。
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クリックすると拡大上の明治20年代の写真に近い今の写真を紹介します。少し広い範囲を撮った写真からバックの山の形をあわせて切り取った写真です。偶然ですが写真の右側の工事中の旅館の名前が千明仁泉亭なのです。
千明仁泉亭の表札を右に掲載いたしました。
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上の写真はこの写真から切り取りました。日曜日の早朝6時47分の伊香保温泉の石段街の景色です。日にちは2019年5月26日でした。
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もう一枚、ネットの中から、今と昔の写真を比較してみました。左の写真は米国の写真家バートン・ホームズが昭和初期に撮影した前橋市の製糸工場「群馬社」の女工たちの記念写真です。右側はその記念写真を再現するために伊香保温泉観光振興協議会が企画して県内から約1000人の女性が集まって2010年8月30日に撮られたものです。群馬社は昭和8年の時点で組合員数18,000人、供繭数量121万貫、生糸生産高10万4,000貫と、全国一の規模だったそうです。
       昭和初期            2010年8月30日
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ここからは写真を撮りながら石段を登っていきました。
群馬県の温泉と言えば草津温泉と伊香保温泉ではないでしょうか。温泉の人気は甲乙つけがたいと思います。湧出量に関しては下記のように草津温泉が群馬県の温泉の約半分と吐出していますが、伊香保温泉は東京から近いことや、この石段の雰囲気が人気になっているのかもしれません。
ちなみに日本一の湧出量は137トン/分の別府温泉(大分県:計279トン/分)で、単一湧出口日本一は9トン/分の玉川温泉(秋田県)です。
右の写真は伊香保温泉の温泉噴出口第二号源泉です。(朝の散策の到達地点)
クリックすると拡大 草津温泉  37トン/分
 伊香保温泉 5トン/分
 四万温泉  3トン/分
 万座温泉  1.6トン/分
 尻焼温泉  1.3トン/分
 嬬恋温泉  1.0トン/分
 群馬県合計 70トン/分以上
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テレビを見ているとジャン・レノが登場するCMで伊香保温泉の石段街が写っていたのでCMの動画を紹介します。タイトルは「ジャン・レノが縁日で!!("Jan Reno" but in a festival day!)」で、マルハン(MARUHAN)のCM(Commercial)でした。動画の最初が上の写真の「湯の花まんじゅう」の看板が写った石段街でした。是非ともクリックして見てください。


掲載した写真は全て早朝のために人は少ないので、人の多い夕刻の写真をネットから左側に転用させていただきました。右側の写真は同じ構図の今回の写真です。左をクリックするとオリジナルの記事を表示し、右をクリックすると拡大写真を表示します。
     2017年10月夕刻         2019年6月26日早朝
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与謝野明子のうたが石段に刻まれていました。多くの文豪が伊香保を訪れたようですが、その中でも与謝野晶子は特別だったのではないでしょうか。
「伊香保の街」  大正9年 与謝野晶子
       榛名山の一角に、段また段を成して、
             羅馬時代の野外劇場の如く、
     斜めに刻み附けられた 桟敷形の伊香保の街、
          屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、
     すべてが温泉宿である、そして榛の若葉の光が
            柔かい緑で 街全體を濡らしてゐる。
        街を縦に貫く本道は 雑多の店に縁どられて、
    長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、
       Hの字を無数に積み上げて、
             殊更に建築家と繪師とを喜ばせる。
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与謝野晶子の歌が刻まれた石段の一番上は204段でした。200段の部分には茶色の表示板が貼られていました。
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上に行くほど石段は細くなっていきました。早朝なのでお店はまだ開いていないし、人通りも少なかったです。お店が開いていると違った趣があったと思います。人が多いと、顔が写らないようにする苦労もあったと思います。
クリックすると拡大この場所の石段の一番上は212段です。写真の中央付近に、上で説明させていただいた小満口観覧所が写っています。
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上から見た石段の景色です。444年前の1575年6月29日(天正3年5月21日)の長篠の戦いで負傷した武田兵の療養場所として武田勝頼が上州を支配していた真田昌幸に命じて温泉街を整備した時に、この石段が作られたそうです。
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この場所は下から232段でした。伊香保温泉の石段は400年前に作られたそうです。今の石段は1980年から5年をかけて御影石を使って大改修されたそうです。そして「温泉街が1年365日、にぎわうようになってほしい」という繁栄の願いを込め、2010年に石段を新設して365段になったそうです。
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クリックすると拡大途中には昔の丸いポストもありました。
このポストがあった場所は266段でした。
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クリックすると拡大284段の処にある「処々や」で石段は右に折れて、さらに折れ曲がって上に伸びていきます。「処々や」の名物は食べログから転用させていただいたクリックすると拡大右の写真の6ケが450円の伊香保焼だそうです。タコ焼きのように見えるので、タコの代わりにイカを使ったのかと思ったら材料はタコだそうです。ただし入口の看板を見ると生地に工夫をして他では味わえない美味しさだそうです。階段数の284段/365の表示がなければ、石段はここで終わりだと思ってしまいそうでした。右上の段数表示板をクリックすると特別に大きく拡大(1300x680)するように設定いたしました。
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上の284段の小さな段数表示板をクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
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その284段の「処々や」の処から見下ろした石段の景色です。
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ここから石段は伊香保神社にまっすぐにのびていました。
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クリックすると拡大伊香保神社の鳥居がはっきりと見えてきました。記念の300段目の石段は、この階段の一番下から2段目です。
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最後の登りです。
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縣社伊香保神社の石柱が印象的でした。
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伊香保温泉の石段街のGoogleストリートビューの撮影機材は徒歩で撮影するためトレッカーが使用されました。本写真は2018年2月15日に投稿された渋川市のツイートに掲載されていた写真を転用させていただきました。撮影は2017年10月に行われたことがクリックすると拡大ストリートビューの右下に書かれています。Googleの撮影機材は撮影車(自動車)、トライク(自転車)、トロリー(押し車)、トレッカー(徒歩)、専用スノーモービル、トレッカー(らくだ)などがあります。
ちなみにGoogleの撮影機材を初めて紹介させていただいたのは、フランスのアヌシーの旧市街地の記事の中でした。→ポチッ
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最後の365段目の石段です。
この石段の上面が伊香保神社の境内でした。→SV
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境内に建っている鳥居です。
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こちらが伊香保神社の本殿・拝殿です。1877年春の伊香保大火で焼失後に仮宮として建立されて現在に至ったそうです。この写真を撮ったのが宿を出発して16分後の6時55分でした。
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伊香保神社の説明板です。クリックすると読める大きさに拡大いたします。
主祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)だそうです。
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