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つくはら湖の湖畔の散策 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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私が会社に入って配属になったのが神戸の事業所でした。その懐かしい仲間だった方がハイキングを計画されていて、私がタイミングよく関西に行った時に参加させていただくことになった初めてのハイキングの続きです。
クリックすると拡大神戸電鉄の箕谷駅に9時30分に待ち合せて初めて参加させていただいたハイキング「第72回 神戸市北区の重要文化財巡りハイク」で、最初に訪れた右の写真の日本最古の民家の箱木千年家(箱木家住宅)で、2番目は、今回の「つくはら湖の湖畔の散策」でした。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策クリックすると拡大六条八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅
つくはら湖畔の散策を紹介する前に、つくはら湖自体を紹介したいと思います。兵庫県南部は古くから水不足に悩まされていたことから、1968年から呑吐ダムの実施計画調査が始まりましたが、地元の反対が根強く交渉が妥結したのは1975年7月で、竣工したのは1989年でした。
日本で最も総貯水容量が多い岐阜県の徳山ダム(6億6000万m³)や50位の畑薙第一ダム(1億0740万m³)に比べると、つくはら湖(呑吐ダム)は1886万m³と少ないけれども、兵庫県では一庫ダム(3330万m³)、引原ダム(21950万m³)についで3番目のダム湖で、同様の目的で作られ関西では名前も良く知られた東条湖(867.6万m³)の2倍以上の貯水量なのです。灌漑・上水道を目的とした貯水湖としては大きな湖で地域に大きく貢献しているようです。呑吐ダムの写真はネットから転用させていただきました。
東西の長さはGoogle地図で計測した数値で正式ではありません。
 貯水湖名   つくはら湖 ( 衝原湖 )  Wikipedia
 ダム名    呑吐ダム ( どんどダム )
 ダム形式   重力式コンクリートダム
 事業主体   農林水産省近畿農政局
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 堤高     71.5 m
 堤頂長    260.0 m
 堤体積    370,000 m³
 流域面積   329.5 km²
 湛水面積   105.0 ha
 総貯水容量  1886万m³
 有効貯水容量 1780万m³
 湖の東西長さ 3.26 km

箱木家住宅()を出た後、つくはら湖畔の散策は湖の北側を歩いて湖の中央部に架かっている衝原大橋まで行く予定にしていましたか、次の訪問場所に行くために時間が限られていたので途中の野鳥観察広場()まで行き、そこで昼食をとって衝原バス停留所()にもどりました。
  衝原バス停留所
  箱木千年家(箱木家住宅)
  野鳥観察広場
  つくはら湖
 ━━ 散策ルート(衝原バス停→箱木千年家→つくはら湖散策→衝原バス停)


上のGoogle地図の中の左側の黄色の枠の部分の1974年に撮影された航空写真がWikipediaに掲載されていたので紹介します。1974年は呑吐ダム(つくはら湖)が出来る前です。国土交通省の航空写真です。クリックすると今は湖底に沈んだ家々が確認できる大きさに拡大いたします。残念ながら箱木家住宅は、この航空写真には入っていません。Google地図の黄色枠→ポチッ
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上のGoogle地図と同じ範囲の1970年に国土地理院が発行した50,000分の1の地形図を紹介します。地元と交渉が妥結したのが1975年で、紫色の線の呑吐ダムが完成したのは1989年のため、つくはら湖が出来る前の地形図です。クリックすると拡大つくはら湖の湖面の標高は139mであることから地形図の標高140mの等高線が現在のつかはら湖に近い形です。2つの緑のラインの枠は、上で紹介した1974年の航空写真と、箱木家住宅を記事で紹介したときに掲載した右の説明用地形図の範囲を示しています。
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つくはら湖がある神戸市北区山田町衝原を紹介します。赤枠の部分が神戸市北区山田町の衝原地区です。地区の境界線を赤線で追記しました。つくはら湖の大部分が神戸市北区山田町衝原にあることが分かると思います。衝原を「つくはら」と読める人は多くはないのではないでしょうか。そんなことから湖の名前はひらがなの「つくはら湖」になったのかもしれません。呑吐ダム辺りは三木市志染町三津田です。地図をクリックすると広い範囲のGoogle地図で、つくはら湖と山田町衝原の場所が分かるように表示します。衝原地区の住所の変遷は次の通りです。1996年4月1日以前の地名は推測も入っており正確ではありません。また幕末から郡区町村編制法までは廃藩置県(1871年8月29日)を含めて何度も管轄が代わっているので追跡できませんでした。いずれにしても衝原(つくはら)の地名は昔から引き継がれてきたものでした。尚、「以前」は法律的にはその日を含んでいますが、本記事に限っては含んでいません。
 下総古河藩 衝原村      1871年8月29日(廃藩置県)以前
 (この間は追跡できませんでした。) 参考(八部郡) → ポチッ
 兵庫県八部郡衝原村      1879年1月8日(郡区町村編制法)~
 兵庫県八部郡山田村大字衝原  1889年4月1日(町村制の施行)~
 兵庫県武庫郡山田村大字衝原  1896年4月1日(郡制の施行)~ 
 兵庫県神戸市兵庫区山田町衝原 1947年3月1日(神戸市に編入)~
 兵庫県神戸市北区山田町衝原  1973年8月1日~
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それでは、つくはら湖畔の散策を順番に紹介したいと思います。左の写真が箱木家住宅を出るところで、右は造成地の中を歩いているところです。元造成地に住んでいた人たちが、この造成地に移転してきたのだと思います。


造成地は湖の南側なので遊歩道がある湖の北側には橋を渡ります。湖は造成地までで、そこから上流は志染川(しじみ川)です。この写真は橋から上流側を写したものです。右から左に渡っているところです。
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下流側つまり湖側の景色です。左側が盛り土で作られた造成地です。ダムが出来る前の衝原地区の人達は全世帯が川沿いに住んでいて、その人たちのほとんどが移転された場所だそうです。
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橋の欄干の親柱に川の名前と橋の名前が書かれていました。川の名前には山田川と書かれていました。正式名は志染川(しじみ川)ですが、この辺りでは別名である山田川の方が有名なのかもしれません。志染川の元になっている地名は三木市志染町ですが、湖が出来たことで川は分断されたのです。橋の名前は丹生前橋でした。ここの北にある山が丹生山(たんじょうさん/にぶやま)です。その山頂に丹生神社があり麓には丹生神社鳥居や丹生宝庫があります。
ここから海までの水の流れは、山田川(or志染川)→つくはら湖→志染川→美嚢川→加古川→海(瀬戸内海・播磨灘)となります。上流の山田川は箕谷川と合流するまでは山田川(石楠花谷が源流)だけの名前で、箕谷川との合流地点から、つくはら湖までが山田川(or志染川)となります。 
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クリックすると拡大これから歩く遊歩道は自転車道路でもあるのです。自転車道路としての名前は神出山田自転車道でした。調べてみると神戸市西区神出町東から神戸市北区山田町下谷上を結ぶ自転車歩行者専用の一般県道でした。歴とした県道で県道563号と番号までついていました。全長は37kmにもなります。その中の17.2kmは他の道路との共有で、このように整備されているのは19.8kmだそうです。整備された19.8kmの起点は我々が出発した場所にある旧つくはらサイクリングターミナル(2017年3月31日閉鎖)で、終点は国道175号に出る老ノ口休憩所です。本格的なロードに乗った人を沢山見かけました。
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ネットから転用させていただいた図で、整備された19.8km(or 19.3km)を紹介します。画面を切り替えて表示させていただいているので、じっくりと静止画面を見たい方は、画面をクリックすると拡大した静止地図を表示します。
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もう一つの遊歩道の名前は標識の柱に縦に書かれている近畿自然歩道でした。近畿自然歩道は2府7県にまたがる総延長3,258 kmの長距離自然歩道だそうです。近畿の2府5県+鳥取県+福井県です。
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こちらが遊歩道の入口です。
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案内板があったので写真を撮りました。クリックすると文字が読める大きさに拡大いたします。
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ソメイヨシノはすでに散っている時期でしたが、こちらの八重桜は満開でした。
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最初に、つくはら湖が見える場所なので、すこし立ち止まって見ていました。


こちらは最も西側から見たつくはら湖です。ここから湖の東端まで直線距離で3.26kmです。
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このような遊歩道が続いていました。
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桜の種類は判りませんが、上で紹介の八重桜以外にも満開に近い桜もありました。左側が、つくはら湖です。
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振り返ると渡った丹生前橋が見えます。丹生前橋の右側が造成地です。
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造成地を撮りました。1974年の航空写真や1970年の地形図を見ると今は湖底となった場所(当時は川沿い)以外は深い山林で住宅らしいものはないことから、衝原地区の人達の全てが、今は湖底となった場所に住んでおられたようなので、その人たちが造成地に移転したのだと思います。
Wikipediaにも「全集落が高台に移転」と書かれていました。
高い木などで見えませんが造成地の右端の辺りに、移設された日本最古の民家と言われている箱木家住宅があります。こんもりとした小さな島の右側の湖底に移設前の箱木家住宅がありました。
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白い花も咲いていました。
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上の写真では花の名前が判らないので拡大いたしました。確証はありませんが、通称がナンジャモンジャの木と呼ばれている中のヒトツバタゴに似ています。日本では特定の場所の分布で神戸は自生地ではないことから別種の可能性はありますが、参考にヒトツバタゴの分類を紹介します。ナンジャモンジャの木は特定の木を示しているのではなくヒトツバタゴ以外に、ニレ、イヌザクラ、ボダイジュ、クスノキなど様々の木が呼ばれています。下の写真が今回の花で、右の写真はネットから転用させていただいたヒトツバタゴの花の写真です。このような写真から判断いたしました。
クリックすると拡大  界 植物界 Plantae
  門 被子植物門 Magnoliophyta
  綱 双子葉植物綱 Magnoliopsida
 亜綱 キク亜綱 Asteridae
  目 ゴマノハグサ目 Scrophulariales
  科 モクセイ科 Oleaceae
  属 ヒトツバタゴ属 Chionanthus
  種 ヒトツバタゴ Chionanthus retusus
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ツツジも咲いていました。関西ということを考えるとツツジ科ツツジ属のコバノミツバツツジの可能性が高いです。ミツバツツジは中部地方から関東地方に分布し、コバノミツバツツジは本州中部以西から九州まで分布するそうです。
  界 植物界       Plantae
    被子植物      Angiosperms
    真正双子葉類    Eudicots
    コア真正双子葉類  Core eudicots
    キク類       Asterids
  目 ツツジ目      Ericales
  科 ツツジ科      Ericaceae
 亜科 ツツジ亜科     Ericoideae
  連           Rhodoreae
  属 ツツジ属      Rhododendron
 亜属           Rhododendron subg. Azaleastrum
  節           Rhododendron sect. Tsutsusi
  種 コバノミツバツツジ Rhododendron reticulatum
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湖が良く見える場所が所々にあります。こちらは進んでいく東方向です。
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こちらは西方向です。
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途中では滝もありました。この川を登ると「蝙蝠谷の岩場」があります。
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滝があった部分は橋になっていて、その橋から進んでいく方向の遊歩道を撮りました。
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雰囲気をお伝えしたいので、小さい写真ですが歩いているところの写真を掲載いたしました。



野鳥観察広場までの間に4ケ所の休憩所がありました。かるがも休憩所と、おしどり休憩所と、しらさぎ休憩所と、まかも休憩所です。この写真は、2番目の休憩所である、おしどり休憩所です。
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黄色の花も満開でした。拡大した右の花から判断すると、ヤマブキ(山吹)のようです。ヤマブキはバラ科ヤマブキ属で一属一種だそうです。
クリックすると拡大  界 植物界    Plantae
    被子植物   angiosperms
    真正双子葉類 Eudicots
    バラ類    rosids
    マメ類    fabids
  目 バラ目    Rosales
  科 バラ科    Rosaceae
 亜科 サクラ亜科  Amygdaloideae
  属 ヤマブキ属  Kerria
  種 ヤマブキ   Kerria japonica
 英名        Japanese kerria
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すみれ(菫)もところどころで見かけました。スミレの種類は多いので名前の特定は難しいです。私が持っている牧野新日本植物図鑑に載っているスミレの名前だけでも、いちげきすみれ、おおばきすみれ、きばなのこまつめ、たかねすみれ、にょいすみれ、あきすみれ、たちすみれ、たですみれ、えぞのたちつぼすみれ、たちつぼすみれ、においたちつぼすみれ、ながばのたちつぼすみれ、おおたちつぼすみれ、ながはしすみれ、いぶきすみれ、あおいすみれ、においすみれ、あけぼのすみれ、すみれさいしん、ながばのすみれさいしん、ひめすみれさいしん、うすばすみれ、りこくすみれ、みやますみれ、げんじすみれ、ひなすみれ、ふじすみれ、しはいすみれ、ふもとすみれ、ひめみやますみれ、こみやますみれ、ひかげすみれ、まるばすみれ、けまるばすみれ、しろすみれ、すみれ、のじすみれ、ひめすみれ、さくらすみれ、あかねすみれ、おかすみれ、こすみれ、ひめきくばすみれ、えいざんすみれ、と44種類あります。私の周辺で最もよく見かけるのはタチツボスミレ(立坪菫)ですが、細長い葉もまざっていることからナガバノタチツボスミレ(ナガバ・タチツボスミレ)かもしれません。Wikipediaiに載っていたナガバタチツボスミレの写真を右に紹介します。名前が違ってもスミレ属までは同じです。
クリックすると拡大 界 植物界        Plantae
 門 被子植物門      Magnoliophyta
 綱 双子葉植物綱     Magnoliopsida
 目 キントラノオ目    Malpighiales
 科 スミレ科       Violaceae
 属 スミレ属       Viola
 種 ナガバタチツボスミレ Viola ovato-oblonga
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こちらが我家の牧野新日本植物圖鑑です。図の部分には旧字の圖が使われています。小学校4年生の時に広島市井口町の井口小学校から神戸市東灘区岡本の本山第一小学校に転校になった時に井口小学校の担任の先生から、クリックすると拡大野口英雄の伝記と牧野新日本植物図鑑の携帯版を頂いたのです。その携帯版がボロボロになったので買い替えたのがこの本です。こちらもボロボロになりました。右の写真が井口小学校の入学式の時の写真です。右端に座っている若い先生が担任の先生です。
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参考に牧野新日本植物圖鑑のナガバノタチツボスミレの記載内容を紹介します。
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後ろ姿ならば大きな写真で紹介出来ます。


元はガードレールだけだったのだと思います。自転車や人の安全のためにさらに内側に柵を付けたのだと思います。柵には自転車の形がアレンジされていました。
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すこし花が残った桜の木もありました。
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対岸は一般道路があるので湖沿いには沢山の橋がかけられていました。見えている道路は神戸加東線です。
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こちらの対岸の橋は立派で大きかったです。湖岸は入り組んでいますが、道路は真直ぐに作るためだと思います。
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木の意だからですが、目的の場所であった衝原大橋が見えてきました。
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少し進むと木の無い場所があったので、湖を横断する衝原大橋を撮りました。
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ズームで橋を大きく撮りました。一見は2段の橋のように見えますが、2つの橋が写っているのです。高いところを通っているのは高速道路の「つくはら橋」です。その手前の低いところにあるのが衝原大橋です。もちろん、つくはら橋の方が大きいのですが、小さい方に大橋の名前が使われています。この衝原大橋は自転車と歩道の専用橋なのです。主塔が真中に1ケ所の斜張橋です。高速道路に使われている「つくはら橋」は、主塔が2ケ所の斜張橋に似た橋ですが、主桁の剛性が大きくし、斜材の負荷を低くした3径間連続エクストラドーズド橋です。そのために斜材を支えている主塔が低いそうです。1998年の完成当時は世界最大のエクストラドーズド橋でした。
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クリックすると拡大自転車・歩道用の衝原大橋がよく分かるように片方だけを拡大いたしました。それでも正面からだと分かりにくいと思うのでネットの写真を右に転用させていただきました。つくはら橋(高速道路)は2本の橋で構成されていたので、計3本の橋がかかっていたのです。
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近づいて撮りましたが木が邪魔して、先ほどの場所の方が全体が判りました。
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同じ場所からの対岸の景色です。
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水が流れている場所は癒されます。
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遊歩道の一部は「太陽と緑の道」という名前もついていました。


さらに遊歩道は続きました。
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橋が大きく見えてきました。野鳥観察広場も近いです。
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野鳥観察広場の観察小屋に到着いたしました。


この観察小屋の中で昼食にすることにいたしました。私はコンビニで買ってきたおにぎりだけでしたが、皆さんは家でお弁当を沢山作られてきていたのでお裾分けをいただきました。バスの発車時間に間に合うぎりぎりまで懐かしい話で盛り上がりました。記念写真も撮りました。一番右側が私です。
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皆のために、半熟のゆで玉子を沢山作られてきた方もおられました。私は2つもいただきました。カカオ86%と72%のチョコレートもいただきました。
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バス停に戻るときの写真も紹介します。右側に湖が見えています。来る時の写真では、湖は左側に写っていたはずです、
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おしどり休憩所まで戻ってきました。
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来た道を戻ってバス停に来ると、すでにバスが着ていました。お客は我々7名だけでした。
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クリックすると拡大呑吐ダム(どんどダム)の周辺を、昔(1974年)と今の同じ範囲の航空写真で紹介します。黄色の枠の右側にある池から正確な位置と縮尺を割り出しました。上段の航空写真の黄色の枠の範囲が下段の航空写真です。1974年には全くダムはありません。右の写真をクリックすると、1974年と今の池を比較できます。
       1974年               現在
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