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芦屋川 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真は阪急・芦屋川駅のホームから海側(南側)方向を撮った写真です。右側(西側)から道路、歩道、川が写っていますが、その川が本記事のタイトルの芦屋川です。六甲山から流れ下りてきた川は一直線に海に向かっています。

こちらが阪急・芦屋川駅のホームです。右の電車が乗ってきた神戸三宮行きの普通電車です。
この日は兵庫県のJR芦屋駅の近くの居酒屋・大地で18時30分から飲み会があったことから実家のある阪急・逆瀬川駅から早めに来てみました。逆瀬川駅から阪急電車に乗って芦屋川駅で降りて海側に歩くのは懐かしいルートなのです。実は芦屋市の浜側には私が高校時代に通っていた学校があったことから、そのルートを歩いて学校を見るのも目的の一つだったのです。
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駅を降りて阪急・芦屋川駅方向に振り返って撮った写真です。見えている山が標高931.25mの六甲山です。右の写真は開業(1920年)から数年後の阪急芦屋川駅です。当時は阪急芦屋川停留所と呼ばれていたようです。1957年には現在のように道路と立体交差の駅になりました。モロクロの写真はネットから転用させていただいたものです。右の駅舎の写真は昭和初期に撮られたため大正末期に創業した牛肉の佃煮で有名な芦屋軒は駅舎の奥(西側)1分に建っていたいたことになります。
クリックすると拡大この芦屋川の種別などは次の通りです。
 水系 二級水系 芦屋川
 種別 二級河川
 延長 8 km
 水源 六甲山(兵庫県)
 河口 大阪湾(兵庫県)
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少し離れて芦屋川駅を撮りました。
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上の写真と同じ場所から海方向を撮った写真です。今は遥か沖合まで埋め立てられていていますが、とりあえずは私が高校に通っていた時代の海岸だった位置まで歩いてみることにいたしました。阪急芦屋川駅から昔の海岸までにある線路と主要道路は北から順番に次の通りに並んでいます。この写真に写っている橋は月若橋です。現時点で名前の判らない歩道橋の名称を教えていただけたら幸いです。東京駅から神戸駅までの在来線を東海道本線と呼びます。ちなみに山陽本線は神戸駅から門司駅までです。
 阪急電鉄・神戸線      鉄橋+駅
               月若橋
               芦屋川隧道(トンネル)
               大正橋
 JR東海道本線       トンネル
 国道2号線         業平橋
               公光橋
 阪神電鉄          鉄橋+駅
               歩道橋(名前は後日)
 国道43号線 阪神高速道路 芦屋川橋
              (永保橋 今は無き橋 1938年に流失)
               鵺塚橋
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芦屋川駅から2本目の橋(大正橋)の中央から山側を撮った写真です。見えている山は六甲山です。
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カメラのズームいっぱいに拡大いたしました。見えている橋は月若橋です。六甲山(六甲山系)は約1億年前(中生代白亜紀)に地下深くで出来た花崗岩が100万年前(第四紀)からの六甲変動と呼ばれる地殻変動によって隆起して出来たそうです。現在も変動が続けているそうです。
緑に覆われているように見えますが六甲山は風化花崗岩で出来た地質のため多くの場所で地表の草木が除かれ土壌が露出して、雨によって崩壊しやすい山でもあります。
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同じ場所からの海側の景色も紹介します。
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ズームいっぱいに拡大いたしました。上の写真では教会の尖った屋根が小さく写っていますが、こちらの写真でははっきりと形が判ります。川は少しだけ右に曲がっていますが、ほぼ一直線なのが六甲山から海に流れるすべの川の特徴なのです。この場所だけ石組の川底になっていて、その先は滝のような落差で水が流れ落ちる構造になっているのです。実は、石組みの川底の下にJR山陽本線が通っているのです。それは六甲山から海に流れる川のもう一つの特徴からこのような構造になっているのです。それは周辺の地域の地面より川の方が標高が高い天上川と呼ばれる川だからです。太古の時代から大雨の時に六甲山から流れ出た土砂がつもって徐々に高くなってきたのです。沢山の人が住むようになってからは山の中に沢山の砂防ダム作られて災害を防いでいるのですが、神戸市の方の川では昔(私が生まれる前と神戸に住む前)に鉄砲水と呼ばれる現象によって、被害が出たことがあることは聞いたことがありました。芦屋川でも戦前の1938年に大きな被害が出たそうです。その時、六甲山周辺全体で5,732戸住宅が全壊(流失・倒壊・埋没)し715名が亡くなり、130ケ所の橋梁が喪失し、109,370戸の住宅が浸水し、8,630戸 の住宅が半壊したそうです。そのため翌年の1939年から六甲山の砂防事業は国の直轄事業に移って今日に至っているそうです。車が沢山写っている橋は国道2号線です。
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JR東海道線が芦屋川の下にトンネルがクリックすると拡大通っている部分の下流側から撮った写真です。この写真は今回ではなく2014年10月にケーキを買いに行った時に撮りました。この時は川の中央まで草が生い茂っていました。右は蒸気機関車が芦屋川の下のトンネルを走っていた時代の写真です。
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国道2号線の橋(業平橋)から撮った海側の写真です。
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ズームで拡大いたしました
2本目のクリーム色の橋のように見えているのが阪神電鉄の鉄橋です。阪急と同じように川の上が橋になっています。高い高架は阪神高速道路です。
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国道2号線から山側を撮りました。
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阪急・芦屋川駅から国道2号線までは川の西側の道を歩いていますが、ここからは東側の道を歩いて海方向に向かいました。
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芦屋川に生息して動物たちを紹介した看板が立てられていました。
カワムツとカワヨシノボリとカワセミとウナギです。高校時代にカワヨシノボリは何度も獲りました。1度だけですが大きなウナギを獲ったことがあり、私が入っていた生物部の部室として使っていた部屋の水槽で長く飼っていました。小魚が沢山泳いでいたので、それがカワムツだったことを今回初めて知りました。芦屋川でカワセミを見たことがなかったことから、今回初めて芦屋川にカワセミが住んでいることを知りました。
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阪神電鉄に一番近い橋から撮った山側の写真です。
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恒例通り拡大いたしました。
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阪神電鉄を潜ってから川に下りて阪神電鉄の駅を撮りました。川の中には側道ががあり散歩をしている方が沢山おられました。
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阪神・芦屋川駅の写真を拡大いたしました。電車が停車していました。
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海側を見ると高架道路がありました。高架道路は阪神高速道路3号神戸線です。その真下にある橋が国道43号線です。
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阪神高速道路3号神戸線(1961年制定)と国道43号線(1953年制定)を拡大いたしました。国道43号線の橋の名前は芦屋川橋です。
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国道43号線の橋の下です。沢山の重量車両が通過する主要道路だと実感させられました。
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国道43号線の橋の下からの海側の景色です。
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川の中央に下りてみました。国道43号線の橋の下です。
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きれいな水が流れていました。私が高校生時代も水質は良くて、クリックすると拡大クリックすると拡大きれいな川にしか住めない右の写真のプラナリアが生息していました。ただし阪急電鉄線より上流側で獲っていました。ここでも住めそうな感じでしたが、時間の関係もあり確認はしませんでした。
プラナリアは非常に高い再生能力を持つ扁形動物で生物の実験などに使うために獲っていたのです。
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動画でも水の流れを紹介します。
https://youtu.be/D0eFYHZGFFs


永保橋という名のバス停がありました。ただし、永保橋は今はありません。1938年7月3日から7月5日にかけて発生した阪神大水害で流失してしまったそうです。古い地図で確認すると国道43号線の芦屋川橋の場所にあったようです。その永保橋の石柱が見つかった記事が2018年7月3日の朝日新聞に掲載されていたそうです。隣の神戸市で「昭和の3大水害」と呼ばれた次の水害の中で、芦屋川が大きな被害を受けたのは1938年の時だそうです。芦屋川の水害の詳しいことは判りませんが、六甲山の南側の河川はいずれも短いため鉄砲水と呼ばれる現象で大きな被害が発生したようです。そのために上でも記載しているように沢山の砂防ダムが建設されました。記載している人数は死者+行方不明者で、戸数は住宅の全壊+流失数です。数値は兵庫県(全国合計)で表示しています。1938年の被害は全て六甲山周辺(神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市)です。その中でも神戸市の被害が人命95%/住宅89%を占めていました。
 1938年 昭和13年阪神大水害  715名(715名) 5732戸(5732戸)
 1961年 昭和36年梅雨前線豪雨  41名(357名)   ? (1758戸)
 1967年 昭和42年7月豪雨    100名(369名)  363戸( 901戸)
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さらに海側に歩いて山側を撮った写真です。高架道路が阪神高速道路です。
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今はなき永保橋の一つ下流にかかっている鵺塚橋(ぬえづかばし)です。クリックすると拡大難しい呼び名の橋ですが、橋の近くにぬえ塚と書かれた右の写真の石碑があるそうです。石碑の「え」の部分には漢字の「江」が元となる変体仮名( クリックすると拡大)が使われています。ちなみに石碑の中の「あしや」の中の「や」にも「屋」から変形した変体仮名( クリックすると拡大)が使われているようです。
クリックすると拡大(ぬえ)は、頭は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇の妖怪で、京都で退治されたとされていて死骸を埋めた場所も謎ですが、それがこの芦屋の鵺塚だそうです。ただし鵺塚は京都と大阪にもあるそうです。京都の鵺塚は古墳時代の墳墓と判明しているそうでクリックすると拡大す。
一つの説は江戸初期の地誌「蘆分船」を根拠にしたもので、鵺の死骸は悪疫を招くということで退治された京都から丸木船で川に流されて、大阪の都島に漂着し土に葬られ祠が建てられたと言い伝えられています。もう一つの説は「平家物語」を根拠にしたもので、一旦は豊島に着きましたが、その都島から悪疫を嫌い更に舟で死骸を流した結果、芦屋の浜に漂着し、ここの人々が祟りを恐れて丁寧に葬ったのが、この鵺塚がある地だそうです。古くて有名な平家物語を根拠にしているので、芦屋説は重みがあるように感じます。右上の鵺塚の写真はネットから転用させていただきました。阪急芦屋川駅から1つの歩道橋を含んで7つ目の橋で、これより先には橋がないので芦屋川最下流の橋になります。
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川の中には何か所にも渡石がありました。
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渡石を使って東側から西側にわたりました。渡石から撮った写真です。
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渡石で西側に渡って海側を撮った写真です。海の上に道路が走っています。
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やっと昔の海岸線近くまで来ました。
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上の写真から昔の海岸線の位置を拡大いたしました。この場所は思い出の場所でもあるのです。今は埋め立てられて陸が見えますが、昔は人の立っている先は海しかありませんでした。写真の下の方に小さく鳥が写っています。
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近づいて鳥を拡大してみました。白鷺だと思われますが、他の地域の白鷺と違い近づいても恐れることもなく逃げることもありませんでした。河口にはウミウと思われる鳥が何度も潜っていました。
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旧海岸線の芦屋川の河口から撮った写真です。画面いっぱいに海が広がっていた昔の景色を想像してみてください。二人の女性が水の中をのぞき込んで何かを探していました。その横でワンちゃんが待っているのが印象的でした。海の上の高架道路は阪神高速5号湾岸線(1991年開通)です。
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ワンちゃんを拡大いたしました。
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旧河口から山側を撮った写真です。
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ここが私が高校生時代の海外線の位置です。そして上の方で紹介したように思い出の場所でもあったのです。
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上の写真の場所で卒業アルバムの写真を撮った場所だったのです。背景に写っているのが打ち出浜です。今は無くなりました。黄色の丸印が私です。
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動画でこの辺りの景色を紹介します。この後、埋め立て地を歩いて現在の海岸線まで行きました。そちらは次の記事で紹介したいと思います。
https://youtu.be/mP28LYvtEV8


このGoogle地図で芦屋川(━━)と、昔(私の高校生時代)の海岸線(━━)を紹介します。海岸の名前は打出浜(芦屋浜)でした。空色マーク( )が以前に紹介したマミズクラゲが発生した県立芦屋高等学校(芦屋高校 / 芦高 / 県芦)の池の場所です。右の細長い地図で阪急より下流側の橋名を紹介します。現時点で歩道橋の名前だけは判りません。
 ━━ 芦屋川
 ━━ 私の高校生時代の海岸線(打出浜)
  阪急・芦屋川駅
  阪神・芦屋駅
  鵺塚
  卒業記念写真の撮影場所
  飲み会の場所 大地
  JR・芦屋駅
  県立芦屋高等学校


旧海岸線の沖合を埋め立てたばかりの頃の航空写真を紹介します。
クリックすると拡大この時の更地部分(芦屋浜)の大部分は右の写真のような住宅地になりました。平成5年ごろからは、さらに沖合を埋め立てて人工島(南芦屋浜)を作る工事も始まりました。人工島が完全に完成したのは平成9年1月でした。南芦屋浜は潮芦屋とも呼ばれています。
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今後の教訓のために80年前の1938年の阪神大水害時の芦屋市内の写真をネットから転用させていただきました。上側と左下の3枚の写真は松ノ内町付近で、4枚目の写真は3mの深さの泥水に埋まった国鉄線路です。皇軍萬歳の看板が太平洋戦争に入る3年前という時代を感じさせてくれます。
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上流から流れてきた流木や土砂が1枚目の写真の阪急の鉄橋によって堰き止められて右の図のように濁流が左右の堤防をこえ、東西両方向にあふれ出て、そこから海岸まで流れていったそうです。2枚目の写真は阪急芦屋川駅北側で、3枚目の横長の写真は国道2号線が通っている業平橋付近です。
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タグ:芦屋
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