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惣菜屋さんの熱々の揚げたてを家で食べる秘策 くるま惣菜店 水野屋 [話題]

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2018年3月18日から3月27日まで関西に行っていました。その間は兵庫県宝塚市にある実家に泊まらさせてもらっていました。クリックすると拡大お袋一人では揚げ物を作るのは難しいので、天麩羅だけは今までに2~3度ほど作ったことがあります。それは庭に沢山植わっているシソに花穂が出来た時でした。
その時の記事はこちらです。→ポチッ
ただし、揚げ物をやるのその後のかたずけが大変なので最近は作っていませんでした。ましてやトンカツや海老フライのようなフライ物は段取り大変なので作ったことがありませんでした。
実家の最寄駅である逆瀬川駅(阪急)の近くには注文してからフライ物を上げてくれるお店が2軒あるので、前々から一度は揚げたてを持ち帰ってみたいと思っていました。家までは駅からは歩いて12分ほどですが冷えてしまうと思い、今まで実行しませんでした。ある秘策を考え付いたので今回実行してみました。上の写真は、その秘策で家に持つ帰った熱々の揚げたての海老フライです。

その秘策とは発砲スチロールの箱を用意することでした。それを持ち運ぶ大きな袋も用意しました。発砲スチロールの箱で保温するだけでなく、積極的に温めながら持ち帰るために電子レンジで温める湯たんぽを用意いたしました。箱の右側に入れてあるのが、その湯タンポです。もちろん、クリックすると拡大揚げ物持ち帰り専用で湯たんぽとして使うことは禁止です。フライの熱で発砲スチロールが変形するのを防止するために底に段ボールも敷いています。右の写真は段ボールを敷かなかったときに出来た凹みです。その経験から段ボールを底に敷きました。
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これが湯たんぽです。今回、ホームセンターまで買いに行きました。家に電話をして、逆瀬川駅から歩いて行けるホームセンターをネットで探してもらいました。お店は2017年6月17日にオープンしたロイヤルホームセンター宝塚店です。会員になって10%引きで買えました。普段は1%ですがラッキーだったことに買い物をした日はキャンペーン期間中で10%引きだったのです。
この宝塚店では珍しい生き物がいることが話題になっているとお袋が話していたので、ペット売り場を探してみました。驚いたことにフクロウが5匹も枝にとまっていたのです。手で触れるほどの距離です。さらにインコが放し飼いのエリアもありました。鳥好きにはたまらない場所だと感じました。
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③ 2018年3月23日 くるま惣菜店
海老フライを発砲スチロールの箱に入れて持ち帰った時の写真です。蒸気でむれないように包装は紙だけにしてもらいました。お店からは普通は歩いて13分間で且つ急な上り坂ですが、少しでも熱々を食べたくて10分くらいで歩いたと思います。
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買ってきたのは大海老10匹の海老フライです。注文してから衣をつけて揚げてもらったので、まさに作りたての海老フライでした。揚げたばかりのようにパリパリで熱々でした。
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海老フライを作ってもらっている間(10分くらい)にサラダなども横のスーパーで買ってきました。
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海老フライにはやっぱりビールです。
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ウスターソースとマヨネーズでいただきました。
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ビールのコップと並べるの海老フライの大きさが分かってもらえると思います。
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④ 2018年3月26日 神戸水野家
帰る前日の3月26日はロースかつ1枚とヘレかつ(ヒレかつ)3個にいたしました。持ち帰ってすぐに撮った写真です。大きなトンカツだったので、湯たんぽは箱の中に入れられなくて箱の上に乗せましたが、熱々の状態でした。段ボールがなければ発砲スチロールの底が凹んでいたと思います。
水野家は1957年に創業した神戸市灘区の水道筋商店街の水野精肉店が発祥のチェーン店です。”お肉屋さんのコロッケ”として知られていて神戸周辺で28店舗が営業しているようです。海老フライはありませんでしたが、くるま惣菜店にはなかったヘレカツがありました。
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ロースかつの大きさが分かってもらえると思います。一枚を切り分けてお袋とシェアーしました。
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3個のヘレカツの内2個は私がいただきました。奥の2個がヘレカツで手前がロースカツです。スパゲッティーのサラダは、海老フライの時と同様にスーパーで買ってきました。包装は紙だけにしてもらったので、今回もパリパリでした。
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やっぱりビールでトンカツは美味しかったです。
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さっぱりした漬物も買ってきました。
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オクラはお袋が用意してくれました。いつも1~2品は作ってくれます。
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2つのお店を紹介します。両店ともに逆瀬川駅から1分以内で行けます。
 2018年3月23日 大海老フライ 10個      1944円
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  住所 兵庫県宝塚市逆瀬川1丁目2-1 アピア1 B1
  営業 10:00~20:00
  定休 第1・3水曜日
  電話 0797-73-3796
 2018年3月26日 ロースかつ 1枚 ヘレかつ 3個 862円
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  住所 兵庫県宝塚市中洲1丁目1-1 アピアきた F2
  営業 10:00~19:30
  定休 年始
  電話 0797-73-8868



② 2018年3月19日 くるま惣菜店
実は3月19日にも、くるま惣菜店でロースカツを買いました。この時は、湯たんぽは無く発砲スチロールの箱だけでしたが、それでも十分に暖かかったです。この時に発砲スチロールの箱の底が変形したので、段ボールを底に敷くようにしたのでした。ロースカツ2枚で約600円と安かったです。さらに注文してから、その場で衣をつけて揚げてもらえました。
カラッしたまま持ち帰るのは、蒸気がこもらないように紙をかぶせる程度にしてもらいます。大きな発泡スチロールの箱なので、蒸気のこもりもなくカラッとした状態で持ち帰れました。
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サラダはお袋の自家製でした。やっぱりスーパーの惣菜コーナーのサラダよりレベルは上でした。
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2018年3月上旬製造のビールがあったので迷わず買いました。私は銘柄にはこだわらず製造日の新しさで選んでいるので、今回もいろんなビールが登場いたしました。
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漬物も用意されていました。揚げ物の時はさっぱりとしたものが合います。いつもは夕食では刺身が多いのですが、今回はいろいろと試したかったのでフライ物が3回(②~③)となりました。①と②の経験が活かされて③④で完璧に近い方法となりました。
 ① 2018年2月10日 くるま惣菜店 海老フライ 10個 初経験
 ② 2018年3月19日 くるま惣菜店 ロースかつ 2枚
 ③ 2018年3月23日 くるま惣菜店 海老フライ 10個
 ④ 2018年3月26日 神戸・水野家 ロースかつ 1枚 ヘレかつ 3個
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2店の場所を地図でプロットいたしました。アイコンマイナスを4回クリックすると電子レンジ湯たんぽを買ったロイヤルホームセンター( )の場所が分かると思います。メニューが変わらない限りは海老フライだったら、くるま惣菜店さんで、ヘレカツならば水野家さんで買うことになりそうです。
天麩羅に関しては実家から短時間で行ける範囲で注文してから揚げてくれるお店は無いので、くるま惣菜店さんで揚げてある天麩羅を買って実家で温めるか、自分で揚げるしか選択肢はなさそうです。
 くるま惣菜店    水野家



クリックすると拡大① 2018年2月10日 くるま惣菜店
初めて今回紹介した方式で揚げたての海老フライを食べた時の写真も紹介します。この時も注文してから衣をつけて揚げてもらいました。こちらのお店のご主人は元フランス料理のシェフだったそうです。
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野菜として、ほうれん草のゴマ和えを用意してもらえました。瓶入りの練りゴマを頼まれて買ってきましたが、その練りゴマが使われたようです。
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野沢菜の漬物は私が買ってきました。
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大きな海老が使われた海老フライでした。
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海老フライと言えばやっぱりビールです。
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市販の海老フライでは、時々ではありますが海老が小さくて衣が厚くてがっかりすることがありますが、まさに手作りの海老フライで、海老も大きくてプリプリでした。
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タグ:宝塚 揚げ物
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小島泰堂が青菅に作った学校 泰楽文園(泰堂塾) [風習・歴史]

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千葉県佐倉市宮ノ台の青菅小学校内にある史跡の大塚・小塚があります。地名の宮ノ台は1980年代に、この地域に新興住宅地が作られるにあたり青菅の一部と井野の一部が1981年11月1日に宮ノ台に町名が変更になって出来たものです。この場所の旧名は青菅でした。
大塚は前記事で紹介した通り江戸初期に青菅の領主であった下記の旗本四代の墓所で、小塚はその夫人たちの墓所でした。上の写真は大塚の写真です。
 初代:川口宗勝 2500石 通称:久助   1548年生~1612年没
 二代:川口宗信 2000石 通称:孫作
 三代:川口宗次 2000石 通称:久助        ~1652年没
 四代:川口宗恒 2700石 通称:源左衛門 1630年生~1704年没

その大塚に小島泰堂の石碑が建てられていました。小島泰堂は青菅出身で幕末から明治にかけて、教育者・歌人・諸家・製茶業経営者として活躍された方だそうです
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大塚がある青菅小学校の周辺には小島泰道に関わる場所が5ケ所あります。ただし泰楽文園の碑( )は泰楽文園のあった辺りの土地を所有されていた個人宅の庭にあることから、個人宅が特定されないように個人宅のある下高野の代表的な場所にプロットしております。
泰楽文園( )は小島泰堂が明治13年(1880年)に千葉県印旛郡青菅村に作った学校で、多いときは200名以上の生徒がいたそうです。ただし小島泰堂は泰楽文園の時代以前の天保末年(1845年)ごろから青菅村で塾(泰堂塾)を行っており、江戸に住んでいた文久元年(1861年)から明治13年(1880年)にも江戸八丁堀で塾(泰堂塾)を開いていたことから約44年間(1845年ごろ~1889年没まで)も若者の教育に力を注いでいたことがうかがえます。
 小島泰堂の石碑(月読尊) 青菅地区(佐倉市宮ノ台)
 小島泰堂の墓および碑   青菅地区(佐倉市青菅)
 泰楽文園(泰堂塾)    青菅地区(佐倉市青菅)
 泰楽文園の碑       下高野地区(八千代市下高野)
 小島泰堂の製茶加工場跡  青菅地区(佐倉市青菅)


月読尊は小島泰堂が歌人としても有名であったことを表しています。月読尊は「月読みの鏡を見ればをす国の民のしあわせしろしめすかな」の歌から銘がつけられたようです。小島泰堂の図書を検索すると国立国会図書館に熱海調音詩歌集泰堂遺稿が保管されていることが分かります。熱海調音詩歌集の出版年は1886年なので小島泰堂の亡くなる3年前に出版されたようです。
泰堂遺稿(1892年出版)は表紙を入れて36ページで画像19コマで内容がネットで公開されています。→ポチッ
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左下には「泰堂翁謹書 時明治十九年・・・・・・」と刻まれていました。明治19年(1886年)は小島泰堂の熱海調音詩歌集が出版された年でもあり、無関係と言えないのかもしれません。
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右下には「菶蔫 小島稲子」と刻まれているそうです。菶蔫の文字だけが見ることが出来ました。
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真ん中下部には「能」と「民」の文字が読み取れます。真ん中下部には縦書きで「能見鏡者食国廼 民之福召所知哉」と文字が刻まれているとのことなので石碑の下部はかなり隠れてしまっていることになります。
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小島泰堂の墓( )は青菅地区の正福寺にあります。
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写真に写っている墓石および石碑群は全て小島家の関係したものでした。新しいものは昭和のものもありました。
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重要な小島家に関わる石碑がL字型に配置されていました。
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特に重要な石碑と墓石がこの4つです。一番右が小島泰堂を称えた石碑です。右から2番目には「小島家先祖代々之精霊」と書かれているのて小島家を代表する墓石だと思われます。この墓石は明治25年に小島姓の人が建てたものでした。建立年から判断して小島泰堂の子供さんが建てたのではないかと思います。右から3番目(左から2番目)が小島泰堂ではないかと考えています。左端は小島泰堂が建立した墓石ではないかと思われました。
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左端の墓石の正面から見て左側には小島勘十郎の名前が刻まれています。実は小島泰堂の本名は小島勘十郎です。本人の墓石のようにも読み取れますが、正面には2名の戒名が刻まれていて、それぞれ天保十二年十月五日と嘉永三年正月三日と書かれています。天保13年は1841年で嘉永3年は1850年です。小島泰堂が14歳と22歳の時になります。そのことから小島泰堂が大人になってから建てた墓石と考えるのが自然です。すなわち両親あるいは祖父母の墓ではないかと感じました。
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左から2番目の墓石が小島泰堂(小島勘十郎)本人の墓石と考えた理由は左面に小島翁の文字が読み取れたからです。右端の小島泰堂の石碑の中に何度も小島翁の文字が出てきました。
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小島泰堂の石碑と小島家の墓石です。両方ともに明治25年に建てられていました。小島泰堂が亡くなって3年目です。
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こちらが小島泰堂の石碑です。1889年4月1日に青菅村が志津村に統合されたので4月の前と後で住所が違います。クリックすると文字が読み取れる大きさに拡大いたします。
 本名 小島勘十郎 義精
 生誕 1827年 下総国印旛郡青菅村
 死没 1889年 千葉県印旛郡青菅村 or 千葉県印旛郡志津村大字青菅
別の資料で小島泰堂に関して書かれていた内容を枠内に転記いたします。
小島泰堂は名を勘十郎、義精といい、文政十年(1826年)下総国印旛郡青菅村に生まれた。幼少の頃から人にすぐれた才能をもち、佐倉藩儒臣吉見南山の門に入り数年勉学、帰郷し24歳で名主となり翌年には五郷取締名主、28歳の時、藩主(藩候)・堀田正睦(幕府の老中首座)の命により佐倉近治各部取締頭取となり、翌年には三三ケ村組合大総代役なった。万延元年「殖産興業述記」を藩候・堀田正睦に上書してこれを嘉納さられた。文久元年に江戸の八丁堀に家塾を起こし諸生を教授の傍ら井上文雄(国学者、歌人)に就き国歌を納め、多くの文人墨客と交わった。明治13年帰郷(53歳)、佐倉藩御林を開墾し茶園をつくり、「泰楽文園」を建て子弟の教導に当たり、遠近からの諸生を授業した。明治22年、62歳で没した。
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小島泰堂の石碑の台座の周囲4面にぎっしりと寄進者と思われる名前が書かれていました。正面の一番右に建碑費金義捐人名と書かれて、正面だけで39名なので100名近い名前が書かれていることになります。クリックすると特別に拡大するように設定いたしました。金額は3円から50銭です。物によって今の価値の数千倍から数10万倍と大きく開いており、生活様式も違うので物価は簡単に比較できませんが、当時の1円は現在の3万円程度の重みがあったのではないかと想像しています。拡大して見ると今でもこの地域に沢山ある立石、小澤、深山、蕨、友野、山崎、秋山、小林、小島などの苗字が沢山あります。近隣の青菅、先崎、井野、小竹、下高野以外の上高野、米本、村上などの離れた地域の人たちも入っているのにも驚かされました。
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小島泰堂の私学校「泰楽文園」があった場所( )です。現在は農地で私学校「泰楽文園」の痕跡はありません。遠くに見える建物が特別養護老人ホーム 志津ユーカリ苑で、沢山並んでいる温室が山万ユーカリファームです。
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泰楽文園の痕跡がないように思われますが、後で紹介する泰楽文園の碑に書かれいてる一節から、佐倉藩御林を開墾し茶園を作った場所であり、この広い土地そのものが泰楽文園の痕跡であることが分かります。一節の漢文を訳したものを枠内に紹介します。小島泰堂が江戸の八丁堀から青菅に帰郷した時の楽しみが3つあったそうです。その3つの楽しみの中の、2つ目の楽しみを記載した一節です。
その二は、広々とした荒地や山林を開墾してて茶を植えて茶園となし、傍らに塾の講堂や幾重にも曲がった堂榭(あずまや)などを築き、庭園には四季おりおりの草花を植え、門には龍が伏し蟠ったような日本の松を植え、その門柱には自分で「泰楽文園」と大書した扁額を掛けた。その臥龍松を植えたことについては、昔中国の易経という古典「飛龍在レリ天ニ・利レ見ニルニ大人ーヲ」という言葉がある。この古典の由来に基づいて、臥龍と飛龍とみたてて鑑賞するのが第二の楽しみである。
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泰楽文園の場所をGoogle地図にプロットいたしました。現在は農地となっております。この土地の中に、茶畑や泰楽文園の建物(講堂)や幾重にも曲がった堂榭(あずまや)がどのような配置になっていたか分かりませんが想像するだけでロマンがあります。泰楽文園の場所に次に紹介する泰楽文園の碑が建てられていたそうです。小島泰堂が亡くなった後は果樹園や農地となり、泰楽文園の碑だけは保存のために、土地の所有者であった現在の場所(個人宅の庭)に移して大切に保管されてきたようです。また泰楽文園の横にあった茶園で収獲した茶葉を茶に加工する製茶加工場は、クリックすると拡大以前に紹介した右の写真の志津小学校青菅分校(青菅分教場)の場所にあったそうです。驚いたことに、そこには小島泰堂が自ら発明した製茶蒸気釜が設置されていたそうです。つまり泰堂の製茶加工場跡に青菅分教場が出来たことになります。製茶加工場は泰楽文園から東に徒歩1kmの場所にありました。



こちらが泰楽文園の碑( )です。農地にそのまま放置されていたら120年を超える歳月の中で失われたかもしれない貴重な石碑です。本石碑は一般には公開されていませんが辻切り作りでお世話になっている下高野のkazuさんに紹介していただいて写真を撮らせていただきました。縁側でお茶までごちそうになりました。20歳になる猫ちゃんまで出てきてくれました。
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泰楽文園の碑は小島泰堂が自ら1886年9月(明治19年9月)に建立しました。泰楽文園が作られて6年目です。クリックすると大きく拡大するように設定いたしました。枠内に漢文の文字を記載いたします。
泰樂文園
夫人者不可不學餘自少志學焉抑文久二年東都苟開薫陶門然生徒日進月裒至明治五年凡行東修者殆一千有餘名也餘熟思老者若往于山張於茲告別于諸子因交諠之文士墨客况生徒乎各臨其宴餞賜詩歌揮毫或貨財之類載之船而帰郷焉今展之壁上以爲一樂也其間ト此地方頃鋤荒環以壘樹以茶築堂樹四楹三曲而擁庭庭前後都藝花菩門樹雙松偃蓋宛似龍翔扁挂之泰樂文園文焉易曰飛龍在天利見大人二樂也詩曰思皇多士生此王國所謂奉菅公廟園巽方祭人麿祠書棚孔与孟見于一榻如間如答餘登于茲數年間如一日是餘三樂也且當奎運隆渥負笈徒競入此門咿唔鏗々尓焉餘示之曰仁義者錬梁律禮者柱礎徳育禮者門性行育者家習育者桓體者田學之者果而其身泰而奕葉益盛也且夫可不樂哉
  時明治十九年秋九月園主  小島泰堂 自撰自書
 
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雰囲気を感じていただくために表面の拡大写真を掲載させていただきました。枠内に先人が漢文から和文に訳した内容を転記いたしました。貴重な内容です。
泰楽文園
夫れ人間たる者は、学問を身につけなければならない。故に、自分は幼い頃から学問に志し、佐倉に出て(天保九年)、吉見南山先生に就いて勉強と人間形成につき薫陶を受けた。文久二年、さらに江戸(八丁堀)に出て塾を開き子弟を教育する傍ら多くの人々と交流し修業した。明治五年に至って門人は前後凡そ一千余名を数うるに至った。自分の越しきたった数十年を熟々顧みて、年老いてはやはり故郷へ還ることが最も良いと思い、今まで交諠を温めてきた多くの文人墨客や、ともに手を携えてきた人々と別れることになり、その別宴を張った。その時集まった人々から詩歌や揮毫や、その上貨財の類等餞別を頂戴した。これを舟一ぱいに載せて青菅に帰郷した(明治十三年)。帰郷した私には三つの楽しみがある。
その一は、江戸をたつときの餞別の詩歌や揮毫そのた寄贈された軸物などを室内や壁に所せましとばかり披展して、しずかに此れらを鑑賞し往時を追懐する。これが第一の楽しみである。
その二は、広々とした荒地や山林を開墾してて茶を植えて茶園となし、傍らに塾の講堂や幾重にも曲がった堂榭(あずまや)などを築き、庭園には四季おりおりの草花を植え、門には龍が伏し蟠ったような日本の松を植え、その門柱には自分で「泰楽文園」と大書した扁額を掛けた。その臥龍松を植えたことについては、昔中国の易経という古典「飛龍在レリ天ニ・利レ見ニルニ大人ーヲ」という言葉がある。この古典の由来に基づいて、臥龍と飛龍とみたてて鑑賞するのが第二の楽しみである。
その三は、同じく中国の古典の詩経に「思皇多士・生ニズ此ノ王国-ニ」の語がある。それに因み菅公廟と人麿祠を奉祀し、書棚に孔子と孟子を祀り、詩経に準え、或いは問いかけ或いは答えして朝夕拝礼することを欠かさず、数年間全く一日の如く実行する。これが三楽だ。
塾のありさまをみれば奎運は多くの門人子弟たちが笈を負い来て咿唔の声が満ちあふれて、競って勉学するさまは、まさに奎運の開かれゆく思いである。仁と義し規律と礼儀と、そして特性を養うことによって心身は大いに安らぎ、ゆるやかになるのである。故に後の世まで盛に続けて楽しむようにしなければならない。これが即ち泰楽なのである。
 時明治十九年秋九月園主  小島泰堂 自撰自書 
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右から大きく泰楽文園と書かれているのが印象的でした。小島泰堂が若者の教育にささげた約44年間(1845年ごろ~1889年没まで)の内訳は次の通りです。
 前期 1845年~16年間 青菅村 泰堂塾
 中期 1861年~19年間 八丁堀 泰堂塾  
 後期 1880年~ 9年間 青菅村 泰楽文園
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泰楽文園の石碑が庭内に保存されている家には下の写真のような見事な白壁造りの土蔵がありその中に小島泰堂に関わる毎聴講讀音と書かれた資料が保管されていたそうです。その中には塾生の習書など貴重な資料が沢山入っていたそうです。泰堂翁の「泰楽文園」の構造や塾の内容なども物証的に片鱗を見ることが出来るそうです。その資料は研究者に寄贈されて今は別のところで保管されているようです。
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その研究者の報告文献から毎聴講讀音などの資料の写真を転用させていただきました。このような貴重な資料がこちらの家に保管されていたのは、この家の先祖の方が小島泰堂と親しい子弟関係にあったことがうかがえます。真中の写真は30年前の1988年5月18日に撮影されたものです。つまり寄贈されたのは、そのころだと思われます。
一番左側の写真が襖の表に貼られていた毎聴講讀音と書かれた唐紙です。
 毎聴講讀音 明治癸未之春日書千梅花薫所 泰翁
 毎に聴く講讀の声、明治十六年(癸未)の春日梅花薫る所にて書く 泰翁
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追伸
今日2018年3月18日の朝から3月27日の夕刻まで関西に行ってきます。その間はネット環境の関係から皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。本記事のブラシュアップも4月に入ってからになりそうです。
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古墳のある小学校 佐倉市立青菅小学校 [風習・歴史]

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千葉県佐倉市の市立青菅小学校の校庭には「大塚」「小塚」「すげの子山」とよばれる古墳のような小山が3つあります。特に大塚と小塚はきれいな円形で、まさに円墳です。
ただし、古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)の墓ではなく約400年前の江戸時代初期に作られた墓所であることから、正しくは古墳ではなく、古墳のような墓所と言うことになります。この青菅の大塚は、徳川家康と「はとこ」の関係にあった旗本2500石の川口宗勝から下記の4代の墓所と言われています。二代の川口宗信の弟(三男)である川口宗重(2000石 1587年生~1654年没)の墓は佐倉市八幡台にあるそうです。川口宗勝の母は織田信長の伯母だった可能性もある上に徳川家康の又従兄弟(またいとこ/はとこ)で、主君は水野信元→柴田勝家→織田信長→信雄→豊臣秀吉→徳川秀忠の遍歴の戦国時代の名家の武将だったのです。江戸時代において四代の川口宗恒は川口家の中で最も出世し領地は青菅村だけでなく各地に加増されたようです。職を辞した後は旗本寄合席に列したそうです。元々は川口氏は平家の支流で、伊賀國から美濃国川口村に移り、宗倫のときに川口氏を名乗ったそうです。
 初代:川口宗勝 2500石 通称:久助   1548年生~1612年没
 二代:川口宗信 2000石  通称:孫作
 三代:川口宗次 2000石  通称:久助        ~1652年没
 四代:川口宗恒 2700石 通称:源左衛門 1630年生~1704年没

Google地図に大塚、小塚、すげの子山を書き込みました。
青菅の大塚は、上で記載した通り、青菅領主の旗本川口家四代の墓所ですが、小塚は、夫人の墓所と伝えられているそうです。そのことからか大塚は男塚(おとこづか)、小塚は女塚(おんなづか)ともよばれています。伝承では大塚・小塚ともに初代宗勝の時に築造され、大塚には四代すべての髻(もとどり)が埋葬されていると伝えられており、別名「もとどり塚」とも呼ばれています。
ちなみに、髻(もとどり)とは髪を頭の上で束ねた部分だそうです。


冒頭の写真は南東方向から見た大塚です。この写真は反対側の北西から見た大塚です。大塚自体は円形(円墳)ですが、周囲に一部ですが縁石が四角に並べられています。そのためか、塚を方形と書かれている方もおられますが、周囲を廻ってみると縁石は五角形に並べられていました。縁石には大谷石が使われていて、つなぎはセメントが使われていることから縁石に関しては小学校が作られた時か、それ以降に土の流失防止に作られたものと感じました。
大塚・小塚は佐倉市の市指定の史跡となっています。佐倉市のホームページによると、青菅の大塚・小塚周辺では、地域住民により「ミチカリ」がおこなわれているそうです。かつての「ミチカリ」は、塚周辺の清掃および、道に繁る枝を刈り、道を掃いたりする青菅地区の年中行事だったそうです。現在でも当時とは若干姿を変えていますが、毎年行われているそうです。「ミチカリ」とは「道刈り」のことでしょうか。今は道が整備されていますが、江戸の初期のころの大塚・小塚の周辺は一年で道がなくなってしまうほど草木が生い茂っていたのかもしれません。
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南西方向から見た大塚です。不思議なことに川口家の墓所でありながら墓石は立てられていません。ただし小さな石碑が建てられていました。これは川口家のものではなく小島泰堂の石碑なのです。小島泰堂に関してはさらに調べる必要があることから後日詳しく紹介したいと思います。
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石碑には月読尊と書かれています。手前の石で見えませんが、右下には「菶蔫 小島稲子」、左下には「泰堂翁謹書」とあり、真ん中下部には「能見鏡者食国廼 民之福召所知哉」と文字が刻まれているそうです。この歌は「月読みの鏡を見ればをす国の民のしあわせしろしめすかな」と読むそうです。
関係あるかないか分かりませんが、川口宗勝の母親は小島信房の娘または織田信長の伯母だそうです。同じ小島姓は気になりますが、時代的には300年近い差があるので関係は薄い気がします。
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写真を撮っている方は下高野の辻切りなどでお世話になっている近くに住んでおられるkazuさんで、この時も案内していただきました。大塚・加塚や小島泰堂に関する情報も沢山教えていただきました。
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もう一つ、石碑の痕跡がありましたが、こちらの方は分かりませんでした。
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小学校の裏ての校庭に小塚があります。
川口家の墓所になる以前から古墳があったと考えている方もおられるようです。それだけ謎が多いのだと思います。ただし、龍角寺古墳群のように古墳は集まっていることが多いようですが、この周囲1kmでは見当らないことから塚の形だけで古墳であったとするには無理があるようです。一番近い縄文時代の遺跡はここから直線距離で1.9kmのところにある井野長割遺跡(国指定史跡)です。これも小学校(井野小学校)の隣りの敷地です。また佐倉市で古墳と認定されている「ひょうたん塚古墳」までは7.0kmで、八千代市の根上神社古墳までは3.7kmです。
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これが北西方向から見た小塚です。川口家の初代から4代の当主の夫人たちの墓所です。この時、小塚に植わっている木の枝を伐採しているところでした。関係する各時代の日本の総人口を記載いたします。江戸初期頃の日本の人口は現在の10分の1でした。青菅村の人数を想像してみてください。
 縄文時代  BC14000年~BC300年  2万人→15万人
 古墳時代  200年~600年末     60万人→400万人
 江戸初期  1603年ごろ        1200万人
 江戸後期  1868年ごろ        3100万人
 現在    2018年2月1日      1億2656万人
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南東方向から見た小塚です。佐倉市の文化財-史跡「墓・碑 など」は下記の通りで、この中に「青菅の大塚・小塚」と「川口宗重墓」があります。
青菅の大塚・小塚の場所は佐倉市のホームページでは青菅となっていますが、住所は千葉県佐倉市宮ノ台1丁目です。佐倉市青菅に新興住宅地が出来来たことによって青菅の一部が宮ノ台に町名が変更になったのが1981年11月1日でした。 さらに井野の一部と小竹の一部の町名がユーカリが丘に変更になったのが1985年2月1日でした。周辺地域での一番新しい町名変更は2012年8月18日で、井野の一部が西ユーカリが丘6丁目と7丁目になりました。
 太田図書墓      (臼井)
 海隣寺中世石塔群   (海隣寺町)
 川口宗重墓      (八幡台)
 桔梗塚跡       (将門町)
 佐藤泰然・舜海碑   (本町)
 勝胤寺中世石塔群   (大佐倉)
 土井利勝父母夫人供養塔(弥勒町)
 道誉上人墓      (臼井田)
 堀田正俊・正睦・正倫墓(新町)
 雷電墓        (臼井台)
 青菅の大塚・小塚   (青菅)
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青菅小学校の北西側には大塚の名前が使われた「青菅大塚公園」があります。
川口宗勝は徳川家康とは「はとこ」どうしになるのですが、関ケ原の戦いにおいては成り行きで西軍(豊臣側)でした。戦いに敗れて高野山に蟄居していましたが、第2代将軍徳川秀忠に許されて旗本になった経緯がWikipediaに書かれていたので枠内に転記いたしました。
川口 宗勝(かわぐち むねかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・旗本。徳川家康ははとこに当たる。
宗勝の祖父・川口盛祐は一族の川口宗持の養子となり、大河内元綱の養女・於富の方(華陽院)を娶り宗勝の父・宗吉を儲けた。於富の方は水野忠政に嫁ぎ徳川家康の生母・於大の方を産み、また家康の祖父・松平清康にも嫁いでいる。
天文17年(1548年)、川口宗吉の子として誕生。
当初、宗勝は水野信元に仕え、永禄6年(1563年)には柴田勝家へ、翌永禄7年(1564年)には織田信長の直臣となり弓大将となる。また、永禄9年(1566年)に木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が墨俣に一夜城を築いた時の野武士の中に宗勝の名が見える。本能寺の変後には織田信雄、豊臣秀吉に仕え、伊勢国尾張国内で18000石を領した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて、宗勝は大坂城におり東軍に味方するつもりで中江直澄と共に出立したが、増田長盛・長束正家に留められたため心ならずも西軍に属した。安濃津城攻めなどに参加するが西軍が敗れると高野山に蟄居し、所領を没収され身柄を伊達政宗に預けられる。慶長11年(1606年)、徳川秀忠に許されて青菅2500石を賜り旗本となった。
慶長17年(1612年)、青菅にて死去。以後、元禄11年(1698年)までの92年間、宗信(孫作)、宗次(久助)、宗恒(源左衛門、摂津守、長崎奉行のちに江戸町奉行)と4代に同地を知行した。
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こちらが青菅小学校の3つ目の塚「すげの子山」です。運動場にあります。
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近づいて撮りました。青菅小学校のあたりは標高23mの平らな地形なので自然に出来たものとは思えませんが、この小山に関する情報は残念ながら一切ありませんでした。昔は古墳であった可能性もあるようにも感じました。
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この小山は子供たちの遊び場となっています。青菅小学校のホームページにも経緯は書かれていませんでした。学校の沿革の中で「平成2年11月5日すげの子山移動・整備」と書かれているだけでした。平成2年は私が佐倉市に引越してくる前のことでした。ご存じの方のコメント(by UMA 2018-05-31 11:36)で、すげの子山は25~28年程前に残土を使って作った盛山であることが分かりました。当時青菅小学校に通っていた教員や生徒の方しかしらないそうです。
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すげの子山(菅の子山)の上からの校庭の景色です。
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青菅小学校の門です。
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そして青菅小学校の表札です。
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参考に青菅小学校の生徒数の推移を紹介します。一旦は生徒数が減りましたがマンションが建設されたり、周辺に新しい住宅地が開発されたことから現在は生徒数が増えつつあります。
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生徒数のずれが見られますが、別の資料から転用させていただいたグラフで、学校の創立(1986年)からの生徒数の推移も紹介いたします。廃校となった志津小学校青菅分校から340mの距離に今の青菅小学校があります。
 青菅小学校が出来るまでの沿革
  1873年 印旛郡第六番小学区公立井野町小学校として創立 
  1887年 村立上志津尋常小学校と改名
  1903年 青菅分教場設立→青菅分校
  1945年 村立志津小学校と改名
  1954年 市立志津小学校と改名
  1961年 上志津小学校 分離独立
  1967年 井野小学校  分離独立
  1976年 小竹小学校  分離独立
  1977年 青菅分校   廃校(1903年設立の青菅分教場)
  1986年 青菅小学校  分離独立(新しい学校として設立)
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クリックすると拡大二代・川口宗信の弟(三男)である川口宗重の墓が、佐倉市の八幡台一号公園の南西コーナーにあるとのことなので写真を撮ってきました。こちらが墓の正面です。正面に「為珉照院釈道是善根菩提也 南無阿弥陀佛 茲時承応三年甲午歳林鐘十七日」、左側面に「川口茂右衛門尉 平宗重 六十八歳逝去」、右側面に「川口作左右衛門尉 平宗忠 廿七歳建立 之孝子敬白」、裏面に「唯獨自明了」と書かれていることから、子供または孫あるいは子孫の川口作左右衛門(川口宗忠)が28歳の時に建立したようです。Wikipediaに書かれていた内容を枠内に転記いたしました。墓の位置をGoogle地図で表示→ポチッ
川口 宗重(かわぐち むねしげ、天正15年(1587年) - 承応3年6月17日(1654年7月30日))は、江戸時代初期の旗本。川口宗勝の三男、母は福富平左衛門直貞の娘。兄弟に宗信、宗之、宗利、宗澄、宗政。
慶長17年(1612年)、父の宗勝が没すると遺領のうち葛飾郡臼井500石を相続した。その後、上総、甲斐国内に加増され、合わせて2000石となる。承応3年(1654年)没する。墓は佐倉市八幡台にある。家督は長男宗徳が継ぎ、宗憲、宗建と臼井を領した。
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左・後ろ斜めから撮った写真です。写真をクリックして拡大すると、川口宗重の通称名の川口茂右衛門の文字が読み取れると思います。佐倉市のホームページ書かれていた川口宗重に関する内容を枠内に転記いたしました。
川口氏は戦国時代に織田氏に仕えていましたが、宗勝の代に関ヶ原の戦いにおいて西軍に付き、一時伊達政宗に預けられました。 その後、宗勝は二代将軍秀忠の御家人となり、慶長10年(1605)印旛・葛飾両郡内にて2500石を知行しました。宗重は宗勝の三男で、慶長17年(1612)に父の遺領の内、葛飾郡臼井500石を継承しました。後には上総国・甲斐国内に加増され、都合2000石を知行しましたが、承応3年(1654)に68歳で死去しました。
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川口宗重の墓が設置されている位置をGoogle地図で紹介します。
川口宗重の墓がある八幡台第一公園は臼井八景の第八景であるクリックすると拡大右の写真の州崎青嵐(すざきせいらん)の表示板が設置されている場所でもあります。
クリックすると拡大 川口宗重の墓
 臼井八景 第八景・州崎青嵐
 八幡宮の祠


川口宗重の墓の脇が周囲より7~8m低い窪地になっていて、その窪地に八幡宮の祠があります。公園から神様を見下ろす珍しい神社です。
大雨の時に水が溜まるのではないかと心配になりますが、この公園自体が丘陵地にあり周辺の地域より17m高い(=23m-6m)ので排水路さえ確保されていれば心配は無いようです。標高の数値はGoogle地図のPrincipalement plat機能で表示された道路の標高値です。
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 窪地の標高 15m(=23m-8m)
 周辺の標高  6m
本写真は4秒ごとに切り替わるようにいたしました。クリックするとその中の1枚を拡大いたします。
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窪地に下りて八幡宮の祠を撮りました。ネットでは本神社を「八幡宮の祠」と表現する記述が多いようですが、祠の前には狐(きつね)の像が置かれていることから本神社は稲荷神を祀る稲荷神社のようです。佐倉市のホームページの記述でも稲荷神社となっていました。住所は千葉県佐倉市八幡台1丁目-1です。
神社の右側の大木は御神木のカヤの木です。
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このカヤの木は佐倉市の指定文化財(天然記念物)でもあります。カヤは雌雄異株で、この木は雄株だそうです。老樹のため樹皮は剥離し、幹には数か所の空洞が見られるそうです。地上3mのところで幹枝を4本に分離していて、そのうち1本は大正期の神社の火事で枯れたそうですが、樹勢全体は旺盛のようです。カヤ以外にシイ、ムク、ケヤキなどの大樹もに元気に生えていました。
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 門 裸子植物門 Gymnospermae
 綱 マツ綱   Pinopsida
 目 マツ目   Pinales
 科 イチイ科  Taxaceae
 属 カヤ属   Torreya
 種 カヤ    Torreya nucifera
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タグ:佐倉 古墳 青菅
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直径40cmのピザ [話題]

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上の写真は前記事で紹介したコストコで買ってきたピザ(ピッツア)です。
実は家内はピザは得意料理で、偶に市販の生地を買ってきて生地作りを省略してピザを作ることがありますが、基本は生地作りからやっているために、今回のような具が乗ったピザや、焼かれたピザを買うことはほとんどありませんでした。さらに宅配のピザを頼んだことはまったくないのです。今回はあまりにも大きさが見事なピザだったことから味が気になって試しに2種類を買ってみることにいたしました。乗っている具材も充実しているようでした。
ただし、直径は40cm、つまり400mmあるのです。その時は家のガスオーブンは400mm以上あると思い、そのまま丸いままで焼けると判断して買いました。上のビザの販売名は「丸形ピザ シーフード」です。

こちらの商品名(販売名)は「丸形ピザ パンチェッタ&モッツアレラ」です。豚のバラ肉のことをパンチェッタ(Pancetta)とも呼びますが、材料欄にベーコンと書かれており、今回の場合は豚のバラ肉を塩漬・乾燥・熟成させた燻製前の生ベーコンのことを示しているようです。写真からも生ベーコンのように感じられました。つまりベーコンとチーズを売りにしたヒザです。ここ以降はベーコンのヒザと書かしていただいています。どちらも税込みで1498円でした。そして両方ともに冷凍ではなく冷蔵なのが気に入りました。そのために賞味期限は2日間程度だったと思います。
フードコートで焼いたピザを大きな箱で持ち帰っている人を沢山見かけました。ただしフードコートのピザと今回のピザは違いました。持ち帰った焼いたピザは家族みんなでランチとして熱いうちに食べるのだと感じました。
クリックすると拡大フードコートの3種のピザの主な具材を紹介します。
 ペパロニ :チーズ、サラミ
 コンボ  :マッシュルーム、オリーブ、ミートボール
 チーズ  :チーズ
宅配ビザ店のピザの直径はLサイズが36cm(PIZZA-LA)で税込み価格は3800円前後なので40cmに換算すると4600円前後になります。そこそこ美味しければ、かなりお得だし焼きたての熱々が食べれます。
宅配ピザを世界で最初(1960年)に行ったのはDomino's(ドミノ・ピザ)です。日本で最初もDomino'sで1985年9月30日でした。
クリックすると拡大ナポリの釜の特定の2種のピザだけに40cmのXLサイズがあります。
 宅配ピザ店     Mサイズ   Lサイズ
 PIZZA-LA      25cm   36cm
 Pizza Hut       25cm   31cm
 Domino's       23cm   33cm
 ナポリの窯      25cm   30cm
 ストロベリーコーンズ 25cm   35cm
 シカゴピザ      25cm   35cm
 ピザ・カリフォルニア 25cm   35cm
 アオキーズ・ピザ   25cm   36cm
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白くて丸いのがモッツァレッラ(モッツァレラ)・チーズです。沢山乗っていました。モッツァレッラはイタリア南西部のカンパニア州が原産で、くせの無い味わいの独特の弾力ある歯ごたえが特徴のチーズです。
ちょっと珍しいパンチェッタ(Pancetta 生ベーコン)やドライ・トマト・オイル漬けも確認していただけると思います。
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家に帰ってガスオーブンを確認すると、丸まま焼くことが出来ないことが分かりました。確かに庫内の幅は400mm以上あるのですが、ピザを平らに乗せられるオーブンの鉄の角皿の内側寸法は390mm x 300mmでした。つまり今まで家で焼いていた最大のピザは直径が300mmあるいは楕円形の短径が300mmのピザだったわけです。外で見ると小さく見えて、買って帰って家で見ると大きく見えることはよくあることでした。
 ガスオーブン    幅     奥行
  庫内寸法    438mm   354mm
  角皿内寸法   390mm   300mm
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こちらがオーブンの角皿です。内側寸法は意外と小さいことが分かりました。幸いにも冷蔵庫には2箱ごと入ったので翌日の夕食で食べることが出来ました。
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丸まま焼けないことが分かったので4つに切って下の写真のように角皿に2枚乗せて2段で焼くことにいたしました。1段はベーコンで、もう1段はシーフードです。こちらがベーコンの方のピザです。
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こちらがシーフードの方のピザです。本当は7人で食べるので予定で40cmc2枚を食べ切る予定でしたが、夕方に用事があるということで2人が帰ったので5人で食べることになりました。5人と言っても1人は2歳児なので実質は4人でした。
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すでに紹介した通り前日の夕食は7人でタラバガニを食べましたが、この日の目玉の一つは、前日に飲んだ甲州の樽発酵の白ワインと一緒にプレゼントされた、こちらの赤ワインでした。
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何が目玉かというと赤線をつけている限定本数4962本でした。それにしてもフジッコがワインを作っているとは知りませんでした。ワインの名前はFujiclairのメルローとつけられていました。ワインのタイプはミディアム(中口)でした。メーカーの説明を枠内に転記いたしました。
勝沼の自社圃場と契約農家畑のメルローのみ使用。フレンチオーク樽でゆっくり熟成を行いました。樽の上品な香りと果実由来のカシスの香り、また程良いタンニンとともにふくよかな味わいをお楽しみいただけます。料理に合わせやすい上品なワインです。
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もう一つ目玉がありました。日本でピザと言えばタバスコですが、実は少し前にレモスコなるものを買ってきていて使って見たかったのです。使った感じは辛さはかなりありますが、タバスコを少しソフトにした感じで、私はタバスコより良かったです。タバスコを沢山振りかけた場合は、咳(せき)が出ることがありますが、こちらは咳が出るほどの辛さではありませんでした。この日はタバスコも出して両方を皆に比べてもらいました。
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こちらが焼きあがったシーフードピザです。テーブルに丸ままは出せませんでしたが味はよかったです。
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拡大いたしました。具材にはエビ、ホタテ、ムール貝、イカ、タマネギ、ピーマン、マッシュルーム、オリーブが沢山入っており充実していました。具をそろえるだけでもかなりの金額になるので、これはかなりの値打ちものでした。
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ピザ以外ではサラダを用意してもらえました。
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こちらはベーコンの方のピザです。こちらは2枚の皿で出しました。1/4枚でも結構大きいことが分かってもらえると思います。角皿のサイズは24cm角です。
ピザに似た料理は古代からあったようですが、ピッツア(Pizza)と呼ばれる料理が誕生したのはイタリアのナポリだそうです。そのことからヒザ(Pizza)はイタリアで生まれて世界に広まったというのが一般的に言われています。特にアメリカで独自の発展を遂げて、手軽に食べられるようになったようです。
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こちらも拡大いたしました。具材は生ベーコン(パンチェッタ/Pancetta)、セミ・ドライ・トマトのオイル漬け、モッツァレッラ、パセリです。価格はシーフードのピザと同じですが、具材だけ見ればシーフードの方がお得な気がしますが、こちらはチーズにこだわっているようでした。
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今回は大きさはまちまちですが赤ワイン用のワイングラスを出してきました。
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やっぱりピザにはワインが合います。直径が大きいヒザなので食べやすいサイズに切ると細長くなりました。
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追加で焼きました。右がシーフードで左がベーコンです。結果的に1枚半食べました。残りの半分は翌朝の朝食でいただきました。つまり翌朝もシーフードとベーコンですの1/4が1枚づつ計2枚でした。
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ワインの後はビールでいただきました。40cmの丸ままはテーブルに出せませんでしたが、焼きたてだったので十分に満足できる味でした。
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デザートはアイスクリームにいたしました。全て違う種類を買ってあったので、皆に選んでもらいました。私はこれです。
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ちなみに私がお店で食べたピザの中で最も大きかったのがこちらです。大きさは約60cm x 50cmなので今回のピザの約2.4倍の面積になります。10cm角に切って30個を8人で食べました。
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コストコのホットドッグ フリードリンク付き180円 [話題]

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北海道から来てくれた長男家族と5人で三鷹の森ジブリ美術館に行った翌日は同じメンバーでコストコ(Costco)に行ってみることにいたしました。みなさんご存じの方が多いようにコストコは人気の会員制スーパーです。我々は会員ではないのですが長男家族が会員になっていたので行くことになりました。家内は友人と何度か行っていますが、私は初めてだったので物珍しくて記事に書かせていただきました。最も興味があったのが、フリードリンク付きの180円のホットドッグでした。上の写真で右側がホットドックなどが食べれるフードコートエリアです。左側が商品の販売エリアです。倉庫型販売てと言われるだけあって見た目は倉庫でした。左側の販売エリアからレジで商品を清算するとフードコートエリアに入ることが出来ます。清算済みのショッピングカートがずらりと並んでいるのが分かってもらえると思います。
我々も買い物を済ませて清算レジを通過してフードコートエリアに入りました。ちょうど12時ごろでもあったことからフードコートは満席状態でした。ほかの3名がホットドッグを買いに行っている間は、確保した席を私と孫娘の2名で守っていたわけです。

コストコのブログ「コストコ節子」の中の説明図で、ホットドッグを買って食べるまでを説明させていただきます。ただし、図を見れば一目瞭然なので文書での説明は省略させていただきます。ソーセージ以外はトッピングも自由のようです。説明図をクリックするとオリジナルの図を表示いたします。
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全てが大きいので分担して持ってきてくれました。最初にドリンクが届きました。ホットドッグなしで単独でフリードリンクを頼むと60円です。
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次にトッピングされたホットドッグが届きました。
極太ソーセージのポークディナーフランクは店内で買うと14本が約1500円で、使われているゴマ付きパンはホットドッグバンズで6本が200円なので材料だけで約140円になります。トッピングで用意されているのはオニオン、ピクルス、マスタード、ケチャップ、ザワークラウトだそうです。これに60円のフリードリンクが無料で付いてくるので相当にお得です。
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これがコストコのホットドッグです。カロリーは約560kcalだそうです。フリードリンクをお茶にしてもらったのは正解でした。一つで十分な昼食になりました。
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クリックすると拡大右の写真が前日の昼食で食べたジブリ美術館のホットドック(500円)です。味はジブリ美術館のホットドックの方が上ですが、なんといっても180円(実質120円=180円-60円)でボリューム感のあるホットドックが食べれるのは非常に魅力的でした。
もし味のレベルアップをするならばソーセージだと感じました。最近は日々進歩していくので期待いたします。
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こちらがドリンクの中身です。
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ドリンクとホットドッグのツーショットです。ドリンクのカップの大きさにも驚かされました。入れる量は飲むだけにすることをお薦めします。
韓国の33,000Wは今日の為替レートで3,268円です。
 コストコの規模を紹介
  年間売上 約13兆8,820億円(1,262億ドル 2017年度)
  店舗数  746(2017年11月現在)
  店舗売上 平均186億円/店
  従業員数 239,000人(正社員+パート)
  年会費  4,400円(日本) 60ドル(米国 カナダ) 33,000W(韓国)
       36ユーロ(フランス) 30ユーロ(スペイン) 28ポンド(英国)
  会員数  9,150万人
  店舗規模 平均13,400㎡(4,061坪)
 イトーヨーカ堂(参考)
  年間売上 1兆2600億円
  店舗数  170
  店舗売上 平均74億円/店
  従業員数 36,376人
  年会費  0円
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コストコの販売店形態は倉庫型です。高い天井の建物に背の高い棚が並べられていて、棚の最下段に販売商品が並べられていて、棚の上部は倉庫として使われていました。したがって店舗のことを倉庫店と呼ばれています。
創業者となるジェームス・シネガルとジェフリー・ブラットマンが1983年9月15日に倉庫型小売店をアメリカのワシントン州北西部キング郡にあるシアトルに開店したのが始まりだそうです。現在の正式社名Costco Wholesale Corporationに変更されたは1997年だそうです。新規店舗オープンに伴う事前会員登録数の世界最高数値は中部空港倉庫店の5万人以上(2013年)だったそうです。各国の店舗数を紹介します。ネット上ではアメリカ+プエルトリコの店舗数で書かれていることからプエルトリコの店舗数をGoogle地図で数えた4店を正しいと仮定してアメリカの店舗数を記載しています。地図内のプラスのアイコンをクリックすると4ケ所の正確な位置が分かると思います。またマイナスのアイコンを4回クリックするとプエルトリコの場所が分かると思います。アメリカのコストコのHPでプエルトリコの店舗数は4店舗であること確認いたしました。
 アメリカ    514店(492店) 
 プエルトリコ    4店(  4店)
 カナダ      97店( 90店)
 メキシコ     37店( 36店)
 イギリス     28店( 27店)
 日本       26店( 26店)
 台湾       13店( 13店)
 韓国       13店( 12店)
 オーストラリア   8店(  8店)
 スペイン      2店(  2店)
 フランス      1店(  -  )
 アイスランド    1店(  -  )
 合計      746店(708店)
  店舗数の数値はコストコHPの2017年11月時点
  カッコ内数値はWikipedia記載の2017年9月1日時点
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私の家の近くには幕張倉庫店と千葉ニュータウン倉庫店があります。距離的には大差ないのですが幕張店の方は渋滞や信号数などの交通事情などから車で1時間程度必要なのに対して、千葉ニュータウン倉庫店は15分程度で行けてしまうのです。そのような事情から千葉ニュータウン倉庫店に行きました。売場面積は幕張倉庫店の63%程度ではありますが、それでも驚くほどの広さでした。上位4店を除き、すべての店舗の売り場面積は約1万㎡です。店舗名のリストでは文字を短く表示するために倉庫を省略して「倉庫店→店」といたします。
店舗名      売場面積
野々市店     15,750㎡
幕張店      15,715㎡
富谷店      14,740㎡
久山店      13,000㎡
川崎店      11,220㎡
かみのやま店   10,541㎡
札幌店      10,527㎡
新三郷店     10,456㎡
座間店      10,379㎡
広島店      10,316㎡
北九州店     10,226㎡
岐阜羽島店    10,130㎡
ひたちなか店   10,121㎡
浜松店      10,100㎡
射水店      10,099㎡
和泉店      10,089㎡
多摩境店     10,076㎡
金沢シーサイド店 10,052㎡
中部空港店    10,042㎡
つくば店     10,036㎡
入間店       9,988㎡
千葉ニュータウン店 9,976㎡
神戸店       9,822㎡
尼崎店       9,762㎡
前橋店       9,573㎡
京都八幡店     9,509㎡


売場面積に関しては千葉ニュータウン店は幕張店に及びませんが敷地面積は広いです。つまり千葉ニュータウン店は売場も駐車場も平面(1階)にあるので便利なのです。関東圏には11店舗ありますが平面駐車場なのが、つくば店(埼玉県)、ひたちなか店(埼玉県)、前橋店(群馬県)、千葉ニュータウン店の4店舗ですが、東京駅から直線距離で50km以内の店舗で平面駐車場なのは千葉ニュータウン店(35km)だけです。
日曜日で店内は混んでいましたが駐車場に関しては苦労はありませんでした。Google地図で計測した敷地面積は幕張倉庫店の3倍近くあります。下記の航空写真は同じ縮尺です。千葉ニュータウン倉庫店は1つのスーパーでありながらショッピングモールなどに相当する敷地面積です。着色された店舗名をクリックするとGoogle地図で敷地を表示します。
 店舗名              敷地面積   売場面積
 コストコ 千葉ニュータウン倉庫店 54,300 ㎡   9,976 ㎡
 コストコ 幕張倉庫店       16,800 ㎡  15,715 ㎡
 イオンモール 八千代緑が丘    53,600 ㎡
 イオンタウン ユーカリが丘    61,200 ㎡
 フルルガーデン 八千代店     46,400 ㎡
 

買ったものを少しだけ紹介します。左上がクロワッサンとベーグル2袋で、右上が907gのポテトチップです。直径40cmのピザも2種類買いました。直径40cmのピザに関しては後日詳しく紹介したいと思います。クロワッサンは7人がそろった朝食で食べ切りましたが、ベーグルはすぐに冷凍いたしました。
恒例のタラバガニの記事で紹介した1.5kgのミートボールドリアもこの時に買いました。それ以外に1.3㎏のアーモンドや1kgのブドウやキッチンペイパーなどなど2万円を軽く超えました。日本に進出したアメリカの企業なのに、MasterとAmericanは使えたのですが、その時に持っていたJCBやVISAのクレジットは使えませんでした。その場でCostco Cardを作っている人も多かったです。
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ささやかな雛祭り [雛祭り]

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2011年の雛祭りの日の記事が「下書き」のままになっていたので、今回の散らし寿司と比較のために公開に変更いたしました。おそらく2012年12月に全ての記事が「下書き」になってしまった事故の名残だと思います。
3月3日に雛人形も飾ってささやかな雛祭りをいたしました。ひな祭りは和暦(太陰太陽暦)の3月の節句(上巳)である3月3日(現在の4月頃)に行われていたそうですが、明治6年(1873年)1月1日の改暦以後は一般的にグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なわれています。しかし一部では引き続き旧暦3月3日に祝うか、新暦4月3日に祝う(東北・北陸など積雪・寒冷地に多い)そうです。旧暦では桃の花が咲く季節になるため「桃の節句」ともいわれています。雛人形はが生まれたときに買ってもらいました。
我家の雛人形のアップの写真はこちらです。→ポチッ

今日の夕食は、ひな祭りらしい散らし寿司でした。幸いみんな早く帰ってきたので平日には珍しく家族全員で一緒の食事となりました。ちらし寿司の具は穴子と錦糸玉子と菜の花だけのシンプルなものでしたが美味しくいただけました。
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近所の産地直売の野菜屋さんに菜の花があったので散らし寿司には菜の花入れられていました。季節らしい雰囲気となりました。
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菜の花は沢山あったので天婦羅にもしてもらいました。
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菜の花と一緒に買ったフキノトウも天婦羅として出て来ました。
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椀物には素麺が入ったおすましでした。

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今までの雛祭りで作った散らし寿司の写真を並べてみました。着色文字をクリックするとその時の記事を表示します。2015年の時は記事を掲載しませんでしたが、写真をクリックすると拡大写真を表示します。2012年~2014年は散らし寿司以外の料理でした。
 2015年               2016年
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 2017年               2018年
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3月3日は不思議と散らし寿司が食べたくなります。 [雛祭り]

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昨日は2018年3月3日の桃の節句(雛祭り)の日でした。夕食には不思議と散らし寿司が食べたくなったのでお願いして作ってもらったのが、上の写真の夕食です。ただし作ってもらえる条件は、材料を買いに行くことでした。家内は弓道に行くので昼間は留守だったのです。ひな祭り用に買いに行ったのが、菜の花と、海老と、きぬさやと、桜餅の4品でした。菜の花以外は往復6kmのスーパーに買いに行きました。菜の花は近所の野菜の直売所で買ってきました。最近は往復10km程度までならば歩いて買い物に行くので、この日は買い物だけで約1万歩ほど歩いたことになりました。

飾りつけのために買ってきた海老とキヌサヤが乗っています。中身は、以前に買ってあった、ちょっと贅沢な「ちらし寿司の素」を使ったそうです。
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こちらが、近所の野菜直売所で買った菜の花のおひたしです。野菜直売所は9時開店なのですが開店と同時に沢山の人が来てすぐにいいものが無くなってしまう可能性があるので、9時を過ぎたらすぐに買いに行きました。ついでに別の野菜も買いました。
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雛祭りの汁物(椀物)と言えば、ハマグリのお吸い物ですが、アサリが買ってあったので、アサリのお吸い物にしたそうです。お出汁はカツオブシではなく昆布にしたそうで、なかなかの味わいのお吸い物でした。冒頭の写真にあるように日本酒の熱燗もいただきました。
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食事の後のデザートはこの日に買ってきた桜餅です。スーパーで買った桜餅ですが、ちょっと高級な日本茶で食べると美味しく感じます。
大きめの湯呑茶碗は18年前の2000年に栃木県芳賀郡益子町(益子焼の町)で買ったもので気に入った湯呑でしたが、この1個を除いて4個は割れてしまいました。今は割れないように、かなり慎重に扱っているようです。
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初日の夕食はイタリアンにいたしました。 パッキア [イタ飯]

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北海道から長男家族が着いた日の夕食は外食にすることにいたしました。2日後で集まる子供たちも入れると車に乗れないことから外食が難しくなるからです。外食はイタリアンにすることにして、近所のイタリアンレストランで一番気に入っているパッキアさんに電話して予約いたしました。
頼んだのはサラダ系料理が1品と、ピッツアが2品と、スパゲッティーが2品と、魚料理が1品に、肉料理が1品でした。これらを皆でシェアーしていただきました。サラダ系の料理として選んだのが上の写真の「契約農家さいとうさん家のバーニャカウダ」でした。

車を運転している私と孫娘以外はビールを頼みました。
きめ細かな泡のビールの写真は撮らせてもらいました。
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バーニャ・カウダは左上の器に入った熱いソースが特徴です。イタリア・ピエモンテ語で「バーニャ」は「ソース」、「カウダ」は「熱い」を意味していて、この熱いディップソースに新鮮な野菜をつけて食べるイタリア・ピエモンテ州を代表する冬の料理です。ディップソースにはアンチョビ、ニンニク、オリーブオイルなどが入っているようです。クリックすると拡大フォンデュに類似した食べ方の料理でした。いつもだったらシーフードが沢山入った右の写真の「シェフお薦め具だくさんサラダ」が第一候補ですが、初めて耳にしたバーニャ・カウダは野菜が新鮮で、この料理を頼んだのは大正解でした。
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最初のピッツアは「自家製ベーコンと4種類のチーズのピッツア」でした。大きな塊のチーズが沢山乗っていました。
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味を想像していただくために拡大写真を掲載いたしました。
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次のピッツアは「イタリアンサラミのピッツア」でした。
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こちらも拡大写真を掲載いたします。
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今までにこちらのお店で食べたピッツアのいくつかを紹介します。今まではトマトソースが使われているものが多かったけれども、今回は2枚ともトマトソースを使っていないピッツアでした。
こちらのお店ではピッツアよりスパゲッティーを食べた方が多かったのですが、今回はピッツアだけの紹介といたします。小さな写真ですがクリックすると拡大いたします。スパゲッティーの写真を見たい方はこちらをクリックしてください。→ポチッ
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2種類のスパゲッティーを頼みましたが、最初が「自家製ベーコンのカルボナーラ」でした。
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こちらも拡大写真を掲載いたしました。
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こちらのお店のトマトソース系のスパゲッティーはお薦めなので頼んだのが「ニンニクと唐辛子のアラビアータ」でした。
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スパゲッティは茹で加減が大切です。その食感が伝わるでしょうか。
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メインの魚料理は「真鯛ハーブグリル」を頼みました。一緒に出される野菜類も美味しかったです。
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メインの肉料理で頼んだのが「牛タンの赤ワイン煮込み」でした。じっくりと煮込まれたようで柔らかかったです。
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牛タンの赤ワイン煮込みも、みんなで取り分けていただきました。
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メイン料理関係のメニューを紹介します。
今回食べたメイン料理も入っています。
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デザートも頼みました。デザートだけはシェアーではなく一人一皿です。
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これは私が頼んだデザートです。
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孫娘にはこちらのアイスクリームを頼みました。
コース料理ではありませんが、サラダ類、ピッツア、スパゲッティ、メイン魚料理、メイン肉料理、デザートと続くクリックすると拡大イタリア料理は孫も初めてではなかったかと思います。孫娘は2歳なので記憶に残るまでは難しいとは思いますが、次に会える時まで印象に残ってくれればと思います。でも、翌日にジブリ美術館に行ったので、そちらの方が印象に残ったかもしれません。
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下記の地図の下の方の真ん中の臙脂色マーク( )が今回のイタリアンレストランです。以前は第2水曜日も定休日でしたが、食ログなどを見る限りでは木曜日だけのようです。本レストランは2007年3月4日から2011年8月11日の間に食べに行った料理を掲載したことがあります。→ポチッ
  名前 パッキア(Pacchia)
  定休 木曜日
  住所 千葉県佐倉市中志津6-16-1
  時間 ディナー 17:30~22:30   ランチ 11:30~15:00
  種類 イタリア料理
  電話 043-463-8889

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ハスカップ・ティーで三鷹のケーキをいただきました。 Ma Prière [話題]

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前記事で三鷹の森ジブリ美術館に長男家族と一緒に行ったことは紹介いたしましたが、その日の夕食のデザート用のケーキを買うために三鷹駅の近くで、評判のケーキ屋さんをスマホ検索して買ってきたのが上のケーキです。三鷹駅で私と家内と孫娘が待っている間に長男夫婦が買いに行きました。写真で分かるように5個(4種類)買ってきました。

こちらがケーキを買ったお店のネームカードです。オーナーシェフは 猿舘 英明さんです。開店までに修行のために2度訪仏しました。
 2003年 ガストロノミックアルパジョンコンクール 準優勝
 2003年 ガストロノミックディジョンコンクール 準優勝
 2004年 ガストロノミックディジョンコンクール チョコレート部門1位
 2006年 マ・プリーエール(Ma Prière)開店
 2014年 セレクションジャポンで5つ星獲得
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こちらのケーキの名前はネットで調べるとエルベシアでした。
ドミニカ産のオーガニックショコラのムースと、マカダミアナッツのプラリネを組み合わせたケーキです。トップにはキャラメルが敷き詰めて、木の葉のモチーフのチョコがあしらわれています。
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こちらのケーキの名前はエルセイボです。エルセイボはボリビア産カカオ豆のエルセイボチョコレートを使っているそうです。
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こちらはお店のホームページにも出てくるケーキで、お店の名前が付けられたマプリエールです。イチゴ風味のホワイトチョコレートムースの中にクレームシトロンとイチゴのジュレが入っています。
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ホームページには出てきませんが2個購入していることから一番人気のケーキのようです。ネットで画像検索すると名前はカルマかマプリエールでした。ホームページはあまり更新されていないようなので、2代目マプリエール(看板ケーキ)なのかもしれません。私はこのケーキを選択させていただきました。
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ケーキと言えは紅茶なので、北海道のお土産として持ってきてくれたハスカップ紅茶でいただくことにいたしました。
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クリックすると拡大こちらがハスカップ紅茶のティーバックです。ハスカップは北海道のスイーツなどに使われている注目の果実です。紅茶の葉の焙煎過程でハスカップ果汁を吹きつけて作られているようです。
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ケーキの断面も紹介いたします。
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お店の名前を紹介します。中央の上あたりの赤色マーク( )が今回のケーキ屋さん(マ・プリーエール)の場所です。緑色ライン(━━)は三鷹の森ジブリ美術館からのルートです。
 店名 マ・プリーエール Ma Prière
 住所 東京都東武蔵野市西久保2-1-11
 電話 0422-55-0505
 営業 10:00~22:00
 定休 不定休
 創業 2006年
 最寄 JR三鷹駅(徒歩 640m)


お店のホームページ(HP)に載っていたケーキの写真です。今回買ったケーキの写真は1枚しかないことから、まだまだ沢山の種類があることを感じさせてもらいました。クリックするとHPの大きな写真を直接表示します。
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