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初孫と一緒に初詣に行きました。 八社大神と千手院 [新年]

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2016年の正月は子供達全員が集まりました。2015年6月12日に生まれた、北海道に住んでいる長男夫婦の子供(女の子)は今回が初めて家に来ました。我々の初孫になります。2016年1月1日の朝のおせちを食べた後に、皆で初詣に行きました。子供が小さいこともあり、歩いて行ける神社と寺院の2ケ所に行きました。上の写真が最初に詣でた八社大神(はっしゃだいじん)です。八社大神は15~16世紀頃にあったと伝えられる井野城の跡にある神社です。

八社大神(八社神社 / 八社大明神 / 八社大神神社)には下の八柱の神々が祀られていました。もともとは十二柱の神々が祀られており十二杜大神と称されていましたが四杜は他村(小竹)に分祀されて八杜大紳になったと伝えられているそうです。ここで持って行った三脚で記念写真を撮りました。
 ① 別雷命   わけいかづちのみこと
 ② 天兒屋根命 あめまこやねのみこと
 ③ 伊弉冉命   いざなみのみこと
 ④ 大己貴命   おおなむちのみこと
 ⑤ 比咩神   ひめのかみ
 ⑥ 大山祗神   おおやまづみのかみ
 ⑦ 保食神   うけもちのかみ
 ⑧ 表筒男命   うわつつのおのみこと
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普段は無人の神社ですが、神主さんがおられて拝殿でお祓いをしてもらった後に裏にある本殿でお参りをいたしました。写真は神主さんにお祓いをしてもらっているところです。


本殿側に廻ってみんな参拝いたしました。八杜大紳祭神のごりやくは、①厄除け・災難除け・落雷除け等、②立身出世等、③国家安泰・子孫繁栄・五穀豊穣等、④福徳円満・縁結び等、⑤縁結び・安産等、⑥航海安全・商売繁盛等、⑦五穀豊穣・養蚕と畜産守護等、⑧家内安全・学問成就・交通安全等、です。



ちゃんと初孫(女の子)もお参りいたしました。お参りの仕方が書かれていたので二礼二拍一礼(二拝二拍手一拝)で行いました。


こちらが八杜大紳の本殿です。
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井野城の土塁の上から八杜大紳の本殿と拝殿をみた景観です。
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見事な彫刻が施された本殿でした。奥側から撮っているので拝殿が向こう側に見えます。
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拝殿の中にも明治時代と思われる資料が飾られていました。右の絵では日本人と思われる軍隊(左側)と戦っている相手(右側)の顔つきが欧米人のようなので日露戦争(1904年2月8日~1905年9月5日)の絵なのかもしれません。日露戦争では日本が勝ちましたが戦没者は日本が圧倒的に多かった戦争でした。戦没は戦死+戦傷死+病死です。病死が多いのにも驚かされます。
 ロシア 戦没42,628人 病死11,170人 負傷146,032人 捕虜79,000人
 日本  戦没88,429人 病死27,192人 負傷153,584人 捕虜 1,800人
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睦仁と書かれた書類も飾られていました。明治天皇が明治二十三年十月三十日(1890年10月30日)に書かれた書類のようです。1890年10月30日は教育勅語が発布された日なので、それに関したの書類のようです。確かに「教育」の言葉が見受けられます。教育勅語は、正式には教育ニ関スル勅語と言われ、第2次世界大戦前の日本の教育の根幹となった勅語だそうです。
原文をネットで探した結果、一致したので、やはり教育ニ関スル勅語でした。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ 修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無 窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ 是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所 之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日   御名御璽
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御名御璽は「ぎょめいぎょじ」と呼び、君主の署名と公印のことです。クリックすると拡大日本においては、現在も天皇の署名・公印をさして公的に用いられる呼称だそうです。右の写真は明治天皇の御名御璽です。官報において公布される法令の天皇の署名・捺印部については「御名 御璽」と表記されるそうです。その際、「御名 御璽」は当該文書の題名と同程度の高さに置かれるそうです。その後につづく首相と閣僚の副署は通常のように各行の最下部に署名どおりの実名をもって表記されるそうです。官報以外の公文書および民間で出版される法令集においても公布された形式の通り、同様に表記されるそうです。

この井野城跡の鎮守の森の中に主格跡と八杜大紳があります。
以前に掲載の井野城の記事→ポチッ
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航空写真と模式図で八杜大紳と井野城を紹介いたします。航空写真の中の井野城と書かれているところに主格跡と八杜大紳があります。1971年以前は、このあたり一帯が林で覆われていました。井野城の特徴は土塁の内側の主郭の建っていた部分が深く掘りこまれていることでした。主郭が平屋であったならば、周辺から建物が見えなかったと思えるほど土塁の内側は深くなっていました。
実は井野城の近くにあった先崎城下高野館も、これほどの深さではありませんが、同じように主郭の部分は深く掘りこまれていました。同じ考え方で作られた城で臼井城を守っていた出城(支城 砦)であったようです。
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八杜大紳に参拝した後は千手院(せんじゅいん)に向かいました。


ここでも持ってきた三脚で記念写真を撮りました。千手院は、千葉県佐倉市井野にある真言宗豊山派の寺院で山号は稲野山です。本尊は千手観音です。この寺は、729~749年の天平年間に下総国印旛郡臼井荘臼井石神に創建された蓮華王院に始まり、1392年に僧澄秀が兵乱に遭うことを恐れ、小竹城主で大壇那でもあった千葉一族の小竹高胤に願って井野村へ移し千手院と改めたと伝えられている由緒ある寺院です。
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八社大神と千手院の場所を航空写真で紹介します。八社大神と千住院に参拝した後は、ツタヤ(TSUTAYA)に寄ってDVDを4本借りて家に戻りました。歩いたコースでは右の写真の井野の辻切りを3ケ所で見ることが出来ました。
地図内の千手院卍の文字の位置は間違いで の位置が正しいのです。
クリックすると拡大 ━━ 八社大神 → 千手院 → ツタヤ へのルート
  八社大神
  千手院
  ツタヤ(TSUTAYA)
  井野の辻切り → 記事-1 記事-2

出発から帰って来るまでを紹介します。
写真の11枚目と12枚目の間でDVD屋さんのツタヤに寄りました。
初めて初孫にあったときの記事はこちらです。→ポチッ




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