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黄龍の純白の石楠花と草花たち [九寨溝 黄龍]

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四川省のチベット地区の黄龍は世界遺産の景勝地で標高が3200m~3600mの散策路に不思議な景観を見せてくれます。日本では3000mの場所は草木も少なく高山植物の世界ですが、黄龍は5000m級の山から流れてきた水が豊富で草木が生い茂っていました。種類も高山植物と言うよりは普通の形態の植物が生えていました。それらの植物たちを紹介いたします。
再掲載を機会に写真をクリックすると拡大するようにいたしました。

もっとも印象的だったのがこの純白のシャクナゲ(石楠花)でした。このシャクナゲの写真を撮ったのは標高3230mでした。
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シャクナゲの花を拡大いたしました。
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少し雰囲気の違うシャクナゲも紹介いたします。
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すこし花が広がっています。これ以外にも小さな花のシャクナゲもありました。
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これはバラ科の野イチゴの花だと思います。こんなに高山なのに日本で普通に見かける野イチゴの花と似ているのが不思議でした。水は豊富なので冬の寒さに耐えられる植物ならば生きていけるのかもしれません。


こちらはキク科のヤブレガサ(破れ傘)の一種のようです。こちらも日本で見かけるヤブレガサに似ていました。こちらでは葉の形から2種類かを見かけました。


水が豊富で苔や小さな草も活き活きと生えていました。
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こちらの花も沢山咲いていました。名前は判りませんが山葵(わかび)に近い環境に育っているような感じでした。花の全体の形はワサビ(アブラナ科)の花に似ています。ワサビと同じように花びらは4枚ですが花びらの並びは一番下の写真とおなじでした。
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水の豊富さが植物からも伝わってきました。
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いろんな苔や地衣類も豊富でした。
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このピンクの花もよく咲いていました。


不思議な4枚の花弁だったので花の拡大写真も掲載いたします。花の形は上の小さな白い花と同じなので種類は近いものなのかもしれません。あの白い花はワサビに似ていると書きましたがワサビはアブラナ科です。アブラナ科といえば代表的なのが黄色い花の菜の花ですが、このピンクの花は菜の花の形に似ていました。この花もアブラナ科のワサビに近い種類のような気がします。

黄龍 飛瀑流輝 [九寨溝 黄龍]


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黄龍ではすでに迎賓池を紹介いたしましたが、黄龍は水に溶けた石灰岩が析出してできた:渓谷沿いに出来た造形です。洞窟ないの鍾乳洞が典型的な石灰分の造形物ですが黄龍ではこのような滝も造りだしていました。この滝は飛瀑流輝と呼ばれています。標高5160mの玉翠山(玉翠峰)を背景にした景観は見事です。再掲載にあたり写真はすべて拡大するように設定いたしました。

黄色がかった乳白色の石灰華の連なりを、白雪を頂いた高山目指して昇る龍になぞらえて「黄龍」と名付けられたそうです。遠くから飛瀑流輝を見た景色です。
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飛瀑流輝を近くからみました。この滝の上に池が広がっており流れ落ちる時に石灰分が析出しこのような滝が出来たのです。 ここの標高は3245mだそうです。
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玉翠峰を拡大してみました。
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飛瀑流輝の上に広がる池です。きれいに透き通った水が印象的でした。
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横から見た飛瀑流輝です。
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流れ落ちる部分を拡大いたしました。
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時間の関係で黄龍は、一部しか見ることが出来なかったのでネットから拝借した黄龍のイラストを2枚ほど紹介いたします。こちらが入口に近い部分です。


こちらが上の部分です。


黄龍 迎賓池 [九寨溝 黄龍]


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再掲載にあたり写真はすべて拡大するように設定いたしました。
成都からのフライトで九寨黄龍空港について最初に訪れたのが黄龍でした。黄龍(こうりゅう 黄龙)は四川省アバ・チベット族チャン族自治州松潘県にある景勝地で「黄龍の景観と歴史地域」としてユネスコの世界遺産に登録されています。絶滅危惧種であるジャイアントパンダや金糸猴の貴重な生息地でもあります。黄龍は、岷山山脈の一部である玉翠山の山頂(標高約5100m)から北に向かって伸びる全長7.5kmの峡谷(黄龍溝)であり、世界有数のカルスト地形です。新生代第四紀に隆起した石灰岩層が氷河に侵食されて巨大な峡谷となり、そこに石灰分の豊富な水が流れ続けた結果、石灰華の沈殿したエメラルドグリーンの美しい石灰華段(石灰華段丘)をはじめ、黄金色に輝く石灰華の層、そして石灰華の滝や谷が形成されました。
黄龍全体のうち、麓の「迎賓池」(標高3199m)から「五彩池」(標高3553m)までの約3.7kmの区間が風景区として整備されてます。九寨溝と違い黄龍には車道が無く、木製の遊歩道のみです。徒歩で往復するか2006年8月にロープウェイが開通したので下りのみ歩く方法があります。全て往復すると4時間(上り2.5時間、下り1.5時間)かります。景観を考慮してロープウェイの2駅はいずれも遊歩道のコースからかなり離れたところに設置されています。こちらに到着した当日であり無理をすると高山病の可能性があることから我々は下の方のみを往復することにしました。
黄色がかった乳白色の石灰華の連なりは、雪を頂いた山脈を昇ってゆく黄色い龍の姿にたとえられているそうです。同風景区は中国唯一、非常に良い状態で残っている高原湿地帯であるとも言われています。
黄龍後寺(仏教)と黄龍中寺(道教)が共存しているそうです。いずれも明代創建で、合わせて黄龍寺と呼ばれています。
水の色は場所によって黄色、緑色、青色、茶色と様々に変化して見え、晴天時は日光と相まって金色に輝くそうです。中でも風景区最奥部にあり黄龍最大の石灰華段である「五彩池」、そして2番目の規模を持つ色彩鮮やかな「争艶池」は必見だそうです。また、「金沙舗地」(標高3281m)は1500mの長さを持つ世界最長の石灰華層として知られています。

この日は成都から九寨黄龍空港に12時過ぎについて川主寺鎮で昼食をとってマイクロバスで写真の黄龍の入口の駐車場に着いたのが15時10分でした。この駐車場で、すでに標高3100mでした。
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ここが、黄龍の入口です。
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遊歩道はかなりの広さがありました。それでもすれちがうのが大変な場所もありました。3000mを越える標高ですが沢山の木や草が生えていました。
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途中には水が入っていない石灰華段もありました。水の多い時期は水で満たされるのだと思います。
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玉翠山(約5100m)もきれいな姿を見せてくれました。
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木の間から石灰華段が見えてきました。
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この辺りが黄龍の迎賓池です。
人を最初に迎えることから、この名前が付けられたのでしょうね。石灰岩の層が地面の傾斜にそって棚田のように連なり、そこに水がたまって黄龍全体で約3400個の湖沼が連なる姿が名前となった龍のウロコのようです。
クリックすると拡大黄龍の名前の由来を調べてみると、黄色いカルスト溶岩で覆われている景観が、金色の龍が岷山の生い茂る木々の間を曲がって登っているように見えることから名づけられたそうです。
この日は晴天で一番手前の池の波紋が印象的でした。この波紋が、どうして出来たの不思議です。
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別の角度からの景色です。
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ここには広い見学スペースが設けられており沢山の人がおられました。
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確かにいろんな色の池がありました。
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クリックすると拡大下の写真が横から見た景観です。このような石灰華段の棚田が日本で見られるのは鍾乳洞の中です。有名なのが右の写真の山口県の秋芳洞の百枚皿ですが、それが太陽の下で、このような大きな規模で見ることが出来るのには驚かされました。
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水は本当にきれいでした。
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遊歩道がすぐそばを通っています。
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ほんとうに不思議な景観でした。
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カルスト台地と言えば鍾乳洞が有名ですが、これだけ大きな規模の棚田が出来るのにも驚かされました。
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昼食を食べたら黄龍に出発、その前の準備は? [九寨溝 黄龍]


クリックするとワンちゃんの記事を表示
昼食をとった川主寺鎮を出発して1.4kmで、可愛いワンちゃんで出会えた紅星路医療站に立ち寄りました。ここで酸素ボンベと高山病の予防薬を買うためにです。
お店の前に停まっているマイクロバスのトヨタ製のコースター(COASTER)が我々が3日間お世話になった車です。
中国でマイクロバスと言えばコースターと言えるほど浸透していることが今回わかりました。九寨溝と黄龍でコースター以外のマイクロバスは見かけなかったからです。だからナンバプレートの番号を覚えていないと間違えて乗ってしまいます。
こちらの場所は黄龍からの帰りにもトイレ休憩をとらせてもらいました。トイレは有料なので小銭の用意が必要です。ここからホテルまで66.8kmあるのでトイレ休憩は重要です。

これが酸素ボンベと高山病の予防薬である紅景天です。酸素ボンベの中には1.3Mpaの圧力の純度99.5%以上の酸素が14リットル(標準気圧)入っていると表示されていました。一人一本配られました。私は使わなかったので他の人にあげることになりましたが、48時間に使う人で2本を使うことになりました。


高山病の予防薬のパッケージです。紅景天を調べてみると日本でも知られたチベット産の滋養強壮の薬でした。紅景天は、原料のチベット人参(紅景天)の名前からとったものでした。高山病は疲れが禁物なので滋養強壮の薬が予防になるということでした。一人4本分を購入いたしました。一日2本飲むとのことでした。植物としての紅景天は、チベットの海抜3500~5000mという高地に自生しているベンケイソウ科の野生多年生草木だそうです。地表に出ている部分は10cm程度と小型ですが、根や根茎が薬効部分として利用されているそうです。確かにチベットでは古くから高山病の薬としても使われていると書かれていました。


薬屋さんの前の道路です。こちらが昼食をとった川主寺鎮の方向です。昼食を摂った岷江源国際大酒店から、ここまで僅か1.4kmの距離です。レストランからの道順です。
 1.301省道を南西に進む
 2.120县道/红星路を進む そのまま120县道を進む
 3.右折してそのまま 120县道 を進む


こちらが。これから向かう黄龍の方向です。ここから黄龍の駐車場まで39.3kmですが途中で4007mの峠を越えることになります。


チベット族の民家が横にあったので撮らせてもらいました。


薬屋さんの横の土産やさんで珍しいものを売っていました。岩蜂蜜です。台の上の黄色い岩の塊が固く石のようにかたまった蜂蜜なのです。


薬屋さん(診療所)中には大きな酸素ボンベとベットが置かれていました。過去に高山病で観光客の人が8名なくなったと聞かされました。


バスの中にもパンパンに膨れた大きな空気まくらのようなものが2つ積んでありました。鼻に入れるチューブがついていたので医療用の酸素枕と思われました。緊急時のために積んであるようでした。

九寨溝地区での初めての昼食 [九寨溝 黄龍]



九寨溝・黄龍地区で最初の食事は空港の麓のレストランで昼食を食べました。空港の麓と言っても空港の標高が3448mなのでレストランの標高は3000mでした。九寨溝・黄龍地区で初めての食事でしたが標高3000mで食事をするのも初めての経験でした。
  店名 岷江源国際大酒店 
  住所 四川省阿覇州松藩県川主寺鎮
  電話 0837-7252-222

大きな丸テーブルを用意してもらいました。空港を12時半ごろに出て食事がはじめられたのは13時10分ごろでした。


先ずは前菜を5品紹介いたします。これは肉料理です。木の台の上に乗っていたのでチベット独特のものではないでしょうか。


乾燥した海藻のような食べ物でした。


こちらが拡大したもので、ピリ辛の美味しいものでした。海藻のようと説明しましたが陸の物か海の物かはわかりませんでした。


こちらは魚のから揚げです。


セロリをオレンジジュースに漬け込んだものです。これは結構おいしかったので家でやってみる価値がありそうです。酸味の強いオレンジがあうようです。


これは鶏肉のローストです。ここまでが前菜でした。


この高度に来て時間が経っておらず体が高度に慣れていない上に、高度自体も3000mと初めての標高のため念をいれてアルコールはやめてソフトドリンクにいたしました。
私は効果のほどはわかりませんが、精力飲料のレットブル(Red Bull)にさせてもらいました。

下の料理はナマズのような魚の料理です。淡白な身と辛いタレがマッチングしていました。


豚肉と竹の子とアスパラカスの料理です。


ついに出てきました。ヤクの肉です。
ここでは四川料理とチベット料理が出されたようでした。後ろにあるのは七味のような唐辛子の香辛料と生ニンニクです。


セロリと鶏肉の料理です。


これはカボチャです。これは柔らかくてなかなかの一品でした。


見ての通りクルミ料理です。飾り付けがきれいでした。


出てきました。麻婆豆腐です。日本人を意識して注文してくれたのだと思います。ご飯も頼んでくれました。


麻婆豆腐のコクのある旨味を感じてもらうために拡大写真を掲載いたします。なかなかの辛さでした。


こちらはチンゲンサイ料理です。


揚げ豆腐の辛いあんかけです。


これはハムです。普通のハムではなく塩漬けハムです。ビールがあったら合いそうな味でした。後ろの味噌をつけて食べてもいいし、単独で食べてもよさそうな味でした。


青菜の炒め物も出てきました。


これはチキンカツです。後ろの青菜のニンニクを使った炒め物は歯ごたえもあって美味しかったです。


可愛らしい饅頭が出てきました。中身は野菜が主体の具でした。


キノコと鶏肉のスープも美味しかったです。


平麺の下には成都で食べた汁のない担担麺の肉ダレが入っており混ぜると色が真っ黒になる平麺担担麺でした。


最後はやっぱりフルーツです。


雪山梁峠 4007m [九寨溝 黄龍]



黄龍に行くためには4007mの峠を越える必要があります。その峠の名前が雪山梁峠です。峠には上の写真のようにチベットらしい飾りがありました。 峠に板張り展望台が作られるほどきれいな景色を見ることが出来ます。
実は雪山梁峠の標高ははっきりしないのです。日本語のネットで雪山梁峠の標高を調べると4007m 4003m 約4000m 4000m以上 3960m 4200m 4250m 4050m 3900m 4120mといろんな表記がありますが一番多かったのが4007mで2番目が3960mでした。持って行った気圧式の高度計の表示3920mで計測誤差から見て4200mや4250mはあり得ない数値で3900m~4050mの間でであることは間違いないことなら4007mと記載させていただきました。 峠の住所は四川省アバチベット族チャン族自治州松潘県雪山梁です。撮った写真を調べていると4007mと書かれた石碑が写っていたので、やはり公式な標高は4007mのようです。

位置関係を航空写真で説明いたします。右のほうの太い黄色ラインが今回の目的の黄龍の散策路です。黄色のマーク( )が今回紹介の標高4007mの雪山梁峠です。青いマークの川主寺鎮近くの標高3000mの薬屋さん(紅星路医療站)から一気に1000mほど登ってきました。緑色のマークが岷山山脈の主峰の雪宝頂(5,588m)です。水色のマークは5000mを越えるピークです。

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この写真は峠に登って行く最後の段階に岷山山脈の主峰である雪宝頂を撮ったものですが、この写真の左下の赤色の看板があるところが雪山梁峠です。


こちらか、これから進んでいく黄龍の方向です。


こちらが登ってきた方向です。


このように峠に板張りの展望台は広かったです。誰かが雪だるまを作っていました。


峠の展望台から見た標高5,588mの雪宝頂です。 連なっている山脈は岷山山脈だと思います。


今回は400mの望遠ズームを持ってきたので、そのレンズで雪宝頂を撮りました。


雪宝頂の形に似ていますが、別の山です。高くて立派な山なので、こちらも名のある山だとは思います。


こちらも望遠で撮った写真を紹介いたします。


別の方向の写真も紹介します。


険しい山肌の部分もありました。おそらく何億年前の地層が硬い岩になったのだと思います。その海の地層が今は高山なのがすごいです。


こちらも別の方向です。こちらにも高い山々がありました。こちらは黄龍の方向です。


もっとも広角で撮った写真です。5,588mの雪宝頂も、この山々の中にあります。


峠を越えていく方向には曲がりくねった道が見えました。


水色のマーク( )はチベットの5000~7000mの山で、赤いマーク( )は7000mを超える山です。赤いマークの左側のマークはエベレスト(チョモランマ 8848m or 8844.43m )です。赤いマーク( )の最も東側が中国とブータンの国境にある山ガンカープンスム(Gangkhar Puensum 7570m)で、その西側にChomolhari Kang(7314m)があります。不思議と高い山は並んでいるように見えます。最も東側の空色マークが黄龍・九寨溝あたりの高い山です。

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いきなりヤクに出会えました。 [九寨溝 黄龍]



12時に標高3448mの九寨黄龍空港について麓の標高3000mの場所で昼食にするためにマイクロバスで移動はじめた途端に、急斜面で、いきなり写真の毛の長い牛に出会いました。この毛の長い牛は高山に住む「ヤク」です。ヤク(Bos grunniens)はウシ目ウシ科ウシ属に分類される偶蹄類で長い毛が特徴です。
ヤクと言えばアニメ「天空の城ラピュタ」でシータが住んでいたゴンドアにいたのが、ヤク達でした。パズーの名せりふ「全部かたづいたらきっとゴンドアへ送っていってあげる。 見たいんだ、シータの生まれた古い家や谷やヤク達を」を思い出しました。
インド北西部、中国の甘粛省やチベット自治区、パキスタン北東部に自然分布しているそうです。高地に適応しており、体表は蹄の辺りまで達する黒く長い毛に覆われています。換毛はしないため暑さには弱いそうです。肩は瘤状に隆起しています。鳴き声は低いうなり声であり、ウシの様に「モー」とは鳴かないそうです。
             オス           メス
   体長     280-325cm     200-220cm
   尾の長さ    80-100cm      60-75cm
   肩の高さ   170-200cm     150-160cm
   体重     800-1000kg     325-360kg

3000mの麓に降りるまでの間にも沢山見かけました。ヤクの姿を見て標高の高いところに来たことを実感させられました。野生のヤクは食用の乱獲などにより生息数は激減してしまい、1964年における生息数は3,000-8,000頭と言われました。中国では法律で保護されているそうです。ヤクは2,000年前から家畜化したとされており、家畜個体数は20年前の1993年の集計ですが13,700,000頭と推定されています。


緑のフェンスは飛行場のフェンスです。ヤクが飛行場に入ってくるのを防いでいるのかもしれません。
ほとんどのヤクが家畜として荷役用、毛皮用、乳用、食肉用に使われています。中国ではチベット自治区のほか、青海省、四川省、雲南省でも多数飼育されているそうです。ヤクはチベット語に由来しますがチベット語では雄のヤクだけを指す言葉で、メスはディというそうです。


人家の近くでも沢山飼われていました。
チベットやブータンではヤクの乳から取ったギーであるヤクバターを灯明に用いたり、塩とともに黒茶を固めた磚茶(団茶)を削って煮出し入れ、チベット語ではジャ、ブータンではスージャと呼ばれるバター茶として飲まれているそうです。今回バター茶をいただきましたが、後日、報告させていただきます。チーズも作られていそうです。
食肉用としても重要で、脂肪が少なく、赤身が多く、味も良いため、中国では比較的高値で取引されているそうです。糞は乾かして燃料として用いられ、体毛は衣類などの編み物に利用されそうです。


ヤクはあらゆるところに放牧されており、道路に出てきて車を徐行させたことも2度ほどありました。


初めて大きく撮ることが出来ました。額には飾りがつけれれていました。大切にされている証拠だと思います。所有者の区別のための飾りかもしれません。


この程度の群れで放牧されていることが多かったです。きれいな景色にヤクが似合っていました。


毛の長い山羊(やぎ)にも出会いました。高山性のヤギだと思います。

チベットのワンちゃんたち [九寨溝 黄龍]

今回の再掲載で写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大するようにいたしました。
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四川省チベット族自治区のワンちゃんを紹介します。標高3448mの四川九寨溝黄龍空港について、いきなり黄龍に向かうときに出会ったワンちゃんでした。あまりにもかわいいので撮らせてもらいました。この写真はクリックすると拡大します。

横顔も可愛かったです。この辺りはチベット圏の最も東の端ですが、チベット文化がしっかりと残った場所でした。


近づくまでは箱の中に寝ていましたが、写真を撮ろうと近づくと出てきて甘えてくれました。


黄龍に向かうときに、こちらの薬屋さんで酸素ボンベと高山病の薬を購入します。この薬屋さんの看板犬だったのです。紅星路医療站です。近いうちに行かれる方は覚えておいてください。


薬屋さんの場所を航空写真で紹介しておきます。写真の中心あたりです。マイナスのアイコンを数回クリックしてみてくださいあたりの様子がわかってくると思います。

こちらは九寨溝のワンちゃんです。真白のワンちゃんで娘さんに毛を櫛で梳いてもらっていました。九寨溝にはいくつかチベット族の人の村がありますが、昼食をとったレストラン街(九寨溝で唯一食事が出来る場所)の近くの村で出会いました。
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ワンちゃんをアップさせてもらいました。
この辺りでは羊ではなく毛の長い牛のヤクがいたるところで放牧されていました。写真は撮れなかったのですがヤクの群れの中に2頭の牧羊犬がいました。このワンちゃんも将来は牧羊犬になるのかもしれません。


チベットを感じさせてくれる風景でした。カラフルな旗(のぼり)がチベットの特徴です。
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この航空写真の中心のあたりが白いワンちゃんを撮ったところです。こちらの航空写真もマイナスのアイコンを数回クリックしてもらいたいです。理由はクリックするとわかると思います。


いよいよ九寨溝に向かいます。 四川九寨黄龍空港 [九寨溝 黄龍]

IMG_2430-50.jpg

成都空港で九寨溝行きの飛行機に乗るところです。

フライトはEU2707で私の席は1Aと一番前の席の窓側でした。フライトは30分程度遅れましたが無事に出発いたしました。


九寨溝(きゅうさいこう)の場所を紹介しておきます。中国の中心あたりでタイの北に位置します。中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州でチベット族地区の村が点在した場所でした。チベット族地区としては東の端に位置しています。

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窓側の席に座れたので窓の景色を時間を追って紹介いたします。離陸は丁度11時20分で着陸は、こちらも丁度12時00分でした。離陸して写真撮影の許可がおりた直後に撮った写真です。下は雲に覆われていますが、遠くに高い山を見ることが出来ます。 四川省成都市の西南交通大学で教鞭をとられているkm45さんがコメントで高い山の名前を教えていただきました。四川省の最高峰のミニヤコンカ(貢嘎山・7556m)だそうです。なんと7500mを越える山でした。(2013年6月25日追伸)
 11時29分


この辺りから雲が切れてきました。山の上には残雪が確認できます。
 11時34分


短い時間の間に景色が変わっていきます。
 11時41分


いきなり迫力のある山が目の前に現れました。
 11時43分


山と山の間の谷が深いです。谷の部分に九寨溝が出来たのです。飛行機の後方向の写真です。
 11時44分


高い山ですが頂上付近を除き森林に覆われていました。
 11時45分


目の前に険しい山肌が迫ってきました。もっとも迫力のある景色です。
 11時46分


雪が多くなってきたのがわかりました。
 11時48分


空港に近づくとさらに山が横に迫ってくるので迫力がありました。ただし上の11時48分の写真を撮ったところで電子機器のスイチを切ってくださいとの機内放送が流れたために、そのきれいな迫力のある写真を残すことはできませんでした。40分間のフライトで写真が撮れるのは19分間でした。
以前に説明したグラフです。上の写真を撮った11時29分~11時48分の景色とグラフと照らし合わせてみてください。


こちらが空港の景色です。ここは3448mの高さですが、周りはさらに高い山々がありました。


上の写真を拡大しました。遠い山々ですがきれいに見ることが出来ました。空気がきれいな証拠でした。


ボーディングブリッジについている飛行機に乗ってきました。


このとき、5月26日(土曜日) 12時11分でした。


荷物のピックアップ風景です。


空港から出たところです。省略文字ですが九寨溝黄龍が読み取れました。カラフルな色はチベット族の人たちが家の周りに立てる旗(のぼり)をイーメイジしたものだと思います。


同じ場所から反対方向を撮りました。空気が薄いこと空気がきれいなことが実感されました。


下の写真は空港の航空写真です。この四川九寨黄龍空港(しせんきゅうさいこうりゅうくうこう)は四川省アバ・チベット族チャン族自治州松潘県川主寺鎮に位置する九寨溝と黄龍への玄関口の空港です。この空港の特徴は標高が高いことです。
ネットによると空港の海抜3447.65mだそうです。持って行った気圧式の高度計では3310mを指していました。
これは中国ではチャムド・バンダ空港(4334m、世界第1位)、ダルツェムド空港(4280m、世界第2位)、ガリ空港(4,274m)、ラサ・クンガ空港(3570m)に次いで5番目に高いそうです。このため空気が薄く、離陸に必要な揚力が得にくいため、下記の航空写真のように空港の規模に不釣合いな3,200mの長大な滑走路が設けられています。2002年6月7日に工事が開始されて、2003年9月28日に開港したそうです。開港以前の九寨溝は最寄の成都から長距離バスで10~12時間を要する秘境でしたが、空港の完成により中国各地からのアクセスが劇的な改善に貢献した空港でもあります。


21年前にも同じ駅を撮っていました。 [インド]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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最近インドに行ったときにホテルから駅が見えました。その駅を撮った写真を家に帰ってから1992年7月18日に撮った写真と比べるとなんと同じ駅だったので掲載させてもらいました。クリックすると拡大それも高さは違いますが同じ建物から撮っていました。
上の写真が21年前の1992年7月18日に撮った駅の写真です。
右の写真のホテルから撮りました。こちらのホテルの写真も1992年7月18日に撮ったものです。
WORLD TRSDE CENTREとかかれていますが、これはホテルの名前ではありません。この時のホテルの名前は思い出せていません。当時のホテルの名前は変わってしまいました。現在のホテルの名前はインターコンチネンタル ザ グランド( INTERCONTINENTAL THE GRAND )です。

下の写真が現在の駅の写真です。やはり泊まったホテルの窓から撮った駅の写真です。遠くから見ているので昔と大きな差が追いように気がします。陸橋が同じなので同じ駅であることに気がつきました。陸橋はほとんど変わっていません。でも歩いている人の服装は明から違っています。ビジネスマンのイメージの人が圧倒的に多くなっていました。写真をクリックすると拡大写真を表示するので乗り降りしている人たちの服装がわかるようになると思います。
インドの駅と言えばムンバイの世界遺産の駅を以前紹介させていただきました。ムンバイの駅は、すばらしい駅でした。こちらは、ごく普通のインドの駅です。
クリックすると拡大

頻繁に電車が入ってきており沢山の人が乗り降りしていました。空中の黒いものはカラスです。インドでも沢山のカラスを見かけました。
クリックすると拡大

インドのカラス [インド]


              インドにもあらゆるところに沢山のカラスがいました。日本のカラスと違って真黒ではなくて首の部分薄い色をしていました。ムンバイの海岸のカラスです。

デリーのカラスです。人の集まるところにカラスが集まるのは日本と同じでした。


自転車のマークを探してみました。 [オーストリア]


クリックするとオリジナルの写真を表示
これらの写真は自転車のマークを意識して撮ったのではありません。ウィーンの街の風景を撮った写真の中から探し出して切り取ったものです。
上の写真は車の進入禁止の標識の下の自転車のマークです。言葉の意味が判りませんが自転車は進入してもいいのかもしれません。写真をクリックすると切り取る前のオリジナルの写真を表示するので見て考えてみてください。 ヒントは地面の矢印です。

このビックリマークはなんでしょう。「歩道の上を走る自転車に注意しましょう。」でしょうか。こちらの写真もクリックするとオリジナルを表示します。
クリックするとオリジナルの写真を表示

これは判ります。自転車の駐輪場所です。町のあらゆるところに駐輪場所が設置されていました。
クリックするとオリジナルの写真を表示

この横断歩道は人も自転車も通れるという標識でしょうね。こちらの写真もクリックするとオリジナルを表示します。この写真は是非ともクリックしてみてください。地面に3つ、標識で3つと計6つの自転車のマークを見つけることができると思います。
クリックするとオリジナルの写真を表示

ウィーン駅の前です。自転車のマークが4つ写っていました。クリックしてオリジナルの写真を表示させると5つの自転車のクークを見ることができます。
クリックするとオリジナル写真を表示

こちらもクリックするとオリジナルの写真を表示しますが、簡単にはわからないかもしれません。挑戦してみてください。
クリックするとオリジナル写真を表示

こちらの写真だけは自転車のマークを意識して撮りました。街の中を意識して自転車のマークを探すと、もっともっと不思議な表示があるでしょうね。


何でもOKではありません。自転車通行止めの標識もありました。場所はシェーンブルン宮殿の入口でした。
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インドの土産は紅茶と香辛料 [インド]



インドと言えばTeaですね。今回、購入したのが、これです。Mango Tea と Darjeeling Tea と Sikkim Tea を買いました。LICHEEと書かれているのは、おまけのTeaです。

この中でSikkim Teaが気になります。お店のお薦めの紅茶でした。 
Sikkim Teaを飲んでみたので写真を記載しました。Darjeeling Teaのようにあっさり系の紅茶でした。

 
Sikkim Teaの茶葉はこんな感じでした。
意外な色合いでした。


Mango Teaの正方形のパッケージは結構入っていました。瓶に入れ替えると、瓶いっぱいになりました。


そしてインドの土産で有名なのが香辛料のカリー (カレー)とマサラ です。購入したのは次の6種類です。
「Hot Curry」「Mild Curry」「Garam Masala」「Tea Masala」「Chaat Masala」「Tandoori Masala」
小さな瓶の6種類はお試しセットのようになっており「Hot Curry」と「Mild Curry」は大きな瓶でも買いました。


料理方法を日本語で書いたパンフレットがもらえました。上が表紙ですが中に香辛料の説明と料理り仕方が書かれていました。


お店の名前はMittal Storesで、日本人の間で人気のお店です。 このときも日本の人がこられていました。

ネットで調べると出てきました。→ポチッ


店内は狭いけれど沢山の商品が並べられていました。


ぎんらん(銀蘭)を見つけることが出来ました。 [植物]


金蘭(キンラン)を探しに近くの雑木林に行きました。そこで沢山のギンラン(銀蘭)の花を見つけることが出来ました。前日に以前にギンランを見つけた場所に行きましたが、見つけることが出来なかったので、沢山生えていたので驚きました。

花の部分部分を拡大いたしました。


こちらでは7本のギンラン(銀蘭)を見つけました。キンラン(金蘭)は雑木林全体で見ることが出来ましたが7本のギンランすべて数m以内に生えていました。残りの6本のギンランを紹介いたします。花が一つの幼い株もありました。
この日と前日の2日間で3ケ所の雑木林を探しました。キンラン(金蘭)は45本見つけることが出来ましたがギンラン(銀蘭)は7本だけでした。数mのこの場所を見つけることが出来なければ銀蘭の発見は0(ゼロ)本でした。やはりキンランに比べると少ないです。





2010月5月13日掲載 タイトル:銀蘭の花を紹介いたします。
が表示された写真はクリックすると拡大します。

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キンラン(金蘭)の花を紹介したのでギンラン(銀蘭)の花も紹介いたします。近くの雑木林には金蘭が沢山咲いています。一方、銀蘭は非常に少なく稀にしか見つけることが出来ません。それも一輪だけのものばかりでしたが、幸い沢山の花を付けた銀蘭(ぎんらん)を見つけました。これがギンランです。

花を拡大しました。すばらしい純白の花でした。
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この写真のように、この辺りでは上のような多輪は珍しく1~4輪程度なので感激でした。


レイリーさんキンラン・ギンランにTBしています。

「ちごゆり」が咲きました。 [植物]

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春になってきました。家の庭にも稚児百合が咲きました。ゆり科の小さな花です。
学名は Disporum smilacinumです。
同じ百合でも大きさが違いますね。

有名な図鑑の説明文です。
IMG_3605回転-480.jpg
参照文献 : 牧野新日本植物図鑑




タグ: 野草 ゆり科

戦国時代の城 先崎城 [千葉]


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先日、千葉県佐倉市小竹地区の小竹城と、その城を築城した小竹五郎高胤の墓を紹介いたしました。→ポチッ
小竹城があった戦国時代に隣の先崎地区も先崎城がありました。城があった周りで先崎城という表示を探した結果、上の写真のように「先崎城主 墓石」の標柱(墓守記念碑)を見つけました。

臼井城のあった東の方向から先崎城の方向を撮った写真です。赤い矢印のところに先崎城がありました。高台から平地に睨みを利かす形でお城があったことが判ると思います。今から400年前の戦国時代はどのような景色だったのでしょうね。
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先崎城があったあたりを拡大いたしました。写真の中央の高台に主郭があったものと思われます。


震災のあと、このあたりも、新しい家が増えましたが、昔からの家もたくさん残っています。タイムスリップした気分にさせてくれる場所です。



航空写真で先崎城を紹介します。青いマークのところが先崎城です。現在の先崎城のある場所の住所は千葉県佐倉市先崎1567番~1580番です。先崎の明確な経緯はネットでは記載されていないので千葉県や印旛郡や佐倉市の沿革から想定される経緯は次の通りです。
 江戸時代~          下総国印旛郡先崎村    佐倉藩管轄
 1871年07月14日(明治04年) 佐倉県印旛郡先崎村    廃藩置県
 1871年11月14日(明治04年) 印旛県印旛郡先崎村 
 1873年06月15日(明治06年) 千葉県印旛郡先崎村      
 1889年04月01日(明治22年) 千葉県印旛郡志津村先崎  1町7村が合併 
 1954年03月31日(昭和29年) 千葉県佐倉市先崎     佐倉市が設立       

より大きな地図で 先崎城 を表示
城があった高台の崖下に小さなお堂があります。これが先崎地蔵尊で、お堂の中に高さは90cmの丸彫りで一心に合掌する坐像の石仏が奉られています。
クリックすると拡大右の説明書きには次のように書かれていました。
先崎地蔵尊
 願主 友野河内
 一.慶安三年二月二十四日創建
 二.地蔵信仰と庚申信仰が習合の文化
 三.座像の地蔵尊は珍しい
    佐倉市文化財審議委員会談
慶安三年は1650年です。
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お堂の格子の間から地蔵尊を見ることが出来きました。右側のお地蔵さんは明治四十二年一月に友野富三郎さんによって収められたものです。お地蔵さんは「子供の守り神」のためか、左側に子供の人形も収められていました。


地蔵尊の左側に冒頭の写真で紹介の先崎城主の墓石がありました。墓石の右側には先崎城主墓石と書かれた標柱があり、標柱の裏には「慶安三年ニ月建立 (1650年)」と書かれていました。時代背景はよくわかりませんが1650年は江戸時代に入って47年目の年です。そして今から363年前です。
墓石に掘られている年代をは右から次の通りです。真ん中の墓石には桂岳道照と書かれています。この墓石は宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる形式だそうです。
 慶安三年四月四日   1650年
 慶安三年六月      1650年
 寛文二年八月十八日  1662年
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上で紹介の年代はそれぞれの台座に掘られており写真をクリックすると読み取れます。下の方は読み取れませんが戒名と思われる「楓早紅禅定門 」「禅定尼・ 」「禅定門霓・ 」の文字も見れます。
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上で紹介の墓石以外にも沢山の墓石がありました。明治三年四月廿二日に友野幸太郎さんが再建した石碑(墓石)などもありました。小竹城の場合は小竹五郎高胤が築城したものですが、先崎は人の名字ではなく印旛沼の中の岬(先崎)に由来する地名です。ネットで調べても築城者の当時の氏名は判りませんが、先崎地区で沢山ある名字の友野氏の祖先にあたるものと思われます。
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同じ場所に沢山の庚申塔もたてられていました。


さらに別の石碑も建てられていました。
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ネットで先崎城を検索した結果、歴史的背景の記載されたものはほとんどありませんでしたが謙信、下総臼井城攻めの章 関東騒乱(七)内で永禄8年(1565年)に臼井城を上杉謙信が攻めて敗退した時の記述に先崎城の名前があったので転記しました。戦国時代の厳しさが伝わってきます。少なくとも1565年以前に先崎城が存在したことになります。
剛勇の武士。その働きは北條家の赤鬼とまで異名されたと関八州古戦録にある。 此方から援軍に駆けつけるはずの大和田砦から、反対に松田孫太郎が援軍に来たのであれば、小田原からの援軍も期待できるとの思いを持った上野介胤貞、松田の援軍を臼井城に案内すると直ぐに自兵をその主要な支城である小竹城、先崎城、志津城、師戸城、岩戸城を固め、臼井城周辺に置かれた洲崎、仲台、宿内、手繰、稲荷台の各砦に人数を詰める事にした。...
謙信は先陣である長尾顕長、富岡重朝の手勢を印旛沼の北側に送り込み、岩戸城、師戸城を取り囲ませると、中備えの本庄繁長、北条丹後守、新発田治長の手勢を印旛沼南岸の西北方面から、先崎城に向かわせ、他国衆の本庄秀綱、三上兵庫介正秋、石毛平馬持之、森下三河守の手勢には臼井城南西にある志津城を囲ませている。...
印旛沼対岸でも先崎城から崩された原上野介の兵が仲台砦にばらばらと逃げ帰っており、志津城からも同様に越後兵に追われた城兵が手繰砦に逃げ込んでいた。 謙信本陣もこれを見て陣を動かし、目の前の小竹城に寄せると、これも三月十日までには総崩れとなって手繰砦へと入って行った。...

高台の淵は絶壁になっています。こちらが東側です。写真をクリックすると東方向の景色を表示します。
クリックすると東方向の景色

こちらが南側の絶壁です。写真をクリックすると崖下の景色を表示します。
クリックすると崖下の景色

絶壁の淵は土塁のように盛り上げられていました。写真の右側が絶壁です。当時の地形が残っているものと思われます。写真をクリックすると内側を表示します。
クリックすると内側を表示

高台から奥に入ったところにも古い墓石のような石碑がありました。左の墓石には寛文九年五月(1669年)先崎村と書かれておりました。形式は五輪塔(ごりんとう)で高野山の墓石でよく見かけました。右の石碑には享保十年十月四日(1725年)先崎村と書かれていました。
クリックすると拡大クリックすると拡大

古い墓石あるいは石碑がさらにありました。年代は宝永四年(1707年)、寛政六年(1794年)、天明六年(1786年)が読み取れました。


先崎城のそばには鷲神社があります。鷲神社の開創は承平七年七月七日(937年)とのことなので先崎城が出来る以前からあったものと思われます。ただし建物は応永年間(1394~1428年)に火災により被害を受けたことから1844年に再建されたものだそうです。石の鳥居は寛文十三年(1673年)に建立された当時のままだそうです。


先崎城、先崎城主墓石、地蔵尊、丘の上の墓石、鷲神社の位置関係です。
クリックすると広範囲の地図を表示

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白鷺軍団 [動物]

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今の時期は田んぼでシラサギをよく見かけます。近づくとすぐに飛んで離れた場所に行ってしまうので警戒されないように、先週は散歩の時に800mmのレンズを持って出かけてみました。簡単には近づかせてくれません、これが精一杯の距離です。

遠くから撮るといろんな姿を見せてくれます。警戒されると3枚目の写真のように、少し後ろ向きになります。さらに近づこうとすると4枚目のように飛んで逃げてしまいます。家から歩いて15分くらいの場所です。写真はクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

ここから下の写真は以前のものです。印旛沼の畔の田んぼにも沢山のシラサギがいます。写真をクリックすると広範囲を表示するように設定しているので、もっと沢山のシラサギを見ることが出来ます。数えてみると29羽でした。
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自転車を買ってから4回目くらいの時に撮ったものです。いつも早朝に走っており2時間程度ですが、この日は3時間程度(6時15分~9時30分)といろいろと写真をとりながら走りました。白鷺は田んぼで数匹程度は良くみますが、これだけの集団は初めてだってので白鷺軍団をバックに自転車を撮らせてもらいました。
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別の角度からの写真です。遠くの白い点々がシラサギです。白鷺(しらさぎ)とは、コウノトリ目サギ科のうちほぼ全身が白いサギ類の総称で、日本ではダイサギチュウサギコサギカラシラサギを指し、シラサギと言う正式名の鳥はないそうです。


以前にサンカノゴイ(山家五位)撮影隊と言うタイトルでサンカノゴイの撮影を紹介した場所には相変わらず写真を撮りにこられておられました。丁度、このときにサンカノゴイが頭上を飛んできてカメラの前に降りました。このカメラの方は連写で撮られて、「こんなにいい写真をとる機会は今までなかった。」と言われて大満足の様子でした。写真をクリックすると以前の記事を表示します。
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私はポシェットから急いでカメラを取り出しましたが、すでに着地して葦の茂みの中で写真を撮ることは出来ませんでしたが、目の前で、あのサンカノゴイを見ることが出来たのは、この日の最大の成果でした。この葦の茂みの中に巣があるために、皆さんがこの場所に来られていることもわかりました。目の前をゆっくりと旋回しながら30m先に降りたので、写真を撮ることが出来た人が「いい写真が撮れた」と言われたのはわかる気がしました。


6月12日から6月14日の3日間にラベンダー祭りが行われた場所にもよってみました。「グロッソ(grosso)」と言う品種が6月下旬~7月上旬が見ごろと書かれていたのを思い出したためです。クリックすると拡大します。
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6月中旬には満開だった「濃紫早咲(nousi-hayazaki)」や「おかむらさき(okamurasaki)」の花は全て刈り取られていたためにラベンダー畑自体の迫力はなくなっていましたが、きれいな紫色の花が咲き誇っていました。
こちらもクリックすると拡大します。蜂やモンシロチョウが沢山きていました。このグロッソの写真は是非ともクリックしてみてください。
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カルガモの親子 [動物]

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泊まっていた東京ドームホテルの側にある日本庭園の小石川後楽園に行って見ました。そこでカルガモさんを見つけました。足元まで寄って来るほど人間になれているのに驚きました。あれから一週間経っているので子ガモさんは、もう少し大きくなっているでしょうね。今回は写真をクリックすると全て拡大するので見てください。

こちらはお父さんかな? 日本庭園に溶け込んでいました。
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最初は置物かなと思うほど身動きしませんでしたが、じっくり見て本物であることがわかりました。ネットでカルガモを調べてみました。
体長は 60cm 前後であり、日本産のカモ類の中では大型。全身は茶褐色で尾に近づくほど濃い茶色になる傾向がある。野外での雌雄の識別は容易でないが、山階鳥類研究所等によれば、雄は下尾筒上部(腹の先端で尾の下近く)が黒く、雌では黒い羽毛に白斑が混ざり薄く見えることで判別できる。
東アジアに広く分布し、本州以南では、平野部から山地にかけての水辺に広く分布する留鳥だが、北海道では夏鳥(一部冬季も残留するものもいる)である。市街地でも普通に観察されるそうです。北方の亜種(学名:A. p. zonorhyncha, 英名:Chinese Spotbill)は渡りをし、冬季には東南アジアで越冬するそうです。
  目 : カモ目 Anseriformes
  科 : カモ科 Anatidae
  属 : Anas
  種 : カルガモ Anas poecilorhyncha
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コンク貝レストラン [バハマ]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

バハマの食べ物で一番有名なのがコンク貝(法螺貝)です。写真のレストランは料理の名前が、そのままお店の名前になっていました。名前は、ずばりCONCH FRITTERSです。 コンク貝料理の専門店と言うところです。このお店がホテルの真前にあったので、前日も迷わずこのお店に入っていたらコンク貝料理が食べれたのです。ここには翌日の昼食に入りました。したがって頼んだのはスープとグリルでした。バハマに着いて初めてコンク貝料理にありつけました。

コンク貝のスープです。名前はConch Chowder US$6.95 です。コンク貝が沢山入ったおいしいスープでした。


コンク貝の料理です。 今回はGrilled Conch US$18.95です。写真をクリックすると拡大写真を表示します。コンク貝は色が違う二種類の肉がタップリ入っており、一皿だけで二人で食べるのに十分な量がありました。やっぱり貝料理はおいしいですね。あとはコンク貝の刺身を食べれば満足ですが、残念ながら、このお店は刺身はやっていませんでした。
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そしてバハマのビールです。瓶のままラッパ飲みするのがバハマ流(アメリカ流)です。
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お店のメニューです。黄色の枠で囲ったのが食べた料理です。ちなみにお店の名前になっているConch FrittersはUS$7.5です。
そのほかの法螺貝料理をメニューから探すとConch Salad、Crack Conch Basket、Scorched Conch、Conch Burger、Crack Conchが見つかりました。
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レストランの場所です。
  店名 Conch Fritters Bar & Grill
  住所 Marlborough St. , Nassau City, New Providence, Bahamas
  電話 +1 242-323-8778
  営業 7:00~23:00
  Web HP  Facebook

より大きな地図で Conch Fritters Bar & Grill を表示

2013年 京成バラ園 [京成バラ園]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

今年、2013年初めてバラ園に行ってきました。
京成バラ園のローズガーデンに来るのも2年ぶりです。家のバラの咲き具合から少し早いけれどもきれいな花が見れる時期だと思い来てみました。

先ずはバラ園の全景を紹介いたします。一枚の写真では紹介しきれないので3枚の写真で紹介いたします。バラ園の入口に近い南側から撮った写真で、上から左側(西側)、中央(北側)、右側(東側)です。是非とも写真をクリックして拡大写真を見てください。
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上の3枚の写真をつないでみました。繋ぎ目が判ってしまいますが雰囲気は感じてもらえると思います。
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今までにも京成バラ園は何度も紹介しているので今回はバラのアーチなどを中心に紹介したいと思います。上の3枚の写真の一番上に沢山のアーチが写っているのがわかってもらえると思います。先ずはこの辺りから紹介いたします。
オレンジ色のバラのアーチです。
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オレンジのバラのアーチの内側から見えた黄色と赤のバラのアーチです。
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赤と白のバラのアーチです。これからさらに枝が伸びて立派になっていくのだと思います。
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濃いピンク系の花のアーチも見事でした。上のアーチのトンネルを通して見えていたアーチです。花が見ごろに近づいていました。
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上の濃いピンク系の花のアーチを横から見ました。奥行のあるアーチでした。
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小さなアーチにはピンクの花が満開でした。
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ほんとうに、沢山のアーチがありました。
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アーチと言うよりはトンネルです。
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上のトンネルの内側です。内側には花はありませんがすが、すがしい雰囲気を感じることが出来ます。
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これの呼び方はわかりませんが見事でした。
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バラ園の中央あたりにある大アーチです。
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温室脇のアーチ仕立てとトンネル仕立てです。
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ポール仕立てのバラです。遠くに沢山のアーチがあります。京成バラ園には1331種類(2013年5月時点)の7000株以上のバラが植えられています。1331種類の区分は下記の通りです。詳細の栽培品種はこちらです。→ポチッ
 区  分種類 区  分種類
オールド323ハイブリッドティー174
イングリッシュ140フロリバンダ108
野生種70ランドスケープ59
アンティークタッチ53クライミングローズ33
ミニアチュア29バビロン3
その他339合計1331
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黄色のバラの地面に生えたバラトポールを組み合わせた仕立物です。こちらも見事でした。ここで紹介のアーチ仕立てやポール仕立て以外にも沢山の仕立物がありました。特に仕立物は花の数が増えるこれからが見ごろになっていくと思います。
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今までに沢山の京成バラ園のバラの花を紹介してきました。今回は「おしべ」にこだわってみました。バラは花びらが何重にもなっていて「おしべ」や「めしべ」が見えない品種が多いので、今回は「おしべ」のきれいなバラを紹介することにしたのです。
最初に紹介するのが「ピンク サクリーナ」です。色鮮やかな「おしべ」が特徴のバラでした。「サクリーナ」には、「桜のようなバラ」という意味が込められています。フランスのメイアン社が、日本の桜の美しさに敬意を込めて日本で「ピンク・サクリーナ」として発表したそうです。オリジナルの本名は「アストロノミーア」だそうです。
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その「おしべ」のあたりを拡大してみました。


これは「かれん」という品種です。名前の通り可憐なバラでした。
手で描いたような独特の花色で、この種のバラは総称して「ハンドペインティッド」と呼ばれるそうです。京成バラ園で1995年につくられたそうです。
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こちらも拡大写真を紹介します。


こちらは「さらさ」です。京成バラ園で2009年につくられ花名の「さらさ」は、優しい春風の音をイメージして名付けられたそうです。
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よく見ると「おしべ」も「めしべ」もはなにより特徴があります。


少し横からの角度の写真も紹介いたします。こちらのバラには「かざぐるま」という名がつけられています。確かにカザグルマに似ています。1999年にJRC銀賞を受賞した京成バラ園で作られた薔薇です。
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拡大写真も横からの写真にいたしました。


こちらは「花霞(はながすみ)」です。こちらの「おしべ」も見事です。
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こちらの「おしべ」も見事でした。


こちらは「サラバンド」と呼ばれるバラです。名前は舞踏曲から来ているそうです。1957年のフランスのバラです。
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真っ赤な花弁に囲まれた一つの世界です。


偶然にも写真を撮っているバラにミツバチが来ました。
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ディズニーランド・ローズ [京成バラ園]



京成バラ園はすでにいくつかの記事で紹介させていただきました。楽しいことに、このバラ園の中にはディズニーランド・ローズのコーナーがありオレンジ色のディズニーランド・ローズと言う名前のバラが沢山咲いていました。バラ園の一番正面にありながら見逃している人もいるかも知れないため、今回、紹介いたします。ミッキーとミニーのお人形が側に立てられていたと思われますがミッキーは壊れて今はありませんでした。

これがディズニーランド・ローズです。2003年にアメリカのジャクソン&パーキンス社(J&P社)によって作られたバラだそうです。カリフォルニア州にあるディズニーランドパーク内のTown Square(タウン・スクウェア)とDisneyland Hotel(ディズニーランドホテル)に植えられ、華やかな色彩の花をあふれるように咲かせているそうです。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
 花色  :オレンジ~ピンク
 花形  :半剣弁咲き
 花弁数 :40~45枚
 花径  :8cm
 開花期 :四季咲き性(春~秋)
 樹高  :1.0~1.2m
 樹形  :横張り性
 芳香  :微香
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今回のバラ園訪問では横から見たバラ群生したバラを紹介いたしましたが、バラの花を正面から撮った写真は、まだ紹介していなかったので、気に入った何枚かを紹介いたします。これは華やかなフリルのような花でした。
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フリルのような花の中で一番気に入ったのがこちらのバラです。
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こちらは「テラコッタ」という名のツル性のバラです。テラコッタ (terra cotta) とはイタリア語の「焼いた (cotta) 土 (terra)」に由来する言葉だそうですが、バラの名前に使われたのは赤いレンガ色のためなのでしょうか。
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こちらもツル性のバラでした。名前はフラン ピエール ドゥ ロンサールで開ききる前の花です。
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不思議なピンク色の花がきれいに咲いていました。
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前回の正面からの紹介の写真はかわった色合いのバラを紹介したので
今回は赤からピンク系の花を紹介させてもらいました。これも濃いピンク系のバラでした。赤系と言ってもいいかも入れません。
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もう一つピンク系のバラを紹介いたします。名前は「フローレンステラッター」と書かれていました。このバラの写真を撮られている人は多かったです。花数はさほど多くなかったので、おそらく花の形と色が目立っていたのではないでしょうか。
So-net内だけで京成バラ園のことを記載している記事がどのくらいあるのか検索して見ました。2011年5月29日時点の1ケ月以内で638件もありました。→ ポチッ
一週間以内はこちら→ ポチッ 24時間以内はこちら→ ポチッ
他のブログも入れた全体でどれだけなのでしょうね。すごい人気であることがわかりました。
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圧倒される花の数でした。 [京成バラ園]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

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京成バラ園は京成電鉄が経営していた谷津遊園のバラ園に使うバラの栽培・育種を目的で1959年3月にこの地に作られたのが始まりだそうです。 私が京成バラ園を知った時は今と違い、販売のためのガーデンセンターの付属したバラ園があったことを記憶しています。大規模なリニューアルが行われたのは1999年です。古い歴史があるだけにバラの株も大きいのがこちらのバラ園の特徴のように思えます。
どのバラも人の背丈近くあり圧倒される花をつけていました。今回の記事では撮った写真の中から圧倒される花数の薔薇を紹介いたします。
クリックすると拡大上の薔薇の花の数にも驚かされました。どのように育てたら、こんなに花が付くのだろうと思ってしまうのは私だけでしょうか。右のように上の写真の幅の4倍くらいに、このバラが広がっている光景は圧巻でした。右の写真もクリックすると拡大します。是非、見てください。

黄色いバラも満開でした。こちらもかなりの花数でした。
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薄紫色のバラも沢山の花がつくとすばらしかったです。
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上の写真と同じ薔薇です。角度が変わると雰囲気も変わります。
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アーチに咲いているバラの花にも圧倒されました。
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おじいちゃんに記念写真を撮ってもらっているようですが、特に子供の背丈だと大きな薔薇に思えるでしょう。いい思い出の写真になると思います。思い出しました。小学生未満は無料で65才以上はシニア料金なので、お孫さんと来るのはゴールデンコンビでした。
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こちらのバラ園では写真を撮る目的でこられている方も大変多かったです。特に大形カメラと三脚は目にひきました。この写真の中でも3名の方が写真を撮られています。
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こちらでも2名の方が撮られていました。スペシャルローズウィークである5月20日(金)~6月5日(日)のの真ん中である5月28日、29日が、この景観が見れるチャンスだと思います。6月6日から料金は安くなりますが遅咲きもあるのでスペシャルローズウィークを外してみるのもいいかもしれません。
また6時から開園しているのは5月21日(土)・22日(日)・28日(土)・29日(日)・6月4日(土)・5日(日)だそうです。
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少し高い場所から撮ったこの写真ではバラ園を象徴する光景だと思います。観賞されている方々もまたバラ園の一つの景観になっているような気がします。
バラの株が大きいためバラと同じ高さから見るとバラの向こう側の人を見ないので高いところから見ると出会える景色です。
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もう一つ大好きなのが車椅子で園内を観賞されている方の光景です。園内は広いので普段は車椅子を使わない母でしたが昨年、関西から5月に一人で私の家に遊びに来た時に、ここのバラ園にきましたが車椅子を借りました。歩くペースも気にせず疲れることもなく見学できるのでお薦めします。


So-net内だけで京成バラ園のことを記載している記事がどのくらいあるのか検索して見ました。2011年5月29日時点の1ケ月以内で638件もありました。→ ポチッ
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水平目線で見た薔薇たち [京成バラ園]


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満開状態の京成バラ園を訪れたことは、すでに報告いたしました。ここではバラの花を紹介いたしますが、以前に京成バラ園はバラの花を紹介したときは花の正面からの写真を多く掲載いたしました。そこで今回は水平目線で花を撮った写真を紹介いたします。バラ園の入口付近からバラ園全体が見える方向に撮った写真です。今回掲載したバラの写真はクリックするので是非とも拡大したした写真を見てください。

きれいな大輪の白いバラが咲いていました。どの薔薇も魅力的ですが皆さん、この記事の中で紹介する9種類の薔薇の中で一番はどの薔薇でしょうか。
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小ぶりの赤いバラです。バックのバラ園の景色が趣があります。ここから赤いバラを三つ掲載いたします。
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赤い色の大輪の花です。花びらの根元の方が少し白いのが特徴のようです。
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こちらの赤いバラの花びらの根元は黄色いタイプです。色合いが気に入りました。
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背の低い白いバラですが沢山の花がが付いていました。奥の真っ赤なバラとのコラボレーション(組み合わせ)が本当にきれいでした。
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黄色いバラもさばらしいものが沢山ありました。沢山の花が付いていましたが、一番高いところに咲いている花を撮りました。
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ピンクの花びらの多いバラです。
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薄い黄色の花びらの先がビンクのバラで、優雅な雰囲気のバラでした。バックのアーチの背景が引き立ててくれているような気がします。今回はバックの背景を意識して撮った水平目線の写真を掲載させていただきました。
今回は9種類だけの紹介ですが。さすが1000種7000株のバラ園です。それも1株1株が大きいので花の数が凄かったです。まだまだ魅力的なバラが沢山ありました。
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先着800名様 [京成バラ園]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

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京成バラ園に行ってきました。これから掲載するために写真を整理するので2011年5月22日(日曜日)に京成バラ園に行っときの写真を再掲載させていただきます。
家のバラの咲き具合から、最も見ごろになっているのではないかと思い来てみました。
上の写真をクリックするとわかってもらえると思いますが、予想通りバラ園の中は沢山の薔薇が満開状態でした。今年の開花状態では一番いい日だったかもしれません。バラ園のお花に関しては写真の整理が出来たら明日以降に掲載いたします。

入口に書いてある開花情報にも「見ごろ」と書かれていました。通常の営業は10時からですが、電話して確認すると早朝の6時からやっているとのことだったので8時10分にこちらに来てチケットを買いました。早く来ると後で紹介しますが少しいいことがありました。


入園料は一番高い時期で1200円でした。大人料金を紹介しておきます。小学生未満は無料です。今年のスペシャルローズウィークは5月20日~6月5日ですが年によって違うので微妙な時期は確認されることをお薦めします。再入園をしたい場合には一旦出るとき、手の甲にスタンプを押してもらいます。再入園の時は特殊な光を当てて確認します。
 1000円 5月20日~6月5日 平日    1日フリーパス(再入園可)
 1200円 5月20日~6月5日 土曜日曜 1日フリーパス(再入園可)
  300円 1~4月、7~9月、12月 (再入園不可)
  800円 その他 (再入園不可)
クリックすると拡大チケットにはローズショップとガーデンセンターのクーポンが付いていました。3500円の鉢バラが300円と書かれていたので3500円以上のものは300円引きだと思い、帰りに4000円の鉢バラを買いましたが、残念ながら3500円の鉢バラのみが対象でした。にこまんまさんの質問に答えて右の写真を掲載いたしました。右の写真が購入した鉢バラのレオナルド・ダ・ビンチです。クリックすると拡大します。


でも、がっかりすることもあれば良いこともありました。チケット売り場の横に行列が出来ているので聞くとミニバラをプレゼントしてくれているのでした。さっそく並びました。


プレゼントしているところの張り紙を見ると、なんと先着800名にバラをプレゼントしてくれていたのでした。いろんな種類のバラが置いてあるので皆さん悩んでおられました。
ネットで調べてみるとスペシャルローズウィーク(5月20日~6月5日)の17日間はミニバラのプレゼントは続けられるそうです。
平日は先着200名(計2200鉢)で土日は先着800名(計4800鉢)なので総数が7000鉢になります。ほんと驚きです。
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これがもらったバラです。2名だったので、このバラと別の種類の2種類を進められましたが、同じ種類にしてもらいました。買うと入場料くらいはしそうなほど立派なものでした。さっそく家に帰って地植えしました。バラの名前は「コーヒーオベーション」でした。クリックすると読み取れると思います。品種登録弟12656号(ルイコフ)と書かれていました。ネットで調べると少し大きい6号ポットで1869円で売られていました。
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この写真の時間である10時ごろになると数箇所ある駐車場はどこも満車で行列が出来てしまいます。その行列のために前の道路は渋滞にもなってしまいますが、私の来たころには一番近い駐車場に待つことなく入れることが出来ました。これも早く来たおかげでした。

ものすごく昔の神戸まつり [思いで]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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今年の「神戸まつり」は2018年5月20日に開催されます。第48回神戸まつりです。そこで、ものすごく昔の神戸まつりの写真を投稿させてもらいます。
ここで掲載の写真はすべて昔の写真です。写真を撮った時の記憶から、1974年の「第4回 神戸まつり」か、あるいは1975年の「第5回 神戸まつり」だと考えています。写真の中の文字を探して読み取ってみます。古い写真なので解像度があまりよくないのは勘弁してください。でも道路の上の花吹雪で活気がわかってもらえるかもしれません。

サンテレビのテレビカメラも見受けられます。
カメラマンが沢山集まっています。理由は?
サンバ ?
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この神戸祭りの回次がわかる文字が見つかりました。テレビカメラが乗った台の垂れ幕の一番上に「第5回」の横書きの文字が読み取れました。
判りにくいけれども「第4回」か「第5回」のどちらかなので、じっくりと見た結果、間違いなく「第5回」でした。つまり今から43年前の1975年の「第5回 神戸まつり」でした。
垂れ幕に第5回 サンテレビ協賛番組 神戸まつり大パレード 実況中継 SUN TVと書かれていました。写真の解像度がよくない上に、垂れ幕が風でたなびいて字が読みにくかったけれどなんとか読み取りました。
第1回神戸まつりは1971年に開催されました。ただし神戸まつりの前身となるイベントは、戦前の1933年から開催されていた「みなとの祭」や1967年の「神戸港開港100周年記念祭」、並びにその前夜祭の「神戸カーニバル」です。神戸市の姉妹都市からの来賓を招待した式典や市街地でのパレード、みなとの女王のお披露目、神戸市電(路面電車)を使った花電車就航などがありました。交通事情の問題などから1971年に2つのイベントが統合されたのが現在の「神戸まつり」です。
1995年の阪神・淡路大震災の影響で、同年の第25回開催は中止となりましたが大会の回次はそのまま残したそうです。そのおかげで、知りたい年から1970を引くと大会の回次になります。つまり今年であれば2018-1970=48回になります。震災の年の第25回は完全に空席となったのではなく第25回の代替に元町商店街や南京町において、当初の予定とほぼ同時期となる5月20日と21日に「神戸五月まつり」が行われ、これを1995年の神戸まつりとみなすこともあるそうです。
カーニバル方式はこの時代、日本ではめずらしかったと思います。
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ボーイスカウトの人たちがパレードしているところです。写真をクリックしてもらうとわかると思いますが、すごい人ですね。今の神戸まつりと比べてどうでしょうか。小さいときに広島から神戸市東灘区に引越してきて物心つく頃を神戸で過ごしたので、自称ですが神戸子だったわけです。
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徳島の阿波踊りも参加です。
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この時代はサンテレビ(SUN-TV)が神戸まつりを支援していたようです。これはサンテレビのパレードです。サンテレビ、正式名は株式会社サンテレビジョンは1968年3月8日に設立され1968年5月1日に開局した兵庫県を放送対象地域とする独立テレビ局で、神戸新聞社の連結子会社です。
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昔ながらのお祭りスタイルのパレードもありました。パレード出発を待っているところです。写真をクリックするとわかると思いますが、ナイトクラブ「紅馬車」の人たちです。
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子供たちも参加した楽しいイベントでした。
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国際都市神戸らしく国際色豊かなお祭りでもありました。
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これはUCCからの参加です。
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航空会社も参加していました。
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神戸は韓国の方も多いのでパレードにも参加されていました。
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下の写真はフリー百科事典のウィキペディア(Wikipedia)から拝借した現在の神戸まつりの写真です。2013年の神戸まつりのホームページの画面も紹介いたします。現在のメインフェスティバルは「おまつりパレード」を中心にマーケットイベントやステージイベントなどが各所で繰り広げられます。なかでも京町筋で行われる「サンバストリート」では神戸サンバチーム等のサンバダンサーの華やかなコスチュームを目当てにカメラを持った多くの観客で賑わいます。
おまつりパレードのコースは三宮の東遊園地を起点にフラワーロード・三宮中央通りを経て元町の神戸大丸前が終点となっています。またパレードコースであるフラワーロードの中央分離帯はパレード当日に撤去できるよう可動式となっているそうです。そしてメインフェスティバルの前日には各区でも下記のようなお祭りが行われます。
  区   まつり名称      開催場所
 東灘区 東灘うはらまつり    住吉公園
 灘区  六甲ファミリーまつり  王子競技場前広場
 中央区 ふれあい中央カーニバル 東遊園地
 兵庫区 はっぴいひろば     湊川公園(鉄人広場)
 長田区 長田フェスティバル   新長田駅前広場
 須磨区 須磨音楽の森      須磨離宮公園
 垂水区 たるみっこまつり    マリンピア神戸
 西区  みどりと太陽のまつり  西神中央駅プレンティ広場
 北区  きたきたまつり     毎年異なる。2018年は鈴蘭公園
                 2013年はフルーツフラワーパーク
 現在の画像はこちら→Yahoo Google 24時間以内 2013年5月18日~今日 
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村上隆 展 「めめめのくらげ」の世界 [東京]


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六本木ヒルズ森タワーの52階で行なわれていたミュシャ展に行った帰りにエレベーターで出口の3階に降りると目の前の床に矢印が書かれていました。一瞬、で口の方向かなと思いましたが、矢印はART+DESIGN STOREのためのもので、そのお店の中に村上隆展をやっていたA/D GALLERYがありました。

そのA/D GALLERYで村上隆展「めめめのくらげ」が行われていました。
村上 隆(むらかみ たかし)はアニメ・フィギュアで有名な日本の現代美術家、ポップアーティストです。ちょっと覗いてみました。こちらの展示会もミュシャ展と同じく明日2013年5月19日で終了です。


写真撮影OKなのがうれしいです。入口から見た空間です。250cmの等身大のぬいぐるみのような生き物が「るくそー」です。
タイトルの「めめくらくらげ」は映画の題名です。予告編はこちらです。→ポチッ
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ミュシャ展を見た後にはホッとする空間でもありました。真ん中に居るのは「オーバル」です。体長は40mだそうです。
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奥から入口の方向を撮ったものです。「オーバル」の後ろ姿が印象的です。
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「ふれんど」達のフィギュアも沢山並んでいました。クリックしてじっくり見て下のどの「ふれんど」か想像してみてください。
くらげ坊、うっきー、ユピ、KO2、シーラン、ジョニー、ティラノちゃん、ハヤオ、メガロッコ、カラカッサン、しもん、えびすけ、ランプ、モモイ、ビッグアーム、シンゴー君、オニガワラン、ジョウロくん、くるくるるん、のふきんくん、ポニョンポニョン、カゲロウくん、フラフラ、ジェラチンポン、ゆーゆーれん、イガイガリン、新白銀
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入口の右側にあったのがハッピーレインボーです。こちらではミュシャのカタログも売られていました。ミュシャ展の売店は超満員なのでカタログだけなら、こちらがお薦めです。52階のミュシャ展の外でもカタログとポストカードが手に入りますがオフィシャルカタログ2000円以外にいろんなカタログが置かれていたのはビル内では、ここだけだったと思います。さらにミュシャのポスターも売られていました。128万円が2種類と4枚組で480万円のものがありましたが、さすがに手が出ませんでした。


さっそくハッピーレインボーのグッズを買ってきました。

ミュシャ展に行ってきました。 [東京]



六本木ヒルズで2013年3月9日からおこなわれていたミュシャ展(Mucha展)も5月19日で終了するとのことから、急遽ミュシャ展に行ってみることにいたしました。そのきっかけは、偶然にもNHKの番組「日曜美術館」で2013年4月7日に放送されたアルフォンス・ミュシャを見たからでした。番組のタイトルは「パリをとりこにした女神の微笑み」でした。

ミュシャ展の場所は六本木ヒルズ・森タワー52階の森アーツセンターギャラリーでした。ミュシャ財団が秘蔵するコレクションの中から選りすぐりの240点の作品が展示されていました。私は、今回のような絵画の展示会には来たことがないので、比べられないのですが、作品点数や内容から充実していたと感じました。
沢山の方、特に女性の方が多く見に来られていました。展示会場内は写真撮影は禁止されているためにパンフレットやカタログから紹介いたします。
六本木ヒルズの雰囲気を味わってもらうために52階からの景色とシンボルオブジェ「巨大クモ・ママン」を紹介します。どちらの写真もクリックすると拡大します。
 名称 ミュシャ展 パリの夢 モラヴィアの祈り
             あなたが知らない本当のミュシャ
 場所 六本木ヒルズ・森タワー52階 森アーツセンターギャラリー
 住所 東京都港区六本木6-10-1
 電話 03-5777-8600
 期間 2013年3月9日(土)~5月19日(日)
 時間 10:00~20:00
 料金 大人1500円 大学生1200円 中高生800円 小学生以下無料
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左がアルフォンス・ミュシャ(Alfons Mucha フルネーム:Alfons Maria Mucha)の1907年ごろに描かれた47歳ごろの自画像です。正式名は「パレットを持った自画像」でアメリカに滞在していた1904年~1910年の作品ということになります。右側が入場券です。
クリックすると拡大アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)は1860年7月24日にオーストリア帝国領モラヴィア(現代のチェコ)のイヴァンチツェで生まれて、78歳の1939年7月14日に亡くなりました。
19世紀末のパリに斬新なデザインでポスターに革命をもたらした。そのミュシャの伝説は、一枚のポスターから始まりました。ある時、ミュシャは、ひょんなことから、当時のフランスを代表する女優サラ・ベルナールの舞台公演のポスターを制作することになりました。それまでは全く無名の挿絵画家に過ぎなかったミュシャでした。
しかしそのポスターは、貼り出されるや、パリ中の話題をさらい公演は大成功で、一夜にして、ミュシャは時代の寵児(ちょうじ)と呼ばれるようになりました。


パンフレットの表紙に使われていた2枚の絵です。パリでの衝撃のデビューから10年、ミュシャはすべての名声を捨ててパリを去り、アメリカ(1904年~1910年)、そして祖国チェコへと向かい、そうした中で描かれた知られざる油絵の数々が展示されていました。
パリの華やかな時代の1897年作「夢想/Reverie」(左)と晩年の1927年~1935年ごろ製作の「ヤロスラヴァの肖像/Portrait of Jaroslava」(右)です。
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全く無名の挿絵画家が一夜にして不動の名声を手に入れたのが左側のポスターでした。ミュシャは、それまで名もない挿絵画家でしたが1894年、クリックすると拡大右の写真の舞台女優サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt)の芝居のポスター製作の計画が持ち上がつたとき、年の瀬で主だった画家がクリスマス休暇をとっていたためミュシャにサラのポスター制作の仕事が回ってきたのです。その時代にとって作成されたポスターは革新的なものでした。この作品をサラ本人が見た時の感動は、すごかったそうです。一夜にして彼のアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を得たのでした。この時、ミュシャ34歳ごろ、サラ50歳ごろのことでした。ポスターは威厳に満ちた人物と、細部にわたる繊細な装飾がなされており、当時のパリにおいて大好評を博したのでした。またサラ・ベルナールにとっても、この「ジスモンダ/Gismonda」が、フランス演劇界の女王として君臨するきっかけとなったそうです。この「ジスモンダ」より若い時の作品は、ミュシャ展内を見た限りでは1880年頃の「妹アンジェラの肖像」の1枚だけで、実質的に「ジスモンダ」がデビュー作品でもあり出世作品でもあったのです。
すぐにサラはポスターの専属契約をミュシャとしたそうで、その後も「椿姫」、「メデイア」、「ラ・プリュム」、「トスカ」など、サラ・ベルナールのポスターを制作しています。右が1898年作成のポスター「メデイア/Medee」です。38歳ころの作品ということになります。
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こちらは1917年作 「人形を抱くヤロスラヴァ/Jaroslava Holding a Doll」です。57歳ごろの作品です。1910年に故郷のチェコに帰国したのでチェコで描いた絵画です。ちなみにヤロスラヴァ(Jaroslava)は1909年に生まれたミュシャの娘です。さらに1915年にミュシャが55歳の時に生まれた息子のイージー(ジリ/Jiri) の2人の子供がいました。1920年に描いた「ジリの肖像/Portrait of Jiri」も有名です。息子のジリ・ミュシャは父のことを書いた本「アルフォンス・マリア・ミュシャ 生涯と芸術」を1989年に書いています。


こちらは1936年作 「民俗衣装を着た女性/Woman in Moravian Costume」です。76歳ごろの作品です。チェコは1910年から1939年に78歳で亡くなるまですごしました。

機内食はキャビアとステーキを選びました。 [機内 F]

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オーストリアのウィーンへは成田を12時15分発のフライトでフランクフルトへ入りフランクフルトからルフトハンザ機でミュンヘン(ドイツ)までたどり着いて、ミュンヘンで一泊したあと、車でウィーンに来ました。ウィーンで一泊して夜が明けたところです。あいにくの雨です。下の写真は成田→フランクフルトの機内から撮ったものです。

長い飛行機の中での楽しみは食事と映画です。日本発のフライトでは和食がいい言われていますが、メニューでは洋食先に書かれていたので、今回は洋食にすることにしました。アペタイザーとメインディッシュはそれぞれ3種類から選べました。迷わずアペタイザーではキャビアを選びました。コメントの「手作り塩」を試してみたくてメインデッシュはステーキを選択しました。


シャンパーニュはシャンパーニュ・キュヴェ・ルイーズ ポメリー・ブラン 1999(Champagne Cuvee Louise Pommery Blane 1999) を選びました。パリ線ではSALONが置かれていましたが、同じヨーロッパ線でも飲み物のメニューが違うのは面白いです。


シャンパーニュは「タラバ蟹のゼリー寄せ」と「旬野菜のテリーヌ 」と「フォアグラ」で楽しみました。


キャビアはこんな感じで出来ました。シンプルにパンにつけて食べました。


キャビアは大粒でなので高級な種類のようです。塩味がいいですね。
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ステーキはソースはかけないで出てきました。シャトーブリアンステーキ“ペリグー風”フォアグラとトリュフのソースは別の器に入れて出してもらいました。
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焼き具合を聞かれたのでミディアムを頼みました。焼き具合を聞いてくれると言うことは、機内で焼いてくれているのかもしれません。ソースと塩の両方で食べてみました。私は塩が美味しかったです。8割程度は塩でいただきました。塩が美味しいということは、いい肉なのでしょう。機内で塩でステーキを食べたのは初めての経験となりました。
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肉料理になると赤ワインを勧められたので、お薦めのシャトー・カロン・セギュ-ル2006サン・テステフ(Chateau Calon-Segur 2006 Saint-Estheph)を楽しみました。
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ステーキを食べた後も赤ワインを楽しむことにするとアラカルトの中から選んで肴を出してくれました。
「蛤蕗味噌焼き 」と「フォアグラ千枚巻き」と「牛肉時雨煮」です。
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さらに「みつせ鶏の焼き鳥」も出してもらえたので、さらにワインを楽しみました。


満足したところでデザートを頼みました。
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映画を何本か見るとフランクフルトに近づきました。


夕食は選択式なのでカレーを頼みました。カレーのネーミングは「東京香味カレーライス“ぎゅっと野菜”(TOKYO CURRY LAB. X JAPAN AIRLINES)」です。
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パリからの帰りのフライトは日本食にしてみました。

この時は日本からフランクフルト便でヨーロッパに入り、帰国はパリからの便となりました。私の好きなサロン(Salon)のシャンパンを期待していましたが、残念ながら出発便で飲み干されたようで、ありませんでした。もう一つのシャンパンであるシャンパーニュ・アンリオ・ブリュット・ミレジメ1996 (Champagne Henriot Brut Millesime 1996)にしました。

簡単なツマミを食べながら2杯楽しみました。


さらにビールも頼みました。ツマミとしては「焼きしめじポン酢和え」と「海老カレー炒め」と「浅利の時雨煮」を頼みました。


食事は日本食をお願いしたので白ワインにすることにしました。ワインの銘柄は、お薦めのフレデリック・マニアン ムルソー2007(Frederic Magnien Meursault 2007)にしました。
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日本食のコースの最初は「まつぶ貝 柔か煮」でワインを楽しみました。つぶ貝と言えば映画「武士の一分」で三村新之丞(木村拓哉)が毒にあたった「赤つぶ貝」のことを思い出しました。
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箱に入った「かさね前菜」が出てきました。前菜の中身は上段が「ぜんまい田舎煮」、「フォアグラ照焼き」、「桜豆腐」、で下段が「鰯の酢漬け ポン酢卸し」、「牛たたき寿司」、「烏賊のお造り」でした。
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メイン料理は「帆立と海老の白扇揚げ 蟹餡掛け」でご飯は「山菜御飯」を頼みました。お吸物と香の物がついています。
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最後は和菓子のデザートでコース料理は終了です。


夜行便なので映画を見ながら少し寝かしてもらいました。、


日本に近づいたところで暖かな飲み物を頼みました。写真を撮るために、飲み物をマグカップで出してもらうように頼みました。


到着前の簡単な食事として出発便ではカレーを頼みましたが帰国便ではトロロ蕎麦を頼みました。

「小竹城」と「小竹五郎高胤の墓」 [千葉]


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千葉県佐倉市小竹地区は、辻切り不思議な風習を紹介したとおり、伝統が残る歴史のある地区なのです。その中で貴重な文化資産なのが小竹五郎高胤(おだけ ごろう たかたね)によって1390年頃に築城されたと伝えられている小竹城(おだけじょう)の城跡です。この城跡は地元の住民の方によって代々守り継がれてきた文化資産なのです。ここが小竹城であったことを示す標柱が立てられています。

この小竹城跡は2011年3月1日に佐倉市市民文化財に選定されました。車道からの入口部分に小さな看板が立てられていました。資産名は「小竹城跡と小竹五郎の墓およびその周辺の里山風景」です。
佐倉市市民文化資産
小竹城跡と小竹五郎の墓およびその周辺の里山風景
  選定年月日  平成二十三年三月一日
  種     別  自然資産
  員     数  一件及び一基
小竹城は、明徳年間(1390年頃)小竹五郎高胤によって築城されたと伝えられています。現在では一辺約50メートルの土塁や空堀が残るみですが、城址を大切に思う住民により、一帯は墓とともに代々守り継がれてきました。周辺に残る樹林や湧水を含む豊かな里山風景と合わせて、貴重な自然資産です。
平成二十四年三月                佐倉市教育委員会
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車道からの入口です。
選定地は民有地であることから小竹城跡の周囲の限られた景観のみの紹介とさせていただきます。もし見に行かれるときは住民の方に配慮していただけるようにお願いいたします。ミラーの右側の桜の木の下の黄色の〇の部分に小竹城を築城した小竹五郎高胤の墓あります。クリックするともう少しよくわかると思います。
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こちらが小竹五郎の墓です。墓石の中央には「小竹五郎之墓」と書かれており、これが小竹城を築城した小竹五郎高胤の墓であることが判りました。しかし墓石の台座には高橋と刻まれています。ネットによると小竹氏はのちに帰農して名前を高橋に変えたようです。そのために台座には高橋が刻まれていると推察いたします。そんなこともあり、この地域は高橋の姓が多いのです。地元の竜神橋さんからコメントいただいたように、分家に高橋惣兵衛さん(ネットで出てくる名前)が、おられたようです。地域の案内板の高橋さんの数を数えると15軒でした。高橋さん以外でも山崎さんと秋元さん秋山さんの名前が多かったです。
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下の縦長の2枚の写真の左側が墓石の正面の写真で、右側が墓石の右面の写真です。裏面と左面には特に文字は刻まれていませんでした。下で紹介する文字は正面からだけでは読みにくいので右の写真のように2~3文字づつ角度をつけて撮った写真で読み取りました。
墓石の正面中央に「小竹五郎之墓」と書かれていることが判ると思います。その右上には「千葉六家之正跡」と書かれています。これは「千葉六家」の「正しい場所(正跡)」という意味で、重い意味がある墓標のようです。
墓石の右面には、次のように建てられた時期と経緯が書かれていました。
 時期 維明治廿六発巳年十一月穀旦
 経緯 先祖為菩提高橋弥右エ門建之
穀旦は吉日のことです。つまり築城から約500年後の明治26年11月吉日(今から120年前)に高橋弥右エ門によって先祖の菩提(冥福を祈って供養)のために建てたことを表しているようです。クリックすると拡大クリックすると拡大するので文字を見てみてください。
実は「高橋弥右エ門」の名前は、すでに紹介したことがあるのです。小竹の辻切りの記事で③番の辻切りが取り付けられていた右の写真の秩父三十四ヶ所参りを記念した石柱を立てたのが高橋弥右エ門さんでした。明治33年1月吉日に建てられたので年代的にも同じ人だと思われます。
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120年前に建てられた小竹五郎高胤の墓もすばらしいのですが、その右側に小さな2つの墓石があり、そちらも気になって近づいてみました。
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左の墓石には小さな子供を抱いた菩薩像が彫られていることから、小さな子供の墓石だと思われました。その像の右側には「子」の文字が読み取れることからも子供の墓石であることが伺えました。像の左側には寛延三年十月の文字が読み取れます。つまり、この墓石は寛延三年(1750年)のものであることから今から約263年前のもので現在の120年前の小竹五郎高胤の墓石より、はるかに古いものだったのです。
小さな子供の墓石が建てられていたということは、それより古い本体の墓石があったことを示してくれているのです。
一方、右側の墓石をよく見ると古い墓石の屋根の部分でした。クリックしてもらうとわかるように非常に古いものと思われました。もしかしたら小竹五郎高胤のオリジナルの墓石だったのかもしれません。墓石が壊れてしまったことから120年前に建て直した可能性はあります。今となっては史実を確認する手立てはありませんが、いずれにしても現在の墓石を建てる以前で、且つ寛延三年(263年前)以前にも、この場所に立派な墓石があったことは間違いなさそうで、ロマンを感じさせてくれる場所でした。
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車道から入っていく道を正面から見ました。2011年に佐倉市市民文化財に選定され説明文の看板が道り右側に立てられていることが判ると思います。この看板は昨年(2012年)に建てられました。


道を進んで左に曲がると冒頭の写真の標柱が見えてきます。この城は二重土塁で守られており、手前の盛り上がった部分が一文字土塁と呼ばれるものだと思われます。標柱は城郭への入口の虎口に立てられていたのです。 <写真①>


ここが小竹城の主郭への入口であった虎口です。虎口(こぐち)とは中世以降の城郭における出入り口のことです。「こぐち」には狭い道・狭い口という意味があります。虎口を「ここう」とよむ場合は、中世の戦場や陣地における危険な場所を意味することもあるそうです。虎口の両側に土塁が続いています。 <写真①'>
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クリックすると拡大土塁の内側の曲輪と呼ばれる部分には主郭が建っていました。現在は代々受け継がれてきた方の民家が建っています。ネットによると曲輪の土塁脇には妙見社などの祠があるようで、かつて城郭であった雰囲気がありました。右の写真はネットから拝借した祠の写真です。
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立派な土塁が曲輪のまわりに続いていました。<写真②>
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虎口に建てられた標柱です。いずれもクリックすると拡大します。
この標柱は23年前の平成二年(1990年)に建てられたもので、標柱には枠内の内容が書かれていました。
小竹城は小竹氏の居城としての伝承を残す。しかし臼井氏の一族が小竹氏を称するのは十三世紀のことと考えられるのに対し、遺構の構造から判断される築城時期は十六世紀初頭とされている。遺構としては土塁・空堀・虎口等があり、居館的性格を濃厚に有する中世城郭である。
ここでは築城は十六世紀初頭と書かれていますが、同じ佐倉市教育委員会の2011年の見解では1390年ごろ築城と、より具体的な説明になりました。ただし現在残されている遺構は、原氏が臼井城主にあった16世紀(1500年代)中頃から後半の時期のものと考えられいるそうです。
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土塁の外側の空堀もしっかりと残っていました。は二重土塁で土塁と土塁の間が空堀になっているのです。<写真③>


北側斜面の土塁です。ここは20m近い高さの傾斜になっていました。<写真④>


こちらは一文字土塁の手前から小竹城跡の東側の臼井側に降りていく小道の入口です。<写真⑤>


この小道は整備されていましたので降りてみることにいたしました。<写真⑥>


クリックすると拡大小道を降りてみるとこのような広場がありました。
この広場はボランティアの「佐倉里山ガーディアン」の方々が整備されているそうです。
上で紹介した小道の整備も佐倉里山ガーディアンの方により行われたとホームページに書かれていました。
すぐそばには右の写真の樹齢100年のグミの大古木があり佐倉市の保存樹に選定されていました。その木には昔フクロウも住みついていたそうです。正面の竹林の向こうに小竹城跡があるのです。
クリックすると拡大 佐倉里山ガーディアンの紹介
  設立 2003年
  活動 里山のためのボランティア
  会員 10名
  代表 飯田富雄 
  住所 千葉県佐倉市小竹785-3
  連絡 (有)飯田製作所
  HP  http://www.catv296.ne.jp/~satoyama/index.html


上の写真の小道を降りて少し離れた東の臼井側から小竹城跡の方向を見た景色です。この写真では確認する目標は写っていませんが中央より少し右側あたりの奥の丘の上が小竹城跡です。
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上で紹介した写真を撮った場所と方向を配置図に記載いたしました。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大 ①虎口と標注と一文字土塁
 ② 土塁
 ③ 空堀と二重土塁
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大 ④ 北側斜面と土塁
 ⑤ 東に降りる小道入口
 ⑥ 東に降りる小道


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往復ともに和食にしました。 [機内 F]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

先日、ファーストクラスの洋食を紹介いたしました。初めてファーストクラスに乗った時の食事も紹介いたします。このときはパリ往復なので行きは日本で作った和食にして帰りはフランスで作った洋食にするのが常識だと思いますが、比較のために往復共に日本食にしてみました。

1月16日11時05分のフライトでパリ経由イスタンブールに着きました。パリまでのフライト時間は12時間40分でパリの乗り継ぎ時間がすこし長くて3時間25分です。パリからイスタンブールのフライト時間は3時間20分のため全工程は17時間50分になります。
イスタンブール飛行場に着陸したのは定刻通り現地時間の23時30分のため前回同様にホテルに着いたのは0時30分になりました。
この写真は日本海からロシア領に入ってすぐのところです。
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初めてファーストクラスを経験することが出来きました。その食事に感激したのでを紹介いたします。今回は和食が河豚(フグ)会席だったので迷わずに和食を選択いたしました。


食事の前はいつも通りビールです。
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前菜です。内容は「タラバ蟹、平目求肥博多、エシャロット諸味噌添え、数の子、鉄皮煮凝り、黒花豆」です。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックするのが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。


椀物は「河豚しんじょう」でした。
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次は「河豚の薄造り」、「河豚の手毬寿司」、「丸大根と焼き河豚浸し」でした。
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薄造りも拡大写真を掲載いたします。今までの機内食の和食で、今回のフグ尽くしが一番豪華だったと思います。


ついでに「河豚の手毬寿司」、「丸大根と焼き河豚浸し」も拡大してみました。


メインは「河豚ちり」に「河豚雑炊」に味噌汁がついていました。
いつものビールだけで済ますところですが、いいワインをおいているので、今回は白ワインをいただきました。普段は出来ないのでいろんな産地の高級なワインをいただきました。巷ではカルフォルニアワインがおいしいとのことでしたが、この時はフランスワインに軍配が上がりました。
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画像はあまりよくありませんがテッチリ(ふぐちり)も拡大いたしました。


テッチリを拡大したので、やっぱりおじや(ふぐ雑炊)も拡大したくなりました。


デザートは和菓子でした。
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1月25日、ヨーロッパから帰国いたしました。1月16日にイスタンブール(トルコ)に入った後にカサブランカ(モロッコ)、マルセーユ(フランス)、リヨン(フランス)、パリ(フランス)を訪問しました。今回は私にとっては長旅でした。飛行機には6回、TGVには3回乗りました。向こうでは、移動が多かったのと、ネットが使えないホテルもあったために、あまりブログを掲載できませんでした。これから写真を整理しながら紹介させていただきます。
下の写真はロシア領です。行くときの1月16日の写真よりも山が険しいですが、日本海に近いところの写真です。
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出発は1月24日の18:05で到着予定は翌日の14:00でした。実際には追い風が強かったために30分以上早く到着しました。この時間帯は成田空港がすいていたために、預けた荷物はあったけれど、駅のプラットホームには13:57には立つことが出来ました。今回もファーストクラスに乗ることが出来ました。行きは9席のうち2席が空いていましたが、帰りの便は9席すべて満席でした。パリ発であれば日本食よりは洋食が良いと思いますが、行きと比較するために、あえて日本食 にいたしました。実際に洋食を頼んでいる人が多かった気がします。


先ずはいつも通りビールですが、今回も白ワインにしました。行くときの経験から今回は最後までフランスのワインにいたしました。


前菜は「糸こんにゃく明太子和え」「海老とフォワグラのゼリー寄せ」「鰻巻き玉子」「数の子」「栗 甘露煮」「黒豆」でした。
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椀ものは「平目の磯辺揚げ」
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次は「サーモンと烏賊のお造り」「焼きフォアグラ」「菜の花の辛子和え」「海老のみぞれ和え」でした。行きの日本食「河豚懐石」と比較のために日本食にしたのは事実ですが、実は「焼きフォアグラ」にひかれて日本食にしたのも理由の一つでした。
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最後は「海の幸のちり鍋」と「機内で炊いた白御飯」「味噌汁」「香の物」でした。行きの河豚(フグ)会席にはおよびませんが、帰りもおいしい料理でした。
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デザートは果物と


和菓子でした。


朝食は、いろんなチョイスが出来るので天婦羅そばを頼みました。ちなみに日本からの便の時は鮭茶漬けを頼みました。
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今回の往復で見た映画は「ラッシュアワー3」「ボーン・アルティメイタム」「3:10 to Yuma」「ブレイブワン」「The Nanny Dianies」「スターダスト」「Shoot 'Em Up」「4分間のピアニスト 」などです。地味だけれども昨年ドイツで多くの賞を取った4分間のピアニスト はいい映画でした。


食事以外も少し紹介しておきます。
座った場所からの景色です。ゆったりしているのが、わかってもらえると思います。


配られるヘッドホンです。外部のエンジン音などの低減機能が付いているためエンタテイメントを使わない時も装着したままにすると静かです。


洗面所もいつもの雰囲気と違っていました。