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十九夜塔の建立式典 下高野 [風習・歴史]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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千葉県八千代市下高野には2014年2月28日の時点において子安観音あるいは如意輪観音が合わせて31基が建てられている場所があります。観音像の台座に女人講中と書かれていることでわかるように、すべて「十九夜講の石碑」なのです。以降、「十九夜講の石碑」は十九夜塔と呼ばさせていただきます。
十九夜講は、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、念仏などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという月待行事(月待講)の一つです。つまり十九夜塔は月待塔の一つでもあります。文献史料では室町時代から確認されているそうで、江戸時代の文化・文政のころに全国的に流行したそうです。下高野では十九夜講で、今でも2ケ月に一回、この場所に集まられているそうです。
ネットの中に下高野の十九夜塔も入った資料がありました。→ポチッ
この研究されている方のブログによれば、千葉県で現存する最古の十九夜塔は千葉県香取市石納480番の結佐大明神にあるそうです。承応元年十二月十九日(1652年)に建てられたもので「十九夜侍之供養」と台座に刻まれているそうです。

動画でも新しい十九夜塔の設置前の2014年2月28日の時点の状態を紹介いたします。建物の中からは建立式典で行なわれる念仏を練習されている音と声が聞こえていました。台座には女人講中あるいは女人中と書かれていました。千葉県では十九夜塔が1997基ほど確認されているそうです。古い十九夜塔が注目されていますが、今も十九夜塔が7年ごとに建てられて、平成の十九夜塔が沢山立っているのは珍しいのではないでしょうか。ただし7年ごとに建立されている理由は、まだ調べ切れていませんが、昔から引き継がれてきた伝統だと思います。さらに今後も十九夜塔が12基(84年)ぶんも建てられるスペースが作られているのも非常に珍しいことだと思います。


クリックすると拡大そして翌日の2014年3月1日の10時から右の写真のように32基目の新しい十九夜塔の設置工事(石建)がおこなわれ1時間くらいで完了したそうです。3月1日の石建て日には、こちらに来れなかったので、下高野の辻切り庚申塔梵天飾りなどの件でお世話になっているkazuさんから、右の写真をメールで送っていただきました。
下の写真が十九夜塔の建立の行事の当日3月2日の朝9時57分の写真です。3月2日は、あいにくの雨であったことから十九夜塔は、まだビニールで覆われていました。私は下高野の人間ではないけれども、ありがたいことに3月2日の建立式典に参加させていただきました。この日の13時から下高野の人たちが集まって十九夜塔の建立の行事が行われための準備がすでに行われていました。十九夜塔の建立の行事の正式の呼び名は判らないので「十九夜塔の建立式典」と呼ばさせていただきます。
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建立式典の30分前、2014年3月2日12時半の写真です。きれいに飾り付けがされていました。13時から式典が始まります。
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冒頭の写真の反対方向から見た十九夜塔群です。これだけ並ぶと見事です。
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準備が出来たところで記念撮影を撮られてました。十九夜講は安産や子供の無事成長を祈る女性のための行事であることから主役の10名の女性の方たちと、世話人である4組の夫婦の方たちで記念撮影を撮られていました。私もシャッターを押す手伝いをさせていただきました。石碑の台座の横に世話人の4名の名前が彫られています。主役の女性の方は若い方なので、理由を聞くと子供が大きくなると脱退されるためだと教えていただきました。それを聞いて、まさに安産や子供の無事成長を祈る行事なのだと実感いたしました。



式典の準備が整いました。御供えのお餅は上段が赤で下が白い紅白の餅でした。真中に乗っているのはダイダイでしょうか。十九夜塔の後ろの木の板は卒塔婆(そとば)と呼ばれるものです。左側が十九夜塔用で右側は庚申塔用です。
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13時から式典が始まりました。最初は念仏が行われます。本来ならば十九夜塔の前で行なわれるのですが雨のために、十九夜塔側の窓を開けて福蔵院の中で行われました。念仏は女性の方ですが先ほどのメンバーではなく、念仏講の人たちが行っているそうです。窓の下の段ボールの中には餅投げ使われる餅やお菓子が沢山はいっていました。直会(なおらい)用のビールなども沢山置かれていました。直会は地区の皆さんが参加される神仏の前で行なわれる宴会のことです。


念仏を行っているところを小さな写真で紹介させていただきます。25分程度の長さの念仏が2回ほど行われました。計50分くらいでした。十九夜講は2ケ月に1回ですが、念仏講は月に1回だそうです。右下の画面は動画で、念仏の始まりの部分です。



念仏を動画でも紹介します。動画は念仏が始まった頃なので人は少ないけれども徐々に人が増えてきました。雨だったので出だしが遅かったようです。


念仏が終わると除幕式です。念仏が始まったころとは集まった人数が違います。これからさらに増えていきました。
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世話人の方が除幕をいたしました。
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庚申塔用の卒塔婆は、新しい庚申塔にお供えし完成です。
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参加者の方々の待望の餅投げです。お餅だけでなくお菓子も投げられるので子供たちは大喜びでした。


一人当たりスーパー袋に半分から満杯の量が巻かれました。


動画でも紹介いたします。子供たちの歓声が伝わってくると思います。


建立式典のあとに十九夜塔にはお札が張られました。お札には一枚を除いて「十九夜講中 下高野」と書かれていました。「十九夜講中 下高野」ではないお札を、写真をクリックして探してみてください。正解は一番最後の写真のところに記載いたします。
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裏側にも、お札が貼られていました。さらに翌日3月3日には近隣の佐倉市先崎の雲祥寺、佐倉市青菅の正福寺、佐倉市井野の千手院の十九夜塔にも「お札貼り」と呼ばれる行事が行われました。
下高野の十九夜塔の建立式典は概ね次の通りです。ただし直会の時期に関しては想像で書かせていただきました。
 3月1日 新しい十九夜塔の設置(石建) → 新しい庚申塔の設置(石建)
 3月2日 式典準備 → 念仏 → 除幕式 → 餅投げ → 直会
 3月3日 十九夜塔へのお札貼り → 隣接地区の十九夜塔へのお札貼り → 直会

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下高野と隣接地区の十九夜塔です。千手院には元禄十二年(1669年)の二十三夜塔がありました。平成の十九夜塔があるのは下高野だけでした。隣接ではありませんが近隣の小竹地区には観音像ではない文字だけの十九夜供養塔という平成の石碑があります。
  八千代市下高野 福蔵院の十九夜塔 32基 1727年~2014年 
  佐倉市青菅   正福寺の十九夜塔 12基 1729年~1936年(78年前)
  佐倉市先崎   雲祥寺の十九夜塔  8基 1760年~1940年(74年前)
  佐倉市井野   千手院の十九夜塔 13基 1789年~1936年(78年前)
  佐倉市小竹   西福寺の十九夜供養塔

より大きな地図で 十九夜塔 を表示
佐倉市井野の千手院の十九夜塔に行ってみました。確かにお札が十九夜塔に貼られていました。雨のために剥がれたお札もありました。下高野の十九夜塔が設置されている福蔵院は真言宗豊山派で、井野の千手院の末寺(まつじ)という関係になります。ここには十九夜塔以外に次の女人講と思われる4つの石碑も一緒に並べられていました。この4基は上の13基の数には含めておりません。
  二十三夜塔 元禄十二年 二月廿二日 1699年 315年前
  二十三夜塔 享和二年 十一月三日  1802年 212年前
  二十三夜塔 文政十三年 二月吉日  1830年 184年前
  井野村講中 文化十五年 正月廿六日 1818年 196年前
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こちらが佐倉市青菅の正福寺の十九夜塔です。やはりお札が貼られていました。柔らかい地面に直接建てられていたので地震で土台の石が傾いて倒れてしまったようです。ここは日が当たらないためか、欠けたものを除き石碑の文字はすべて、くっきりとしており年代がよく読めました。古いもの2つと新しいもの2つを紹介します。
           享保十四年 十月吉日  1729年 285年前
           宝暦二年 二月日    1752年 262年前
           大正五年 三月     1916年  98年前
           昭和十一年 四月吉日  1936年  78年前
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そしてこちらが佐倉市先崎の雲祥寺の十九夜塔です。こちらにも教えてもらった通り、お札が貼られていました。3ケ所の十九夜塔は古いものばかりです。もちろん平成の十九夜塔はありません。下高野の十九夜塔が今でも7年ごとに建てられていることが、いかに貴重なことなのかが改めてわかりました。
こちらも古いもの2つと新しいもの2つを紹介します。
           宝暦十年 十月     1760年 254年前
           文政七年 三月吉日   1824年 190年前
           大正八年 三月吉日   1919年  95年前
           昭和十五年 三月吉日  1940年  74年前
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こちらが航空写真で位置を紹介した佐倉市小竹の西福寺の十九夜供養塔です。こちらは隣接ではないので、お札貼りには行っていませんが、西福寺は「大師参り」のコースの一つのお寺ではないかと思い紹介いたしました。一番新しい十九夜供養塔は平成17年で二番目に新しかったのが平成5年だったので、小竹では12年ごとに建てているのかもしれません。写真にあるように新しいものは下高野と違い、「十九夜供養塔」と書かれた文字だけの石碑でした。「十九夜塔」と「十九夜供養塔」の違いは調べ切れていませんが「十九夜塔は、十九夜講中供養の記念として造立されたもの」との記述がありました。
「大師参り」は下高野(福蔵院)から先崎(雲祥寺)、青菅(正福寺)を経て小竹(西福寺)に行くような経路だったかと思います。Kazuさんによれば、昔は大勢で歩いてお参り(巡礼)をしたそうですが、今は少人数(昨年は16名)でマイクロバスでのお参りとなっているようです。昨年は千葉寺十善講(真言宗豊山派・奈良の長谷寺が総本部)の幟を持つお坊さんが同行されたそうです。
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それではあらためて下高野地区の十九夜塔を紹介いたします。
下高野地区の十九夜塔はすべて一か所に設置されています。雛壇のようになっており上段に1~23の23基が設置されており下段に今回設置されたものを含めて24~32の9基が設置されています。写真をクリックすると別画面で拡大写真が表示されるのでわかりやすいと思います。
左の写真が12番 13番 14番で、右の写真が18番 19番 20番の十九夜塔です。
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クリックすると拡大クリックすると拡大

クリックすると拡大八千代市下高野の32基の十九夜塔の建立時期をまとめました。建立時期は左から順番のはずなのですが、8~13に関しては入れ替わっています。実は昭和59年に大きな竜巻を含む暴風雨によってここの左側の崖が崩れて設置しなおしたそうで、その時に入れ替わったのかもしれません。地面に設置されていたものを雛壇を作って設置したのも、その昭和59年だったそうです。
昭和27年以降は十九夜塔を建立するときには同時に庚申塔も建立していることが判ります。これもすごいことだと思います。右の写真の右側が新しく建てられた平成26年の庚申塔です。現時点で24基の庚申塔が見つかっています。表をクリックすると庚申塔の詳しいデーターを表示します。
クリックすると庚申塔
       十九夜塔の観音   庚申塔の建立年  庚申塔の設置場所
        : 如意輪観音  ◎ : 完全に一致   △ : 庚申塚
        : 子安観音   〇 : 近似年に建立  ◆ : 辻など

32基の十九夜塔をすべて紹介します。28番の昭和61年(1986年)の十九夜塔には鮮やかな色の紅が残っています。写真はクリックすると拡大するので是非とも確認してみてください。
1 享保12年 1727年     2 宝暦6年 1756年     3 安永7年 1778年
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4 寛政6年 1794年     5 文化3年 1806年     6 文政3年 1820年
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7 文政10年 1827年    8 弘化4年 1847年     9 安政2年 1855年
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10 文久4年 1864年    11 天保10年 1840年    12 明治13年 1880年
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13 明治6年 1873年    14 明治21年 1888年    15 明治28年 1895年
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16 明治32年 1899年   17 明治39年 1906年   18 大正2年 1913年
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19 大正9年 1920年    20 大正13年 1924年    21 昭和8年 1933年
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22 昭和15年 1940年   23 昭和27年 1952年   24 昭和33年 1958年
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25 昭和40年 1965年   26 昭和47年 1972年   27 昭和54年 1979年
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28 昭和61年 1986年   29 平成5年 1993年    30 平成12年 2000年
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31 平成19年 2007年   32 平成26年 2014年    33 平成33年 2021年
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今回の石建ての前に撮った1番と2番の写真です。右側が1番で、左側が2番です。
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こちらが石建ての後に撮った1番と2番の写真です。こちらの写真では右側が2番で、左側が1番なのです。1番と2番の十九夜塔が入れ替わっていることが判ってもらえると思います。昭和59年に崖崩れが起きて建替えた時に最も古い十九夜塔が2番目に設置されたことから、今回の石建ての時に石屋さんに入れ替えてもらったそうです。最も古い十九夜塔の年号の部分が欠けてしまったことから今まで判りませんでしたが、下高野のKazuさんが、和暦の右半分と残った文字「十二丁未」から享保十二年の十九夜塔であることを発見されました。これは下高野に残る最も古い庚申塔と全く同じ日付「享保十二丁未十月吉日」でした。
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十九夜塔の背景にある沢山の石碑が気になっている方がおられると思います。いろんな形の石碑がありますが、全て墓石なのです。ただしこれらは昔の墓地が崩れそうになったことから貴重な墓石をこちらに移動したそうです。同時に新しい墓地も別の場所に作ったので、この場所には遺骨はないそうですが、みなさん墓参りは両方に行くそうです。いろんな墓石を紹介します。いずれも江戸時代の年号が書かれている貴重な墓石です。
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これが形から最も古いと思われる墓石で、右が正保四年(1647年)で、左が承応四年(1653年)です。先崎城址の下にあった墓石と形が似ています。そちらは1650年と1662年なので、ほぼ同年代です。


餅投げでいただいたお餅です。足元に落ちてきたお菓子も一つゲットです。


さっそく磯辺焼きにしていただきました。なにか、御利益(ごりやく)があるかもしれません。それでは上のクイズでの回答です。一枚だけ違うお札に書かれていた文字は「八千代市郷土博物館講中」でした。博物館の方(女性)が取材に来られていて、下高野の方のアイデアでお札を貼られたのだと推察いたします。

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コメント 36

ゲンママ

SORIさん、おはようございます。

SORIさんのお住まいの地域には伝統的な風習がまだまだ残されているんですね~
お餅、ゲット出来て良かったですね~
磯辺焼き、美味しそうですね~
by ゲンママ (2014-03-07 06:05) 

SORI

ゲンママさん おはようございます。
今でも十九夜塔や庚申塔が建てられているのは全国的に珍しいと思います。このような地域が歩いて15分の場所にあるとはすばらしい偶然だと思います。今回の行事のことは昨年から下高野の方から聞いていたので、参加出来てよかったです。
by SORI (2014-03-07 06:51) 

cocoa051

とてもいい勉強になりました。
お寺さんの喪中の時などに「講中」という書き物を目にしますが、そういう意味なんですね。ありがとうございます。
by cocoa051 (2014-03-07 06:58) 

SORI

cocoa051さん おはようございます。
私も、いい勉強をさせていただきました。次に体験できるのは7年先なので貴重な経験となりました。
下高野の方が、このような伝統行事を続けてこられたことはすばらしいことだと思います。ほんと全国でも珍しいことだと思います。
by SORI (2014-03-07 07:22) 

kazu-kun2626

伝統行事が守られてる事は
大切ですね 地域の協力で
盛大ですね~
by kazu-kun2626 (2014-03-07 07:47) 

SORI

kazu-kun2626さん おはようございます。
十九夜講が行われている地域は沢山あるようですが、それだけではなく、新しい十九夜塔を7年ごとに建て続けている地域は、ほんとうに珍しいと思います。是非とも皆さんに見てもらいたいけれども次に見ることが出来るのは7年先です。それだけに貴重な体験をさせていただきました。

by SORI (2014-03-07 07:52) 

PENGUIN

SORIさん、おはようございます。
伝統的な行事は残してほしいですね。
by PENGUIN (2014-03-07 08:34) 

kazu

SORIさん、おはようございます。

素晴らしい大作が完成しましたね。
十九夜講の石碑を一つ一つ撮られて、年代の入れ違いも発見されてありがとうございます。
先崎、青菅、井野の石碑もアップされてうれしいです。
私も最近は行っていませんので、その数も把握していませんでした。
感謝いたします。

7年後はどうなる事かわかりませんが、今年からは合計6名になるそうです。
世話人も半分に分けて、今までは2人づつ4名でしたが、一人づつで計4名になるようです。

ところで、申し訳ございませんが、私の勘違いもありまして数ヶ所訂正して頂きたくお願い致します。
メールでお届けいたしますね。



by kazu (2014-03-07 08:46) 

SORI

PENGUINさん おはようございます。
ほんとうに貴重な伝統行事です。世話人の方や十九夜講の会員の女性の方は大変だったと思います。7年に一度の大イベントですね。
by SORI (2014-03-07 10:23) 

SORI

kazuさん おはようございます。
下高野の皆様やkazuさんのおかげで完成することが出来ました。ありがとうございます。十九夜塔は風習がよくわからないこともあり今まで記事に手が付けられない領域でしたが、今回のような貴重な体験をさせていただくことで、未熟な記事ではありますが作ることが出来て、皆さんに紹介出来ることは本当にうれしいことです。井野には元禄年間と享和年間の二十三夜講も2体が横に並べられておりました。
by SORI (2014-03-07 10:33) 

kazu

SORIさん、

先崎、青菅、千手院の十九夜講まで札貼りを載せて頂きご苦労様でした。ありがとうございます。
この素晴らしい「建立式典の文献」は十九夜講の「今までの書類箱」にも保存しておくように世話人に話しておきます。

また十九夜講の人たちの写真まで撮って頂き感謝いたします。
色々とお世話をおかけいたしました。
by kazu (2014-03-07 11:22) 

SORI

kazuさん こんにちは
おかげさまで訂正が出来て皆さんに見らえるようになりました。今までの保存箱に入れてもらえるとは光栄です。こちらこそお世話になりました。
by SORI (2014-03-07 13:29) 

昆野誠吾

脈々と続く伝統行事ですね。
最新のと古いものの対比がまた
長い年月を感じさせます。
by 昆野誠吾 (2014-03-07 16:40) 

きんれん花

こんにちは!
この様な行事が行われているのを初めて知りました
細かく調べられ 土地の人々に暖かく接する人柄が心にしみます
by きんれん花 (2014-03-07 17:55) 

サンダーソニア

昔のものは手彫りなんでしょうね。
今のは機械で できるのかしら?
by サンダーソニア (2014-03-07 18:06) 

SORI

昆野誠吾さん こんばんは
下高野は二十数世帯の集落ですが、287年間も、このような伝統行事が続けられてきたのには驚かされます。明治の初頭から世帯数は、ほとんど変わっていないそうです。

by SORI (2014-03-07 18:37) 

SORI

きんれん花さん こんばんは
今回、初めて沢山の方と接することが出来ました。温かい温もりが感じられました。これからも続けてほしいと思います。
by SORI (2014-03-07 18:40) 

SORI

サンダーソニアさん こんばんは
現在は、電動工具が使われるとは思いますが、観音像を掘るのは技術が必要だと思います。電動工具のない時代はさらに大変だったのでしょうね。
by SORI (2014-03-07 18:46) 

kazu

SORIさん、こんばんは。

小竹の西福寺にも十九夜講の供養塔があったのですね。
素晴らしい行動力で感心しきりです。
小竹は大きな石碑ですね。まるでわが地区の奥州講の記念碑のようです。
ひょっとしたら12年毎かもしれませんね。平成29年が楽しみになってきました。
情報ありがとうございます。

by kazu (2014-03-07 21:11) 

ake_i

詳細な写真と内容がすごく勉強になりました。千葉にこういう歴史があるのですね。
とともに楽しかったですし動画が見応えありますね。
海苔を巻いたお餅も美味しそうです!(^^)!

by ake_i (2014-03-07 22:06) 

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

SORIさん、こんばんは。
十九夜塔について、よく調べられました。
すごいです。
また、参加されたとのことで、貴重な体験になりますね。
餅投げの餅でご利益があるといいですね。

by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2014-03-07 23:42) 

SORI

kazuさん こんばんは
夕方のワンコの散歩で行ってみました。
小竹の西福寺は奥州講の記念碑や秩父参拝の記念碑も一緒に建てられていました。したがって順番に並べられているわけではありませんでした。ここだけが供養塔という言葉が使われているのが不思議でした。

by SORI (2014-03-08 00:01) 

SORI

ake_iさん こんばんは
やっぱり動画が混ざると雰囲気が伝えられるような気がします。特に念仏は音が伝えられるのでいいですね。
by SORI (2014-03-08 00:05) 

SORI

なんだかなぁ〜!! 横 濱男さん こんばんは
今でも新しい十九夜塔が建てられているのには驚きました。すばらしいことです。
by SORI (2014-03-08 00:07) 

hasseyおやじ

SORIさん こんばんは。
餅投げは、新築の上棟式の時だけかと思いきや、このような式典でも行われているんですね。
by hasseyおやじ (2014-03-08 00:15) 

SORI

hasseyおやじさん こんばんは
餅投げの時が一番人が集まりました。下高野地区のほとんどの人が参加されると聞きました。 
by SORI (2014-03-08 00:52) 

ちゅんちゅんちゅん

おはようございます!
残していきたい風習ですね~!
感慨深く拝見させていただきました。
餅投げは子供の頃
大須観音で見た記憶があります(^^)
by ちゅんちゅんちゅん (2014-03-08 07:22) 

SORI

ちゅんちゅんちゅんさん おはようございます。
不思議と餅投げの経験がなかったので、今回の餅投げが人生はじめての経験となりました。こちらも良い体験となりました。
by SORI (2014-03-08 07:27) 

さわらびY(ゆみ)

「さわらびYの歴史・民俗・考古探索ノート」
http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/notebook/2012/03/k-30--1-8170.html
にトラックバックありがとうございました。
「利根川流域の十九夜塔」へのリンクも感謝です。
建立の式典のほか、特に先崎、青菅、千手院との関係も丁寧に報告されていて貴重なルポですね。
さっそく新品の十九夜塔を見に行きたいと思います。
by さわらびY(ゆみ) (2014-03-08 09:29) 

SORI

さわらびY(ゆみ)さん おはようございます。
千葉県の最古の十九夜塔を検索していて、さわらびY(ゆみ)さんのブログを見つけて引用させていただきました。古い十九夜塔も魅力がありますが、最近は建てられなくなってきているだけに、このように新しく立てられる十九夜塔は魅力があると思います。その中には古い歴史が込められているのだと思います。 
by SORI (2014-03-08 09:52) 

kazu

SORIさん、こんにちは。

千葉県最古の十九夜講の石碑をネットから見つけられましたね。
素晴らしいです。

さわらびY(ゆみ)さんも以前下高野に来ているんですね。
by kazu (2014-03-08 17:47) 

momiji

十九夜塔についてとても詳細に調べられたのですね。
千葉の歴史の奥深さも伺い知れますね。
お疲れ様でした。
by momiji (2014-03-09 00:10) 

SORI

kazuさん おはようございます。
さわらびY(ゆみ)さんは、いろんな場所の十九夜塔に訪問されていました。300年前のロマン探求ですね。
by SORI (2014-03-09 06:53) 

SORI

momijiさん おはようございます。
今まで十九夜塔に関しては記事を書くのに手が付けられなかったけれども、今回がいい機会となりました。調べてみると沢山の十九夜塔があるに驚きました。
by SORI (2014-03-09 06:57) 

youzi

こんばんは♪ いつもありがとうございます。
色々な風習がありますね。
お餅を投げるのが凄いですね。
by youzi (2014-03-09 18:24) 

SORI

youziさん こんばんは
全世帯から、もち米を出してもらっているそうです。もち米を作っていない世帯は普通の米を出してもらい売って、もち米を買うそうです。
by SORI (2014-03-09 19:02) 

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