So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の7件 | -

ダイモンドヘッドに登りました。 [ハワイ]

IMG_6967-50.jpg写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ダイヤモンドヘッドはワイキキの町の南東にあります。そのダイヤモンドヘッドにハワイ旅行の2日目の朝に登ってみました。上の写真は6日目にパンチボウル(Punchbowl)から撮ったダイヤモンドヘッドです。手前のビル群はワイキキの町です。ダイヤモントヘッドの右端の最も高いところに登りました。

ダイヤモンドヘッドは、この航空写真のように火山の火口の周囲のリング状の山なのです。約40~50万年前に出来たダイヤモンドヘッドは火山活動で噴出した火山砕屑物が火口の周囲に積もって丘を形成して出来た火山砕屑丘だそうです。クリックすると拡大山の外側は傾斜がきつく道もないことから、外側からは登れません。トンネルで内側の火口に入り内側から登るのです。下の写真はダイヤモンドヘッドへの登山道の説明板にあった写真で、右の写真ははWikipediaから転用させて頂いただきました。矢印(↓)が頂上です。
クリックすると拡大

路線バスはトンネルの内側まではいかないことから、ホテルからダイヤモンドヘッドの内側まではタクシーで行きました。観光用のトロリーバスはトンネルを通って内側まで行きますが、午後からは別の場所に行く計画を立てていたことから時間優先のために行きも帰りもタクシーにいたしました。
  ニューオータニ・カイマイビーチ・ホテル
  ダイヤモンドヘッド Fire Control Station
 ━━ ダイヤモントヘッド登山道ルート
 ━━ タクシールート ホテル~ダイヤモンドヘッド火口
 ━━ トンネル


こちらが外側からダイヤモンドヘッドの内側に入るトンネルです。トンネルを歩いている人も沢山おられました。
クリックすると拡大

ここで入山料1ドルを払います。
クリックすると拡大

写真に見えているいるのがダイヤモンドヘッドの最高峰の部分で、皆さんが目指すところでもあります。駐車場には沢山の車が停まっていました。
クリックすると拡大

こちらは観光用のミニレンタカーではないかと思われました。前輪が2つで後輪が1つの三輪車でした。
クリックすると拡大

ここが登山道の入口です。火山の火口が登山ルートの出発地点なのは世界的には珍しいと思います。ダイヤモンドヘッドのように約40~50万年前に出来た火山は、日本ならば今でも活動する可能性があるので危険ですが、ハワイ諸島全体が北西に移動していることからオアフ島の下にはマグマは無くて、今はハワイ島の南東半部の下にマグマがあるのです。したがってオアフ島の火山の火口は安全なのです。
クリックすると拡大

その入口に「DIAMOND HEAD STATE MONUMENT」が建てられていました。この時、9時でした。
クリックすると拡大

最初はこのようななだらかな道が続いていました。
クリックすると拡大

出発地点にはゴミ箱が設置されていました。一般ゴミ用とボトル&缶用の2種類でした。
クリックすると拡大

ダイヤモンドヘッドに関する質問形式の看板が建てられていました。
クリックすると拡大

これから目指すところどす。ダイヤモンドヘッドの名前は空から見た形がダイヤモンドの指輪に似ているからだと思っていましたが、実は19世紀にイギリスの水夫たちがこの山を登った時に火口付近の方解石の結晶をダイヤモンドと間違え「ダイヤモンドヘッド」と名付けたと言われているそうです。 ハワイの先住民は「マグロの額」という意味でハワイ語でレアヒ(Lēʻahi)と呼んでいるそうです。
クリックすると拡大

登山道沿いにはマメ科の木が沢山生えていました。
クリックすると拡大

なだらかな道が続いていますが、山の部分に近づいていることが感じられる景観となってきました。
クリックすると拡大

休憩している人たちも見かけるようになってきました。
クリックすると拡大

山道になってきました。
クリックすると拡大

頂上付近が見える景観になってきました。
クリックすると拡大

火口周辺の低い部分から外側の景色も見えてきて、かなり高くまで登ってきたことが感じられる景観にもなってきました。
クリックすると拡大

溶岩と思われる岩を登る道になってきました。
クリックすると拡大

振り返ると登ってきた道が見えました。
クリックすると拡大

上を見るとまだまだ道が続いていました。
クリックすると拡大

道の途中に見晴らし台がありました。
クリックすると拡大

その見晴らし台の場所にはウインチが設置されていました。昔にこれで荷物を上げたのでしょうか。
クリックすると拡大

さらに上りが続きました。
クリックすると拡大

急な階段になってきました。
クリックすると拡大

その階段を登りつめると岩をくりぬいたトンネルがありました。
クリックすると拡大

トンネルの内部です。
クリックすると拡大

トンネルを抜けるとコンクリートでできた急な階段が続きました。頂上に近づいてきている実感が湧いてきました。
クリックすると拡大

急なコンクリートの階段を登りつめるとコンクリーのトンネルがありました。
クリックすると拡大

トンネルの先には螺旋階段がありました。どれだけ登ると頂上に着くのだろうと少し不安にしてくれました。
クリックすると拡大

螺旋階段の辺りは1910年に作られた軍事施設のFire Control Station(射撃統制所)だったのです。1900年代(20世紀)に入り、海が一望できるダイヤモンドヘッドはオアフ島の沿岸防衛に理想的な場所とされ、1904年に連邦政府に買い上げられたのち、1908年から1943年まで大砲の砲台などが据え置かれ、軍事要塞化され、山の尾根には沢山のトーチカ(コンクリート建造物)が作られました。ただし現在まで1度も使われることはありませんでした。上で紹介のコンクリートの階段やトンネルは軍事施設の一部だったのです。
クリックすると拡大

螺旋階段を登りつめると、やっと外の光が見えてきました。
クリックすると拡大

施設内からの景色です。西北西方向の景色です。
クリックすると拡大

南南西方向の景色です。この時、9時32分でした。上り始めた火口のモニュメントの場所がちょうど9時だったので、ここまで32分でした。
クリックすると拡大

建物の外に出ました。そこには青い海が広がっていました。
クリックすると拡大

南東方向です。
クリックすると拡大

沢山の人が写真を撮っていました。右の部分が大砲などが設置されていたコンクリート構造物です。
クリックすると拡大

ワイキキの町が見えます。我々の泊まっているホテルも見えました。
クリックすると拡大

ワイキキの町の方向の景色を拡大いたしました。左の白い建物が我々の泊まったホテルがあるところです。
クリックすると拡大

そのホテルの建物群を拡大いたしました。この建物群で最も右端の建物が我々の泊まったホテルです。
クリックすると拡大

ワイキキの町を拡大いたしました。
クリックすると拡大

我々が泊まったホテルの辺りからダイヤモンドヘッドの頂上付近を撮った写真です。左側の高い部分が上で紹介した太平洋戦争前後の軍事施設Fire Control Stationです。左側の高い展望台に移動して撮った写真を下で紹介します。
クリックすると拡大

Fire Control Stationから頂上展望台の方向に向かう道です。
クリックすると拡大

頂上展望台へ向かう道の途中から別の軍事施設(トーチカ)が見えてきました。施設の上に人が沢山立っていました。
クリックすると拡大

これがダイヤモンドヘッド頂上の展望台からの景色です。素晴らしい景観でした。標高は232mです。出発地点の火口の標高はGoogle地図で確認すると64mのため標高差は168mとなります。
クリックすると拡大

ここからはワイキキの町全体を見ることが出来ました。
クリックすると拡大

登山道以外は歩くのは禁止です。
クリックすると拡大

Fire Control Stationとワイキキの町です。
クリックすると拡大

やはり海がある景色はきれいです。
クリックすると拡大

Fire Control Stationを拡大いたしました。頑丈そうな構造から、かつては軍事施設であったことが感じられます。
クリックすると拡大

ダイヤモントヘッドに関する説明板も設置されていました。上で紹介したFire Control Stationの断面図は、この説明板の写真から切り取りました。
クリックすると拡大

ダイヤモンドヘッドの内側の火口部分です。建物がある部分が出発地点です。
クリックすると拡大

頂上の展望台から降り始めました。
クリックすると拡大

人が立っている場所の下にもコンクリートの建物がありました。実はこの場所は立ち入り禁止になっているのですが、景色がいいためか人が入っていました。コンクリートの設備はFire Control Stationから頂上展望台の方向に向かう道から見えたトーチカです。
クリックすると拡大

下山方向に進むと別の展望台に行く道があったので、そちらの展望台にも行ってみました。この写真は戻るときに撮ったもので向こう側からこちらに来たのです。
クリックすると拡大

これが今回のルートで最も東側の展望台です。
クリックすると拡大

東方向です。遠くに岬が見えています。この日の午後にこちらの方向に行ってみました。
クリックすると拡大

上の写真の一部を拡大すると軍事要塞の名残のトーチカが写っていました。
クリックすると拡大

Google地図の3Dで確認すると尾根のトーチカだけでなく、その下の中腹にも大型のトーチカが作られていました。大型の大砲が設置されていたものと推測されます。ちなみにトーチカはロシア語(точка)だそうです。


出発地点の写真です。左端に外側から火口に入ってくるトンネルが写っています。
クリックすると拡大

ここは中腹部分です。
クリックすると拡大

火口部分に下りてきてあらためて頂上付近の写真を撮りました。
クリックすると拡大

冷たいものを飲んだ後にタクシーに乗ってホテルに戻りました。ホテルに着いたのは11時10分でした。ホテルを出発したのは8時45分だったので2時間25分でダイヤモンドヘッドを満喫できました。
クリックすると拡大

山頂付近の登山ルートや展望台を紹介します。太い鶯色と薄紫色でトンネルと階段を表しています。Fire Control Stationからはオレンジ色ルート(━━)で下山いたしました。
  ダイヤモンドヘッド Fire Control Station
  ダイヤモンドヘッド山頂展望台
  ダイヤモンドヘッド東側展望台
  登山道途中の見晴らし台
 ━━ 登山道
 ━━ 山頂付近散策ルート
 ━━ トンネル      ━━ 階段

nice!(60)  コメント(19) 

熱中症搬送者数 2018年7月と8月 [話題]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2018年8月10日追記 タイトル:8月に入りました。
クリックすると拡大
総務省消防局から2018年7月30日~8月5日と8月6日~8月12日の1週間x2の熱中症搬送者数が公表されたのに伴い記事を更新いたしました。

7月1日~7月31日の搬送者総数は52,819人(4月30日からの総数は78,345人)となり、8月に入って12日間だけで17,766人に達しました。死者も14人(4月30日からの総数は144人)が出しまいました。
クリックすると拡大

下は2010年からの6~9月の各月の熱中症搬送者数と死者数のグラフです。本グラフの大きなグラフは記事の最後に掲載しています。総務省消防庁で集計を開始した2008年の以降で最悪の数値になっています。今までに掲載した下のグラフも更新させていただきました。
クリックすると拡大クリックすると拡大

高齢者の熱中症での搬送者数が約50%を占めていることが連日報道されています。下記のようなグラフだけであれば、子供(7~17歳)の搬送者数は少ないように思われがちですが、実は子供の人口自体が少ないので、人数あたりで比較すべきだと思います。
 年齢別人口(2013年10月1日)
  高齢者 65歳以上    3190万人
  成人  18~64歳   7543万人
  子供   7~17歳   1259万人
  幼児   6歳以下    738万人


判りやすくするために人口当たりの搬送者数のグラフを作りました。このことから7~17歳の子供も高齢者と同じくらい気を付けなければように感じます。7月後半から8月は、他の年齢層よりは下がっているのは夏休みが関係しているとするならば、就学時の7月の教育機関での対策が特に重要なように感じます。



2018年8月1日更新 タイトル:グラフ更新
総務省消防局から2018年7月23日~29日の1週間の熱中症搬送者数が公表されましたので掲載していたグラフの一部を更新いたしました。7月1日~7月29日の搬送者総数は49,931人(4月30日からの総数は57,534人)となり、悲しいことですが死者数も119人(4月30日からの総数は125人)となりました。総務省発表の記事を枠内に紹介します。
熱中症搬送 3カ月で、昨年の5カ月分上回る 総務省発表
毎日新聞 2018年7月31日 18時59分
総務省消防庁は31日、熱中症の症状で4月30日から7月29日に救急搬送された人数が全国で5万7534人になり、昨シーズン(5月1日から9月30日)の5万2984人を既に上回ったと発表した。死者は125人だった。
2008年の集計開始以降、1シーズンの搬送数が最多だったのは13年(6月1日から9月30)の5万8729人で、今シーズンはこれを大きく上回る可能性が高い。 7月23~29日の1週間に救急搬送されたのは1万3721人、死者は39人。搬送者が最多の2万2647人だった16~22日と合わせて、同月中旬以降の搬送が急増している。・・・・・・・・
【浜中慎哉】

2018年7月25日掲載 タイトル:熱中症搬送者数 2018年7月

連日暑い日が続いています。5年ぶりに国内最高気温を記録した埼玉県熊谷の41.1℃(2018年7月23日)など、テレビでも異常に高い気温や熱中症搬送数が話題になっています。熱中症のために沢山の方が亡くなっており、心よりお悔やみ申し上げます。上は総務省消防局から公表されている1週間ごとの熱中症搬送者数をグラフにしたものです。
総務省消防庁から7月24日午前に「熱中症の症状で7月16~22日の1週間に救急搬送された人数が全国で22,647人にのぼり、1週間分の集計を始めた2008年以降では最多となり、このうち65人が死亡し、1週間の死亡者数も2008年以降で最多となった。」との発表の記事が載っていました。
グラフから2017年に比べると、ここ2週間が異常であることが判ります。そして7月23日にピークに達して歴代最高記録も更新するに至りました。歴代最高気温ランキングは次の通りです。10位までに2018年7月が3つ入っています。各場所の観測史上1位の値を使ってランキングを作成したものです。ちなみに最低気温の1位は北海度旭川で1902年1月25日に記録した-41.0℃です。
 順位  場所       観測日    最高気温
  1 埼玉県熊谷    2018年7月23日 41.1℃
  2 高知県江川崎   2013年8月12日 41.0℃
  3 岐阜県多治見   2007年8月16日 40.9℃
  4 東京都青梅    2018年7月23日 40.8℃
  4 山形県山形    1933年7月25日 40.8℃
  6 山梨県甲府    2013年8月10日 40.7℃
  7 岐阜県美濃    2018年7月18日 40.6℃
  7 和歌山県かつらぎ 1994年8月08日 40.6℃
  7 静岡県天竜    1994年8月04日 40.6℃
  10 山梨県勝沼    2013年8月10日 40.5℃

1日ごとのグラフも掲載いたします。東京の最高気温と愛知県豊田市の最高気温もプロットいたしました。7月14日頃から異常な状態が始まりました。小学校の判断ミスで愛知県豊田市の小学1年生が亡くなったのが7月17日でした。豊田市の最高気温は7月14日から37℃を越える状態が続いていました。子供の安全を最も考えなければならない大人の判断ミスで朝元気に出て行った子供が亡くなるのは悲惨で残念なことです。両グラフ(週ごと、日ごと)ともに救急車で搬送された人数なので実際にはもっと多いと思われます。全国各地で最悪の気温を記録した2018年7月23日以降は、幸いにも気温が下がってきています。
クリックすると拡大

上と同じ内容で2018年4月30日からのグラフも紹介します。クリックすると横長の大きなグラフを表示します。
クリックすると拡大

このグラフだけ総務省消防庁のホームページに掲載されているグラフです。こちらのグラフは7月16日~22日(1週間)の都道府県別の熱中症搬送者数です。下記のリストは1000人以上の搬送者の都道府県をピックアップしたものです。5つの中では豊田市立梅坪小学校がある愛知県が人口当たりの熱中症搬送者数が突出して高かったことが判ると思います。
     熱中症搬送  人口  1万人あたり
 東京都  1979人  1374万人  1.44人
 愛知県  1954人  753万人  2.60人
 大阪府  1779人  883万人  2.01人
 埼玉県  1617人  731万人  2.21人
 兵庫県  1188人  550万人  2.16人
 千葉県  1030人  626万人  1.65人
クリックすると拡大

2018年7月16日~22日の1週間の熱中症搬送者数を多い順に並べ替えたグラフを紹介します。ここから下の4枚のグラフは都道府県名が読みにくいと思うのでクリックすると拡大するように設定いたしました。
クリックすると拡大

人口当たりの熱中症搬送者数の多い順に並べ替えたグラフも紹介します。
すべての都道県の中で人口当たりの搬送者が一番多かったのは、岐阜県の3.67人(=737人÷201万人)でした。
人口当たり最も熱中症での搬送者が少ないのは沖縄県で、2番目に少ないのは北海道でした。北海道よりも沖縄の方が少ないのは意外でした。そして沖縄県のみ2017年より2018年が少なかったのです。逆の言い方をすれば沖縄県以外は全て2017年より2018年が多かったのです。疑わしい場合は、命を最優先する対応を!
クリックすると拡大

こちらは人口の多い順に並べたグラフです。首都圏で人口の多い神奈川県の人口当たりの搬送者数が少ないです。
クリックすると拡大

こちらは総務省消防庁のホームページ(HP)と同じ順番に並べたグラフです。概ね、日本の北からの順番になっているので自分の地域を探すのに便利です。
クリックすると拡大

2018年7月23日~7月29日の総務省消防庁のHPと同じ順番に並べたグラフも紹介します。異常だった前週(7月16日~7月22日)より下がりましたがまだまた高いレベルです。人口当たりの搬送者数から見ても前週は地域差が大きかったことが判ります。
クリックすると拡大

2週間の熱中症発生場所の割合です。2018年7月23日~29日では熱中症で搬送された人の約50%(49.4%)が住居の中で熱中症になっています。集計の住居には屋外の庭も入ってはいますが、屋内の家の中での熱中症も相当の数だと想像されます。家の中に退避してもエアコンをつけていなければ、かえって高温になることもあることから、エアコンなどを使うことが非常に大切になってきているのだと思います。仕事場②は農業・畜産・水産関係で、それ以外は仕事場①(道路工事、建設現場、工場、作業場など)に集計されているようです。
            搬送者総数   住居      教育機関
 2018年7月16日~22日 22647人 41.8%(9462人) 8.88%(2011人)
 2018年7月23日~29日 13721人 49.4%(6783人) 4.85%( 665人)


熱中症の発生場所の割合が変化するのかが気になったので4月30日からの割合の推移のグラフを作成してみました。厳しい状況になると個人宅(住居)での発生絶対値が増えるだけでなく発生割合も増加しているのが判りました。


2010年からの6~9月の各月の熱中症搬送者数の推移も紹介します。このグラフから分かることは、年によって差はありますが、2018年7月の熱中症搬送者数は5万人を超えて52819人に達しました。7月も8月も同じくらい非常に注意が必要だということだと思います。そして6月も9月も油断は禁物であるともいえると思います。2018年8月の数値は8月12日の時点です。
クリックすると拡大

つらい数値ですが搬送されたけれども残念ながら死亡された方の推移も掲載いたします。2018年7月は124人に達して、当時史上最悪と言われた2010年の時の値を越えてしまいました。2018年8月は8月12日時点でです。
クリックすると拡大
nice!(124)  コメント(30) 

泊まったホテルの朝食 エッグベネディクト(Egg Benedict) [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ハワイに着いて最初の朝食は泊まったホテルのレストランで食べることにいたしました。その日の行動の作戦会議でもあるのです。レストランのはホテルの前のカイマナビーチに面して作られていました。泊まったホテルで朝食を食べたのは計3回で、その1回目の朝食でもありました。

今回座った場所からの景色です。レストランの中に大きな木があるのが特徴で、そのためかレストランの名前にはHau Tree Lanai(ハウツリーラナイ)が付けられていました。
クリックすると拡大

飲み物はハワイらしくパイナップルジュースを頼みました。 もちろん生ジュースです。
クリックすると拡大

私が頼んだのはレストランの名物料理であるClassic Egg Benedict (エッグベネディクト)です。エッグベネディクトが2個にポテトとパイナップルが添えられていました。
クリックすると拡大

エッグベネディクトはグリルしたイングリッシュマフィンの上に、ターキーとカナディアンベーコンと半熟のポーチドエッグをのせて、オランデーズソースをかけたものです。
クリックすると拡大

エッグベネディクトを切ってみた写真です。半熟玉子が流れ出ておいしさを伝えてくれました。
クリックすると拡大

家内が選んだのがカイマイ ブレックファースト(kaimana Breakfast)でした。玉子は2個使われています。ベーコンが乗っていますが、ベーコン、ハム、スパム、ソーセージの中から選ぶのです。パンはホールウィートかホワイトトーストを選択します。ポテトの代わりにライスを選ぶことが出来ます。
私と家内は別のものを頼んでいますがシェアーしていただきました。ハワイは1皿の量が多いので、1皿を2人でシェアして食べるのが。量的には丁度良いのですが、いろんなものを食べたいので、それぞれ1皿を選んだのです。
クリックすると拡大

これは冒頭の写真で、食べ終わった8時の写真だったのです。我々が食べ始めた時には空いたテーブルがありましたが、食べ終わった8時には満席で朝食を食べに来た人たちの行列が出来ているほどだったのです。後でわかったことですが、別のホテルから食べに来る人たちが多いことが判ったのです。
クリックすると拡大

場所を紹介します。
 店名 Hau Tree Lanai ハウツリーラナイ
 場所 ニューオータニ カイマナビーチホテル
    The New Otani Kaimana Beach Hotel
 住所 2863 Kalakaua Avenue, Honolulu, Oahu, HI 96815
 電話 +1 808-921-7018
 営業 7:00~21:00
 定休 無休
  Hau Tree Lanai(The New Otani Kaimana Beach Hotel)

nice!(76)  コメント(20) 

ハワイ旅行の初日の夕食はロブスターテールとガーリックシュリンプ  [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
これがハワイの料理です。ハワイ旅行の1日目の夕食は娘が友人から教えてもらったシーフードの人気店「Blue Water Shrimp and Seafood」に行ってみることにいたしました。ホノルル美術館からホテルに戻ってきてビーチに出る前にホテルの人から電話してもらい19時に予約してもらうように頼みました。ところがレストラン人の回答は予約は出来ないけれども早めにくれば大丈夫とのことでした。

1日目のため場所が判らないのでタクシーで行くことにして、18時にタクシーを予約してもらいました。タクシーの運転手にはホテルの人から行き先を説明してもらいました。一方通行が多いために一見は遠回りのタクシールートになっています。
  Blue Water Shrimp and Seafood(1日目夕食)
  泊まったホテル(The New Otani Kaimana Beach Hotel)
  LuLu's Waikiki(3日目朝食)
 ━━ タクシールート


レストラン(Blue Water Shrimp and Seafood)について予約が出来ない理由が判りました。ファーストフード店のように並んで料理を注文するタイプのお店でした。確かに人気店で、写真を撮った時は並んでいる人は少なかったけれども、ほとんどは店から溢れるほど並ぶ状態だったのです。そんなことから問題がありました。テーブルを確保しないと食べれないのです。お店の外に沢山のテーブルが置かれているのですが、テーブルが空くのを待っている人が多いために簡単には確保できないために、並んで注文しても料理が出来上がった時に座れている保証がないために、テーブルを確保してから並ぶことになるのです。そのために沢山並んだ人も、ほとんどの人が諦めて離れていきました。諦めようか悩んでいる時に目の前のテーブルが空いて、テーブルを確保することが出来たのでした。
クリックすると拡大

こちらがメニューです。シーフード以外にもいろんな料理がありましたが、食べる料理は行く前からシーフードと決めていました。近くのホテルに泊まっていればテイクアウトして部屋で食べれば確実に食べれます。
メニュー区分は次の4つでした。
 TEASERS      Appetizers
 SURF       Seafood
 FRESH CATCH   Fish
 TURF        Meat 
クリックすると拡大

こちらがメニューの中のシーフード(Seafood)の部分です。お店の一番人気のGarlic Shrimp(ガーリックシュリンプ)とLobster Tail(ロブスターテール)を頼みました。片道のタクシー代はチップも入れてロブスターテールより少し高い程度でした。
クリックすると拡大

並んで注文すると、このカードを渡されるのでテーブルの上に置いておくと店員さんが出来上がった料理を持ってきてくれます。
クリックすると拡大

これがLobster Tail(ロブスターテール)で名前の通り伊勢海老のテールと呼ばれるものをグリルしたものです。テールと呼ばれていますが、日本では身が沢山詰まった胴の部分です。Brazilian Rookという名前が付けられた料理でした。ステンレスの容器に入ったタレをつけて食べました。
クリックすると拡大

ロブスターテールの部分を別角度から拡大いたしました。これは食べごたえがありました。
クリックすると拡大

上の写真をクリックすると拡大しますが、クリック乃面倒な方のために拡大写真を掲載します。クリックするとさらに拡大いたします。
クリックすると拡大

こちらがお店で一番人気のGarlic Shrimp(ガーリックシュリンプ)です。サラダとトーモロコシに加えて、白米のご飯もついていました。
クリックすると拡大

ガーリックシュリンプの部分を拡大いたしました。実は高級店でも入れる服装で行ったのですが、その必要は全くありませんでした。でも味は、人気店というだけのことはありました。帰りはバス一日券があったのでバスで帰りました。お店を紹介します。
 店名 BLUE Water Shrimp 又は Blue Water Shrimp and Seafood
 住所 Rainbow Bazaar 1st Floor, 2005 Kalia Rd, Honolulu, HI 96815
    Hilton Hawaiian Village内
 電話 +1 808-955-5400
 営業 9:00~23:00
 定休 無休
クリックすると拡大

追伸
2018年8月3日から関西に行ってきます。家に帰ってくるのは8月14日です。関西に行っている間はネット事情の関係で皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
nice!(80)  コメント(20) 

八日市場の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
千葉県香取市佐原で2018年7月13日~15日に行われた「佐原の大祭」の7月14日(土曜日)の18時30分から20時まで、10台の山車(だし)の連続「の字廻し」が行われ、運よく最前列で見ることが出来ました。寺宿通りに並んだ上仲町荒久本川岸八日市場、浜宿、寺宿、他宿、仁井宿、船戸、下仲町の順番に行われ、上仲町と荒久と本川岸の3つの山車の「の字廻し」はすでに紹介いたしました。クリックすると拡大今回は4番目の八日市場(ようかいちば)の山車の「の字廻し」を紹介したいと思います。山車の上に乗っている飾り物はほとんどが江戸の有名な人形師が作った人形なのに対して、八日市場の飾り物は麦わらで作られた鯉(こい)なのです。古文書の記述より最初に麦わらの鯉が作られたのは約200年前の文政年間(1818~1830年)だそうです。驚いたことに鯉の制作方法が伝承続けられていて5年ごとに町内の人達で更新されていることでした。現在の鯉は平成26年(2014年)に作られたものだそうです。右の図をクリックすると佐原の大祭のパンフレットの中の詳細スケジュールを表示します。

その麦わらの鯉のすばらしい出来栄えを見ていただきたくて頭部の写真を掲載いたしました。鯉の口は動くようになっていました。
クリックすると拡大

17時前までに寺宿通りに山車が並べるためにいろんな方向から10台の山車が集まってきました。八日市場の山車は細い路地から寺宿通りに入ってきました。その路地から曲がって寺宿通りに並ぶ瞬間の動画を紹介します。本動画は頭から2分28秒の最も迫力のある時点からスタートするように設定しています。動画は寺宿通りの北方向から南に向かって路地との曲がり角を撮っています。


18時には灯籠に灯が入り入り、18時30分から上仲町→荒久→本川岸と「の字廻し」が行われ4番目の八日市場の山車が動き始めたのは18時50分でした。
我々が見ていた場所からのGoogleストリートビューも紹介します。→ポチッ
クリックすると拡大

の字廻しが行われる交差点に近づいてきました。ちなみに八日市場区は約250世帯だそうです。
クリックすると拡大

さらに近づいてきました。
クリックすると拡大

上の写真を拡大いたしました。
クリックすると拡大

さらに拡大いたしました。麦わらの鯉の口が開いているのが分かってもらえると思います。口の中から開閉するための細いひもが出ています。
クリックすると拡大

位置に着く直前です。こちらでは口は閉じています。
クリックすると拡大

上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
クリックすると拡大

位置に着くと「の字廻し」が始まりました。
クリックすると拡大

上仲町と本川岸の記事では始まるところから終わるまでの6分47秒(上仲町)と5分36秒(本川岸)の動画を紹介しましたが本動画は一部だけで2分50秒です。口が開いたり閉まったりするのも判ってもらえると思います。


の字廻し中の麦わらの鯉を紹介します。大鯉と呼ばれる麦わらの鯉は、長さが3.5m前後の山車よりも遥かに長い6.65mで、高さも1.68mあるそうです。内部は竹の骨組みが入っています。
クリックすると拡大

やはり若連の人達の頑張りを紹介したくなります。3連続の写真で紹介します。
クリックすると拡大

この角度の写真が一番迫力があると思いませんか。
クリックすると拡大

我々の目の前を過ぎたところの写真です。
クリックすると拡大

動画でも若連の人達の頑張りを紹介したいと思います。


写真の中の右側の2本の棒の手前側の棒を中心に廻していました。
クリックすると拡大

男性陣は提灯で掛け声をかけているのに対して女性陣は日の丸の扇子で掛け声をかけて応援していました。白い浴衣の女性と法被(はっぴ)の女性がおられました。ヘッドホンをつけている人はテレビ局の音声さん(音声収録担当)です。
クリックすると拡大

女性陣の応援を動画でも紹介します。白い浴衣の女性陣の応援はピッタリと息があっていることが判ってもらえると思います。


のの字廻しが終わった瞬間です。
クリックすると拡大

西方向に退場して八日市場の「の字廻し」が終わりました。
車輪の回転跡が鮮やかに残っています。
クリックすると拡大

佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :明治29年(1896年)
 ② 飾り物の初制作年  :文政年間(1818~1830年) 古文書の記述より
 ③ 額の文字      :龍の彫刻
 ④ 一口メモ      :飾り物の鯉は、麦わらを使い、町内全員の協力で
              5年ごとに制作。今の鯉は平成26年の作。
 ⑤ 担当の下座連    :内野下座連
 ⑥ 地区        :八日市場(ようかいちば)
 ⑦ 飾り物       :鯉(こい) 
クリックすると拡大

大鯉と呼ばれている八日市場の鯉の飾り物に関する記述を紹介します。本内容は香取市の広報誌(広報かとり)の2014年の記事「大鯉が生まれ変わる/佐原の大祭夏祭り」から転用させていただきました。麦わらだけでなくイネ科マコモ属の真菰(まこも)も一部の装飾(エラや口ひげなど)に使われているようです。
クリックすると拡大

その記事の中に制作手順の写真が掲載されていたので紹介します。制作期間は約2ケ月だったそうです。この時の作業は町内の役員などや当役・若連が総出で行なわれたそうです。平日は仕事をしているため、都合のつきやすい週末が中心となったそうです。工程は大きく、骨組みの組み立て→麦わらの皮むき→表面の縫い付け→装飾の制作→取り付けの順で進められたそうです。古い図面も残っていますが、各部所の細かな制作や取り付けなどのノウハウは、10回ほど大鯉づくりを経験されている右の写真の玉造忠さんなどの経験者の指導の下の実体験を通して若い世代に伝えられていようです。2014年5月3日の仕事始めでは杉の丸太に板を組ませて骨組みを作り() 、制作の成功を祈念する神事()を行ったそうです。


クリックすると拡大大鯉を作る作業風景の一枚です。全身を覆う表面やうろこに使う麦わらは新潟県から取り寄せ、鯉の見栄えを左右する麦わらは、節毎の表皮を手で剥き、中のきれいな部分を使用するという非常に手間な作業によって出来上がるとのことです。
こちらも右の写真の「広報かとり」のNo.199 平成26年7月1日号から転用させていただきました。右の写真をクリックすると全文一括版(PDF:6,349KB 全12頁)を表示します。


広報誌「広報かとり」に取り上げられた2014年の制作過程記録写真のスライド動画が掲載されていたので紹介します。材料の使用先は次の通りであることが判りました。
 木材     骨格
 竹      表面整形材
 簟(むしろ)   下地
 大麦     表面 鱗
 真菰(まこも)  髭(ひげ) 側線 他 


2007年の大鯉の制作の動画がYouTubeに掲載されていたので紹介します。この時は大鯉の骨組みは前のものが使われたようです。上のスライド動画と一緒に見ると効率的です。

nice!(121)  コメント(36) 

本川岸の山車の「のの字廻し」 佐原の大祭 2018年7月14日  [佐原 潮来]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

千葉県香取市佐原で2018年7月13日~15日に行われた「佐原の大祭」の7月14日(土曜日)の18時30分から20時まで、10台の山車(だし)の連続「の字廻し」が行われ、運よく最前列で見ることが出来ました。寺宿通りに並んだ上仲町荒久本川岸八日市場、浜宿、寺宿、他宿、仁井宿、船戸、下仲町の順番に行われ、上仲町と荒久の「の字廻し」はすでに紹介いたしました。今回は3番目の本川岸(ほんがし)の山車の「の字廻し」を紹介したいと思います。本川岸の山車の「の字廻し」に関しては最初から最後までのフルの動画を撮りました。クリックすると拡大クリックすると拡大フルの動画を撮ったのは10台の内の3台だけなので是非とも見てもらいたいと思います。3台しかフルの動画を撮らなかったのはカメラの電池容量に不安があったからです。右の図をクリックすると佐原の大祭のパンフレットの中の詳細スケジュールを表示します。上仲町の「の字廻し」は回転させる位置に着いたとたんに廻し始めましたが、本川岸は位置に着いてから回転が始まるまで42秒間かかったので少し長めの動画になっております。途中をカットしようかとも思いましたがせっかくのフル動画なのでそのまま掲載させていただきました。

2番目の荒久の「の字廻し」が終わって荒久の人達が退場すると、背中に「天細女命」と書かれた浴衣を着た人たちが入場してきて周りを囲みました。通りの向かいに青色の浴衣の4人の背中にも「天細女命」とかかれています。「天細女命」の浴衣を着ていたのは全員ではなく比較的年配の人だったので、本川岸地区の古役(こやく)あるいは当役(とうやく)の人達のように感じました。当役(とうやく)より若い人が若連(わかれん)です。周囲のあちらこちらから、「天細女命」はなんと読むのだらという声が聞こえました。「天細女命」は「あめのうずめのみこと」と読み、日本神話に登場する神です。「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子だそうです。実は本川岸の山車の飾り物の人形が「天細女命」だったのです。
クリックすると拡大

寺宿通りに並んだ本川岸地区の山車です。寺宿通りに先頭から上仲町荒久、本川岸、八日市場、浜宿、寺宿、他宿、仁井宿、船戸、下仲町と並び、前から3番目が本川岸の山車でした。
クリックすると拡大

人形を拡大いたしました。日本書紀(720年)では天鈿女命と書かれていますが、古事記(712年)では天宇受賣命と書かれているそうです。
クリックすると拡大

人形を下げた時の状態です。低い電線のある道路も行くことが出来るように考えられた工夫です。他の山車にも同じ工夫がされていました。
クリックすると拡大

本川岸の山車の説明板が置かれていました。パンフレットでは制作は明治15年と書かれていましたが本説明板では明治16年となっていました。重量は4.1トンなので乘っているお囃子の人達の体重や飾り物の重量を入れると5トン近くになると思われます。
クリックすると拡大山車の寸法を紹介します。
 高さ 十四尺 4.2m
 正面  九尺 2.3m
 奥行 十一尺 3.3m  
 重量 千百貫 4.1トン
クリックすると拡大

本川岸の山車が入ってくるところです。動画はコンデシを高く掲げで撮っているので同時に写真は撮れないのです。大きな一眼レフのカメラ(Canon 5D)は家内に渡して写真撮影は任せました。それだけでは足らないので動画から加工して写真にいたしました。こちらは動画から加工した写真です。
クリックすると拡大

徐々に「の字廻し」が行われる交差点に近づいてきました。こちらは家内が一眼レフで撮った写真です。目線が低い写真が家内の撮った写真で、少し高い位置からの写真が動画からの加工写真です。
クリックすると拡大

山車が交差点に入ってきました。
クリックすると拡大

回転位置に来て、回転が始まった瞬間です。香取街道方向に沈む太陽が見えます。丁度、太陽が沈む時刻でした。
クリックすると拡大

若連衆の頑張っている写真を3連連続で紹介します。回す棒が見物客に最も近づく部分ですれすれを廻っていきます。
クリックすると拡大

我々の方に廻ってきました。
クリックすると拡大

1回転目なので若連の人達も、まだ余裕は残っているように感じました。
クリックすると拡大

若連の人達の動画も紹介します。冒頭の動画から切り取りました。


クリックすると拡大山車が廻っている最中の天細女命です。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)に隠れて世界が暗闇になったとき、エロティックな動作の舞を天岩戸の前で踊って、天照大神に戸を少し開けさせたのが天細女命(あめのうずめのみこと)だったのです。この神話を思い出した方も多いと思います。天岩戸の前のエロティックな舞の詳細に関しては、ちょっと書きずらいので古事記の記載を読んでいただきたいと思います。
クリックすると拡大

大祭では子供たちも主役です。扇子を振って盛り上げてくれています。
クリックすると拡大

もちろん女性陣も祭の花でした。
クリックすると拡大

冒頭の動画から女性陣の部分を抜粋した動画を紹介します。


テレビ局の人だけは中での撮影が許されていました。一緒に回りながら撮影されていました。佐原の大祭は夏祭り(7月・本宿祇園祭)と秋祭り(10月・新宿秋祭り)の年2回行われています。それぞれ神社も違い山車(だし)も違いそれを担当する地区も違うのです。佐原(さはら)の中を流れる小野川の東側が夏祭り地区で、西側が秋祭り地区になります。
 夏祭り 八坂神社 山車10台 金曜~日曜日(7月10日以降)
 秋祭り 諏訪神社 山車14台 金曜~日曜日(10月第2土曜日)
クリックすると拡大

終盤になると若連の人達も全員が力を出すために眼をつぶっている状況でした。上仲町の時と同様に回転時間を調べてみました。倍の数値は1回目に対するかかった時間の比率です。上仲町に比べると1周目は2倍の時間を要していますが安定したスピードで廻っており、5回転合計は232秒(本川岸)≒216秒(上仲町)と上仲町と似た数値となっています。着色文字をクリックするとその回転が始まるところからの動画を表示します。
 1回転目 41秒(360°) 1.00として
 2回転目 48秒(360°) 1.17倍
 3回転目 49秒(360°) 1.20倍
 4回転目 51秒(360°) 1.24倍
 5回転目 43秒(330°) 1.14倍 合計232秒(3分52秒) 平均47.2秒/回転
クリックすると拡大

終了して西に向かっているところです。沈みかけた太陽がまだ残っていました。
クリックすると拡大

完全に会場から出たところです。
クリックすると拡大

佐原駅で配られていた佐原の大祭の山車と人形などの飾りの説明部分です。青枠の部分が今回の山車に関する部分です。クリックすると文字の読める大きさに拡大いたします。
 ① 山車の制作年    :明治15月年(1882年)
 ② 飾り物の制作年/作者:文化元年(1804年)/鼠屋五兵衛(戦後大修復)
 ③ 額の文字      :咲樂(しょうらく)
 ④ 一口メモ      :江戸の人形師鼠屋の銘が御頭内部に確認された。
              通称おかめさんは現存最古の飾り物と判明。
 ⑤ 担当の下座連    :新和下座連
 ⑥ 地区        :本川岸(ほんがし)
 ⑦ 飾り物       :天細女命(あめのうずめのみこと) 
クリックすると拡大
nice!(85)  コメント(20) 

ホノルル美術館 本館2階展示室 [ハワイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ハワイ旅行の初日に行ったホノルル美術館(Honolulu Museum of Art)に関して下記の着色タイトルの6つ記事を掲載しましたが、今回が最後の記事です。ホノルル美術館の本館は外観は1階建てのように見えます。航空写真の3Dでも2階に相当する窓がなく1階建てのように見えまクリックすると拡大す。
偶々見つけた階段を上ってみると展示室があったという感じなのです。そこで印象的だったのが上の写真のエリアでした。
 路線バスでホノルル美術館を目指しました。
 絵画編 西洋美術
クリックすると拡大クリックすると拡大 Art of Hawaiʻi エリア編
 特別展編 Erick Swenson
 モダンアート編
クリックすると拡大 日本・中国・韓国美術編
 本館2階展示室  ← 今回

中央の中庭の写真を帰国後に見て中庭の周囲の建物が2階建てあることが分かりました。中央の中庭を囲む部分だけが2階建ての建物であることは右上の3Dの航空写真をじっくり見て確信いたしました。
クリックすると拡大

美術館の配置図に追記した青枠の部分が展示エリアでした。よく見ると配置図にTo Floor 2:の注記が書かれていました。注記の内容は次の通りで、フィリピン美術、アメリカ美術、太平洋、アフリカ、古代ラテンアメリカ、北アメリカの展示エリアだったのです。見逃して帰ってしまう人もおられると思い掲載させていただきました。エレベーターは南東の位置()にあります。
 To Floor 2:
 Art of the Philippines
 American Art
 The Pacific, Africa, Ancient Latin America and North America
配置図の赤枠部分は別館の2階の展示室で、すでに紹介したArt of Hawaiʻiの展示場所でした。ホノルル美術館全体で2階の展示室は青枠部分(本館)と赤枠部分(別館)の2ケ所だけでした。
クリックすると拡大

こちらはThe Pacific(太平洋)エリアです。右側だけに窓があり左側の天井が傾斜しているので、右側が中庭側で左側が屋根の部分と思われます。
クリックすると拡大

こちらはAfrica(アフリカ)のエリアです。こちらも右側が中庭の方のだと思われます。
クリックすると拡大

確証はありませんが、壁の絵画はAmerican Artでしょうか。家具類も展示されていました。
クリックすると拡大

キリストと思われる小さな像が壁一面に飾られていました。こちらも確証はありませんがArt of the Philippinesのエリアのように感じました。私はカトリックではありませんが、2階の展示室で最も印象的な部屋でした。
写真内の左端の大きな木像をネットで調べてみると「St. Thomas Aquinas, 18th century wood statue from the Philippines」と書かれていたことから、クリックすると拡大木像は18世紀にフィリピンで彫られた聖・トマス・アクィナスの像であることと、ここがフィリピン美術のエリアであることも判りました。正面から撮っていなかったので右の写真をネットから転用させていただきました。聖・トマス・アクィナス(1225年頃~1274年没)はフィリピンには行っていないようですが、マニラに1611年に聖・トマス・アクィナスを記念して創設されたクリックすると拡大世界最大級(2015年時の生徒数44,791人)のカトリック大学(単一キャンパスの学生数が世界最大のカトリック大学)である右の写真の聖トマス大学(University of Santo Tomas)があるようにフィリピンと聖・トマス・アクィナスの思想とは関係が深いようです。
クリックすると拡大

壁の沢山の小さい像を拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。いろんなタイプがあるのでキリストだけではないようです。
クリックすると拡大
nice!(113)  コメント(18) 
前の7件 | -