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スイスのお巡りさん   [スイス]

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前記事で昔の六甲全山縦走大会の懐かしい出来事を掲載したことを機会に本記事を再掲載いたしました。
記事初掲載 2009/08/20 閲覧   0 /nice  0 /コメント 0
新日付掲載 2019/06/11 閲覧 3,358 /nice 154 /コメント 40
2019/06/13 閲覧 3,828 /nice 233 /コメント 56
スイスには今までに4度行きましたが、初めて行ったときの昔の写真を紹介いたします。この時はドイツのマンハイムから列車でチューリッヒに日帰りで来ました。クリックすると拡大EUは女性のお巡りさんが多いですね。
特にチューリッヒのお巡りさんは印象的でした。チョットかっこいいのでお願いして撮らせてもらいました。

車の形式も古いでしょう。今から26年7ケ月前の1992年11月7日の写真です。ヨーロッパでは少なくとも27年前から女性が活躍していたことをあらためて写真で確認して、日本がいかに遅れているかを実感いたしました。1992年は初めてヨーロッパ(ドイツ)に行った年で、その年(1992年)は4月と7月と11月の3回ドイツに行き、その3回目の時にスイスに足を伸ばしたのでした。
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お願いをして、右の写真のように私の友人と話しているシーンを演出してもらって写真を撮らせてもらったのです。もちろんこの時代はフィルムカメラでした。ネガからデジタル化しました。クリックするとフィルムのアナログ感を感じてもらえるかもしれません
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あのころのチューリッヒの町の風景です。
最近のスイスの記事はこちらです。→Biel/Bienne レンツブルグ
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記念写真も沢山撮ってドイツのマンハイムに帰りました。仕事で11月3日から11月11日までドイツのマンハイムに来ていて土曜と日曜に自由時間が出来たので土曜日(11月7日)は仕事仲間の友人と日帰りでスイスのチューリッヒに来ました。翌日の日曜日(11月8日)は1人でケルンとボンに行きました。
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実はインドの発電プラントプロジェクトをドイツの会社と共同で受注したことで何度もドイツに来たのです。インドでは下記の3つの発電プラントに関わりました。その最初のプロジェクト(700,000KW / 70万KW)の関係でドイツのマンハイムに来た時にスイスに行って今回の写真を撮らせていただきました。このインドプロジェクトの経験から発電プロジェクトの設計担当および責任者として世界の59ケ所に発電プラントを納めることが出来ました。
8,000KW       700,000KW      1,500,000KW


クリックすると拡大私が登録しているブログテーマ「PC・WEB」の中の「日記・雑感」のプログランキングを表示した時に表示される小さな写真(120 x 72)に右のアニメーシュンGIFが表示されるように設定いたしました。画面内の赤枠の部分です。
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追伸
また、2019年6月13日~6月20日まで関西です。そして6月15日は大阪のホテルで行われる後輩の結婚式に出席します。関西に行っている間は皆様のところに訪問出来ないことお許しください。

昔の六甲全山縦走大会 [思いで]

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前記事でのハイキングの参加者は入社した当時の神戸の仲間でした。その打ち上げの飲み会の中で昔の六甲全山縦走大会に参加したことが話題になったので、私の入社当時の古いことですが本記事で紹介したいと思います。
その時代は「市民」の文字が入って六甲全山縦走市民大会と呼ばれていました。この大会は「六甲全山縦走市民の会」が主催しており、現在、その事務局は神戸市役所の市民参画推進局文化交流課の中にあります。1975年11月23日(祝日)に第1回が行われて、2018年11月11日(日曜)と11月23日(祝日)に第44回の六甲全山縦走大会の全縦(56km)が行われました。11月23日(祝日)には新神戸駅ゴールの半縦(23.6km)も同時に行われました。2018年が第44回なので阪神・淡路大震災(1995年1月17日)に襲われた1995年も含めて第1回から毎年必ず1回行われたことになります。1月17日から10ケ月があったことで実行を決断出来たのだと思います。2018年の正式名称は「2018 KOBE 六甲縦走全山縦走大会」です。ただし「2018 KOBE 六甲縦走全山縦走大会(第44回)」という表現も使われていました。
私の時の参加人数や完走者数は今となっては判らないので、2018年の人数を紹介します。参加は申込定員制(1800人/日)で、実際の参加者は11月11日が1592人で、11月23日が1514人の合計3106人でした。驚いたことに全縦走の最高齢完走者は男性86歳で女性73歳でした。
下記表のように2018年の完走率は84%ですが、第1回~第44回の累計参加者の完走率も84%(=131,758名÷157,093名)です。
参加者(人) 完走者(人) 完走率
男性 女性 合計 男性 女性 合計 男性 女性 合計
全縦 2493 613 3106 2135 476 2611 86% 78% 84%
半縦 243 153 396 226 141 367 93% 92% 93%
上で紹介した神戸市(六甲全山縦走市民の会)主催の六甲全山縦走大会以外に兵庫県勤労者山岳連盟(兵庫労山)が主催する六甲全山縦走大会もあります。こちらは人数的には神戸市の40%程度ですが、全縦コースと西コース(半縦)と東コース(半縦)があり、2年がかりですが2回参加することで全山縦走を完成させられる特徴があるようです。さらに神戸市より歴史が古く、1966年に第1回が行われ2019年3月10日(第2日曜)に第53回が行われました。1月に地震があって3月なのでさすがに1995年は中止になったようです。
それでは私が参加した昔の六甲全山縦走市民大会の説明に戻ります。
コースは上の地図で示している通り神戸市垂水区の塩屋から宝塚市の宝塚駅(阪急)までの公称56kmでした。早朝に出発するために会社の塩屋の独身寮の人の部屋に泊めてもらい、集合場所の山陽電鉄の塩屋駅に行くと右の参加証(記録兼チェックカード)を受け取って出発いたしました。すでに5分間の間に沢山の人が出発していていました。泊めてもらった部屋の住人も、この六甲全山縦走市民大会に参加いたしました。チェックポイントを紹介します。
到着 出発 チェックポイント
5:05 塩屋
6:45 6:45 萩の寺
高取山頂
菊水山頂
鍋蓋山頂
9:05 9:05 再度山大竜寺
10:00 10:00 摩耶山頂
11:10 11:30 記念碑台
12:05 12:05 最高峰一軒茶屋
12:30 13:00 東六甲縦走路分岐点
大平山
14:15 宝塚駅
現在の出発地 須磨浦公園
萩の寺、再度山大竜寺、記念碑台、東六甲縦走路分岐点、宝塚駅には係員の方がおられて到着すると右および下のように印を押してもらえました。

塩屋を5時05分に出発して宝塚駅に14時15分に到着したので、56kmを9時間10分で歩いたことになります。ただし、年々競争がエスカレートして6時間で走る人が出てきたことから、本来の楽しく歩く趣旨からかけ離れてマラソン大会のように競争の場になることを防ぐために係員のいるチェックポイントでは、その時間より早く出ることが出来ない出発時間が設定されていました。例えば東六甲縦走路分岐点では、どんなに早く到着しても13時までは待ってから出発するのです。私の場合は記念碑台で20分、東六甲縦走路分岐点で30分ほど足止めされたことから実質は8時間20分でした。
ちなみに六甲全山縦走の現在の出発地点は須磨浦公園です。
ネットで調べてみると、右の2018年の記録兼チェックカードでは須磨浦公園(スタート 5:00~7:00)→クリックすると拡大妙法寺小学校→菊水山(8:30~12:20)→鍋蓋山頂東→再度山大竜寺→摩耶山上掬星台(12:00~15:50)→六甲山記念碑台→一軒茶屋(13:50~18:20)→大平山→宝塚(ゴール 16:30~22:00)になっていました。赤色文字のところでは係員の方が印を押してくれます。時間は印を押してもらえる時間です。
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記念碑台から宝塚駅までは競争しないように、4人くらいのトップグループで一緒に歩きました。そのトップグループで同時にゴールいたしました。ゴールした人がある程度集まると記念写真を撮ってもらいました。この写真は9番目の人がゴールした時に撮った記念写真です。クリックすると判ると思いますが、目の辺りだけ「ぼかし」を入れております。左から2番目の赤いウインドブレーカーを着ているのが私です。六甲山縦走路は大半が細い道で行列して歩いていることから出発して5時間くらいは追い抜きは難しい状態が多かったです。それでも記念碑台までは渋滞していないところでは走っていました。最初に出発して渋滞が無ければ実質7時間は切れた感じではありました。会社の同じ年齢の人達も沢山参加されましたが、夕方から夜に宝塚に着いたと言っていたので12時間~16時間だったようです。写真は後で家に送ってもらいました。
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認定証もいただきました。この六甲全山縦走は「全山」というところに大きな意味があるのです。六甲山最高峰931mをはじめ沢山の高い山を登っては降りることを繰り返すことから、諸説ありますが登りの詳細累計標高は3659.3mにもなるようです。連続の登りではないので3660mの標高の山に登る場合とは比較できませんが、距離があるのも厳しい条件になると思います。特に高取山、菊水山、鍋蓋山は登っては下り、登っては下り、登っては下りはかなりのものでした。このころの体力ならば、渋滞が無ければ登りも下りも全て走れたと思います。もちろん、今は無理です。


参考に15時間30分で歩かれた方の例を掲載させていただきます。現在の大会では走るのは禁止されています。


最初に紹介した写真も含めて5枚も撮っていただきました。最初の頃で人が少なかったので沢山撮ってもらえたのだと思います。昔の写真である上に拡大はしないように設定しているので「ぼかし」は行っていません。宝塚駅構内で、認定書と記念品をもらっうために並んでいるところです。私は参加証に印を押してもらっているところです。


クリックすると拡大こちらの写真は記念品を受け取っているところです。印が押された参加証と認定書はを左手に持っています。記念品は盾(たて)だったと思います。探しましたが見つからないのでとりあえず、ネットから転用させていただいた写真を右に紹介します。見つかれば写真を差し替えるつもりです。


駅前で記念写真を撮りました。後ろの券売機のところに「阪急電車 きっぷ うりば」と書かれています。この写真で阪急の宝塚駅であることが分かりました。左端の「おつかれさま 六甲全山縦走市民大会 完走おめでとうございます」の立て看板が光っていました。ほとんどの人が歩きますが「完走」にも「縦走」にも「走」の文字が使われます。確かに「完歩」や「縦歩」では、分かりにくいし、ぴんとこないです。


武庫川に架かっている歩道橋の上での記念写真です。この歩道橋は今はありませんが、クリックすると拡大当時は六甲山から下りてきて、この歩道橋を向こう側から手前側に渡って宝塚駅に到着しました。今は、この場所には車が通れる宝来橋があります。後ろの建物に水明館の文字が読み取れます。今は水明館はありませんがGoogle地図で水明館跡の文字を見つけることが出来ます。


クリックすると拡大最初に紹介した記念写真です。右側が武庫川の下流方向です。建設用のクレーンがあるところが宝塚歌劇の建物の場所です。右の小さな写真が建設中の宝塚歌劇の建物をオリジナルの写真から切り取って露出調整したものです。


クリックすると拡大類似した角度の現在のストリートビューです。プラス(+)のアイコンを2回クリックして右側を真中に持ってくると拡大された宝塚歌劇の建物を確認することが出来ると思います。
右の写真はその部分を切り取ったものです。


従来は六甲全山縦走の累計標高は2800mと記載しているサイトが多かったです。約3000mと書かれているサイトもありました。GPS と地理院地図の高度データにより詳細に計算したのが下記のサイトで累積上昇高度(累計標高)は3659.3mで累積下降高度は-3627.6でした。下記は出発地点を須磨浦公園(現在の出発地点)としていますが、標高に関しては塩屋(当時の出発地点)も同程度です。ただし須磨浦公園は塩屋よりかなり東なので須磨浦公園出発の方が距離は短くなると思われます。代表的な標高も紹介します。結婚してすぐに買った家からは横尾山と高取山が見えました。右の上の写真は横尾山山頂に登った時に撮った高取山です。高足山の左奥に菊水山が写っています。この写真を見てもらうとアップダウンが激しいことを想像していただけると思います。その下の写真は縦走以前に撮った最高峰の石碑が、この時代は六甲山最高峰には米軍施設があり立ち入り禁止のために、その横に建てられた石碑です。この石碑の位置は最高峰より若干低いけれどもここの横を通りました。その最高峰の写真をクリックすると3枚組を表示します。
標高を参考にさせてもらった資料→ポチッ
クリックすると拡大 須磨浦公園   12.6m
 旗振山    252.6m
 鉄拐山    234m
 栂尾山    274m
 横尾山    312.1m
 東山     253m
 高取山    237.8m
 菊水山    458.3m 
クリックすると拡大 鍋蓋山    486.1m
 再度山    470m
 摩耶山    690.1m
 摩耶別山   715m
 六甲最高峰  931.25m
 水無山    804m
 大平山    682m
 譲葉山    514m
 岩倉山    488.4m
 宝塚駅     44.3m 3659.3-3627.6= 31.7 =44.3-12.6
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上でも小さな写真で紹介した横尾山山頂から撮った高尾山の写真です。その写真の右側には神戸の市街地が広がっていたのです。高尾山の左奥には菊水山がうっすらと写っています。これを歩いて行くわけなので登ったり下りたりすることが実感していただけると思います。結婚してから東京に転勤になるまで横尾と呼ばれる場所に住んでいたのです。ただし六甲全山縦走をした時は結婚すること自体考えてもいなかったので、クリックすると拡大この場所(横尾)に住むことになるとは想像だにしていませんでした。横尾山は近かったので頻繁にワラビを採りに登りました。ワラビは茹でてマヨネーズかワサビ醤油でいただきました。子供が生まれてからも六甲山系のいろんな山に、右のようなスタイルでよく登りました。須磨浦公園( スタート )と書かれているところが、私が歩いた時は塩屋( スタート )でした。この時に住んでいたのは宝塚駅( ゴール )近くの実家の家でした。
3つ目の画面の横尾山から黄色線方向(神戸港方向)を撮ったのが上の写真です。
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参考に横尾山山頂から神戸市営地下鉄西神・山手線の妙法寺駅方向を撮った写真を紹介します。市民大会で縦走路を歩いている時は、この景色を見る余裕はなかったと思います。六甲全山縦走したのは独身時代ですが、この写真は結婚後に撮った写真です。この写真はクリックすると特別に3倍(面積で9倍)に拡大するように設定いたしました。
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妙法寺駅前の医療センターやショッピングセンターは建設中でした。今となっては珍しい写真だと思うので横尾山から200mmの望遠レンズ撮った写真も掲載いたします。こちらの写真はクリックすると特別に4倍(面積で16倍)に拡大するように設定いたしました。
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すでに上で報告の通り今の出発地は須磨浦公園駅です。私が歩いた時代の塩屋駅から旗振山までのルートと比較してみました。塩屋駅周辺は住宅が密集していることから変更したのだと思います。変更になったのは私が歩いた次の年からでした。航空写真表示→ポチッ


東山から高取山へのルートも昔と今では違うようです。昔は萩の寺を通るルートですが、今は妙法小学校近くを通るオレンジ色のルートに変わっています。チェックポイントの萩の寺()も妙法寺小学校()に変更になりました。
スタート地点から旗振山までと、東山から高取山まで以外のルートは基本的に昔も今も同じです。


六甲全山縦走のコースの山の部分に深緑色のマークをプロットいたしました。マークの数は25個になりました。プロットしてみることで、沢山の山を登り下りしたことを実感いたしました。25個の内訳は16個が上で紹介の名前が分かっている山で、9個が等高線から山と判断していますが名前が分からない山 1 ~ 山 9です。は市民大会の参加証のチェックポイントです。本画像は10枚のGoogle地図のハードコピーを表示させています。クリックするとGoogle地図で表示します。
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小学校4年から六甲山の麓に住んでいてハイキングには頻繁に行っていたのですが、山道を走る体力が付いたきっかけは高校の生物部に入ったことだったと感じています。六甲山にある横池(雌池)に毎月1~4回ほど阪急岡本駅から横池まで走って登っていました。池のプランクトンの数と水質(溶存酸素、PH)の変化を調べていたのです。プランクトンの数は学校に持ち帰って顕微鏡で数を調べるのです。おかげで足が鍛えられました。横池は雄池と雌池がありましたが、プランクトンの調査は雌池で行っていました。高校2年の時にサイクリング用の本格的な自転車を買ってもらいよく六甲山に登ったことも足が鍛えられる要因になりました。数値は標高です。
 A 岡本駅
 B 鷺宮八幡宮
 C 保久良神社 185m (保久良山 189m)
 D 金鳥山   346m
 E 横池(雄池)  432m
(F 横池(雌池)       )
 G ロックガーデン(風吹岩 447m)
 H 通っていた高校


横池の珪藻の写真を紹介します。最後の写真は生物部の活動風景です。
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高校2年から自転車に乗っていたこともあり高校卒業後、大学ではサイクリング部に入りました。4年間で6万kmを走りました。下記は2018年のOB会で現役に対して我々時代のサイクリング部紹介するために作ったパワーポインのスライドです。画面は1秒間隔で変わるようにしています。3秒間隔で見たい方はこちらです。→ポチッ


自転車で越えた峠をプロットしました。越えた峠の中で名前が判っている155をプロってしています。標高1000m以上の峠の名前です。
麦草峠(2185) 渋峠(2172) 徳本峠(2135) 車坂峠(1968) 金精峠(1843) 武石峠(1830) 安房峠(1812) 沼山峠(1784) 武石峠(1780) 三平峠(1762) 地蔵峠(1733) 平湯峠(1684) 野麦峠(1672) 馬越峠(1650) 白樺峠(1640) 和田峠(1531) 権兵衛峠(1522) 長峰峠(1503) 柳沢峠(1472) 信州峠(1464) 大門峠(1442) 十石峠(1356) 姥神峠(1280) 杖突峠(1267) 内山峠(1170) 駒止峠(1135) 白布峠(1094) 松本峠(1087)  塩ノ沢峠(1061) 塩尻峠(1055) 冠峠(1050) 傘松峠(1020)  小鳥峠(1002)


上段の2枚は高校2年から8年間使った自転車で左右は同じ自転車です。塗装が剥げてきたので、4年目に紺色から黄色に振り替えました。学生時代のサンクリング部では、この自転車を使いました。
下段の2枚の左が会社に入社して2年目に買った自転車で、右側が一番新しく買った自電車です。
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ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会 いけや食堂(箕谷)と海鮮居酒屋・海流(三宮) [神戸]

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今回のハイクの最初の記事で紹介させていただきましたが、私が会社に入社して新入社員として配属となったのが神戸の事業所でした。昨年の12月に関西に行ったときに、その神戸の人たちの神戸駅前で行われた右の写真の飲み会(12月26日 権太)に初めて参加させていただき、懐かしい思いをさせていただきました。その時に年に数回ほどハイキングを行うことを聞いて、私が関西に行ったときにタイミングが合えば参加させていただくことになりました。その後、下記の案内が届いたので初めて2019年4月20日の「神戸市北区の重要文化財巡りハイク」に参加させていただきました。
 第70回 2019年1月19日(土) 兵庫七福神巡りハイク
 第71回 2019年3月16日(土) 金比羅宮参拝と讃岐うどんを賞味するハイク
 第72回 2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六條八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅
今までに書いた記事は下記の通りです。本記事で「打上げ飲み会・全員」と「2次飲み会・有志」を紹介したいと思います。着色タイトルをクリックすると記事を表示します。
 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。
 下谷上農村歌舞伎舞台
 現存する日本最古の民家が神戸にありました。  箱木千年家
 つくはら湖の湖畔の散策
 山田町に室町時代の三重塔がありました。    六條八幡宮
 山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。無動寺
 室町時代前期建立の神社が残されていました。  若王子神社
 ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会   いけや食堂(箕谷)
                        海鮮居酒屋・海流(三宮)

無動寺と若王子神社がハイキングとしての最後の訪問場所でした。下の写真は山から下りてきて谷寺口バス停を目指して歩いている時の風景です。この時、13時59分でした。箕谷駅に集合したのが9時30分だったので、いかに飲み会の方に重点が置かれていたかが分かっていただけると思います。
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この時間のバスは1時間に1本でしたが、バスは14時24分だったので比較的早くバスが来ました。クリックすると拡大クリックすると拡大それでも待っている間にバス停の前のお店で缶ビールを買って飲む人が1名おられました。私も飲みたくなりましたが少しの我慢なので、おとなしくバスを待ちました。
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同じ路線内で3度バスに乗りましたが、その内2度が同じバスでした。クリックすると拡大箕谷駅前→衝原(右の写真)と谷寺口→箕谷駅前が同じバスでした。飲み会の場所の第一候補は出発するときに目星をつけていた箕谷駅前バス停の目の前にあったレストランでした。問題は2時台という時間でした。開いていない場合は三宮か新開地あたりに出て探すつもりでした。


Yahooのルートで確認してみました。箕谷駅前の到着予定は14時36分であることが分かりました。実際には1分早く着いたようでした。
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幸いにも目星をつけていた到着したバス停前のレストランは開いていました。時間は14時35分でした。ただしランチの時間を過ぎると一旦はお店が閉まるのです。確認すると15時を過ぎても席はある程度使わせてもらえるということなので安心して飲み会に入りました。
 店名 いけや食堂
 営業 11:00~15:00(LO 14:45) 17:00~22:00(LO 21:45)
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奥の掘りごたつの席に座って、先ずはビールで乾杯です。お店に14時35分に入って14時39分に冷たい生ビールで乾杯出来ました。私は中ジョッキを頼みました。5人が中ジョッキで、2名が小ジョッキでした。もちろんラストオーダーまで何杯も追加で注文しました。
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具だくさんのサラダが先ずは出てきました。名前は「いけやのたっぷり野菜サラダ 」です。
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次はおでんが出てきました。今回参加した人は私が新入社員の時から長く深く関わった人たちでした。1人は入社1~2年目では岡山県水島地区のプロジェクトの設計に参加させていただいた時の先輩でした。さらに入社2~3年目に設計担当をした横浜のプロジェクトの先輩もおられました。数年経って、買ったばかりの車で一緒に現場に行った先輩も参加されておられました。この時代の仕事の全てに関わった先輩もおられました。そんなこともあり話は盛り上がりました。
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ビールにはやっぱり唐揚げです。写真を撮った時にはいくつか食べられた後でした。
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山芋の唐揚げも追加で頼みました。
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ラストオーダーで頼んだ「すじねぎまみれ」です。
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座卓の上に自家製の七味「うどん屋さんがつくった七味」が置かれていました。いけや食堂はうどん(饂飩)が有名なお店でした。いろいろと美味しそうなうどんがありました。三宮で飲むつもりだったので、食べませんでしたが、今考えれば味見も兼ねて注文すればよかったと後悔しています。
クリックすると拡大桜海老と淡路玉葱のかき揚げうどん、博多牛ごぼううどん、充実野菜あんかけ、すじと揚げ茄子のぶっかけ、伝統カレーうどん、充実野菜あんかけうどん、天ぷらうどん 、十種具材の鍋焼きうどん、ごぼうかきあげうどん、長田ぼっかけうどん、九条葱鶏塩南蛮うどん、明太子バター釜玉うどん、クリックすると拡大桜鯛と焼き筍のうどん、今どきカレーうどん、お子様セット、きつねうどん、梅昆布うどん、ちく玉天ぶっかけ、大和芋と温玉ぶっかけうどん、穴玉天ぶっかけうどん、鶏天ぶっかけうどん、天ざるうどん、春キャベツとあさりの塩ボンゴレつけうどん、などなどネットで饂飩の写真を見てビールを飲みながら饂飩が食べれたと、さらに後悔いたしました。結局、お店を出たのは15時32分でした。もちろん出る時は我々だけでした。 
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クリックすると拡大お店の場所を紹介します。
右の写真は我々が座った掘りごたつの席です。
 店名 いけや食堂
 住所 兵庫県神戸市北区山田町下谷上字箕谷16
 電話 078-581-0061
 定休 なし
 営業 11:00~15:00(LO 14:45) 17:00~22:00(LO 21:45)
 SV https://goo.gl/maps/LbUiQghJWD7hedVe6
 最寄 神戸市営バス箕谷駅前 神鉄箕谷駅


2次会は三宮で飲むことになりました。参加は7人の内4人でした。箕谷から三宮には直通バスで行くことになりました。神戸電鉄から阪急電鉄に乗り継いでいくと560円ですが、バスだと440円で行ける上に時間も短いのです。


三宮について撮った乗ってきたバスの写真です。箕谷のお店を15時32分に出て、すぐに三宮行きのバスが来たので飛び乗って三宮に着いたのが16時03分でした。バスも頻繁にあるし、六甲山の下のトンネルを通ってくるので早かったのです。走行距離9.62kmの内、トンネルが7.31kmなのです。
問題はこの時間に開店してお店が見つけられるかどうかでした。


Yahooのルート検索で見ても到着は16時03分でした。ほとんどがノンストップの第二新神戸トンネルなので正確なようです。箕谷駅前を出発したのは15時39分であることが分かりました。所要時間は24分でした。時刻表を確認すると土曜日の15時台は7本(02分 12分 20分 30分 39分 48分 55分)走っていました。
画像をクリックするとルート検索画面を表示します。鉄道ルート→ポチッ
ルート検索画面を表示

やっと16時に開店するお店を見つけました。予約は満席でしたが、予約客が来るまでという条件で席に着くことが出来ました。その日の最初の客でした。最初は客は少なかったけれども18時には満席となりました。
 店名 海鮮居酒屋・海流
 営業 16:00~24:00 祝前日: 16:30~24:00
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やっぱり最初はビールをいただきました。
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お通しは枝豆でした。
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美味しそうな岩牡蠣があったので迷わず頼みました。
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美味しい牡蠣だったので牡蠣フライも頼みました。
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関サバがあったので、迷わず注文いたしました。
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関サバは分厚く切られていました。
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閉めのデザートではありません。お酒を飲みながらアイスクリームを食べる人もおられたのです。
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大きなだし巻き玉子も頼みました。つくはら湖の昼食で目玉焼きを2個もいただいたので、この日は玉子を沢山食べたことになりました。
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お店の場所を紹介します。
阪急電車(阪急電鉄)のガード下の人気のお店でした。
 店名 海鮮居酒屋・海流
 住所 兵庫県神戸市中央区琴ノ緒町5-1-411
 電話 078-581-0061
 定休 なし
 営業 16:00~24:00 祝前日: 16:30~24:00
 SV https://goo.gl/maps/5cxEdjtaVBFfXRhr7
 最寄 JR三ノ宮駅 阪神三宮駅 阪急三宮駅 地下鉄三宮駅


お店を出たのは18時30分でした。16時からだったので沢山の思い出深い話が沢山出来ました。でもまだ明るかったです。見えている山は六甲山です。太陽の光が飛行機雲だけに当り輝いている景色です。ハイキングは9時30分~14時30分で、飲み会が14時30分~18時30分と時間的にも同程度の重み(?)なのかもしれません。
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今回のハイキングに関連した範囲の地図を紹介します。今回のハイキングで国指定の重要文化財を9つ(建物:4つ 仏像:5つ)も見ることが出来ました。
 建物:下谷上農村歌舞伎舞台 箱木千年家 六條八幡宮三重塔 若王子神社
 仏像:大日如来坐像 釈迦如来坐像 阿弥陀如来坐像 不動明王坐像
    十一面観音立像
トンネルの長さ7.31kmはGoogle地図での計測値です。
  神戸電鉄( 新開地→箕谷 )
  訪問場所( 箱木家住宅 つくはら湖 六條八幡宮 無動寺など )
    バス路線( 箕谷駅前→三宮 )  部:トンネル 7.31km
    いけや食堂
    海鮮居酒屋・海流
    妙法寺駅 結婚してから関東に転勤になるまで住んだ最寄駅


神戸市交通局が発行している山田町の重文めぐりのおすすめプランを紹介します。三宮から市バスを使った重文めぐりです。バスが1時間に1本しかないので効率よく見学したい人には参考になると思います。
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室町時代前期建立の神社が残されていました。若王子神社 神戸市北区山田町 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で予告した通り無動寺の鎮守社である若王子神社を紹介したいと思います。上の写真のように無動寺の本殿のすぐ横の高いところに若王子神社があります。沢山の木々に囲まれているので屋根の部分しか見えません。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六條八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅
今までに書いた本ハイキングに関しての記事のタイトル
 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。
 下谷上農村歌舞伎舞台
 現存する日本最古の民家が神戸にありました。  箱木千年家
 つくはら湖の湖畔の散策
 山田町に室町時代の三重塔がありました。    六條八幡宮
 山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。無動寺
 室町時代前期建立の神社が残されていました。  若王子神社
 ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会   いけや食堂(箕谷)
                        海鮮居酒屋・海流(三宮)
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無動寺の本殿全体が写る位置から撮った若王子神社です。無動寺の本殿の屋根の左端の上に若王子神社の屋根が写っています。
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Google地図で若王子神社の位置を紹介します。左は航空写真形式ですが、右は木に覆われて建物が見えないことから地図にいたしました。
  無動寺   本殿
  若王子神社 本殿(社殿) 鞘社(本殿保護のための建物)
  無動時   奥の院
 住所 兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100


こちらが無動寺境内から若王子神社への入口です。
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2年前の2017年3月16日にトリップアドバイザーに提供された右の写真には、右側の祠の前に赤い木製の鳥居がありましたが、台風等で被害を受けたのか、我々が見た時には無くなっていました。
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鳥居の奥の坂と階段を上がり右に曲がると若王子神社が木の間に見えました。この山道を上がると若王子神社に着きました。
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途中に不思議な小さな石像がありました。一目見て弘法大師(こうぼうだいし)の石像と言い当てた仏門に関して詳しい方が今回のハイキングのメンバーの中におられました。
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趣のある石像なので拡大した写真を紹介いたします。弘法大師すなわち空海は真言宗の開祖です。真言宗の開祖ですから神社とは無縁ですが不思議な場所にありました。
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下の大きな写真が若王子神社・本殿(社殿)です。見ての通り神社本体を保護するために、本殿の上を屋根で覆っているのです。無動寺の境内から見えていた屋根は、この保護屋根だったのです。若王子神社の建物は室町前期にあたる応永15年(1408年)に建立されたもので、保護のために屋根の付いた建物である鞘社(さやしゃ)で覆ったのだと思われます。現存する日本最古の箱木家住宅と同じ時期に建てられれ現存している若王子神社が歩いて4kmの場所にあるのは単なる偶然とは思えないように感じました。
ネットから転用させていただいた、鞘社で覆われていない写真を右に紹介します。室町前期の貴重な建物であることから、国指定の重要文化財です。指定は大正3年です。若王子神社は実質的には無動寺とは一体ですが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式的には神社として独立しているそうです。無動寺自体は一旦は荒廃し、江戸時代の宝暦2年(1752年)に再建されたのが今の建物ですが、若王子神社・本殿は室町時代前期の611年前のままに残されているのです。
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若王子神社・本殿の説明板があったので転記する形で紹介したいと思います。説明文の中に570年と書かれていることから説明板が作られて約40年が経っていると思われます。
若王子神社・本殿
重要文化財(国指定大正三年)
神社建築に多い三間社流造(さんげんしゃ・ながれづくり)の社殿です。
棟札により、室町初期の応永十五年(1408年)に建てられたものとわかります。
この神社は、もと無動寺(昔は福寺)の鎮守社として建てられてものです。
およそ570年の長い歳月を経ていますが当初の姿がよく残され、この時代の建築様式を知るうえで貴重なものです。
 ・屋根を厚板で葺いています。
 ・側面(妻)上にある破風板は、曲線でしかも一枚板です。
 ・この破風の出会っている所の棟木の飾板(懸魚)もなだらかな曲線で
  彫られています。
神戸市教育委員会
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右角度から撮った写真です。
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本殿部分を拡大いたしました。同時に露出調整もいたしました。1964年に解体修理が行われたそうです。その時に鞘社も改築されたそうです。
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正面からの写真です。ここで右の記念写真も撮りました。鎮守社として創建された当初は神仏習合し、若王子権現と呼ばれていたそうです。その若王子権現としての呼び名は明治初年まで続いたそうです。今は主祭神として伊弉册命(イザナミノミコト)を祀っているそうです。本殿と同時期に作られたとされている木造の狛犬が、無動寺本堂に保存されているのて、本殿の仏像などを拝観されたときは、是非とも見過ごさないことをお薦めします。
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ネット内では、若王子神社の主祭神としては伊弉册命と伊弉諾命が出来きます。伊弉册はイザナミと読まれていますが、伊弉諾はイザナミではなくイザナギと読まれているのです。イザナミは女神でイザナギは男神で違うのです。そのサイトで伊弉諾命と書かれていても、読みはイザナミノミコトと書かれていたので単に漢字の書き間違いの可能性のように感じました。Wikipediaに書かれているイザナミとイザナギを簡単に紹介します。クリックすると拡大
左が若王子神社の主祭神の伊邪那美命(いざなみのみこと イザナミ)で、右が伊邪那岐命(いざなぎのみこと イザナギ)です。下の図の通りイザナミは女神でイザナギが男神です。二人(二神)は夫婦でもあり兄妹でもあります。次のように二人ともいろんな文字が充てられています。下および右のの絵図は二人が天の橋に立って、矛で混沌をかき混ぜて日本列島を作っているところを表しています。
 いざなみのみこと イザナミ 女神
  伊邪那美命、伊耶那美、伊弉冉、伊弉弥、伊弉冉命、
  伊耶那美命、伊弉弥命、伊弉那彌命、道敷大神、
  伊邪那美神、黄泉津大神
 いざなぎのみこと イザナギ 男神
  伊邪那岐命、伊邪那岐、伊弉諾、伊耶那岐、伊邪那岐神、伊弉諾神
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イザナミおよびイザナギが祀られている神社は全国に沢山あります。一例をリストにいたしました、両方が祀られている神社も沢山ありました。
クリックすると拡大写真はWikipediaから転用させていただいた伊勢の内宮(皇大神宮)別宮の伊佐奈弥宮(左端)と伊佐奈岐宮(左から2番目)と月讀荒御魂宮の3社の月讀宮と、筑波山神社の拝殿と男体山本殿と女体山本殿です。伊勢の内宮別院の写真の中には弥の旧字の彌で伊佐奈彌宮と書かれていました。
神社名 場所 イザナミ イザナギ
筑波山神社 茨城県つくば市
多賀大社 滋賀県犬上郡多賀町
三峯神社 埼玉県秩父市
左右神社 千葉県香取郡東庄町
佐太神社 島根県松江市
熊野神社 千葉県四街道市
伊弉諾神宮 兵庫県淡路市
内宮 伊佐奈弥宮 三重県伊勢市
内宮 伊佐奈岐宮 三重県伊勢市
常陸國總社宮 茨城県石岡市
江田神社 宮崎県宮崎市阿波岐原町
熊野速玉大社 和歌山県新宮市
おのころ島神社 兵庫県南あわじ市
伊邪那岐神社 全国各地
揖屋神社 島根県八束郡
比婆山久米神社 島根県安来市
飯盛神社 福岡県福岡市
波上宮 沖縄県那覇市
神魂神社 島根県松江市
熊野大社 島根県松江市
熊野神社 広島県庄原市
花窟神社 三重県熊野市
伊射奈美神社 徳島県美馬市
伊射奈岐神社 大阪府吹田市山田東
若王子神社 兵庫県神戸市北区山田町
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無動寺の重文の仏像を拝観した時にいただいた資料を掲載いたします。7秒間隔で表と裏を表示させます。さらに一部の詳細を5秒間隔で表示します。クリックすると両面同時に字が読める大きさに拡大いたします。
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山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。 無動寺 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で紹介した六條八幡宮(六條八幡神社)の次に訪問したのが、今回紹介する無動寺です。上の写真は六條八幡宮を出てすぐの場所で無動寺に向かっているところです。最初はこのようにのどかな道でした。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六條八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅
今までに書いた本ハイキングに関しての記事のタイトル
 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。
 下谷上農村歌舞伎舞台
 現存する日本最古の民家が神戸にありました。  箱木千年家
 つくはら湖の湖畔の散策
 山田町に室町時代の三重塔がありました。    六條八幡宮
 山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。無動寺
 室町時代前期建立の神社が残されていました。  若王子神社
 ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会   いけや食堂(箕谷)
                        海鮮居酒屋・海流(三宮)
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国指定の重要文化財(重文)の三重塔(さんじゅうのとう)がある六條八幡宮()から無動寺までの道を最初に順番に紹介したいと思います。今回のハイキングで登り坂があったのが無動寺に向かう道でもありました。
  六條八幡宮
  無動寺
  若王子神社
  無動時 奥の院
  谷寺口バス停
 ━━ 散策ルート 六條八幡宮()→無動寺()→若王子神社()→
          →奥の院()→谷寺口バス停()


無動寺に向かう道から、振り返って六條八幡宮を見た景色です。判りにくいけれども右端に三重塔も写っています。
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途中に無動寺の道標がありました。無動寺はユースホステルもやっていたことを初めて知りました。


ここは、まだ無動寺への登り坂ではなく、上り下りが続く起伏のある道の中の上り坂の場所です。
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途中に新兵衛石と呼ばれている記念碑がありました。
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江戸時代の勇気ある15歳の若者の行動をたたえた石碑でした。この地の領主も心ある人だったことが、説明によってわかりました。
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ここからが無動時への登りです。見えている道を登っていくと無動寺に行けます。
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その登り坂の道を順に紹介していきますので、同じように登った気分になってもらえれば幸いです。
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なかなか無動寺には着きませんでした。
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やっと無動寺の文字が書かれた石碑が現れました。左の細い道の方向に無動寺があります。右側の太い道には進んでいませんが、Googleの航空写真から判断するに無動寺に付属した墓地の方向に進む道のように思われます。この写真を撮った辺りには「是より無動寺 新四國八十八ヶ所」と書かれた石碑が建っていました。
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無動寺に向かう道の途中には沢山の石碑がありました。
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こちらの石像が納められた台座には第壱番と書かれていました。台座を寄進したと思われる人の名前が書かれていました。この台座には渕上静雄さんと渕上春子さんの名前が彫られていました。
登っていくごとに第二番、第三番と続いていてすべての台座に寄進者と思われる方の名前が刻まれていました。石像は古いもののようなので、台座を平成年代(平成十二年~平成十三年)に建てて整備したものと思われます。番号が付いていることから新四國八十八ヶ所に関係しているのかもしれません。
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このように道沿いに並んでいました。
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最後は階段を上りました。ここの住所は兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100です。山田町福地100でも通じるようです。
 名前 無動寺
 正式 若王山無動寺
 住所 兵庫県神戸市北区山田町福地字新池100
 山号 若王山
 宗旨 古義真言宗
 宗派 高野山真言宗
 本尊 大日如来
 創建 推古天皇の時代(伝)
 開基 聖徳太子(伝)
 中興 真源阿闍梨
 札所 近畿三十六不動尊  十番霊場
    神戸十三仏    十二番霊場
    摂津西国三十三ケ所 九番霊場
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こちらが無動寺の本堂です。無動寺の期限は推古天皇の時代に遡るそうです。その推古天皇の時代に聖徳太子が物部大臣守屋を討つために鞍作鳥(鳥仏師)に本尊大日如来と諸尊を作らせて戦勝を祈願して大軍を征破することが出来たことで、七堂伽藍を建立して普救寺(福寺)と名付けたのが始まりだそうです。残念ながらその後、衰退して寺は荒廃したそうですが、現在の堂宇は宝暦二年(1752年)に再建されたものだそうです。再建を発案したのは、高野山の高層であった中興開山眞源阿闍梨(真源和尚)でした。真源和尚が、この地に帰省した時に当寺の荒廃を見て復興の悲願を発案して、二十数年の歓進努力の結果実現したそうです。クリックすると拡大真源和尚(1689年~1758年)は現在の山田町の出身でした。記念のために右の記念写真を撮っていただきました。本記事のタイトルで紹介させていただいているように本堂の中に国指定の重要文化財のだけでも5体の仏像と県指定の重要文化財の仏像の1体の計6体の重要文化財の仏像が納められているのです。仏像は平安期のものであることから再建される遥か以前のもので、無動寺の起源に関わるもののようです。
仏像を拝観したい場合はインターホンを押すと住職が出てこられて入口の扉を開けてもらえます。
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拝観料300円を払ってそれらの仏像を拝見させていただきました。写真は撮ることが出来なかったので、神戸市のパンフレットの写真を掲載させていただきました。後方の大きな仏像が大日如来坐像で手前の右側が不動明王坐像で左の手前が十一面観音立像です。
クリックすると拡大本堂の中に入っても仏像は見当たりませんが、祭壇の後ろ側に廻ると奥殿部分に右図のように仏像がガラス張りの耐火構造の部屋に並べられて、防火シャッターも設置されていました。本堂の萱葺の屋根も防火のために1983年に銅板にしたそうです。1955年に山火事があり本堂の茅葺屋根に飛び火し仏像も被害を受けたことを教訓にされたようです。さらに雨漏りの被害を防ぐために屋根を二重にして外壁と屋根に板張りをしたそうです。大きくて存在感のある大日如来坐像(国・重文)が中央に配置され、左側に釈迦如来坐像(国・重文)が、右側に阿弥陀如来坐像(国・重文)が設置させています。大日如来坐像の手前に下の写真のように左側に十一面観音立像(国・重文)、右側に不動明王坐像(国・重文)が置かれていて、その不動明王坐像の右側に阿弥陀如来坐像(県・重文)が置かれていました。
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無動寺と国指定の重要文化財の仏像の説明があったので紹介します。クリックいると読むことが出来ます。
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クリックすると拡大無動寺の5体の仏像の写真をホームページかせ転用させていただきました。数値は像の高さを示しています。仏像の写真は国・重文の記載順に左から並べています。
 国指定重要文化財(国・重文)
  大日如来坐像  桧材一本造 2.70m
  釈迦如来坐像  桧材一本造 1.20m
  阿弥陀如来坐像 桧材一本造 1.20m
  不動明王坐像  桧材寄木造 0.84m
  十一面観音立像 桧材一本造 1.50m
 県指定重要文化財(県・重文)
  阿弥陀如来坐像 桧材寄木造 1.20m
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拝観した時にいただいた資料を掲載いたします。7秒間隔で表と裏を表示させます。さらに一部の詳細を5秒間隔で表示します。クリックすると両面同時に字が読める大きさに拡大いたします。
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境内の景色を紹介します。鐘楼です。
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茅葺の住居と思われる建物がありました。説明書には庫裡と書かれていました。庫裏は「くり」と呼ぶそうで、仏教寺院における伽藍のひとつです。一般的には寺院の僧侶の居住する場所、また寺内の時食を調える、つまり台所も兼ねる場合があるそうです。なお現代では、その多くは僧侶の居住する場所をいうことが多いとのことです。
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この茅葺の建物は見事でした。
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すでに紹介した日本最古の民家と言われている箱木家住宅の屋根の飾りと同じなので拡大いたしました。が箱木家住宅を別の場所で見つけたので紹介します。クリックすると拡大

特徴的な竹の根元を使った部分を拡大いたしました。この地域の特徴の飾りなのかもしれません。
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境内にはこのようなお堂もありました。不動堂と書かれています。
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本堂から5分くらい登ったところに奥の院があるということなので行ってみることにいたしました。航空写真の中の若王子神社に関しては後日紹介したいと思います。


無動寺の境内から奥の院までは、このような道が続いていました。
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細い道の先に門が現れました。門の先に階段があり、階段を上がると奥の院の境内でした。
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これが無動寺の奥の院です。古い建物ではありませんが、趣がありました。弘法大師と書かれた扁額が飾られていました。高野山真言宗である証でもあります。
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写経奉納法要の時には境内で歌舞伎が奉納されるようです。→ポチッ
もみじ祭りでも歌舞伎が行われたようです。ネットに掲載されていた動画を紹介します。


追伸
令和元年5月27日~6月2日までは関西です。そのため5月27日から6月2日までは皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
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山田町に室町時代の三重塔(国・重文)がありました。 六條八幡宮 [神戸]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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すでに紹介したように懐かしい神戸の仲間の人達とハイキングで3番目に訪れたのは、国指定の重要文化財(重文)の三重塔(さんじゅうのとう)がある六條八幡宮(六條八幡神社)でした。上の写真が重要文化財の三重塔です。
この写真はクリックすると特別(面積で16倍)に大きく拡大いたします。
2019年4月20日(土) 神戸市北区の重要文化財巡りハイク
箕谷駅(待合わせ場所)→箱木千年家(国・重文)→つくはら湖畔散策→クリックすると拡大六條八幡宮(国・重文)→無動寺(国・重文 仏像5体)→若王子神社(国・重文)→(打上げ飲み会・全員)→箕谷バス停→三宮→(2次飲み会・有志)→阪急三宮駅
今までに書いた本ハイキングに関しての記事のタイトル
 久しぶりに神戸電鉄に乗りました。
 下谷上農村歌舞伎舞台
 現存する日本最古の民家が神戸にありました。  箱木千年家
 つくはら湖の湖畔の散策
 山田町に室町時代の三重塔がありました。    六條八幡宮
 山田町に重文の仏像が六体もある寺がありました。無動寺
 室町時代前期建立の神社が残されていました。  若王子神社
 ハイキングの最後はやっぱり打ち上げ飲み会   いけや食堂(箕谷)
                        海鮮居酒屋・海流(三宮)
着色タイトルをクリックすると記事を表示します。

つくはら湖畔からは写真の衝原バス停から六條八幡宮の最寄バス停の山田小学校前に向かいました。出発時刻は12時17分に対して4分前の12時13分に着きました。昼食でお弁当を食べた野鳥観察広場から、つくはら湖畔の遊歩道を調整しながら歩いたのでピッタリに着いたわけです。
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乗客は我々7名だけでした。山田小学校前バス停でわれわれ全員が降りると乗客が0人になってしまうと心配していました。
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山田小学校前バス停です。ここから乗る方が何人かおられたので乗客は0人にはなりませんでした。ちょっとほっといたしました。


山田小学校前バス停留所()からの散策ルートを紹介します。先ずはバスの停留所から六条八幡宮の境内に入るまでを順番に紹介していきます。志染川が間にありますが、この辺りでは山田川と呼ばれているそうです。右から左に流れて、つくはら湖に流れ込みます。
  山田小学校前バス停留所
  六條八幡宮
 ━━ 散策ルート バス停()→六條八幡宮()→無動寺()→・・・・


バス停から見た川の対岸の景色です。右の方に六條八幡宮が小さく写っています。この辺りの住所は神戸市北区山田町中です。中の下は、大沢、岡ノ上、金場、合ノ元、下津イ、新五郎、城ケ谷、樋谷、長尾サ、西岡、八田、林、東畑、宮ノ片、森と意外と沢山あります。中は大字で、その下は字です。中の1文字は区切りが判りにくいようで住所は少なくとも2例が出てきます。町と中の間に大字が入る場合があります。
 山田小学校 神戸市北区山田町中長尾サ1  又は 中字長尾サ1
 六條八幡宮 神戸市北区山田町中宮ノ片57 又は 中字宮ノ片57
 八間蔵   神戸市北区山田町中大沢6-6 又は 中字大沢6-6
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バス停からズームで六條八幡宮(六條八幡神社)を撮りました。三重塔の上の部分が写真の右端の上の方に見えています。
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参道に入りました。曲がり角に六條八幡宮と書かれた大きな石碑が建てられていました。クリックすると石碑(石柱)だけを大きく拡大いたします。
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途中で山田川(志染川)を渡りました。
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文字が消えかけた案内板がありました。一番上には「太陽と緑の道」とクリックすると拡大「近畿自然歩道」書かれているのだと思います。「太陽と緑の道」の文字の前に記号が描かれています。おそらく右の写真のマークと思われます。このマークと推測した理由は右の写真をクリックすると判ると思います。左の方向には「丹生会館」と「つくはら湖」と書かれていて右方向には「六條八幡宮」と『成道寺」と書かれていました。手前方向(南南東方向)は文字がかすれて読めませんが「藍那」でしょうか? 直線距離で南南東方向の約3.9kmの位置に「藍那」があります。以前の記事で紹介したように神戸市北区山田町藍那(あいな)には3つの農村歌舞伎舞台があります。
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つくはら湖の記事を書いた時に丹生前橋の名前の由来を調べるためにGoogle地図やウエブで丹生を検束しましたが出てきたのは丹生山、丹生神社、丹生神社前バス停、丹生神社鳥居、丹生宝庫でしたが、丹生会館はありませんでした。
クリックすると拡大クリックすると拡大画像検索で調べた結果、右端の遊歩道マップの中に丹生会館が出てきました。この場所は丹生宝庫の場所でした。私が歩いている時に撮った遊歩道マツプでは丹生神社宝物殿と書かれていました。さらに調べてみると丹生会館は丹生宝庫とは道路を挟んだ場所の別の建物でした。下記がその建物のストリートビューですが入口の上の扁額に丹生会館と書かれているのが読み取れましたので確定です。この地区の公民館のようです。一方、傍の丹生宝庫には明要寺全図や豊臣秀吉・小野道風などの書や遺品が保管されていて年に一度公開されるそうです。


案内板のところから坂を登り詰めると扁額に六条八幡宮と書かれた鳥居が建っていました。石柱には不思議なことに郷社八幡神社と書かれていました。郷社は神社の位を示す旧社格で、村社(44934社)<郷社(3633社)<府社・県社・藩社(1148社)の順だそうです。戦後、社格制度が廃されたので、現在は社格というものは存在しないそうです。
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こちらが郷社八幡神社と書かれた石柱で、側面と裏面も紹介します。側面には「生田神社宮司 正六位 生田長浩書」と書かれていて、裏面には「昭和五年十月吉日建之」と書かれていました。石柱が建てられたのは昭和五年で戦前なので社格が存在した時でした。クリックすると読める大きさに拡大いたします。
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鳥居の近くには小さな祠がありました。
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正面からから見た六条八幡宮の全景です。六條八幡宮は旧山田村の総鎮守だそうです。社伝によれば創建は平安時代中期の長徳元年(995年)と伝えられているそうです。周防国の僧である基灯が長徳元年に円融寺という草庵を建てるととも八幡神を祀る宝殿を建てたとされており、その宝殿が六条八幡宮の起源とそれているそうです。山田の地が選ばれたのは神功皇后の行宮が所在した霊地であったと伝えられているそうです。
六條八幡の名は保安4年(1123年)に山田庄の領主で社殿を寄進した源為義の通称が六条判官であったことに由来するそうです。国指定の重要文化財の三重塔は文正元年(1466年)には建立されたそうです。
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正面の中央に見えているのが社殿の拝殿で、拝殿の奥に本殿があります。現在の本殿は貞享5年(1688年)に再建されたものだそうです。
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本殿・拝殿に近づきました。三重塔が右側に見えてきました。遠くからは大きな木の陰にあるためにあまり見えませんでしたが、近づくと見えてきました。
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こちらが手水舎(ちょうずや / ちょうずしゃ / てみずや / てみずしゃ)です。
手水舎は参拝者が身を浄めるために手水を使う施設で水盤舎(すいばんしゃ)あるいは御水屋(おみずや)とも呼ばれています。神社でも寺院でも作法は基本的に同じだそうで、一般的な作法は枠内の通りです。
右手で柄杓を取り、手水を掬う。最初に左手を清め、柄杓を左手に持ち替えて右手を清める。もう一度右手にその柄杓を持ち替え、左の手のひらに少量の水を溜めて(柄杓に直接口をつけない)その水を口に含み、音を立てずにすすいで口を清めた後、左手で口元を隠してそっと吐き出す。そして、柄杓を両手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を洗うように流す。柄杓を元の位置に静かに戻す。
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これが拝殿です。皆でお参りをして最初に記念写真も撮りました。
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拝殿の奥に本殿があります。主祭神は在位が西暦270年~310年の応神天皇(おうじんてんのう)です。クリックすると拡大クリックすると拡大
応神天皇は第15代天皇ですが、有名な仁徳天皇(応神天皇の子供)が次の第16代天皇なのです。陵所は右の航空写真の惠我藻伏崗陵(誉田御廟山古墳/応神天皇陵)です。応神天皇陵は墳丘長が約425mの前方後円墳で仁徳天皇陵(墳丘長525m)に次ぐ日本第2位の巨大古墳で、今回のユネスコ世界遺産登録の古墳群の中に含まれています。
なお、不明な点が多い弥生時代のことでもありWikipediaによると、応神天皇に関しては、学術的には「応神天皇は4世紀末から5世紀初頭に実在した可能性が高い」という見解にとどまっているそうです。
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こちらが貞享5年(1688年)に再建された本殿で神戸市指定有形文化財となっています。三間社流造の銅板葺です。
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これが三重塔(さんじゅうのとう)です。
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室町時代中期の文正元年(1466年)建立の和様の三重塔です。地元の有力者であった鷲尾綱貞の世話を得て建てられたそうです。棟札の墨書により、大工の藤原周次と小工の藤原光重の2人の作であることが確認されているそうです。総高は13m~19.1mで檜皮葺の屋根を持ち、初層内部には仏壇を置いて阿弥陀三尊像が安置されているそうです。1914年4月17日に当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定され、1950年の文化財保護法施行後は重要文化財になったそうです。2002年には屋根の大規模な修復が行われたそうです。
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近づいて見上げた三重塔の景観です。
神戸市には他にも重要文化財の多重塔があるのでリストで紹介します。
 神戸市内の重文の木造多重塔(国および県指定の重要文化財)
  如意寺三重塔   国 西区櫨谷町谷口259   南北朝
  六條八幡宮三重塔 国 北区山田町中字宮片57  室町中期(1466年)
  石峯寺三重塔   国 北区淡河町神影110-1 室町中期
  徳光院多宝塔   国 中央区葺合町布引山2-3  室町後期
  太山寺三重塔   県 西区伊川谷町前開     江戸中期(1688年)
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美しい三重の屋根の裏側の写真です。
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見事な木組みなので拡大いたしました。
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少し角度を変えて見ました。
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クリックすると拡大3ケ所で記念写真を撮りました。
左が本殿前の期連写真で、真中が正面の広い参道で撮りました。右が国指定の重要文化財である三重塔の前での記念写真です。
カーキ色の上着を着ているのが私で右と左の写真に写っています。
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クリックすると拡大日当たりの良い場所に注連縄が巻かれた御神木のようなクスノキ(楠)がありました。ネットから転用させていただいた右の昔のクスノキの写真と比較してみると、最近に太い枝が大胆に剪定されたようです。これ以外に市民の木となっている大銀杏があるそうです。
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こちらの写真の左の大きな木が大銀杏です。当日は大銀杏を意識した撮っていないので偶然に写っていた写真から切り出しました。大イチョウの木の手前にあるのが手水舎です。上の写真にも大銀杏が写っていたのです。大銀杏の右側の建物が拝殿です。クスノキの選定前であればこの角度の写真ではクスノキからはりでたの大きな枝に隠れて大銀杏はこれほどはっきりとは見えなかったと思います。
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こちらは神戸市指定有形文化財の歌舞伎舞台です。 切妻造です。
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境内には境内末社の小さな祠が沢山ありました。主なものは次の5つのようです。今回の写真に写つているのはどれになるのかは確認していませんでした。
 稲荷神社 (宇賀魂命)
 住吉神社 (住吉三神・神功皇后)
 山王神社 (大山祗命)
 大歳神社 (大歳神・高良大神)
 猿田彦神社(猿田彦大神)
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最も奥の位置に趣のある建物がありました。調べ見ると建物の名前は薬師堂でした。基灯創建の円融寺の遺構とのことでした。基灯が草庵として建てた円融寺は創建当時(995年)から六條八幡宮の神宮寺として長く続いていましたが明治時代の廃仏毀釈の禍を受けて廃されたそうです。基灯は基灯法師とも呼ばれ、今昔物語集・巻第13に登場し、今となっては半ば伝説的な人物で、その伝記は定かでないそうです。 基灯は空海(弘法大師)の弟子との記述もありました。
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大きな石碑も建てられていました。石碑には大きく忠魂碑と書かれていました。忠魂碑は明治維新以降の大きな戦争の戦死者の天皇への忠義を称える碑だそうです。
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中央の大きな建物が先ほど紹介した薬師堂で、左手前が井戸です。この井戸は神功皇后にゆかりがあるものとされています。右奥が六條八幡宮の本殿です。
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境内を散策させていただきました。
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六條八幡宮の周囲の代表的な景色です。
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お百度石もありました。この百度石と拝殿の間を百度お参りするのをお百度参りというそうです。
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次の無動寺に行くために参道を戻っているところです。


10月第2日曜日には上の写真の場所で流鏑馬神事も行われます。六條八幡宮の流鏑馬神事は神戸市の無形民俗文化財に指定されているそうです。
動画は8分42秒の長さですが、プレーボタン( )をクリックすると、ハイライトの8分21秒の時点から表示するように設定しています。興味のある方は「もう一回見る」をクリックして頭から見てください。走りながら矢を射るところは8分21秒から最後までの21秒間の2回だけですが、矢を射ってから走り出すシーンが4回(4分15秒4分55秒7分31秒7分40秒)あります。
この2016年10月9日の動画はネットから転用させていただきました。


六條八幡宮の入口に案内板(山田町遊歩道マップ)が立てられていたので、次に行く無動寺へ行く道が分かりやすかったです。クリックすると拡大クリックすると遊歩道マップ全体を表示します。このマップはその場で見た時に左右が実際と一致させるために、北が下なので、つくはら湖は右方向で、箕谷駅は左方向になります。
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六條八幡宮の位置を広い範囲の航空写真(Google map)で紹介します。Google地図での六條八幡宮の境内入口の標高は180mと表示されました。
 住所:兵庫県神戸市北区山田町 中 宮ノ片57
 阪急三宮駅から徒歩で行くルート → ポチッ 14.1km
 神戸市北区山田町        → 10km 500m
 ストリートビュー        → 境内&拝殿 本殿 三重塔


追伸
令和元年5月24日~25日は伊香保温泉に行き、5月27日~6月2日までは関西です。そのため5月24日から6月2日までは皆様のところに訪問出来ないことをお許しください。
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マツバウンラン(松葉海蘭)の花 刈られてしまいました。 [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2019年5月21日追記 タイトル:マツバウンランが刈られてしまいました。
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ついに5月13日に芝刈りが始まりました。その時の写真です。
手前がマツバウンランが沢山咲いているエリアです。マツバウンランが沢山咲いている部分は最後に刈る順のように感じますが、草も沢山生えてきており、いつかは草と一緒に刈られてしまうのだと思っていました。

4日間の成長を調べるために5月15日と5月19日に、同じ株に巻き尺を当てて写真を撮りました。クリックすると拡大左が5月15日(高さ54.3cm)で、右が5月19日(高さ55.8cm)です。4日間の成長は1.5cmのみ、つまり1日あたりのが成長は3.75mmでした。最初の頃に比べると成長は遅くなっていることは残っている子房(種の元/咲き終わった花)の間隔を見ても判ります。同じ株を見つけ出すために根元にゴルフのティーを差し込んでおきました。計算式:3.75mm=1.5cm÷4×10
 令和元年5月15日 高さ54.3cm   令和元年5月19日 高さ55.8cm
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計測に使った花を上からの角度で拡大いたしました。
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さらに拡大いたしました。クリックするとピントが合っている部分が限られていることが分かってもらえると思います。
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5月19日の全体の姿を紹介します。計測に使った株とは別の株です。
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上半分です。
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花の部分を拡大いたしました。クリックすると同じ縮尺で縦長の写真を表示します。
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そして5月21日にマツバウンランが沢山咲いている辺りの芝刈りが行われ、すべての芝刈りが完了いたしました。写真は沢山のマツバウンランが咲いていた場所です。クリックすると切られたマツバウンランが地面に少し残されているのが判ると思います。天気予報を見ると、その日は朝から雨が降っていて、作業をしていたと思われる午前中は特に強い雨だったようです。翌日の5月22日にグランドゴルフが行われたようです。そのために前日の大雨の中でも芝刈りが行われたのだと思います。
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2019年5月11日掲載 タイトル:マツバウンラン(松葉海蘭)の花
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近く空き地にマツバウンラン(松葉海蘭)の紫色の花が沢山咲いていたので写真を撮りました。昨年までは雑草が茂る空き地でしたが、グランドゴルフが出来るようにと、この冬に芝生を植えたそうです。その芝生の部分から沢山の花が咲いていたので調べてみるとクリックすると拡大オオバコ科(旧:ゴマノハグサ科)の二年草または一年草のマツバウンランでした。葉の形が松葉で、花が右の写真のウンラン(海蘭 Linaria japonica)に似ていることからマツバ・ウンランの名がついたそうです。昔はマツバウンランもウンランもウンラン属でしたが、今はキンギョソウ連マツバウンラン属とキンギョソウ連ウンラン属に分類されているようです。
マツバ・ウンランの一般的な高さは20~60cmだそうですが、私が写したマツバ・ウンランは40cmくらいでした。花が次々に上に向かって咲いて行くので、さらに高くなると思います。花の写真のほとんどはすでに紹介した藤の花を撮った同じ日の2019年5月5日に撮りました。つまり令和元年の子供の日に当たる令和元年5月5日に撮ったわけです。5月12日に巻き尺で測ると、茎が複数出ている比較的大きな株の場合の高さは50~61cmでした。

芝生を植えて1ケ月後ぐらいに撮った写真です。2019年3月9日ですが、全く緑にはなっていませんでした。この場所からマツバウンラン(松葉海蘭)がクリックすると拡大生えてきたのです。現在は芝の育成期間のためマツバウンランも自由に伸びていますが、来年以降は芝の手入れのために刈られる可能性が高いので、今回のようなマツバウランの写真を撮ることは出来ないかもしれません。今は右の写真のように芝生も緑になっています。
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それでは令和元年だからこそ撮れたマツバウランの写真を紹介していきます。
クリックすると拡大マツバウンランは下の方に細長い葉をつけて、先端に紫色の花を4月から6月にかけて咲かせます。同じ花が長く咲いているのではなく先端に向かって新しい花が咲き変わっていくので2ケ月近く花を楽しむことが出来るのです。松葉海蘭の原産は北アメリカです。したがって日本では帰化植物になります。本州、四国、九州の日当りの良い場所に生えているそうです。分類を紹介します。
  界 植物界      Plantae
    被子植物     Angiosperms
    真正双子葉類   Eudicots
  目 シソ目      Lamiales
  科 オオバコ科    Plantaginaceae
  連 キンギョソウ連  Antirrhineae
  属 マツバウンラン属 Nuttallanthus
  種 マツバウンラン  Nuttallanthus canadensis
 和名 松葉海蘭 マツバウンラン
 英名 Nuttallanthus canadensis  Canada toadflax
    Old-field toadflax     Blue toadflax
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花の先端部分を拡大いたしました。これから咲いて行く花芽が先端に沢山あるのが確認できると思います。現在咲いている花の下には咲き終わって、これから種を付ける花柄部分も判ると思います。
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別の日の写真ですが、花を拡大してみます。上の花の写真とは違う花色のように写っていますが、太陽の日の当たり具合で違う色の花のように写ってしまいました。目で見た感覚では上と下の中間ですが、どちらかと言えば、こちらの花色に近いです。
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1つの花を拡大して見ました。
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茎が細くて背が高い上に、強い風が吹いていたので、ピント合わせに手間取るだけでなく被写体のブレもあるので写真を撮るのは大変でした。その風の強さを感じてもらいたくて動画も撮りました。風が弱いときでも厳しかったです。特に焦点距離400mmでの撮影は難しかったです。その400mmで撮った写真を3枚ほど下に紹介します。快晴で晴れていたのは幸いでした。


沢山の花がありますが、ピントが合っているのは1つです。
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細い茎に虫がとまっている花にピントが合っています。
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すこし大きく写った写真も紹介します。
クリックすると拡大花の名前が判らなかったので「芝生に生える花」でGoogleの画像検索をしましたが、出てくるのはネジバナ(もじずり)ばかりでした。136番目279番目にやっと同じ花(右の写真)が出てきてマツバウンランであることが分かりました。
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地面から花までの全体の姿を紹介したいので縦長の写真を掲載いたしました。本写真をクリックすると2倍のサイズ(面積で4倍サイズ)に拡大いたします。クリックすると拡大
写真サイズは954 x 3000ピクセル(pixel)です。
5月5日の時点で終わった花は、左が0個、中央が8個、右が5個でした。この数を覚えておいてください。
数が判りにくい場合は右の小さな写真をクリックしてみてください。花が終わった順に番号を付けています。
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1週間後の5月12日にも天気が良かったのでマツバウンラン(松葉海蘭)の写真を撮りに行きました。この日にマツバウンランの高さを巻き尺で測ると、茎が複数出ている比較的大きな株の場合の高さは56~61cmでした。1週間でけっこう伸びた印象でした。茎が1本の中で最も低いものは26cmでした。
この写真の株では、すでに花がしおれて種になりつつある子房(咲き終わった花)が19個ありました。その子房に下から番号を付けてみました。1番から19番までは15cmで、19番から先端までは2.4cmでした。5月5日の時点に同じ株を撮っていないのですが、5月5日の何枚かの写真を見ると子房(咲き終わった花)の数は0個から8個でした。そのことから1日に咲く数は計算上は1.6個(=(19-8)÷7)~2.7個(=19÷7)になります。仮に1日に2個づつ花が咲くとしたら1週間で14個分の高さなので、ずいぶん伸びたことが分かってもらえると思います。少なくとも花が咲き始めてから17.4cmはのびていて先端に沢山の花芽が残っているのでさらに高くなるものと想像されます。
クリックして拡大すると番号を付けている位置が判りやすいと思います。
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クリックするのが面倒な方のために先端を拡大した写真を掲載いたしました。
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この日も花を大きく撮ってみました。先端部分に沢山の蕾があることから、まだまだ新しい花が咲き続けるのが判っていただけると思います。
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すでに正面から花をアップした写真を紹介しているので横向きの花をアップしました。
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花の形が判りやすい角度からもアップしました。風で花が揺れているのでピント合わせは運任せでした。偶々、この花にピントが近づいて撮れたのは1枚だけでした。上の写真に花にピントが合っている時は、この花は少しボケている状態でした。
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それぞれの写真を切り取った写真を並べてみました。
クリックして拡大するとピントの合っている部分が判りやすいと思います。
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蜂も蜜を吸いに来ていました。
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タグ: 帰化植物
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