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オルセー美術館 建物編 [オルセー美術館]

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パリからの帰国は21時55分発の夜行便なので、フランス旅行の最終日(7日目)は盛りだくさんとなりました。最終日で最初に訪れたのが上の写真のオルセー美術館でした。前を流れている川はセーヌ川です。
 1日目 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり 
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル セーヌ川クルーズ 他 帰国

オルセー美術館の後も、いろんな場所に行きたかったことから開館と同時に入りたくて早く来てみたところ、本当に1番になりました。ホテルをチェックアウトして荷物を預けて8時10分に出発して美術館に着いたのは8時50分でした。開館時間の9時30分には長い行列が出来ましたが、9時を過ぎだ時点でも、まだ人は少なかったです。入口は下記の3種類ありましたが、我々はチケットを当日買うのでAの入口に並びました。フランス語と英語とスペイン語の説明が書かれていました。
クリックすると拡大右の写真は後ろに並んでいた日本人の方が9時4分に撮ってくれました。列は10名
 A   当日チケット購入
 C-1 車椅子利用者などの優待者
 C-2 チケット事前購入済み
  B   グループ専用入場(要予約)
  D   学校団体専用入場(要予約)
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オルセー美術館もパリの他の美術館と同様に絵画の写真撮影は自由なので、沢山の作品の写真を撮りました。それらの作品の写真の紹介は次回(作品編)に紹介するとして、本記事では建物を紹介したいと思います。
オルセー美術館の建物は1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅でした。この角度から見てもとても駅とは思えない立派な建物でした。見えている橋はロワイヤル橋です。写真を撮っている場所はレオポール・セダール・サンゴール橋(ソルフェリーノ橋)でコンコルド橋とロワイヤル橋の間にあります。
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レオポール・セダール・サンゴール橋(ソルフェリーノ橋)をセーヌ川の対岸まで渡って撮った写真です。1900年に出来たオルセー駅はパリからオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルで、かまぼこ状の大屋根(トレイン・シェッド)の下の地下に10線以上のホームを備えていたそうです。1939年に近距離列車専用駅となり、近代化に伴い駅としては狭いことから、一時は取り壊される可能性もありましたが、1970年代からフランス政府によって保存活用策が検討されはじめ、イタリアの女性建築家ガエ・アウレンティの改修により19世紀美術を展示する美術館として生まれ変わり1986年にオルセー美術館として開館したそうです。
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冒頭の写真とおなじですが、セーヌ川の対岸から見たオルセー美術館です。駅舎だった時の特徴を外観で最もよく残しているのが2つの大きな時計です。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するので是非とも2つの時計を拡大して見てもらえればうれしいです。
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写真を撮っている時にセーヌ川のクルーズ船が通りました。オルセー美術館では、2月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品を展示することになっており、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターという役割分担がなされているそうです。所蔵作品は約2万点で常設だけで約4000点が展示されているそうです。1848年~1914年は我々にとってなじみ深い作者や魅力的な作品が多いことから、年間344万人(2015年)の来館者がある人気の19世紀専門美術館です。
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建物の特徴である時計の部分を拡大いたしました。
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文字盤の部分を拡大いたしました。
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駅舎だったことを示しているのが「PARIS - ORLEANS」です。これも是非ともクリックしてもらいたい写真です。
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外から時計を見ていると、中からも見たくなります。こちらが中からの写真です。文字盤は透明ガラスでできていたのです。こちらの時計は2つの時計の東側の時計です。東側はセーヌ川の上流側になります。
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時計の文字盤を通してモンマルトルの丘が正面に見えました。
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さらに拡大いたします。クリックするとさらに拡大いたします。この時計が117年前の1900年に作られたとはすばらしいと思います。
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もう1つの西側の時計の内側は素敵なレストラン(カフェ)になっていました。名前はCafé Campanaでした。人が写っているので文字盤時計の大きさが分かってもらえると思います。人の身長の4~5倍の大きさがありそうです。上の時計とは大きさが同じですが、床の高さが違いました。
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最初に紹介した東側の時計の内側からの写真を露出調整しました。最初の時計の部屋は展示室で、ヒトデのような芸術的なソファーが置かれていました。
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大時計の機械部分を上の写真から切り取り拡大いたしました。時計が大きいので機械部分が小さく見えますが、全体の大きさと比較すると結構大きいのだと思います。
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大時計のある展示室に置かれていたヒトデのソファーです。右のドアから外に出ることが出来ました。
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そのヒトデのソファーが置かれていた展示室の横のドアから屋外に出て、もう一方(西側)の時計の方向を撮った写真です。
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駅舎だった雰囲気を残している室内の写真を紹介します。ここに線路が並んでいた沢山の列車が泊まっている光景を目に浮かびます。ホームは高さ32m、幅40mのドーム状の屋根(トレイン・シェッド)で覆われていました。蒸気機関車の使用する駅では切符売り場や待合室などはホームとは独立した駅舎に設けられるのが普通でしたが、オルセー駅では大きなドームによって一つの屋根の下に初めて納められたそうです。ドーム内部の壁画や装飾も以前の駅には見られなかったそうです。ドームの西端には大時計が掲げられています。
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その大時計です。直径は6mだそうです。
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地上からの景色です。
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地上からだと広さが実感できました。
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建物は、壁の装飾と鉄骨とガラスの芸術と言えると思います。
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エッフェル塔が作られた時代の最新の技術で作られた建物であることが感じられました。オルセー駅に使われた鉄骨の総量は12000トンにのぼり、エッフェル塔の7500トンを上回っています。ただし、鉄骨構造でありながら、オルセー駅はルーブル美術館やチュイルリー庭園の対岸に位置するため、鉄骨やガラスの目立つデザインは受け入れられず、セーヌ川に面した正面は化粧石で覆われて、今の景観になったそうです。
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絵画の紹介は次回の絵画編で行いたいと思いますが、今回は1枚だけ紹介したいと思います。2016年9月22日に神戸市立博物館で行われていた松方コレクション展で見た絵があったからです。フランスから返還されなかった18 or 19作品の内、オルセー美術館には11作品の松方コレクションが所蔵されています。その11作品の中の1枚です。もちろん日本では写真撮影は禁止されていましたので写真が撮れたのは貴重でした。
 松方コレクション
  洋画など    約2650点
   日本持ち込み 約1300点 世界恐慌により散逸(さんいつ)
   フランス保管 約 400点 19点を除き370点が日本に返還される
   イギリス保管 約 953点 1939年にロンドンでの火災で焼失
  日本の浮世絵  約8200点 現在は国立西洋美術館に保管
 オルセー美術館所蔵の松方コレクション → 記事
  ボンヴァン  チーズのある静物
  ボンヴァン  鴨のある静物
  ボンヴァン  野兎のある静物
  クールベ   フラジェの農夫たち
  マネ     ビール・ジョッキを持つ女
  ゴーギャン  シュフネッケルの家族
  ゴーギャン  扇のある静物
  ゴーギャン  ブルターニュの風景
  ゴーギャン  ヴァイルマティ
  ゴッホ    アルルの寝室
  ロートレック 庭に座る女 ジュスティーヌ・デュールの肖像 
 写真の作品
  題名 庭に座る女 ジュスティーヌ・デュールの肖像
  製作 1891年
  作家 トゥールーズ ロートレック
  分類 松方コレクション
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パリの三大美術館の場所を紹介します。
 オルセー美術館 (Musée d'Orsay)
 ルーヴル美術館 (ルーブル美術館 / Musée du Louvre) → 記事
 ポンピドゥー・センター (Pompidou Centre )の中の国立近代美術館
 泊まったホテル


航空写真に切り替えてオルセー美術館辺りを拡大してみました。


こちらは1920年のオルセー駅の絵ハガキです。Wikipediaから転用させていただきました。
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当時の内部の写真です。こちらはWikipediaからリンクされたサイトから転用させていただきました。
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加賀清水 小竹川(高野川)の源流 [生活風景]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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千葉県佐倉市井野の成田街道(国道296号)近くに、昔から湧き水が出ている加賀清水(かがしみず)と呼ばれる場所があります。前記事で紹介した鯉の産卵を見ることが出来た上小竹川の源流が加賀清水だったのです。そこで加賀清水に2017年5月1日と5月3日に来てみました。5月1日は加賀清水の場所の確認のために車で来ましたが、5月3日は加賀清水が源流となっている川のルートの写真を撮るのが目的だったので歩いて来てみました。

加賀清水の場所を紹介します。成田街道は、水戸街道の新宿(にいじゅく)から分岐して佐倉藩や成田山新勝寺に向かう街道です。水戸街道・新宿の現在の住所は東京都葛飾区新宿(にいじゅく)です。現在も成田街道の名前が使われていますが、江戸時代の庶民にとっても成田街道の名称が一般的でした。ただし江戸幕府の公式文書では佐倉街道と言われて、房総の諸大名の参勤交代の道でもありました。
  加賀清水 千葉県佐倉市井野1624
  成田街道脇の常夜灯と3基の道標 茶屋・林屋があった場所
  佐倉城 佐倉藩の城 天文年間(室町時代)~明治6年
 ━━ 成田街道 水戸街道・新宿    成田山・新勝寺 約53km
 


参考に成田街道、水戸街道、日光街道、中山道などの概略ルートを紹介します。地図をクリックすると広範囲を表示します。日本橋からは日光街道を通って千住に行き、千住からは水戸街道を通って成田街道の出発地点の新宿(にいじゅく)まで来ます。
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加賀清水の南側150mに成田街道があったことから加賀清水を示す石碑が残されていました。写真の道が成田街道で、国道296号線です。このあたりに林屋という名の茶屋があり、加賀清水で汲まれた清水が客に振舞われたそうです。
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クリックすると拡大中央奥の常夜灯は加賀清水の水で茶を振舞って繁盛していた茶屋の林屋の前に1827年(文政10年)に建てられていたそうです。この常夜灯の場所は昔のままだそうです。他の3基の石碑(道標)は、すぐ西側(左側)約13m離れた道路角(写真の左端)にあったものを移設したそうです。
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左側の道標は歌舞伎の名優であった7代目市川団十郎が1831年(天保2年)に建立したものです。その道標には加賀清水を「天はちち 地はかかさまの清水かな」と詠んだ句と成田山への信心が記されています。中央の道標は1894年(明治27年)に信集講社の岩田長兵衛によって建てられたもので、左の道標は1840年(天保11年)に江戸の豪商であった古帳庵夫妻が建てたものです。
七代目・市川団十郎が建てた右の大きな道標の文字を紹介します。
 (正面)成田山道 是れより北へ半丁 清水原中有
 (右面)天はちち 地はかかさまの 清水可那 七代目団十郎敬白
                      天保二辛卯年九月吉日
 (左面)成田山御参詣の御方様御信心被遊此清水御頂戴被成候
                      御夫人様方御懐胎被成候事
 (背面)無疑私御利益を蒙り候間御信心の御方様へ差上度
                      御子孫長久大願成就
左面には加賀清水の清水を飲めば子のいないご夫人も懐妊するという御利益があることが書かれていることから、ここの清水が大変な人気になったと想像されます。正面に清水までの半丁とあります。1丁(町)は109.09091mのため半丁は約50mということになります。現在は湧水の湧口までの距離は150mなので、今と昔の湧水の場所が少し違う可能性があります。あるいは半丁が単にすぐそばを意味しているのかもしれません。
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常夜灯や3基の道標の詳しい説明も書かれていました。記載内容を枠内に転記いたします。
    成田道道標と常夜燈
これらの石塔群は、成田山新勝寺に参拝する旅人のために建てられたもので、向かって右側の道標は、歌舞伎の名優である七代目市川団十郎が、天保二年(1831年)に建立し、ここから北150メートルに所在する加賀清水を「天はちち、地はかかさまの清水かな」と詠んだ句と成田山への信心が記されています。
中央の道標は、明治二十七年に信集講社の岩田長兵衛が建てたもので、成田街道沿いに五基確認されています。
左の道標は江戸の豪商・古帳庵夫妻が天保十一年(1840年)に大和田原(現・八千代市)の情景を詠んだ自作の句を刻んで建てられました。三基の道標は、当初は現在の場所から西側の道路角にあったものを移設しました。
中央奥の常夜燈は、文政十年(1827年)に加賀清水の水を汲み、茶を振舞って繁盛していた林屋の前に建てられ、今も当時と同じ場所にあります。林屋は『三峰山道中記図絵』(明治四年)にも描かれ、「御贔屓の恵も厚きはやしやと人にたてられ石の燈籠」と詠まれており、当時の賑わいがうかがえます。

平成二十五年十一月 佐倉市教育委員会
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成田街道側から加賀清水方向を見た道の景色です。江戸時代にはその時代の人口密度などから判断して、道路の左右の家はほとんどなかったと思われます。正面に赤い鳥居と祠が見えます。祠は厳島神社で古くからあったそうです。
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こちにが厳島神社です。加賀清水と書かれた石碑などが祀られています。
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ここが一番南側の湧き水の場所です。池から水が流れ出る一番北側から一番奥の湧き水の場所なのでここがまさに源流と言える場所です。
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動画を見ると小さい音ですが水音を聞くことが出来ると思います。


一番奥が上で紹介した湧き水のところです。
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水の道は広くなってきます。
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加賀清水は大きな池になっています。この池の水が源流となり一番奥(北側)から高野川/上小竹川/小竹川へ流れていきます。木の幹の太さからも歴史を感じます。
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北側から見たかが清水の池です。メダカが沢山住んでいました。浅い池ですが鯉も住んでいました。水草も生えていました。この湧水地は加賀殿清水、井野清水、加賀清水と呼称を変えながら現在まで残されてきたそうです。
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厳島神社と書かれた石碑が祀られていますが元は弁天様の石碑が祀られていましたが、1994~1995年ごろに子供のいたずらで弁天様の石碑が池に投げ込まれて、新しい厳島神社の石碑が祀られたそうです。最近弁天様の石碑が見つかって弁天様の石碑も祀られているそうです。
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加賀清水は、今は加賀清水公園になっています。加賀清水の説明版や加賀清水に説明用の掲示板が建てられていました。
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加賀清水に関する説明を枠内に記載します。
この清水は第八代佐倉城主 大久保加賀守忠朝(1676~1686年)が愛飲し、江戸への往来の時に必ず立ち寄ったところから加賀清水、または井野清水と呼ばれるようになったと伝えられる。 その後、成田街道脇の林屋という茶屋がこの清水を客に振舞った。現在、国道二九六号線脇に、加賀清水道路標があり、往来の林屋の繁昌振りが偲ばれる。
昭和五十七年三月 佐倉市


掲示板に貼られた説明を読むと皆さんの努力によって加賀清水が守られてきたかわかりました。この湧き水池の水は周辺地域にしみ込んだ雨水が湧き出たものだそうですが、周辺地域が住宅になって雨水が下水設備の方に流れてしまうとともに、舗装されて雨水の地面にしみ込む量が減ってしまったことから、湧き水が枯渇する日が多くなったそうです。その対策として取られたのが雨水浸透マスの設置だそうです。住宅の雨どいの雨水も地面にしみ込ます努力ともに、雨水浸透マスの設置により湧き水が復活したそうです。また歩道の透水性舗装化を推進するなどの試みも行われているそうです。
              1995年頃  2013年
  雨水浸透マスの設置数   9基  → 340基
  年間枯渇日数       43日  →   0日
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雨水浸透マスの図をネットから転用させていただきました。画像をクリックするとこの図が使われている印旛沼の情報広場を表示します。
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加賀清水の横には関係は分かりませんが稲荷神社がありました。井野新田の鎮守で、五穀豊穣もたらす稲荷神が祀られているそうです。
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この建物の奥に由緒のある古い本殿がありました。
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本殿は屋根で守られていました。
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横には奥州参りに行った参拝記念碑(三山碑)が沢山建てられていました。
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前記事で紹介した鯉の産卵を見ることが出来た上小竹川の源流の加賀清水から印旛沼(西印旛沼)までのルートをGoogle地図に書き込みました。
その川にかかる橋も紹介します。2017年5月1日には天神橋から印旛沼までの橋の名前を確認するために散策をし、5月3日には三号橋梁から加賀清水までを散策しました。5月3日の歩いた歩数は14285歩でした。源流(加賀清水)から印旛沼まで31の橋がありました。その中で名前が分かった橋が10で、21の橋の名前は特定できませんでした。川/水路の長さはGoogle地図で計測したものです。
 ① ━━━━ 加賀清水公園の小川 67m
 ② ━━━━ 地下水路(高野川) 192m
 ③ ━━━━ 高野川 3760m
      不明の橋 高野川  11橋 (源流~四号橋梁)
      四号橋梁 高野川  昭和44年02月28日施功 1969年
      不明の橋 高野川  2橋  (四号橋梁~三号橋梁) 
      三号橋梁 高野川  昭和44年02月28日施功 1969年
      不明の橋 高野川  4橋  (三号橋梁~天神橋)
      天神橋  高野川  昭和43年03月31日施功 1968年
      不明の橋 高野川  4橋  (天神橋~子ノ橋)
 ④ ━━━━ 上小竹川 1330m
      子ノ橋  上小竹川 昭和44年02月28日竣功 1969年
      根崎橋  上小竹川 平成01年03月竣工   1989年
      先崎橋  上小竹川 昭和62年03月施工   1987年
      下崎橋  上小竹川 平成03年03月施工   1991年
 ⑤ ━━━━ 小竹川 734m
      小崎橋  小竹川  銘板が外れていたため不明
      弁天橋  小竹川  昭和41年08月施工   1966年
 ⑥ ━━━━ 手繰川 269m
      新先崎橋 手繰川  昭和62年03月施工   1987年
: 小竹城 井野城 先崎城 下高野城(館)



━━━━ 加賀清水公園の小川 67m → 地図
加賀清水公園から水が流れ出るところです。ここに水量を図る三角堰(三角せき)が取り付けられています。
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その三角堰から水が流れ出る動画です。


水量計測している三角堰(三角せき)を拡大いたしました。
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小さな水路を水が流れてくるわけです。
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八重桜の花びらが流れる動画も趣があります。



━━━━ 地下水路(高野川) 192m → 地図
加賀清水は住宅地にあることから加賀清水の水はここから地下水路に入ります。プレーボタン( )をクリックすると動画で見ることが出来ます。


道路の左側に地下水路があります。
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道路の右側のコンクリート壁のあたりまで地下水路は続きます。コンクリート壁は清水公園にある調整池です。
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下流側から見た写真ですが、この部分で左側に道路を横断します。
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清水公園横の調整池の内部の写真を紹介します。地下水路はコンクリート壁の向こう側の左から流れてきて、コーナー部で90度曲がって右に流れていきます。驚いたことに調整池の名前は加賀清水調整池でした。 → 地図
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━━━━ 高野川(こうやがわ) 3760m → 地図
清水公園にある調整池脇から高野川になります。まだ川とは呼べない水路がこの緑の中にあります。右のコンクリートの壁の中が調整池です。近くには清水台公園や加賀公園があったことから加賀清水のゆかりが感じられました。
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住宅との横に緑地が続いていました。
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緑地の最後の部分です。小さな水路がありますが、これは単なる雨水用の溝のようです。この先で深い川が地面に現れるので緑地の地下に水路があるのではないかと感じました。
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突然に川が現れます。ここからが高野川と呼んでもいいのかもしれません。ここまでの緑地は高野川の痕跡のような存在です。
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突然に地上に高野川が現れる場所には大野調整池がありました。
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高野川は住宅地を進みます。
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水量は明らかに増えているのでいろんな方向から水が集まってきたのだと思われました。
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川の両側が開けてきました。
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同じ場所から上流側(加賀清水方向)を見た景色です。奥の住宅地が佐倉市井野で、空き地の部分は皮を挟んで右側(西側)が八千代市上高野で、左側(東側)が佐倉市井野です。加賀清水から印旛沼までの川が流れる場所は次のように変化します。2つ名前がある場合は上流から見て 左岸/右岸 となります。
下記の「⇒」の部分にA~Jのマーク( )を入れた地図を表示 → ポチッ
 井野 ⇒ 上高野/井野 ⇒ 上高野 ⇒ 上高野/下高野 ⇒ 下高野
  ⇒ 青菅 ⇒ 先崎/青菅 ⇒ 先崎/小竹 ⇒ 小竹 ⇒ 小竹干拓
  ⇒ 小竹干拓/臼井台 ⇒ 小竹干拓/臼井台干拓 
   八千代市: 上高野 下高野
   佐倉市 : 井野 青菅 先崎 小竹 小竹干拓 臼井台 臼井台干拓
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車が頻繁に通る道の下を川がくぐっていました。少し高くなった小さなカードレールの部分が橋です。ここの橋には名前が書かれた銘板があるのではないかと期待していましたがありませんでした。この道は八千代市から井野外山交差点にでる抜け道的な存在のため沢山の車が通ります。
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その道の端から下流側を見た景色です。
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このような景色が続きます。
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加賀清水から始まって最初に名前が書かれた橋がこちらです。ここまで名前が判らない橋が11続きました。
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橋の名前は「四号橋梁」で橋の後ろに「梁」が付いた珍しい橋でした。
橋梁(きょうりょう)の意味を調べると、橋のことで、道路・鉄道・水路などが障害物などの上空を通過するための架空構造物の総称だそうです。
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四号橋梁(よんごうきょうりょう)の上から下流側を見た景色です。両側は田植えの準備をしている田んぼです。
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このあと2つ、欄干も名前のない橋が続いた後に欄干のある橋がありました。
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こちらの橋の名前は三号橋梁(さんごうきょうりょう)でした。
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三号橋梁から見た下流側の景色です。
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こちらが天神橋(てんじんばし)です。こちらも頻繁に車が通ります。
三号橋梁から天神橋の間には4つの欄干のない橋がありました。
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天神橋から子ノ橋の間にも写真のような欄干もなく名前もない橋が4つありました。写真には3つの橋が写っています。
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もう一つの橋の写真です。この写真は下流側(子ノ橋の方)から撮った写真です。
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━━━━ 上小竹川(かみおだけがわ / かみこたけがわ) 1330m → 地図
こちらが子ノ橋(ねのばし?)です。八千代市の上高野地区と下高野地区を流れたきた高野川は子ノ橋で佐倉市に入り上小竹川に名前が変わります。同じ川が市境(しざかい)で名前が変わるのは珍しいのではないでしょうか。ここからの橋は全て欄干があり名前が付いています。
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鯉の産卵が見られた辺りの上小竹川の動画を紹介します。最後に写ってい橋が子ノ橋です。この動画は2017年5月1日に撮りました。


こちらが根崎橋(ねざきはし)です。前記事でkazuさんコメントいただいた内容によると昔は天神橋あたりから根崎橋あたりまでが根崎と呼ばれており、kazuさんの屋号も根崎だそうです。現在の地名は先崎です。
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根崎橋の一つ下流側の橋が先崎橋(まっさきはし)です。
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先崎橋の一つ下流側の橋が下崎橋(しもざきはし)です。上小竹川の呼名は「かみおだけがわ」が使われていますが、公式文書では「かみこたけがわ」が使われる可能性があるため2つの名前をタイトルに入れました。その可能性は次の小竹川で説明している内容と同じです。
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土手を進むと井野川との合流地点に架かっている小崎橋が見えてきました。橋の名前に「崎」が付いている名前が根崎→先崎→下崎→小崎と4つ続きました。
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━━━━ 小竹川(こたけがわ / おだけがわ) 734m → 地図
小崎橋(こさきばし)の上から上流側を見た景色です。
右が上小竹川で左が井野川です。合流して小竹川(こたけがわ / おだけがわ)となります。小崎橋の4枚の銘板は全て外れて無くなっていました。橋の名前だけはネットで検索出来ましたが施工年月は探せませんでした。
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小竹川の土手の道を進みます。佐倉市の小竹川は通称では「おだけがわ」と呼ばれています。地名の佐倉市小竹や小竹小学校や小竹幼稚園や小竹城や城を築城した小竹五郎高胤の小竹は全て「おだけ」と呼ばれているからです。
ところがWikipediaでは「こたけがわ」と書かれています。これは土木行政関係、河川管理関係などでは「こたけがわ」が使われている可能性が高いためだと思われます。
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こちにが昭和41年08月施工された弁天橋(べんてんばし)です。橋の名前が書かれた銘板は外れて無くなっていましたが施工年月が書かれた銘板のみ残っていました。橋名はネットで探し出しました。
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弁天橋の上から下流側を見た景色です。この先で手繰川と合流します。
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━━━━ 手繰川(てぐりがわ / たぐりがわ) 269m → 地図
小竹川と手繰川(てぐりがわ / たぐりがわ)の合流地点です。右が小竹川で左が手繰川で、合流した後は手繰川となって印旛沼に注ぎます。
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これが新先崎橋(しんまっさきばし)で上を自転車道路が通っています。自転車道路の名前は印旛沼サイクリングロードで全長は約27kmあります。花見川サイクリングロードや新川遊歩道も入れると約50kmになります。
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新先崎橋から見た手繰川です。
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新先崎橋の上から見た印旛沼(西印旛沼)です。
こちらが今回の報告の最終地点です。今回の記事に掲載した写真は下記の散策で撮りました。歩いた距離は合計で約23kmです。2017年5月3日が一番歩いた日で約11㎞になります。
 4月30日AM 徒歩 家~子ノ橋~根崎橋~家
 5月01日AM 徒歩 家~根崎橋~新先崎橋(印旛沼)~天神橋~家
 5月01日PM 車  加賀清水
 5月03日AM 徒歩 家~三号橋梁~加賀清水調整池~成田街道~林屋の燈篭
~加賀清水~調整池~高野川沿い~家
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朝の散歩で鯉の産卵に遭遇 2017年の写真を追加 [生活風景]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2017年4月30日は穏やかな4月の最終日となりました。4月30日と言えは以前に近くの小川で鯉の産卵を見かけた日でした。その小川の名前を、その時の記事に追加したくて散策に出かけました。カエルの鳴き声がすごかったです。時々、キジの鳴き声も聞こえました。
上の写真が鯉の産卵を見かけた辺りの2017年4月30日の写真です。
見えているゴルフ練習場はユーカリゴルフプラザです。

この日は小川の近くでも家族総出の田植えが行われている光景にも出会えました。ほほえましい光景でした。いろんな場所で田植えの準備や田植えが行われていました。
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鯉の産卵を見ることが出来た小川の名前は上小竹川でした。名前が分かったことから地図などを追加して記事をブラシュアップいたしました。
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クリックすると拡大こちらが以前の4月30日の朝の散歩の時に珍しい光景に出合えた写真です。
小川で大きな水音がしたので覗いてみると鯉の産卵でした。この時期は右の写真のように鯉のぼりが見れる季節です。不思議な偶然です。
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下の航空写真の中央を左から右に流れる小川で、この小川は右の方向(東の方向)で印旛沼につながっています。小川の名前は上で紹介した通り上小竹川です。小竹と言えは以前に小竹城小竹の庚申塔と辻切り小竹のザンマタを紹介したことがあります。赤色マーク( )は以前に紹介した青菅の「どんどれえ塚」です。他のマークは次の通りです。
 佐倉市青菅   どんどれえ塚
 佐倉市先崎   庚申塔および先崎城主の墓
 八千代市下高野 辻切り(藁の大蛇)


鯉の産卵を撮った場所の上流側の橋の名前は子ノ橋で、下流側の橋の名前は根崎橋でした。川の名前の上小竹川は根崎橋の欄干に書かれていました。この写真は2017年4月30日に撮りました。面白いことに上小竹川は佐倉市内での呼び名で、八千代市内では高野川と呼ばれています。つまり子ノ橋より上流は高野川です。上小竹川は井野川が合流して小竹川となり、その小竹川は手繰川に合流して、手繰川となって西印旛沼に流れ込みます。上小竹川/高野川の源流は佐倉市井野の加賀清水と呼ばれる辺りです。 → 地図
子ノ橋(ねのばし?)は昭和44年2月28日竣功(1969年)で、根崎橋(ねざきはし)は平成元年3月竣工(1989年)でした。



根崎橋から見た上流側の景色です。川が細くなっているところで鯉の産卵に出会えました。この写真も2017年4月30日に撮りました。建物がある辺りに子ノ橋があります。子ノ橋から西印旛沼までの橋を紹介します。橋の名前を確認するために2017年5月1日にも散策いたしました。
 子ノ橋  上小竹川 昭和44年02月28日竣功 1969年
 根崎橋  上小竹川 平成01年03月竣工   1989年
 先崎橋  上小竹川 昭和62年03月施工   1987年
 下崎橋  上小竹川 平成03年03月施工   1991年
 小崎橋  小竹川  銘板が外れていたため施工日は不明
 弁天橋  小竹川  昭和41年08月施工   1966年
 新先崎橋 手繰川  昭和62年03月施工   1987年
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印旛沼につながる小さな小川で、どうしてこのような場所なのだろうかと驚かされました。そこで鯉の産卵を調べてみると産卵期は春から初夏にかけてで、大きなコイが浅瀬に集まり、バシャバシャと水音を立てながら水草に産卵・放精をおこなうそうです。
一度の産卵数は50万-60万ほどだそうです。卵は付着性で水草などに付着し、数日のうちに孵化するとのことでした。確かに水辺の水草への産卵でしたが、小さな小川に遡り産卵するとは書かれていませんでした。


不思議なのは小さな小川の中でも最も急な流れの場所だったことです。鯉のぼり(鯉幟)の季節と鯉の産卵の季節が一致しているのは偶然なのかどうかは不明です。
鯉のぼりは、江戸時代に武家で始まった日本の風習で、端午の節句に男児の出世を願って家庭の庭先で飾られた紙や布などの幟(のぼり)に鯉の絵柄を描き、吹流しのように風にはらませたのが始まりだそうです。皐幟(さつきのぼり)とも言われたそうです。鯉の絵が描かれたのは中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴だったからだそうです。
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沢山の鯉たちが集まっていました。本当は連写で撮りたかったのですが、まだマニアルをまともに読んでいなかったために設定がわからなかったために単写となってしまいました。
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ここが産卵を見ることが出来たあたりです。普段は水が少ない小川なので、ここに鯉が住んでいるとは思えないことか、印旛沼から、この小川に沢山の鯉たちが遡ってきたのだと思います。まさに「鯉の川のぼり」です。
ブラックバスなどの外来種が沢山増えてきた中で、小さな小川での産卵が子孫が残していくためにの選択肢だったのかもしれません。見事に鯉たちは生き残っていることを実感させられる体験となりました。
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産卵のあった100m上流の同じ小川です。先ほどの狭いところをクリックすると拡大同じ水量が流れていると想像してもらうと産卵場所が急流になっていることがわかってもらえると思います。ここは八千代市下高野に入っているので川の名前は高野川です。欄干がある橋が1968年3月31日施功の天神橋です。
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鯉の産卵が見られた辺りの上小竹川の動画を紹介します。最後に写ってい橋が子ノ橋です。この動画は2017年5月1日に撮りました。

ついにパリで牡蠣を食べました。 Le Vaudeville [パリ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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フランス旅行の目的の一つがパリで牡蠣を食べることでした。とりあえずはモンサンミッシェルのディナーで牡蠣をいただきましたが、やはり本場のパリで牡蠣を食べたかったのです。すでに冬の牡蠣の季節を過ぎていたので、パリで食べれるかどうか気になっていました。4日目にワインバーで夕食を食べたパリに住んでいる知り合いの方に聞くと高級店ならば食べられると教えてもらったので、以前に牡蠣を食べたお店にホテルの人から予約を入れてもらいました。
パリで牡蠣を食べたのはフランス旅行6日目ですが、その日はMyBas社のパリからの日帰りツアーでロワールの城めぐりに行っていて19時頃には帰ってこれる予定なので余裕を見て予約は20時30分にしてもらいました。
 1日目 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり ディナー:パリで牡蠣を食べる
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル セーヌ川クルーズ 他 帰国

こちらが20時20分のお店の写真です。幸いにも泊まっているホテルから歩いて475m(6分)の場所にありました。
翌日の7日目は日本への夜行便(JL416 21:55発 )で帰国するのでフランス最後のディナーでもありました。お店を紹介します。
 名前 Le Vaudeville
 住所 29 Rue Vivienne, 75002 Paris
 電話 01-4020-0462
 営業 12:00~15:00 19:00~24:00
 HP http://www.vaudevilleparis.com/
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冬の牡蠣の季節のフランス料理店では、すべてのお店で、このような牡蠣を並べる棚が屋外に置かれます。この時はほとんどのお店で、このような棚は置かれていませんでしたが、予約したお店では牡蠣のかごの量は少なかったけれども、ちゃんと牡蠣のための屋外の棚が設置されていました。右の写真は以前に牡蠣の季節に同じお店に来た時の同じ棚の写真です。
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少ないと言えでも牡蠣がならべられていました。
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こちらがお店の写真です。さすがに店内の写真を撮ることが出来なかったので、こちらの写真だけネットから転用させていただきました。4枚の写真で構成いたしました。
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メニューの中のOyster Listです。この中からおすすめの下記の2種類を9個づつ、計18個ほど頼みました。
 Fines de Claire NO.2 Green Oysters
 Special Normandy Grand Cru NO.2 Oysters
 又は Special Gillardeau NO.3
NO.2とかNO.3は牡蠣の大きさを示すナンバーです。大きさを明確に数値で示しているところが牡蠣先進国と言えるのかもしれません。
 NO.0 150g~
 NO.1 110g~150g
 NO.2  85g~110g
 NO.3  65g~ 85g
 NO.4     65g
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フランスでは干潟で牡蠣を大きく養殖した後に、陸に作られたクレール(Claire)と呼ばれる養生田でクリックすると拡大右の写真のような珪藻などを数か月間ほど与えて養生する養殖方法が行われているそうです。それがフランスの牡蠣の味になっているようです。クレールは汽水域で、水深が浅く、日光がよく届くことで餌となる珪藻などのプランクトンが繁殖し、海で育ったものより甘くまろやかな味わいになるそうです。そのような牡蠣をクレールオイスターやグリーンオイスターと呼ばれているようです。
上のメニューの中でFines de Claire Green Oystersと書かれていたのはこの牡蠣のことだったようです。メニューに書かれていた説明は次の通りです。
Fines de Claire oysters are matured "claire",former salt marshes containing plankton-rich water.this natural alga gives them their green colour.
下記は地図は牡蠣の養殖で有名なMarennesのクレール(養生田)が並んでいる辺りです。クレールのある景色のストリートビューです。→ ポチッ


やっぱり白ワインなのでお薦めボトルを頼みました。こちらがお店のソムリエのお薦めの白ワインです。銘柄はPascal Jolivet Sancerre(パスカル・ジョリヴェ サンセール)でした。
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牡蠣が出てくる前でしたが、パンを食べながらワインをいただきました。
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牡蠣が出てきました。レモンの右側の牡蠣と左側の牡蠣で明らかに違うことが分かってもらえると思います。
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今回は娘とのフランス旅行でした。ワンコの世話があるので私と家内が同時に旅行は難しいので交代で旅行に行っているのです。この後、家内と娘は一緒に石垣島と、ベトナムに旅行に行きました。お店の人に記念写真を頼むと沢山撮ってもらえました。
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うれしいことに別の角度からも写真を撮ってもらえました。どうやら娘がいるおかげで沢山の写真を撮ってもらえたような気がします。数えてみると6枚の写真を撮ってもらえましたので、連続表示にさせていただきました。雰囲気が判ってもらえると思います。
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台の下の器に入っているのは牡蠣用カクテルソースです。私は全てレモンでいただきました。
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これは皿に乗っていた左側の牡蠣です。海水がたっぷりあることから新鮮な牡蠣だと感じました。
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上の写真はクリックすると拡大しますがクリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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別の場所の拡大写真です。
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右側の牡蠣は単独では撮らなかったのでお皿に盛りつけられた写真から切り取りました。johncomebackさんのコメントに書かれているように、現在のフランスの牡蠣のほとんどがフランス気候に適した宮城の真牡蠣です。一部に広島産の真牡蠣も使われているそうです。
1970年以前はフランスのカキ市場のほぼ100%を占めていたヨーロッパヒラガキが病気により絶滅の危機に瀕した時に救ったのが宮城産の真牡蠣なのです。そのことから東日本大震災(東北大震災)で宮城県が大きな被害を受けた時のフランスからの支援につながったそうです。→ポチッ
 1966年~1970年 ヨーロッパヒラガキが病気により絶滅危機
 1970年~1980年 宮城県から交配用および食用カキを輸入
 1980年~2008年 日本由来のマガキ種がカキ養殖の定番となる。
 2011年3月11日  東日本大震災
 2011年~2012年 フランスのお返しプロジェクト
 2012年~2017年 相互の友好関係が継続
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こちらの牡蠣も拡大いたしました。透き通るような不思議な牡蠣で、少しグリーン色が見られることからメニューのところで記載していたFines de Claire NO.2 Green Oysters(クレールで仕上げたグリーンオイスター NO.2)なのかもしれません。
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前菜もいただきました。2種類のソースでいろんなものを食べる前菜でした。
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料理の拡大写真も掲載します。お洒落な料理です。
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メインデッシュは大きな重量感のある蟹にしました。1匹を頼んでそれぞれ半分づつが目の前に出されました。写真はその半分の蟹です。
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お店の場所を紹介します。紫色マーク( )が今回紹介のレストランです。赤色マーク( )は泊まったホテルです。今回のフランス旅行で食事をした全てのレストランも紹介します。店名の着色文字をクリックするとレストランの記事を表示します。リストの をクリックするとそれぞれのレストランの場所を示した地図を表示します。
 1日目D パリ           Café Panis
 2日目‎L モンサンミッシェル   La Rôtisserie
 2日目D モンサンミッシェル   Le Relais Saint-Michel
 3日目L モンサンミッシェル   La Sirène
 3日目D パリ          どさん子
 4日目L パリ ルーブル美術館   Le Café Richelieu / Angelina
 4日目D パリ           L'Ecluse Madeleine
 5日目L ヴエルサイユ宮殿敷地  La Flottille
 5日目D パリ           Drouant par Antoine Westermann
 6日目L ロワール        La Cave aux Fouées
 6日目D パリ           Le Vaudeville 
 7日目L パリ オルセー美術館   Café Campana
D:ディナー(夕食)   L:ランチ(昼食)

サイクリング部の後輩との飲み会の2軒目 オイスターテーブル(OysterTable) [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大前記事で上野にある右の写真のレンコン料理専門店の「れんこん」で学生時代のサイクリング部の2年後輩(M氏)と、卒業以来本格的に初めて話しながら飲んだことを報告させていただきました。→前記事
そのレンコン専門店は人気があるためか、2時間の制限があったことから場所を変えて飲んだお店がOyster Bar(生ガキ専門店)です。
お店の名前はオイスターテーブル(OysterTable)です。クリックすると拡大オイスターバーは厳密に言えばカウンター席が主体となりますが、こちらのお店はテーブル席がほとんどのため、オイスターテーブルとしたのかもしれません。ただし我々は右の写真のように数少ないカウンター席に座りました。右奥がM氏です。

M氏との関係はすでに前記事で紹介いたしましたが、初めての方もおられると思うので簡単に説明いたしました。M氏は同じサイクリング部の所属で私が3年の時に入学したので2年間のつき合いだったわけですが、3度の合宿の内で2度も一緒の合宿でした。下記の赤色が一緒の合宿でした。M氏が右で私が左です。この20歳の時の写真はクリックすると拡大します。内山峠で撮った写真です。
クリックすると拡大     夏合宿    春合宿    夏合宿     
 M氏  1年(信州)  1年(信州)  2年(信州)
 SORI 3年(東北)  3年(信州)  4年(信州)
 SORI 20歳    21歳    21歳
左側の写真とスライドショーは、私が3年の時の夏合宿で、右側が4年の時の春合宿です。是非ともプレーボタン( )をクリックして私の21歳の時の写真を見てほしいです。下の着色文字をクリックすると地図を表示します。
2017年交流会のパワーポイント→ポチッ
     春合宿 馬越峠       夏合宿 乗鞍岳山頂(標高3026m)
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    春合宿スライドショー        夏合宿スライドショー
 

こちらが生牡蠣のメニューです。8ケ所の産地の牡蠣(Oyster)がありました。8種類を全て注文いたしました。画像をクリックすると拡大するのでメニューに書かれている説明が読めるので違いが判ると思います。8種類を2個づつ注文いたしました。
 ① 島根県海士町産岩牡蠣  "春香"
 ② 長崎県五島列島産岩牡蠣
 ③ 兵庫県板越産真牡蠣
 ④ 兵庫県室津産真牡蠣   "がき大将"
 ⑤ 兵庫県相生湾産真牡蠣
 ⑥ 香川県産        "白方かき"
 ⑦ 福岡県糸島産      "濃厚みるくがき"
 ⑧ 佐賀県唐津産      "からつんカキ"
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ワインにする選択肢もありましたが、牡蠣を16個頼んでも牡蠣代は税込みで4182円で、一人当たりにすると2091円と格別に安かったことから、ちょっと贅沢にシャンパン(シャンパーニュ Champagne)にいたしました。クリックすると拡大レシートにマムGと書かれていたのでG.H.マム社(G.H.MUMM et Cie)のシャンパンと思われます。シャンパングラスにもG.H.MUMM のロゴが書かれていました。
この日の1軒目の「れんこん」では最後までビールだったのとは大きな違いでした。やっぱりシャンパーニュは美味しかったです。結局、2人で6杯飲んでしまいました。
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8種類x2個が盛り付けられて出てきました。左の皿には大型の牡蠣の①②⑧の6個(3種類)が乗っており、右の皿には残りの牡蠣④~⑦の10個(5種類)が乗っていました。
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こちらが大型の牡蠣が乗った左側の皿です。
 ① 島根県海士町産岩牡蠣  "春香"
 ② 長崎県五島列島産岩牡蠣
 ⑧ 佐賀県唐津産      "からつんカキ"
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こちらが右側の皿の牡蠣です。
 ③ 兵庫県板越産真牡蠣
 ④ 兵庫県室津産真牡蠣   "がき大将"
 ⑤ 兵庫県相生湾産真牡蠣
 ⑥ 香川県産        "白方かき"
 ⑦ 福岡県糸島産      "濃厚みるくがき"
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牡蠣のカクテルソース用の調味料も出てきました。私はソースは使わないで全てレモンでいただきました。
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先ずは兵庫県室津産の牡蠣をいただきました。意外と食べやすいさっぱりとした味わいでした。
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次に同じ兵庫県産の相生の牡蠣を食べました。味は室津産と似ていました。今回分かったことは同時に食べると同じ牡蠣でも産地が違うと味が違うことが分かりました。
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白ワインも飲みました。 どれにするか聞かれたのでシャブリにいたしました。レシートにプリンス・シャブリとかかれていたので、おそらく銘柄はプリンス・ラブレ・シャブリ(Prince Labouré Chablis) ではないかと思います。
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こちらは島根県海士町産岩牡蠣の"春香"です。
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"春香"を1個だけを拡大いたしました。クリーミーな濃厚な味わいでした。
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こちらが福岡県糸島産の"濃厚みるくがき"です。
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クリックすると拡大ここまではシャンパーニュと白ワインでしたが、赤ワインも頼みました。
話も盛り上がって飲む方のペースも上がってきました。でもまだ入店して35分しかたっていません。最終的に入店して2時間15分ほど話してのでまだまだ序の口と言えます。
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食べた順番に紹介しています。こちらは長崎県五島列島産の岩牡蠣です。
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長崎県五島列島産の岩牡蠣も拡大いたしました。
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そして、こちらが 香川県産の"白方かき"です。
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兵庫県板越産の牡蠣も結構大きかったです。
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こちらが最後に食べた佐賀県唐津産の"からつんカキ"です。
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唐津産の"からつんカキ"の拡大写真も掲載いたします。これで8種類の牡蠣を全て紹介しました。
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まだまだ話が尽きなかったのでマルガリータを頼みました。牡蠣以外で頼んだのはこちらのピザだけでした。イタリアンの料理はいろいろあったと思います。生ガキ以外に下記の料理も沢山あったと思います。ネットで見ると少なくとも57種類の料理が掲載されていました。
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こちらが今回のレシートです。合計金額17808円の内、ワインやシャンパーニューが11968円でした。そのうちシャンパンが7800円でした。料理も含めて単品で一番高いのがシャンパン(1300円/杯)なので当然の結果です。この次はアルコール代をもう少し控える工夫をしたいと思います。
お世話になったのは2017年4月21日でした。
 席料     600円
 料理    5240円 生ガキ:4182円 ピザ:1058円    
 ワイン類 11968円 シャンパン:6杯 白ワイン:3杯 赤ワイン:2杯 
 合計   17808円
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Oyster Piece Clubのメンバーズカードを作ってもらいました。今回だけでも、また行きたくなるほど沢山ポイントが付きました。
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お店の場所を紹介します。地図の中の青色マーク( )の中で最も中央のマークが今回のお店の場所です。銀座ライオンは2017年4月1日に第2回サイクリング部東京OB会を行ったお店で、食道楽は2014年3月8日にサイクリング部の同期の3人が集まったお店です。マークをクリックすると店名と記事のURLを表示します。
 名前 オイスターテーブル OysterTable
 料理 Modern Oyster Bar Cuisine
 住所 東京都台東区上野公園1-54 上野の森さくらテラス 3F
 電話 03-3836-3637
 営業 11:00~23:00
 定休 無休
 最寄 京成上野駅 JR上野駅 地下鉄上野駅

サイクリング部の後輩との飲み会 上野のれんこん [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2017年4月21日は学生時代のサイクリング部の後輩と、上野にあるレンコン料理のお店で飲み会をいたしました。上の写真がお店の入口の扁額です。大きく「れんこん」と書かれています。一緒に飲んだ人は仮の名前としてM氏と呼ばさせていただきます。
そのM氏は私が3回生(3年生)の時に入学したので2年後輩です。学年は2年後輩ですが、生まれた年は同じで数ケ月だけ後輩であることを今回初めて知りました。同年代だったのです。M氏と卒業以来初めて会ったのが2015年2月7日に行われたサイクリング部の現役とOBの交流会でした。右下の写真は交流会の後にOBだけが集まって行ったOB会です。
クリックすると拡大前から2列目の右から2人目のオレンジ色の服を着ているのが今回の飲み会の相手のM氏です。私は前列の左端です。この時を含めてM氏と飲むのは4回目です。卒業年は明かせませんが、数十年と長い間会ったことがなかったことが想像してもらえると思います。
 卒業後M氏と飲んだ機会
  1回目 2015年2月07日 大阪・難波  ニューミュンヘン 交流会の後のOB会
  2回目 2016年4月16日 東京・八丁堀 四川食堂     第1回東京OB会
  3回目 2017年4月01日 東京・上野  銀座オリオン   第2回東京OB会
  4回目 2017年4月21日 東京・上野  れんこん     プライベート飲み会

クリックすると拡大京成上野駅を降りてお店の方向を撮った写真です。横断歩道を渡り赤い文字のアメヤ横丁と書かれた通りに入ると5分でお店に着きました。右の写真をクリックするとアメヤ横丁の正面からの写真を表示します。
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アメヤ横丁を進むと道が2つに分かれていて、右の上中(うえちゅん)の方に入って最初の道を右に曲がるとお店は目の前でした。上の写真ではアメヤ横丁ですが、下の写真ではアメ横と書かれています。正式名称はアメ横商店街連合会だそうです。右の石像は1987年に東北・上越新幹線が上野駅に乗り入れクリックすると拡大ことを記念して設置された賑わいの像(にぎわいのぞう)です。
名前の由来は下記の2説があるそうです。
 ① アメリカ進駐軍の放出物資を売る店が多かった。
 ② 砂糖の代替えの芋アメが売られていた。
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こちらが「れんこん」の入口です。150年前の古い木材で造られた味わいのあるお店でした。ただし料理店として開業したのは1998年だそうです。れんこん料理が有名でテレビでも何度も取り上げられているお店です。→ポチッ
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中に入って予約されていた席から入口方向を撮った写真です。
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クリックすると拡大今回の飲むことになったのは2017年4月の3度目の飲み会である第2回OB会の時にM氏と一番離れた席に座ってしまいOB会中は話が出来きませんでした。右の写真で右の一番手前がM氏で私は左の一番奥に座っていたわけです。
学生時代のサイクリング部では年に2回(夏と春)の合宿が行われていました。夏と春に3~4つの合宿が計画されてどこかの合宿に参加するのです。1回の合宿で同じ合宿りなるのは33%の確率なのです。そんな中で3回の合宿の中で2回の合宿がM氏と同じでした。学年は離れているけれども話がしたくなるわけです。私が3年の夏はM氏は信州合宿で、私は東北合宿でした。右の写真は初めて一緒に合宿に行った時の写真で、私が左でM氏が右です。
クリックすると拡大 3年夏合宿  3年春合宿  4年春合宿  
 ①東北    ①九州    ①北海道
 ②信州第一  ②山陰    ②東北
 ③信州第二  ③信州    ③信州
下記の赤色が一緒の合宿でした。M氏が左で私が右です。
クリックすると拡大     夏合宿   春合宿   夏合宿     
 M氏  1年(信州) 1年(信州) 2年(信州)
 SORI 3年(東北) 3年(信州) 4年(信州)
 SORI 20歳   21歳   21歳
下は私が3年生、M氏が1年生の時の春合宿の馬越峠での記念写真です。合宿は3月20日~3月25日 で軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅のコースでした。下の写真では私が右端でM氏は右から2番目です。
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合宿中の写真をスライドショーにいたしました。合宿メンバーの構成です。仮の名前はスライドショーの中で使っています。プレーボタン( )をクリックすると2秒間隔で写真を表示します。この春合宿でM氏以外でG氏H氏K氏も5ケ月後の夏合宿で私と同じ信州合宿に参加しました。つまり7名の内5名が夏の信州合宿に参加したことになります。私以外にも一度走ると信州サイクリングにハマる人が多いのだと思います。
 1年 1名 M氏
 2年 2名 G氏 P氏
 3年 4名 H氏 N氏 K氏 SORI
 合計 7名


合宿コースをGoogle地図にブロットしました。
 ━━ 3回生春合宿 軽井沢→甲府(→青梅)
 ━━ 自走     宝塚→軽井沢 甲府→青梅→東京→宝塚


私が4年の時の夏合宿の写真も紹介します。M氏は2年生でした。クリックすると拡大コースは糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠(浅間山)→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山でした。下の写真では右端が私で、頂上表示の上に鉢巻をした頭だけ出しているのがM氏です。下の写真を撮った後に右の写真のように11名全員が自転車を持って乗鞍岳の頂上(3026m)に集合いたしました。
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夏合宿の写真のスライドショーも紹介します。この時の合宿メンバーの構成です。4年生の全員が合宿に参加するのは我々の世代だけだったようです。
こちらもプレーボタン( )をクリックすると2秒間隔で写真を表示します。初期画面で一番前で鉢巻をしているのがM氏で右端に立っているのが私です。
 1年 3名 A氏 B氏 C氏
 2年 2名 M氏 D氏
 3年 3名 ̚E氏 F氏 G氏
 4年 3名 H氏 K氏 SORI  合計 11名


こちらの合宿コースもGoogle地図にブロットしました。
 ━━ 4回生夏合宿 糸魚川→高山
 ━━ 自走     宝塚→糸魚川 高山→宝塚


少し脱線いたしましたが、お店の紹介に戻ります。こちらが、れんこん料理のメニューです。17のレンコン料理がありますが、その中で赤色が今回我々が注文した料理です。
からしれんこん、②生ハムとクリームチーズのれんこんカナッペ、③れんこんのピクルス、④れんこんと季節の青菜のおひたし、⑤れんこんと海老のはさみ揚げ、⑥れんこんのコロッケ、⑦ハッシュドレンコン、⑧フライドレンコン、⑨れんこんと明太餅の揚げだし、⑩れんこんの焼ききんぴら、⑪れんこんニョッキ クリームソース、⑫れんこんといかのガーリックバター炒め、⑬れんこんと帆立の蒸ししんじょ、⑭白身魚のはす蒸し、⑮れんこんのふろふき風、⑯れんこんおこげのかにあんかけ、⑰れんこん麺
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先ずはビールで乾杯です。こちらのお店では最後までビールにいたしました。お通りはゴマ豆腐でした。
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それではレンコン料理を紹介します。最初に頼んだ「からしレンコン」です。
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こちらが「れんこんと海老のはさみ揚げ」です。
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れんこんの食感を感じていただくために、はさみ揚げの断面の拡大写真を掲載いたしました。
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こちらが「ハッシュドレンコン」です。シャキシャキ感がすばらしい料理でした。
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「れんこんのコロッケ」は塩でいただきました。
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こちらが「フライドレンコン」です。磯辺風味です。
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レンコン料理以外も紹介します。こちらは「だし巻き玉子」卵ですが、特徴なのが、だしの中に入っていることです。京風と書かれていました。
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こちらのホタルイカは格別にプリプリで新鮮でした。
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平目の刺身もいただきました。写真を撮り忘れてしまったので右下の記念写真から刺身の部分を切り取って掲載させていただきました。
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クリックすると拡大ラストオーダーで料理を頼んですべての料理が並んだところです。こちらの写真も右の記念写真から切り取りました。時間はお店に入ってから1時間43分後です。冒頭で3回目にあった時は席が離れていたために話が出来なかったと説明させていただきましたが、実は1回目は人数が多すぎて話が出来なかったのです。2回目の時も席が離れていたためにあまり話が出来なかったので、今回の飲み会は値打ちがありました。そんなことから、時間制限の2時間では話しきれないほど話題が沢山ありました。
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お店の場所を紹介します。地図の中の青色マーク( )の中で最も中央のマークが今回のお店の場所です。他のマークは以前に食事をしたことがお店です。マークをクリックすると店名と記事のURLを表示します。
 名前 れんこん
 住所 東京都台東区上野4-9-1
 電話 03-3831-5100
 営業 17:00~23:00
 定休 無休
 最寄 京成上野駅 JR上野駅 地下鉄上野駅


追伸 2017年4月25日
いただいたコメントで今回の「れんこん」はソネブロガーのちょいのりさんが板前をされているお店だと知りました。
そこで「上野 れんこん」で検索してみました。→ So-net内 全体
沢山の記事が掲載されているのに驚きました。
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980円のデンドロビウム [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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近所の野菜の直売所で立派なデンドロビウムが980円(税込)で売られていたので買ってきました。デンドロビウムを育てるのは実家に住んでいたころ以来だと思います。その頃はランの種類が好きだったのでいろんなランを育てていました。ランを育てるのは久しぶりのことなので来年もきれいな花を咲かせることを目標にしたいと思っています。買ったときはツボミが少しありましたが今は満開となりました。

花の部分を拡大いたしました。
デンドロビウムはラン科セッコク属に分類される植物の総称で、学名のDendrobiumのカナ読みから名前がつけられているそうです。東南アジアを中心に世界各地に広く分布していて、原種だけでも1000以上と言われています。日本にもセッコクがありますが、通常はデンドロビウムと呼ばれるものは、園芸種の洋ランとして栽培されるものを限られているようです。今回のデンドロビウムは最もオーソドックスな品種でノビル系になります。ノビル系自体、かつてはデンドロビウムの主流でした。今はノビル系以外にデンファレ系、キンギアナム系、フォーミデブル系、カリスタ系がデンドロビウムの系統を構成しているそうです。
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さらに花を拡大して見ました。デンドロビウムの呼名は、ギリシア語の「デンドロ=木」と「ビウム=生ずる」に由来しているそうです。野生では主として樹上に着生して育っています。
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今回の園芸品種名はムーンマーメイドで、漢字では夢蘭と書かれていました。夢蘭はムーランと読むのだと思います。ここでは、小さい「ゥ」が使われてデンドロビゥムと書かれていました。デンドロビュームと書く場合もあるようです。種苗登録番号は第10938号と書かれていました。種苗法による品種登録の第162回を見ると登録品種の名称はムーンマーメイドで、品種登録を受ける者の氏名又は名称は東忠でした。登録内容を検索してみると次の通りでした。
 登録番号        10938
 出願番号        12510
 農林水産植物の種類   Dendrobium Sw.
 品種名称        ムーンマーメイド
 品種名称(カナ)    ムーンマーメイド
 出願日         2000/04/19
 出願公表日       2000/10/20
 取下日         なし
 拒絶日         なし
 出願者名/育成者権者名 東忠
 登録年月日       2002/12/16
 登録公表日       2002/12/16
 育成者権の消滅日    2008/12/17
デンドロビウム・ノビル系の育て方を見ると一年を通して日当たりのよい場所で育てるそうです。ただし、花を長く楽しみたい場合は、満開なると温度の低い直射日光の当たらない場所に置くとよいようです。肥料は1000倍に薄めた液肥を月2回与え、同時に5月と6月に1回ずつ固形の肥料を与えるようにかかれていました。
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