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安いステーキ肉を美味しく食べる方法を試してみました。 [肉]

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ゴルフ仲間の人たちとの飲み会の時に安いステーキ肉を美味しく食べる方法を教えてもらったので、その方法を試してみることにいたしました。試してみて焼いたのが上のステーキです。

こちらが、今回使った米国産の100gが198円のステーキ肉です。先日、実家に帰った時にステーキにしたお肉の約10分の1なのでステーキ肉としては安いことは間違いないと思います。今回はその時に食べたステーキと比較するために分厚い肉を選定いたしました。
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美味しくする方法はステーキ肉を油とタマネギに付け込んで1日寝かすことでした。先ずは油を入れました。叩いたりせずにそのまま付け込みました。使った油は普通のナタネ油です。銘柄は「さらさらキャノーラ油」でコレステロールはゼロだそうです。8.6%のオメガ-3系脂肪酸が含まれた油です。この時10月3日10時50分でした。
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そしてタマネギを乗せました。効果に関しては聞いていなかったのでネットで調べてみると、すりおろした玉ねぎに肉を漬け込むと柔らかくなるとと書かれていたので柔らかくする効果がありそうです。油に関する記述でも油に漬け込むと、しっとり焼きあがると書かれていました。油に漬け込む方法はプロでもさいようしている方がいると書かれていました。
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こちらが約24時間寝かした状態です。この状態からさらに約7時間40分寝かしました。
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先ずは牛脂でスライスしたニンニクを焼きました。この時10月4日18時30分だったのでステーキ肉は31時間40分ほど寝かしたことになります。
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ニンニクの香りが写った油でステーキ肉を焼きました。タマネギが写っていますがステーキ肉を焼くときは入れていませんでした。タマネキをそのまま捨ててしまうのはもったいないのでステーキが焼きあがる寸前にタマネギもステーキの隙間で焼きました。
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ステーキが焼きあがったところでソースを手早くすくりました。ソースと言っても残った肉汁にウスターソースと赤ワインを入れて煮詰めるだけです。
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こちらが出来上がステーキです。ソースは煮詰め方がすこし少なかったようです。事前に焼いたニンニクはステーキの上に乗せました。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。コリックするとさらに拡大いたします。
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この日はソースに使った残りの赤ワインにいたしました。こちらも安いチリ産のワインですが意外と美味しかったです。
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ポテトサラダ以外に生野菜のサラダも用意してもらえました。サラダが入っている器は私専用の笠間焼のサラダボールです。私がいつも沢山サラダを食べるのでいつの間にか私専用になってしまいました。笠間焼は江戸時代中期の安永年間(1770年代)に箱田村の名主久野半右衛門道延が、近江信楽の陶工長右衛門を招聘して窯を築き陶器を焼いたのが起こりとされています。のちに笠間藩主の仕法窯として保護され、甕・摺り鉢などの日用雑器が作られた陶器で、現在の茨城県笠間市周辺に約300人の陶芸作家や窯元があります。
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中がピンク色で焼け具合も丁度良かったです。先日、宝塚の実家で食べた山垣畜産の特上ヘレ肉(ヒレ肉)のスーテーキには及びませんでしたが、確かに安いステーキ肉とは思えない美味しさになっていました。味のレベルを表現するならば「チェーン系列のレストランのステーキよりも美味しい場合もありうる」と言えばわかりやすいと思います。ただし、同じ肉を普通に焼いたステーキとは比べていないので、どれほどの違いなのか気になりました。
この次は油とタマネギに付け込んで寝かした肉と、そのまま焼いた肉を同時に焼いて比較したいと思います。
特上ヘレ肉のスーテーキの記事→ポチッ1 ポチッ2 ポチッ3
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もうミカンが出てくる季節になりました。 [話題]

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果物を買いにスーパーに行くと露地物の早生のミカンが並んでいたので、その中から2種類を買ってきました。2種類を買ってきたのは、まだまだ甘いミカンが少ないと思い、味を比べてみるためでした。左が静岡産のみかんで右が宮崎産のみかんです。宮崎産は日南1号という品種でした。いずれも今の時期に出てきていることから極早生温州に分類されるのだと思います。
 極早生温州 9月~10月頃
   宮本早生 日南1号 日南の姫 岩崎早生 崎久保早生 上野早生
   ゆら早生 紀のゆらら 
 早生温州  10月~12月
   青江早生 宮川早生 興津早生 田口早生 木村早生
 中生温州  11月~12月頃
   藤中温州 南柑20号 愛媛中生 向山温州 きゅうき 久能温州
   瀬戸温州 盛田温州
 普通温州  11月下旬~12月  遅い品種は晩生温州
   青島温州 十万温州 大津四号 今村温州 紀の国温州 寿太郎温州
2016年度の日本のミカン収穫量の割合は次の通りです。中生温州は、早生温州と普通温州に含めて集計されているようです。
 ハウス    21,100トン  2.62%
 極早生温州 126,100トン 15.66% 
 早生温州  309,000トン 38.38%
 普通温州  348,900トン 43.34%
 合計    805,100トン

単にミカンと呼ぶことが多いのですが品種的には温州ミカン(ウンシュウミカン)です。温州ミカンの名前は中国浙江省の温州に由来していますが、単に中国浙江省の温州が柑橘類の名産地であったことにあやかって日本でつけられた名前です。 室町時代末期には温州橘と呼ばれ、江戸時代には温州蜜柑(うんしゅうみかん)や唐蜜柑と呼ばれたそうです。ただし原産地は中国浙江省の温州ではなく日本の不知火海沿岸が原産と推定されているそうです。鹿児島県出水郡長島町と書かれている記事もありました。英名のSatsumaやMikanからも日本を代表する柑橘類(ミカン属)であることを示しています。ちなみにオレンジやグレープフルーツや伊予柑やハッサクや柚子もミカン属(種の一つ上)です。金柑(キンカン)はミカン科キンカン属です。テレビを見ながら手で剥いて食べられることから、アメリカやカナダやオーストラリアではTV orangeの愛称があるそうです。
クリックすると拡大  界 植物界      Plantae
  門 被子植物門    Magnoliophyta
  綱 双子葉植物綱   Magnoliopsida
  目 ムクロジ目    Sapindales
  科 ミカン科     Rutaceae
  属 ミカン属     Citrus
  種 ウンシュウミカン Citrus unshiu
 和名 温州蜜柑 温州みかん みかん
 英名 Satsuma Mikan Citrus unshiu
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2017年10月3日に同時に食べてみた結果は、宮崎産の日南1号の方があきらかに甘かったです。ただし果物の味は同じ場所や条件で大きく違うので、味の比較は一例に過ぎないと考えください。
日南一号は興津早生の枝変わりとして1978年に宮崎県日南市の野田明夫によって発見され、1989年に品種登録されたそうです。比較的樹勢が強く、じょうのう膜が軟らかいそうです。栽培が容易で糖度、酸度ともに安定しているため栽培が広がり、現在では極早生温州の中心品種となっているとのことでした。値段も静岡産が398円に対して日南一号は298円とお得でした。
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断面も紹介します。左が静岡産で右が日南1号です。静岡産は皮は薄かったけれども、日南1号の方が甘かったです。
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全国の2016年度の温州みかん収穫量のランキングは次の通りです。全国平均収穫量の19.4トン/haは1.94kg/㎡に相当します。地域によって収穫率は11.40トン/ha~23.83トン/haと、大きな差が見られます。
         収穫量          面積   収穫率
 1位 和歌山県 161,100トン(20.01%) 7,160ha 22.50トン/ha
 2位 愛媛県  127,800トン(15.87%) 5,890ha 21.70トン/ha
 3位 静岡県  121,300トン(15.07%) 5,260ha 23.06トン/ha
 4位 熊本県   84,000トン(10.43%) 4,020ha 20.90トン/ha
 5位 長崎県   50,200トン( 6.34%) 3,080ha 16.30トン/ha
 6位 佐賀県   45,800トン( 5.69%) 2,370ha 19.32トン/ha
 7位 愛知県   30,500トン( 3.79%) 1,280ha 23.83トン/ha
 8位 広島県   24,100トン( 2.99%) 1,990ha 12.11トン/ha
 9位 福岡県   20,300トン( 2.52%) 1,300ha 15.62トン/ha
 10位 神奈川県  20,000トン( 2.48%) 1,190ha 16.81トン/ha
 11位 三重県   19,800トン( 2.46%) 1,170ha 16.92トン/ha
 12位 大分県   14,200トン( 1.76%)  722ha 19.67トン/ha
 13位 大阪府   13,400トン( 1.66%)  720ha 18.61トン/ha
 14位 香川県   13,000トン( 1.61%) 1,120ha 11.61トン/ha
 15位 徳島県   12,900トン( 1.60%)  825ha 15.64トン/ha
 16位 鹿児島県  10,900トン( 1.35%)  926ha 11.77トン/ha
 17位 宮崎県   10,100トン( 1.25%)  651ha 15.51トン/ha
 18位 山口県   8,180トン( 1.02%)  730ha 11.21トン/ha
 19位 高知県   7,030トン( 0.87%)  338ha 20.80トン/ha
 20位 兵庫県   2,030トン( 0.25%)  168ha 12.08トン/ha
 21位 千葉県   1,140トン( 0.14%)  100ha 11.40トン/ha
    その他   7,320トン( 0.91%)  490ha 14.94トン/ha
    全国合計 805,100トン       41,500ha 19.40トン/ha

旅爺さんさんのコメントを参考に洗った後に8つに切って皮ごと食べてみました。皮が気になったので1つだけ皮ごと食べて、残りは皮を剥いて食べてしまいました。実に対して皮がもう少し薄いと全て皮ごと食べれたと思います。
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タグ:果物 みかん
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セーヌ川クルーズ その3 [セーヌ川]

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今回の記事は8日間のフランス旅行の最後の記事(103番目)です。旅行自体でも下記のように最後に楽しんだのがセーヌ川クルーズでした。本記事の末尾に書いていますが、最初の記事から1年4ケ月間に書いた387の記事の中の26.6%にあたる103の記事が本フランス旅行に関するものでした。
上の写真は現在世界最高齢の117歳の喜界島(鹿児島県大島郡喜界町)の田島ナビさん(明治33年8月4日生まれ)と同じ1900年に誕生した鋼鉄製のドゥビリ橋と1889年に誕生した錬鉄製のエッフェル塔です。両方ともに1900年のパリ万博のために作られました。喜界島と言えばこちらの記事です。→ポチッ 
 1日目 JL415 到着 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル オンフルール
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり 
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル コンシェルジュリー
 セーヌ川クルーズ 帰国・JL416夜行便・パリ→成田
 8日目 成田空港16時30分到着 17時50分帰宅

本記事では②その2の続きを紹介します。クルーズ乗降場( )を通り過ぎて下流側(西方向)に行き、クルーズ乗降場に戻ってくるまでです。ここの景色の中でで、エッフェル塔が重要な役目を果たしていました。
   ━━   セーヌ川クルーズ
     セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
   A~Y くぐった橋 潜った回数:36回(25橋)
       ABCDEFGHIJKLMN OPQRSTUGFEDCBA VWXYYXWV
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで ABCDEFGHIJKLMN
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで  OPQRSTUGFEDCBA
 ③ その3 乗場付近から西方向       VWXYYXWV
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 J K P R


この出発地点から一旦は東の上流方向に行き、戻ってきたところがこの写真です。ここには入港せずにそのまま行き過ぎて西の下流方向に向かいました。停泊しているクルーズ船は185席のディナー船 Le Jean-Sébastien Moucheです。クリックして拡大するとテーブルが並んでいるのが分かると思います。
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出発点を通り過ぎで下流側で最初に出会えた橋がアルマ橋(Le Pont de l'Alma)です。現在の橋は再建されたもので前身の橋は1854年から1856年にかけてガリエルの指揮の下で建設された3径間石造アーチ橋で、クリミア戦争のアルマの戦いにちなんで命名されたそうです。
 橋名 アルマ橋(Le Pont de l'Alma)
 形式 桁橋
 材料 鋼鉄
 全長 141m
 幅  42m
 建設 1970年~1974年
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写真に写っているエッフェル塔はアルマ橋を含めて3つ先のイエナ橋のところにあります。ダイアナ妃が1997年に交通事故で亡くなったのはアルマ橋の右岸の地下トンネルの中です。3D航空写真→ポチッ1 トンネル内→ポチッ2
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船の形は違いますが我々の船と同じ会社のクルーズ船とすれ違いました。クリックすると船首にBATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)の文字が読み取れると思います。バトー・ムーシュ社が所有しているクルーズ船のリストを紹介します。写真の船はLa Galioteで、我々の船はL'espoirと思われます。
遊覧船 屋外 屋内 合計
 L'espoir La Galére 416席 286席 702席
 Le Coche d’eau 699席 137席 836席
 La Galiote 616席 227席 843席
 L’Hirondelle 512席 624席 1136席
 Le Mulet Coureau 726席 120席 846席
 La Flûte 660席 256席 916席
ディナー船 食事 カクテル 貸切
 Le Zouave de l’Alma 140席 240席 可 
 La Patache 300席 400席 可 
 Le Jean-Bruel 300席 320席 可 
 Le Jean-Sébastien Mouche 185席
 La Gabarre 500席 600席 可 
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こちらが我々が乗ったL'espoir(レスポワール)です。レスポワールはBateaux Mouches社を代表する船だそうです。この船の写真はBateaux Mouches社のホームページおよびWikimediaから転用させていただきました。
たしかにWikipediaに掲載されていることからもBateaux Mouches社の代表クルーズ船だと感じました。写真はいずれも右方向が進行方向で、我々は進行方向の2階の最前列の席に座りました。
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Bateaux Mouches社(Compagnie des Bateaux-Mouches)は1949年にジャン・ブリュエルによって設立されたそうです。設立時は下の写真の1900年のパリ万博当時の蒸気船が1隻あるだけだったそうです。現在は15隻を所有しているとのことでした。
この写真にはBateau-mouche sur la Seine vers 1900.と書かれていました。意味は「1900年頃のセーヌ川のバトー・ムーシュ」です。
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19世紀後半のセーヌ川の蒸気船による観光の風景も紹介します。船だけでなく風景も違うので歴史を感じます。道路は車ではなく馬車が走っています。
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いろんな形のクルーズ船を見かけました。
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少し小型のクルーズ船も沢山走っていました。
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アルマ橋をくぐる雰囲気を味わってください。私の座った位置から撮った写真です。
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次の橋はドゥビリ橋です。この橋は1900年の万国博覧会のために一時的な橋として架けられました。そのために常に消滅の危機にありましたが1966年に歴史的建造物に指定され、今も使われるようになったそうです。
 橋名 ドゥビリ橋(Passerelle Debilly)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 125m
 幅  8m
 建設 1899年~1900年
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このあたりに来るとどこからでもエッフェル塔を見ることが出来ます。
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橋をくぐる寸前の写真です。両方ともに鉄骨で出来ていることを感じさせられます。本写真を冒頭の写真にさせていただきました。
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橋を潜るとエッフェル塔が大きく見えてきます。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
エッフェル塔(La tour Eiffel)の名前は、塔の設計及び建設者であるギュスターヴ・エッフェルに由来するそうです。
 建設 1887年1月28日(起工式)~1889年3月30日(竣工)
 高さ 324m(1,063 ft) アンテナ設置前は312.3m
 材料 錬鉄
 工費 650万フラン
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エッフェル塔の先端部分です。左側の写真をクリックすると特別に大きく拡大いたします。
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ドゥビリ橋の次はイエナ橋(Pont d'Iéna)です。エッフェル塔に最も近い橋です。イエナ橋を渡る道は真直ぐにエフェル塔の下をくぐってのびています。架けられた当初の橋の幅は19mでしたが1937年のパリ万国博覧会に合わせて35mに拡張されました。
 橋名 イエナ橋(Pont d'Iéna)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 155m
 幅  35m
 建設 1808年~1814年
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初めてパリに来た時にイエナ橋とエッフェル塔の位置関係が分かりやすい写真を撮っていました。エッフェル塔の手前がイエナ橋です。その時の記事のタイトルは「エッフェル塔の下でのアクロバット走行」でした。→ポチッ
フランスはヨーロッパの中でも訪れたのが一番遅かった国ですが、それでも今回の訪問が8回目となりましクリックすると記事を表示た。
 台湾    1988年 37回 初めて行った国
 ドイツ   1992年 10回 2番目に行った国
 アメリカ  1992年 18回 3番目に行った国
 インド   1992年 13回 4番目に行った国
 中国    1994年 103回 6番目に行った国 最多訪問国
クリックすると記事を表示 ベトナム  1998年 16回 8番目に行った国
 韓国    2000年 16回 12番目に行った国
 フランス  2005年   8回 17番目に行った国
 ウクライナ 2011年   1回 30番目に行った国
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イエナ橋をくぐっている写真です。次の橋は特殊な構造のビラケム橋です。沢山の船が行き来していました。
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イエナ橋を潜ってすぐに撮ったイエナ橋とエッフェル塔の写真です。この写真でもイエナ橋のすぐそばにエッフェル塔が建っていることが分かってもらえると思います。3Dでエッフェル塔とイエナ橋の関係を示します。→ポチッ
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ビラケム橋は2階建て橋です。1階が歩行者と自動車用で、2階には鉄道が通っています。鉄道はメトロ6号線です。この橋は建設当初はパッシー橋(Pont de Passy)と呼ばれていましたが、第二次世界大戦でエジプトでのビル・アケムの戦い(1942年~1943年)を記念してビラケム橋に改名されたそうです。
 橋名 ビラケム橋(Le Pont de Bir-Hakeim)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 237m
 幅  24.7m(下層) 7.3m(上層)
 建設 1903年~1905年
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ちょうど電車が通るところに出会えました。この写真もクリックすると特別に拡大するように設定いたしました。ビラケム橋は映画にも登場します。
 1960年 地下鉄のザジ
 1972年 ラストタンゴ・イン・パリ
 2010年 のだめカンタービレ最終楽章後編
 2010年 インセプション
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振り返った景色です。ビラケム橋の上を走る電車から見えるエッフェル塔はすばらしいと想像して今います。
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さすが地下鉄です。また電車が通る写真を撮ることが出来ました。こちらもクリックすると特別にかくだいいたします。
驚いたことに日本企業のCM映像にも登場するほど有名な橋だったのです。
 花王   ラビナス
 明治製菓 Fran
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鉄骨の足の部分は見事な鋳造の像で飾られていました。
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あまりにも見事なので拡大いたしました。
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橋をくぐるる写真です。頭の上のむき出しの鉄骨が印象的でした。
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この場所でUターンしました。我々の船が減速したので前を走っている船と離れました。遠くに見える橋はルエル橋(Pont Rouelle)です。ルエル橋は潜ることはありませんでしたが、詳細を記載いたします。ルエル橋は「白鳥の島」の白鳥の遊歩道(白鳥の小径)を跨ぎ左岸15区と右岸16区を結んでいる鉄道橋です。橋上を通っているのはRERのC線クリックすると拡大です。
右の写真はWikipediaに掲載されていた航空写真で一番下がビラケム橋で、その上がルエル橋です。
 橋名 ルエル橋(Pont Rouelle)
クリックすると拡大 形式 桁橋・アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 173m
 幅  20m
 運用 1900年
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船が回転(Uターン)している途中の写真です。船が横に向いてきているのが分かってもらえると思います。
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完全に方向転換いたしました。これからビラケム橋を潜って(くぐって)出発場所に戻ります。
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下流側の鋳造の像は上で紹介した上流側の像とは違っていましたが、こちらも見事でした。
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鉄骨にはいろんな飾りが取り付けられていました。リベットが使われている鉄骨は美しく感じてしまいます。
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ビラケム橋を潜っているところです。
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下流側から見たイエナ橋です。
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イエナ橋の横のクルーズ船の乗降場です。この辺りは不思議とクルーズ船の乗降場が沢山ありました。沢山のクルーズ船を見かけたの理由が分かりました。橋の隅に柱が建てられていて彫像が置かれているのが分かってもらえると思います。上流からは気が付きませんでした。
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彫像を拡大しました。橋の完成から39年後の1853年に橋の四隅に4体の彫像が設置されたそうです。一般的に上流から見て右を右岸、左を左岸と呼ぶので、下流から撮った下の写真は左岸の彫像ということになります。つまりアラブの戦士とギリシャの戦士です。
 右岸 ガリアの戦士  アントワーヌ・プレオー作
    ローマの戦士  ルイ・ドーマ作
 左岸 アラブの戦士  ジャン-ジャケ・フーシュレ作
    ギリシャの戦士 フランソワ・デヴォー作
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私が初めてパリに来た時に撮った写真の中にイエナ橋の4つの彫像が写っていました。写真の左方向がセーヌ川の上流なので手前側が右岸の彫像(ガリアの戦士とローマの戦士)になり、奥側が左岸の彫像(アラブの戦士とギリシャの戦士)になります。この写真は2005年12月3日に撮りました。
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ジャン=フランソワ・ムーレが制作した皇帝の鷲(わし)の紋章も下流からだとはっきりわかりました。上流からだと逆光だったのです。
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鷲の紋章をさらに拡大いたしました。
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イエナ橋を下流側からくぐっている写真です。
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イエナ橋をくぐるとドゥビリ橋が見えてきました。
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ドゥビリ橋の周辺にもクルーズ船の乗降場が沢山ありました。
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橋をくぐる寸前の写真です。橋の下からは次のアルマ橋が見えました。
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左側には立派な建物が建っていました。おそらく住宅用に使われているものと思います。
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アルマ橋の橋桁の下を通して我々のクルーズ船の乗降場が見えます。
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アルマ橋を挟んでモーターゴムボートが高速で走り回っていました。これも観光用なのだと思います。Bateaux-Mouchesの乗降場にクルーズ船のLe Mulet Coureau、La Gabarre、Le Coche d’eau、Le Jean-Sébastien Moucheと、もう1船の5船が停泊していました。
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アルマ橋を潜っている写真ですが我々の乗降場がはっきりと見えています。
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乗降場に近づきました。
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下りる準備で降り口に人が集まってきました。
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これから出発する船には生徒たちが沢山乗っていました。先生らしい人も見られるので学校の行事で来ているのだと思います。
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下り場に近づきました。
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船から降りている人たちです。
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沢山のバスが駐車していました。我々はホテルに戻るために地下鉄の駅を目指しました。
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ホテルの近くオペラ地区に戻ってきました。この時17時7分でした。フライト時間(21時55分) まで4時間48分ありましたが、朝にホテルをチェックアウトした時にホテルに預けていた荷物をピックアップして、すぐにリムジンバスで空港に向かいました。
クリックすると拡大帰国のフライトはJL416でした。
空港ではたっぷり時間があったのでラウンジでワインを飲みながらゆっくりすごしました。
  当日21:55 シャルルドゴール空港出発
  翌日16:30 成田空港到着
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フランス旅行の記事は、本記事をもって終了いたします。8日間の旅行でしたが下記のように103の記事を書くことが出来ました。私にとって新鮮なことが多かったからだと思います。別の記事を書きながらのため103の記事を書き終えるのに1年4ケ月を要しました。フランス旅行の最初の記事を書いてから387の記事を掲載したことから26.6%(=103÷387)がフランス旅行の記事だったわけです。時間はかかりましたが1週間旅をすれば約100の記事が書けることが証明されました。着色文字をクリックすると、その記事群を表示します。
クリックすると拡大クリックすると拡大 区分        記事数
 モンサンミッシェル  21
 オンフルール      3
 ロワール城めぐり   13
クリックすると拡大クリックすると拡大 ルーブル美術館     9
 ヴェルサイユ宮殿   19
 オルセー美術館     7
 セーヌ川クルーズ    4
クリックすると拡大クリックすると拡大 パリのレストラン    8
 その他のパリの記事  12
 フライト 行き 帰り  3
 土産 その他      4
 合計         103
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セーヌ川クルーズ その2 [セーヌ川]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

   ━━   セーヌ川クルーズ
     セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
     泊まったホテル
   A~Y くぐった橋
フランス旅行の最終日(7日目)の最後の観光は、BATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)でのセーヌ川クルーズでした。そのセーヌ川クルーズを4つ分けて紹介しておりますが、すでに①その1と④特別編は掲載させていただきました。今回の②その2では上の地図の右端(上流側)から乗場の位置( )まで戻ってくるルートの景色を紹介したいと思います。
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで ABCDEFGHIJKLMN
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで  OPQRSTUGFEDCBA
 ③ その3 乗場付近から西方向       VWXYYXWV
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 J K P R

この場所でクルーズ船がUターンいたしました。見えている橋は①その1の記事の最後に紹介したオステルリッツ橋です。
 橋名 オステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)
 形式 アーチ橋
 材料 煉瓦
 全長 173.8m
 幅  30m
 建設 1801年~1805年 1854年 1884年~1885年
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こちらUターンした後の写真です。川が左右に分かれているように見えますが、セーヌ川の真ん中に中州があるためです。見えている中州の名前はサン=ルイ島です。その奥にシテ島があります。左右に形の違う橋がありますが、両方ともにシュリー橋でです。2つの橋はつながっいて一つの橋になっています。左側のシュリー橋をくぐってきて、右側のシュリー橋をくぐって戻りました。
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こちらがくぐってきた左側のシュリー橋で、ノートルダム寺院(大聖堂)が見えます。
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ここから右側のシュリー橋に向かいます。
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こちらが戻るときにくぐったシュリー橋です。石の橋と鋳鉄製の橋の組み合わせでした。
 橋名 シュリー橋(Pont de Sully)
 形式 アーチ橋
 材料 鋳鉄 石
 全長 256m
 幅  20m
 建設 1874年~1876年
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シュリー橋をくぐるっているところの橋です。左側にサン=ルイ島の護岸が見えてきました。
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左にサン=ルイ島を見ながら曲がっていく石の橋が見えてきました。緑に囲まれた素敵な景色に出会いました。石の橋は382年前に作られたマリー橋(Pont Marie)です。サン=ルイ島の開発のために作られた橋で、開発を手がけたクリストフ・マリーにちなんで名前が付けられました。その時代の一大事業だったのだと思います。ポンヌフ(410年前建設)と並ぶ古い橋であることから1887年2月10日に歴史的記念建造物に指定されたそうです。
 橋名 マリー橋(Pont Marie)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 92m
 幅  22m
 建設 1614年~1635年
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こちらのマリー橋は④特別編で紹介した笑顔で手を振ってもらえた橋の一つなのです。
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近づくと沢山の人が手を振ってくれました。
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恒例のマリー橋をくぐる写真を紹介します。次のルイ・フィリップ橋(Pont Louis-Philippe)が見えています。
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ルイ・フィリップ橋も中州のサン・ルイ島を結ぶ橋です。この橋は再建された橋でオリジナルの橋は1833年に建設され、オルレアン朝のフランス国王であったルイ・フィリップが王座につくことになった「栄光の三日間」を祝うために、自ら名付けたそうです。その橋は1848年の2月革命で焼失し、新しく再建されたのが今の橋で、当初は改革橋と呼ばれていたそうです。
 橋名 ルイ・フィリップ橋(Pont Louis-Philippe)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 100m
 幅  15.2m
 建設 1860年~1862年
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橋脚は4mの太さがあるそうです。橋脚に取り付けられている飾りはバラの丸い金属版を石製の木の枝が取り囲む装飾です。
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装飾の部分を拡大いたしました。
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ルイ・フィリップ橋をくぐる写真も掲載させていただきました。橋の下から次のアルコル橋が見えます。
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サン=ルイ島のエリアからシテ島のエリアに入るとノートルダム寺院の尖塔がビルの上に見えます。
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見えているのはアルコル橋(Pont d'Arcole)です。この橋が出来るまでの鉄の橋は鋳鉄が使われていましたが、初めて錬鉄が使われた橋でもありました。錬鉄が使われたこともあり橋脚のない構造が採用されたようです。
 橋名 アルコル橋(Pont d'Arcole)
 形式 アーチ橋
 材料 錬鉄
 全長 80m
 建設 1854年~1856年
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左側はシテ島ですが、パリの中心と結われるだけあって見事な建物が並んでいました。塔のある建物が建設当社はシテ城(王宮)でのちに監獄として使われてコンシェルジュリーです。その手前の立派な建物はGoogle地図では総合病院と書かれていました。その建物はホテルとなっているようです。
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アルコル橋も手を振る人たちに出会えた橋でした。
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アルコル橋をくぐる雰囲気も紹介します。次の橋はノートルダム橋です。
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現在の橋は103年前の1914年に建設されたものですが、400年前後の橋があるパリの中ではアルコル橋は新しい方なのかもしれません。ところがノートルダム橋の場所はパリで最初に橋が架けられたところだそうです。その年代ははっきり判りませんでしたが橋の名前はグラン・ポン(大きな橋)とよばれていたそうです。その次に架けられた板橋は1131年前の886年であることが分かっていることから1131年を超える歴史的な橋の橋であることが分かりました。最初にノートルダム橋の名前が付いた橋が建設されたのは1443年だそうです。現在の橋の鋼鉄製の中央部分の支間長は60mです。左はまだして島で、塔のある建物がコンシェルジュリー(Conciergerie)で、その手前のドームのある建物がGreffe du Tribunal de commerce de Parisです。
 橋名 ノートルダム橋(Pont Notre-Dame)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄・石
 全長 105m
 幅  16m
 建設 1910年~1914年
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橋に近づいてからは全体が撮れなかったので中央部分の写真を掲載しました。上の写真と合わせて全体を想像してみてください。
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橋をくぐる写真を紹介します。次のシャンジュ橋の全景が撮れているのはこの写真になります。
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シャンジュ橋を紹介します。シャンジュ橋と言えばコンシェルジュリーです。初代の橋は9世紀に建設されて、橋の上に彫金師、両替商が店を構えていたためシャンジュ橋と呼ばれるようになったそうです。
 橋名 シャンジュ橋(Pont au Change)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 103m
 幅  30m
 建設 1858年~1860年
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100年前の1900年前後のセーヌ川の観光船の写真をネットから転用させていただきました。橋脚の装飾とアーチの形からシャンジュ橋と思われます。
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Googleマップのストリートビューで上の約100年前の写真がシャンジュ橋であることを確認してみました。建物の形などから写真の橋がシャンジュ橋で、コンシェルジュリーのあたりから撮ったものであることが分かりました。


こちらがシャンジュ橋をくぐるときの写真です。
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橋を抜けるとコンシェルジュリーが大きく見えてきました。
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シテ島の横で最後の橋のポンヌフです。①その1の記事でシテ島の反対側のポンヌフを紹介しましたが、島を跨いだ1本の橋です。今から410年前に造られたパリで現存する最古の橋でもあります。この橋をがシテ島の最後の橋なので、この橋をくぐった後はその1で紹介したルートと同じところを反対方向に走ることになります。
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ポンヌフのくくる寸前の写真です。
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比してこちらがポンヌフているところの写真です。
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ここからは①その1で通った橋です。見えている橋は手前から、ポンデザール(Pont des Arts)、カルーゼル橋(Pont du Carrousel)、ロワイヤル橋(Pont Royal)です。ロワイヤル橋の奥に見えている大きな建物はオルセー美術館です。
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遠くにエッフェル塔が見える景色はパリを感じさせてくれます。
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ポンデザール(Pont des Arts)に近づいてきました。バックの建物群は絵になります。
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ポンデザールをくぐる写真です。
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ポンデザールをくぐると次の橋が見えてきます。手前がカルーゼル橋(Pont du Carrousel)で奥の橋がロワイヤル橋(Pont Royal)です。
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その1では下流側からくぐる写真を紹介しましたが、ここではカルーゼル橋を上流側からくぐる写真も紹介します。先に見えているのはロワイヤル橋(Pont Royal)です。
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オルセー美術館をバックにしたロワイヤル橋(Pont Royal)です。①その1では右側にオルセー美術館が見えましたが、帰りは左に見ることが出来ます。
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ロワイヤル橋をくぐるているところです。レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)が見えます。
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1900年のパリ万博万国博覧会の会場でもあったガラス張りのグラン・パレ(Grand Palais)をバックにしたレオポール・セダール・サンゴール橋です。その奥の橋はコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。
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レオポール・セダール・サンゴール橋は沢山の南京錠が取り付けられていることでも有名です。
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レオポール・セダール・サンゴール橋をくぐった後の景色です。グラン・パレ(Grand Palais)も大きく見えてくるようになりました。
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こちらがコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。
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コンコルド橋をくぐるとアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)が見えてきます。
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エッフェル塔をバックにしたアレクサンドル3世橋です。
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金色の像が乗った高さ17mの柱とセーヌ川の妖精(Les Nymphes de la Seine)と呼ばれている装飾の中間にエッフェルト塔が来た瞬間の写真です。
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次のアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。上流側から見ているので橋脚の部分の彫刻は「陸の勝利」です。下流側の彫刻「海の勝利」は①その1で紹介いたしました。
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約100年前のアンヴァリッド橋も紹介します。
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こちらが陸の勝利と呼ばれている彫刻です。クリックすると露出調整をした写真を表示します。
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今回の記事での橋をくぐる最後の写真です。右に出発地点のバトー・ムーシュ乗降場が見えます。
潜っている橋はもちろんアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。
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出発地点に近づいてきました。
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クルーズ船の出発地点ですが通り過ぎます。
この続きは、③その3で紹介します。
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彼岸花の公園 村上緑地公園 [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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今年2017年の6月と7月の記事で近くの公園で沢山のユリが植えられていることを紹介しました。その記事を書くにあたり公園のことを調べてみると彼岸花も沢山植えられていることを知ったので2017年9月26日にクリックすると拡大行ってみましたところ、すでに花が枯れかかっているエリアが多かったのですが、幸いにも、上の写真のように満開のエリアも、かろうじて残っていました。
 ユリの記事 → ポチッ1 ポチッ2 ポチッ3

沢山の彼岸花が植えられていたのは千葉県八千代市の村上緑地公園です。この公園は南北に長い公園ですが、最も北のエリアにユリが植えられていました。
村上緑地公園の全体の面積は11万㎡(11ha)で、周長は2.5kmです。彼岸花が植えられていたエリアの面積はGoogle地図で測ると約20000㎡でした。ネットで調べてみると生育面積は16000㎡だそうです。
 場所 村上緑地公園の中央部
 住所 千葉県八千代市村上1113
 電話 047-483-1151 八千代市役所 公園緑地課
 最寄 東洋バス 村上団地第一・バス停 勝田台駅から乗車
    東葉高速鉄道 村上駅から徒歩1480m
   彼岸花植栽エリア
   ゆり植栽エリア


公園に到着して彼岸花を探していて最初に目にしたのはこのような状態でした。正直、2週間は遅かったと感じました。
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こちらが平均的な花の状態でした。
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実が大きくなっているものもありました。
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先に進んでいくと咲いている花が増えてきました。でも、まだまだ咲いている花は多くはありませんでした。
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道の先に彼岸花の花が沢山見えてきました。道の両側に咲いていました。特に谷のように低くなっている右側に多く咲いていました。
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こちらは道の左側の高い部分です。
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遠くまで彼岸花の花が続いていました。
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こちらが道の右側の谷になっていた部分で、今回は最も沢山の花が咲いていたエリアです。こちらの写真を冒頭に掲載させていただきました。
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同じエリアをすくし別の角度から撮った写真です。ここには沢山の木が生えており、起伏も大きいことから、彼岸花もエリアごとに満開になる時期に差があるのではないかと感じました。ここのエリアは最も遅く万かいななるエリアだったようです。
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下草はドクダミでした。地面はドクダミで覆われており周辺よりも気温が低かったことも満開になる時期が遅くなている理由のようでした。
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少し離れて見た景観です。
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さらに離れた景色です。みちが2つに分かれている真ん中のエリアに彼岸花が植えられていました。
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どんな雰囲気のところに咲いているかわかってもらえると思います。公開されている八千代市の「事業報告及び決算書」から下記の通り、村上緑地公園には4年間で合計57800の球根が植えられていることが分かりました。植えられた数は6万球ですが、種子が出来たり球根が増えているとしたら、かなりの株数になっていると思われました。調べてみると10万株を超えているそうです。
 2013年(平成25年度 P13)  9000球
 2014年(平成26年度 P11) 17400球
 2015年(平成27年度 P14) 17000球
 2016年(平成28年度 P13) 14400球
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日が当たっている彼岸花を撮ってみました。彼岸花の分類を記載します。
  界 植物界     Plantae
  門 被子植物    Angiosperms
  綱 単子葉類    Monocots
  目 キジカクシ目  Asparagales
  科 ヒガンバナ科  Amaryllidaceae
 亜科 ヒガンバナ亜科 Amaryllidoideae
  連 ヒガンバナ連  Lycorideae
  属 ヒガンバナ属  Lycoris
  種 ヒガンバナ   Lycoris radiata
 英名         Red spider lily
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
彼岸花は有毒な多年生の球根性植物です。日本にはユーラシア大陸東部から帰化したものと考えられていて、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれています。ただし、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、畦や土手に植えたとも考えらているそうです。全体が有毒で、特に鱗茎にアルカロイド(リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリン等)を多く含みます。経口摂取すると吐き気や下痢を起こし、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死に至ることもあるそうなので食べることのないように注意が必要です。特に葉の姿が食用のノビルやアサツキに似ているため、誤食してしまうケースもあるそうです。
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この公園では木が沢山植わっていてこのように日陰に咲く彼岸花も多く見かけました。
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僅かですが黄色の彼岸花も見かけました。
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黄色の彼岸花が植えられていたたところです。赤色の彼岸花の中に黄色の彼岸花が植えられていました。ただし、赤色の彼岸花の花のほとんどが終わっている場所でした。
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彼岸花まつりも行われていました。鑑賞会は2017年9月16日(土)~9月24日(日)で、竹細工の実演などのイベントも土・日・祝日に行われていました。
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セーヌ川クルーズ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 [セーヌ川]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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セーヌ川クルーズのその1(乗場から東方向の折り返し点まで)の記事で紹介したようにセーヌ川クルーズの楽しみの一つが、橋の下をくぐることですが、もう一つの楽しみが、橋の上から我々のために手を振ってくれる姿に出会えることです。ここでは特別編として、その「うれしい笑顔」を紹介したいと思います。その2、その3は後日紹介したいと思います。
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで
 ③ その3 乗場付近から西方向
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。

こちらの地図の中央付近の茶色のマーク( )のバトー・ムーシュ乗降場でクルーズ船に乗って先ずは上流方向(右方向)に進み、Uターンして下流方向(左方向)に行き、元の場所に戻ってきます。笑顔で手を振ってくれた人たちに多く出会えたのは沢山の人が来ているシテ島周辺( )でした。シテ島はノートルダム寺院サント・シャペルコンシェルジュリーがあるパリの中心的存在の中州です。
 ━━ セーヌ川クルーズ
 セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
 パリで泊まったホテル 1、3、4、5、6日目の5泊



最初に手を振る姿に気が付いたのはこちらのプティ・ポン(Petit-Pont)です。
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上の写真では手を振る姿は写っていませんが、クルーズ船が近づくと右端の男性のように手を振ってくれました。
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写真の左端に移っている男性のようにこたえて船上からも手を振る方がおられました。このあとさらに手を振る方が橋の上からも船上からも増えていきました。歓声も大きくなっていきました。橋からが先なのか船上からが先なのかは分かりませんでしたが、沢山の人たちが手を振ることで楽しんでいるようでした。
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次のドゥブル橋(Pont au Double)です。かなり遠くからズームで撮っているので、まだ手を振っている人は見かけませんでした。
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最初に気が付いて手を振ってくれたのがこちらの女性でした。拡大しているので大きく写っていますが、まだかなりの距離です。でも船が通り過ぎる最後まで手を振ってくれました。右の女性は我々の船の写真か動画を撮っているようです。上の写真では赤い服の女性と話をしていてまだこちらには気が付いていませんが、そのあとすぐに気が付いて手を振ってくれたのがこの写真です。
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船が近づくと手を振る人が増えてきます。こちらが冒頭の写真が、手を振っていない人もみんな笑顔でした。
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笑顔で手を振ってくれていますが、手を振っていな人も笑顔でこちらを見てくれています。
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上の写真では右端の2人の男性は手を振っていませんでしたが、船が近づいたこちらの写真では手を振ってくれました。
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橋に近づいてきました。ノートルダム寺院の尖塔がちょうど中央に写る角度です。やっぱり、手を振ってくれると嬉しいです。
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橋をくぐる寸前の写真です。赤いスカーフの女性のように最後まで手を振ってくれひとも多かったです。
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ノートルダム寺院の川沿い人たちも笑顔で迎えてくれていました。右端の家族と思われる人たちは手を振ってくれています。
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船がUターン戻り始めて2つ目の橋のマリー橋( Pont Marie)です。シテ島の隣のサン=ルイ島と川の北側を結ぶ橋で観光客もさほど多くはありません。それでも20名くらいの人がこちらを見ていました。
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マリー橋でもクルーズ船が近づくと手を振ってくれました。
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近づくと手を振る人も増えてきます。
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さらに近づくと中央の男性も手を振ってくれました。
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真ん中の男性と左端の女性は船が橋をくぐるまで手を振ってくれました。
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マリー橋の次のアルコル橋(Pont d'Arcole)でも手を振る人たちに出会えました。ただしこの写真を撮った時は遠いのでこちらに気が付いておらず皆さん歩いておられました。
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我々に気が付いて手を振ってくれる方もあらわれました。
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やっぱり笑顔で手を振ってくれると嬉しいです。橋の欄干の隙間か、らこちらを覗いている小さな子供の姿にも癒されます。
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橋の欄干の隙間の小さな女の子の顔がよく見える角度の写真も紹介します。小さな女の子も笑顔でした。
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今回、笑顔で手を振る人たちの写真を紹介した橋を拡大した地図で紹介します。書いている橋名の順番に紹介いたしました。
 プティ・ポン Petit-Pont
 ドゥブル橋  Pont au Double
 マリー橋   Pont Marie
 アルコル橋  Pont d'Arcole

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カシス・マロンとイチジクのタルト [千葉]

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久しぶりに貝殻亭のケーキをいたただきました。
2017年9月19日に山口県の墓参りに行くときに叔父さんに渡すお土産のクッキーを買うついでに自分たちが食べるケーキを買いました。
カシス・マロンとイチジクのタルトです。

ケーキは紅茶でいただきました。
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カシス・マロンケーキの断面を紹介します。中心部が栗のクリームです。周囲がカシスクリームです。2つのクリームがタルトの上に乗っていました。マロングラッセが中や外側やタルトの中に入ったおいしいケーキでした。
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イチジクのタルトの断面も紹介します。イチジクのケーキはよく食べるのですが、今年始めた食べたイチジクのケーキでした。正式名はタルト・フィグフランポワーズです。
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断面を紹介するのも目的で半分に切りましたが、両方を食べるのも目的の一つです。
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ケーキ以外にこちらも買ってきました。一つ50円です。名前は「ミニカヌレ」です。
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こちらも紅茶でいただきました。
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叔父さんへのお土産です。左が私の家の近くの貝殻亭で買ってきたお土産のクッキーで、右がいつものお土産の宝塚の実家の近くの佃煮屋さんで買った昆布の佃煮です。
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実家用に買ってきた貝殻亭のクッキーです。下の写真は4種類ですが、上の叔父さんへのお土産用の箱には1個づつ10種類ほど入れてもらいました。
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2019年9月19日の日帰りで実家の母と行く墓参りも無事に終わり実家の宝塚に戻ってきました。
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前日の2017年9月18日は台風が通過した後なので空気が澄んでいて新幹線から見える富士山もきれいでした。
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今までに紹介したイチジクが使われたスイーツを紹介したいと思います。最初の2枚は同じ貝殻亭のイチジクのタルトです。左が2015年で右が2016年です。毎年進化してきているのかもしれません。お店の名前をクリックするとその時の記事を表示します。写真をクリックすると拡大いたしました。
  貝殻亭(2015年)           貝殻亭(2016年)
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  御影高杉              ポッシュ・ドゥ・レーヴ芦屋
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