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オルセー美術館(Musée d'Orsay)でランチ [オルセー美術館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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パリのオルセー美術館(Musée d'Orsay)を訪れたのはフランス旅行の最終日(7日目)でした。我々は、その日の21時55分発のフライト帰国することから最終日の昼食(ランチ)はフランスで最後の食事だったのでオルセー美術館で食べることにいたしました。食事の後も観光を続けるので外でレストランを探す余裕もありませんでした。本記事でオルセー美術館の記事は終了いたします。
 1日目 JL415 到着 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル オンフルール
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 パリ チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり 
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル コンシェルジュリー
 セーヌ川クルーズ 帰国・JL416・パリ→成田

クリックすると拡大オルセー美術館内には本格的な料理が食べれるレストランもあるのですが、それを知ったのは帰国後に記事を書くために調べた時でした。我々が入ったのは下の写真のカフェでした。場所は前記事で紹介したフランソワ・ポンポンの白熊のすぐ横でした。
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我々も、こんな感じで座って食べました。白熊のお尻側が写真に写っているのがわかってもらえると思います。
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クリックすると拡大これが私と娘の二人分のランチです。右端のパン(サンドイッチ)は2つに分けて食べました。値段は合計16.1ユーロ(約2095円)で、今回のフランス旅行でのランチ6回とディナー6回の計12回のレストランの食事の中で、今回の食事が最も安かったです。
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これがフランスパンにハムとチーズを挟んだサンドイッチです。日本のフランスパンは柔らかいけれども、本場のフランスパンは噛みごたえあるのが特徴で、それが私が大好きなのです。挟んであるハムもチーズも美味しかったです。着色文字(記事?)をクリックすると今までのオルセー美術館に関する記事を表示します。
 建物編 記事1
 絵画編 記事2 記事3 記事4 記事5 記事6
 彫像編 記事7
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パンの香りを伝えたくて拡大いたしました。たっぷりとハムとチーズが入っていることも感じてもらえると思います。
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フランス旅行の7日間の全てのランチとディナーを食べたレストランを紹介します。そんな中でオルセー美術館のカフェが最も簡単な食事となりましたが、この後の午後で観光できた内容を考えると、時間が節約できたのは正解でした。
赤色マーク( )は泊まったホテルです。店名の着色文字をクリックするとレストランの記事を表示します。地図はパリ市内だけなのでパリ以外のレストランの場所を知りたい方は、リストの をクリックするとそれぞれのレストランの場所を示した地図を表示します。
① 1日目D パリ           Café Panis
② 2日目‎L モンサンミッシェル   La Rôtisserie
③ 2日目D モンサンミッシェル   Le Relais Saint-Michel
④ 3日目L モンサンミッシェル   La Sirène
⑤ 3日目D パリ          どさん子
⑥ 4日目L パリ ルーブル美術館   Le Café Richelieu / Angelina
⑦ 4日目D パリ           L'Ecluse Madeleine
⑧ 5日目L ヴエルサイユ宮殿敷地  La Flottille
⑨ 5日目D パリ           Drouant par Antoine Westermann
⑩ 6日目L ロワール        La Cave aux Fouées
⑪ 6日目D パリ           Le Vaudeville 
⑫ 7日目L パリ オルセー美術館   Café Campana
D:ディナー(夕食)   L:ランチ(昼食)


12回の食事(ランチ or ディナー)の写真も紹介します。写真をクリックすると記事を表示します。2ケ所(5日目と6日目ランチ)だけは料理ではなくレストランも紹介しています。それぞれの特徴がヴエルサイユ宮殿の庭園(5日目ランチ)と、洞窟レストラン(6日目ランチ)だったからです。写真は上の①→⑫の順番です。
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オルセー美術館の部分を航空写真で拡大いたしました。オルセー美術館をあらためて紹介します。
 正式名称 Musée d'Orsay
 専門分野 19世紀美術 原則1848年~1914年に活躍した作家の作品
 常設展示 4000作品(所蔵作品:約2万点)
 来館者数 3,440,000人/年 (2015年)
 開館   1986年 建物は1900年建設の駅舎
 最寄駅  地下鉄 ミュゼ・ドルセー駅
 昼食場所 Café Campana 

オルセー美術館の彫像たち [オルセー美術館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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オルセー美術館に関しての今までに6つの記事を掲載いたしました。その中で57人の画家の絵画を紹介しました。オルセー美術館(Musée d'Orsay)では上の写真のように全体の建物の中に絵画を展示するための建物が立てられているのです。その絵画用の建物から見ると屋外にあたる部分に沢山の彫像が展示されていました。本記事ではその彫像の一部を紹介したいと思います。
着色文字(記事?)をクリックすると今までの記事を表示します。
 建物編 記事1
 絵画編 記事2 記事3 記事4 記事5 記事6
 彫像編 記事7 ←今回の記事

クリックすると拡大正面からの景観も紹介します。時計があるところが入口で、こちらに向かって上り坂に作られています。中央通路と両側の絵画の展示室の2階に彫像が展示されていまし。全て屋内の雰囲気で飾られていました。
右の写真は駅舎として使っていたころの写真です。
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こちらがセーヌ川側の展示室の2階です。
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上の写真の右端の彫像を正面から撮ったのがこちらの写真です。
クリックすると拡大 作家 ポール・デュボワ(Paul Dubois)
    1829年~1905年(満75歳没)
 作品 Souvenir, Alsace-Lorraine
 制作 1905年
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こちらはセ-ヌ川と反対側の展示室の2階です。
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こちらの作品も有名なようで同じ構図のものが別の場所にも設置されているようです。
クリックすると拡大 作家 アントワーヌ・ブールデル(Émile-Antoine Bourdelle)
    1861年~1929年(満67歳没)
 作品 Héraklès archer 弓をひくヘラクレス
    Héraklès tue les oiseaux du lac Stymphale
 制作 1909年~1924年
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彫像に関しては作者などが書かれた説明板を撮ったのは限られていたので作者や作品名が今となっては判らないものが多いです。でもいずれも有名なものだと思います。なんとかネットで作品の作者を見つけました。→ポチッ
こちらの写真はクリックすると特別に大きく拡大するようにいたしました。
クリックすると拡大 作家 ジャン=バティスト カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)
    1827年~1875年(48歳)
 作品 Torchère
 製作 1873年
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クリックすると拡大こちらの作品も説明板を撮っていなかったので作家名が判りません。調べた結果、こちらも絵画編で紹介したジャン=バティスト カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)の作品でした。右の絵画がJean-Baptiste Carpeauxの作品です。
クリックすると拡大 作家 ジャン=バティスト カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)
    1827年~1875年(48歳)
 作品 Ugolin entouré de ses quatre enfants
 製作 1860年
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彫像が沢山展示されていたスペースです。
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そのスペースの中の作品です。写真を撮った時は作者や作品名は分かりませんでしたがWikipedia(Jean-Baptiste Carpeaux)の中で作品を見つけました。
クリックすると拡大 作家 ジャン=バティスト カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)
    1827年~1875年(48歳)
 作品 La Danse
 製作 1865年~1869年
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こちらもスペースの中の作品です。壁の作品も中央の少年の作品もJean-Baptiste Carpeauxの作品です。少年の彫像の作品名は次の通りです。右のJean-Baptiste Carpeauxの肖像画の上に書かれているのが壁の彫像です。クリックすると確認できると思います。
クリックすると拡大 作家 ジャン=バティスト カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)
    1827年~1875年(48歳)
 作品 Le prince imperial et le chien Nero
 製作 1866年
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広場の中央にあった作品もジャン=バティスト カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)でした。どうやらここはJean-Baptiste Carpeauxの作品のエリアだったようです。こちらもクリックすると特別に大きく拡大いたします。この天球を支えている銅像は世界4大陸(アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニア)を象徴しているそうです。4人は4大大陸の女性たちなのでしょうね。
クリックすると拡大 作家 ジャン=バティスト カルポー(Jean-Baptiste Carpeaux)
    1827年~1875年(48歳)
 作品 Les Quatre Parties du Monde
 製作 1872年
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人間をテーマにした作品が多い中で、すこし雰囲気の違う彫像もありました。1922年の作品ではありますが新しい雰囲気が感じられる作品でした。作家のポンポンは、元は大理石職人で、ロダンの製作を手伝いながら少しずつ作品を作り貯め、1917年のロダンの死後である最晩年となってからようやく独立を果したそうです。リュクサンブール美術館が「山鳩」の彫刻を購入したのを皮切りに、人気をあつめて、67歳(1922年)にして代表作の「白熊」を発表することとになったそうです。晩年に独立してからの10年で多くの作品を製作し、単純化された独特なラインを持った彫刻は、モダニズムの頂点でもあったと言われているそうです。本物の白熊(北極熊)は雄が200cm~250cmで雌は180cm~200cmです。この彫像の白熊は本物を凌ぐほどの251cmの巨大なものでした。
クリックすると拡大 作家 フランソワ・ポンポン(François Pompon)
    1855年~1933年(満77歳没)
 作品 Ours blanc 白熊
 制作 1922年
 寸法 高さ:163cm 長さ:251cm 奥行:90cm
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こちらは印象派展示室に展示されていたロダンの作品です。こちらは一度紹介させていただきました。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin)
    1840年~1917年(77歳)
 作品 L'Homme qui marche 歩く男
 制作 1907年~1910年
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オルセー美術館がターミナル駅だったころの構造図をネットから転用させていただきました。右は建設時の鉄骨がむき出しの写真です。クリックすると拡大オルセー駅に使われた鉄骨の総量は12000トンで、エッフェル塔の7500トンを上回っています。オルセー美術館は原則的に、2月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品を展示することになっており、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターという役割分担がなされているそうです。
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オルセー美術館 沢山の画家たちの作品 [オルセー美術館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大上の写真はオルレアン鉄道によって1900年に建設されたオルセー駅の鉄道駅を1986年に美術館として活用するために作られたオルセー美術館の内側の写真です。オルセー美術館(Musée d'Orsay)に関する記事を今までに5つ紹介しました。それらの記事の中で、下記のように22人の作家の作品を紹介いたしました。本記事では、これ以外の沢山の作家の作品を紹介したいと思います。今回はオルセー美術館に関する6つ目の記事です。
 記事1オルセー美術館 建物編
   ロートレック 松方コレクションの「庭に座る女」
 記事2オルセー美術館 印象派展示室
   ミレー  マネ  ドガ  モネ  セザンヌ  ピサロ  シスレー
   ベルト・モリゾ  オノレ・ドーミエ  アルマン・ギヨマン
   ギュスターヴ・クールベ  ギュスターヴ・カイユボット
 記事3オルセー美術館 ファン・ゴッホ
   ファン・ゴッホ
 記事4オルセー美術館 ゴーギャン ロートレック
   ゴーギャン  ロートレック  セザンヌ  モネ  マネ
 記事5オルセー美術館でも模写が許されていました。
   カミーユ・コロー  ローザ・ボヌール  コンスタン・トロワイヨン
   エルネスト・メソニエ  エドゥーアード・セイン
それでは順番に38作品を紹介していきたいと思います。日本人にはなじみの薄い画家もあるとは思いますが、全てWikipediaで取り上げられている有名な画家です。着色された日本語の名前が書いてある作家は日本語のWikipediaに掲載されている画家です。説明はフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」から抜粋させていただきました。画家の小さな写真類は全てWikipediaから転用させていただきました。クリックするとオリジナルを表示します。

エミール・ベルナールはフランスのポスト印象派の画家です。
1887年頃は点描による絵を制作していたそうです。下記はその頃の作品と思われます。その後すぐに点描を捨ててルイ・アンクタンとともにクロワゾニスムを発展させていったそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 エミール・ベルナール(Émile Bernard)
    1868年~1941年(72歳)
 作品 Au Cabaret
 制作 1887年
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シニャックはパリ生まれで、ジョルジュ・スーラと並ぶ新印象派の代表的画家であったそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 ポール・シニャック(Paul Signac)
 1863年~1935年(98歳)
 作品 Route de Gennevilliers
 制作 1883年
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 作家 ポール・シニャック(Paul Signac)
 作品 La Bouée rouge
 制作 1895年
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クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 マクシミリアン・ルーチェ(Maximilien Luce)
    1858年~1941年(82歳)
 作品 La Seine à Herblay
 制作 1890年
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 作家 マクシミリアン・ルーチェ(Maximilien Luce)
 作品 Une rue de Paris en mai 1871 dit aussi La Commune
 制作 1903年~1906年
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クリックすると拡大 作家 アンリ=エドモン・クロッス(Henri-Edmond Cross)
    1856年~1910年(53歳没)
 作品 La Chevelure
 制作 1892年
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 作家 アンリ=エドモン・クロッス(Henri-Edmond Cross)
 作品 Les Cyprès à Cagnes
 制作 1908年
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クリックすると拡大 作家 テオ・バン・ライッセルバーグ(Théo Van Rysselberghe)
    1862年~1926年(64歳)
 作品 L7Homme à la barre
 制作 1892年
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新印象派に分類される19世紀のフランスの画家です。スーラは、印象派の画家たちの用いた「筆触分割」の技法をさらに押し進めて光学的理論を取り入れた結果、点描という技法にたどりついたそうです。
クリックすると拡大 作家 ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)
    1859年~1891年(31歳)
 作品 Paysage rose
 制作 1879年
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展示室の雰囲気を紹介します。
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ウジェーヌ=ルイ・ブーダンは外光派の一人として印象派に影響を与えたそうです。特に青空と白雲の表現に優れていたそうです。こちらの絵の額は絵に比べて非常に大きかったので絵のみを掲載させていただきました。
クリックすると拡大 作家 ウジェーヌ・ブーダン(Eugène Boudin)
    1824年~1898年(74歳)
 作品 Étude de ciel avec das nuages blancs
 制作 Sans date
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クリックすると拡大こちらも絵に比べて額が大きかったので絵のみの掲載といたしました。右の写真は額も一緒に撮ったものです。上の絵も額との比率は同程度でした。
 作家 ウジェーヌ・ブーダン(Eugène Boudin)
 作品 Ciel nuageux
 制作 1856年
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 作家 ウジェーヌ・ブーダン(Eugène Boudin)
 作品 Port d'Anvers
 制作 1871年
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 作家 ウジェーヌ・ブーダン(Eugène Boudin)
 作品 La Plage de Trouville
 制作 1865年
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クリックすると拡大 作家 チャールズ・アングランド(Charles Angrand)
    1854年~1926年(71歳)
 作品 Couple dans la rue
 制作 1887年
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ピエール・ボナールはナビ派に分類されていて、ポスト印象派とモダンアートの中間点に位置する画家だそうです。版画やポスターにも優れた作品を残しているそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 ピエール・ボナール(Pierre Bonnard)
    1867年~1947年(79歳)
 作品 Intérieur dit aussi La Femme au chien
 制作 年
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 作家 ピエール・ボナール (Pierre Bonnard) 1867年~1947年(79歳)
 作品 La Jeune-Fille aux bas noirs
 制作 1893年
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 作家 ピエール・ボナール (Pierre Bonnard)
 作品 Chevaux et filles au Bois
 制作 1894年~1895年
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カミーユ・ピサロに関してはすでに掲載したとおり印象派の代表的画家です。
クリックすると拡大 作家 カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)
 1830年~1903年(73歳)
 作品 Route d'Ennery
 制作 1874年
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ギュスターヴ・クールベはフランスの写実主義の画家です。スイス国境に近いフランシュ・コンテ地方の山の中の村オルナンに裕福な地主の子として生まれたそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet)
    1819年~1877歳(58歳)
 作品 Branche de pommier en fleurs dit sussi
    Fleurs de cerisier
 制作 1872年
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マイヨールは彫刻家としても有名で、オーギュスト・ロダン、アントワーヌ・ブールデルとともに近代ヨーロッパを代表する彫刻家の一人です。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 アリスティド・マイヨール(Aristidw Maillol)
    1861年~1944年(82歳)
 作品 La Femme à l'ombrelle
 制作 1895年
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Aristidw Mailloの作品が左の壁に飾られています。 
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エドゥアール・ヴュイヤールは モーリス・ドニ、ピエール・ボナールらとともにナビ派の1人に数えられています。ヴュイヤールは他のナビ派の画家よりもさらに平面的、装飾的傾向が顕著だそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 エドゥアール・ヴュイヤール
    (Édouard Vuillard)
    1868年~1940年(71歳)
 作品 Au lit
 制作 1891年
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 作家 エドゥアール・ヴュイヤール(Édouard Vuillard)
 作品 Le Passeur dit sussi Cipa Godehski
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楕円形の作品もありました。クリックすると特別に大きく拡大します。
 作家 エドゥアール・ヴュイヤール(Édouard Vuillard)
    1868年~1940年(71歳)
 作品 Intérieur de salon de thé, Le Grand Teddy, projet Tea Room
    Interior, The Grand Teddy, Design
 制作 1917年
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ウジェーヌ・ドラクロワはロマン主義を代表するパリ生まれの画家です。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix)
    1798年~1863年(65歳)
 作品 Chasse aux lions (esquisse)
 制作 1854年
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ルイ・ジャンモはリヨン派の画家であり詩人であったそうです。ジャンモはロマン派と象徴主義の間を繋ぐ人物として見られており、ドイツのナザレ派やイギリスのラファエル前派と同様な神秘主義的、理想主義を有すると共にカトリック的傾向を強く有する画家であったそうです。
クリックすると拡大 作家 ルイ・ジャンモ(Louis Janmot)
    1814年~1892年(78歳)
 作品 Le Supplice de Mézence
 制作 1865年
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ジャン=レオン・ジェロームはフランスの画家・彫刻家で、歴史や東方(オリエント地域)の描写を得意としていたそうです。下記の作品「闘鶏」は代表的作品のようです。
クリックすると拡大 作家 ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme)
    1824年~1904年(79歳)
 作品 Jeunes Grecs faisant battre des coqs (闘鶏)
    dit aussi Un combat de coqs 制作 1846年
 制作 1846年
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クリックすると拡大 作家 カロルス・デュラン(Carolus-Duran)
    1837年~1917年(79歳)
 作品 La Dame au gant
 制作 1869年
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ジェームズ・ティソはフランス西部の町ナントに生まれれ、パリに出てイポリット・フランドランとルイ・ラモットに絵を学んだそうです。
クリックすると拡大 作家 ジェームズ・ティソ(James Tissot)
    1836年~1902年(65歳)
 作品 Le Cercle de la rue Royale ロワイヤル通りのサークル
 制作 1868年
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上の絵に描かれている12名の人の名前の説明がされていました。クリックすると説明板のオリジナルを表示します。
 ① Le comte Alfred de la Tour-Maubourg
 ② Le marquis du Lau
 ③ Le comte Étienne de Ganay
 ④ Le comte J. de Rochechouart
 ⑤ M.C. Vansittard
 ⑥ Le marquis R. de Miramon
 ⑦ Le baron Hottinger
 ⑧ Le marquis de Ganay
 ⑨ M. Gaston de Saint-Maurice
 ⑩ Le prince Edmond-Melchior de Polignac
 ⑪ Le marquis de Gallifet
 ⑫ Charles Haas
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クリックすると拡大作品名からMiramon伯爵家族の肖像画のようですが、上の絵の中に、そのMiramon伯爵(⑥)が描かれていました。
右の写真は、上の絵(ロワイヤル通りのサークル)から⑥のMiramon伯爵を切り取ったものです。
 作家 ジェームズ・ティソ(James Tissot)
 作品 Portrait du marquis et de la marquise de
    Miramon et de leurs enfanta
 制作 1865年
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Alfred Stavensで画像検索をすると下記の作品のような女性の肖像画がほとんどであることから、女性の絵を得意としていたのかもしれません。彼のWikipedia内で紹介されている12枚の作品の中で11枚に女性が描かれていて、その中の9枚が女性単独の肖像画です。
クリックすると拡大 作家 アルフレッド・スティーブンス(Alfred Stavens)
    1823年~1906年(83歳)
 作品 La Lettre de rupture
 制作 1867年
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 作家 アルフレッド・スティーブンス(Alfred Stavens)
 作品 Ce que l'on appelle le vagabondage dit aussi Les chasseura de
    Vincennes
 制作 1854年
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バレリーナの絵で有名なドガの作品がこちらにもありました。
クリックすると拡大 作家 エドガー・ドガ(Edgar Degas)
 1834年~1917年(83歳)
 作品 Portrait de famille 又は La famille Bellelli
 制作 1858年~1869年
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展示室の雰囲気も紹介します。 
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クリックすると拡大 作家 テォデュール・リボー(Théodule Ribot)
    1823年~1891年(68歳)
 作品 Saint Sébastien martyr
 制作 1865年
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雰囲気から3作品ともテォデュール・リボー(Théodule Ribot)の作品のようです。右側の作品が上のSaint Sébastien martyrです。 
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別の赤い壁の展示室の雰囲気も紹介します。 
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シャルル=フランソワ・ドービニーはパリ生まれバルビゾン派の画家だそうです。父や叔父も画家であったことから年少時より絵の教育を受けたそうです。
クリックすると拡大 作家 シャルル=フランソワ・ドービニー
    (Charles-Francois Daubigny) 1817年~1878年(61歳)
 作品 La Neige
 制作 1873年
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バジールは、南仏モンペリエの裕福な家庭に生まれ、1862年にパリに出てシャルル・グレールの画塾に入り、モネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、セザンヌといった仲間と知り合ったそうです。自ら絵を描きながら仲間を経済的に支援していましたが、1870年に勃発した普仏戦争に志願して参戦して28歳の若さで戦死したそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 フレデリック・バジール(Frédéric Bazille)
    1841年~1870年(28歳)
 作品 Réunion de Famille 又は Portraits de famille
 制作 1867年
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右の壁の絵が上の作品です。大きな作品であることがわかってもらえると思います。 
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ルイ・アンクタンはフランス東部で生まれ、1882年にパリに来て、レオン・ボナのアトリエで絵を学んだそうです。そのときにロートレックと出会い、共にフェルナン・コルモンのアトリエに移り、ファン・ゴッホやベルナールと親交を結んだそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 ルイ・アンクタン(Louis Anquetin)
    1861年~1932年(71歳)
 作品 Femme dans la rue
 制作 1890年
クリックすると拡大

ポール・セリュジエはフランス・パリ出身のポスト印象派の画家で、ナビ派の一員として知られているそうです。1885年にアカデミー・ジュリアンに入学し、そこで出会ったモーリス・ドニやピエール・ボナールらと共にナビ派を結成したそうです。
クリックすると拡大 作家 ポール・セリュジエ(Paul Sérusier)
    1864年~1927年(62歳)
 作品 Les Filles de Pelichtim
 制作 1908年
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ジャン=バティストカルポーの代表作にはパリ・オペラ座の「ダンス」や「ウゴリーノ」があるあるそうです。
クリックすると拡大クリックすると拡大 作家 ジャン=バティストカルポー
    (Jean-Baptiste Carpeaux)
    1827年~1875年(48歳)
 作品 L'Attentat de Berezowski contre le tsar
    Alexandre II
 制作 1867年
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円形の絵もありました。本名はジュール・ウジェーヌ・ルヌヴー・ブサロック・ド・ラ・フォン(Jules Eugène Lenepveu Boussaroque de Lafont )と長い名前です。天井が有名な画家で、この絵も天井画と思われます。
クリックすると拡大 作家 ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー
    (Jules Eugène Lenepveu)
    1819年~1898年(78歳)
 作品 Les Muses et les Heures du jour et de la nuit
 制作 1872年
クリックすると拡大

下の4枚の絵の作家や作品名は記録していないかったために判りませんが、4枚一組の絵が印象的だったので掲載いたしました。クリックすると特別に大きく拡大いたします。
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今回の記事で下記の枠内の27人の39作品を紹介いたしました。今までの記事で22人を紹介いたしました。27人+22人は59人ですが、ピサロとドガの2人はすでに紹介いたしましたので、今までの記事を合わせて57人の画家の絵画を紹介したことになります。オルセー美術館の常設展示は約4000点(所蔵作品は約2万点)であることから、沢山の画家を紹介したつもりではありますが、オルセー美術館の中の一部の画家を紹介したにすぎないと思います。画家の名前の順番と写真の順番は同じにしております。
エミール・ベルナール  ポール・シニャック  マクシミリアン・ルーチェ  アンリ=エドモン・クロッス  テオ・バン・ライッセルバーグ  ジョルジュ・スーラ  ウジェーヌ・ブーダン  チャールズ・アングランド  ピエール・ボナール  カミーユ・ピサロ  ギュスターヴ・クールベ  アリスティド・マイヨール  エドゥアール・ヴュイヤール  ウジェーヌ・ドラクロワ  ルイ・ジャンモ  ジャン=レオン・ジェローム  カロルス・デュラン  ジェームズ・ティソ  アルフレッド・スティーブンス  エドガー・ドガ  テォデュール・リボー  シャルル=フランソワ・ドービニー  フレデリック・バジール ルイ・アンクタン  ポール・セリュジエ  ジャン=バティストカルポー  ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

オルセー美術館 ゴーギャン ロートレック [オルセー美術館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大パリのオルセー美術館の5つ目の記事です。
オルセー美術館(Musée d'Orsay)の最上階の印象派展示室を見た後に地上階に下りました。地上階には沢山の作家の作品が展示されていました。ここでは沢山の作家の作品を紹介したいと思います。
クリックすると拡大地上階の展示室は。1900年に建てられたオルセー駅のガラスのドーム下の屋内に、上の写真のように中央の通路を挟んで両側に1986年に展示室が建てられて、オルセー美術館として開館して沢山の作品が展示されていました。右は当時の駅だった写真です。
 正式名称 Musée d'Orsay
クリックすると拡大 専門分野 19世紀美術
 常設展示 4000作品
 来館者数 3,440,000人/年 (2015年)
 開館   1986年
 最寄駅  地下鉄 ミュゼ・ドルセー駅

オルセー美術館に関する前記事でファン・ゴッホを紹介いたしました。1888年に南仏アルルに移っていたファン・ゴッホと9週間の共同生活を送ったほどファン・ゴッホと関係が深かったのがゴーギャンです。先ずはゴーギャンの作品から紹介していきたいと思います。こちらの壁の作品はすべてゴーギャンです。ファン・ゴッホの作品群の隣に展示されていました。
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ゴーギャンと言えばタヒチを思い浮かべます。最初にタヒチを訪れたのが1891年4月からで資金が尽きて1893年8月に国の費用で帰国したそうです。1895年6月から2度目のタヒチに向かい6年を過ごした後にマルキーズ諸島に行ったそうです。そのマルキーズ諸島で1903年5月8日にゴーギャンは亡くなりました。
作品名のヴァイルマティは、マルキーズ諸島の神話に登場する絶世の美女で、神に見初められてその妻となったそうです。ヴァイルマティが座っているのは玉座だそうです。
 作家 ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin) 1848年~1903年(満54歳没)
 作品 Vairumati ヴァイルマティ
 制作 1897年
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作品名のアレアレアとはポリネシア語で「喜び」「楽しさ」を意味するそうです。
 作家 ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)
 作品 Arearea アレアレア
 制作 1892年
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ゴーギャンの晩年期の作品で、パルテノン神殿東側の浮き彫り彫刻に着想を得て描かれた作品と考えられています。
 作家 ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)
 作品 Le Cheval blanc 白い馬
 制作 1898年
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ロートレックの作品も沢山ありました。そのうち3枚を紹介します。ロートレックのフルネームはアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)です。正式には姓(苗字)がトゥルーズ=ロートレック(Toulouse-Lautrec)です。ファン・ゴッホ(Van Gogh)と違い、単にロートレック(Lautrec)でも世界的に通じるようです。南仏のアルビで生まれました。ロートレックの生家は伯爵家でフランスの名家です。最後は母親の邸宅であるマルロメ城で両親に看取られ脳出血で36歳の若さで亡くなったそうです。
 作家 ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)
    1864年~1901年(満36歳)
 作品 Femme de profit 又は Madame Lucy
 制作 1896年
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ジャンヌ・アヴリルは実在のフレンチカンカンのダンサーです。クリックすると拡大本名はジャンヌ・ボードン(Jeanne Beaudon)です。Wikipediaに書かれているほど有名な女性で、絵が描かれた翌年の1893年(25歳時)の写真(右)が残っています。彼女(1868年生れ)はロートレックより4歳年下でした。
 作家 ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)
 作品 Jane Avril dansant 踊るジャンヌ・アヴリル
 制作 1892年
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ジャンヌ・アヴリルの写真と同じ構図の絵も描かれていました。絵よりも本人の方が美人で可愛いと思います。両方ともに1893年(25歳)です。
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こちらは非常に大きな作品です。1890年に描かれた有名な「ムーラン・ルージュの舞踏会」と同じタイトルですが5年後に書かれたものです。
 作家 ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)
 作品 La Danse au Moulin Rouge 又は
    La Goulue et Valentin le Désossé
 制作 1895年
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ロートレックが両親に看取られながら亡くなったマルロメ城の航空写真です。
 名前 Château Malromé
 住所 Saint-André-du-Bois Gironde Nouvelle-Aquitaine


下のマルロメ城(Château Malromé)の写真はWikipediaから転用させていただきました。ロートレックが名家の生まれだったことが実感されます。
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セザンヌの作品は最上階の印象派展示室(Galerie des Impressionnistes)に沢山ありましたが、地上階にも展示されていたので地上階の3作品を紹介します。
 作家 ポール・セザンヌ(Paul Cézanne) 1839年~1906年(満67歳没)
 作品 La Femme étranglée
 制作 1875年~1876年
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セザンヌと親交のあった画家のアシル・アンプレールの肖像画です。
 作家 ポール・セザンヌ(Paul Cézanne) 1839年~1906年(満67歳没)
 作品 Achille Emperaire アシル・アンプレール
 制作 1868年~1868年
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 作家 ポール・セザンヌ(Paul Cézanne) 1839年~1906年(満67歳没)
 作品 L'Avocat (l'oncle Dominique)
 制作 1866年
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次の3作品はすでに印象派展示室の中の作品として紹介したセザンヌの作品です。前の記事を見ていない方で興味のある方は写真をクリックしてみてください。拡大写真を表示します。
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モネの作品も最上階と地上階にも展示されていました。地上階の作品を紹介します。
 作家 クロード・モネ(Claude Monet) 1840年~1926年(満86歳没)
 作品 Madame Louis Joachim Gaudibert
 制作 1868年
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 作家 クロード・モネ(Claude Monet) 1840年~1926年(満86歳没)
 作品 La Pie
 制作 1868年~1869年
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 作家 クロード・モネ(Claude Monet)
 作品 Femmes au jardin
 制作 1866年
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こちらは印象派展示室の中のモネの作品です。興味のある方は写真をクリックしてみてください。拡大写真を表示します。
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モネの作品も最上階と地上階にも展示されていました。地上階の作品を紹介します。
 作家 エドゥアール・マネ(Édouard Manet) 1832年~1883年(53歳)
 作品 Monsieur et madame Auguste Manet
 制作 1860年
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マネの代表作の一つで、この絵をご存知の方は多いと思います。吹いている楽器は木製の横笛ファイフ(Fife)で、絵の指づかいを真似て吹くと「ソ」の音が鳴るそうです。
参考ですが、今回の記事では額付きのし野心で掲載させていただいていますが、この写真のように大きく曲がって写っています。他の絵も大なり小なり曲がって写っているのが多いと思います。カメラの位置が絵の中心だときれいな長方形で取れるのですが、絵の正面から撮ると照明が反射するケースが多いため中心からずらして撮っています。そのために額が曲がって写っていることが多いのです。この絵の場合は左から撮って照明の反射を避けているのです。
 作家 エドゥアール・マネ(Édouard Manet) 1832年~1883年(53歳)
 作品 Le Fifre 笛を吹く少年
 制作 1866年
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こちらも印象派展示室の中のマネの作品です。興味のある方は写真をクリックしてみてください。拡大写真を表示します。本記事で紹介した作品の作家はゴーギャン、ロートレック、セザンヌ、モネ、マネでした。
今までに掲載したオルセー美術館に関する記事も紹介します。タイトルをクリックすると記事を表示します。
 オルセー美術館 建物編
 オルセー美術館 印象派展示室
 オルセー美術館 ファン・ゴッホ
 オルセー美術館でも模写が許されていました。
 オルセー美術館 ゴーギャン ロートレック (今回の記事)
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オルセー美術館でも模写が許されていました。 [オルセー美術館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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以前にパリのルーブル美術館の模写している光景を紹介したことがあります。同じパリにあるオルセー美術館(Musée d'Orsay)でも模写されている方がおられました。ルーブル美術館では沢山の模写している人を見かけましたが、オルセー美術館で気が付いたのは1人だけでした。模写できる静かな場所はルーブル美術館に比べて少ないので、見学者の多い場所の作品は模写の許可が下りないのだと思います。

皆さん興味があるようで沢山の人が模写を見学されていました。
クリックすると拡大右の写真はルーブル美術館での模写の光景です。
イーゼル(画架)と椅子がルーブル美術館と同じでした。そのことから同じようなシステムだと感じたのでルーブル美術館での模写を行う手順を紹介します。
 ① 模写したい絵の希望を美術館に伝える。
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 ③ 日本大使館の推薦書と無犯罪証明書を入手する。
 ④ 許可されたら模写の出来る時間帯に行って模写する。
   模写期間 一つの絵で3ケ月以内
   模写料金 無料
   その他  イーゼル(画架)と椅子は借用可
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見学の人がいなくなるまで待つことにいたしました。
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やっと、こちらの写真を撮ることが出来ました。
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こちらが模写していた絵です。こちらの絵はコローと言う画家の作品でした。調べてみると同じタイトルで同じ名前の作品が何枚も書いていました。女性が手に持っている楽器はマンドリンです。
クリックすると拡大下の5枚の作品の中で3枚の作品にマンドリンが描かれています。クリックすると判ると思いますが、左から2枚目と右端は服装は同じですが違う作品です。
 作家 カミーユ・コロー Camille Corot
 作品 L'Ateiier de I'artiste アーティストのスタジオ
 制作 1865年
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下記の写真に写っている風景画と人物画の計3枚の絵がコローの作品です。
コロー(Corot)のフルネームはJean-Baptiste Camille Corot(ジャン=バティスト・カミーユ・コロー)です。コローは印象派の前の時代の画家で、日本では馴染は少ない気がしますが、コローの影響を受けた画家は、印象派・ポスト印象派のピサロ、モネ、セザンヌなど、野獣派のマティス、ドランなど、立体派のピカソ、ブラック、グリスなどが挙げられるほど次世代に影響を与えた画家として有名なようです。クリックすると拡大詩情あふれる森や湖の風景画で知られると同時に「真珠の女」のような人物画にも傑作があります。イタリアなどに旅して絵を描いてはいますが、パリの裕福な織物商人の子として生まれ、パリで育ち、パリで没した生粋のパリッ子の画家と言えると思います。
 名前 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
    Jean-Baptiste Camille Corot
 生誕 1796年7月17日 バリ
 死没 1875年2月22日 パリ(満78歳没)
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コローの絵の周辺で気になった作品を紹介します。本記事内の5人の画家(作家)の写真は全てフリー百科事典のWikipediaから転用させていただきました。
クリックすると拡大こちらは牛が沢山書かれた大きな絵です。こちらの絵は、娘も気になったようで接写しています。
 作家 ローザ・ボヌール Rosa Bonheur
    1822年~1899年(満77歳没)
 作品 Labourage nivernais dit aussi Le Sombrage
 制作 1849年
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接写していたいた理由は、写真をクリックしていただくと判ると思います。大きな作品にも関わらず細部まで本物と間違えるほど詳細に書かれているのでした。牛の表情も豊かに描かれていました。ボヌールは、当時は珍しい女性画家でした。本名はマリー・ロザリー・ボヌール(Marie Rosalie Bonheur)で、フランスの写実主義画家です。動物の姿をありのままに捉えた作品を多数残したそうです。ジョルジュ・サンドやサラ・ベルナールなどと並び、フェミニズム初期を代表する人物の一人だそうです。
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クリックすると拡大同じ牛の絵ですが別の作者です。こちらの作品は見た記憶がありました。
 作家 コンスタン・トロワイヨン Constant Troyon
    1810年~1865年(満54歳没)
 作品 Boeufa allant au labour, effet de matin 
 制作 1855年
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こちらはÉdouard Sainの作品です。本絵はÉdouard SainのWikipediaクリックすると拡大中に入っているので代表作の中の一つだと思います。沢山の女性たちが描かれた作品です。
 作家 エドゥーアード・セイン Édouard Sain
    1830年~1910年(満80歳没)
 作品 Fouilles à Pompéi
 制作 1865年
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クリックすると拡大そして、こちらはErnest Meissonierの作品です。タイトルから判断してベネチア(ベニス)のサン・マルコ大聖堂で礼拝している女性を描いた作品です。
 作家 エルネスト・メソニエ Ernest Meissonier
    1815年~1891年(満75歳没)
 作品 Femme en prière à Saint-Marc de Venise
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オルセー美術館 ファン・ゴッホ [オルセー美術館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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オルセー美術館(Musée d'Orsay)で最上階の印象派展示室(Galerie des Impressionnistes)を見た後、地上階に下りて最初に行ったのがゴッホやゴーギャンなどのポスト印象派の作家の作品が展示されている場所でした。特にゴッホの作品は印象に残ったので、本記事ではゴッホの作品を紹介したいと思います。

その展示室がこちらです。5枚ともゴッホの作品です。左から順に日本名とフランス名を紹介します。下で詳しく大きな写真で紹介いたします。
 二人の少女          Deux fillettes
 医師ガシェの肖像       Le Docteur Paul Gachet
 ガシェ医師の庭で       Dans le jardin du docteur Gachet
 オヴェールの教会       L'église d'Auvers
 コードヴィルの藁葺き屋根の家 Chaumes de Cordeville
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それではゴッホの作品を紹介したいと思います。日本では姓(苗字)をゴッホと呼んでいますが、オランダ人名のVanはミドルネームではなく姓の一部であることから姓はVan Gogh(ファン・ゴッホ)なのです。
 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent Van Gogh
  姓 ファン・ゴッホ        Van Gogh
  名 フィンセント         Vincent
 作品 Portrait de I'artiste
 制作 1889年
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独特のゴッホの絵のタッチを紹介したくて拡大いたしました。
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上の拡大写真でも表面の凸凹は紹介しきれないので、さらに拡大いたしました。クリックすると特別に大きく拡大いたしまします。是非ともクリックしてほしいです。少しは表面の凸凹を感じてもらえるかもしれません。
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それではファン・ゴッホを紹介します。右の写真がファン・ゴッホの写真です。すでにお気づきのように上の絵はファン・ゴッホ自身の肖像画だったのです。作品のタイトルPortrait de I'artisteは「画家の肖像(自画像)」でした。ウィレム(Willem)がミドルネームで省略されてフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)と書かれることが多いです。
 名前 フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ
    Vincent Willem Van Gogh
 出生 オランダ南部の北ブラバント州ブレダに近いズンデルト(Zundert )村
 生誕 1853年3月30日
 死没 1890年7月29日(満37歳没)
1886年2月末(32歳)にパリに夜行列車で来て始まったフランス居住時代に、主要な作品のほとんどが制作されました。フランス居住時代は次のように分けられます。
 1886年2月~1888年2月 パリ居住時代
 1888年2月~1889年5月 アルル時代
 1889年5月~1890年5月 サン=レミでの療養時代
 1890年5月~1890年7月 オーヴェル=シュル=オワーズ
1888年12月23日に発生したファン・ゴッホ自らの耳たぶを切り落とす事件は有名です。そのことによりアルル市立病院に収容されました。ファン・ゴッホは1890年7月29日にオーヴェル=シュル=オワーズ(Auvers sur Oise)で亡くなりましたが、拳銃による自殺と言われているにもかかわらず即死ではなく傷を受けてオーヴェルのラヴー旅館に、自ら帰り着いて2日後に亡くなっていることから、謎となっています。少年たちの拳銃暴発説などもありますが、拳銃による自殺が定説です。70年後の1960年に農地から発見された拳銃はアムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館にて展示されいるそうです。先ずは右の写真をクリックしてみてほしいです。
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ファン・ゴッホは短い期間に偉大な作品を沢山残しています。オルセー美術館にも沢山展示されていたので一部を紹介します。
 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 Tête de paysanne hollandaise オランダ人農婦の顔
 制作 1884年 オランダ時代
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 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 Paysanne prés de l'âtre 暖炉の前の農民
 制作 1885年 オランダ時代
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 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 L'Arlésienne アルルの女(ジヌー夫人)
 制作 1888年 フランス・アルル時代
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 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 La Nuit étoilée 星降る夜
 制作 1888年 フランス・アルル時代
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 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 La Méridienne 昼寝
 制作 1889年~1890年 サン=レミでの療養時代
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ファン・ゴッホが亡くなった年である1890年描かれた絵画を4枚紹介します。
 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 Mademoiselle gachet dans son jardin 庭のガシェ嬢
 制作 1890年(没年) 
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 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 Chaumes de Cordeville コードヴィルの藁葺き屋根の家
 制作 1890年(没年) 
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絵のモデルであるポール・ガシェ(Paul-Ferdinand Gachet)は、オーヴェル=シュル=オワーズ在住の精神科の医師で、美術愛好家であり、アマチュアの画家でもありました。ファン・ゴッホの晩年における主治医でありました。医師ガシェの肖像には第1バージョンと第2バージョンがあり、こちらの絵は第2バージョンです。
 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 Le Docteur Paul Gachet 医師ガシェの肖像
 制作 1890年(没年) 
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 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 Deux fillettes 二人の少女
 制作 1890年(没年) 
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 作家 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)
 作品 左:ガシェ医師の庭で          右:オヴェールの教会
    左:Dans le jardin du docteur Gachet  右:L'église d'Auvers
 制作 左:1890年(没年)            左:1890年(没年) 
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娘も沢山の絵の写真を撮っていました。撮っているのは上の写真の右側の絵であるL'église d'Auvers(オヴェールの教会)です。作品の日本名は2008年9月に訪問された方の記事を参考にさせていただきました。
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オルセー美術館の建物を紹介します。オルセー美術館の建物は1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅であったことは有名です。
 名前 オルセー美術館 (Musée d'Orsay)
 住所 1 rue de la Légion d’Honneur, 75007 Paris
 時間 9:30~18:00(木曜は21:45まで)
 休館 月曜日 1月1日(祝) 5月1日(祝) 12月25日(祝)
 最寄 Musée d’Orsay駅 Solférino駅 Assemblée Nationale駅
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オルセー美術館 印象派展示室 [オルセー美術館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大フランス旅行の最終日(7日目)の最初に訪れたのがオルセー美術館(Musée d'Orsay)でした。朝の8時50分に到着するとすでに紹介したように1番でした。その時の記念写真が右です。
9時30分に開館して中に入って最初に見た景色がが上の写真です。この空間はオルセー美術館がオルレアン鉄道のオルセー駅だったころは蒸気機関車が入ってきた空間でした。
クリックすると拡大右の写真はオルセー駅時代のものですが、正面の時計の下が、今のオルセー美術館の入口です。その場所から撮った写真が冒頭の写真なのです。
元、ホームがあった場所の中央はゆっくりとした上り坂のスペースが作られてその両側に展示室が設けられていました。冒頭の写真で左側がセーヌ川がある方で、そちらに2つの時計のある建物があり、その最上階も展示室になっていました。
クリックすると拡大1階は軽く見た後、すぐに、その最上階の展示室に向かいました。右の写真がオルセー美術館の外観です。建物に関してはすでに建物編で紹介いたしました。

最上階に向かう前に最初に入った1階の展示室はジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)とオノレ・ドーミエ(Honoré Daumier)でした。こちらの部屋はMilletの作品の部屋です。教科書で見たことのある作品が沢山展示されていました。
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ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)の作品を3枚紹介します。
 作家 ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)
    1814年~1875年(60歳)
 作品 Des glaneuses 落穂拾い
 制作 1857年
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 作家 ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)
 作品 La Fileuse 糸紡ぎの女 (オーヴェルニュの山羊飼い)
 制作 1868年~1869年
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 作家 ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)
 作品 La Printemps 春
 制作 1868年~1873年
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オノレ・ドーミエ(Honoré Daumier) の作品も紹介します。
教科書で見たことがあるような気がします。
 作家 オノレ・ドーミエ(Honoré Daumier) 1808年~1879年(70歳)
 作品 Crispin et Scapin クリスパンとスカパン
 制作 1864年
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紹介した絵画以外にも下記の作者の絵画の写真を撮りましたが、最上階に上がることを優先したので、後でゆっくりと鑑賞いたしました。左側がJules BretonのLe Soirで、中央がErnst HébertのLa Mal'ariaで、右側がAchille BenouvilleのLe Colisee vu du Palatinです。中央と右側の写真はクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大クリックすると拡大 Jules Breton
 Ernst Hébert
 Achille Benouville
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最上階に上がって撮った写真です。
正面の時計のあるところから入ってきてここまで上ってきました。この高さのところに、今回紹介する展示室があります。この高さに展示されている作品だと想像しながら見てほしいです。
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我々が最初に目的をもって訪れた展示室です。
展示室の名前は印象派展示室(Galerie des Impressionnistes)で、主な作家として5人の巨匠、ルノアール(Renoir)、モネ(Monet)、マネ( Manet)、セザンヌ(Cézanne)、ドカ(Degas)が書かれていました。最初にここに来たかった理由が分かってもらえると思います。時計塔の展示室パヴィヨン・アモン(Pavillon amont)もこの5フロアーにあります。2009年より2年をかけて改装工事が行われて2011年10月末にリニューアルオープンした中でも最大の目玉が今回の展示室だそうです。


もちろん作品は5人だけではなく沢山の印象派の作品が集められた空間でした。
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チケットの当日買の人たちの中で一番で入館できた上に、最上階にすぐに上がったおかげで、人の少ない空間で絵を楽しむことが出来ました。
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最上階の印象派展示室は濃いグレーの壁で統一されていました。
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ロダンの作品も展示されていました。
 作家 オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin) 1840年~1917年(77歳)
 作品 L'Homme qui marche 歩く男
 制作 1907年~1910年
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先ずはマネの絵を2枚紹介したいと思います。
どこかで見た絵でした。
 作家 エドゥアール・マネ(Édouard Manet) 1832年~1883年(53歳)
 作品 Le Déjeuner sur l'herbe 草上の昼食
 制作 1863年
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こちらも見覚えがあります。
 作家 エドゥアール・マネ(Édouard Manet)
 作品 La Dame aux éventails 扇を持つ女性 
    Nina de Callias     ニーナ・ド・カリアスの肖像
 制作 1873年
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クリックすると拡大前記事のバラの花の名前となっているエドガー・ドガの作品を紹介したいと思います。
 作家 エドガー・ドガ(Edgar Degas)
    1834年~1917年(83歳)
 作品 La Classe de danse ダンス教室
 制作 1873年~1876年 (1874年頃)
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 作家 エドガー・ドガ(Edgar Degas)
 作品 Danseuses montant 階段を上がる踊り子
 制作 1886年~1890年
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この絵を描いていた1893年頃のドガは、ほとんど目が見えず、親指で絵の具を塗っていたそうです。それだけに印象的な色彩の絵になって、人気があるようです。
 作家 エドガー・ドガ(Edgar Degas)
 作品 Danseuses bleues 青い踊り子
 制作 1893年
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当然と言えば当然なのですが、踊り子以外のドガの絵も沢山ありました。
 作家 エドガー・ドガ(Edgar Degas)
 作品 Le Champ de courses
 制作 1876年~1887年
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ドガはこのような彫像も作っていました。これは話題のものです。ドガの生前に唯一発表された彫刻作品です。発表時はロウで作られていて死後に、ブロンズ像が鋳造されたそうです。ドガは、この彫像以外にも沢山の彫像を制作しましたが、すべて亡くなってから発表されたそうです。
 作家 エドガー・ドガ(Edgar Degas)
 作品 Petite Danseuse de Quatorze Ans 14歳の小さな踊り子
 制作 1881年
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こちらのブロンズ像の説明板は単独で撮っていないけれども作品と一緒に写ってい説明版の文字の雰囲気はEdgar Degasのようです。上の作品の近くに置かれていたことと、バレリーナのブロンズ像であることからエドガー・ドガと思われます。調べた結果、フランス語名は分かりませんでしたが英名は下記のとおりです。さらに後ろに並んでいるブロンズ像もドガの作品であることが分かりました。
 作家 エドガー・ドガ(Edgar Degas) 
 作品 Dressed Dancer at Rest(英名) 予想仏語名:Danseuse de Reste
 制作 1895年頃
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アルフレッド・シスレーの作品も沢山ありました。その中から3枚を紹介します。
 作家 アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley) 1839年~1899年(59歳)
 作品 La Neige à Marly-le Roi 
 制作 1875年
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 作家 アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley)  
 作品 Le Repos au bord du ruisseau 
 制作 1878年
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 作家 アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley)  
 作品 Canal du Loirg
 制作 1884年
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クロード・モネの作品を6枚紹介します。
 作家 クロード・モネ(Claude Monet)
 作品 Em norvégienne
 制作 1887年
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 作家 クロード・モネ(Claude Monet)
 作品 La Seine à Vétheuil
 制作 1879年
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こちらは2枚が並べて展示されていました。人物を風景画とした描いた「戸外の人物習作」で、この絵を描いた後は人物画を描かなくなったそうです。
1875年に描かれた有名な「日傘をさす女」と構図は似ていますが、11年後に描かれたこの2枚の作品は描き方は全く違うのです。クロード・モネによる最後の実験的人物画作品のひとつ「戸外の人物習作(Essai de figure en plein-air)」です。本作は画家の友人であり、印象派の有力な庇護者でもあったオシュデ夫妻の三女で、当時18歳であったシュザンヌ・オシュデをモデルにジヴェルニー近郊のオルティエ島の土手に立つ人物を描いた習作的な作品でした。
クリックすると拡大 作家 クロード・モネ(Claude Monet)
 作品 Essai de figure en plein-air
    戸外の人物習作(左向きの日傘の女) と
    戸外の人物習作(右向きの日傘の女
 制作 1886年
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2017年7月1日にテレビ東京の番組「美の巨人たち」で今日の一枚として「日傘をさす女」がテーマーになっていました。11年後に描かれた今回の2枚との関係を詳しく説明されていました。


2枚の「戸外の人物習作」が描かれた7年前の1879年に32歳の妻を病気で亡くしたことが新しい作風への変化になったようです。妻を戻るにして描いた左の絵に比べて、右の2枚の顔がはっきりしていないのは妻の面影ともいわれています。その後、完全な風景画と変わっていったようです。
 1875年 日傘をさす女       1886年 戸外の人物習作(2枚)


 作家 クロード・モネ(Claude Monet)
 作品 Meules
 制作 1890年
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 作家 クロード・モネ(Claude Monet)
 作品 Vétheuil
 制作 1900年
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ポール・セザンヌの絵を3枚紹介します。
 作家 ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)
 作品 Paysan assis 坐る農夫
 制作 1900年~1904年
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 作家 ポール・セザンヌ (Paul Cézanne)
 作品 Pont de Maincy
 制作 1879年
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 作家 ポール・セザンヌ (Paul Cézanne)
 作品 Montagne Sainte-Victoire
 制作 1890年
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ベルト・モリゾ(Berthe Morisot) の作品で、見た記憶があったので写真を撮りました。
 作家 ベルト・モリゾ(Berthe Morisot) 1841年~1895年(54歳)
 作品 Chasse aux papillons 
 制作 1874年
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1人の作家でも沢山の絵が所蔵されているようでした。娘が写真を撮っている壁面はカミーユ・ピサロ(Camille Pissarro) の作品で、奥の壁面には後で紹介するアルマン・ギヨマン(Armand Guillaumin) の作品(イブリーの落陽)などが飾られていました。
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こちらがカミーユ・ピサロの作品です。
 作家 カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro) 1830年~1903年(73歳) 
 作品 Gelée blanche
 制作 1889年
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アルマン・ギヨマン(Armand Guillaumin)の作品を2枚紹介します。
 作家 アルマン・ギヨマン(Armand Guillaumin) 1841年~1927年(86歳)
 作品 Soleil couchant à lvry イブリーの落陽
 制作 1873年
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 作家 アルマン・ギヨマン(Armand Guillaumin)
 作品 Femme nue couchée
 制作 1877年
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こちらはギュスターヴ・クールベの作品です。
 作家 ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)
    1819年~1877年(58歳) 
 作品 La Mer orageuse 
 制作 1870年
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こちらは若くして亡くなった画家の作品です。モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、ドガ、セザンヌらの作品を買うなどして、画家たちを経済的に助けていたそうです。印象派美術展開催の費用も提供し、自らも画家として作品を出展したそうです。
 作家 ギュスターヴ・カイユボット(Gustave Caillebotte)
    1848年~1894年(45歳)
 作品 Raboteurs de parquet 
 制作 1875年
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本記事で紹介した作品の作家は、ミレー、オノレ・ドーミエ、Jules Breton、Ernst Hébert、Achille Benouville、ロダン、マネ、エドガー・ドガ、アルフレッド・シスレー、モネ、セザンヌ、ベルト・モリゾ、ピサロ、アルマン・ギヨマン、ギュスターヴ・カイユボットでした。
周辺の航空写真を紹介します。航空写真内のマイナスのアイコン( マイナス)を2回クリックするとポンピドゥー・センター( )と、泊まったホテル( )の位置のアイコンが表示されます。
 オルセー美術館 (Musée d'Orsay)
 ルーヴル美術館 (ルーブル美術館 / Musée du Louvre)

オルセー美術館 建物編 [オルセー美術館]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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パリからの帰国は21時55分発の夜行便なので、フランス旅行の最終日(7日目)は盛りだくさんとなりました。最終日で最初に訪れたのが上の写真のオルセー美術館(Musée d'Orsay)でした。前を流れている川はセーヌ川です。
 1日目 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり 
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル セーヌ川クルーズ 他 帰国

オルセー美術館の後も、いろんな場所に行きたかったことから開館と同時に入りたくて早く来てみたところ、本当に1番になりました。ホテルをチェックアウトして荷物を預けて8時10分に出発して美術館に着いたのは8時50分でした。開館時間の9時30分には長い行列が出来ましたが、9時を過ぎだ時点でも、まだ人は少なかったです。入口は下記の3種類ありましたが、我々はチケットを当日買うのでAの入口に並びました。フランス語と英語とスペイン語の説明が書かれていました。
クリックすると拡大右の写真は後ろに並んでいた日本人の方が9時4分に撮ってくれました。列は10名
 A   当日チケット購入
 C-1 車椅子利用者などの優待者
 C-2 チケット事前購入済み
  B   グループ専用入場(要予約)
  D   学校団体専用入場(要予約)
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オルセー美術館もパリの他の美術館と同様に絵画の写真撮影は自由なので、沢山の作品の写真を撮りました。それらの作品の写真の紹介は次回(作品編)に紹介するとして、本記事では建物を紹介したいと思います。
オルセー美術館の建物は1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅でした。この角度から見てもとても駅とは思えない立派な建物でした。見えている橋はロワイヤル橋です。写真を撮っている場所はレオポール・セダール・サンゴール橋(ソルフェリーノ橋)でコンコルド橋とロワイヤル橋の間にあります。
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レオポール・セダール・サンゴール橋(ソルフェリーノ橋)をセーヌ川の対岸まで渡って撮った写真です。1900年に出来たオルセー駅はパリからオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルで、かまぼこ状の大屋根(トレイン・シェッド)の下の地下に10線以上のホームを備えていたそうです。1939年に近距離列車専用駅となり、近代化に伴い駅としては狭いことから、一時は取り壊される可能性もありましたが、1970年代からフランス政府によって保存活用策が検討されはじめ、イタリアの女性建築家ガエ・アウレンティの改修により19世紀美術を展示する美術館として生まれ変わり1986年にオルセー美術館として開館したそうです。
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冒頭の写真とおなじですが、セーヌ川の対岸から見たオルセー美術館です。駅舎だった時の特徴を外観で最もよく残しているのが2つの大きな時計です。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するので是非とも2つの時計を拡大して見てもらえればうれしいです。
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写真を撮っている時にセーヌ川のクルーズ船が通りました。オルセー美術館では、2月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品を展示することになっており、それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターという役割分担がなされているそうです。所蔵作品は約2万点で常設だけで約4000点が展示されているそうです。1848年~1914年は我々にとってなじみ深い作者や魅力的な作品が多いことから、年間344万人(2015年)の来館者がある人気の19世紀専門美術館です。
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建物の特徴である時計の部分を拡大いたしました。
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文字盤の部分を拡大いたしました。
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駅舎だったことを示しているのが「PARIS - ORLEANS」です。これも是非ともクリックしてもらいたい写真です。
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外から時計を見ていると、中からも見たくなります。こちらが中からの写真です。文字盤は透明ガラスでできていたのです。こちらの時計は2つの時計の東側の時計です。東側はセーヌ川の上流側になります。
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時計の文字盤を通してモンマルトルの丘が正面に見えました。
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さらに拡大いたします。クリックするとさらに拡大いたします。この時計が117年前の1900年に作られたとはすばらしいと思います。
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もう1つの西側の時計の内側は素敵なレストラン(カフェ)になっていました。名前はCafé Campanaでした。人が写っているので文字盤時計の大きさが分かってもらえると思います。人の身長の4~5倍の大きさがありそうです。上の時計とは大きさが同じですが、床の高さが違いました。
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最初に紹介した東側の時計の内側からの写真を露出調整しました。最初の時計の部屋は展示室で、ヒトデのような芸術的なソファーが置かれていました。
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大時計の機械部分を上の写真から切り取り拡大いたしました。時計が大きいので機械部分が小さく見えますが、全体の大きさと比較すると結構大きいのだと思います。
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大時計のある展示室に置かれていたヒトデのソファーです。右のドアから外に出ることが出来ました。
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そのヒトデのソファーが置かれていた展示室の横のドアから屋外に出て、もう一方(西側)の時計の方向を撮った写真です。
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駅舎だった雰囲気を残している室内の写真を紹介します。ここに線路が並んでいた沢山の列車が泊まっている光景を目に浮かびます。ホームは高さ32m、幅40mのドーム状の屋根(トレイン・シェッド)で覆われていました。蒸気機関車の使用する駅では切符売り場や待合室などはホームとは独立した駅舎に設けられるのが普通でしたが、オルセー駅では大きなドームによって一つの屋根の下に初めて納められたそうです。ドーム内部の壁画や装飾も以前の駅には見られなかったそうです。ドームの西端には大時計が掲げられています。
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その大時計です。直径は6mだそうです。
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地上からの景色です。
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地上からだと広さが実感できました。
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建物は、壁の装飾と鉄骨とガラスの芸術と言えると思います。
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エッフェル塔が作られた時代の最新の技術で作られた建物であることが感じられました。オルセー駅に使われた鉄骨の総量は12000トンにのぼり、エッフェル塔の7500トンを上回っています。ただし、鉄骨構造でありながら、オルセー駅はルーブル美術館やチュイルリー庭園の対岸に位置するため、鉄骨やガラスの目立つデザインは受け入れられず、セーヌ川に面した正面は化粧石で覆われて、今の景観になったそうです。
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絵画の紹介は次回の絵画編で行いたいと思いますが、今回は1枚だけ紹介したいと思います。2016年9月22日に神戸市立博物館で行われていた松方コレクション展で見た絵があったからです。フランスから返還されなかった18 or 19作品の内、オルセー美術館には11作品の松方コレクションが所蔵されています。その11作品の中の1枚です。もちろん日本では写真撮影は禁止されていましたので写真が撮れたのは貴重でした。
 松方コレクション
  洋画など    約2650点
   日本持ち込み 約1300点 世界恐慌により散逸(さんいつ)
   フランス保管 約 400点 19点を除き370点が日本に返還される
   イギリス保管 約 953点 1939年にロンドンでの火災で焼失
  日本の浮世絵  約8200点 現在は国立西洋美術館に保管
 オルセー美術館所蔵の松方コレクション → 記事
  ボンヴァン  チーズのある静物
  ボンヴァン  鴨のある静物
  ボンヴァン  野兎のある静物
  クールベ   フラジェの農夫たち
  マネ     ビール・ジョッキを持つ女
  ゴーギャン  シュフネッケルの家族
  ゴーギャン  扇のある静物
  ゴーギャン  ブルターニュの風景
  ゴーギャン  ヴァイルマティ
  ゴッホ    アルルの寝室
  ロートレック 庭に座る女 ジュスティーヌ・デュールの肖像 
 写真の作品
  題名 庭に座る女 ジュスティーヌ・デュールの肖像
  製作 1891年
  作家 トゥールーズ ロートレック
  分類 松方コレクション
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パリの三大美術館の場所を紹介します。
 オルセー美術館 (Musée d'Orsay)
 ルーヴル美術館 (ルーブル美術館 / Musée du Louvre) → 記事
 ポンピドゥー・センター (Pompidou Centre )の中の国立近代美術館
 泊まったホテル


航空写真に切り替えてオルセー美術館辺りを拡大してみました。


こちらは1920年のオルセー駅の絵ハガキです。Wikipediaから転用させていただきました。
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当時の内部の写真です。こちらはWikipediaからリンクされたサイトから転用させていただきました。
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