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キエフのマクドナルド [キエフ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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これがウクライナの首都キエフのマクドナルドです。建物を大切にする国なのでね、おそらく建物は100年以上前のものだと思います。こちらの車道も石畳でした。

少し拡大するとマクドナルドの雰囲気が伝わってきました。
早朝の散歩の時に見つけました。


マクドナルドはアメリカ・カリフォルニア州サンバーナーディノでマクドナルド兄弟が1940年に始めて、今や世界各国に32,737店(2010年集計)を展開し、店舗数において、最近まで世界1位で、現在は世界2位のファーストフードチェーン(飲食店チェーン)です。ちなみに1位は38374店(2013年1月)のサンドイッチのチェーン店であるサブウェイ(SUBWAY)です。サブウェイに1位を奪われたのは健康的なイメージのサンドイッチにあるそうです。
下の地図の中の赤い色がマクドナルドが進店している国だそうです。進店している国数は正確な数値は判りませんが検索では118ケ国とか120ヶ国とか121ヶ国とか191ヶ国いう数字が出てきます。少し古い地図なので青色でも、ベトナムのように最近、マクドナルドが出来た国があります。マクドナルドがない国はアフリカ諸国、ネパール、ブータン、モンゴル、北朝鮮、カンボジア、ラオス、アルバニア、アルメニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アイスランドなどです。
マクドナルドはコンビニも含めたチェーンストアでは世界3位となります。1位はセブン・イレブンの52811店舗です。セブン・イレブンはアメリカ合衆国発祥(1946年)のコンビニですが1991年トーヨーカ堂(セブン・イレブン・ジャパン)が米国サウスランド社の株式を取得し米国セブン・イレブンを子会社化して日本流管理システムで経営を立て直したことや日本の店舗数が14,562店であることからも、セブン・イレブンは日本のチェーンストアと言えるのかもしれません。
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この表は2010年の世界のマクドナルドの国別店舗数です。アメリカが1位(13381店)なのは当然でしょうが、日本の店舗数が2位(3686店)なのにも驚かされました。10万人当たりの店舗数が少ない国は、今後店舗数が延びる可能性を秘めていますが、成熟した国でも店舗数が少ないように食文化は単純ではないようです。
一部の国では2003年~2009年のデーターも使われています。
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こちらケンタッキーフライドチキン(KFC)店舗(約17000店)の世界分布地図です。
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こちらがサンドイッチ類を扱うサブウェイ店舗の世界分布地図です。ファーストフードチェーン店で世界一の店舗数(38374店)です。日本国内では424店舗があります。
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クリックするとオリジナル地図を表示こちらがセブン・イレブン店舗の世界分布地図です。2014年3月時点で16ケ国に52811店があります。
国内は16375店舗とかかれていますが、2014年7月には16764店舗になっていました。まだまだ拡大中のようです。日本が中心の世界地図というのはいいですね。
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キエフのオペラ座 [キエフ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大夜のキエフをキエフの住んでいる人に案内してもらった時に、「ここが有名なオペラ座です。」と説明されました。右の写真はその時に正面の左後ろ側から撮ったものです。暗くなっていたので鮮明な写真でなかったことから、散策の時に正面から写真を撮りました。それが上の写真です。ここはオペラ座、つまりウクライナ国立歌劇場(キエフ国立歌劇場)です。通称、キエフ・オペラです。
ネットで検索するとキエフのオペラは有名なようでオペラ公演のことは沢山出てきますが、意外と、この建物は出てこないので建物を紹介させていただきます。
上の写真は是非ともクリックしてもらいたいです。

クリックすると拡大キエフ国立歌劇場は旧ソ連時代にボリショイ歌劇場、キーロフ歌劇場(現マリインスキー歌劇場)と並ぶ三大オペラ・ハウスと称されました。ネットでの検索件数では日本での公園は三大歌劇の中で一番多かったのがキエフ・オペラでした。おなじみの方もおられるかもしれません。右のオペラ座の内部の写真はネッから拝借させていただきました。
下の写真は正面の左斜めから撮ったものです。
あーちゃさんのオペラ座の記事はこちらです。→ キエフ S.V.   リヴィウ
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こちらは正面の右斜めから撮ったものです。建物の右側は大きな広場になっていました。1867年にFerdinand Bergerが歌劇場を設立し、当初は1856年建設の建物を用いていたそうです。1896年に火災により焼失したため、1901年にヴィクトル・シュレーターの設計によりネオルネサンス様式の現在の歌劇場が建設されたそうです。113年前の建物で147年の歴史のある歌劇が行われているのです。
日本でも2014年12月5日(金)~2014年12月18日(木) に公演が行われます。場所は東京、松本、いわき、名古屋、神戸、佐賀、鹿児島、熊本で、東京のみ3ケ所5日間で他は1日です。ちなみに日本公演(3時間)のチケットの価格は公演場所によって少し違いますが、概ねS席/18,000円、A席/15,000円、B席/12,000円、C席/9,000円、D席/7,000円です。
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その大きな広場の真中に立っていた銅像です。オペラ座と銅像の位置関係は上の写真でわかると思います。銅像の台座に1842-1912の数字が読み取れたので検索するとニコライ・ルイセンコ(ミコラ・リセンコ)の名前が浮かび上がってきました。ニコライ・ルイセンコはウクライナのナショナル・コンポーザー・ スクールの創設者だそうです。
ニコライ・ルイセンコは歌劇も沢山作っているようです。
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航空写真でもキエフ・オペラ(ウクライナ国立歌劇場)を紹介いたします。
青色ラインは散策で歩いた道です。

より大きな地図で キエフ・オペラ座 を表示

キエフの朝の景色 [キエフ]



この日は昼の便でヘルシンキ経由で日本に帰る日でした。前日は夜遅くまでキエフの町の中を散策しましたが、キエフをさらに見るチャンスは朝の散歩のため朝早く起きて街に出てみました。ホテルを出たのは4時55分でした。上の写真はホテル前の道ですがさすがに車は通っていませんでした。ホテルは急な坂道の途中にあり、この坂道を登っていきました。

朝早いと車が通っていないので道の真中からの写真が撮れるメリットがあることがわかりました。急な坂道を登りつめてホテルの方向を見下ろしているところです。


坂道を登りつめると、そこから先は全て石畳でした。ホテルの前の急な坂道は、まさにキエフの世界に入っていく入口だったのです。ここからさらに石畳の緩い坂道が続いていました。
 同じ場所のGoogleのストリートビュー→ポチッ


そこからさらに石畳を登っていくと世界遺産がある町並みが待っています。その場所は高級オフィス街でも有り、この道を歩いて通勤する人も沢山いるとのことでした。


石畳がどこまでも続きます。石畳の場合は道路の真中で写真を撮っていても安心感あります。実は車が近づいてくると大きなタイヤの音がするので車の位置が見ていなくても把握できるのです。


石畳の上り坂はまだまだ続きました。


さらに登りが続いていましたが、ほぼ丘の上に到達いたしました。
 同じ場所のGoogleのストリートビュー→ ポチッ


登りつめたところで左に曲がりました。さらに石畳が続いていました。朝だから、全て道の真中から写真を撮ることが出来ました。帰る時間帯は車が増えてきて、さすがに車道に出ることは出来ませんでした。


石畳の最後の目的地は前日の夜景で紹介した世界遺産の聖ソフィア大聖堂でした。ここでも車道の真中から写真を撮ることが出来ました。でも車が少しづつ増えて来たので、この日、車道の真中から撮った最後の写真となりました。時間は5時42分でした。キエフの朝の景色は石畳でした。

これはなに? コアラ? [キエフ]


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クリックすると拡大帰国の日の早朝にウクライナの首都キエフの町を散歩しているときに教会と思われたGolden Gate(Золоті ворота / 黄金の門)の敷地内の木に、変わったものが取り付けてありました。コアラのような生き物のお人形ですが独特の風合いがありました。
伝統的なものなのか現代アートなのか単なる飾りなのかはわかりませんが楽しい雰囲気がありました。

鳩たちを撮った写真にも不思議な人形が写っていました。階段の奥に教会があります。これが古代キエフ帝国のGolden Gateだったのです。


不思議な人形があった場所の航空写真です。
右側の が不思議な人形の場所で左側の がGolden Gateです。写真内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。アイコン「地図」をクリックすると航空写真から地図に切り替わります。

より大きな地図で 不思議な人形 表示
Googleのストリートビュー(S.V.)でも不思議な人形を確認することができました。黄色の丸印が不思議な人形です。この画像はストリートビューのハードコピーです。


写真を拡大してみるとプラスチックのフォークで作られた人形であることがわかりました。少なくとも伝統的なものではなさそうです。
しいて言えばプラスチック・フォーク・アートかな?
洒落心のある神父さんの、しわざかもしれません。

ログハウスな教会 と思ったら [キエフ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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早朝にキエフの街の裏通りを散策中に不思議な教会を見つけました。
あの不思議なフォークのコアラ(?)があった場所です。なにが不思議かと言うと真中は石造りですが左右は木で出来ていることでした。それもログハウスのようなつくりでした。

ログハウスの雰囲気を判ってもらうために正面からの写真も追加掲載いたしました。
十字架が屋根の上に建てられており左右対称なところが教会らしい感じです。
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真横から撮ると完璧にログハウスでした。子供が喜びそう(?)
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教会の敷地の真中に、今回の不思議な教会がありました。右側の青いマークの場所に不思議な人形(コアラ?)があったところです。赤のラインは裏通りを散策したコースです。ストリートビュー(S.V.)でも確認できました。
地図の中ではЗолоті ворота(Golden Gate)と名付けられていました。日本語訳を読んでみるとどうやら中世の城壁の門だったようです。
  S.V. http://goo.gl/maps/Y17dy

より大きな地図で キエフの町を散策 を表示
地図の中の呼び名Золоті воротаからネットで調べた結果、下記の町を守る城壁の中央の城門の部分であることが判りました。歴史的建造物を復元していたのです。
Золоті ворота(黄金の門)はウクライナの首都キエフの歴史的地区にある史跡で、キエフ大公国時代のキエフの中央門だそうです。
文献「原初年代記」によれば、1037年にヤロスラウ賢公がキエフを開発し、町の境界線に土塁を盛り、その上に城壁を作らせ、西へ向かう入り口に大門を構築したそうです。この門の名称は、当時の欧州にとって文化の源であったビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスの門にちなんで、「黄金の門」と呼ばれたそうです。キエフの黄金の門は土塁の間に大きな赤色の煉瓦と石で造られ、塔のように聳え立っていました。
キエフはキリスト教の町であることを見せるために、門上に受胎告知教会が造られました。それで屋根の上に十字架が立てられていたようです。1240年に黄金の門は、モンゴル帝国の軍勢によって破壊され、それ以後再建されることがなかったそうです。門の跡は完全に土に埋まっていましたが1832年のK・ロフヴィーツィクィイは発掘調査を行い史跡として保存したそうです。
現在の黄金の門は1982年に復元されたものださうです。
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クリックすると拡大建物の内部の写真があったので転用して紹介させていただきます。クリックすると拡大するように設定させていただきました。
門の入口の広さは約7.5mで、門内はモザイクと壁画によって装飾されており、壁の高さは9.5m以上であったそうです。形式は東ヨーロッパの古代建築様式だそうです。
 住所 40-a Volodymyrska str. Kyiv
 電話 044-278-6919
 開館 火曜~日曜
 時間 0:00~17:00
 HP  http://goldengate.sophiakievska.org/uk/

ここにも銅像が飾られていました。よく見ると銅像の人が持っているのは、この建物のようです。キエフは本当に銅像が多い街でした。

裏通りの銅像 [キエフ]



ウクライナの首都キエフの街の中には沢山の銅像がありました。裏通りを歩いていて見つけたのが上の銅像です。ちょっと不思議な雰囲気の銅像なので近づいて見ました。

馬に乗り手には剣を持っていますが服装が変わっています。なんとなくアジアの雰囲気があります。


クリックすると台座の文字頭も変わっています。頭髪を一部を残して剃りあげ、残りの毛髪をチョンマゲのようにしています。丁髷(ちょんまげ)と違うのはまっすぐなところです。その髪の毛を三編にすると北東アジア民族の辮髪(べんぱつ、弁髪)ですが、三編ではないようです。この人物が何者なのか知りたいところですが、台に書いてあるウクライナ語はわかりませんでした。いつの日が教えてくれる人が出てくることを願って掲載いたしました。
剣が日本刀のよう反りがあるのも特徴的でした。


ウクライナ語を読んでくれる人が出てくることを願って台座の文字も掲載いたします。


銅像が立っていた場所は青いマークのところですが、マイナスのアイコンを何度かクリックすると町の中の位置がわかってくると思います。ストリートビューでも確認できました。銅像でも自動的に顔に「ぼかし」が入っていました。→全体 顔拡大

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追伸
クリックすると拡大ネットで調べていて右の写真を見つけました。このスヴャトスラフ1世の銅像に似ていることから、上の銅像はスヴャトスラフ1世に間違いないと思います。そして、その髪型の名前もオセレーデツィの可能性が高いこともわかりました。右の写真はネットで見つけたスヴャトスラフ1世の銅像でクリックして拡大するとわかりますが雰囲気が似ています。スヴャトスラフ1世(Святослав Ігорович 942年頃~972年)はキエフ大公国の大公(在位945年~972年)でした。945年に父イーゴリ大公は冬の巡回徴税の最中にドレヴリャネ族よって殺害されて、スヴャトスラフ1世は幼くして大公となりました。964年に成年に達しからは積極的な拡大政策を展開しはじめて多くの戦争において常に戦陣に立って戦うことを好む君主であったそうです。
チョンマゲのような髪型はオセレーデツィ(Оселедець)と呼ばれてウクライナ・コサックの伝統的な髪型だそうです。近世にはチューブあるいはチュプルィーナと呼ばれたそうです。オセレーデツィの由来について二つの仮説が存在するそうです。一つが欧亜の遊牧民の辮髪に類似することからアジアに起源を持つ説です。もう一つが北欧のルーシ族の髪型の一種でヨーロッパに起源を持つ髪型である説です。この2つではアジア起源説が有力とされています。

キエフ大公国は9世紀後半から1240年にかけてキエフを首都とした東欧の国家でした。下記の地図の赤い部分がキエフ大公国の勢力範囲を示しています。正式な国号はルーシ(Рѹсь)で、日本語名キエフ大公国はその大公座の置かれたキエフに由来するそうです。ルーシ族と呼ばれる北欧系のヴァイキングによって建国され、リューリク朝によって統治されたそうです。10世紀までに同地の東スラヴ人との混血によってスラヴ化し、キリスト教の受容によってキリスト教文化圏の一国となったそうです。11世紀には中世ヨーロッパの最も発展した国の一つでしたが12世紀以降は大公朝の内訌と隣国の圧迫によって衰退していきました。1240年、モンゴル来襲によってキエフは落城し、事実上崩壊したそうです。国民国家史観を中心とした研究史においては、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの三国の共通の祖国とされています。
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この地域の国の歴史です。
 7c–13c   ヴォルガ・ブルガール
 7c–10c   ハザール
 9c–12c   キエフ大公国
12c–14c   ウラジーミル・スーズダリ大公国
12c–15c   ノヴゴロド公国
13c–15c   タタールの軛
1340–1547 モスクワ大公国
1547–1721 ロシア・ツァーリ国
1721–1917 ロシア帝国
1917      ロシア臨時政府 / ロシア共和国
1917–1991 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国/ソビエト社会主義共和国連邦
1992–現在  ロシア連邦 + ウクライナの一部
Sviatoslav_oseledec(Sviatoslav I)で検索して出てきた銅像です。
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キエフの裏通りの朝の風景 [キエフ]

の写真をクリックするとGoogleストリートビューを表示します。 
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日本への帰国の日にウクライナの首都キエフの町を朝早く散策したことはすでに紹介いたしましたが、目的の場所であった聖ソフィア大聖堂とムィハイリフシキィ寺院に行った後の帰りは裏通りを歩いてホテルまで帰りました。その時の裏通りの風景を紹介いたします。それぞれの場所の名前は判りませんので解説は出来ません。
でも上の写真のような素敵な景色に出会えました。

赤色ラインがホテルの帰りに通った裏通りです。緑色マークの位置が泊まったホテルの場所です。青色ラインは前日の夜に歩いた道です。空色マークは今回紹介の写真の撮影場所です。
青色マークは気になった場所で、これから記載予定です。

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静かな朝の風景です。時間はちょうど6時でした。写真をクリックするとGoogleストリートビューを表示します。
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上の写真の道をまっすぐに進んだ場所です。教会らしき建物が見えます。ウクライナは朝に掃除をしている人が多いのにも驚かされました。みなさん、家の前の道は毎朝、掃除されているように感じられました。
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スカイブルーのきれいな建物もありました。
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急にな下り坂がありました。その下り坂を降りてみました。写真をクリックするとGoogleストリートビューを表示します。
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下り坂を降りきったところから降りてきた道を撮りました。写真をクリックするとGoogleストリートビューを表示します。
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そのあとの風景はこんな感じでした。
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朝、早くから沢山の人が並ぶ場所がホテルの近くにあると聞きました。おそらくこの場所だと思います。この時の時間は6時25分でした。この時間はキエフの町はどこも静かでしたが、ここだけに沢山の人が集まっていました。人が集まる場所は、ある国の大使館かビザ関係の事務所だと聞きました。でも調べてみると、ここではなかったようです。この写真はクリックすると拡大します。
地図にはИНСТИТУТ ИНФОРМАТИКИ ПРИ НПУ ИМ.М.П.ДРАГОМАНОВАと書かれていました。建物の中にはНАЦИОНАЛЬНЫЙ ПЕДАГОГИЧЕСКИЙ УНИВЕРСИТЕТ (НПУ) ИМ.М.П.ДРАГОМАНОВАもありました。検索したサイトを日本語に翻訳してみると国立教育大学ドラゴマーノフ であることが判りました。1834年に設立されたようです。
ホームページ→原文 英語 日本語翻訳
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ホテルの近くの裏通りには下のようなモニュメントというか銅像がありました。この町は、いたるところに銅像クリックすると文字を表示が立てられている街でした。この人は詩人なのか作家なのかはわかりませんが、本らしいものがバックに立てられており、それには文字が書かれていました。その一番下にサインらしいものがあったので右に掲載いたしました。この時が6時30分でした。写真をクリックするとGoogleストリートビューを表示します。
クリックするとGoogleストリートビューを表示

キエフの夜景 [キエフ]



この日(7月12日)はドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)からウクライナの国内線で20時にキエフの空港に着きました。ウクライナの首都であるキエフはきれいな町と聞いていたので是非とも見たいと思っていました。
しかし翌日の昼にはフィンランドのヘルシンキ経由で日本に帰ることから、キエフの町の散策は、この日の夜か翌朝しかないので、先ずは下見を兼ねて夜のキエフの町に出てみました。上の写真はソフィイシカ広場からムィハイリフシキィ寺院方面を撮ったものです。この時の時間が20時51分でした。

上の写真からムィハイリフシキィ寺院を拡大してみました。


ムィハイリフシキィ寺院と双子の教会と言われているキエフ最古の教会である聖ソフィア大聖堂です。すでに記事で紹介した通り、翌朝の散歩でも、こちらの教会を訪れました。つまり念願のキエフの世界遺産を見ることが出来たわけです。


聖ソフィア大聖堂前のソフィア広場です。


聖ソフィア大聖堂の近くの立派な建物です。名前はわかりませんがきれいにライテングされていました。


聖ソフィア大聖堂は小高い丘の上にありますが、そこから町の中に下りてきました。町の中にも広場がありました。青色のラインがホテルから夜景を楽しむために歩いた道です。航空写真上のアイコンマイナスを数回クリックすると散策の道をすべて表示します。

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その広場では沢山の人が歩いていたりデートをしている人を沢山見かけました。


キエフは古い建物が沢山あり、フランスのパリのような雰囲気でした。建物の感じはパリとは少し違っていました。


車が沢山通っている大通りです。


大通りの夜景をもう一枚掲載いたします。


なにかの官庁と思われる建物の前にカウントダウン・ボードがありました。
あと331日と20時間54分41秒でなにかが始まるようです。
ネットで検索してみるとサッカーの2012年欧州選手権ポーランド・ウクライナ大会であることがわかりました。
2012年欧州選手権はポーランドの首都ワルシャワで開幕しウクライナの首都キエフで閉幕するそうです。欧州選手権は4年に1度、ワールドカップの中間年(夏季五輪と同年)に開催されます。第1回大会は1960年にフランスで開催されました。開催日の2012年6月8日が、この時の日時(2011年7月12日21時12分)にカウカトダウンを加えて逆算した2012年6月8日18時と一致しました。

あーちゃさんのキエフ市内観光と地下鉄にトラックバックしています。


キエフの素敵なホテル [キエフ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大ウクライナの首都キエフで泊まったホテルを紹介いたします。
ウクライナの地方都市ドニプロペトロウシクからキエフに国内線で戻ってきた日に泊まったホテルで、翌日にはフィンランドのヘルシンキ経由で日本に帰国いたしました。
普通の5つ星のホテルの正面玄関には大きな車寄せがありますが、こちらのホテル(5つ星)の入口は小さいのです。それがかえって素敵な雰囲気を出していました。

キエフ(KIEV)の5星ホテルを調べると次の5のホテルが出てきました。もちろんウクライナの首都なのでもっと沢山5星のホテルはあると思いますが、紹介した世界遺産の近くが偶然に表示されたようです。その中に、キエフに住んでいる人が予約してくれた今回のホテル(Opera Hotel)が上から3つ目に入っていました。
航空写真の中のは世界遺産の聖ソフィア大聖堂で、がムィハイリフシキィ寺院です。この2つの教会は前記事で紹介した通り双子の教会と言われています。
                   聖ソフィア大聖堂       ムィハイリフシキィ寺院
クリックすると拡大クリックすると拡大 Hyatt Regency
 InterContinental
 Opera
 Premier Palace
 Radisson Blu

より大きな地図で キエフの5星ホテル を表示
クリックすると拡大ホテル入口を正面から見たところです。
階段があるため大きなスーツケースがあると不便のように感じましたが、階段が短いため気になりませんでした。
右の写真はホテルの前の道です。こちらのホテルは丘の中腹に建っていることから前の道は坂道ですが、それが趣を出していました。


入口まで進むと内部が見えてきました。


進むにしたがって内部の空間が広がってきました。


一番奥から入口の方向を見たところです。


ロビーの天井はガラス張りで空が見えました。


ロビーのくつろげる空間です。


部屋の白いベッドが印象的でした。


石鹸やシャンプーなどはイギリスのブランド品モルトンブラウン(MOLTON BROWN)で統一されていました。この石鹸はすばらしかったです。いつもは持ち帰ることはなかったのですが、こちらの石鹸などは持って帰りました。
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レストランも洒落ていました。散歩で聖ソフィア大聖堂やムィハイリフシキィ寺院を見に行った後に、さっそく朝食で訪れました。少し遅い時間だったので、人が少なくなっていて、テーブルは自由に選べたので窓側の空間側のテーブルにしました。


軽くソーセージ、玉子、ハム、チーズ、サーモンなど黒パンと紅茶をいただきました。


料理は大きなシャンデリアのある部屋全体を使って、贅沢にゆったりと並べられていました。料理の種類は多くはありませんでしたが、並べられているものの質は高かったです。


ホテルの全景です。左側の下位部分が朝食を食べたレストランになっていました。右側が冒頭で紹介したホテルの入口です。

聖ソフィア大聖堂とムィハイリフシキィ寺院 [キエフ]

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ウクライナの首都キエフにある聖ソフィア大聖堂とムィハイリフシキィ寺院(ミハイロフスキー大聖堂)は双子の教会と言われています。その双子ぷりとすばらしい建物を紹介いたします。
上の写真がキエフ最古の教会である聖ソフィア大聖堂です。聖ソフィア大聖堂(Собор святої Софії)はウクライナ最初の中央政権国家キエフ・ルーシ最大の聖堂として1037年に建立されました。現代において、11世紀から18世紀までのウクライナ建築史上最も名立たる教会であるとされ1990年に世界遺産に登録されました。

こちらがムィハイリフシキィ寺院(Mykhaylivs'ky Sobor)です。12世紀に建立され、17世紀に「ウクライナ・バロック」様式で改装。スターリン時代にいくつかのモザイク画及びフレスコ画以外はほとんど破壊され1998年に最終的に再建されたそうです。聖ソフィア大聖堂とは色合いも形がも違いますが、同じような構成になっていることがわかってもらえると思います。
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2つの教会が双子のような教会と言われているのは似ているだけではなく、その二つの教会の位置関係がもっと影響している思います。それは航空写真を見てもらうと感じてもらえると思います。この写真をクリックして出てくる拡大写真を見てもらうと、よりわかってもらえると思います。それぞれの教会から相手の教会が見渡せるような配置で作られているのです。この航空写真はGoogleマップを180度回転させたものです。
オリジナルは、こちらです。→ポチッ(クリック)
クリックすると拡大

次の2枚がそれぞれの教会の場所から相手の教会を見た景色です。こちらはムィハイリフシキー寺院の前の広場から聖ソフィア大聖堂を見た景色です。現在、聖ソフィア大聖堂は、ウクライナの複雑な宗教事情を反映して特定の教派が管理しない博物館となっており、ウクライナ正教会やウクライナ東方カトリック教会などが、日時をずらして使用する事となっているそうです。


そしてこちらが聖ソフィア大聖堂の前の広場からムィハイリフシキィ寺院を見た景色です。


双子のようだと言われるのは教会だけではありません。教会の前に大きな広場があることもそっくりなのです。こちらが聖ソフィア大聖堂の前のソフィイシカ広場です。
クリックすると拡大

そしてこちらがムィハイリフシキー寺院前のムィハイリフシカ広場です。


広場の真中に像が建てられているのも2つの教会の類似点です。
ソフィイシカ広場に建てられている像です。この像は17世紀に対ポーランド独立をかけてロシアと組んで蜂起したボグダン・フメリニツキィの像です。


こちらがムィハイリフシカ広場に建てられている像です。まだこの像の名前は調べ切れていませんが名のある像だと思います。


それぞれの教会の塔(鐘楼)の鐘を紹介いたします。こちらが聖ソフィア大聖堂の鐘です。


こちらがムィハイリフシキィ寺院の鐘です。沢山の鐘が並んでいます。
このように同じところを比較してみると面白いですね。


寺院の本体も比較してみます。こちらが聖ソフィア大聖堂です。存念ながら中には入れません。
クリックすると拡大

こちらがムィハイリフシキィ寺院です。こちらは無料で中に入れるそうですが、残念ながら早朝だったために門は開いていませんでした。上の説明でもムィハイリフシキィ寺院の日本語読みはいろいろありました。ムィハイリフシキィ寺院以外ではムィハイリフシキー寺院、ミハイロフスキー大聖堂、ミハイロフスキー寺院、ミハイロフスキィ大聖堂、ミハイロフスキィ寺院、ムィハイリフシキィ大聖堂、ムィハイリフシキー大聖堂といろんな使い方がされていました。聖ソフィア大聖堂に比べると日本人にはそれほど浸透していないのかもしれません。
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それぞれの教会を比較するのはここまです。実はムィハイリフシキィ寺院の写真を撮っている時に電池の残量が減ってきたことに気が付いて写真を撮る枚数を節約し始めました。ここから下の写真は全て聖ソフィア大聖堂の写真です。この写真は塔(鐘楼)の金色の屋根です。
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鐘楼の下にある入口です。


その鐘楼の入口の扉の表面は鉄で覆われていました。


ウクライナ語かロシア語ですが聖ソフィア大聖堂の説明だと思ったので撮っておきました。いつの日か、言葉のわかる方が読んでくれると思います。


聖ソフィア大聖堂の入口の門です。門も立派でした。
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あーちゃさんのキエフ市内観光と地下鉄にトラックバックしています。

200万アクセスに到達しました。 [キエフ]



昨日(2011年10月9日)未明にアクセス数が200万を越えました。
今日(2011年10月10日)の6時5分の時点でアクセス数が2,000,760でした。今日のこの時点までのアクセス数が512であるため、昨日の24時には2,000,248アクセスに到達したことになることから、昨日のある時間に200万アクセス目をいただいたことになります。これは皆様のおかげです。ありがとうございました。
100万アクセスに到達したのは2010年11月17日でした。100万から326日目の到達です。初めて記事を掲載した2009年5月5日からは887日目の到達となります。

タイトルキエフには沢山の教会がありました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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キエフから日本に帰国する日の早朝が唯一、明るいキエフを見ることが出来る時間帯だったので4時55分から朝の散歩を初めて世界遺産の聖ソフィア大聖堂ムィハイリフシキィ寺院を見ることが出来ました。さらに裏通りに入ってコグハウスのような不思議な教会にも出会いました。それ以外にも沢山の教会がありました。調べてみるとウクライナの宗教比率は下記の通りで、ほとんどの人がキリスト教であることから教会の多さに納得しました。今回の教会も散策したルートの中で目立つ存在でした。
   ウクライナ正教会・キエフ総主教庁    50.4%
   ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系) 26.1%
   ウクライナ東方カトリック教会        8.0%
   独立ウクライナ正教会            7.2%
   (西方典礼の)カトリック教会        2.2%
   プロテスタント                 2.2%
   ユダヤ教                    0.6%
   その他                     3.2%

こちらが教会の正面から見た姿です。きれいな教会でした。
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入口から内部を撮らせてもらいました。厳かな雰囲気が伝わってきます。


Google地図にこの教会は聖ヴォロディームィル大聖堂と書かれていました。どうやら名のある教会のようです。

より大きな地図で 聖ヴォロディームィル大聖堂 を表示

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