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お魚屋さんのお刺身 おととや [宝塚]

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実は前日の夕食も刺身だったのですが
お魚屋さんを覗いているとおいしそうなお刺身があったので、つい買ってきました。シマアジとヒラメです。お魚屋さんの名前は「おととや」です。

漬物はIKARIで買いました。
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今が旬のイカナゴの佃煮・くぎ煮も買いました。こちらはコープで買いました。つまりこの日は3ケ所で買ったわけです。
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新鮮さが判ってもらえるでしょうか。こちらがヒラメです。お店を紹介します。
 店名 おととや
 住所 兵庫県宝塚市中州1丁目1-1 アピアきた1F
 電話 0797-73-3600
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シマアジの新鮮さを伝えたくて、こちらの写真も掲載いたしました。
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鯛は前日に半分しか切らなかったので、あわせて3品です。
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イカリで買った漬物も出しました。くぎ煮も出したのですが写真を撮り忘れていました。
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こちらはカブの漬物です。
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前日の煮物に里芋も追加いたしました。
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瀬戸内海の名物、チリメンもビール肴に出しました。
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料理がそろったところでビールを開けました。
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こちらがシマアジです。
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そしてヒラメです。
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タグ:刺身

いつも通り半額狙いは成功でした。 [宝塚]

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2016年3月14日は夕方の便で関西に移動しました。宝塚の実家の最寄駅の逆瀬川駅の近くのいつものスーパーによって夕飯の刺身類をいつも通り買ってから実家に向かうのです。今までにも紹介した通り19時を過ぎると半額品が並びます。遅くなりすぎると売り切れてなくなってしまい、早すぎると半額品はないのです。つまり買える時間帯は非常に短いのです。いつものフライトだと、この絶妙な時間帯に着く確率が高いのです。この日の戦利品は上の写真です。生マグロに鯛の刺身にボテン海老に穴子の素焼きです。

実家に着くとすぐに切って盛り付けます。そのあとお風呂に入って食べました。こちらが刺身の盛り合わせです。鯛の刺身は量が多かったので半分にいたしました。お袋がほかにも料理を用意してくれていたので鯛の半分は翌日に食べることにいたしました。鮮度がいいので1日経っても関東のスーパーで買う程度の鮮度は維持しているのです。
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いつもなら穴子はオーブントースターで温めるのです。この日はそのまま切りワサビ醤油で食べることにいたしました。これが結構、いけました。この日の飛行機の中の機内誌に書かれていた食べ方でした。
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湯豆腐が用意されていました。
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湯豆腐はおろし生姜と醤油で食べましたが、これが意外とおいしかったです。いつも食べる味ボンよりよかった気がします。
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春菊のおひたしも用意してもらっていました。食べたとき癖がなかったので春菊とはわからなかったのですが、翌日に春菊と聞いて驚いたわけです。
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大根主体の煮物も用意されていました。
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ついついビール2本開けてしまいました。おふくろも少し飲みますが私がほとんどです。
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ボタン海老の頭はもちろん焼いて食べました。
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宝塚コロッケ [宝塚]

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宝塚の私の実家から千里の家内の実家に行く途中で、お土産の佃煮を買うために阪急宝塚線の清荒神駅で途中下車いたしました。佃煮のお店は以前に紹介したことのある「さん志ょうや本家」です。佃煮の記事→ポチッ
驚いたことに駅前に沢山の人が並んでいるお店がありました。
看板を見ると「宝塚コロッケ」と書かれていました。写真は駅の改札から撮りました。それほど駅に近いのです。上の写真を撮ったのが金曜日の16時55分でした。左で待っている人は宝塚コロッケ以外を注文して揚がるのを待っている人です。注文が入ってから揚げるそうです。宝塚コロッケだけは常に上げ続けて揚がるとすぐに渡しているようでした。

興味が沸いてきたので佃煮屋さんからの帰りに買って「宝塚コロッケ」をお土産に追加することにいたしました。
クリックすると拡大お店を紹介します。
 店名 北川精肉店
 住所 兵庫県宝塚市清荒神1-11-1
 電話 0797-84-3628
 営業 10:00~19:00
 販売 10:30~13:30 16:00~18:30
 定休 水曜日
 最寄 阪急宝塚線・清荒神駅 徒歩10秒
お品書き
 宝塚コロッケ    75円
 和牛メンチカツ  160円
 チキンカツ    230円
 プレミアム豚カツ 350円
 豚カツ      250円
 豚ヘレカツ    120円
 チキンフィレカツ 不明(売り切れ)
 ハムカツ      60円

さっそく買いました。「お品書き」の宝塚コロッケのところに 残りわずか と書かれていたので、買えたのはラッキーだったのかもしれません。注文して2分ほど待って受け取りました。もちろん熱々の揚げたてです。その場で食べたくなりましたが、お土産なので我慢して急いで千里に向かいました。


木と紙だけの自然の包装はいいですね。


お土産には4個買いました。消費税も含んで計300円でした。
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さっそく1個いただきました。確かに行列が出来る味でした。特に甘みの感じが絶妙でした。
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半分食べたところでソースでもいただきました。
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こだわりのソースで食べるコロッケも美味しかったです。ネットで調べると関西の厳選コロッケ店のリストの中に北川精肉店の名前が載っていました。
 兵庫 芦屋・花コロッケ 本神戸肉・森谷商店 北川精肉店・宝塚コロッケ
 大阪 中村屋 グリルやまたけ 肉のやまじん コロッケいまむら 広岡精肉店
 京都 西富家コロッケ店 山田コロッケ店 中村屋総本店 嵯峨野コロッケ
 
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清荒神駅北口改札口の目の前にあることを分かってもらうために地図を添付いたしました。北口改札口から8mで、南口改札口からは80mの距離です。宝塚(逆瀬川)の実家からは清荒神駅まで歩いて2.6kmなので時々歩くこともあります。
  北川精肉店 宝塚コロッケ
  さん志ょうや本家 佃煮
  阪急宝塚線 清荒神駅 改札口
 ━━ 清荒神清澄寺の参道

清荒神清澄寺 [宝塚]



清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)が正式名ですが一般的には清荒神と呼んでいます。兵庫県宝塚市にある清荒神の滝である龍王滝を紹介した機会に清荒神自体を紹介いたします。清荒神清澄寺は今から1118年前の寛平8年(896年)に創建された真言三宝宗のお寺です。本堂が降りてこられたお坊さんです。

正面の建物が本堂で、安政年間に旧清(もときよし)の寺域より移築上棟された建物でしたが、当山開創千百年記念事業として、平成元年より5年の歳月を掛けた平成の大改修により、面目が一新されたそうです。正面には本尊大日如来、向かって左に不動明王、右に弘法大師が祀られています。
大きな立像は一願地蔵尊で頭上にまで水を掛けて一つの願いを念ずれば、ご利益があると言われています。 明治24年に信者の方々の寄進により建立されたそうです。右の方の建物は案内図によれは百錬堂と呼ばれるところで渡り廊下で本堂とつながっています。富岡鉄斎と清荒神は関係が深く鉄斎美術館が境内にあるほどですが鉄斎の一時期の名前が百錬とのことなので関係があるのかもしれません。


拝殿(天堂)の方に上がっていく階段です。


本堂と違いこちらは雰囲気的には神社に近いです。


これが拝殿で三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られているそうです。


拝殿の奥にあるのが護法堂です。


拝殿横の沢山の火箸が奉納されています。三宝荒神は火の神であり古来より厄年には厄除を願って、荒神さんの火箸を家庭でまつり、厄年が開けたら御礼に新しい火箸をここに納めるそうです。


護法堂の横の練掘に、このような一角がありました。折鶴と紙が吊るされています。


吊り下げられていた紙がこれです。結構な枚数のものですが、この中で判るのは「家内安全」「大願成就」だけでした。これがどういうものか調べていますが、まだわかりません。日付から今年の4月1日に下げられたものでした。
ゆんさんのコメントでこれが写経であることを知りました。清荒神のホームページにも「参詣の方々の願いを込めた絵馬・写経・千羽鶴等が奉納されています。絵馬を奉納する習わしは、本来は神社に神馬を奉納したことから始まり、やがて馬の代わりに鞍となり、次第に願い事を書いた小さな木の札になりました。」とありました。


拝殿のある広場には、このような洞穴の観音さんがありました。名前は神変大菩薩(役小角)と書かれていました。


この通路を登っていくと龍王滝があります。鉄斎美術館も、この奥にあります。


途中に仏足石(左)と辰馬悦叟君徳碑(右)があります。辰馬悦叟君徳碑は鉄斎が書いたものだそうです。


これが鉄斎美術館の聖光殿です。荒神清澄寺所蔵の鉄斎作品は絵画、書をはじめ、鉄斎が絵付を施した器物、或いは手造りの陶器などで1200点を超えるそうです。


清荒神は鉄斎以外の芸術にも力を入れており、このような史料館あり、このときも芸術品の展示が行われていました。


これが境内の案内図です。兵庫県警の予想によると、清荒神清澄寺の2015年正月(1~3日)の初詣の人数は36万人で宝塚市でトップです。兵庫県では5位と予想されています。ちなみに宝塚市の2位は中山寺で、兵庫県の1位は生田神社です。数値はあくまでも予想人数です。
  1位  150万人 神戸市 生田神社
  2位  90万人 神戸市 湊川神社
  3位  72万人 神戸市 長田神社
  4位  37万人 西宮市 西宮神社
  5位  36万人 宝塚市 清荒神清澄寺
  6位  34万人 姫路市 播磨国総社
  7位  20万人 宝塚市 中山寺
  8位  19万人 西宮市 広田神社
  9位  14万人 淡路市 伊弉諾神宮
 10位  13万人 赤穂市 大石神社


境内には樹齢が約500年と推定される2本の大銀杏があり、沢山の実が膨らんできていました。秋には沢山の銀杏が落ちてくるものだと思います。宝塚市の天然記念物に指定されているそうです。


この山門の内側が境内です。


山門の向かって左手前に「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑が立ち、ここからは聖域であるという意味を表しているそうです。右手前には宇多天皇より賜った称号「日本第一清三寳大荒神王」の石標がありました。ここまでが参道で、この奥が聖域の境内という雰囲気がありました。


うれしいことにワンちゃんも境内に一緒に入れます。


こちらかすでに紹介した龍王滝です。

神戸牛 第九弾 家ステーキ [宝塚]

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この日2014年8月14日は娘と宝塚の手塚治虫記念館に行った後に老舗イタリアンレストランのアモーレ・アベーラでランチを食べ凧とはすでにしょうかいしましたが、その日の夕食は実家でステーキにいたしました。実家でのステーキは第四弾で報告済ですが、少し焼き方に進化があったので報告いたします。
クリックすると拡大それはステーキの上に乗っているニンニクです。ステーキを焼く前にスライスしたニンニクを牛脂で焼いてその油でステーキを焼くテクニックのことです。このやり方はすでに紹介の記事の第〇弾、第二弾、第七弾の時に見たたやり方を再現したものでした。右の写真は第〇弾のときの写真です。
下記のリストの着色文字をクリックすると記事を表示します。
 レストランで食べた回数 10回
  第〇弾 1回 モンシェルトントン  ステーキ(サーロイン)
  第一弾 1回 大井肉店 本店     ステーキ(サーロイン)
  第二弾 2回 モーリア 三宮店   ステーキ(フィレ / サーロイン)
  第三弾 1回 とけいや         しゃぶしゃぶ
  第七弾 2回 ホテルオオクラ神戸  鉄板焼
  第八弾 1回 ステーキランド神戸館 ステーキ(サーロイン)
 家で食べた回数 10回
  第四弾 8回 山垣畜産        ステーキ(フィレ) +第九弾
  第五弾 1回 大井肉店        ステーキ(サーロイン)
  第六弾 1回 大井肉店        すきやき


こちらが母と私と娘の3人で食べた山垣畜産の特上ヘレ(フィレ)708gです。
 店名 山垣畜産 アクタ西宮店
 住所 兵庫県西宮市北口町1番2号
     アクタ西宮東館1階118号
 電話 0798-66-5929
 営業 10:00~20:00
 定休 第1・第3火曜日
 地図 http://goo.gl/maps/82xyr
 本店 神戸市北区八多町吉尾819番地
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肉質を感じてもらうためにさらに乗せて写真を撮りました。
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お店でやっていたようにスライスしたニンニクを焼き、いい色に焼けたものから油から取り出しておきます。ただし、プロが焼いた右の写真のニンニクほどには、きれいに焼けませんでしたが、そこそこうまく出来ました。焼けたニンニクを、すべて取り出したところで、ニンニクの香りの付いた油で肉を焼きました。焼けた肉を皿に乗せて、肉の上にニンニクを乗せて完成です。ソースはフライパンに残った肉汁にウスターソースと赤ワインを入れて煮詰めたものです。
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これが焼き具合です。うまくミディアムに焼けました。電磁調理器とは思えない出来栄えになりました。実家は高齢になってきたことからガスから電気に切り替えてしまってので電磁調理器で焼くことになるのです。
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ポテトサラダは母に作ってもらいました。
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ワイン代りに日本酒をいただきました。三木の造り酒屋の日本酒です。交代で家内が実家の宝塚に帰省した時に兵庫県三木市に住んでいる知り合いの家に訪問したそうです。その知り合いの近所に造り酒屋があったので人気の日本酒を買ったそうです。なんとこの日本酒はステーキに合いました。まるでワインを飲んでいるような気分になりました。
お酒の名前は「葵鶴 瑞翔上撰」です。
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帰省した日はお刺身 [宝塚]


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先ほど中国の地方都市のホテルに着きました。着いたばかりなのですぐにはこちらの街の報告が出来ないために先日、関西に帰省(2014年8月8日~8月14日)していた時の記事を掲載させていただきます。
関西に帰省する場合は空港までが近いことから成田→伊丹のフライトを使います。マイレージの関係からJALを使うのですが一日に下記の2便しかありません。JL3007は遅いので、いつJL3005 成田16:55発のフライトを使っています。
クリックすると拡大 JL3005 成田16:55→18:15伊丹
 JL3007 成田18:30→19:50伊丹
実家には夕食時に着くので、いつも最寄駅の逆瀬川か宝塚駅で刺身を買っていくのです。関西は刺身が新鮮でおいしいのです。ただし時間が遅いので、いい刺身が無くなっていることもありましたが、2014年8月8日は高級魚の「あこう(きじはた)」が残っていました。

さらに「あこう」の刺身も含めてすべての刺身が半額でした。紅ずわい蟹のほぐし身も半額でした。本写真をクリックすると、いつもより大きな拡大写真が出てくるように設定いたしましたので値札の内容が読めると思います。
 1180円x0.5=590円 あこう 愛媛県産
  398円x0.5=199円 タチウオ 大分県産
  278円x0.5=139円 生ホタテ 北海道産
  298円x0.5=149円 紋甲イカ タイ産(解凍)
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この太刀魚も、とても半額とは思えないほどの新鮮さでした。。
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せっかく「あこう」には頭がついていたので、塩焼きにしてみました。これも美味しかったです。
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実家で用意してもらっていたのは、ミョウガとシソが沢山乗った冷奴と
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煮物のでした。
2014年8月25日から9月5日まで中国に居るので、帰国するまでネットへのアクセス事情の関係から皆様のところに訪問できないことお許しください。
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タグ:関西 刺身 帰省

イタリア人が1946年に開いたレストラン アモーレ・アベーラ [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大実家の宝塚に帰省していた2014年8月13日に娘と二人で右の写真の手塚治虫記念館に行きました。10時に入館して見終わったら昼となったので近くでランチにすることにしました。

その時に目に入ったのが館内に置かれていた下のチラシでした。すでに前記事で紹介した企画展示の「テヅカオトメ」とのコラボメニューを6つのお店が提供していることが書かれていたのです。そのコラボメニューを食べて記念館の入場券を見せるとノベルティ「ブロマイド」がもらえるとの説明でした。
クリックすると拡大 1.天麩羅 味ごよみ「すずき」
 2.カフェ ダルブッカ
 3.宝塚牛乳
 4.中華料理「天津」
 5.ホテル若水ロビーラウンジ「すみれ」
 6.イタリアンレストラン「アモーレアベーラ」
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実は上のチラシを見る前からイタリアンレストラン「アモーレアベーラ」でランチを食べるつもりだったのです。私が生まれる前からのお店であることは今回初めて知ったのですが、少なくとも私が宝塚に住み始める以前からある有名なイタリアンレストランであることは知っていたのです。お袋は何度か食べたことがあるそうなのですが、私はまだ食べたことが無かったので、食事をするいいチャンスだと思っていたわけです。
記念館とのコラボメニューは「ルルの大好きなフワフワオムレツ風スパゲッティ」と「トーマの特製カルボナーラ」でした。これを食べると写真の中のノベルティ「ブロマイド」がもらえるわけです。ブログネタにもなりそうなので、この料理を注文するつもりでレストランに行きました。


オトメイトのルル(LULU)とトーマ(TOMA)を検索してみました。
検索すると下記のような絵が出てきました。左側と真中がルル(LULU)で出てきた絵で、右端がトーマ(TOMA)で出てきた絵です。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

こちらがRISTORANTE AMORE ABELAの入口です。
私が高校2年から結婚するまで住んでいた実家の家から歩いて10分の距離(900m)で住宅地の中にあります。驚いたことに太平洋戦争の終戦(1945年8月15日)の翌年となる1946年9月1日にイタリア人のアベーラ・オラッィオさんがオープンしたお店でした。アベーラ・オラッィオさんは、現オーナーのアベーラ・エルコレさんのお父様です。
初代オーナーのアベーラ・オラッィオさん(またはアベーラ・オラツィオさん)はシシリア島の出身で、現在も本場のシシリアの味を守っている本格的なイタリアンレストランだそうです。ちなみにAMOREはイタリア語で「愛」、お店の名前は 「アベーラの愛」というところでしょうか。イタリアで名前をつけるとしたら Amore di Abela となったのかもしれません。
アベーラ・オラッィオさんは1944年創業の東京南青山の老舗店「アントニオ」の初代オーナーのアントニオ・カンチェミさんとは義理の兄弟であり、似た境遇でした。ただしアントニオ・カンチェミさんは料理の専門家でしたがアベーラ・オラッィオさんは料理に関しては素人だったのです。イタリアが連合国に降伏し 2人は姫路の捕虜収容所に入り、戦後に武庫川河畔の武田尾温泉で知り合った日本人姉妹と2人共に結婚して 2人は義理の兄弟となったそうです。アベーラ・オラッィオさんは宝塚の自宅にて料理の猛特訓を重ねてレストランを開業したそうです。今の建物は1971年に自宅を改築して作ったそうです。
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クリックすると拡大クリックすると拡大門の正面からの写真です。
余談ですが現オーナーのアベーラ・エルコレさんの奥様は元タカラジェンヌ(第55 期生、花組「有花みゆ紀」さん)で「ベルサイユのばら」にもロザリー役で出演されていたそうです。そんな事情や場所柄からお店の常連にはタカラジェンヌの方も多いとのことでした。
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入口から見たレストランの中の景観です。先代オーナー(アベーラ オラッィオ)と思われる写真が飾られており歴史を感じました。
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 名称 アモーレアベーラ
    AMORE ABELA
 住所 兵庫県宝塚市南口 1-9-31
 電話 0797-71-3330
 営業 11:30~22:00 LO 21:00
 定休 火曜日
 HP  http://amoreabela.com
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コラボメニューの「ルルの大好きなフワフワオムレツ風スパゲッティ」と「トーマの特製カルボナーラ」を注文しようとしましたが、ノベルティ「ブロマイド」は人気だったようで、すでにノベルティは無くなりコラボメニューもなくなってしまったとのことなので、私はこちらのペスカトーレ(2160円)を頼みました。
実は2592円で、サラダ+スパゲッティー+魚か肉料理+デザート+飲み物のお得なランチがあるのですが、この日の夕食はステーキを食べることが決まっていたので軽めにするためにスパゲッティだけにいたしました。
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拡大写真を掲載しました。新鮮なプリプリの海老とアサリとホタテなどのシーフードがふんだんに使われていました。トマト系のソースも絶妙でスパゲッティーの茹で加減も良かったです。次の機会にランチを頂いた時は追加掲載させていただきます。
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やっぱりビールが飲みたくなります。娘はジュースを頼みました。
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こちらが娘が頼んだボンゴレビアンコ(1,728円)です。こちらも味見をさせてもらいましたが、レベルの高いスパゲッティーでした。
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大きなアサリが印象的なボンゴレビアンコでした。
飲み物も入れた総額は4,860円でした。
・ディナーコースは2種類があります。
  シシリアーナディナー 3,780円
  ロマーナディナー   5,400円
・メニューでお薦めと書かれていた料理も紹介します。
  カンネローニ     2,970円
  ラサンニエ      2,700円
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レストランの場所を紹介します。
   アモーレ アベーラ AMORE ABELA
   宝塚市立手塚治虫記念館
   宝塚歌劇大劇場
   270m 宝塚南口駅→アモーレアベーラ
   430m 宝塚南口駅→手塚治虫記念館
   730m 宝塚駅→手塚治虫記念館

より大きな地図で アモーレアベーラ を表示

手塚治虫記念館に行ってきました。 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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鉄腕アトムと言えば手塚治虫です。その手塚治虫の記念館が、私の育った宝塚にあります。2014年8月8日から8月14日まで実家の兵庫県宝塚市に帰省しているときに娘と一緒に手塚治虫記念館に行ってみました。
手塚治虫は1928年に豊中市に生まれて5歳(1933年)の時に家族と共に宝塚市に移り住み、24歳までの約20年間を宝塚市で過ごしました。
  筆名  手塚 治虫 ( てづか おさむ )
  本名  手塚 治  ( てづか おさむ )
  生誕 1928年11月03日 現・豊中市
  死没 1989年02月09日 60歳
手塚治虫は生涯に漫画を604作ほど作ったと言われています。細かいシリーズなどを入れると700タイトル以上で原稿枚数15万枚分とされています。その内分けは少年向け341作、少女向け36作、大人向け110作、低年齢向け32作、絵本39作、4コマ漫画17作、1コマ漫画29作だそうです。小説も4作あります。手塚治虫の作品を知りたい方はこちらをクリックしてみてください。→ 作品一覧

下の写真が宝塚市手塚治虫記念館の建物です。宝塚市手塚治虫記念館は手塚治虫の生涯を称えて、「自然への愛」と「生命の尊さ」を基本テーマとして1994年に設立されました。我々が訪れたのは8月13日でしたが、驚いたことに2日前の8月11日に来館者が350万人に到達したとのことでした。右の写真は入口の受付でもらった来館者350万人達成記念の絵ハガキです。
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建物の入口前には「火の鳥」のモニュメントが建っていました。「火の鳥」は手塚治虫作品の一つで1954年に初めて連載されました。その後いろんな雑誌に掲載され1986年まで続いた息の長い作品でした。
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モニュメント前の床には作品の登場人物(お茶の水博士、日の鳥、ヒゲオヤジ、Oマン、マグマ大使、悟空、どろろ、百鬼丸、ブッダ、アセチレンランプ、スカンク草井、バンパイヤ、ハムエッグ、ロック
ホーム)の手形、足形の石板が埋め込まれていました。
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火の鳥のモニュメントから望んだ記念館の建物です。
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建物の入口からモニュメントの方を振り向いた景色です。
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建物に入りました。
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最初に迎えてくれるのが鉄腕アトムとリボンの剣士です。
ここからがアニメの世界です。手塚治虫記念館を紹介します。
  名称 宝塚市立手塚治虫記念館
  住所 兵庫県宝塚市武庫川町7-65
  電話 0797-81-2970
  時間 9:30~17:00
  定休 水曜日 臨時休館&臨時開館があるのでHPで確認願います。
  料金 大人 700円 中高生 300円 小学生 100円 他各種割引あり
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貰ったパンフレットの建物内の配置図です。3階建てですが、一番下がG階でその上が1階で、最上階が3階になります。1階が入口のある階です。建物が傾斜した地面に建っていることからG階は完全な地下ではなく、G階にも出入口があります。画面をクリックすると別画面で拡大配置図を掲載するので、その配置図を見ながら記事を読んでいただくとわかりやすいと思います。
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1階からG階に降りていく階段の壁には日本の漫画の歴史が展示されていました。
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G階は不思議な空間でした。アニメーションの歴史や手法も展示されていました。


奥の部屋は皆が楽しめるアニメ工房となっていました。
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この機械を使ってアニメを作って遊べるようです。
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アニメ工房の一番奥に手塚治虫の仕事部屋が再現されていました。


G階から1階に戻ると丁度10時15分のアニメ「オサムシとムサシ」の上映開始時間となったので映像ホールに入りました。ちなみに我が家のワンコの名前はムサシです。


こちらはアトムビジョン映像ホールです。


アニメのタイトルは「オサムとムサシ」です。プレーボタン( )をクリッククリックすると拡大すると全18分の中の頭3分間を見ることが出来ます。このアニメは手塚治虫記念館のためのオリジナルアニメで少年時代の手塚治虫(オサム)と小さな甲虫のオサムシ(ムサシ)が主人公のようです。右の写真はオサムシです。治虫(オサム・ムシ)は「オサムシ」とも読めないこともないので、この昆虫に思い入れがあったのかもしれません。


オリジナルアニメを見た後は2階に上がりました。子供たちが座っている機会は情報・アニメ検索機です。子供たちに人気があるようでした。
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昔の漫画の単行本の展示棚です。
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単行本に鉄腕アトム1~3です。漫画全集としては6~8です。
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懐かしい漫画の単行本の漫画全集が並んでいました。
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図書館のように漫画が読めるコーナーもあり巻いた。沢山の手塚治虫の本が並んでいました。「手塚治虫ライブラー」コーナーです。
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並んでいる本を紹介します。クリックすると別の段の本を表示します。


お絵かきコーナーもありました。
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2階の企画展示室では手塚治虫とオトメイトのコラボの「テヅカオトメ」の特別展示がありました。期間は2014年7月4日~2014年10月27日です。


特別展示の「テヅカオトメ」の入口です。紹介したいところですが、手塚治虫記念館でここだけが写真撮影禁止でした。コラボ先のオトメイトの作品は記念館の所有ではないので仕方がないことです。
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ただし記念撮影のエリアが設けられていました。
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記念撮影場所は全部で3ヶ所ありました。


右の縦長の写真は記念館でもらった「テヅカオトメ」のパンフレットです。
手塚治虫とオトメイトのコラボの特別展示の「テヅカオトメ」は撮影禁止なのでネットから「オトメイト」に関する画像を転記させていただきました。
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手塚治虫のことが一番理解できるのが1階の手塚治虫の歴史を39個の筒で表現しているコーナーです。ここは1から39まで順番に見てもらいたいコーナーです。
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これが1番の手塚治(手塚治虫)の幼年期です。
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7番では中学生の時に、すでに昆虫の細かな描写絵を書いていたことが紹介されていました。
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こちらは13番です。実は手塚治虫は医学博士だったのです。医者が本業で漫画製作が副業の時代がありましたが、いつしか漫画が専門になっていたのです。


こちらは14番の手塚治虫が描いた宝塚歌劇の男役であった春日野八千代の似顔絵とブロマイドです。
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こちらも14番の筒です。1951年8月には宝塚をテーマとした少女ロマンを書いていました。この時期、宝塚歌劇が少なからず影響したと思われます。
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こちらは19番です。1952年の介ジューがかかれた手地用も展示されていました。
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こちらも19番で漫画の漫画の下書きも展示されていました。
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こちらが28番で、アトムとお茶の水博士のキャラの設定の展示です。
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こちらが39番で1980年の作品関連の展示でした。
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年表でも手塚治虫の歴史を紹介していました。こちらは最初の頃です。線表の中にジャングル大帝、鉄腕アトム、火の鳥、リボンの剣士、などか読み取れます。鉄腕アトムは1951年4月から掲載の「アトム大使」の中の単なる脇役として登場したのが最初でしたが、翌年の1952年4月から主人公となり、作品名も「鉄腕アトム」となりました。
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鉄腕アトムが最初にテレビに登場したのは実写版だと思っていたら人形劇が1957年4月13日~9月28日に放送されたそうです。人形劇→実写版→アニメだったそうです。人形劇のことはkojiroさんにコメントで教えていただきました。
その実写版が放送されたのは1959年3月7日でした。最初にアニメがテレビで放送されたのが1963年1月1日で、白黒でした。今、「まんだらけ」でのブリキ製人形の万引きで話題になっている鉄人28号もテレビに最初に登場したのは実写版だったと思います。鉄人28号は横山光輝の作品です。
                   実写版放送              TVアニメ初放送
  鉄腕アトム 1959年03月07日~1960年5月28日(65話) 1963年01月01日
  鉄人28号 1960年02月01日~1960年4月25日(13話) 1963年10月20日

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こちらは後半の年表です。
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1階には過去のグッズも沢山展示されていました。2階にはショップがあり、現代のグッズを買うことが出来ます。
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Google地図で手塚治虫記念館の場所を紹介します。
宝塚南口駅が最寄駅です。ただし実家の家からは記念館までは1.6kmの距離なので我々は実家から歩いて行きました。実家の最寄の逆瀬川駅まで歩いたあと電車で宝塚南口駅まで移動する時間を考えると直接歩く方が近いのです。
   宝塚市立手塚治虫記念館
   宝塚歌劇大劇場
   430m 宝塚南口駅→記念館
   730m 宝塚駅→記念館

より大きな地図で 手塚治虫記念館 を表示
宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされています。この動画は5月に来た時に撮ったものです。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。


せっかくなので鉄腕アトムの歌詞を紹介いたします。
作詞:谷川俊太郎  作曲:高井達雄  歌手:上高田少年合唱団
空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞ アトム ジェットのかぎり 心やさしい ラララ 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム
耳をすませ ラララ 目をみはれ そうだ アトム ゆだんするな 心ただしい ラララ 科学の子 七つの威力さ 鉄腕アトム
町角に ラララ 海のそこに 今日も アトム 人間まもって 心はずむ ラララ 科学の子 みんなの友だち 鉄腕アトム

1980年代の歌はこちら→http://youtu.be/GX8b1TmXfvw
Vocaloidの歌はこちら →http://youtu.be/09KfdXh0a9U
初音ミクの歌はこちら  →http://youtu.be/FcG4OdWCvDo

1959年3月7日~1960年5月28日に放映された実写版時代の歌詞は違います。初音ミクの歌声ので動画があったので紹介します。
作詞:青木義夫  作曲:益田克幸  歌手:中島そのみ
僕は無敵だ 鉄腕アトム よい子のために 戦うぞ 勝ったつもりか 負けはしないぞ さあ来い 悪者 やってこい ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕はよいこ子だ 鉄腕アトム 困った時には 飛んで来て パンチだ 空手だ 正義の力だぞ いつでもどこでも 大勝利 ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている
僕らのアトムは みんなのために どんなところでも 飛んで行く 僕らも一緒に 力を合わせ 平和な世界を 作るんだ  ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力をもっている

kojiroさんに調べていただいた結果、歌手は第一部・ZZZ団の巻(中島そのみ)→第二部・メキシコ(岡村喬生 上高田合唱団)→第三部・フランケンとアトムの巻(岡村喬生)→第四部・アトム火星に飛ぶの巻(岡村喬生)→第五部・気体人間の巻(上高田合唱団 中島そのみ)とかわりました。
中島そのみ の歌はこちら →http://youtu.be/8yxAcnFv00g
岡村喬生の歌はこちら   →http://youtu.be/DHs_ajbiIA0
                 http://youtu.be/IGZW4mK3T9w
初音ミクの歌はこちら   →http://youtu.be/FAqhiGNm2fw
瀬川雅人の素顔登場   →http://youtu.be/ozD0lX_tSvc
瀬川雅人 : 鉄腕アトム役
kojiroさんからコメントいただいた実写版アトムの第四部「火星探検の巻(40~52話)」の、ネットで書かれていたあらすじを枠内に紹介いたします。別のネットには「第3話 火星探検 1963年1月15日放送」と「アニメの第8話「火星探検(原題:火星隊長)」との記述もありました。
アトムはモス博士から火星探検隊長に任命される。 博士の言うには第一回目の探検隊が失敗したのは隊員の間の争いが原因だった。 そこでロボットであるアトムに依頼したのだ。 アトムは大学の教授(花丸博士, ケリガン)から1ヶ月の教育を受け,ロケットに乗り込んだ。
しかし,その中には密航者が一人乗っていた。 彼女はキャーベット(リイコ)といい,1回目の探検で反乱を起こしたレンコーン大尉の妹だった。 兄に会いに行くための密航だった。 もはや降ろすことも出来ずやむなく連れて行くアトム。
途中ロケットに未確認飛行物体が取り付き,アトムは自ら宇宙に出てそれをどかす。 しかし,アトムの命綱は誰かによって切られ置き去りにされてしまう。 アトムは不明のロケットの中に入り込み,原子力銃を持つ生物と出会う。
その銃の噴射力でロケットに戻ったアトムは一回目の反乱の原因がこの生物ではないかと考える。 火星に着いたアトム達の前に多くのロボットを引き連れたレンコーンが現れる。 そしてアトムのことをよく思わないケチャップ大尉はアトムに銃を向け反乱を起こす。
さらに彼はレンコーンのロボットを奪うべく出掛けていく。 彼らの前にはあの謎の生物達が襲ってくる。 宇宙人の存在を笑っていたケチャップは自ら恥じ,ロボットを指揮してその命を散らす。
鉄腕アトムがロボットと戦う姿も追加掲載させていただきました。


鉄腕アトム65話(13話×5部)の放送は土曜日の18:15~18:45に、一日も欠かさずに放送されました。kojiroさんのコメントによれば実写版の鉄腕アトムの頭の形は2回変わったそうです。その説明を参考にしてネットから3種類の画像を探してみました。
 第一部 '59年03月17日~'59年05月30日(01~13話) ZZZ団の巻
 第二部 '59年06月06日~'59年08月29日(14~26話) メキシコの巻
 第三部 '59年09月05日~'59年11月28日(27~39話) フランケンとアトムの巻
 第四部 '59年12月05日~'60年02月27日(40~52話) アトム火星に飛ぶの巻
 第五部 '60年03月05日~'60年05月30日(53~65話) 気体人間の巻
        初期               中期               後期



第四部 アトム火星に飛ぶの巻(40~52話)で登場する軍服姿の鉄腕アトムです。飾緒のついた短いダブルのボレロジャケットです。スカーフはアスコットタイ風にして軍服の襟の中に入れています。原作と異なり、軍服はジャケットのみで、ズボンははかず、軍服の下はつなぎのパンツ、タイツ、ブーツのスタイルでした。kojiroさんご推薦の軍服姿のアトムの写真をネットから転用させていただきました。この時、鉄腕アトムを演じていた瀬川雅人は小学6年生でした。(1話:小学5年~65話:中学1年)


クリックするとオリジナルを表示kojiroさんに送っていただいたアトムの軍服姿の敬礼姿の飾諸がかっこいい幻の写真を掲載させていただきました。右の写真のように変色しているので完全な白黒に色調整いたしました。クリックするとオリジナルの写真を表示します。この写真はkojiroさんの知人の方から、20年以上前に光文社の御厚意により、図書室でコピーして頂いきkojiroさんに送っていただいた貴重なものです。kojiroさん、ありがとうございました。
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クリックするとオリジナルを表示火星探検の巻の実写版とTVアニメのアトムの軍服姿を紹介したので漫画の軍服姿を紹介します。光文社のカッパコミックス鉄腕アトムの1964年2月号です。右がカッパコミックスの表紙です。この本の表紙の軍服姿のアトムは原作の姿と違いTVアニメとそっくりです。そんなことからも、表紙の絵はカッパコミックスのために書かれたものと思われるそうです。中の漫画は原作と同じだそうです。漫画、アニメともに、軍帽を被っていますが、実写では、被っていません。ヘルメットの上には被れなかったようです。

左が火星探検隊長に任命されたところです。マンモス博士の持っている鞄の中に、軍服が入っています。このマンモス博士を訪問した時の服装が、半ズボンを脱げば実写のアトム少佐に近いかもしれないそうです。
右がキャーペットをロケットから降ろそうとするアトムですが、この軍服が原作の軍服で、学生服のようです。ズボンも履き、ブーツインではありません。隊員と同じごく普通の軍服です。肩のエポレットのところに、フリンジがついていたような気がしていましたが、ついていませんでした。


キャーペットにレンコーン大尉に会わせられないと言っています。普通の結び方でネクタイをしています。実写では、アスコットタイのように結んでいます。漫画の原作では、これが一番アトム少佐の全身を示しているようです。

漫画の原作の宇宙人と戦った後のアトム少佐の敬礼姿です。詰襟ではありませんが、学生服風です。実写のアトム少佐の方は、飾諸がかっこいい短いダブルのジャケットでマフラーをアスコットタイ風に結んでいます。

記事のタイトルにふさわしい幻の写真をkojiroさんから送っていただきました。アニメ雑誌「少年」(光文社)の1960年正月号に掲載された手塚治虫先生と、実写版鉄腕アトムと、漫画のアトムのスリーショットの写真です。正月らしい「初ゆめ」の言葉が印象的です。実写版の鉄腕アトムがテレビで人気だったことが写真からも伝わってきます。1960年正月号が出版された1959年12月は丁度、フランケンの巻が終わり、火星探検が始まる直前であり、ロシアの人工衛星で、月の裏側の写真が撮られた頃です。
その時代を反映して、手塚先生が、「月の裏側が見える」と言っているように書き込まれているそうです。次の号は、火星探検隊長のアトム少佐の写真だったそうです。スリーショットは貴重で、テレビ 漫画史上に残る貴重な写真と思います。この時代にどのようにして才能のある子役を探したのか不思議でしたが、瀬川少年は劇団・コジカ座に所属していたことから鉄腕アトム役として抜擢されたそうです。


こちらは1960年4月頃、雑誌「コウロン」に掲載された手塚先生を紹介した記事です。記事のタイトルは「日本のディズニーをめざす男」です。
手塚先生を応援するために、1960年4月29日に向ヶ丘遊園で、鉄腕アトム大会が開かれ、数千人の子供があつまったと、本雑誌の記事に書かれていたそうです。ステージ上には瀬川少年演じるアトムが実写版の鉄人28号らしきロボットと対峙していて、ステージの周りには沢山の子供達が集まってい光景が写っています。この子供達がぎっしり集まっている事からも、実写のアトムの人気ぶりが判ると思います。記事の中には漫画のアトムも書かれています。
鉄人28号の実写版も同じプロダクションだったそうです。アトムの向こうに見えるのは、テレビ番組の監督かもしれないそうです。本写真および説明はkojiroさんから送っていただきました。
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kojiroさんに送っていただいたアトム友の会の募集記事です。募集記事は11月号か12月号で、写真は、フランケンの巻で、隼探偵を救うための血清を取り返そうとしていた時に、燃料が切れた時の写真と思われるそうです。テレビのカットではなく、雑誌「少年」用に撮影した写真と推測されておられました。マフラーと脚の長さを強調するように撮ったものと思割れるそうです。記事の記載内容を枠内に転記いたしました。
テレビの「鉄腕アトム」・瀬川雅人くんの後援会(アトム友の会)の会則が出来ました。「少年」とテレビの「鉄腕アトム」のファンなら、だれでも入会できます。会費は一カ月 三十円です。会員には、すてきな会員バッチをおおくりするほか、瀬川くんをかこむ会を三カ月に一回ひらいたり、撮影所を見学するなど、いろいろの行事をおこないます。入会したい人は会費をそえて、東京都中央区銀座西七ノ五・弥生ビル内 松崎プロ「アトム友の会」まで。
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鉄腕アトムの実写版の記事を掲載にあたり、kojiroさんから、お宝写真やお宝資料を5つ送ってもらえたたので紹介します。
これは雑誌「少年」に載ったアトム友の会の募集の最後の案内です。1960年の4月号であろうとのことです。記事のなかの写真は第三部のフランケンの巻のようなので、1959年の写真と思われるそうです。これは、テレビフィルムから撮ったものだそうです。アトム大会が、4月24日に豊島園で行われると書かれていますが、実際には、コウロンにあるように、4月29日に向ヶ丘遊園と変更になったそうです。変更になったのは応募者が多かったのが理由ではないかと推測されていました。


これは雑誌「少年」に載った最後の実写版の鉄腕アトムの写真であろうとのことです。1960年の5月号前後であろうとのことでした。


宇宙船という雑誌の1981年夏号に載っていたアトムの写真です。左が、気体人間の巻で、田崎潤が天満博士でてでています。この時のフィルムは喪失しているそうです。第五部の気体人間の巻のネットで書かれている物語のあらすじを枠内に記載いたします。
アトムの両親が登場。アトムが宿題を忘れて居残りをさせられたりと日常風景も描いている。アトムがギャングに潜入した際にサングラスをかける場面がある。ヘルメット衣装を着けているため、耳たぶをかなり変形させてサングラスをかけていた。アトムに気体人間が乗り移り、悪人になったふりをする巻である。いまは無い「渋谷文化会館」のプラネタリウムや、渋谷駅前で撮影が行われている。
右は、最初のZZZ総統の時のプロテクターを装着したアトムがヘルメットを取った有名な写真です。


上と同じ宇宙船という雑誌の1981年夏号に載った写真で、火星探検の巻で、アトムを修理すべく、胸をあけているという珍しい写真が左下に載っています。


右の写真は雑誌「宇宙船」の1984年の8月号に載った火星探検のアトム少佐です。上半身しか映っていませんが、アトム少佐の雰囲気が感じられます。これは、レンコーンのロボットを呼ぼうとして、機械と接続したアトムが、ケチャップ大尉の操作で壊れてしまった後に、苦しみながら、ロケットから外に出ようとしているところだそうです。雑誌「宇宙船」の写真は、すべてフィルムから撮ったものだそうです。

右の写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、載った天満博士、お茶の水博士、アトムのスリーショットです。下の写真の左側も同じ雑誌に載った天満博士とアトムの写真です。
下の右側は1995年のリクルートの「ぼくらのヒットパレード1958-59 vol.1」に載ったアトムの写真で、確認できていないそうですが、ヘリコプターらしき乗物を操縦している写真です。アトムは自動車を運転していたのは有名ですが、ヘリコプターも運転したかもしれないそうです。有名なタイツのしわが見えます。ヘリコプタらしき乗物を操縦している写真以外は「気体人間の巻」の写真だそうです。乗物を操縦している写真は確定ではないそうですが、頭の形や服装からやはり「気体人間の巻」の可能性が高いそうです。
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1978年に発行された「朝日ソノラマ:テレビ版 宇宙をかけるSFヒーローたち」に載っていた実写版鉄腕アトムの気体人間の巻の写真です。
左は瀬川少年のアトムが腕を伸ばして空を飛ぶ時の上半身を前から撮ったものです。気体人間の巻だけ人形ではなく本人で撮ったそうです。伸縮性のないレオタード風つなぎだったため、袖の先から腕の素肌が出ています。もっと長い手袋で、素肌が出ないようにすれば良いのにと思ったそうです。つなぎの下は、メカが見えず、メカの上に人工皮膚をつけて、その上に服を着ているという設定の面白い写真です。
右は気体人間に操らるフリをしたので、悪党の一味に加わり、貯水池の管理人親子を、襲うシーンだそうです。アトムがサングラスをかけています。ヘルメットがサングラスの柄と干渉するのでサングラスの柄がまっすぐでなく曲げられていたそうです。結構 サングラスが似合っていると思います。


実写版の鉄腕アトムをペン画で描いた画像を送っていただいたので紹介します。クリックすると少し拡大します。かぶっているヘルメットを取られることは実際にはあり得ませんが、実写版らしいイメージをとらえた一枚です。アニメとは違うことがわかります。
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知らなかったのですが実写版用の女の子の鉄腕アトムの写真が残されていました。
クリックすると拡大鉄腕アトムは1972年の最終回で異常発熱をする太陽にロケットとともに突入して鉄腕アトムの連載は終わりました。宇宙船から発射されたロケットが、隕石に当たって止まった為に鉄腕アトムは自らを犠牲にして地球を救ったのでした。太陽熱で溶けけ宇宙空間に漂っている鉄腕アトムは、宇宙人に救われて、右のアニメにあるように修理・改造されて鉄腕アトムとしての物語が1972年~1973年に続いたそうです。このときにコスチュームが変わっていたのですが、その理由は明かされていませんでした。
それはタイミングを見て、アトムが女の子だったことにする秘かな計画が手塚先生の頭の中にあったようです。
クリックすると拡大クリックすると拡大このときに実写版の女の子のアトムが計画されて右の3枚の写真が残っているのです。
真中と右は同じポーズですがコスチュームは違います。真中が最初のバージョンだと思われるそうです。皮膚をサーモンピンクにしていたのですが、肉欲的な感じがしたのか、ベージュに変えたようです。胸のプロテクターのボッチの数や、ヘルメットというか被り物の形も違っています。これらのコスチュームは手塚先生自身が極秘裏に製作を依頼したそうです。ただし実写版そのものの実現はなかったようです。頭の星型の部分に触るとタイムトラベルも出来たそうです。これらの写真は2005年の講談社の「特撮ヒーロー BEST マガジン vol.1」に、手塚先生が女の子のアトムを構想したことを紹介する形で載りました。
もともとの鉄腕アトム(左)も、そのモデルとなった天馬飛雄(中と右)も女の子のような感じでもありました。先入観なしで鉄腕アトムの知識もなく、アニメの子が女の子だと言われれば、信じてしまい天馬博士は女の子に飛雄という名前を付けた気になってしまいます。
 1980年 鉄腕アトム      1963年 天馬飛雄      1980年 天馬飛雄  


阪急宝塚駅 宝塚歌劇100周年 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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阪急宝塚駅の写真です。
2014年5月23日~28日まで関西に行っていました。実家が宝塚市の逆瀬川にあることから阪急電車と宝塚駅を紹介したいと思います。宝塚駅での写真や動画は5月26日と28日に撮りました。
ご存じの方は多いと思いますが、その宝塚には未婚の女性だけで構成された宝塚歌劇団があります。今年2014年は宝塚歌劇の初公演から100年目にあたります。宝塚歌劇団は1913年に宝塚唱歌隊の名で結成され同年12月に宝塚少女歌劇養成会に改称され1914年4月1日~5月31日の初公演から現在に至りました。宝塚歌劇団は阪急電鉄の一部門(阪急電鉄創遊事業本部歌劇事業部)で阪急電車とは縁が深く阪急電鉄でも宝塚歌劇100周年にともないラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」が運行されています。実は上の電車がラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」なのです。

宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされて、大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。その発車メロディーを動画で紹介いたします。プレーボタン( )をクリックしてみてください。
   今津線 発車メロディー         宝塚本線 発車メロディー
   鉄腕アトム              すみれの花咲く頃



ラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」の前後の先頭には宝塚歌劇100周年の金色のヘッドマークが取り付けられており側面も飾られていました。それぞれ1編成づつのため所要時間の短い今津線(14分)の方が、乗るチャンスも見るチャンスも多くなります。
  宝塚線 9000系(8両編成)1編成 35分 宝塚~梅田
  今津線 7000系(6両編成)1編成 14分 宝塚~西宮北口
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側面のラッピングの見やすい角度の写真も紹介いたします。劇場大階段とダンスシーンをピンク色でデザインされていました。7101の番号から、これは7000系車両で今津線であることが判ってもらえると思います。
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側面の金色の文字も紹介いたします。ラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」は2014年3月21日~2014年12月24日まで運行するそうです。デザインコンセプトは車体のマルーンカラーと同系色を基調としながら、ゴールドをアクセントに使用してシンプルな中にも宝塚歌劇のもつ華やかさを加えて列車全体から宝塚歌劇100周年の伝統と品格を感じてもらうことだそうです。


こちらの写真は西宮北口駅に到着した時に撮った写真です。上で紹介した宝塚方向の先頭車両と反対側(西宮北口側)の先頭車両になりますがデザインが若干違います。上では等身大のダンスの絵は1人でしたがこちらは2人でした。この時5月24日に初めてラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」に乗りました。
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ラッピングが行われたのは7000系と9000系ですが2013年に最新の1000系が登場いたしました。関東の家に帰宅した5月28日に宝塚→蛍池まで乗った列車が最新の1000系でした。こちらが1000系の社内の写真です。私自身は小学校4年(10歳)の夏に広島から神戸に引っ越してきてから関東に引っ越した37歳まで阪急電車にお世話になってきたこともあり、この色合がなつかしいです。
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こちらが連結部分です。取っ手に触れるだけで扉が開きます。
  編成     8両
  営業最高速度 宝塚線:100km/h 神戸線:115 km/h
  設計最高速度 130 km/h
  起動加速度  2.6 km/h/s
  減速度    3.7 km/h/s(常用最大) 4.2 km/h/s(非常)
  編成定員   1022名
  車両定員   121名(先頭車) 130名(中間車)
  車両寸法   全長 19000mm 全幅 2770mm 全高 4095mm
  車体材質   アルミニウム合金
  車両重量   Tc車:29.8t  M車:36.7t  M'車:33.3t  T車:25.9t
  軌間     1,435 mm
  電気方式   直流1,500V(架空電車線方式)
  編成出力   190kW×16=3,040kW(4077馬力 8両編成)
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宝塚駅構内を動画で紹介いたします。


新聞広告最初の大きな写真が1914年4月1日~5月31日に初公演で行なわれた歌劇「ドンブラコ」の写真です。ドンブラコは桃太郎をモチーフにした北村季晴作詞・作曲の歌劇で、1912年1月29日に楽譜が出版されたそうです。右の写真は初公演の新聞広告です。
宝塚歌劇は現在は年間公演数約1300回、観客動員数約250万人、歌劇団員総数約400人です。宝塚歌劇団の名前の沿革は次の通りです。昔の写真はすべてフリー百科事典Wikipediaから拝借いたしました。2014年の「ドンブラコ」再現公演の写真はネットのニュースから転用させていただきました。いずれもクリックすると拡大します。
 1913年 宝塚唱歌隊
 1913年 宝塚少女歌劇養成会 1914年4月1日~5月31日に初公演
 1919年 宝塚少女歌劇団(宝塚音楽歌劇学校の中の組織)
 1939年 宝塚少女歌劇団と宝塚音楽舞踊学校に分離
 1940年 宝塚歌劇団
 1946年 宝塚音楽舞踊学校を宝塚音楽学校に改称
写真:1914年公演 第1回公演「ドンブラコ」桃太郎
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  1919年練習風景    1928年公演        1930年公演
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  1935年公演     1947年公演        1948年公演
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  1951年公演       1951年公演       1954年公演
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2014年公演 宝塚歌劇100周年「夢の祭典」 第1回公演「ドンブラコ」再現
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清荒神に滝がありました。 龍王滝と不動明王 [宝塚]



兵庫県の宝塚は宝塚歌劇団の本拠地があることで有名です。実は宝塚は私の実家があるところで結婚するまで住んでいたところです。宝塚近辺には、今回紹介する清荒神をはじめとして中山観音や門戸厄神、売布神社などの神社やお寺があります。その中でも自然の中にある清荒神は最も気に入っていて宝塚に住んでいたころには頻繁に行きました。ところが恥ずかしながら、その清荒神に滝があることを知らなかったのです。あのころは立ち寄って、すぐに帰ってしまっていたことから境内も散策することはなかったのです。今回は、久しぶりに来たので境内をゆっくりと散策しました。それでも滝を見つけることはありませんでした。帰り際に山門の横の境内案内図を見て、初めて滝があることを知ったわけです。それが、上の写真の龍王滝です。高さ数mの小さな滝ですが清荒神の一番奥にある神聖な場所である雰囲気が伝わってきました。

滝の前では熱心に拝んでおられる方がおられました。私がここに来てから帰るまで、長時間、拝まれていました。清荒神の正式名は清荒神清澄寺で、平安時代の初め、宇多天皇の創意により創建されたそうです。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、今から1116年前の寛平8年(896年)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としたそうです。我々の間では「荒神さん」と呼んでいました。上で高さが数mと記載しましたがネットで調べたところ落差は10mだそうです。


上の写真の奥に説明の案内板がありました。その案内板には次のように不動明王が祀られている書かれていました。
 龍王滝・不動明王
  荒神川に掛る小さな滝を龍王滝という
  左側の岩盤をくりぬいたところに不動明
  王が祀られている

でも不動明王がみつかりません。滝つぼの左側の岩盤が削られているように見えるので滝つぼの写真を掲載いたします。でも写真の中に不動明王らしきものがないので、この場所ではないかもしれません。


もう一つの不動明王が祀られている候補の場所が、こちらの写真の奥です。洞穴のようになっているところに不動明が祀られている感じもしました。石の塔は十三重の供養塔です。


でも、なんとなく違う感じもしたので、撮った写真をもう一度見直して不動明王をやっと見つけることが出来ました。拝んでおられる方がいたので少し遠くから撮った写真が角度的に不動明王が、よく見えました。
右の写真の赤丸のところが不動明王の場所です。


滝の方にピントが合った写真なので、そんなにクリアーではないのですが、気になっていた不動明王の拡大写真を紹介いたします。実は冒頭の写真にも不道明王が写っていたわけです。


この境内案内図で清荒神に龍王滝があることを知り、探しに行ったわけです。この地図の一番右上の黄色い枠のところに「龍王滝」と書かれています。クリックするとネットの拡大案内地図が出るのでわかると思います。赤枠で現在地と書かれているところに、この境内案内図が立てられていました。


これが清荒神の山門です。この山門をくぐって右側に境内の地図がありました。三門形式に則った山門で、明治40年頃の建立と伝えられています。山門の向かって左手前に「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑が立ち、ここからは聖域であるという意味を表しているそうです。右手前には宇多天皇より賜った称号「日本第一清三寳大荒神王」の石標があり、ここから奥が聖域の境内という雰囲気がありました。


清荒神の航空写真を紹介いたします。Aマークのところが龍王滝です。


清荒神の佃煮屋さん 花山椒も買ってきました。 [宝塚]


2012年7月19日掲載 タイトル : 清荒神の佃煮屋さん

2012年7月14日から18日まで会社の電力節電休暇を利用して関西に帰省していました。梅雨明けした7月17日には兵庫県宝塚市の清荒神(きよしこうじん)に行ってきました。清荒神は宇多天皇の創意により今から1116年前の寛平8年(896年)に開かれました。清荒神は火の神として信仰を集め、「荒神さん」の名で親しまれる清荒神清澄寺です。上の写真は拝殿です。
清荒神の参道には沢山のお店がありますが、その中で老舗の佃煮屋さんで、下記の佃煮を100gづつ7種類買ってきました。評判のお店で家族がよく買いに行ったことがありましたが私自身が買うのは初めてでした。
 あさり佃煮
 ちりめん山椒
 青実山椒
 山椒昆布
 きくらげ
 葉とうがらし
 しその実

これが7種類の佃煮です。家用の簡単なパッケージにしてもらいました。でも一枚一枚シールを貼ってもらえました。これはいいですね。この佃煮屋で有名なのが山椒と松茸です。今は松茸は季節ではないので山椒を中心に選んだわけです。


帰省先から7月18日の夕食で6種類を食べてみることにしました。「葉とうがらし」は今までもよく買って食べていたので次の6種類を器に入れました。 左上から順番に、ちりめん山椒、青実山椒、あさり佃煮、しその実、きくらげ、山椒昆布です。 
こちらの写真はクリックすると拡大写真が見れるように設定いたしました。
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こちらが新物の青実山椒です。なんとも言えないくせになる味です。


こちらが、しその実の佃煮です。


きくらげの佃煮はコリコリした歯ごたえで美味しい佃煮でした。これは初めての食感でした。


こちらが、ちりめん山椒です。


あさりの佃煮も紹介いたします、山椒昆布も食べたのですが、写真を撮り忘れました。食べた時に撮って追加いたします。


山椒昆布の写真を追加しました。今日(7月19日)も佃煮をいただきました。


こちらの佃煮屋さんは今から86年前の昭和元年(1926年)に創業した老舗で四季折々の厳選された素材を秘伝の醤油で、一昼夜かけて炊き上げているそうです。
お店を紹介いたします。
   店名 さん志ょうや本家
   住所 兵庫県宝塚市清荒神1-11-15
   電話 0797-87-2041
   営業 9:00~18:00
   休日 12月31日
   創業 昭和元年(1926年) 86年前
   HP  http://3408.jp/



2013年3月26日再掲載 タイトル : 花山椒も買ってきました。

また、実家の宝塚に行く機会があったので、前回、7種類の佃煮をさん志ょうや本家で買って、調べて気になっていた佃煮を買いに清荒神に行ってきました。気になっていたのが「花山椒」です。今回は「花山椒」「花きのめ」「山椒の実」「しそわかめ」「葉とうがらし」の5種類を買いました。この中で花山椒は100gが2940円と値段が高いので、これだけ50gとしその他は100g買いました。

これが「花山椒」です。
奈良県吉野で採れた花山椒です。山椒の花を一つずつ手摘みし、特製の醤油で炊き上げた物だそうです。独特の花の香りがまざった、噂通り美味しい一品でした。


これが「しそわかめ」です。
価格的には210円/100gと一番安いけれども、独特の食感と香りは素晴らしく家でも人気でした。鳴門などで取れた茎若布が使われているそうです。


こちらが「花きのめ」です。
山椒の花と葉を細かく刻んで、炊き上げたものだそうです。癖になる味です。


こちらが「山椒の実」です。
やわらかいうちに摘んだ、京都・夜久野産の山椒の実だけを使った佃煮だそうです。


しそわかめを入れてくれているところです。