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散歩の時の太陽 [生活風景]

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5月5日 早朝5時7分52秒に撮った太陽です。 場所は千葉県  
ワンコの散歩の時に撮りました。7分前に同じ場所を通りましたが太陽は見えませんでした。ほんの一瞬です。もう少し経つと太陽が明るすぎて、違う景色になってしまいました。スケールは違いますが、中国で撮った「平原の太陽」と比べてみてください。→ポチッ
タグ:散歩 日出

餅つき大会 [生活風景]

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先週の日曜日(2013年11月24日)に地区の自治会の餅つき大会(もちつき大会)がありました。今年は20年に1回の自治会の役員になっていることから餅つき大会の餅つき担当となりました。と言っても準備と後始末は役員全員で行ないます。おかげで初めて地域の餅つき大会に参加いたしました。ほんと楽しく一日を過ごすことが出来たので紹介いたします。来年からは毎年参加する気持ちにもなりました。

自治会館に7時50分に集合して備品を会場まで運ぶことから始まりました。自治会の作業班(係)の構成は下記の通りでした。この自治会の作業班以外に防災組織と子供会の方が運営に参加されていました。
クリックすると拡大    餅つき班  9名
    振舞い班  7名
    ゲーム班  3名
    掲示係   1名
    救急係   2名(看護士含む)


会場は小学校の体育館なので、備品を運んだあとは椅子や机を並べることから始めました。体育館での準備風景です。
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餅つきに必要な道具一式は小学校から1.2kmの距離にある大きな旧家の方から借りてきます。餅つきに関してはみんな素人なので、その旧家の方の指導で行ないました。と言っても肝心なところはすべてその方がやられていました。これだけの道具を家に持たれているのです。これは一部だそうです。ガスボンベだけはガス屋さんから借りてきました。


手前の大きな臼(うす)の重さは木製でありながら100kgを越えるそうです。代々、家に伝わっているもので正確な年代は判らないとのことでしたが江戸時代のものだそうです。ケヤキ(欅)の木の地中の部分で作られており固いことから、杵(きね)が当たっても全く欠けることはないそうです。向こうに見える臼は現代のものだそうです。


臼(うす)が2個に対して杵(きね)は5本が用意されていました。細い杵(きね)は子供用のようでした。右の臼は小さく見えますが、これでも結構な大きさの臼でした。
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もち米は味が美味しいと評判の銘柄であるツキミモチとのことでした。マンゲツモチという銘柄も有名だそうです。もち米の銘柄の一覧表 → ポチッ
前日の15時に旧家の方の家に集まって準備をしたそうです。その時は家内が行きました。緑の容器は、もち米を5kgづつ洗って水に浸しておいたもので、9つ用意されていました。1つが一臼なので9臼分が用意されていたわけです。
もち米は5kg×9=45kgがつかわれました。餅つきが近づくと緑の容器からザルに移して水を切りました。


9時15分ごろにガスコンロに火を付けました。かなりの火力です。


4つの釜の内、右の2つがもち米を蒸すためのものです。一つの釜で二臼分が蒸せるので臼が2つ用意されていたのです。その左の釜はお湯を沸かします。蒸す方の釜のお湯が減ってくると、ここからお湯を足します。一番左の釜はトン汁を作るものです。


蒸し器から湯気がではじめました。上の2段をもち米が入ったザルのところに持って行き、布を引いて、もち米を入れます。


ザルから蒸し器に、もち米を移しているところです。
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先ずは下の段を乗せました。


上の段も釜に乗せまました。これから30分程度蒸せるとのことでした。この時9時45分でした。


もち米の蒸し上がりが近づくと臼をお湯で洗らって温めておきます。


もち米が蒸しあがりました。指で蒸し具合を確認しています。指で押してつぶれるとOKとのことでした。この時10時16分でした。説明を受けたとおり約30分で蒸せたことになります。下の写真で蒸し具合を確認されている方が、右の写真の旧家の人(以降は長老と表現)です。長老は満80歳とのことですが信じられないくらいに元気な方でした。この方の指導があったからこそ、素人ばかりでも餅つき大会が出来たのです。いろんな地区や小学校の餅つき大会に道具を貸し出して、餅つきを指導されているともことで、11月と12月の毎土日曜日は、餅つき大会に出かけられているとのことでした。右の写真は軽く餅ついているように見えますが、我々がやるより力強く餅がつけていました。
クリックすると拡大長老の家は以前に紹介した先崎城の近くの大きな旧家であることから、少なくとも戦国時代から続く名家なのだと感じました。
あの江戸時代のと言われた臼も、もしかしたら何百年も使われ続けたものなのかもしれません。


蒸し上ったもち米を容器ごと臼のところに持ってきます。


布を持ち上げて、臼にもち米を移します。


臼にもち米を入れたところです。この時10時26分でした。


いきなりぺったんぺったんと、「つく」のではなく、先ずは「こねる」のです。これが餅つきの中で最も重要な作業であることを知りました。この段階で米粒を完全に「つぶす」ことが大切なのです。したがって2人がかりで粒が残らないように丁寧につぶすのです。最も疲れる作業でした。何度もひっくり返してつぶしていきます。


雰囲気が伝えるために、「こねる」作業の写真を6枚紹介いたします。一枚目の写真から切り取ったのが上の写真です。
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それでは大切な「こねる」作業の動画を紹介します。大きい方の臼の左側の人が長老です。是非ともプレーボタン( )をクリックして80歳の長老の「こね方」を参考にしてください。


米粒が無くなってきたところで「つき」はじめます。ここで「返し手」の人が、「つき手」の人の横に並ぶように立つことが事故防止のために重要だと長老に教えてもらいました。横に立っていれば頭を打たれることはないし、杵の動きや「つき」手の動きが横で見えるのです。足の動きでも「つく」気配が判るのです。右の写真(ネットから借用)のように前に立つと頭を杵で打つ可能性があります。絶対に前に立たないようにしてください。餅つき大会では素人の方が、ほとんどであることを忘れないでほしいのです。


餅つきの写真を6枚紹介いたします。これらの写真からも「つき手」と「返し手」の位置関係が徹底されているのが判ってもらえると思います。上の写真は一枚目の写真から切り取ったものです。
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餅つきの動画も掲載します。悪くはないと思いますが、「つき手」と「返し手」の人はもっと横に並んだ方が安全です。


滑らかな艶が出てくるまで「つき」ます。返し手の人は横に立つだけでなく、頭を絶対に臼の上に持って行かないのも大切なことです。私も餅つき担当ですから「つき」と「こねる」を2回づつやらせてもらいました。特に「こねる」は体力がいりました。


滑らかな「つや」と「こし」が出てきたらほぼ出来上がりです。この時10時32分でした。蒸された餅米を入れてから6分でつき上がりました。つき上がるまで10~15分と聞いていたので、かなり早いです。大きな臼でやりやすく、交代でついたので早かったようです。


ここで、子供たちの出番です。後ろで小さな子が羨ましそうに餅つきを見ています。


ちゃんと順番が回ってきました。ケガをしたお兄ちゃんはお母さんが手伝って、餅つきすることが出来ました。小さな弟さんもお母さんが手伝って、餅つきすることが出来ました。この写真のプリントは返し手の方経由でお渡しすることが出来ました。


女の子たちも大活躍でした。一枚目の写真が冒頭の写真です。
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2つに分けてボールで運びます。餅に粘りがある上に熱いので、これがなかなか出来ないのです。餅を絞るようにして細くして絞切るのです。


餅の入ったボールを皆が待つ体育館に持って行き作業開始です。、


今回は「きな粉餅」と「あべかわ餅」と「磯辺餅」と「辛み餅」と「草餅」を作りました。


一回で、つき上がる餅が多いので、これだけの人数で作っても大変な作業となりました。


さっそく、餅つき担当への差し入れが来ました。


ここから草餅(よもぎ餅)をつきあげるまでを紹介します。これが草餅に入れる冷凍のヨモギです。これで3臼の草餅を作りました。これをお湯で解凍して丸いヨモギ団子を9つ作りました。


このヨモギ団子を1臼に3個入れます。このあたりの作業もすべて長老が行いました。


杵でもち米をこねて米粒をつぶしてから、ヨモギ団子を入れます。


ここからは、普通についていきますが、白い餅より、返し手の人の作業が大変です。
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返し手の人のひっくり返す作業が多くなります。
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こんな感じで折りたたむ感じで混ぜていきます。
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かなりの重労働です。
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底にあたるぐらいの気持ちで、真中をつくのがコツです。
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ほぼ出来上がりました。
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白い餅の時のように2つのボールに分けます。ここだけは餅が粘り強いので意外と大変な作業がさいごに残っていました。結局、江戸時代の100kgの大きな臼で5回、現代の普通サイズの臼で4回ほど餅をつきました。餅を2種類の臼でついた結果、大きな臼が格段につきやすいことが判りました。現在では大きな臼は手に入らないでしょうね。
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餅つき大会では子供会の人たちがトン汁を作られていました。各自の家で下ごしらえをして煮てきた具を、お湯の入った釜に移して、味噌を入れて味を調整します。


トン汁用の釜のすぐ横にテーブルを置いてトン汁を作っていました。


体育館内ではいつでも「おふるのい」の準備が出来ていました。トン汁の出来上がりを待つだけでした。


トン汁が出来上がりました。容器に移し替えて体育館に持って行きます。トン汁、美味しかったです。


体育館の中には沢山の人が参加されていました。


体育館の椅子のほうは満席でシートの方にも座られていました。


ビンゴゲームが行われ、沢山の商品も用意されていました。
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9臼の餅をつき終えたら後片付けです。きれいに年代ものの臼も洗いました。


14時半には、ほかの後始末も終わりました。体育館の椅子やテーブルをしまって、借りた道具を返して餅つき大会は楽しく無事に終了いたしました。地域の餅つき大会は素人の人が多いことから、餅つき大会で一番大切なことが「事故防止」であることを、楽しく無事に終わったからこそ、あらためて感じることが出来ました。

日本の自転車野郎 [生活風景]


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クリックすると拡大最初、大人の自転車野郎と思いましたがよく見ると家族でサンクリングのようです。前の4人が子供さんで後の2人が両親のようです。全員ヘルメットがかっこいいですね。
楽しい日曜日になりますように。
午前6時20分の景色でした。さすが、お父さんは車の通らない安全な道を知っているんですね。
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タグ:自転車 佐倉

連休後半は田植えの最盛期 [生活風景]



千葉県の印旛沼は江戸時代から干拓が行われてきただけのことはあって印旛沼の周りには沢山の田んぼがあり、米どころです。4月30ごろは田植えの準備である代かき(しろかき)が各所で見られました。連休後半の5月5日の田んぼのあたりを散策すると、田植えの真っ最中でした。その光景の写真を紹介いたします。
軽トラックで苗を積んできて田植え機を使って田植えを行っていました。代かき(しろかき)は一人で作業を行っていましたが田植えは沢山の人が一緒に田んぼに出てきて作業をされていました。

田植機が発明される前までは足元の悪い水田の中での最も過酷な作業だったと思います。右の写真はネットから拝借した手で田植えしていたころの写真です。
田植機は明治時代から研究され始め、宮崎県の農民発明家、河野平五郎が1899年(明治31年)に田植機の特許第1号を取得した記録があるそうです。人力による田植機は1960年代に実用化が始まったそうです。動力式のものも1968年には開発されたそうです。1970年代から1990年代にかけて、田植機の技術革新と普及が急速に進み、1980年代後半には、今までの植付け方式であったクランク式からロータリー式が実用化され田植え時の作業能率(スピード)が格段に上がったそうです。これ以降、全農家の半数が田植機を所有し、ほとんどの田が田植機によって田植えされていると記載されていました。1998年にはヤンマーが歩行型田植機と同程度の廉価の乗用田植機Pe-1を発売し大ヒットし他社も急遽追随し急速に乗用型が普及したそうです。1990年代から赤外線やレーザー光線を使った無人機の開発が進められ 2005年にはGPSを活用した無人の田植機の開発が進められていることが発表されています。2007年には、世界初の自動植付け機能が搭載された田植機が 販売されたそうです。


少し散策しただけでいろんな田植え機が活躍していました。


こちらの田んぼでも田んぼの周りの草刈りや隅のあたりを整えたりで5人くらいの方が働かれていました。


複数の田植え機が望遠レンズに入ってくるほど沢山の田植え機が活躍していました。


若い女性の方も、つなぎの作業服を着て田植え機を運転されていました。


こちらは草刈りですが若い女性の、つなぎの作業服姿もかっこよく感じました。今回、驚いたのが若い女性の方が田んぼで作業をされていたことでした。少しずつ若い人が減ってきていると思い込んでいました。農業の世界でも時代のステップアップあるいはチェンジがあるのかもしれません。


沢山の稲の苗を軽トラックに積んでいました。すごい量です。ナンバープレートの番号は目隠しよりはこちらの方が雰囲気が出ると思い変えさせていただいております。


かなり田植えが進みましたが、まだトラックの上には沢山の苗がありました。


一年に一回だけですが田植え機は大活躍でした。


稲の苗を植え終わった田んぼです。


サンカノゴイ(山家五位)撮影隊 [生活風景]

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久しぶりに印旛沼のサイクリングロードを走りました。

突然にサイクリングロードで望遠カメラを持った方が沢山おられました。印旛沼の畔を約20kmほど走ったところですが、これだけのカメラが集まっていたのは、ここ一ヶ所だけでした。撮影対象を聞くと「サンカノゴイ」との答えが返ってきました。
皆さん、印旛沼の方にカメラを向けられています。
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少し停まって様子を見ていると印旛沼とはサイクリングロードを挟んで反対側の田んぼで「サンカノゴイ」」を見つけたそうで、すぐに田んぼ側へカメラや望遠鏡が向けられました。かなり遠くのようでシャッターを押す人はいませんでした。
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この画面の中にいるはずでが、とても識別は不可能です。


サンカノゴイがどんな鳥なのか気になったのでネットで検索いたしました。
クリックすると拡大絶滅危惧の貴重な鳥でした。
    名前   サンカノゴイ (山家五位)
    目     コウノトリ目 Ciconiiformes
    科     サギ科 Ardeidae
    属     サンカノゴイ属 Botaurus
    種     サンカノゴイ B. stellaris
    学名   Botaurus stellaris
    英名   Great Bittern
    その他  絶滅危惧ⅠB類(EN)
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                          鳥の写真はネットから拝借したものです。
場所はこちら


下記はネットでのサンカノゴイの説明です。
ユーラシア大陸中部、北アフリカ、南アフリカで繁殖し、冬期に北方の個体は、東南アジアやインド、アフリカに渡り越冬する。
日本では北海道と滋賀県(琵琶湖)、茨城県(霞ヶ浦)、千葉県(印旛沼)などで繁殖が確認されている。北海道では夏鳥で、他の繁殖地周辺では留鳥として生息するが個体数は少ない。このほか、本州以南の各地に、冬鳥として少数が渡来する。
全長は約70㎝、翼開長は125-135cmで、ずんぐりとした体形の大型のサギ類である。全身が黄褐色で、黒褐色の様々な形の斑が散在している。頭頂と顎線は黒褐色。体の下面は白みがかった黄褐色で、胸には暗褐色の縦斑がある。頸は短く見えるが、伸ばすと長い。足は黄緑色。雌雄同色である。




今は田植えの準備中 [生活風景]



一昨日の2012年4月30日は前日に届いたズーム望遠(EF100-400mm)を持って試し撮りを兼ねて朝の散歩に出てみました。今の時期は田んぼのあちらこちらで白鷺(シラサギ)を見かけました。いずれも手持ち撮影です。

これ以上は近づくことはできませんでした。400mmで撮っても、この写真が精いっぱいでした。上の写真はこの写真から切り取ったものです。カメラは2012年4月20日にプレゼントされたカメラなのでカメラも望遠レンズも試撮り中です。


近づくとすぐに逃げ出してしまいました。焦点距離を2倍にするExtender 2×Ⅲは私のレンズではオートフォーカス(AF)が出来ないことから練習にはまだ早いと思い家においてきました。


今は田植えの準備中で田んぼを整地するために沢山のトラクターが動いていました。驚いたことに白サギ達はトラクターが数mの横を通っても逃げないのです。危害を加えないことを知っているのだと思います。


今の田んぼに出かけるとトラクターとトラサギのベストショットが撮れるかもしれません。飛んでるトラサギとトラクターの写真を撮りたかったのですが、全く飛び立つ様子がありませんでした。それどころか好んでトラクターの近くに来ているようにも感じました。


白鷺だけでなくカラスまで来ていました。田んぼにカラスとは珍しい組み合わせです。トラクターで田んぼを整地している人は鳥など気にしている様子はありません。真剣に田んぼの様子を見ながら作業に専念されていました。


動画も掲載いたしました。手持ちのため手振れで見にくいこと、ご了承願います。


整地中の田んぼには他の野鳥たちも訪れていました。鳥たちは整地した場所には食べ物が沢山あることを知っているのだと思いました。


今の時期の田んぼは絵になる光景に出会えます。近くの田んぼに出かけられたらいかがでしょうか。kazuさんのコメントでこの作業のことを代かき(しろかき)と呼ぶことを知りました。その前に田を耕す作業のことを「田おこし」と呼ぶことも知りました。


整地をしたらすぐに田植えをするのではなく少し寝かしておくそうです。そうすると少し地面が固くなって田植えがやりやすいと偶然に、この散歩中に出会えたkazuさんに教えてもらいました。私もカメラをプレゼントされた経緯などを話することが出来ました。kazuさんの田んぼはまだ整地されていなくて、これから整地して5月5日ごろ田植えをされると話をされていました。この辺りでは田んぼは、きれいに一反ごとに区切られていました。整地自体は一反(300坪)の田んぼが10分で終わるそうです。トラクターの威力はすごいです。この辺りは下高野の辻切りを紹介させてもらった場所です。


田植えの準備をしているところが多い中で、すでに田植えをされているところもありました。

サイクリングロードが通行止め [生活風景]

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印旛沼のサイクリングロードの上に架かる市井橋を紹介したときに、その橋の近くのサイクリングロード脇で、1966年にナウマン象の化石が発見されたことを記載しました。今日(2010年6月12日)は、その発見場所の写真を撮りに自転車で出かけましたが、市井橋の少し手前でガケ崩れのために全面通行止めとなっていました。
今日はあきらめて引き返すつもりで記念の写真を撮りました。

そこで目に入ったのが自転車道迂回路の張り紙でした。橋を渡って上り坂があると書かれていました。この上り坂の部分の道は知らなかったので行ってみることにしました。
クリックすると別の迂回路を表示

これが上り坂と書かれていた道です。上りきったところで撮りました。この道は市井橋の上に行くときなどに使えそうです。ここから迂回路をそのまま行くのでは市井橋の上に出ることにしました。市井橋の上からガケ崩れの場所が見えるかもしれないと思ったからです。


市井橋の上から見てもガケ崩れの場所ははっきりしませんでしたが、一番可能性が高いと思えたのが山田橋の下です。ここには落石注意の看板が立っていました。


もう一つ可能性があるのは市井橋の下です。こちらにも落石注意の看板が立っているのが見えます。こちらの写真は山田橋の上から撮りました。ネットで調べた結果、がけ崩れがあったのは上の写真の山田橋の下のようです。→ポチッ
山田橋は大型トラックの交通量も多く、振動も結構あります。問題のないようにするには時間がかかるかもしれません。


残念ながらナウマン象の発掘場所には通行止めで反対側からもいけないので、発掘場所に行くのはあきらめました。


そこで双子公園にあるナウマン象の親子の写真を撮って帰ることにしました。途中で野生のウサギとイタチを見つけたのでカメラを出しましたが、残念ながらカメラを取り出せる前に草むらに入ってしまいました。印旛沼のあたりでウサギを見たのは初めてでした。


帰る途中にある飯野竜神橋(Iino Ryujin Bridge)の竜が水を吐くところを見ることが出来ました。
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