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内モンゴルの馬 [内蒙古]

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クリックすると拡大前記事で内モンゴルの大草原の景色を紹介しました。その草原の広さに驚きますが、それ以上に空の広さに感動いたしました。 上の写真は呼和浩特近くの内モンゴルの大草原の馬とパオのある景色です。右の写真のように別の方向はきれいな青空と白い雲が広がっていました。右の写真の中の馬の部分を拡大したのが下の横長の写真です。クリックするとさらに拡大いたします。
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冒頭の写真の馬たちだけを拡大いたしました。
写真をクリックすると右側の隠れた部分も表示しまい。
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上の写真は放牧されている馬たちですが、パオの近くにも馬たちがつながれていました。コツらは住民の足なのだと思います。
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沢山の馬たちがいました。
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白い馬が印象的でした。
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確証はありませんが、こちらは観光客の人を乗せて草原を歩く馬たちではないかと感じました。


パオがあれば馬がいました。大切な移動手段なのでしょうね。
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上の写真のパオの村の航空写真です。


パオとバイクは不釣り合いのような気がしますが、バイクも大切な移動の手段になっているようです。
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タグ: 大草原

内モンゴルの大草原  呼和浩特 [内蒙古]

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内モンゴルの大草原に行った時の写真です。
馬や遊牧民の住居の パオ が点在しています。ここは本当に広さを感じます。この写真だけは是非クリックしてみてください。馬たちも雰囲気を盛り上げてくれるはずです。

特に下の写真は「地面の上雲の影が散らばっている」感覚は実際に来て味わってほしいですね。地面の黒いところが雲の影です。
大草原の、この場所は紅格爾敖包というところのようです。
海抜1065 m呼和浩特(フフホト)からさらに1000m上った広大な大地がこの場所なのです。
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標高2500mを感じさせない平原でした。地平線の向こう側から車でやってきました。
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クリックすると拡大真直ぐの道でした
呼和浩特を朝早く出発した上に、緑の草原になる前の季節だったので観光客の人は少なかったです。
右の写真はネットから拝借しましたが、観光シーズンには、この門のようなところで、踊りなども披露されているようでした。
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クリックすると拡大石を積みあげられたものを「敖包」と言うようです。つまりこれが「紅格爾敖包」と呼ぶものかもしれません。PM2.5は無縁の世界でした。
敖包の前に仔羊がいたので記念撮影をさせてもらいました。飾られている青と白の布は大草原の空の色と同じでした。
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パオが並んでいるあたりにも歩いて行ってみました。
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村の人とも話をいたしました。家の中も見せてもらいました。驚いたことに携帯がつながりました。


地面に映った雲の影が広さを感じさせてくれました。
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ゆったりとした丘にも登ってみました。
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呼和浩特から大草原に登って行く時の景色です。山の上が平らな大草原となって北に広がっているのです。
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これが登って行く道でした。


ひたすら登るだけなので途中で乗っている車がオーバーヒートしました。幸いにもエンジンが冷えたら走ることが゛来ました。
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大草原から呼和浩特に戻ってきて夕食にいたしました。街が見渡せる丘の上のレストラン(右下の写真)で歌手の人が歌ってくれたときの写真です。歌い終わると男性が持っている酒を3杯飲ませれる習慣で、きっちり飲まされました。
クリックすると拡大酒の種類は白酒(パイチュウ)ですが、ここに来たら馬乳酒を飲みたいですね。
なんと、馬乳酒=カルピスハイ でした!!
やっぱり、ここに来たら羊の肉ですね。
ここは日本人に似た人の比率も多い気がします。
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航空写真で場所を紹介します。紅格爾敖包はいろんな場所にあるので特定の地名ではないようです。今回行った紅格爾敖包が赤色マーク( )のところです。呼和浩特の町中( )から紅格爾敖包( )までの車での走行距離は88kmです。
   紅格爾敖包 大草原
   食事をしたレストラン
   呼和浩特


石の積まれた紅格爾敖包を拡大いたしました。プラスのアイコンをクリックすると拡大します。マイナスのアイコンを数回クリックすると広範囲を表示します。

ジンギス・カンの墓 [内蒙古]

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今年の高校野球の吹奏楽部の演奏は宇宙戦艦ヤマトが多かったです。以前ですが不思議な軽快な音楽が流れていました。聞き覚えがあるのですが、なかなか思い出すことが出来ませんでした。フレーズから、やっと思い出せました。ジンギスカンの歌でした。そこで、ジンギスカンの墓の写真を、紹介いたします。内モンゴルに行ったときに行く機会がありましたが、おそらく日本人でこの場所に行かれた方は少ないと思います。

ジンギスカンの墓の建物の中央部分を拡大してみました。
チンギス・カン(1162年頃? ~1227年8月18日)は、モンゴル帝国の初代皇帝(大ハーン)で在位は1206年~1227年です。大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服して、人類史上最強と語られる世界帝国、『モンゴル帝国』を築き上げた人で、いろいろと謎につつまれています。
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大きな建物なので、少し斜めから建物を撮りました。
紹介の墓は記念として1956年に作られました。チンギスカン陵(成吉思汗陵)と呼ばれており観光目的が大きいと思いますが、地元の人たちのよりどころになっているのも確かでした。地図で見ると場所はオルドスの高原の中南部で内モンゴル最大の町の包頭(パオトウ)から南に175kmの位置にありました。辺鄙な場所の上、新しい物なのに訪問者が多かったのが不思議でした。調べてみると中国の重要文化保護財に指定されていました。陵墓は敷地面積が5平方キロあるそうで、雄壮な感じがありました。
本当の成吉思汗(ジンギスカン 右の写真)のお墓は見つかっていません。チンギス・カンの死後、その遺骸はモンゴル高原の故郷へと帰ったそうです。『元史』などの記述から、チンギスと歴代のハーンたちの埋葬地はある地域にまとまって営まれたと見られていますが、その位置は重要機密とされ、『東方見聞録』によればチンギスの遺体を運ぶ隊列を見た者は秘密保持のために全て殺されたといわれています。また、埋葬された後はその痕跡を消すために一千頭の馬を走らせ、一帯の地面を完全に踏み固めさせたとされています。チンギスは死の間際、自分の死が世間に知られれば敵国が攻めてくる恐れがあると考え、自分の死を決して公表しないように家臣達へ遺言したとされたそうです。右下のチンギスカン肖像画はWikimediaから拝借いたしました。
クリックすると拡大建物はパオ式建築物が三つ連なり、正殿、寝殿、東殿、西殿などに分かれています。モンゴル族にとっては聖地で年に4回祭りが行われるそうです。特に3月21日は、伝統の祭祀日とされ、盛大な弔いの儀式が行われるそうです。成吉思汗の呼び方も微妙に沢山あります。
 ジンギス・カン ジンギスカン 
 チンギス・カン
 チンギス・ハーン
 Cenghis Khan 
 Čingγis Qan
 Чингис Хаан
 成吉思汗  
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こちらの人にとっては聖地ですね。建物の中では伝統的な儀式が行われていました。聞いてみると観光のためではなくて親戚が集まった記念の式だそうです。真中に積み上げられているのは羊の肉です。
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座った角度からの写真です。これらの設備が建物の中にあるのがすごいです。


建物の中ですが大事なものは四角いパオのような建物に入っていました。博物館も兼ねているようです。


謎のものが一つ! 入口からこのお墓までの道の両側にどう見ても日本の形の真新しい灯篭が並べられているのです。
ガイドの人も使われた経緯やこれが日本の形の灯篭であるとは知りませんでした。
日本向けに作られているものを、ここの建設担当者が見てこれが良いと思ったのではないでしょうか。
明らかに階段は新しいです。
       
このような旗を見るとジンギスカンの聖地と感じられてきます。
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男性が帽子をかぶっているのが印象的でした。


ジンギスカンの墓の脇には、いわくありげな塚もありました。この塚はオボーと呼ばれるようです。オボー(овоо)はモンゴルで建てられる、一種のケルン(標柱)だそうです。モンゴルの平原や平原にある小高い丘、あるいは山頂や峠のような高所に建てられることが多いそうです。オボーはおもにチベット仏教の祭礼が行われる場所であるとともに、山岳信仰、テングリといった宗教的意味を示す役割もを持つそうです。


航空写真をやっと見つけました。4kmの一直線の道が印象的です。
地図内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。
地図には成吉思汗陵と書かれており住所は内蒙古自治区鄂尔多斯市伊金霍洛旗布拉格路とありました。近くに大伊金霍洛遺址と書かれた場所がありました。そこの住所は内蒙古自治区鄂尔多斯市伊金霍洛旗でした。
一直線に4km延びる道の左上が成吉思汗陵で左下が大伊金霍洛遺址です。遺跡に対して何らかの関係で作られたものと思われます。大伊金霍洛遺址の伊金霍洛(エジンホロ)はモンゴル語で「君主の聖地」を意味するそうです。

ジンギスカンの墓(成吉思汗陵)から大伊金霍洛遺址の方向を見た景色です。クリックすると道が真っ直ぐに4km伸びていることを感じてもらえると思います。
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真っ直ぐに延びた道から反対にジンギスカンの墓(成吉思汗陵)の方向の写真です。ただし500m離れた場所に建つ東門の内側なので墓までは300~400mの距離だと思います。
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それではネットから拝借したジンギス・カンの歌を紹介いたします。是非とも、プレーボタンを押して歌を聴いてみてください。


原文はドイツ語ですが歌詞を日本語に訳したサイトがありました。 その中のジンギスカンの歌詞の日本語訳を紹介いたします。
SMAPの日本語の歌はこちらです。→ホチッ
1000人もの男たちが草原の風をめぐって賭けをした。 そのとき、ある男が馬で前を走りぬけ、皆盲目のように それについていった。それがジンギスカンだった。 馬のひづめが砂を叩き付け、あらゆる国々に不安と恐れをもたらした。 稲妻も雷も彼らを引き止めることはできなかった。
ジン、ジン、ジンギスカン 騎手よ、皆の衆よ、騎手よ、どんどん行け ジン、ジン、ジンギスカン、さあ同士よ、さあ飲め、喧嘩せい、どんどん。
ヴォッカを取ってこい、ホホホホー だっておいらはモンゴル人だ ハハハハー 悪魔だってへっちゃらさ
ジン、ジン、ジンギスカン、男達よ、男達よ いつものように踊れよ、そして彼の笑い声が聞こえる。 ホホホホー ますます大きな声で笑う ハハハハー そして彼は壷を一気に飲み干す。
そしてなんでも気に入ったものは 自分のテントに持って入った。 世界で彼を愛さない女はいなかった。 一夜で7人の子供をもうけた。 そして彼の敵については笑うだけだった。 なぜなら彼の権力に立ち向かう人はいなかったから。
ジン、ジン、ジンギスカン 騎手よ、人々よ、騎手よ、どんどん行け ジン、ジン、ジンギスカン、さあ同士よ、さあ飲め、喧嘩せい、どんどん。 ヴォッカを取ってこい、ホホホホー だっておいらはモンゴル人だ ハハハハー 悪魔だってへっちゃらさ ジン、ジン、ジンギスカン、男達よ、男達よ いつものように踊れよ、そして彼の笑い声が聞こえる。 ホホホホー ますます大声で笑う ハハハハー そして彼は壷を一気に飲み干す。

内モンゴルの代表的な都市の一つである包頭市(包头市)からジンギス・カンの墓への道を青色ラインで紹介します。
空色マークが包頭市で緑色マークがジンギス・カンの墓です。黄色マークはすでに紹介したラマ教の聖地である五當召(五当召)です。

より大きな地図で ジンギス・カンの墓 を表示

ラマ教の聖地「五當召(五当召)」 [内蒙古]


2013年10月13日追伸 タイトル:包頭から五當召への道

より大きな地図で 五當召 を表示
以前に行ったカザフスタンで首都アスタナからカラガンダまでの道の通貨時間を写真で特定したことを報告させていただきました。その作業をしていて、昔、内モンゴルのラマ教の聖地に行ったときに、その場所をGoogle地図で苦労して探し出したことを思い出しました。現在は道のルートを表示する機能があるので道のルートを試しに表示させてみました。その結果が上の航空写真の赤色のラインです。あの時は道が崩れて川底を走ってラマ教の聖地に着いたことを思い出しました。黄色のマークが目的地の五當召(五当召)の場所です。緑のラインが川底を走った思われる部分です。
さすがに山奥なので地図の道路と航空写真の道が、ずれているところがありますが、おおよそのルートが表示できました。

包頭(パオトウ)を出て最初のころは舗装道路でしたが、やはり辺境の地に向かう雰囲気がありました。途中からは無舗装の道になり河原も走りました。


生活の匂いもありました。それも最初だけでした。


人家も少なくなってきて奥地に来た雰囲気が出てきました。この辺りから道が崩れてなくなったために川底を車で走りました。したがって上の地図で表示されている道とは少し違います。川底は大きな石が多いので四輪駆動の車の力を実感できました。


ときどき見かけた家も石造りの独特なものになってきました。下で紹介しているラマ教のお寺と形が似ていることを写真を見て気が付きました。


木の少ない地域に入ってきました。


このような石造りの住居もありました。移動式テント住居であるパオの形に似た住居です。ヨーロッパにはこれと似た建物で町が形成されて世界遺産になったところがありました。こちらではすべてがこの建物ではなく上の四角い石造りの建物の中に点在している感じでした。
ここからは25分くらいで目的地のラマ教の聖地である五當召(五当召)に着くことが出来ました。


世界地図で場所を紹介いたします。



2010年8月17日掲載 タイトル:ラマ教の聖地「五當召(五当召)」
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

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ラマ教の五當召(五当召)に行ってみました。ラマ教には黄帽派と紅帽派があるそうです。チベットで有名なお寺は黄帽派で、今回のお寺は紅帽派だそうです。そして紅帽派の中では2番目に大きなお寺だそうです。建てられたのは1756年なので254年前になります。

正規の道が土砂崩れなどで工事中のため写真のような水のない川底を走っていきました。すると突然羊の群れが行く手を阻むのです。羊が横断仕切ってしまうまでは進めません。羊優先の世界でした。
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町から70kmと距離はそんなに遠くはないけれど、秘境でした。出発した町自体の海抜が1060mでそこから登り続けるのでそこそこの海抜の場所だと思います。
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五當召は山の裾野に建っていました。
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これが、沢山の建物の中で一番上の建物です。
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お寺群の中の通路です。
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  偶には記念撮影→クリックすると景色を拡大 クリックすると拡大
向こうの方から登ってきました。
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入口の飾りです。雰囲気があります。


室内です。お寺の壁の絵は独特です。


大広間です。この部屋に入ったときは目が慣れるまで暗闇でした。照明があったので何とか撮れました。距離が遠いのでフラッシュも効きません。


いくつも建物がありますが内装を新しくしているところもありました。ここは学校のような感じです。


回転経のようです。


博物館もあり掛け軸も沢山展示されていました。その中の2枚の掛け軸を紹介します。クリックするとそれぞれ拡大します。
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仏像に銀のの器にホルンのような笛も展示されていました。


場所がよく判らなかったので衛星写真を拝借いたしました。内モンゴル最大の都市の包頭から北東70kmを目標に探してみました。
クリックすると拡大.jpg

上の写真の黄色い枠を拡大したのが下記の地図です。
この写真の中央に五當召があります。
写真をクリックすると五當召が出てきます。衛星写真の威力はすごい! 場所がわかりました。
写真をクリックすると五當召が出てきます。 


本場 内モンゴルの しゃぶしゃぶ [内蒙古]


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日本でも羊のシヤブシャブが知られるようになってきました。その羊のしゃぶしゃぶの最大手なのが日本でも8店舗を展開している小肥羊(内蒙古小肥羊餐飲連鎖有限公司)です。単一業態での売上規模は中国最大で外食産業としても中国大陸ではマクドナルドを抜き、ケンタッキー・フライドチキンを経営する中国百勝餐飲集団に次ぐ第2のチェーン企業であり、店舗数は中国国内で700店以上にのぼります。香港、アメリカ、カナダなど世界各国でもチェーン店を展開をしています。
日本の渋谷に小肥羊が上陸したのが丁度5年前(2006年)の9月28日でした。
その小肥羊(しゃお ふぇい やん)は1999年に内コンゴルの包頭(パオトウ)に一号店を出したのが始まりでした。その発祥の地である包頭でシャブシャブを食べる機会を得ました。もちろん小肥羊で食べました。

お店のビルの柱には「小肥羊総店」の看板がかかげられていました。
総店(总店)は日本語では本店の意味です。なんと本店で食事したのかもしれません。本店でなくても発祥の地である包頭(パオトウ)の中でも代表的な、お店だったのだと思います。
日本にある小肥羊ジャパンのHPはこちら→http://www.hinabe.net/

日本での鍋の食べ方と違っていたので内モンゴルでの羊のシャブシャブの正式な食べ方を紹介します。前菜の一部を除いて出てきたものは全て紹介します。写真の順番は食べる順番です。この順番が内モンゴル流なのです。羊のシャブシャブのフルコースとお考え下さい。

これが前菜です。前菜はこれ以外にも沢山出てきましたがそれは省略! でもここでも、モロキュウが出てきました。真ん中に日本製の電磁調理器が埋め込まれています。
したがってガラスの回転テーブルはドーナツ状です。


これが鍋です。羊の肉のだしにナツメ、生姜、ニンニク、ネギなどが入っていました。食べるときはこのスープを器に入れて漬け汁にもします。好みで辛いオイルを少したらします。


最初は肉だけ食べます。これが日本の食べ方と違うところです。場所は羊の本場である内モンゴルです。肉はこれ以上新鮮なものはありません。羊肉の美味しさは新鮮さです。


いろんな部位が出てきました。


肉は追加追加で、ものすごい量が出てきます。一人当たり大皿2皿は食べたと思います。日本だとすごい値段になってしまいます。


肉が食べ終わるとキノコです。肉を食べ終わってから別の軽い食材を食べるのが内モンゴモ流でした。肉を満足するほど食べてもらう考え方なのではないでしょうか。


その次が豆腐です。


そしてジャガイモも出てきました。


これはカモの血と言っていました。これだけは味見程度だけ食べました。


干し椎茸と餅と人参です。


ここからの野菜攻勢がすごかったです。左の方が春菊です。右の方は名前は判りませんがクセのない野菜です。


肉でお腹がいっぱいになった後に野菜です。これはセリの種類だと思います。


木耳と細長いモチも入っています。


野菜も出てきた順番に写真を掲載させてもらいました。チンゲンサイにレタスです。


最後はうどんのようなものを入れてしめとなります。


おまけにホットケーキのようなトウモロコシの饅頭も出されました。


クリックすると拡大近代的なお店がみんなに受けて、数年で大きなチェーン店に発展したそうです。我々、日本人は右の写真のラマ教の聖地「五當召」に行って12時に戻ってきて食事の予定でしたが、こちらのお店は、すごい人気なので、中国の知り合いの人が場所取りのために10時から来てくれていました。


小肥羊総店お店の場所を紹介いたします。プラスのアイコンを12回クリックすると場所がわかってくると思います。
 店名:小肥羊总店(小肥羊本店)
 住所:内蒙古自治区包头市昆都仑区乌兰道9号
     小肥羊大厦(小肥羊ビルディング)
 電話:+86 472 513 7998
 地図:http://goo.gl/maps/mlKlU

赤色の部分が内モンゴル自治区(内蒙古自治区)で、その中の黄色の点が包頭(包头)の位置です。
包頭の中で小肥羊を検索すると今回の本店も含めて9店舗ありました。

内モンゴルと言えば標高1500mの大草原を思い出します。→ポチッ

内モンゴルで「ゆう麺(莜面)」を食べる [内蒙古]

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山西省の太原のうどんのルーツのような美味しい麺を紹介したので、クリックすると拡大内モンゴルで美味しいと思った有名な蕎麦に似た麺を紹介いたします。
上の写真は莜面(ゆうめん)というそうです。地元の人に紹介してもらい行きました。原料は麦の種類で莜麦です。莜麦は日本語の検索サイトでは出てきませんが中国語のサイトでは沢山出てきます。右の写真が莜麦です。

莜麦は内モンゴルに生育するオートミール(燕麦 / エンバク 右下の写真)の一種だそうです。日本語だとハダカエンバクになるそうです。飢饉や寒さにも強い品種で、クリックすると野生種の図を表示約2500年も前から栽培されているという原始的な穀物だそうです。麺にすると色合いから、見た目は日本の蕎麦そっくりで味も似ています。冷水で冷して、日本の蕎麦汁で食べると日本蕎麦のセイロの味だと思います。試してみたいです。
右の写真はWikipediaから拝借いたエンバクでクリックすると野生種の図を表示します。
日本で麺と言えば上のタイプの細い蕎麦のような麺ですが、ここではいろんなタイプの麺がありました。日本人だから細い麺を沢山注文しましたが地元の人のテーブルでは、他の麺の方が多かった気がします。昔からのなごりではないでしょうか。
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手打ちしたものを蒸篭(セイロ)で蒸して出てきたものを下の暖かいスープに付けて食べます。このスープは羊肉から取ったものでなかなかの味でした。
麺はいろんな形がありますが、やはり細い麺にしたものが一番美味しかったですね。他のものはソバガキのような食感です。その蒸篭(セイロ)のまま出てきます。日本蕎麦のセイロと語源的にどんな関係なのだろうと感じました。


この前菜の真ん中に次から次ぎへと出してくれました。
蒸してあるので麺と麺がくっついてしまっているのが難点! ただしスープに浸けてしまえばばらばらになるので食べるときは問題なしです。力いっぱい蒸篭から引っ剥がしてスープに浸けるのです。
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追加して別のタイプの莜面(ユウ麺)も出してもらいました。それが下の写真です。
クリックすると拡大右の写真は中国語サイトで見つけた莜面の写真です。我々が食べた莜面とそっくりでした。
下の写真の右側の麺は、もともとは見た目が蜂の巣(蜂)に似ているので、「莜面窩窩」と呼ばれていましたが、それが後に「栲栳」に似ているとされて、「莜面栲栳栳」という名前がついたそうです。こちらのお店では「莜面窝窝」の名前がつかわれていました。莜面で検索すると圧倒的に右の莜面栳栳のタイプの画像が多いのに驚きました。莜面窝窝は山西省でも食べられているようです。写真の中の右側の莜面窩窩または莜面栲栳栳が下のおばさんが作ってくれている麺です。
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おばさんがガラス越しに打ってくれています。打ち手は5人くらいで、次から次へと作っていました。この写真は蜂の巣(蜂窩)に似た「莜面窩窩」を作っているところです。


お店の名前はずばり「莜面大王」! 判りやすいです。 この町一のお店のようです。内モンゴルでは別のレストランでも前菜として莜面が出てきます。IMG_4908-50.jpgいずれも冷たい麺でした。パオでの食事の前菜や羊のしゃぶしゃぶの時の前菜でも出てきました。お店は内モンゴル自治区(内蒙古自治区)の包頭市にありました。右の図は内モンゴルと包頭市(パオトウ・シ)の場所を示しています。
 店名 莜面大王
 住所 包头市昆都仑区白云鄂博路
 地図 http://goo.gl/maps/0DcJJ
 電話 0472-2510665
 営業 11:00-14:00 17:00-21:00

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