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神話の戦いの大舞台 戦場ヶ原 [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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中禅寺湖から北に行くと戦場ヶ原が広がっています。戦場ヶ原の標高は1394mで中禅寺湖より更に120m高い場所にあります。この日は夕刻に行ったために西に広がる原野は逆光できれいに撮るのは難しく、上の写真の通りですが、戦場ヶ原の広さは実感してもらえると思います。一番広く見える方向にカメラを向けると太陽が真正面の状況でした。上の写真より、もう少しカメラを左に廻すと太陽の光がカメラに入ってくるくらいぎりぎりで撮りました。

逆に男体山(なんたいさん)は戦場ヶ原から東側にあるので、きれいに見えました。戦場ヶ原(せんじょうがはら)は日光国立公園内にある湿原で、湯川(湯滝の下流)が男体山の噴火で堰き止められた堰止湖であったのが、堆積によって湿原化したものだそうです。
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木のシルエットと男体山がマッチしていました。戦国時代に、この高い高原で戦いが行われたと到底思えないので戦場ヶ原の名前が気になっていました。調べてみると神話の世界の戦いでした。
戦場ヶ原の名前はアカギの神(赤城山 1827.6m)とニッコウの神(二荒山:男体山 2,486m)がそれぞれ大ムカデ(赤城山)と大蛇(男体山)に化けて戦った戦場であるという神話伝説に基づくものだそうです。スケールの大きな戦いにふさわしい広さが戦場ヶ原にはありました。ちなみに、この伝説で勝ったのはニッコウの神(男体山)だそうです。
男体山(なんたいさん)は標高2,486mの山で、古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮があります。
男体山噴火により中禅寺湖、戦場ヶ原、小田代原、華厳滝、竜頭滝が出来たことは有名です。
男体山という山名を調べると、東北側の山続きの女峰山(2483m)との対で付けられたものと考えられています。男体山と女峰山は、間に大真名子山(2375m)、小真名子山(2323m)という二つの「愛子(まなご)」を抱え、また男体山の北西側には太郎山(2367m)を擁し、火山一家を成しているところが特徴的だそうです。
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遊歩道を歩くのもいいですね。今回は枯れ草の状態でしたが初夏はすばらしい湿原の景色になるそうです。戦場ケ原を湯川と国道120号線が縦断しています。湯川沿いはカラマツ、ミズナラ、ハルニレ、シラカンバ、ズミなどの樹木が生い茂る。高山植物の宝庫で、野生の鹿や兎が棲息しているそうです。2005年に湯ノ湖、湯川、小田代原と共に「奥日光の湿原」としてラムサール条約湿地に登録されました。
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落葉した木も美しいものです。高山植物の花を楽しめるのは、だいたい6~8月だそうです。クロミノウグイスカグラから始まって、ワタスゲ、ズミ、レ ンゲツツジ、イブキトラノオ、カラマツソウ、ノハナショウブ、ホザキシモツケと続くそうです。この時期に是非、行ってみたいと思っています。
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完全に葉は落ちて細かい枝が規則正しく並んでいることがわかります。
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この山は男体山ではなくて隣の太郎山(標高 2367m)です。これもきれいな景色だと思います。
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上の写真は全て三本松茶屋の近くを歩いて撮りました。
この日は東京をバスで出発して華厳の滝を見た後に来ました。この後、宿泊する中禅寺湖の湖畔のホテルに泊まりました。三本松茶屋の現在の天気や気温をライブで表示しているサイトがありました。 → ポチッ
ライブと言っても1時間くらい前なので、そのつもりで見てください。 ライブの観測地点です。
  三本松茶屋
    住所 栃木県日光市戦場ヶ原三本松
    電話 0288-55-0287 FAX 0288-55-0525
    営業 A.M7:00 ~ P.M7:00
    北緯 36度46分  東経 139度27分
    高度 1394m
    URL  http://www.sanbonmatsu.com/
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上のポチッをクリックして出てくる画面と類似の構図の写真を撮っていたので掲載いたします。比べてみてください。ライブ(2008年11月22日)を見るとすでに雪らしきものが写っています。一週間前(下の写真)は雪の気配もありませんでした。一週間で大きく変わりますね。
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戦場ヶ原の呼び方以外に戦場ガ原と戦場ケ原があります。どれが一番一般的かYahoo検索で数を比べてみました。どうやら戦場ヶ原が最も使われているようです。
  戦場ヶ原 約2,280,000件
  戦場ガ原  約125,000件
  戦場ケ原   約83,100件

戦場ケ原の名前の由来に関する詳しい説明 があったので枠内に転記いる形で紹介 します。
神戦伝説「戦場ヶ原神戦譚」と呼ばれる伝説からきています。
事の起こりは中禅寺湖だった。これがどこの領土に属するか、下野(栃木県)の二荒山(いまの男体山)の神と、上野(群馬県)の赤城山の神の間で争いが起こった。そこで両神による神戦で雌雄を決することになったが、どうも二荒山の旗色がよくない。二荒山が鹿島大明神に相談すると、奥州にいる小野の猿丸という弓矢の名人を教えてくれた。猿丸は、二荒山の神の孫にあたった。
二荒山の神は見事な白鹿に化身して奥州の阿津加志山に現れ、この鹿を追う猿丸を二荒山まで誘い出した。事情を知って助勢を承知した猿丸は、戦地となっている戦場ガ原に赴いた。なるほど、赤城山の化身ムカデの大群と、二荒山の化身ヘビの大群が、刺したりかんだり、絡み合って戦っていた。
ムカデ軍に目をこらすと、2本の角を持つ大ムカデが戦の指揮をとっていた。これぞ敵の大将とばかり、猿丸はその左の目を狙って矢を放つと、見事に的中。敵は見る間に撤退を始め、二荒山の勝利に終わった。この戦いがあったところが、戦場ヶ原。大百足の流した血がたまったのが、赤沼。勝負が付いたのが菖蒲ヶ浜。勝利を祝ったのが歌ヶ浜と呼ばれるようになったと言われています。

笹の輪くぐり [日光]

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今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
世界遺産に登録された日光の社寺の一つである二荒山神社の門をくぐったところに大きな輪が置かれていました。

説明書きには「笹の輪くぐり」とありました。そこには「正面に向かってくぐり左に回り、次にくぐって右に回り、次に正面真中をくぐる」と書かれていました。
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願いごとが書かれた紙が沢山結ばれていました。これは「結び札」と言うそうです。「古より当社境内にある縁結の笹に因みあらゆる良縁を願う」とありました。写真をクリックして出てきた拡大写真の右端に「笹の輪くぐり」のくぐり方が書かれています。
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二荒山神社の本殿や拝殿です。☆けめさんのコメントのおかげで「笹の輪くぐり」の由来がわかった気がします。
二荒山神社の「笹の輪くぐり」はどうやら全国で沢山残っている神事「茅の輪くぐり(ちのわくぐり)」に由来しそうです。二荒山神社にはもともと『縁結び笹』があり、これに願いを込めると男女の縁はもとより、あらゆる良い縁に恵まれると言われていることに因んで2004年に『笹の輪』をつくったそうです。新しい風習ですが、茅(かや)を使った「茅の輪くぐり」とは、また違う雰囲気がありました。
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東照宮側(東)参道に建つ楼門の額には「正一位勲一等 日光大権現」と書かれています。二荒山神社の本殿が遠くに見えます。
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タグ:神社 日光 大祓

奥宮(奥社) 徳川家康の墓 [日光]


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こちらが日光東照宮の徳川家康が埋葬されているの墓の上に建てられた宝塔です。拝殿なども含めて奥宮あるいは奥社と呼ばれており日光東照宮の中でも標高の最も高い位置になります。徳川家康は元和2年(1616年)に駿府で75歳(数え年 満73歳)で亡くなり、家康の遺言により、始めは駿府の南東の久能山(久能山東照宮)に葬られ、一周忌を経て元和3年に江戸城の真北に在る日光の東照社に改葬されました。それが現在の日光東照宮なのです。久能山東照宮は今も徳川氏祖廟として尊ばれています。
 徳川家康
  生誕 天文11年12月26日(1543年1月31日) 470年前
  死没 元和 2年 4月17日(1616年6月 1日) 397年前 満73歳(数え75歳)
  改名 竹千代(幼名)→松平元信→松平元康→松平家康→徳川家康
     1543年~   1555年・元服~   1563年~ 1567年~
  神号 東照大権現
  戒名 安国院殿徳蓮社崇譽道和大居士
クリックすると拡大徳川家康は死後の処置に関して下の遺命(遺言)を残しました。勧請とは神仏の分霊を他の地にも祭ることです。
右の狩野探幽により描かれた家康の肖像画はWikipediaから転用させていただきました。
   1.遺体は駿河の久能山に葬ること
   2.葬式は江戸の増上寺で行うこと
   3.位牌は三河の大樹寺に立てること
   4.一周忌後に下野の日光山に小堂を建て勧請すること

こちらが陽明門( )から奥宮( )までの参道( )です。
  陽明門 →  眠り猫 →  坂下門 →  奥宮拝殿
眠り猫から奥宮まで順番に紹介します。

より大きな地図で 日光東照宮 奥宮石段 を表示
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奥宮への入口にあたる東回廊にある入口で、この入口の上に「眠り猫」の彫刻があることで有名な場所です。入口の奥に坂下門があるのが判ってもらえると思います。ここから奥宮への石段を登り始めます。
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こちらが坂下門です。右側の立て看板には「坂下門 この門を潜り石段を約二百段登ると家康公の御墓所奥宮がある。」と書かれていました。
正確な石段の数知りたいところです。坂下門からの石段の段数として一番多い表現が「約200段」で、次に多い表現が「207段」でした。眠り猫の位置と坂下門の間にも数段の石段があります。江戸時代には、坂下門は将軍しか入れなかった「開かずの門でした。奥宮が一般に公開されたのは1965年からだそうです。
全体的には清楚な感じですが柱や天井の金具は七宝焼の上、軒下の欄間には鶴などの彫刻がありました。
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石段の上から見た坂下門です。


坂下門から少し進むと長い行列になっていました。待たされながら一歩一歩進むので奥宮に着くまでかなりの時間を要しました。撮った写真の時間で確認すると坂下門を潜ったから拝殿に着くまで16分を要しました。200段を普通に歩けば3分弱だと思うので待たされながら進んだことが判ってもらえると思います。もし自分で石段の数を数えるとすれば、待たされない下りで数える方が楽だと思います。
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石柵は石をくり貫いて作ったものだそうです。


石段は結構な幅がありますが一段毎に一枚石を用いられています。やっと奥宮の鳥居が見えてきました。
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鳥居近くから見た石段です。


鳥居には徳川家康の神号「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」が書かれていました。鳥居は最初は石製でしたが1683年の大地震で破損して唐銅鳥居にかえられたそうです。
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鳥居の横には1654年創建の御宝蔵がありました。案内板によると、御宝蔵には朝廷から家康公並びに東照宮におくられた官符宣命等の文書を収められていたそうです。


御宝蔵の屋根の部分は青銅で包んである感じでした。
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御宝蔵の脇から、やっと奥宮の拝殿が見えてきました。
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拝殿に昇る最後の階段の両脇には狛犬が置かれていました。2体の狛犬は松平右門大夫正綱と秋元但馬守泰朝の二人から寄進されたもので二人は徳川家康の遺臣であり、寛永年間の奥宮造営の功により特に奉納を許されたそうです。こちらが右側の狛犬です。
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こちらが左側の狛犬です。頭の真中に角がある狛犬でした。
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最後の石段です。拝殿が目の前でした。
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やっと長い行列が出来ている理由が判りました。一人一人が拝殿に参拝されていたのでした。
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拝殿正面です。神社の参拝作法が書かれていました。二礼・二拍手・一礼です。


拝殿の全景です。
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拝殿の飾りです。
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こちらが鋳抜門(いぬきもん)と宝塔です。石造りの玉垣の中心に放蕩があります。
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見事な鋳抜門を拡大いたしました。鋳抜門の前にも狛犬があり、拝殿階段下の狛犬と同じように左側の狛犬の頭には角がありました。
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南東方向から見た宝塔です。高さは5mです。
宝塔は最初は木造でさらに石造に改められましたが天和3年(1683年)に大地震で破損したものを5代将軍綱吉公が現在の唐銅製(金・銀・銅の合金)に造り替えたそうです。
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宝塔は八角九段の基盤を築きその上に設置されており、前面には寛永20年に朝鮮から献上された三具足(香炉、燭台、花立)が備え付けられています。八角九段の基盤や朝鮮からの献上品が写っていたので、この写真だけは今回ではなく2008年11月14日に撮ったものを使いました。
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クリックすると拡大上の写真の朝鮮から贈られた三具足の部分を切取り・拡大・露出調整いたしました。奥から花立(花瓶)、香炉、燭台です。鶴のクチバシの部分がロウソク立てになっているようです。日本の真宗大谷派・真宗仏光寺派・真宗高田派では燭台に鶴亀燭台(亀の上に鶴が乗った形)を用いるそうです。
右の写真はネットから拝借したもので、朝鮮国王から対馬藩に贈られた三具足(万松院所蔵)ですが、日光東照宮のものに似ています。


南西方向から見た宝塔です。ここの標高は700mを越えています。
宝塔の製作者は幕府お抱えの鋳物師衛椎名伊豫です。
納められているのは家康公の遺骸(神柩)は建立以来、一度も開けられたことがないそうです。
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こちらが奥宮だけで売られている眠猫絵馬(魔除け)と眠猫守(開運招福)です。奥宮限定だけに人気でした。
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宝塔の西側にも短い行列が出来ていました。
これは叶杉(かのうすぎ)で、皆さん順番に拝まれていました。
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説明文には「諸々の願い事をこの杉のほこらに向かって唱えると願い事が叶うと伝えられている」とありました。なるほど、皆さん、叶杉にお参りしているわけです。案内板を見ると叶鈴守もあるようです。
上の写真の中に叶鈴守の見本が写っていました。


ムサシママさんから鬼門に関してコメントをいただいたので方向を示した地図を追加掲載させていただきました。よく「日光は江戸の鬼門に当たる」あるいは「江戸の鬼門に寛永寺が建立されその延長線上には日光がある」との記載があります。地理的な方向は次の通りで、江戸からは北方向なのです。鬼門方向と言われている理由は謎のままです。
 赤色ライン 江戸城( )→日光東照宮( )    北
 緑色ライン 江戸城( )→寛永寺( )の延長上  北東(鬼門方角)
 青色ライン 久能山東照宮( )→日光東照宮( ) 北東(鬼門方角)
 大樹寺 家康位牌
 高野山 徳川家康霊屋
マークやラインをクリックすると写真を表示します。

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日光東照宮の参道 [日光]

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より大きな地図で 日光東照宮参道 を表示
日光東照宮の真っ直ぐに延びる参道も独特の趣があります。ここでは、その参道を紹介いたします。この参道の赤色ピン( )の場所がスカイツリーの高さ634m(ムサシ)と同じ数値である標高634mの場所だそうです。ちなみにムサシは左のサイドバーに写真を掲載している我が家のワンコの名前でもあります。福餅を売っていた場所は石鳥居と表門の間の右側です。菊花展が行われていたのも石鳥居と表門の間の右側です。
地図上のアイコン写真をクリックしてみてください。杉の木々に覆われていることが判ってもらえると思います。地図上のマークをクリックすると写真が出るようにいたしました。写真の下の「記事」の文字をクリックすると、そのブログの記事を表示いたします。
上の太い赤色ラインが一直線に延びる参道(参道入口→石鳥居→表門)です。
地図の中で参道( )ならびに参道脇のマークは次の通りです。
  参道入口     石鳥居       表門
  輪王寺 三佛堂  輪王寺 大護摩堂  標高634m
  福餅の販売所   菊花展
表門より内側は参拝料を払って入る有料エリアです。
細い青色ライン( )は 表門から陽明門を経由して奥宮拝殿までの道のルートです。
  表門       陽明門      奥宮拝殿
  眠り猫      三猿       想像の象
  坂下門

参道入口( )から撮った参道の写真です。この中に標高が634m(ムサシ)の場所があるそうです。参道入口( )から表門( )までの距離は約325mです。
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輪王寺護摩堂( )近くの参道からの景色です。丁度、参道の真中あたりです。
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石鳥居に近づきました。石鳥居も大きく見えてきました。
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同じあたりから参道の入口方向を撮った写真です。
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東照宮と書かれた大きな石の社号標が印象的でした。元和4年(1618年)に九州の黒田藩主黒田長政により奉納された石鳥居( )は重要文化財です。
石鳥居の大きさは高さ9m、柱の太さ3.6m(周長)、柱の間隔が6.8mで京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居と共に日本三大鳥居の一つに数えられています。江戸時代に作られた石造りの鳥居としては日本最大だそうです。


表門から参道の入口方向を撮りました。石鳥居( )と表門( )の間には広場があり、写真の右側に五重塔がありました。
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その五重塔のです。この時、五重塔の特別拝観が行われており、五重塔の初重(一層目)の内部の金に彩られた心柱と初重外回りの十二支の彫刻を見ることが出来ます。
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こちらが表門( )です。有料エリア側(内側)から撮った写真です。
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クリックすると拡大参道の横に日光二社一寺の一寺である日光山・輪王寺がありますが、輪王寺本堂三佛堂( )も陽明門と同様に補修工事中でした。
右の写真は2008年11月14日に訪問した時に撮った輪王寺本堂三佛堂の写真です。創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めたそうです。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されていますが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていたそうです。
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参道のもみじです。もみじの後ろにある建物は輪王寺護摩堂( )です。
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もう一枚もみじのきれいな写真を掲載します。同じ輪王寺護摩堂前です。
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追伸
標高が634mの位置を示す表示をネットから拝借いたしました。五重塔まで90mの位置とのことなので石鳥居まで80m位の位置だと思われます。
最初は左の看板だったと思われますがモニュメント形式に変更したのだと思います。
スカイツリーの高さ634mは、地面から高さで標高ではありませんがスカイツリーが建っている黒田区は海抜0m地帯なので標高もほぼ634mと理解していいようです。従ってスカイツリーと同じ標高634mという表現でいいようです。

冒頭の地図に赤色ピン( )でモニュメントの位置を追加いたしました。下の写真でもわかるように記念切手を売っている赤色の建物のすぐ横です。右の写真はスカイツリーが完成した2012年2月29日より前の2011年5月のGoogleのストリートビューの画面です。
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日光東照宮で福餅を買ってきました。 [日光]

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日光東照宮の表門の前で福餅が売られていることを菊花展の記事の中で紹介いたしました。上の写真で左端の白いテントで売られていました。

こちらが福餅が売られていたテントです。幟(のぼり)には「福徳 東照宮の福をお持ち帰りください 大福」と書かれていました。福徳は日光東照宮に大福を献上している福徳庵のことで、このテントが唯一のお店のようです。
  店名  福徳庵
  店舗  栃木県日光市山内2301 東照宮境内
  営業  9:00頃~16:00頃
  定休  不定休 ただし冬季は休業
  事務所 栃木県日光市御幸町578番地1
  電話  0288-25-7508 
  HP   http://fukutokuan.com/index.html 2013年10月7日開始


福餅は大福(大福餅)で、沢山の種類があり、買うのに待たされるほどの人気でした。クリックすると大福餅の種類が判ると思います。写真から読み取れる大福を紹介しますと、「塩大福」「塩大福よもぎ」「ずんだ大福」「竹炭ごま大福」「白つぶ大福」「桃大福」「豆大福」「抹茶大福」です。これ以外にも沢山の種類がありましたがこの中から3種類を買いました。値段はすべて200円でした。
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買ったのが、こちらの「塩大福よもぎ」と「ずんだ大福」と「豆大福」でした。福徳庵は下記のメディアで取り上げられたこともあり人気のようでした。
 2013年10月31日 テレビ東京 L4YOU ! プラス 特集
 2013年03月01日 NHK総合 どすこい! スイーツ旅~とちぎの恵みにごっつぁんです
 2010年10月23日 フジテレビ もしもツアーズ No.1争奪!

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柔らかいうちに食べたかったので家に帰ってすぐにいただきました。こちらが「ずんだ大福」です。ずんだ豆の餡が入った大福餅でした。
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食感を感じていただくために「ずんだ大福」を拡大いたしました。
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こちらが最もオーソドックスな「豆大福」です。
大福の由来は江戸時代初期に生まれた鶉餅(うずらもち)にさかのぼるそうです。その鶉餅が1771年(明和8年)に江戸・小石川の未亡人により小形化され、餡に砂糖を加えられたものが始まりとされています。腹持ちがよいことから腹太餅(はらぶともち)、大腹餅(だいふくもち)と呼ばれていたものが、吉字を使った大福餅に変化したそうです。
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上の「豆大福」の写真はクリックすると拡大しますがクリックするのが面倒方のために拡大写真を掲載いたしました。

日光東照宮の菊花展 [日光]

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先々月のことになりますが2013年10月28日に、日光東照宮に行ったときに参道を進んで表門に入る手前の右の林の中で菊花展が行われており、一番手前の、よしず張の展示場の中を覗いて見事な花と多様な花の形に驚かされましたので、菊の花を紹介したいと思います。私が見た、よしず張の展示場には大菊が展示されており大別して三種類菊が展示されていました。菊に関しては詳しくないので調べた範囲で記載いたします。もし間違いがあれば修正いたしますのでご指摘を、お願います。上の菊は「大菊 厚物」で私の中で大菊と言えばこの菊がイメージされていました。

下の菊は「大菊 管物」で2種類が展示されていました。こちらも見事な黄色の菊でした。
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こちらも「大菊 管物」で見事な臙脂色の菊でした。見事な長さの花びらです。針金は輪台で、白い紙は台紙と呼ぶそうです。
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クリックすると拡大こちらは「大菊 一文字」に分類されるようです。「御紋章菊」とも言われるそうです。その名の通り、天皇の「菊のご紋」のように、平たい花弁が一重で並んでいます。花弁の数は14~16枚程ですが「菊の御紋」と同じ16枚が理想とされています。
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上の臙脂色の菊の花を拡大いたしました。どうやら理想的な16枚の花弁のようです。
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こちらは菊の御紋のように黄色の一文字です。
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こちらはピンクの一文字です。今回、紹介した「厚物、「管物」、「一文字」以外に「厚走り」や「大つかみ」があるそうです。沢山の展示場所があったのですが、時間の関係で一つの展示場だけになってしまいました。次回には、すべてを周ってみたいと思いました。
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一文字菊は綿玉を使って花の形を優しく整えるそうです。そのやり方を紹介したいので写真をネットから拝借いたしました。左端が整える前で右端が完成した姿です。



表門から参道方向を撮った写真で菊花展が行われていた場所をあらためて紹介します。左端の大きな杉の木裏の建物が、今回の菊の花の写真を撮った「よしず張の展示場」です。もっと左の奥に沢山の「よしず張の展示場」がありました。すぐ横の白いテントでは福餅が売られており人気でした。
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奥日光三名瀑 竜頭の滝 [日光]

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奥日光三名瀑の華厳の滝湯滝はすでに紹介いたしました。残る奥日光三名瀑は竜頭の滝です。竜頭の滝(りゅうずのたき)にも行きましたので紹介いたします。竜頭滝と書かれることがある竜頭の滝は湯ノ湖に端を発し戦場ヶ原を流れ下ってきた湯川の末流にかかる滝で、長さ約210mの急斜面を途中で二手に別れ、まるで大岩を噛むように豪快に流れ下ります。「竜頭」の名前は、二枝に分かれた滝を正面から見た姿を「龍の頭」あるいは二手の流れの中央の岩を「龍の頭」と見立てたとも言われています。
滝に沿って東側に散策路があり、急流状になっている滝を側面から見ることができます。

その散策路からの景観を滝の上から順番に紹介していきます。こちらが竜頭の滝の一番上のからの景色です。湯川を渡る橋の上から撮りました。落ち口は明確な位置はありませんが、湯川は、ここから急斜面となって流れ落ちていきます。滝の先に見える湖が中禅寺湖です。
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少し下ったところの竜頭の滝です。昔は上流部の一部を龍雲滝と呼び分け時期もあったそうです。
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滝は徐々に急になり階段状になってきます。滝の形状による分類では、竜頭の滝は渓流滝に分類されます。華厳の滝は典型的な直瀑です。もう一つの奥日光三名瀑である湯滝は段瀑あるいは渓流瀑ですが、段瀑に分類するのが妥当な感じでした。
  直瀑    落ち口から滝壷まで一気に落下する滝
  分岐瀑  落ち口から幾重にも分岐して流れる滝
  段瀑    2段や3段、またはそれ以上の階層がある滝
  潜流瀑  地下水が崖の途中より直接落ちる滝
  渓流瀑  滝口から傾斜した岩肌を滑るように流れる滝
  海岸瀑  海岸の崖の上に滝口があり、海に直接落ちる滝
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さらに下がったところの竜頭の滝の景観です。
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見どころのところは広いスペースが作られており沢山の人がゆっくりと見ることが出来るようになっていました。このような場所が2ケ所ありました。


その中でも竜頭の滝の看板が立てられている場所は、最大の見どころなのだと思います。皆さんここで記念撮影をされていました。
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その場所から撮ったのが冒頭の写真です。竜頭の滝の黒々とした岩壁は、男体山の火山活動の末期に噴出したデイサイト質の軽石流が形成したもので、かつて巨大な湖だった戦場ヶ原を埋め尽くしたものがここまで流れ下ってきたものだそうです。

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ここには竜の頭の形をした岩がありました。
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竜の頭の形をした岩を真横からも撮りました。
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さらに下流側の竜頭の滝です。滝を下った湯川はすぐ下流で地獄川の右支流となり、0.5km先で中禅寺湖に流入しています。
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竜頭の滝の一番下には「龍頭之茶屋」がありました。さらに「龍見台」の看板があります。


茶屋の中入って「龍見台」の意味が分かりました。茶屋から竜頭の滝が正面から見えるのでした。


茶屋から見た竜頭の滝の一番下です。二枝に分かれた滝を正面から見ることが出来ます。滝の途中の竜の頭に似た岩から竜頭の滝の名前が付けられたと書きましたが、こちらの茶店からの景観から竜頭の滝の名前がつけられたとも言われています。二枝に分かれた滝を正面から見た姿を龍の頭に見立てたものとされ、二手の流れを竜の髭(ひげ)に見立てて、中央の岩を頭部に見立てたとも言われています。確かにそう言われれば水の流れがヒゲに見えてきます。
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あらためて奥日光三名瀑を紹介いたします。竜頭の滝だけは、一枚の写真で滝全体を紹介しきれないことが判りました。緑色マークが湯滝(落差50m 幅25m)で、空色マークが今回紹介の竜頭の滝(落差60m 幅10m)で、赤色マークが華厳の滝(落差97m 幅7m)です。奥日光三名瀑の中で湯滝が最も標高の高い1475m(落ち口)のところにあり、その次が竜頭の滝で最後が華厳の滝です。
湯滝            竜頭の滝          華厳の滝
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より大きな地図で 奥日光三名瀑 を表示
日光三名瀑の裏見滝(うらみたき)と霧降の滝(きりふりのたき)も含めた航空写真も紹介します。 日本三大瀑布の華厳の滝は奥日光三名瀑でありクリックすると拡大クリックすると拡大、日光三名瀑でもあります。共通の華厳の滝を除くと水利用の多い奥日光三名瀑の方が日光三名瀑よりも迫力があるようです。
2枚の裏見滝(左 落差19m 幅2m)と霧降の滝(右 落差75m 幅3m)の写真はWikimediaなどから拝借いたしました。
 奥日光三名瀑 華厳の滝 竜頭の滝 湯滝
 日光三名瀑  華厳の滝 霧降の滝 裏見滝

より大きな地図で 奥日光三名瀑 と 日光三名瀑 を表示

想像の象 日光東照宮 [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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東照宮にある日光三彫刻の「三猿」と「眠り猫」を紹介しました。もう一つの日光三彫刻は「想像の象」ですが、あまり知られていないようです。
「想像の象」は、「三猿」のある神厩舎(神厩)の参道を挟んで向かいの上神庫に飾られています。上の写真の大きな木の陰の左の建物が「三猿」の神厩舎で、右の建物が上神庫です。上神庫は三神庫の一つです。

その上神庫に妻面の軒下の壁に藤菜象が2頭飾られており、その像が「想像の象」と呼ばれる彫刻です。「想像の象」の下絵の作者は狩野探幽と言われ、探幽が実物の象を見たことがなかった事から「想像の象」と呼ばれるよになったそうです。上神庫は他の三神庫の中神庫と上神庫と共に寛永12年(1635年)に建てられた桁行7間、梁間4間、切妻、銅瓦葺き、校倉造り、高床の上倉庫で三棟合わせて内部には「百物揃千人武者行列」に使用される1200人分の装束や舞楽用の装束などが収められています。
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妻面は見事な装飾で飾られていました。
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妻面の2体の象の部分をさらに拡大いたしました。「想像の象」は日光三彫刻の中でも、もっとも大きくて鮮やかな色彩が施された彫刻でした。龍のように見える彫刻は麒麟(きりん)だそうです。下段中央の緑の顔の鬼の彫刻らしきものもありました。興味のある方はクリックして確認してみてください。
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こちらが右側の象の彫刻です。象は恐ろしい顔をしており爪があることから獅子をイメージしている気がしますが、長い鼻やや二本の大きな牙は本物と似ています。さらに耳は形が違いますが大きいことがきちっと伝えられているのに驚かされました。


左側の象は尻尾の先が何本にも分かれているのが特徴です。3つ又の尾と表現されている記述もありましたがよく見ると裏側にも分かれた尾を見ることが出来るので、尾が分かれているのではなくて、ふさふさとした毛が生えた尾を表現したかったのではないでしょうか。2体の象の様子はかなり違います。下の象はどちらかと言えば獅子に近く上の象の方がお腹が大きくて実際の象に近い感じです。2体が、これほど違う理由は、狩野探幽が雄雌を描いたのか、別々に想像して書いたものなのか、調べた範囲ではわかりませんでした。上神庫が建てられた1635年以前に日本に象が来たは次の通りなので、想像で描くのも仕方ないことのようです。その後は1728年になるようです。
   1575年 大友宗麟への献上
   1597年 豊臣秀吉への献上
   1602年 徳川家康への献上


2体の象の彫刻以外に同じ妻面に象の頭の彫刻もありました。
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下段中央の緑の顔の鬼らしき彫刻も拡大いたしました。ネットで調べた範囲では、この彫刻の記載は見つからないので、見た目から「鬼らしき彫刻」ということにいたしました。象や麒麟の彫刻が飾られている面なので、何かの動物である可能性もあります。顔の周りの飾りは鬣(たてがみ)のようにも見えます。もし「たてがみ」だとすればライオン、つまり獅子ということになります。


上神庫の別の角度からの写真です。左側が「向拝」側です。沢山の灯篭(燈籠)が印象的です。この場所は陽明門から33段(12段+21段)下がったところなので外様大名が寄進した燈籠です。
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三神庫は下神庫・中神庫・上神庫の総称です。春秋の祭りの1週間ほど前から準備のため扉を開けるので内部をのぞけるそうです。いずれも奈良の正倉院に代表される校倉造り(あぜくらづくり)を模した建物です。上神庫はすでに紹介したので下神庫と中神庫を紹介いたします。こちらが中神庫(なかじんこ)で桁行9間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺きの建物です。左に少し写った建物が上神庫で、右に少し写った建物が下神庫です。
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こちらが下神庫(しもじんこ)で桁行7間、梁間4間、切妻、銅瓦葺きの建物です。左に少し写った建物が中神庫です。
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クリックすると広い範囲を表示東照宮の表門の柱にも象の彫刻がありました。
表門をくぐって左に曲がると「三猿」の神厩舎と「想像の象」の上神庫が目の前にあります。
写真をクリックすると広い範囲を表示します。
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三猿 見猿・言わ猿・聞か猿 日光東照宮 [日光]


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日光三彫刻の一つである「眠り猫」を紹介したら、やっぱり次は「三猿」の紹介をしたくなります。「三猿」と言えば上の写真の「見ざる・言わざる・聞かざる」です。
三猿である「見ざる・聞かざる・言わざる」の起源は未だ解明されていないそうです。よく似た表現は古来世界各地にあり、同様の像も古くから存在するからだそうです。しかし明治時代に日光東照宮の三猿が海外にも紹介されれて日光東照宮の三猿「見ざる・聞かざる・言わざる」が世界的に最も有名な三猿の一つとなったそうです。

三猿(さんざる、さんえん)の部分を拡大した写真も掲載いたします。
「眠り猫」と同じく左甚五郎の作ではないかとの記述が見受けられますが、想像の域であり公においては東照宮では「眠り猫」だけが左甚五郎作となっています。日光三彫刻とは「想像の象」と「三猿」と「眠り猫」です。
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論語の「不見・不聞・不言」の教えが8世紀ごろ、天台宗系の留学僧を経由して日本に伝わったといわれています。いつしか語呂合わせ(ざる=猿)から猿と結びついたのでしょう。日本で三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」の彫り物として有名なのが庚申塔です。その庚申塔で現存する中で三猿が彫られた最も古い庚申塔は寛永17年(1640年)なので、日光の神厩の三猿の方が5年ほど古いことになります。ただし、確定していませんが伊勢市辻久留で永享12年(1440年)と推定される三猿庚申塔があります。
参考に私の家の近所にある庚申塔の写真を掲載いたします。庚申塔の青面金剛と猿の関係はインドに起源があるそうです。
享保12年(1727年)建立            寛延3年(1750年)建立
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三猿は表門を入ってすぐ左にある神厩舎(神厩)の壁に飾ってある彫り物の一つです。神厩の通路側正面に5構図があり、右側(建物としての正面?)に3構図があり、合わせて8構図の中の一つの構図に過ぎません。
クリックすると拡大神厩は寛永12年(1635年)に建てられたもので、桁行3間、梁間5間、切妻、銅瓦葺き、妻入りの建物です。東照宮境内の中で唯一の白木造りで、当初は初代将軍徳川家康が関ヶ原の合戦の折乗馬していた馬が神馬とされていたそうです。長押上には猿が馬の守り神であるという信仰から猿の彫刻が8面の構図で彫り込まれているわけです。その8面の構図によって、子育てから恋愛、結婚、妊娠と人間の一生が風刺されているそうです。
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こちらが通路側正面で5面の猿の彫刻が確認できると思います。左から2面目が「見ざる・言わざる・聞かざる」を模った三猿です。子供の教育とは「悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないように育てなさい。」という教育を論じていると言われています。左から順番に(1)~(5)で、右側に回って(6)~(8)と飾られているのです。妊娠し、そしてまた子供が産まれれば、また最初の彫刻に戻るわけです。こうやって人生がくり返されていくことを猿の彫刻で表しているような気がします。通路側正面は左から(1) (2) (3) (4) (5)です。クリックすると拡大するのでわかりやすいと思います。(6)~(8)の構図があることは写真を撮った時は知らなかったことから(6)~(8)がある面の写真は残念ながら撮りませんでした。
クリックすると拡大 (1) 母猿と子猿
 (2) 悪いことを見猿・言わ猿・聞か猿
 (3) 一人立ち直前の猿
 (4) 大志を抱いて天を仰ぐ猿
 (5) 迷い悩む仲間を励ます猿
 (6) 恋に悩む猿
 (7) 結婚した夫婦の猿
 (8) 妊娠した母猿
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「見猿・言わ猿・聞か猿」以外の構図も紹介いたします。
こちらは(3)の「一人立ち直前の猿」です。
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そして、こちらが(4)の「大志を抱いて天を仰ぐ猿」です。
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(1)と(5)も紹介します。3匹の猿が出てくる構図は(2)と(5)の2枚だけです。
 (1) 母猿と子猿           (5) 迷い悩む仲間を励ます猿
(1) 母子の猿(5) 下を見る猿

(6)~(8)があることを知らなかって写真を撮りませんでした。そこでネットの写真を転用させていただき、紹介いたします。
   (6) 恋に悩む猿     (7) 結婚した夫婦の猿  (8) 妊娠した母猿
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眠り猫 日光東照宮 [日光]

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日光三彫刻の言われているのが「想像の象」と「三猿」と「眠り猫」です。その中で最も有名なのが「眠り猫」ではないでしょうか。最近は「三猿」も人気があるようですが、「眠り猫」は小さな彫り物だけに格別なものがあります。

その「眠り猫」は奥社(奥宮)への参道の坂下門の手前の東回廊の入口部分の軒下の正面にあります。奥社(奥宮)にお参りする人は必ず、「眠り猫」の真下をくぐるのです。
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日光東照宮には多様な動物を見ることができます。これらの動物のほとんどは平和を象徴するものとして描かれているそうです。
奥社入口を護る「眠り猫」は、前足をしっかりと踏ん張っている事から、徳川家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているとも言われていますが、一方で「猫も寝るほどの平和」であることを表しているとも言われています。
この「眠り猫」は左甚五郎の作と伝えられています。左甚五郎は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人ですが、実在の有無も含めて謎の多い彫刻士で、左甚五郎とは一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞であった説もあります。
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上の写真はクリックすると拡大いたしますがクリックの面倒なん方のために拡大写真を掲載いたしました。本写真もクリックするとさらに拡大いたします。
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「眠り猫」は小さな彫り物であることが、この写真でわかってもらえると思います。
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奥社の参道側(坂下門側)から眠り猫の裏側を撮りました。写真を撮っている方が沢山おられることが判ると思います。皆さん「眠り猫」を撮っているのです。向こう側に「眠り猫」が飾られているのです。「眠り猫」の反対側、つまり手前側には2羽の雀(すずめ)が彫られています。
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こちらが「眠り猫」の真裏の雀の彫刻です。雀がいても「猫も寝るほどの平和」であるとの解釈となっている彫り物です。猫が起きていれば雀は食べられてしまいますが、東照宮では猫も居眠りして雀と共存共栄していることが戦乱が終わり平和な時代がやってきたことを表しているという解釈となっているのです。


「眠り猫」と「すずめ」を近いサイズで並べてみました。「すずめ」の方は牡丹の透かし彫りが周囲にありますが「眠り猫」にはありません。真裏と言っても離れているようです。さらに寸法比率も違うようです。両方をクリックして、両方の拡大写真を比べるとわかりやすいと思います。
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  検索「眠り猫 日光東照宮」→ 1ケ月 3ケ月 6ケ月 1年 すべて

奥日光 湯ノ湖 [日光]


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クリックすると拡大紹介した右の写真の湯滝が流れ落ちているのが上の写真の湯ノ湖です。湯ノ湖(ゆのこ)は北東にある三岳火山の噴火によってつくられた堰止湖です。湯滝の脇の散策路を登って湯ノ湖にたどり着いて写真を撮ったので紹介いたします。湖畔には日光湯元温泉があり、日光白根山からの水と温泉からのお湯が流れ込んでいることから湯ノ湖の名前が付けられたのではないでしょうか。
           湯ノ湖    中禅寺湖
  面積      0.32 k㎡  11.62 k㎡
  周囲長     2.8 km     25 km
  最大水深    12 m     163 m
  水面の標高 1475 m    1269 m

湯ノ湖の周囲には散策路があり、約1時間で1周できるそうです。
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周囲の散策路を歩きながら湯ノ湖の景色を紹介いたします。紅葉が混じった秋らしい景色です。湯滝の落ち口に近いあたりからの景色です。
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上の写真の中央部分を拡大いたします。クリックするとさらに拡大します。
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さらに進んだ散策路です。
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倒木や周囲の木々が趣を増してくれていました。温泉が流れ込んでいて通常よりは水は温かいようですが標高が1475mあることから冬には全面結氷する事もあるそうです。
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鵜(う)が羽を休めている光景にも出会いました。
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少し違った角度の景色です。
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湯ノ湖から流れ出る湯川には木製の橋が架かっていました。


橋の下の水は湯滝の落ち口へ流れて行きます。
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この先に滝への落ち口があります。
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湯滝の下から見た落ち口です。
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航空写真で湯ノ湖を紹介します。湯ノ湖の北側には沢山の温泉宿を見ることが出来ます。緑色マークが湯滝の落ち口(銚子口/滝口)の位置です。

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なんと、陽明門は補修工事中でした。 日光東照宮 [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2013年10月28日に日光東照宮に行きました。ところが東照宮で最も有名な陽明門が補修工事で上の写真のように見ることが出来なかったのです。私は東照宮は3度目でしたが、家内は初めてだったので、ちょっと残念がっていました。

それも工事が今年(2013年)の7月15日に始まった表示を見てなおさら、がっかりでした。今までに、いくらでも来る機会があったのに、よりにもよって補修工事が始まった年に来てしまったのでした。補修工事が終わるのは6年後の2019年3月31日と記載されていました。つまり東京オリンピック開催の前年に完成することになります。
  名称   国宝 東照宮 陽明門 保存修理工事
  工事期間 着手 平成25年7月16日 (2013年)
       完了 平成31年3月31日 (2019年)
  事業主  東照宮
  修理指導 文化庁文化財部参事官建造物担当
  設計管理 公益財団法人 日光社寺文化財保存会 
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こちらが内側から見た陽明門です。陽明門の名称は、宮中(京都御所)の十二門の東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられています。
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初めての方もおられるかもしれないので2008年11月14日に撮った陽明門の写真を掲載します。クリックすると拡大するのでじっくりと見てください。
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確かに痛んでいました。前回の根本修理工事から40年が経過したそうです。補修内容は外部廻りの漆塗・彩色・錺金具の更新を主に行なうそうです。調査を行ないながらの工事で、必要があれば部分的な木部解体修理も行なうそうです。
陽明門の通路の間天井には狩野探幽により昇竜(のぼりりゅう)と降竜(くだりりゅう)が描かれています。 昇竜は別名「八方にらみの竜」、降竜は「四方にらみの竜」とも呼ばれています。この昇竜と降竜はみることが出来ました。
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クリックすると拡大こちらの写真には天井の絵が見えると思います。天井の絵の部分を露出調整して右に掲載いたしました。竜かどうかは判別は難しいです。話は変わりますが、12本の白い柱うち渦巻き文様の向きが逆になっている逆柱(さかさばしら)が1本があります。この理由は「完成された建物は、いずれは崩壊する。正に完成した瞬間から崩壊が始まる。」という言われており未完成な状態であることを表しているそうです。場所は背面の右から2本目で残念ながら写真には写っておりません。これと同じ逆柱が、本社の拝殿と本殿に1本ずつあるそうです。同様な理由で一か所だけ仕様が異なる例は下記の通りです。
 ・五重塔の1~4層が平行垂木で5層が放射状垂木となっている。
 ・御水屋の西角だけが切り落とされた形になっている。
 ・陽明門の左右の回廊の透かし彫りで右端の一つだけ小さい。
 ・陽明門と拝殿と本殿の逆柱
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陽明門に据えられていた隋身像(神域を守る像)などが取り外されて展示されており間近で見ることが出来ました。
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こちらは陽明門に飾られていた2体の狛犬です。隋身像とは反対の陽明門の内側に置かれていましたものです。
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それでは、気を取り直して陽明門以外を紹介いたします。ここでは陽明門の周辺を中心に掲載させていただきます。陽明門から外側を見た景色です。冒頭の写真は鳥居の辺りから撮りました。この鳥居は日本で最初に青銅製で造られた鳥居です。3代将軍家光公が金2000両を費やして建ててました。柱の足元には、神社としては珍しい仏教様式の蓮の花弁が刻まれています。
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補修中の陽明門から本殿側を見た光景です。
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陽明門の左右には廻廊が延びています。こちらは陽明門の右側の回廊です。
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いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされていました。
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右側の端まで行くことはないので端の写真を撮ってきました。上でも紹介したように未完成にするために右端の透かし彫りの一つだけが小さいのです。
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上の写真ではわかりにくいので、小さな透かし彫りの部分を拡大いたしました。この写真は杉の大木にピントが合った上の写真から切り取ったものなので、透かし彫りの部分は不鮮明となっていますが、なんとか雰囲気は判ってもらえると思います。


右端から陽明門のほうを撮った写真です。
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灯籠も趣があります。東照宮には燈籠が121基あるそうですが、いろんな人が寄進していることから素材もいろんな灯籠がありました。
陽明門の内側には東福門院(秀忠の娘、後水尾天皇の中宮)のみで、それより12段下がった位置に譜代大名、さらに21段下がったところに外様大名が寄進した燈籠が安置されているそうです。その中でも伊達政宗が寄進した南蛮鉄燈籠はポルトガルからの輸入鉄で造られたものとして有名です。南蛮鉄燈籠は領内の租税3年分の費用をかけて作ったと伝えられています。
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こちらは陽明門の左側の灯篭です。奥の建物は鳴竜で有名な薬師堂です。鼓楼も趣がありました。
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鼓楼の前の「廻り燈篭」又は「回転燈籠」です。昔はこの近くに「釣燈籠」があったようですが、この時はありませんでした。
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鐘楼のそばに立つスタンド型の蓮燈籠です。回転燈籠、釣燈籠、蓮燈籠はオランダから贈られたのようです。
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手前が鼓楼で奥に見えるのが鐘楼です。
言葉の通り鐘楼は釣鐘を、鼓楼は太鼓を納める建物でする。陽明門の前に左右対称に配置されています。建物の規模や構造など基本的な形式は同じですが、細部の飾り付けは違います。たとえば彫刻の種類と数です。鐘楼には鶴・竜・飛竜・麒麟・波など合計78体に対し、鼓楼には亀・竜・雲など38体です。見た目も鐘楼のほうが豪華です。鐘楼の前にも鐘が吊り下げられた小さな建物(蓮燈籠)が見えます。
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クリックすると拡大陽明門の左側の廻廊です。左側の建物が鳴竜の薬師堂です。薬師堂の内部では撮影並びに録音は禁止されているので鳴竜の画像をネットから拝借いたしました。右の写真が薬師堂の天井に描かれている鳴竜です。
竜の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえることで有名です。もとの絵は狩野永真安信によるものですが、堂とともに焼失したため堅山南風により復元されました。
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左側の廻廊の透かし彫りも灯篭も趣がありました。
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御水舎も東照宮らしい色彩で豪華でした。御手洗・手水所といいます。
御水舎は参拝者が手と口を清める場所で、今ではどの神社にも水盤を置いた施設があります。しかし、かつては自然の川や湧き水の場がそれとされ、境内に独立した建物を構えたのは東照宮の御水舎が最初といわれています。
幅1.2m、長さ2.6m、高さ1mの花崗岩の水盤は、九州の鍋島藩主が元和4年(1618年)に奉納したものです。くり抜いた15cmの穴から、サイフォンの原理で水が噴き上がる仕組みになっているそうです。
屋根の下には、逆巻く波と飛竜の彫刻があります。飛竜は翼のある竜で、水をつかさどる霊獣とされています。西側の屋根の角が切り落とされているのは魔除け説のほか、杉の成長を邪魔しないためという説もあります。
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入場券売り場では「陽明門は工事中ですがよろしいでしょうか。」と聞かれますが、「それでは入るのをやめます。」というわけにいかないので拝観料1300円×2枚=2600円を払って入りました。
     大人    1300円
     小・中学生 450円

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世界遺産・日光の社寺 東照宮など [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

先日の2013年10月28日に日光の東照宮に行きました。その時の記事を掲載するつもりですが、その前に2008年11月14日に訪問した時の東照宮の写真を紹介いたします。その理由は2013年10月28日訪問時の記事を書いた時に説明いたします。
日光の東照宮は1999年12月2日で開催されたユネスコ世界遺産委員会で文化遺産として登録されました。登録名は「日光の社寺」です。
世界遺産に登録されたのは東照宮だけでなく日光二社一寺と呼ばれている地域で下記で構成されています。
 日光東照宮   (正式名:東照宮)
 日光二荒山神社(正式名:二荒山神社)
 日光山輪王寺
103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が登録されているそうです。
今回は東照宮を中心に見学したため二荒山神社と日光山輪王寺の写真は少なくなってますが、もう一度行き、時間を取ってじっくり回ってみる価値があると感じました。

先ずは東照宮から紹介いたします。入口の金色の葵の御紋が印象的です。これは東照宮の入口の石鳥居(いしどりい 重文)です。
ご鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれたそうです。鳥居の奥に表門(おもてもん 重文)が見えます。
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石鳥居をくぐると左側に五重塔(ごじゅうのとう 重文) が建っています。
慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されたそうです。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建たそうです。


入口側から紹介いたします。表門をくぐると三神庫(さんじんこ 重文)があります。上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収いるそうです。また、上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。


三神庫と同じ広場にある輪蔵(経蔵)です。
2層屋根で建物の形が12m四方の正方形をしているので、重層方形造りというそうです。仏教の経典を納める経蔵ですが、建物の真ん中に一切経1456部、6325巻を納めた8角形の回転式の書架が置かれていることから輪蔵の名がついたそうです。
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階段の上の陽明門の手前の豪華な建物は左側が鼓楼で右側が鐘楼です。 写真をクリックすると日本で最初に造られた青銅製の高さ6メートルの唐銅鳥居を見ることが出来ます。この鳥居は3代将軍家光公が金2000両を費やして建てた。柱の足元には、神社としては珍しい仏教様式の蓮-はす-の花弁が刻まれています。
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これが左側の鼓楼です。陽明門の前に並ぶ高さ12.6mの太鼓を納める建物・鼓楼です。どの建物を見ても絢爛豪華なのが驚きでした。
神様にお参りする前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清める為の御水舎(おみずや 重文)でさえも絢爛豪華なのでした。


東照宮で最も有名な建物なのが陽明門(ようめいもん 国宝)です。
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。
高さ11.1mの2層造り、正面の長さが7m、奥行きが4.4m。胡粉を塗った12本の柱には、グリ紋と呼ばれる渦巻状の地紋が彫られています。有名な「魔除けの逆柱」は、門を潜り終わる左側の柱。グリ紋の向きがこの柱だけ上下逆になっています。
御所十二門の内の名称を朝廷から賜ったもので、後水尾天皇の御宸筆による「東照大権現」の勅額があるので勅額門、装飾彫刻が500余りもあり1日中見て居ても決して飽きないというところから、日暮門ともいわれています。また陽明門より奥は明治維新まで庶民は入ることができませんでした。
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陽明門は2体の武将像で守っています。右側の武将像です。名前は謎です。


こちらは左側の武将像です。


廻廊(かいろう 国宝)です。
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされていました。こちらは右側の廻廊です。


左側の廻廊も紹介いたします。もちろん、こちらも国宝です。装飾彫刻が隙間もないほどに埋め尽くしていました。奥の建物は鳴き竜で有名な本地堂です。
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石灯篭 廻廊 陽明門などが入った風景です。鳴き竜(写真禁止)の本地堂の方から撮りました。


陽明門は豪華ですが思っていた以上に小さな門でした。全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされている唐門(からもん 国宝)もこの広場にありましたが残念ながら補修中でした。


陽明門の内側には本殿・石の間・拝殿からなる御本社(ごほんしゃ 国宝)や祈祷殿(きとうでん重文)や神輿舎(しんよしゃ 重文)があります。 写真の神輿舎には春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められていました。中央の神輿が家康公、右側が秀吉公、左側が頼朝卿でありいずれも重さ1120㎏あるそうです。
天上の絵が少し写っていますが狩野了琢の筆による天女舞楽の図だそうです。


拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる御祭神のお墓所である奥宮(おくみや 重文)に通じる坂下門には有名な眠り猫(ねむりねこ 国宝)が掘られていました。眠り猫が国宝に指定されているのは東照宮で唯一の左甚五郎作と伝えられているためだそうです。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。眠り猫以外では「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿 や眠り猫の裏の雀 などが有名な動物の彫り物です。


奥院廟塔の銅製の鋳抜門(いぬきもん)です。下に門とは雰囲気が違います。クリックすると奥宮の拝殿を表示します。拝殿の裏に鋳抜門と奥院廟塔(御宝塔)があります。


奥院廟塔(御宝塔)です。
元和2年(1616年)4月17日、徳川家康は駿府(静岡)で死去して、遺骸は遺命により直ちに駿河国の久能山(久能山東照宮)へ葬られたが、翌元和3年に下野国日光へ改葬された。同年4月に社殿が完成し、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日に奥院廟塔に改葬され、4月17日に遷座祭が行われた。
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最後に東照宮の地図を掲載しておきます。



二荒山神社です。
二荒山神社は(ふたらさんじんじゃ)と読みます。日光にある男体山(二荒山、2486メートル)、峯山(2464メートル)、太郎山(2368メートル)の三つの山の神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)を総称して二荒山大神と称し、主祭神としているそうです。
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日光の名前由来もいろんな説がありますが、その一つが二荒が日光になった説で、弘法大師空海が二荒山(男体山)に登られたとき、二荒の文字が感心しないといって、フタラをニコウと音読し、良い字をあてて日光にしたと伝えられております。「二荒(フタラ)→ニコウ(音読)→日光」
ニ荒山神社は大谷川北岸に766年に現在の四本龍寺の前身の紫雲立寺を建てられたのが始まりで東照宮より遥かに古い歴史があります。
左から本殿、 拝殿、社務所です。
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ニ荒山神社の横には家光廟大猷院(いえみつびょうだいゆういん)があります。大猷院廟(だいゆういんびょう)ともいわれています。
こちらは東照宮の絢爛豪華に対して幽玄とサビが自然に溶け込む雰囲気です。
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日光二社一寺の一寺である日光山輪王寺です。
創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されているが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていたそうです。写真は三仏堂(重要文化財)です。
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タグ:日光 東照宮

晩秋の中禅寺湖 [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日の2013年10月28日に日帰りで華厳の滝と奥日光と日光東照宮に行ってきました。華厳の滝に着いたのは午前8時だったこともあり、すいていたのですが徐々に渋滞してきたので中禅寺湖は車の中からだけの見学となりました。そこで以前に11月13日~14日に中禅寺湖の湖畔のホテルに泊まったときに14日の朝の散策の写真を紹介します。中禅寺湖あたりはすでに落葉していました。落葉した木も朝日があたたって黄金色に輝いていました。

あまりにもきれいなのでもう一枚掲載いたします。
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日の出の中禅寺湖です。上の2枚の写真を含めて時刻は6時42分です。朝早く散歩しているときれいな景色に出会えました。
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湖沿いに小さな歩道があり歩いていると13番岬 の看板がありました。標高1271mです。7時4分の景色です。
13番岬があるので12番岬や11番岬があるかと思えましたが、地図 を見るとどうもなさそうです。その代り13番別荘と12番別荘がありました。別荘が先で後から13番岬の名前が付いたのかもしれません。13番岬は釣り の絶好のポイントだそうです。


その遊歩道と中禅寺湖です。朝の散歩は気持ちがいいです。標高1269mにある中禅寺湖は、4平方キロメートル以上の面積をもつ自然湖としては日本で最も高い場所に位置しているそうです。


太陽も少し昇って来ました。時刻は7時12分です。


ホテルの前の朝の中禅寺湖の景色です。
6時57分です。


ほぼ同じ場所からの前日の日没後の景色です。
16時11分でしたがすでに太陽は山の陰に隠れていました。


中禅寺湖温泉あたりから見た湖の景色です。
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男体山も見えました。


華厳の滝に流れていく大谷川です。



2013年10月28日の車の中からの中禅寺湖の横を通る道路の写真を追加いたします。中禅寺湖は写っていませんが右側に中禅寺湖があります。
上の11月14日の写真と違い紅葉は見ごろでした。


こちらは中禅寺湖が見える湖畔の写真です。


ロッジ風ホテルに泊まりました。 [日光]

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今回ではありませんが、中禅寺湖のほとりに11月13日の晩秋に泊まったことがあります。丁度、今の時期なので紹介いたします。戦場ヶ原から中禅寺湖に下りて来て泊まったホテルです。観光に行ったとき、その町のホテルも楽しみの一つですね。この時に日光で泊まったホテルは、今まで泊まったことのない雰囲気のホテルでしたので紹介させてください。標高1271mの中禅寺湖の湖畔に中禅寺湖温泉街からは離れた、ひっそりと佇んでいるホテルでした。
見ての通り3階建で、木のバルコニーがあるロッジ風の外観が印象的でした。夕日に輝く木のホテルは特にきれいでした。

ホテルは中禅寺金谷ホテルで泊まったのは2階でした。鍵もカード式ではないところがいいですね。


その2階のバルコニーから横のバルコニーを撮りました。別荘をイメージしたホテルと言えるかもしれません。


部屋は全て中禅寺湖に面しておりミズナラの木々の合間から、夕日が沈む瞬間も見ることが出来ました。
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夜にはロビーの暖炉に火が入れられました。写真は到着時に撮ったものです。


暖炉の前はゆっくりと寛げる雰囲気にソファーが並べられていました。


中禅寺湖側からみたホテルですが木々に囲まれていて、車で通っていると気がつかない人も多いと思います。
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中禅寺湖とは反対側が広いスペースになっており駐車場や玄関も、そちら側にありました。


こちらが露天風呂です。右の露天風呂の写真はネットから拝借しました。クリックすると拡大露天風呂の写真をクリックすると拡大します。渡り廊下で連絡する別棟(下の写真)で露天風呂の温泉も楽しめました。真中で仕切られていて向こう側が女湯で手前側が男湯です。冷たい空気が気持ちよかったです。泉質は強い硫黄泉で、内湯・露天風呂ともに循環しない掛け流しで、 皮膚病をはじめ、リウマチ、糖尿病、高血圧症、痛風などに効果があると書かれていました。
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写真は朝食の風景です。ホテルの自慢はフランス料理です。
料理に関しては別途紹介させていただきました。→ポチッ


部屋も紹介しておきます。ゆったりとしておりトイレと浴室は部屋の左右に別についた豪華な雰囲気です。これらの扉も全て銘木で出来ておりました。これでも料金が一番安いスタンダードツイン の部屋です。


日光で最も有名なのが日光金谷ホテルですが、そのホテルが経営している中禅寺金谷ホテルが今回宿泊したホテルでした。金谷ホテルには感動的な長い歴史があることをホテルの説明で知ったので紹介しておきます。
江戸が明治にかわると、東照宮の門前町として栄えていた日光にも大きな時代の波が押し寄せてきました。
明治4年(1871年)、当時まだ外国人を泊める施設がなかった日光の町で、宿に困った外国人を全くの善意で自宅に招いた青年がいました。若き日の金谷善一朗です。
良心的な青年の対応にその外国人は「これから涼を求めて多くの外国人が日光を訪れるでしょう。私も友人を連れてくるから宿を生業にしてはどうか」と助言を残してくれました。
その人こそがヘボン式ローマ字を提唱し和英辞典の編纂に尽力したヘボン博士でした。彼との出会いが、ホテル業を始める大きなきっかけとなったのです。
明治6年(1873年)、「カナヤ・カッテージ・イン」として夏の間外国人に自宅を提供するようになり、家族総出でお客様のおもてなしをしました。
善一郎を筆頭に妻と妹が掃除、子供達は鶏の羽むしりなどをしていました。
明治11年(1878年)には、イギリスの旅行家イザベラ・バードがヘボン博士の紹介でカッテージ・インを訪れました。
そして同13年(1880年)イギリスで出版された彼女の著書「日本奥地紀行」の中に滞在中の印象が詳しく紹介されると、金谷の名はヨーロッパにも広まりました。
ヘボン博士による知人への紹介もあり、金谷の名は横花・東京の外国人たちにも口コミにより広まり、イギリスの外交官で、日本研究家としても知られるアーネスト・サトウなどがリピーターとして訪れるようになりました。

明治23年(1890年)、宇都宮-日光間に鉄道が開通すると日光を訪れる外国人の数も増えて、日光市内には外国人向けの大きなホテルがいくつも建つようになりました。
小さな家で経営するカッテージインの経営は苦しいものになってきました。
このホテル競争を生き残るため善一郎は、息子には立教学院で英語の教育を受けさせ、本格的ホテルを建てたいと努力をします。
資金がとぼしかった善一郎は、偶然にも30年ぶりに資産家の旧友との再開、資金の援助を受け、建設途中で嵐の為、損傷したまま放置してあったホテル用建物を取得修復し、「カナヤ・カッテージ・イン」開業から20年目にして念願の「金谷ホテル」を、現在の地で始めることが出来たのです。
以来、135年後の今日に至るまでお客様をお迎えし続けているのです。


我々の泊まった中禅寺金谷ホテルは昭和15年に栃木県営の「日光観光ホテル」として誕生し、その建設・経営を金谷ホテルが委託されたのが始まりで、その後の戦争、進駐軍の保養施設、失火による全焼を経て平成4年に現在の建物での営業が始まったとのことでした。
写真は昭和15年当時の中禅寺金谷ホテルです。


 名前 中禅寺金谷ホテル
 住所 321-1661 栃木県日光市中宮祠2482番地
 電話 0288-51-0001  Fax 0288-51-0011

日光の紅葉 [日光]

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2013年10月28日に日光に行ってきました。奥日光や中禅寺湖の辺り紅葉が進んでいましたが奥日光に比べると標高の低い日光の辺りはまだ先の状態でした。そこで以前に11月13日~14日にかけて日光に行ったときの写真を紹介いたします。その日は快晴で、もみじの紅葉をきれいに見ることが出来ました。このことから日光は今が紅葉を見るのに絶好の時期ではないかと思われます。
特に葉の裏側からはステンドグラスのような美しさがあります。無意識の内に裏側から撮っていました。

裏側からの写真をもう一枚、紹介いたします。
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紅葉(もみじ)は光によって見え方が変わってきます。
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杉の隙間から見える紅葉(もみじ)も幻想的です。
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もみじ葉は真赤に紅葉していました。
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この写真は日光の二荒山神社あたり家光廟大猷院の紅葉(もみじ)です。後で紹介する日光山輪王寺と二荒山神社には沢山の紅葉(もみじ)がありました。日光と言えば日光東照宮ですが紅葉(もみじ)の季節には日光山輪王寺と二荒山神社にも必ず訪れてください。
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有名な日光東照宮の中は杉の大木に覆われておりモミジはありませんが参道脇はきれいなもみじがありました。
写真を撮っているあたりから上には紅葉はほとんどありませんでした。この参道の左側が日光山輪王寺です。
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これは日光東照宮の参道を下から撮ったものです。沢山はありませんが杉の大木の中の紅葉はすばらしいものがあります。
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こちらも日光東照宮の参道のもみじです。
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日光山輪王寺あたりの紅葉(もみじ)のある景色です。世界遺産の日光山内の社寺は「二社一寺」と言われております。その3つとは日光東照宮、二荒山神社、日光山輪王寺です。3ケ所の紅葉(モミジ)を紹介いたしました。
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中善寺温泉あたりの街路樹はモミジでした。

奥日光三名瀑 湯滝 [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大すでに紹介したとおり2013年10月28日に華厳の滝を見に行きました。その時の華厳の滝が右の写真です。華厳の滝は「日本三大瀑布」ですが、さらに「奥日光三名瀑」でもあり、「日光三名瀑」でもあります。華厳の滝を見た後は、この時に紅葉が見れる標高が1400mの奥日光に行きました。そこで見ることが出来たのが、「奥日光三名瀑」の一つである上の写真の湯滝(ゆだき)でした。これで二つの「奥日光三名瀑」を見ることが出来たことになります。
 日本三大瀑布  華厳の滝 那智の滝 袋田の滝
 奥日光三名瀑  華厳の滝 湯滝    竜頭の滝
 日光三名瀑   華厳の滝 霧降の滝 裏見滝

クリックすると拡大湯滝は右下の写真の湯ノ湖から流れ落ちる滝です。下の写真は湯ノ湖からの落ち口(銚子口/滝口)の部分で、ここから斜めに水が滑り落ちていきます。
右の写真の先が下の写真の落ち口です。
「奥日光三名瀑」以外の呼び方としては「奥日光三大瀑布」などの呼び方もありますが検索件数の結果から「奥日光三名瀑」が妥当なようです。数値はYahooで検索された件数です。日光三名瀑の検索に関しては奥日光三名瀑の検索とダブらないように"奥"の文字を含まない設定で検索しました。
クリックすると拡大 ❶ 日本三名瀑    49400
 ❶ 日本三大瀑布 260000
 ❶ 日本三大名瀑 248000
 ② 奥日光三名瀑  97400
 ② 奥日光三大瀑布    22
 ② 奥日光三大名瀑    72
 ❸ 日光三名瀑    26000
 ❸ 日光三大瀑布     30
 ❸ 日光三大名瀑     60


湯滝は華厳の滝のように垂直に水が落ちるのではなく傾斜を斜めに落ちていきます。その滝の横を歩いて落ち口(銚子口/滝口)まで登って行けました。落差は50mで幅は25mと目の前で見ることが出来る迫力のある滝でした。


滝の落ち口の標高は1475mであることから、この時は紅葉に関してはベストであったと思います。現在はすべて散ってしまっていると思われます。ここに写っている道を紅葉を見ながら登って、滝の落ち口まで行きました。


紅葉の写真を何枚か、掲載させていただきます。
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滝の欲には沢山の紅葉した木がありました。


迫力を感じてもらうために近くからの写真を紹介します。滝の斜面を構成する岸壁は、湯川の流れをせき止めて湯ノ湖を形成した三岳の溶岩だそうです。滝の下段部は左右二股に分かれているのも湯滝の景観の特徴です。
湯ノ湖から流れ落ちる滝なので湯滝と名前が付いたのだと思います。また湯ノ湖の湖畔には日光湯元温泉があり、日光白根山からの水と温泉からのお湯が流れ込んでいることから湯ノ湖の名前が付い多のではないかと思いますが、滝を流れ落ちるのは湯ではなく水です。
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湯滝を流れ落ちた水は日本有数の高層湿原「戦場ヶ原」を流れる湯川となり、さらに下って中禅寺湖へ流れていきます。
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下流側から湯滝を見た景色です。湯滝の大きさが判ってもらえると思います。
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茶店では美味しそうなものが、いろいろと売られていました。ここの見学は駐車料金のみで見ることが出来ます。


緑色マークが、今回紹介の奥日光三名瀑の一つである湯滝です。残りの2つのマークも奥日光三名瀑で、赤色マークが華厳の滝で空色マークが竜頭の滝です。奥日光三名瀑の中で湯滝が最も標高の高い1475m(落ち口)のところにあります。

より大きな地図で 奥日光三名瀑 を表示

紅葉と虹の華厳の滝 2013年10月28日8時23分 [日光]

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上の写真が2013年10月28日8時23分の華厳の滝です。
クリックすると拡大すでに紹介した記事のように2013年10月21日に「紅葉の華厳の滝」を見ようと訪れたら右の写真のように「霧の華厳の滝」だったので、どうしても「紅葉の華厳の滝」を見たくて2013年10月28日に家内と一緒に華厳の滝を再訪いたしました。家内が、日光には来たことが無かったのも再訪した理由の一つでもありました。
華厳の滝は、東を向いて流れ落ちているので華厳の滝を見るのであれば朝がいいと思い、先ずは華厳の滝を訪問いたしました。家を5時10分に出発して常磐自動車道、東京外環状自動車道、東北自動車道、日光宇都宮道と乗り継いで華厳の滝の駐車場に着いたのは8時10分でした。見事な虹が架かっており「紅葉と虹の華厳の滝」見ることが出来ました。

さすがに早かったのでバス専用駐車場は、まだ1台も停まっていませんでした。東北自動車道や、いろは坂で沢山の観光バスを追い抜きましたが、我々と同じくここを目指していたことは華厳の滝を離れるときに、わかりました。


華厳の滝に最も近い場所に駐車出来ました。ここ以外の駐車場には、上のバス専用駐車場のように車は駐車していませんでした。


エレベータで降りる前に前回及び前々回と同じ場所から滝を撮りました。ここで、やっと「紅葉の華厳の滝」を見ることが出来ると実感いたしました。


こちらが同じ場所からの写真で左が霧で滝が見えなかった前回の写真で、右が紅葉がすべて散ってしまった前々回の写真です。
         10月21日(前回)             11月13日(前々回)
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エれべーターを降りるの前に上の展望台に来てみて驚きました。虹が架かっているのです。滝の右側の縦の虹が判ってもらえると思います。
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虹のあたりを拡大いたしました。下の方から見るともっと上方向の虹が見えることが期待されたりで急いでエレベーターで下の観獏台に降りることにいたしました。
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先ずはエレベーターの昇降券を買います。まだお客さんは少ないようです。


エレベーターも我々が乗ると二人だけでしたが、すぐに降りてくれました。タイミングが遅れると虹が見れなくなるので、すぐに動かしてもらえたのは嬉しいことです。


エレベーターで下に降りて地下トンネルを抜けて観獏台から最初に出会えたのが冒頭の写真で紹介した華厳の滝でした。
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せっかくなので縦長の写真で華厳の滝を紹介いたします。まさに「紅葉と虹の華厳の滝」です。写真の下半分には太陽が当たっていないため真黒です。太陽が上がるにつれて谷の部分も明るくなってきますが、虹の位置も太陽との動きと反対に下に動いていくので1時間以内には見えなくなってくると思います。
よく見ると滝の左側にも虹が見えます。色の順番は右側の虹とは反対でした。完全ではありませんが二重の虹を見ることが出来たのでした。
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拡大したした虹の写真を紹介します。
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別の構図の虹の写真です。
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滝壺あたりの岩にも太陽の光が当たり始めました。この時、8時36分でした。8時23分の時には光は当たっていなかったので朝の景色は短時間で変わることを実感いたしました。
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滝の左側の虹が比較的クリアーに撮れている写真を紹介します。虹全体が見えませんが右側の虹と同心円上にあることが判ってもらえると思います。
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クリックすると拡大右の写真で前回紹介した5~6角柱で出来た玄武岩の岩肌も今回は太陽の光が当たって見事な姿を見せてくれました。この岩肌を見ていると2万年前の男体山の噴火で流れ出た溶岩によって堰き止められたことが実感できました。ちなみに水が華厳の滝から流れ落ちる中禅寺湖は広さ4km2以上の自然の湖としては、日本一標高の高い場所(1269m)にある湖だそうです。
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いろは坂で追い抜いたバスに乗っていた子供たちだと思います。皆さん虹の華厳の滝を見て歓声を上げていました。朝早いと、何か良いことがありますね。


動画でも華厳の滝を紹介いたします。この日の水量は毎秒3トン(3 t/s)とのことでした。1時間あたりにすると1万800トン(10800 t/h)となります。クリックすると毎秒3トンの水の音も聞くことが出来ます。一週間前の10月21日は毎秒2トンでした。台風の時などには毎秒40トン(144000 t/h)になることもあるそうです。


エレベーターで上がって、上の展望台にもう一度来てみました。虹は見えなくなっていました。虹が消えたのではなく太陽の角度が、少し南側(左方向)に変わったことで虹が右に移動したために、正確な表現ではありませんが木の陰に虹が隠れて見えなくまったのだと思います。(木が無ければ見えるはずです。) この時、8時45分でした。
僅かな時間(30分)の差で見えなくなってしまうことを実感いたしました。


今回は400mmのズームを持ってきたので滝の落ち口(銚子口/滝口)あたりの景色を紹介いたします。210mm(24mmの時の8.75倍)の写真です。クリックすると拡大

こちらが350mm(24mmの時の14.58倍)で見た滝の落ち口です。24mmの時とは冒頭の華厳の滝の全景を撮った時のことです。
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これは同じ展望台から華厳の滝の左側に趣のある滝がありました。太陽の光が、当たっていないので鮮やかさはありませんが、ここに太陽が当たるときれいな景色を見せてくれる予感がいたしました。下の観獏台からも見ることが出来ました。
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華厳の滝の脇にある滝を動画で紹介いたします。こちらの滝の名前が判りません是非とも教えてほしいです。


紅葉も進んでいました。
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下流側の方向の景色です。紅葉のある景色は格別でした。


1986年(昭和61年)には滝口(落ち口)の一部が崩落したそうですが、それ以前の写真を紹介します。初めて華厳の滝に来た時の写真を追加させてもらいました。確かに落ち口の部分の形が変わっています。上の写真と比べてみてください。関西に住んでいたころのことで猪苗代湖まで列車で来て猪苗代湖→桧枝岐村→尾瀬→中禅寺湖→華厳の滝→日光→宇都宮と自転車で走りました。華厳の滝に来たのは某年8月14日でした。エレベーター料金は現在530円に対して、この時でも300円でした。新大阪を8月11日に出発して家に帰ったのが8月15日でした。


今までの4回の訪問の写真を紹介いたします。左端が1986年の落ち口の崩落以前の写真です。右側2枚が今年の写真です。左から2枚目は5年前の写真です。
  1986年以前      2008年         2013年        2013年
   8月14日       11月13日        10月21日       10月28日

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霧の中の華厳の滝 [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2013年10月22日追伸 タイトル:霧の中の華厳の滝

5年ぶりに2013年10月21日に華厳の滝に来てみました。5年前の2008年11月13日に来たときには日光は紅葉のベストシーズンでしたが華厳の滝のあたりはすでに紅葉は終わっていました。クリックすると拡大これは日光と華厳の滝の標高差にあると思われ、今回は「紅葉の華厳の滝」が見れるのではないかと右の写真の西那須野ゴルフ倶楽部からの帰りに寄り道をした見たわけです。幸いにもゴルフは13時50分に終わったので、お風呂に入らずに、すぐに出発いたしました。
上の写真は上り側の「いろは坂」で、心配していた車も少なく、もみじは色づき始めていました。これが第二いろは坂です。二車線の一方通行なのはよかったです。
      場所       標高     備考
   中禅寺湖水面   1269m 華厳の滝の落ち口(銚子口)
   日光東照宮参道   634m スカイツリーと同じ高さ 
ちなみに我が家のワンコの名前はムサシ(634)です。

華厳の滝の落ち口(銚子口)である標高1269mまで登ると紅葉は見ごろのようで沢山の人たちが来られていました。特に中禅寺湖方面は渋滞状態でした。我々はすぐに華厳の滝の近くの駐車場に車を停めて滝に向かいました。


IMG_0370-1094.jpg下の写真のアングルで、右の写真のように、ちらりと華厳の滝が見えるはずなのです。嫌な予感が的中いたしました。
霧で滝が見えないのです。下の方にも掲載させていただいていますが、右の写真は5年前の2008年11月13日に偶然にも同じ場所から撮った写真です。滝の音だけは聞こえました。
右の写真はクリックすると拡大します。


下に降りても霧で華厳の滝が見えないのではないかと心配しながらエレベーターで100m降りました。
 営業開始 : 1930年
 定員    : 30名
 料金(往復): 大人 530円 小学生 320円
 営業時間 : 8:00~17:00 (3月~4月)
          7:30~18:00 (5月~9月)
          7:30~17:00 (10月)
          8:00~17:00 (11月)
          9:00~16:30 (12月~2月)
 高低差   : 100m
 機数    : 2台
 所要時間 : 60秒
 定休日   : 無休
 会社名   : 株式会社 丸沼
 製造    : 日本オーチス・エレベータ株式会社


到着した観漠台から、霧の中に華厳の滝を見ることが出来ました。エレベーターを降りる前の、いやな予感と違い滝壺あたりはクリアーに滝を見ることが出来ました。滝の落ち口のあたりは、はっきりは見えませんが写真の上から8分の1あたりが落ち口(銚子口)です。5年前の写真と比べてもらえれは大凡の落ち口(銚子口)が判ると思います。この時、15時15分でした。
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滝の下の方を拡大いたしました。期待していた「紅葉の華厳の滝」ではありませんでしたが幻想的な「霧の中の華厳の滝」に出会えました。
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プレイボタンをクリックすると滝の水の音が聞こえます。


縦長の写真で「霧の華厳の滝」を紹介いたします。日本三名瀑は一般には日光の「華厳の滝」、熊野の「那智の滝」、奥久慈の「袋田の滝」です。
クリックすると拡大クリックすると拡大しかし全国的には別の組み合わせがあります。三名瀑のうち、華厳の滝と那智の滝の2つの滝は不動不変の存在でが3番目の滝として秋保大滝(宮城県仙台市)、安倍の大滝(静岡県静岡市)、称名滝(富山県中新川郡立山町)、白水滝(岐阜県大野郡白川村)、布引の滝(兵庫県神戸市)などが入る場合もあります。右の写真はWikimediaから転用させてもらった那智の滝(左)と袋田の滝(右)です。
  華厳の滝 栃木県   落差 97m、幅 7m
  那智の滝 和歌山県  落差133m、幅13m  1段落差日本1位
  袋田の滝 茨城県   長さ 120m、幅73m  4段滝 


下流側の谷の方向の景色です。
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横の壁は5~6角柱の岩で出来ていることから溶岩の中でも硬い玄武岩で出来ていると思われます。
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実は冒頭の写真のように滝の下の方でも見えたのは幸運だったのです。短時間の間に見えなくなってきました。


上の華厳の滝の写真と比べてみてもらえると、滝が見えなくなってきたことが判ってもらえると思います。この時、15時19分でした。最初の写真を撮ったのが15時15分なので4分間で、ここまで見えなくなってしまったのでした。
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15時21分になると完全に華厳の滝が見えなくなってしまいました。誰もカメラを向けていないことでも、滝が見えなくなったことが判ってもらえると思います。
我々は幻想的な「霧の華厳の滝」見ることが出来たのでラッキーだったのではないかと感じられました。見えなくなってエレベーターで降りてこられた方が気の毒でした。
でも粘り強く待って写真を撮られている方もおられましたが、我々は先が長いので帰ることにいたしました。
クリックすると拡大ちなみに三脚を使っての長時間の撮影は周りの人に迷惑となるために禁止されています。禁止されているのは三脚を使うと貴重な場所を長時間占有ししまいがちになるためだと思います。ルールを守って譲り合って撮影するようにいたしましょう。この時は長時間占有されるような方はおられませんでした。


これは観漠台とエレベーターの間のトンネル内に祀られている観音様です。


これがトンネル内のエレベーターの乗り降り場所です。


エレベーターで100mを1分間で登ります。あと10mで地上にです。


霧の中のエレベーター乗り口の建物です。


駐車場に着いたら、すぐに下り側の「いろは坂」を降りて東北道などを経由して家に帰りました。下りの「いろは坂」は結構、混んでおり渋滞ぎみで、ゆっくりと降りることになりました。こちらが第一いろは坂です。
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第一いろは坂からの景色です。この時、15時50分でした。


赤色マーク( )が華厳の滝の落ち口で緑色マーク( )が標高634mの日光東照宮参道です。華厳の滝の左側の湖が中禅寺湖(水面標高1269m)です。緑色ラインが第二いろは坂を上るコースで橙色ラインが第一いろは坂を下りるコースです。

より大きな地図で 華厳の滝 を表示
初めて華厳の滝に来た時の写真を追加させてもらいました。関西に住んでいたころのことで猪苗代湖まで列車で来て猪苗代湖→桧枝岐村→尾瀬→中禅寺湖→華厳の滝→日光→宇都宮と自転車で走りました。華厳の滝に来たのは某年8月14日でした。エレベーター料金は現在530円に対して、この時でも300円でした。新大阪を8月11日に出発して家に帰ったのが8月15日でした。



2008年11月13日 タイトル:晩秋の華厳の滝
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日光に来れば華厳の滝には行きたいですね。2008年11月13日に華厳の滝に行きました。快晴の14時半ごろの写真ですが、すでに太陽は山に遮られて結構、暗い感じです。エレベーターを降りて観瀑台から撮りました。この日は沢山の小学生が来ていました。

ネットでの説明は以下の通りです。
男体山の噴火により堰き止められた中禅寺湖からの地表を流れる唯一の流出口大谷川にある滝。落差97mの滝を一気に流れ落ちる様は壮観で、日本三名瀑のひとつにも数えられている。
中段部分からは十二滝と呼ばれる伏流水が流れ落ち、直下型の華厳滝と相まって優れた景観を作りだしている。観光客向けの華厳滝エレベーターが設置されていて、エレベータで降りた観瀑台からは滝壷を間近に見ることができる。
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こちらは上の写真に似ていますが流出口より上にある展望台からの写真です。滝つぼはあまり見えませんが滝に流れ込む流出口大谷川が良く見えます。
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滝の脇にまわって撮りました。1ケ月前(10月中旬)だと紅葉がきれいだったと思います。このあたりは「もみじ」ではないので全て落葉していました。
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100mのエレベーターで降りて地下通路を歩くと目の前に華厳の滝が現れました。


この建物がエレベーターの乗り口です。エレベーターは79年前の1930年に建設されたそうです。ちょっと驚きました。

金谷ホテルのディナー [日光]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

宿泊した中禅寺湖中禅寺金谷ホテルはフランス料理に定評があります。逆に言えばフランス料理を味わいたいときは金谷ホテルに泊まるとよいということになります。ワインも金谷ブランドでした。ワインボトルにKANAYZ HOTELと書かれているのが判るとと思います。
赤はカベルネ種50%メルロー種50%で白はシャルドネ種100%でした。右の冷酒(純米大吟醸)も「金谷ホテル創業130周年記念」と書かれた特注品でした。

オリジナル純米大吟醸酒「光乃心」だけを撮りました。販売者は金谷ホテル株式会社となっています。
ワインも冷酒も金谷ホテルが選定しているだけのことはありました。
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前菜です。鴨胸肉と梨のテリーヌとフォアグラのコンフィです。ソースは牛蒡のソースです。フォアグラだと認識して食べるのは久しぶりです。
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シンプルなコンソメスープでした。その場で入れてもらえました。
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帆立の貝柱と車海老のソティ ソースはバルサミコ酢ソースでした。この後は「お口直しのシャーベット」が出てきて次はメインでした。
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メインは黒毛和牛フィレ肉のステーキでソースはトリュフソースでした。ソースの中の黒いものがトリュフのようです。
メニューにポン・ヌフ添えとも書かれていました。「ポン・ヌフ添え」の意味がもう一つ判らないけれどポン・ヌフはセーヌ川にかかる最古の橋の名前なので、ジャガイモとクレソンとインゲンがパリ風の添え方なのかなと思っています。お酒が進みました。
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この後にサラダが出てきました。


最後はデザートと紅茶をいただきました。