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サイクリング部の現役と卒業生の交流会に行ってきました。 2017年2月4日 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大私が学生時代に入っていたサイクリング部では毎年1年末~2月初の土曜日に現役と卒業生(OB・OG)の交流会が行われています。正式名称はOB・OG交流会です。今年も2017年2月4日に行われた交流会に参加いたしました。2016年度の主将は57代であるように、現役と卒業生の交流会が長く続いているは珍しいと思いますので紹介したいと思います。
  OB:Old Boy  OG:Old Girl

交流会は学校構内の写真の会館で行われました。
現役は未成年者も多く、また構内でアルコールを飲むことは禁止なのソフトドリンクでの交流会となります。
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交流会は11時30分に始まりました。最初に59代主将から開会のあいさつとスケジュールの説明がありました。写真の中の「開会のあいさつ」と「現役の活動報告」の間に現役とOBの自己紹介が入りました。右の写真はOBの自己紹介を行っている場面です。年度別に前に出て自己紹介をいたしました。偶然ですが同じ年代で3人のグループが3つありました。
 ①開会のあいさつ                11時30分~          
 ②現役とOBの自己紹介(年度と名前)      11時35分~11時50分
 ③現役の活動報告                11時50分~12時40分
 ④現役とOBが一緒に混ざって昼食(まさに交流会)12時40分~14時30分
 ⑤OBからの経験談               14時30分~16時50分
 ⑥閉会                     16時50分
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現役の活動報告の光景です。最初に58代となるツーリング班の主将から全般的な活動報告があり、レース班の主将からの活動報告もありました。
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各合宿などの報告は、それぞれ担当が変わってパワーポイントで行われました。現役からの活動報告が終わったのは12時40分でした。
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こちらは秋合宿の説明です。我々の時代には秋合宿はなく、代わりに500㎞耐久レースと一般学生と走る公開サイクリングを行っていました。
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現役の発表が終わって部屋に戻るとすでに昼食の準備が出来ていました。ついつい古い仲間同士で話したくなりますが、そちらは二次会に任せて、今回は現役の人との間で話ができるようにOBは各テーブルにばらけて座りました。


昼食を食べながら、昔のサイクリングの話を興味深く聞いてもらい、こちらも最近のサイクリングを興味深く聞きました。14時30分まで続いたので、まさに、これが交流会というところでした。昼食は次のような変遷がありました。小さな写真が合宿カレー(2014年)と模擬店ぜんざい(2011年)で、両方ともに手作りです。飲み物は、暖かいコーヒー、紅茶、お茶とペットボトルのソフトドリンクが用意されていました。
 2011年 合宿カレー 模擬店ぜんざい オードブル 菓子類 
 2012年 合宿カレー 模擬店ぜんざい オードブル 菓子類 と予想(欠席) 
 2013年 合宿カレー 模擬店ぜんざい オードブル 菓子類  
 2014年 合宿カレー 模擬店ぜんざい 饅頭
クリックすると拡大クリックすると拡大 2015年 弁当    菓子類
 2016年 弁当    菓子類
 2017年 仕出し弁当 菓子類
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クリックするとオリジナルの写真を表示これが合宿カレーです。合宿にはこの鍋を持っていくと思います。我々の時も同じタイプでしたが、右の写真のようにベコベコの上に薪を使ったので真っ黒でした。今年は仕出し弁当のためなかったので2014年の時の写真を掲載いたしました。右の写真をクリックしてみてください。
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そしてこちらが模擬店ぜんざいです。こちらも2014年の写真です。秋の学園祭の時の模擬店で作っていました。昔は巨大な釜でぜんざいが作られていましたが、いつしか大釜はなくなってしまったようです。
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2011年~2013年は立食パーティー形式で、現役とOBが話が出来て和やかな昼食会でした。上で紹介した通り合宿カレーと模擬店ぜんざいもだされて盛り上がりました。椅子が使われるようになったのは2014年からです。写真は2013年の立食パーティーの様子です。


今年で51号となる部誌も1号から並べられていました。これをテーブルに持ってきて話をするOBも多数おられました。1号は手作りのガリ版刷りですが、2号以降は印刷で作られています。今年の51号は、ほとんどの部員が書いた72の原稿で構成された256ページの大作でした。72の原稿で256ページになることからわかるように一つの原稿も数ページの大作が多いのです。51号の発行日は昭和29年1月31日です。
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昼食後は、今度はOBが体験談を中心に話をいたしました。


私は2011年から交流会に参加していて2014年から私もパワーポイントを使って説明するようになりました。
今回がパワーポント使って説明するのは4回目で、私のパワーポイントも恒例となったことから一番最後に説明させてもらうようになりました。そのパワーポイントを動画にいたしましたので紹介します。
是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。1画面1秒で表示します。オリジナルは106画面ですが、その中の98枚を紹介します。ゆっくりと3秒間隔で見たい方はこちらをクリックしてみてください。→ポチッ
昨年(2016年)のパワーポイントはこちらです。 → ポチッ


私の説明の中の一つである2年の春合宿の写真を紹介します。あえて雪が残る信州を選んで合宿をしました。下の写真は権兵衛峠(標高1522m)をクリックすると拡大越えるために権兵衛街道を東側から登っているところの走りながら記念写真です。ただし、左下の写真の場所で道が途切れてしまって峠に登るのは途中で断念いたしました。右の写真は前日(3月18日)に私が単独で西側から権兵衛峠に登った時の写真です。右の写真をクリックすると権兵衛峠と標高1,522の文字が読めると思います。下記のルートで諏訪湖から保古ノ湖が合宿(3月19日~4月2日 )で、前後はプライベートで移動したルートです。
メンバーは1年 2名、2年 3名、3年 3名の 計 8名でした。
宝塚(家 3月17日)→京都→名古屋→寝覚ノ床→権兵衛峠→諏訪湖(3月19日)→杖突峠→駒ヶ根→権兵衛街道→駒ヶ根→飯田→温田→南宮峡→新野峠→渋沢温泉→木ノ実峠→保古ノ湖→馬篭峠→保古ノ湖(4月2日)→名古屋→宝塚(家 4月3日) → http://goo.gl/maps/iB9r3
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3年の春合宿の写真も紹介します。2年の時と同様に、あえて雪が残る信州を選んで合宿をしましたが、想像以上に過酷な合宿となりました。
本写真をクリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
写真は信州峠に北側から登っているところですが、道の雪は完全に凍って氷の世界でした。3年の時の春合宿は信州と九州と山陰の3グループでした。
今の信州峠はこちらです。 → https://goo.gl/maps/9mccgcKkjBm
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信州峠の南斜面の下りはもっと過酷でした。雪が解けて道は泥沼と化していたからです。下記のルートで軽井沢から青梅が合宿(3月20日~3月25日 )で、前後はプライベートで移動したルートです。東京から宝塚まで走ったのは2度目でした。メンバーは1年 1名、2年 2名、3年 4名の 計 7名でした。
右下の写真のみ馬越峠で後は信州峠です。馬越峠の写真の背景の山の尾根に信州峠があります。
宝塚(家 3月18日)→彦根→中津川→塩尻→軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅→東京→静岡→宝塚(家 3月27日) → http://goo.gl/maps/XXZqN
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こちらも説明で使った写真です。学生時代の私の最後の4年の夏合宿です。写真は乗鞍山頂を目指して松本近くの奈川渡ダムあたりの10%の急坂道を登っているところです。メンバーは1年 3名、2年 2名、3年 3名、4年 3名の 計 11名でした。自分が撮っているため自分自身が写っていないのは残念ですが、これだけきれいな隊列で走っている写真は珍しいので気に入っています。急坂道だから撮れたのだと思います。当然ではありますが、このような写真はカメラ係がスピードあげて前に出でカメラを構えて撮ります。青いユニホーム着ているのが4年生です。写真はクリックすると拡大します。下記のルートで糸魚川から高山が合宿(8月5日~8月21日)で、前後はプライベートで移動したルートです。4年の時の夏合宿は信州と北海道と東北の3グループでした。
宝塚(家 8月3日)→敦賀→金沢→羽咋→七尾→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→宝塚(家 8月22日) → http://goo.gl/maps/xX1MM
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OBからの体験談の話が終わり、顧問の先生が挨拶したところで、みんなで冒頭の記念写真を撮りました。


右上から2011年、2013年、2014年む、2015年、2016年、2017年の記念写真です。6回出席してパワーポイントでの紹介が4回(2014年~2017年)で、記事掲載が3回(2012年、2016年、2016年)となります。着色文字をクリックすると記事を表示します。
 2011年 1月29日(土) → 出席
 2012年 2月04日(土) → 海外出張のため欠席
 2013年 2月02日(土) → 出席(未掲載)
 2014年 2月08日(土) → 出席(未掲載)
 2015年 2月07日(土) → 出席(未掲載)
 2016年 2月06日(土) → 出席 2次会 3次会 東京
 2017年 2月04日(土) → 今回
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私が参加した交流会の中でOBの参加者が25名と、最も多かったのが2015年でした。下記の写真はOBだけで行われた2015年の二次会です。


交流会が終了して解散したのが16時50分でした。



2次会
もちろんOBだけで2次会に行きました。これも楽しみの一つです。交流会が終わって居酒屋に着いたのは17時を越えていましたが16時からでも飲めるように探したお店が居酒屋「ニッパチ」でした。クリックすると拡大こちらのお店で「食べ放題」+「飲み放題」のコースを頼みました。こちらの「食べ放題」はバイキングと違いメニューで注文するのです。メニューの中に書かれているものであれば何を注文しても追加金額は発生しないシステムなのです。中国の上海ではよくあるシステムですが日本では珍しく、私は初めてでした。
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我々が選んだのは食べ飲み放題2時間コース3000円です。
料理は自分の好きなものをメニューから選ぶのですが、最初に早く出せる料理を5品(固定料理)ほど店側から出されます。それがで終わった料理の注文が始まります。ドリンクも自由なので150種類あります。1名からでも食べ飲み放題が出来るとのことなので、5品というのはテーブルに座る人数と合わしているのではないかと感じました。
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こちらも固定料理です。
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こちらのお店の特徴は「食べ飲み放題」だけではありません。すべての料理が基本的に280円なのです。すべて280円と書かれているのが判ると思います。
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こちらのページでは「うなぎ釜めし」だけが480円です。さすがに鰻は高いので280円では提供できないようです。
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デザートも280円でした。「うなぎ釜めし」以外にも例外がありました。それは鍋です。5種類の鍋がありました。
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タコ焼きも固定料理として出てきました。
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フライドポテトも固定料理です。
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こちらは注文して出てきたピザです。人数が多いので何枚も注文いたしました。
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玉子焼きも頼みました。食べ放題なのでこれ以外にもたくさん注文いたしました。
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3次会
クリックすると拡大食べ飲み放題は2時間だったので、いつも通り3次会に行きました。居酒屋系はほとんど満席で断られました。満席でなくても人数的に入れなかったので、大きなビヤホール「ニューミュンヘン南大使館」にいたしました。本場のビールで乾杯です。
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ビールと言えばソーセージが食べたくなります。
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ビールに合う唐揚げも頼みました。
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チーズの盛り合わせも頼みました。
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ピザも頼みました。食べ放題の2次会の後とは思えないほど頼みました。
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高校の同窓会に行ってきました。 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日、2016年9月21日~27日に関西に行っている時に、某ホテルで高校の同窓会がありました。結婚式のような雰囲気ですがテーブルごとにクラスが分かれて座ります。テーブルの上にアルファベットの札が立てられているのが判ってもらえると思いますが、クラスの名前です。A組からJ組まで10テーブルありました。私はJ組だったので写真の一番手前のテーブルに座りました。二次会も同じホテル内の別の部屋で行われました。
 15時~18時 同窓会 115名 8000円
 18時~20時 二次会  65名 2000円

こちらが全員での記念写真で黄色の丸印(〇)が私です。今回が第2回同窓会です。第1回の同窓会が1999年なので、17年ぶりの同窓会ということになります。私は初めとの参加でした。


クラスごとの記念写真です。AからJの10クラスでした。私はJクラスでした。他のテーブルに遠征している人もおられたので全員ではないようです。例えばJ組は15名のはずですが、写真は14名です。



クリックすると拡大卒業生494名の内、115名が参加いたしました。
      卒業生   参加者   Jクラス参加
 男子   300名    90名    14名
 女子   194名    25名     1名
 合計   494名   115名    15名

当時の私の3年のクラスであるJクラスの記念写真です。この中から15名が参加していました。
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当時は限られた範囲の中学校からしか入学していなかったので約20%は私と同じ本山中学校(神戸市立)でした。今回も卒業時の中学3年6組には私を含めて少なくとも3名が同窓会に参加していました。丸印(〇)がその参加者です。クラスは13組までありました。
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その本山中学校には、本山第一小学校と、本山第二小学校と、本山第三小学校の3つの小学校から入学するため、私の通っていた本山第一小学校(神戸市立)からも同窓会に参加されていました。つまり高校の同窓会ではありますが、中学校や小学校の同窓会でもあるのです。下の写真は小学校6年2組の写真です。
今回の同窓会では小学校の時の6年3組と6年6組の2名(右の写真)の方から声をかけられました。そのお2人は中学校では3年2組と3年10組で、高校では3年C組と3年A組した。私は小学校4年の時に広島から神戸に転校してきたのですが、同じクラスがあったかもしれません。
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雰囲気をお伝えしたいので小さい写真ですが同窓会の写真を掲載いたします。左上の写真が受付しているところで、右上の写真が乾杯の瞬間です。



クリックすると拡大同窓会が終ったらテーブルを移動させての全員での記念の集合撮影をとりました。先ずは下の写真のように先生と女性陣が座り、その後に全員が並んで撮ったのが冒頭から2枚目の写真です。
今回はいい思い出となりました。


こちらが二次会の写真です。



当時の校門からの高校の写真です。
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こちらは現在の高校の写真です。
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グランド側から見た当時の写真です。
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こちらは現在の写真です。建物はかなり変わったようです。関東に引越してしまったので20年以上見ることは無かったので懐かしいです。
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私が所属していた生物部の写真です。
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中庭には池がありましたが、現在はありませんでした。
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1年生の7月13日の野外活動の写真です。兵庫県のスキー場として有名な鉢伏山(1221m)に行ったときの写真です。
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1年生の時に多くの人が集まった写真です。
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2年生の10月1日の体育祭です。PGと書かれているのが私のクラスである2年C組です。担任の数学の先生のあだ名がベクトルPGだったので「→とPG」が書かれているのです。体育祭は9月25日~10月1日に行われた記念祭(文化祭+体育祭)の中の一つのイベントです。
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2年生時の記念祭(9月25日~10月1日)の中で所属していた生物部の発表エリアで撮った記念写真です。白いワイシャツ姿で座っているのが私です。
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修学旅行は北九州でした。修学旅行も2年生の時でした。写真は長崎の平和祈念像の前です。右側の背広姿との二人は先生で、その中の右側の先生が今回の同窓会に参加いただきました。
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修学旅行では熊本城にも行きました。修学旅行は10月26日~10月31日にありました。
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2年生の時の授業風景です。
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3年生の10月5日に行われた体育祭の写真です。この日には記念祭の終幕祭も行われます。記念祭の前夜際は10月2日に行われました。
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修学旅行など思い出が一番多いのが2年生の時なので、2年生の時の集合写真を紹介します。クラスは2年C組です。クリックすると大きく表示します。こちらからも数人ほど同窓会に参加されていました。
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2年生の集合写真を紹介したので、1年生の時の集合写真も紹介します。こちらから少なくとも女性は3名ほど同窓会に参加されていました。男性も何人か参加されていました。
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タグ:高校 同窓会

サイクリング部の初めての東京OB会 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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私は学生時代は学校のサイクリング部に所属していました。上の写真が私が1回生の夏の時の部員全体の集合写真です。黄色の丸印( )が私の同期のメンバーです。現在のサイクリング部の現役の方が、毎年2月の初旬に、学校の校内でサイクリング部のOB会を開催してくれています。現役とOBを合わせての交流会です。私は交流会が続けられていることを知りませんでしたが2010年に偶然にネット内で知って2011年の交流会から参加させてもらっています。

交流会で私が当時のサイクリング部紹介したパワーポイントです。中央のプレーボタン( )をクリックすると、どのようなクラブであったかが、分かってもらえると思いますが、体育会に属する体育会系の正規のクラブでした。


学校が大阪にあることから私の同期以外はすべて関西に在住の方しかOB会には参加しておりませんでした。学校全体としては東京のホテルでOB会は行われているのですが、サイクリング部としては東京で集まることも無かったのです。2016年は2月6日に学校校内で行われましたサイクリング部のOB会(交流会)の二次会でもそのことが話題になり、酔った勢いで、その場で関東の人に電話をして、東京で飲み会をすることになりました。決まった人数は私の同期と2年後輩と4年後輩の7名でしたが、今後の発展を祈念してサイクリング部東京OB会と命名いたしました。参加できない方が出で6名となりましたがね手を尽くしていただいた結果、+6名の合計12名となりました。その中には先輩2名も入っておりました。場所は巨大海老チリが食べれることで以前紹介した四川料理店で行いました。2016年4月16日11時30分でした。こちらのお店は東京駅に近いビジネス街にあることから土曜日は昼だけの営業のため、予約は行っていないとのことでしたが巨大海老チリを皆さんに紹介したいので、巨大海老チリと麻婆豆腐を含んで料理はお任せにする条件でお願いすることが出来ました。お店に入ると12名が座れるようにセッティングされていました。OB会長は一人関西から参加していただけました。
記念写真はみんな、にこやかな顔で写っていました。
クリックすると拡大 4年先輩   1名
 2年先輩   1名
 同期     4名
 2年後輩   1名
 4年後輩   1名 OB会長
 1998年卒業  1名
 1992年卒業  1名
 2015年卒業  2名
 合計    12名
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さっそくビールで乾杯です。最初に出されたのは、小柱の料理と焼豚が乗った料理でした。
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小柱の料理にはネギと海苔が入っていました。
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次は点心です。焼売と焼焼売です。両方ともに12個でした。焼焼売はボリュームがありました。
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下の焼酎を見てください。今回はお店の方のご厚意により、すばらしい4本の焼酎が用意されていました。こちらのお店の常連の方一緒に昨年から何度か利用させてもらったおかげで用意していただいたのです。4本共に鹿児島産の焼酎で、3本が芋焼酎で1本が大麦の焼酎でした。
クリックすると拡大 芋 黒田苑  黒麹
 芋 酔神の心 黒麹 モンド・金賞受賞
 芋 悠の雪  白麹 
 麦 DEN-EN silver 白麹 常圧蒸留
初対面の人が多いので自己紹介です。カメラを精一杯か高くして自己紹介の様子を撮りました。
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先ずはモンドセレクション金賞の「酔神の心」シリーズの焼酎をいただきました。みんなロックでいただきました。口当たりからロックで飲むのに値ると焼酎であると感じました。こちらの酒蔵の「さつまゑびす堂」の焼酎は2011年、2012年、2013年、2014年とモンドセレクションの金賞を多数受賞していました。
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次に出された料理は牛カルビと青菜炒めです。柔らかな牛肉料理で、これは美味しかったです。
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味わいを感じていただくために拡大写真を掲載いたします。
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おこげの上から餡をかけているところです。料理名は五目おこげだと思います。
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おこげと餡の感じを紹介したかったので取り分けた小皿の写真を紹介します。
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ご指名料理の一つ麻婆豆腐が出てきました。山椒がきいていました。
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小皿に取り分けた麻婆豆腐です。
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もう一つのご指名料理の巨大海老のエビチリです。
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やっぱりこの巨大海老のエビチリは拡大したくなります。
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用意していただいた4本の焼酎は飲み切りました。いずれも美味しい焼酎でした。お店の人のご厚意に大感謝でした。
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クリックすると拡大最後の締めは五目焼きそばでした。美味しさは写真から想像していただけると思います。右の写真はOB会がはじまって1時間48分後の13時18分です。料理も美味しくほぼ食べ切りました。終わったのが14時16分だったので、これからさらに1時間近く会話とお酒と料理を楽しんだことになります。来年の4月に第2回東京OB会わ開催することも決まり、幹事役の方も決まりました。花見と言う案も出ていましたが、いずれにしても次も楽しみです。これで、大阪で行われる本体のOB会(交流会)への参加者も増えてもらえるとうれしいです。
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地下のお店から表に上がって記念写真をお店の方に撮っていただきました。一名、自転車で参加してもらったおかげでサイクリング部のOB会だと一目でわかってもらえる記念写真になりました。お店を紹介いたします。
クリックすると拡大  店名 四川食洞(しせんしょくどう)
  住所 東京都中央区八丁堀2-11-8
     平澤ビルB1
  電話 03-3553-4100
  営業 11:00~14:30
     17:00~22:00
  定休 日曜・祝日
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終わったのが、まだ14時20分ごろだったので、しゃべり足らない人同士は私も含めて東京駅の地下でコーヒーを飲んで帰りました。
地図でも場所を紹介します。中央の赤色マーク( )が四川食洞です。
最寄駅からの距離は次の通りです。
東京駅:1000m   茅場町駅:600m   八丁堀駅:150m



追伸 ( 2016年4月21日 )
2016年4月21日13時50分に累計アクセス数(累計閲覧数)が800万に達したことを確認いたしました。So-netブログは2009年5月5日14時59分に最初の記事を掲載したため、始めてから6年11ケ月16日(2542日)と22時間51分目に達成したことになります。閲覧数は3時間ごとに更新されるため約500づつ上がっていくため8,000,000と6しか差がないのは奇跡的な数値と言えます。
500万アクセスから800万アクセスまでは752.8日で到達しているので同じペースと仮定すると、1000万アクセスに到達するのは、あと1年5ケ月(502日)で、2018年9月ごろという計算になります。
500万アクセス到達の時の記事はこちらです。 → ポチッ
  累計閲覧数   8,000,006
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サイクリング部OB会の三次会は鳥良商店 ㋵ [思いで]


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先日あった右の写真のサイクリング部OB会の後の二次会は3時間半でしたが、一年ぶりに会うメンバーで話は尽きないので、三次会となりました。その三次会では鶏料理のお店に行きました。偶然に入ったお店ですが、こちらのお店は驚いたことに地下1階から4階までビル全体で営業しているほどの大規模の鶏料理店でした。案内されたのは4階でした。つまり地下1階は分かりませんが、少なくとも1階から3階までは満席だったのです。

さっそく注文したのが「砂肝のごま塩あえ」です。この時注文したのはすべて、お店のお勧めの料理にいたしました。こちらもお店のイチ押しだそうです。食感が良かったです。税抜き489円です。
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飲み放題の二次会で3時間半ほど飲み続けていましたが、ビールを2杯ほど飲んでしまいました。


こちらがお店の看板料理の「手羽先唐揚げ」です。30年守り続けてきた創業の味だそうです。5本で480円(税抜き)でした。
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そして一番人気と思われる「くわ焼き」です。岡山県産森林鳥の色々な部位を塩味で焼いたものだそうです。確かに絶品料理でした。熱い鉄板の上に乗って出てくるので、いつまでも熱々を食べることが出来ました。関東のお店では「奥州いわいどり」が使われているようです。これだけボリームがあの上に岩手県の 銘柄鶏の肉がつかれていて税抜き799円は安いと思いませんか。
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上の写真はクリックすると拡大いたしますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
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こちらは1984年創業の東京・吉祥寺のお店が大阪に進出したようです。8店舗の内1店舗が大阪で、残りの7店舗は関東です。そして24時間営業が売りの一つのようです。値段も安かったです。
右の画像の中心にあるプレーボタン( )をクリックするとOB会で紹介したパワーポイントをスライトショーで表示します。
全画面で見たい方は をクリックした後に、右下の全画面ボタン( [ ] )をクリックしてください。
 店名  鳥良商店
 住所 大阪府大阪市中央区難波3-2-15
 電話 06-6631-6303
 営業 24時間
 定休 無し
 HP http://www.sfpdining.jp/toriyoshi-shoten/
 地図 https://goo.gl/maps/dxroh4Zmupj


最近食事したレストランのページにマークを追加してみました。住所から判断するにりくろーおじさんの店旧なんば本店の場所に出来たようです。調べた結果、オープンは2015年10月15日(木)なので、まだ半年は経っていませんでした。

サイクリング部OB会の二次会はフレンチで3時間半 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

すでに報告の通りに2016年2月6日(土曜日)に行われたサイクリング部のOB会に参加いたしました。OB会と言っても現役との交流会で学校で10時半から15時まで行われます。当然ですが20歳未満の人もいるし、学校内であることからアルコールがありません。そんなことから終わった後にOBだけで二次会が行われるのも定例となっています。いつものは居酒屋が多いのですが、今年はフランス料理のレストランで行われました。上の写真が我々の二次会が貸し切って行われた2階席です。

左上の写真が交流会での現役生との記念写真です。あとの3枚は私の席から階段の入口方向を撮った写真です。



最初がオードブルの3種盛りです。これが4人分です。肉料理と甘海エビのマリネとサーモンと野菜の和え物です。この後も料理は4人に対して一皿で出てきました。
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なかなかの一品だったのでサーモンと野菜の和え物の写真を掲載いたしました。
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飲み放題のシステムにさせてもらいましたが、やっぱり最初はビールでした。後でワインもいただきました。料理と飲み放題で定額なので、最初に会費を払うことが出来るので飲み放題のシステムは、このような会には向いています。


次に出てきたのがヒラメのカルパッチョです。
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新鮮なヒラメが使われていました。それを伝えたくて拡大いたしました。
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こちらは生ハムと野菜のサラダです。
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パスタも出てきました。料理は出てきた順番に紹介しております。
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こちらが出されたパンです。私の好きなタイプのフランスパンでした。
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メインの魚料理はヒラメ系の白身魚のローストでした。
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拡大写真を掲載させてもらいました。魚は大型の舌平目の種類だと思います。
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メインの肉料理は牛ロースのステーキでした。
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焼き具合と肉質を紹介したくて切り口を拡大いたしました。
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デザートはプリンでした。二次会が16時30分に始まって3時間半ほど話が盛り上がりました。まだ、話足らずに、この後、三次会に行ってしまいました。右の写真は昨年の二次会です。
飲んだ勢いで、2016年4月16日に関東地方のメンバーで東京OB会をすることが決定いたしました。ただしOB会と言っても単なる飲み会です。
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10時半からの交流会で紹介したパワーポイントのスライドを動画にいたしました。実際のパワーポインの写真に写っている人には名前を付けましたが、ブログ用は実名は消しています。学校名や年もXXXXにさせていただいております。中央のプレーボタン( )をクリックするとスライドショーを見ることが出来ます。全画面で見たい方はプレーボタン( )をクリックした後に、右下の全画面ボタン( [ ] )をクリックしてください。


お店を紹介いたします。
 名前 Brasserie Celeste ブラッスリーセレスト
 住所 大阪府堺市堺区一条通17-24
 電話 072-228-2720
 営業 11:30~13:30 17:30~22:30 日祝は21:30まで
 定休 水曜日
 HP http://www.brassrie-celeste.com/
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最近食事をしたレストランのページにマークを追加してみました。

サイクリング部のOB会に行きました。 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2016年2月3日から2月10日まで関西に行っていましたが、その間の土曜日である2月6日に学生時代のOB会に行ってきました。正確にはOBと現役が集まる交流会です。学校内で行うためにアルコールはありません。10時30分から始まり昼食を挟んで15時まで行われる真面目な会なのです。終わった後にOBだけで二次会を行うのも恒例です。もちろんこの時はアルコールはあります。
長い間、このような会が行われていることを知りませんが、偶然にもネット上で知って2011年から参加しています。
2011年に初めて参加した時の記事がこちらです。→ポチッ

左上の写真が交流会参加者の皆で撮った記念写真です。飲み物を見ながら昔の思い出話で時間を忘れます。



交流会の中で最も重要なのが現役からの活動報告です。OBからは現役に対して話を行います。昔の写真を紹介される方もおられました。私は2014年からパワーポインを使ってサイクリング部時代のや会社に入ってからのことを紹介いたしました。


今回は「2回生の時の夏合宿」と「2015年11月11日に100回目の中国訪問」になったことを紹介いたしました。学生時代には合宿には7回ほど行きました。各合宿は3~4グループがあり、私が行ったのは下記でした。
 1回生 夏合宿 7月07日~7月20日 若狭
 1回生 春合宿 3月07日~3月20日 北九州
 2回生 夏合宿 8月02日~8月13日 信州  2016年紹介
 2回生 春合宿 3月19日~4月02日 信州
 3回生 夏合宿 7月13日~7月22日 東北  2017年紹介予定
 3回生 春合宿 3月20日~3月25日 信州  2017年紹介予定      
 4回生 夏合宿 8月05日~8月21日 信州  2015年紹介
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7回の合宿で走ったルートを紹介いたします。URLをクリックするとGoogle地図でコースを表示します。
 1回生 夏合宿 若狭  http://goo.gl/maps/qA1az
 1回生 春合宿 北九州 http://goo.gl/maps/SSV9J
 2回生 夏合宿 信州  http://goo.gl/maps/JolKf  ←今回報告のコース
 2回生 春合宿 信州  http://goo.gl/maps/2ibxZ
 3回生 夏合宿 東北  http://goo.gl/maps/0LV3f  別地図
 3回生 春合宿 信州  http://goo.gl/maps/XXZqN
 4回生 夏合宿 信州  http://goo.gl/maps/cWxyV
 超えた峠      http://goo.gl/maps/zlWof
  青色(━━) 一人で走ったルート
  赤色(━━) 合宿ルート
  黄色(━━) 車で走ったルート
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ここから下に現役の人に紹介した2回生の夏合宿を紹介したいと思います。こちらが2回生の夏合宿のルートです。宝塚から高岡までは1日、東京から宝塚は2日で走りました。東京から宝塚は2回生の春合宿の時にも2日で走りました。
宝塚(家)→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→鈴蘭小屋→乗鞍岳山頂→鈴蘭小屋→奈川渡ダム→松本→美鈴湖→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→(車)→沼津→伊豆半周→堂ケ島温泉(泊) →修善寺→(車)→東京→静岡→名古屋→宝塚(家)
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クリックすると拡大ここが集合場所でもあり出発地点の高岡駅です。右の写真は現在の現役の2015年の夏合宿の写真です。すごく華やかな感じがします。
 1回生 4名
 2回生 4名  I氏 N氏 Y氏 SORI
 3回生 1名  計9名
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こちらが高岡駅から白川郷への道です。この時代舗装されていないところが沢山ありました。これでも、れっきとした国道、156号線です。ネットで調べてみると跨る山間部は庄川の谷の斜面を削って道を付けた区間で、かつては道幅が狭く大変危険だったため、路線番号にかけて「(谷に落ちたら)イチコロ線」と揶揄(やゆ)されたそうです。途中には趣のある吊橋もありました。
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ここが白川郷です。気に入っている写真の一枚です。


こちらは朝日ダムの上です。この後、野麦峠に向かいました。


こちらが標高1672mの野麦峠です。峠への道は舗装されていない細い地道でした。この後は奈川温泉に泊まりスーパー林道を通り白樺峠を越えて乗鞍岳を目指しました。Google地図のストリートビューで現在の状態を確認してみると広い舗装道路が通っており当時の面影が残っているのは、写真の後ろに写っている「あゝ野麦峠」の石碑だけです。


マーク( )は自転車で越えた峠の中で名前が分かっている155の峠です。その中で標高1500m以上の峠の例を紹介します。
  麦草峠(2185) 渋峠(2172) 徳本峠(2135) 車坂峠(1968)
  金精峠(1843) 武石峠(1830) 安房峠(1812) 沼山峠(1784)
  武石峠(1780) 三平峠(1762) 地蔵峠(1733) 平湯峠(1684)
  野麦峠(1672) 馬越峠(1650) 白樺峠(1640) 和田峠(1531)
  権兵衛峠(1522) 長峰峠(1503)


野麦峠は4回生の夏合宿でも越えました。もちろん「あゝ野麦峠」の石碑の前で記念写真を撮りました。この時、4回生が夏の合宿に参加しましたが、これは異例のことでした。このグループでも3人が参加し、偶然にも今回の2016年の交流会参加者が、このK氏、I氏、SORIの3人なのです。


野麦峠と言えば、山本茂実が10数年の歳月を費やし数百人の女工・関係者から取材して1968年に発表したノンフィクション文学「あゝ野麦峠」です。
戦前に富国強兵のために岐阜県飛騨地方の農家の多くの10代の娘たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪や岡谷の製糸工場へ働きに出た製糸工女哀史の映画である「あゝ野麦峠」を紹介いたします。この映画は154分ですが、紹介の予告編の動画は3分10秒です。女工として大竹しのぶさん、原田美枝子さん、友里千賀子さん、古手川祐子さんが出演されています。


乗鞍岳の中腹にある鈴蘭小屋です。普段は一列縦に並んで走りますが、ここから乗鞍岳の標高2700mにある山小屋までは、各自の体力に合わして走るためにフリーランとなります。鈴蘭小屋の標高は約1470mなので一気に約1230m登ることになります。最も標高差のあるフリーラントなりました。この時、1番手と2番手の差は1時間以上の差がつきました。峠を登るときもすべてフリーランとなります。


こちらが現在の鈴蘭小屋です。Google地図のストリートビューから転用させてもらった写真です。クリックするとストリートビューを表示します。今は前の道は舗装されていますが、当時はとんでもない地道の悪路でした。
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乗鞍岳の最高峰である剣ヶ峰(3026m)に登って行く途中の富士見岳(2817m)の近くから山小屋(2700m)の方を見た景色です。写真の中の左端の山小屋に泊まりました。
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標高3026mの乗鞍岳山頂(剣ヶ峰)です。自転車は最後は担いで登りました。


乗鞍岳山頂には4回生の夏合宿でも登りました。これは4回生の時の写真です。この時は全員で登頂して記念写真を撮りました。実は2回生の時は全員ではなかったのです。
青色のユニホームが4回生で、黄色のユニホームが1~3回生です。


乗鞍岳からは松本を通り、美鈴湖と武石峠を通って美ヶ原を目指しました。この写真は美鈴湖で撮った記念写真です。


ここが美ヶ原です。


美ヶ原からは和田→小諸→松原湖を通って甲府駅で解散いたしました。左の写真は昼食を用意しているところです。学校に頼んで教室を使わさせてもらったのだと思います。甲府駅には小学校からの友人が車で迎えに来てくれて東京に向かいました。


交流会で紹介したパワーポイントのスライドを動画にいたしました。実際のパワーポインの写真に写っている人には名前を付けましたが、ここでは実名は消しています。学校名や年もXXXXにさせていただいております。中央のプレーボタン( )をクリックするとスライドショーを見ることが出来ます。
全画面で見たい方はプレーボタン( )をクリックした後に、右下の全画面ボタン( [ ] )をクリックしてください。


自転車は今までに3台使いました。最も乗ったのはやはり高校2年から入社2年目までの8年間に乗った初代の自転車です。
 徳本峠越え上高地コース http://goo.gl/maps/MmXEW
 木曽サイクリング    http://goo.gl/maps/OlbbH
 猪苗代湖・日光・宇都宮 http://goo.gl/maps/ZDXmN
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中国訪問が100回となりました。 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2015年11月11日から11月18日まで中国に行って来ました。
上のグラフのように、今回の中国訪問が100回目となります。香港(6回)とマカオ(3回)は100回の中に含まれていません。今日の日本時間13時(中国時間12時)には100回目の訪問が実現していると思います。
  中国訪問回数 100回 / 22年間 平均 4.55回/年
  延べ滞在日数 609日
  平均滞在日数 6.09日/回
  最大滞在日数 14日/回 2002年10月27日~11月09日
  入出国搭乗数 200回
  国内線搭乗数 126回(中国国内線)

今までに訪れた町をプロットいたしました。目的があって訪れた町のみで、単に通過する町はプロットしていません。Google地図→ポチッ
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中国訪問100回目となる2015年11月11日のフライトは成田9時35分発の上海浦東行きのJL873便です。帰りは2015年11月18日のJL876便で、7泊8日の旅となります。


先ほど空港に着き、チェックインしたので搭乗券の写真を追加いたします。


初めて中国に訪問したのは、今から21年前の1994年9月19月で、成田から北京に入り2泊した後に南京に飛んで、車で、今回と同じ訪問地である安徽省に行きました。その時のフライトは次の通りですが、その後、冒頭のグラフのように中国に訪問することになりました。しかし、この時には100回も中国に訪問することになるとは想像すら出来ませんでした。
右の写真は21年前に南京と安徽省を往復したSタイプ6000ccのベンツですが、この時代はSタイプのベンツは6676万人の安徽省でクリックすると拡大写真の2台しか存在しませんでした。
  1994年9月19日 成田→北京
  1994年9日21日 北京→南京
  1994年9日23日 南京→広州
  1994年9月24日 広州→香港
  1994年9日24日 香港→成田

1994年9月21日の午後に、会社の宿舎に2台Sタイプのベンツで到着した時の写真です。この時でも安徽省で2台しかないSタイプのベンツを持っている立派な会社でしたが、当時に比べると現在は生産規模が約150倍になった上に、今でも、その会社と一番親しく付き合っているのです。


同じ場所を遠くから撮った写真です。1994年9月21日の日付が判ると思います。2台のベンツが確認できると思います。


翌1994年9月22日の会議の風景です。


1995年4月12日の写真です。
2回目の会社訪問でした。その会社の方(K氏)と、食事の時に記念写真を撮りました。余談ですが真中の女性は1996年3月14日の写真にも登場いたします。
  1995年4月11日 成田→北京
  1995年4日12日 北京→南京
  1995年4日15日 南京→北京
  1994年4日17日 北京→成田


翌年のK氏との会食の時の写真です。


その後もK氏はつきあいが続きました。4枚は日本での写真です。
クリッすると拡大クリッすると拡大クリッすると拡大
クリッすると拡大クリッすると拡大pgクリックすると拡大 クリッすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
クリッすると拡大クリッすると拡大クリッすると拡大

1995年9月7日の写真です。
中国訪問が3回目で、こちらの会社への訪問も3回目でした。仕事を始めるためのサインをした時の記念写真です。右側が私です。左側が相手の会社の人(今後T氏と記載)です。T氏には100回目となる今回も会う予定です。T氏以外にも沢山の方と知り合いになり関係が続いておりますが、21年間を判りやすく説明するためにT氏に関連した写真を順番に紹介したいと思っています。意外と写真を撮っていなかったので探すのに苦労いたしました。
  第1回 1994年9月21日(初めて会社訪問)
  第2回 1995年4月12日(調査打ち合わせ)
  第3回 1995年9月 7日(契約サイン 写真)


1995年9月7日の午前中にサインをして昼食の後にT氏が世界遺産に登録されて5年目の黄山に連れて行ってくれました。高速道路の無い時代に車で数時間の距離だったので、山頂のホテルに泊まって11月8日に黄山を見学いたしました。その時の写真を紹介します。写真はすべて1995年9月8日に撮ったものです。左上のロープウェー駅の前での記念写真はプロジェクトの日本人メンバーです。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

1995年9月5日~7日の打ち合わせ時の風景です。
古い写真なので色が変わってしまいましたが雰囲気が判ってもらえると思います。左の写真で目隠しをしていないのが私で、右の写真で立ち上がっているのがT氏です。打ち合わせ開始(1995年9月5日)の場面です。この時のフライトは次の通りでした。この時代の上海の空港は浦東空港は無く、虹橋空港のみでした。
  1995年9月04日 成田→上海
  1995年9日09日 上海→成田



1996年3月14日の写真です。プロジェクトが進行中の宴会の時の写真です。右が私で真中がT氏です。左の女性は1995年4月12日の写真にも登場している方です。
  1996年3月10日 成田→上海
  1996年3日15日 上海→成田


1996年9月27日の写真です。プロジェクトが進行中に皆で世界遺産の黄山に行きました。目隠し、していないのが私とT氏です。相手の会社のプロジェクトマネージャーであるT氏が黄山を案内してくれました。一番左の人は通訳をしてくれた張さんです。
  1996年9月23日 成田→上海
  1995年9日28日 上海→成田
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1998年1月に撮影
左の写真はプラントのスイッチをT氏が入れた瞬間です。左のオレンジのヘルメットをかぶっているのもT氏です。プラントが無事に稼働して、我々の会社の現場責任者と握手をしているところです。この瞬間には、私は立会できませんでしたが、この後すぐに、下記のフライトで性能テストのために現場に入りました。
  1998年2月12日 成田→上海
  1998年2日18日 上海→成田


2002年4月8日の写真です。
プロジェクトが終わって数年が経った時、次のプロジェクトのために2002年4月7日にT氏が空港に迎えに来てくれました。1994年の時と同じ車でした。移動中に撮ったものです。現在は最新のSタイプベンツを数十台所有する会社になりました。
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2002年4月7日は、会社に着いたらT氏を含む懐かしい仲間と会食でした。目隠し、していないのが私とT氏です。この時のフライトです。
  2002年4月07日 成田→上海
  2002年4日10日 上海→北京
  2002年4日12日 北京→成田
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2003年10月24日にも会いました。次期案件のために私が本社に行きました。この時はいろんな場所を廻りました。
  2003年10月19日 成田→上海
  2003年10日19日 上海→済南
  2003年10日22日 済南→北京
  2003年10日23日 天津→上海
  2003年10日25日 上海→成田


2005年1月16日の写真です。
次期案件のサインが出来て記念写真を撮りました。目隠し、していないのが私とT氏です。計画が出てから合意まで2年9ケ月かかりました。
  2005年1月12日 成田→北京
  2005年1日12日 北京→南京
  2005年1日18日 上海→成田


2005年3月26日の写真です。
記念式典の後に、皆で世界遺産の宏村黄山に行った時の夕食時の写真です。
クリックすると拡大  2005年3月24日 関空→北京
  2005年3日24日 北京→南京
  2005年3日27日 黄山→北京
  2005年3日29日 北京→上海
  2005年3日30日 上海→成田


こちらも2006年10月17日の写真です。
クリックすると拡大この写真は九華山に行った時、九華山で最も偉い百歳宮の釋慧慶・住職と記念写真を一緒に撮りました。
  2006年10月15日 成田→青島
  2006年10日15日 青島→南京
  2006年10日18日 上海→成田


同じ2006年10月17日のT氏との記念写真です。


2006年12月に日本にt氏が訪問されたときは12月25日には仕事の合間に京都と奈良に一緒に行きました。12月24日には姫路城にも行きました。


2007年4月9日の私とT氏の写真です。
合弁会社が出来てばかりのころに会議を行っているときの風景です。
  2007年4月08日 成田→北京
  2007年4日08日 青島→南京
  2007年4日10日 南京→太原
  2007年4日13日 太原→北京
  2007年4日14日 北京→関空


2008年3月22日に中国で日本人同士の結婚式がありました。日本では知らないどうしの2人でしたが、私が責任者を務めていた中国の合弁会社(2007年から活動開始)に、2人が日本の会社から出向して赴任していて出会いました。中国側の主賓として挨拶しているのが1995年9月7日に私と契約サインをしたT氏だったのです。私は日本側の主賓として挨拶させていただきました。
結婚式の記事はこちらです。→ 記事1 記事2 記事3 記事4
  2008年3月18日 成田→杭州
  2008年3日26日 杭州→成田


2009年5月25日の写真です。
手前で取り壊されているのは1996年頃に建てられた本社ビルで、奥の立派なビルは2000年頃に建てられた本社ビルです。ただし2009年3月にはさらに新しい本社ビルが出来たために本社機能は移りました。合弁会社は取り壊されている建物の中にあったので新しい本社ビルに移りました。
  2009年5月25日 成田→杭州
  2009年5日28日 杭州→成田
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こちらが2009年に完成した新しい本社ビルです。私が初めてこの会社に訪問した21年前(1994年9月21日)から、その会社は150倍の規模に大きくなりました。その会社の規模にふさわしいビルになったと思います。こんなドラマのような現実を体験できたのです。巨大なビルのために1枚の写真に入りきらなかったので3枚をつなぎ合わせました。
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大きさを実感してもらうために中央部分の写真を掲載いたしました。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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建物の中から中央部を撮りました。撮った場所は合弁会社のフロアーです。
今回の記事の写真は、この会社の総責任者である董事長の了解をを得てブログに掲載しております。人名や会社名も出しても良いと言われましたが、日本側の会社が判ってしまう可能性があるので、会社名や人名は控えました。
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建物の中には食事や話をするのための豪華な部屋が沢山ありました。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

2014年4月18日の写真です。
T氏は1995年以来、日本に何度も来ています。2014年4月18日に来られた時に皆で鎌倉に行きました。右の写真は移動中の休憩場所で私とT氏で撮ってもらった記念写真です。この時は鶴岡八幡宮、神苑ぼたん庭園、鎌倉大仏、建長寺に行きました。


2012年5月27日に皆で九寨溝などに行った時の写真です。右の写真は記念写真から切り取ったもので、目隠しをしていないのが私とT氏です。
この時は成都、黄龍、九寨溝に行きました。
下の写真は九寨溝を代表する五花海 です。九寨溝には沢山の景勝地ががありますが、九寨溝を初めて訪れた人は必ず立ち寄るのが五花海です。黄龍は 四川九寨黄龍空港です。
  2012年5月22日 羽田→上海
  2012年5日24日 南京→成都
  2012年5月26日 成都→黄龍  
  2012年5日28日 黄龍→成都
  2012年5月28日 成都→上海
  2012年5日29日 上海→羽田
クリックすると拡大

クリックすると拡大2015年1月17日に行われた結婚式の写真です。
中国に赴任していた日本人の結婚式で、中国側の主賓として挨拶をしてくれたのが1995年9月7日に私と契約サインをしたT氏だったのです。当時はほっそりしていましたが、20年の年月を感じさせてくれる貫禄が出ていました。合弁会社が出来て2つ日本人の結婚式が実現したのです。2007年から活動を開始した合弁会社は約9年が経ち、日本から出向して赴任している日本人だけで27人となり、T氏は董事(取締役)であり、その中の一つの会社の董事長もやっています。
  2015年1月15日 成田→上海
  2015年1日23日 上海→成田


2015年11月16日にT氏に会えました。目隠ししていないのが私とT氏です。部屋はT氏の部屋です。


この打ち合わせをした後に上の記念写真を撮りました。


そのT氏に100回目の中国訪問を記念してプレゼントをいたしました。


そのプレゼントとは概ね43年前(1972年ごろ)の茅台酒です。私が学生の時に父が知り合いから貰いました。中国の白酒(パイチュウ 蒸留酒)の中で最も有名と言えるお酒なのです。これほど古いと入札で何百万の価格がつくものもあります。ただし今回のものは、比較的、数が残っていることから、それほど高いものではなく、43年前の茅台酒という意味の値打ちがあるのです。今まで飲む機会が無かったので、宝の持ち腐れにならないように、彼に飲んでもらうためにスーツケースに入れました。
貴州茅台酒(KWEICHOW MOU-TAI CHIEW)と書かれています。
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茅台酒は貴州省で作られている世界的に有名なお酒で、この茅台酒のアルコール濃度は55%です。クリックすると判ります。
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茅台酒はスーツケースの真中のJALと書かれたの箱の中に入れています。中の茅台酒は布で巻いて4重のビニール袋に入れて万が一割れても、スーツケースの中の他のものに被害が出ないようにしています。また、スーツケースの外にはワレモノのシールを張ってもらうつもりです。
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初めて海外に旅に出たのは27年前の1988年2月29日で訪問国は台湾でした。28年間の海外のへの訪問回数(入国回数)は267回で、年に平均9.53回ほど海外に渡航していたことになります。訪問国は30ケ国になります。
 海外訪問回数 267回 / 28年間 平均 9.53回/年
 訪問国    28ヶ国
        中国 台湾 アメリカ ベトナム 韓国 インド ドイツ
        フランス 香港 タイ メキシコ スイス オーストリア
        マレーシア イタリア ミャンマー マカオ オーストリア
        イギリス インドネシア パキスタン モロッコ エジプト
        バハマ トルコ ロシア カザフスタン ウクライナ


到着した都市が海外の場合の飛行機に乗った回数です。したがって日本への帰国便は含まれていません。


海外では、私自身が設計者としてプロジェクトの担当および責任者として世界の59ケ所に発電プラントを納めてきました。こちらの航空写真はインドの3のプロジェクトです。
8,000KW        700,000KW       1,500,000KW


世界全体地図で訪れた町をプロットいたしました。上で紹介したチユウゴクの地図と同様に、目的があって訪れた町のみで、単に通過する町はプロットしていません。Google地図→ポチッ
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こちらは利用した空港のプロットです。トランジットで利用した空港も含まれています。Google地図→ポチッ
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追伸
いつものお願いではありますが、中国滞在中はネット事情の関係で皆様のところへの訪問ができないことをお許しください。帰国後も数日は、やりたいことが溜まっているので、本格的な記事の掲載や、皆様のところへの訪問は11月23日ごろからになると思います。今回はお土産にチョコレートも持っていくことにしました。中国では安くておいしいチョコレートが意外と少ないのです。クリックすると拡大

今回はお酒を入れたので写真のようにスーツケースには取扱注意の札を貼ってもらいました。重さは32kgになりました。今回のお土産は次の通りです。チョコレートと茅台酒は中国の人たちへの土産で、他は26人+2人(奥さん)の日本人の方への土産です。
 29個 レトルトカレー
 27個 京漬物
 14個 チョコレート
  5個 生めん(ラーメン)
  1個 袋めん(日本そば)
  1個 43年物の茅台酒 T氏用


中国に到着した2015年11月11日には日本食レストラン「にんにん」で、楽しい誕生日会もありました。ケーキはお店からのプレゼントです。こちらのレストランは町一番の人気店なので、帰国後に詳しく紹介したいと思います。


ケーキ・サプライズのお蔭で、ものすごく盛り上がりました。



2016年3月23日~27日には101回目の中国訪問が実現いたしました。下の写真は3月24日のT氏主催の会食です。T氏と私が写った写真の3人も1995年9月7日の契約時に同席していました。その時、その工場におられた方が5名も参加されていました。


3月24日の会食での記念写真です。

タグ:海外 中国 渡航

60年前に自費で作られた297mの「怖~~~い吊橋」 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
上の写真は学生時代の古い写真です。 それから、すこし経過してからの写真(4枚目、5枚目)を見つけました。その写真とくらべてください。
同期のサイクリング部の仲間です。この2人と私の3人でよく出かけました。
この時は 大阪 → 吉野 → 下北山 → 白谷林道 → 十津川 → 五条 → 大阪 と走った2泊3日のサイクリングでした。
右の写真の上半分を拡大したのが冒頭の写真です。
  奈良県十津川村の谷瀬の吊橋 
  昭和29年(1954年)完成  60年前 
  長さは297.7m、高さ64m
  鉄線橋では日本一

その三人が下の9人で撮った記念写真の赤い矢印 です。
その学生時代のサイクリング部の3人で2014年3月8日に上野のクリックすると昔の記事を表示居酒屋で2時間飲んだ後、私の家に泊まった貰ったのが小さな左の写真で、3人で白川郷に行ったときの写真が小さな右の写真です。どちらの写真も左端が私です。さらに2014年4月12日には卒業以来初めて会う人を入れて4人で東京駅の八重洲で飲みました。


谷瀬の村落の人々が一世帯あたり30万円という当時としては大金を出し合い架けたのがこの吊橋だそうです。それが数年前までは人道吊り橋として日本一の長さだったというのがすごいです。鉄線橋の歩道橋としてはいまでも日本一だそうです。
歩行者用の日本一の橋は大分県玖珠郡九重町に(2006年10月30日)完成した九重"夢"吊大橋だそうです。

下から見ました。 恐ろしさが判ってもらえると思います。横梁の隙間がこれだけ広いと歩いているときにバランスを崩すと落ちてしまいそうです。よく見ると落ちないように細い針金が縦に張っていますが! でも怖い。
ネットの写真を見ると今は金網が張られているようです。 
このときサイクリング部です。真っ直ぐ走ることに関してはかなりの自信がありましたが、さすがに自転車で渡ることはやめました。でも地元の人は自転車で渡っていました。完全に脱帽でした。


だいぶ経ってから谷瀬の吊橋に来ました。この写真も、かなり古いけれど、ネットなどを見る限り、現在と同じ形だと思います。見ている方向は反対ですが決定的な違いが有ります。答えは次の写真の解説で説明いたします。


答えは「メインロープ」です。当初のメインロープは1本でしたが3本束ねたロープが少し下に増設されているのがわかります。さらに上の1本のロープの方も張りかえられています。一番上の写真とあきらかに違いますね。観光客が増えて通行人数が増えたために補強したのだと思います。それでも20人の制限付きですね。
一番上のメインロープが一本の写真は貴重なものかもしれません。


吊り橋の写真を撮った時、白谷林道を走りました。その白谷林道を上から撮りました。
写真のなかの矢印は冒頭の仲間2人が自転車で走っているところです。先に林道を登って上から撮った2枚の写真を合成しました。写真をクリックすると拡大するので判りやすくなると思います。余談ですが、この写真を見ていると「林道を作ることは自然破壊をしているのだな」と、感じてしまいます。
クリックすると拡大
岐阜県と富山県の間あたりの名もない吊橋です。歩くところが水平ではありません。根本的に構造が違います。これはマジに怖いと思います。写真をクリックすると拡大するのでじっくりと構造を見てください。


白川郷の近くの吊橋です。これもかなりのものです。

こちらが自転車で通った峠です。記念にGoogle地図にプロットしてみました。マークをクリックすると峠の名前を表示します。

より大きな地図で 自転車で通った峠 を表示

タグ:自転車 吊橋

ちょっと危険かな 立山黒部アルペンルート [思いで]


注意:危険なので絶対に真似をしないでください!!!
今年も立山黒部アルペンルートが開通したとのことなので古い記事を再掲載いたします。上の写真は除雪された立山黒部アルペンルートのすぐ脇です。
ものすごい雪です。一面銀世界ですが春なので日差しが強くてサングラスは必須ですね。 会社に入社したころの昔の写真です。
クリックすると拡大高さ20m以上の雪の回廊 バスに乗れば下からの写真は撮れますが上からの写真はめずらしいかも!
右の現代の航空写真は雪の回廊を紹介するためにネットから転用させてもらいました。

バスの走っている記念写真も撮れました。このように雪の回廊(雪の大谷)を走るバスと一緒に上から撮るのは、今は出来ないかもしれません。 雪の壁の高さが実感できる一枚です。


上の道路脇の雪の壁の上に立つ写真を撮るためには歩いて登る必要があります。 こんなスタイルで登ってきました。後ろの点々は人です。  


春の雷鳥の姿です。この時期の雷鳥には、まだ冬毛が残っていました。なぜか雷鳥がいる辺りは雪が解けていました。下の写真の火山地帯と関係あるのかな?


高い針葉樹が埋まるほどの雪です。その木の天辺を触っているところです。

 
回りは雪だらけなのでスキーも楽しみました。ただしリフトやゴンドラはないので歩いて登ります。
初めて雪の上にテントを張って、キャンプしました。
この2枚の左と下の写真のバックにそのキャンプ場(小さな点々)が写っています。雪の上に寝たのはこの時が一生の中で唯一の経験となりました。
 クリックすると拡大 クリックすると拡大
クリックすると拡大写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

ここは火山地帯でもあるのです。⇒

ここまでの写真は春の景色ですが夏には車で行きました。

その夏の写真も紹介いたします。


3枚の写真を合成してパノラマ写真を作ってみました。上の写真は一番右側です。クリックすると拡大しますがつなぎ目が判ってしまいます。
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雪渓が解けて池が出来ていました。こちらの写真もクリックすると拡大します。
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このころには雷鳥も身近に見ることが出来ました。昔は結構自由に好きな場所にいけました。こちらが夏の雌の姿です。
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こちらは夏の雄の姿です。

淡水のクラゲ 「マミズクラゲ(真水水母)」 [思いで]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
写真のネガを整理しているとこの珍しい写真のネガが残っていました。さっそくデジタル化しました。淡水のクラゲをご存知ですか?
これは「まみずくらげ」と言うそうです。
昔に一度だけ見たことがあります。その時の写真です。
丸い入れ物は直径15cmのシャーレーなのでクラゲ自体は大きくても2cmほどです。クラゲの4つの模様は生殖腺ですが右の写真のように生殖腺が3つのものもいました。

上の写真はクリックすると拡大しますがクリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。


さらに拡大してみました。


横向きのクラゲが入った写真も紹介します。
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台風の後に突然、学校の中の、この小さな池にマミズクラゲが現れました。通っていた学校は兵庫県立芦屋高等学校です。マミズクラゲがどこから学校の池に入ってきたのか知りたくて、学校の山側にある池を隈なく調べてみましたがマミズクラゲは発見できなかったために発生の謎を解くことは出来ませんでした。
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池を反対側(運動場の方向)から見た写真です。
顧問であった生物の先生も長く学校におられましたがマミズクラゲが出現したのは初めてだと言われました。この池からはいつのまにかクラゲ(水母)が消えてしまいました。


マミズクラゲは珍しい上に、突然に出現して、いつの間にかいなくなってしまうことから地方の新聞によく取り上げられます。
ただし全国どこにでもいるクラゲらしいのですが、珍しい理由は「親クラゲの姿」になることが稀なためだそうです。いつもは別の姿をしている生物なのです。つまり下記の図のポリプやフラスチュールの姿で無性繁殖で増えて生き続けているのです。おそらく環境が変わるなどの何かのきっかけで有性生殖の必要が発生することで親クラゲが出現する気がします。あの時は台風がきっかけだったのかもしれません。


マミズクラゲのいろんな姿を、ネットから拝借した写真で紹介いたします。プラヌラとフラスチュールは動画になっています。
            受精卵と卵割
            プラヌラ
   ポリプ
            ポリプのコロニー
       フラスチュール
            クラゲの出芽(水母 芽)
      稚クラゲ(幼 水母)
            親クラゲ(成体 水母)

マミズクラゲに関してネットで書かれている説明を転記する形で紹介いたします。
マミズクラゲ(真水水母)はヒドロ虫綱淡水クラゲ目のクラゲの一種。
 界  : 動物界        Animalia
 門  : 刺胞動物門     Cnidaria
 綱  : ヒドロ虫綱      Hydrozoa
 目  : 淡水水母目     Limnomedusae
 科  : ハナガサクラゲ科 Olindiasidae
 属  : マミズクラゲ属   Craspedacusta
 種  : マミズクラゲ    C. sowerbyi
 学名 : Craspedacusta sowerbyi
 英名 : Freshwater Jellyfish
世界各地の温帯熱帯域の淡水産で、原産は中国大陸の長江周辺と考えられる。13世紀以降の文献には桃花魚や桃花扇の名で現れる(現代中国語では「桃花水母」と呼ばれる)。「桃花」はモモの花が咲く頃にクラゲが出現する事に由来する。
西洋にて知られたのは1880年にロンドンのリージェントパーク内の王立植物協会植物園のスイレンの水槽に現れたことから。学名はレイ・ランケスターが発見者サワービーの名をとったもの。
クラゲはヒドロクラゲであり、真性クラゲ類と異なり傘の下部に被膜を持つ。環状水管の周辺から触手が延びる。 最大成長時の直径は2.0 - 2.5cm。平らな性腺を除き体色は緑・白みがかった半透明。触手には何百もの刺胞を持つ。 
貯水池、湖、砂利坑または採石場といった穏やかな淡水域にて見られる。また、アレガニー川、オハイオ川、テネシー川などの河川域にも見つかる。止水域を好み、通常は河川や急流などの流水域には現れない。年中干上がる事のない淡水で弱アルカリ性の硬水を好むが、塩素には弱い。 高温から気温が下がり始めるとクラゲの形成が進むので、夏の終わりから秋にかけて発生する例が多い。
出現する場合は大発生になることがよくあり、人目を引くことから地方新聞などをにぎわすこともしばしばである。ただしそのつぎの年からはさっぱり出現しない例も多い。
ポリプ
有性生殖によって受精卵がプラヌラと呼ばれる繊毛幼生となり、ポリプへと成長し水底の枯れ葉や切り株、小石などに付着してコロニーを作る。 一種類の貫通刺胞のみを持ち、水棲貧毛類(イトミミズ類)、棒腸類(プラナリアなど)、若齢のユスリカ幼虫を捕食する(橋本1987)。飼育下においては自分と同サイズのブラインシュリンプが餌になる。 通常は出芽によってコロニーの個体数を増やしていくがフラスチュール(frustule)という全長0.5 - 1.0mmの蠕虫状の幼生を作り出し、時速約1mmで離れた場所へ数日間かけて移動し新たなコロニーを増やす。 雌雄異体で、一つのコロニーから別れた個体は同じ遺伝子を持つため全て同じ性別となる。 自然の状態で同じ場所からマミズクラゲが雄と雌両方とも見つかる事はほぼなく、これらは無性生殖によって増えたものと考えられる。
被嚢体
マミズクラゲは寒い冬の間は被嚢体(podocyst)という形になり越冬する。そして再び生活に適した環境となるとポリプの姿に戻る。これが動物や水生植物について行くことで、この種の突発的な発生を引き起こし、人類の営みの全地球化に伴って現在の世界的な分布を生んでいると考えられる。
クラゲ
真性クラゲ類とは違いストロビラの段階を経ずにポリプの脇よりクラゲが出芽する。稚クラゲは2週間から1ヶ月で成熟して、その後1週間程すると放精・産卵し死亡してしまう。 クラゲはミジンコやケンミジンコを含む動物性プランクトンを触手の刺胞で麻痺させて捕食する。刺胞毒は弱く人が刺されても感じない程である。
一般的なヒドロクラゲの模式図


クリックすると女子部員下の写真は3年生の時の卒業記念写真です。〇を付けたのが私です。当時、この学校のクラブ活動である生物部に所属し、阪神生物研究会の会長をやっておりました。右の写真は生物部のクラブ活動の写真です。クラブ活動の中でも学校の池にマミズクラゲが出現したのは私にとって懐かしい思い出なのです。
後ろに見える景色は芦屋浜(打出浜)で芦屋川が流れ込む場所で卒業記念写真を撮りました。校歌の中に出てくる打出浜(芦屋浜)は埋め立てられて住宅地に変わっています。芦屋川には清流にしか生きられないプラナリアが住んでいました。プラナリアは再生能力が優れており、どんなに小さく切っても成体に再生する生命体であることで有名です。
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この航空写真の緑色マーク( )の場所に並んで西側(左側)方向から卒業記念写真を撮りました。上の写真の背景の芦屋浜(打出浜)が埋められたのが判ってもらえると思います。赤色ライン()が、私が高校生時代の海岸線の打出浜(芦屋浜)でした。空色マーク( )がマミズクラゲが発生した県立芦屋高等学校(芦屋高校 / 芦高 / 県芦)の池の場所です。

2016年9月25日にホテル竹園芦屋の飛鳥の間で高校の同窓会がありました。卒業生494名の内、115名が参加いたしました。黄色の丸印(〇)が私です。
      卒業生   参加者   クラス参加
 男子   300名    90名    14名
 女子   194名    25名     1名
 合計   494名   115名    15名

ものすごく昔の神戸まつり [思いで]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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今年の「神戸まつり」は2013年5月19日に開催されます。「第43回神戸まつり」です。
そこで、ものすごく昔の神戸まつりの写真を投稿させてもらいます。
ここで掲載の写真はすべて昔の写真です。1974年の「第4回 神戸まつり」か、あるいは1975年の「第5回 神戸まつり」だとおもいます。写真の中の文字を探して読み取ってみます。古い写真なので解像度があまりよくないのは勘弁してください。でも道路の上の花吹雪で活気がわかってもらえるかもしれません。

サンテレビのテレビカメラも見受けられます。
カメラマンが沢山集まっています。理由は?
サンバ ?
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この神戸祭りの回次がわかる文字が見つかりました。テレビカメラが乗った台の垂れ幕の一番上に「第5回」の横書きの文字が読み取れました。判りにくいけれども「第4回」か「第5回」のどちらかなので、じっくりと見た結果、間違いなく「第5回」でした。つまり今から38年前の1975年の「第5回 神戸まつり」でした。
垂れ幕に「第5回 サンテレビ協賛番組 神戸まつり大パレード 実況中継 SUN TV」と書かれていました。写真の解像度がよくない上に、垂れ幕が風でたなびいて字が読みにくかったけれどなんとか読み取りました。
第1回神戸まつりは1971年に開催されました。ただし神戸まつりの前身となるイベントは、戦前の1933年から開催されていた「みなとの祭」や1967年の「神戸港開港100周年記念祭」、並びにその前夜祭の「神戸カーニバル」です。神戸市の姉妹都市からの来賓を招待した式典や市街地でのパレード、みなとの女王のお披露目、神戸市電(路面電車)を使った花電車就航などがありました。交通事情の問題などから1971年に2つのイベントが統合されたのが現在の「神戸まつり」です。
1995年の阪神・淡路大震災の影響で、同年の第25回開催は中止となりましたが大会の回次はそのまま残したそうです。そのおかげで、知りたい年から1970を引くと大会の回次になります。つまり今年であれば2013-1970=43なのです。第25回は完全に空席となったのではなく第25回の代替に元町商店街や南京町において、当初の予定とほぼ同時期となる5月20日と21日に「神戸五月まつり」が行われ、これを1995年の神戸まつりとみなすこともあるそうです。
カーニバル方式はこの時代、日本ではめずらしかったと思います。
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ボーイスカウトの人たちがパレードしているところです。写真をクリックしてもらうとわかると思いますが、すごい人ですね。今の神戸まつりと比べてどうでしょうか。
神戸市には1961年~1967年に東灘区に、1980年~1988年に須磨区に住んでいました。1967年~1980年も神戸市に隣接する町に住んでいたので実質1961年~1988年の27年間は神戸子だったわけです。
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徳島の阿波踊りも参加です。
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この時代はサンテレビ(SUN-TV)が神戸まつりを支援していたようです。これはサンテレビのパレードです。サンテレビ、正式名は株式会社サンテレビジョンは1968年3月8日に設立され1968年5月1日に開局した兵庫県を放送対象地域とする独立テレビ局で、神戸新聞社の連結子会社です。
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昔ながらのお祭りスタイルのパレードもありました。パレード出発を待っているところです。写真をクリックするとわかると思いますが、ナイトクラブ「紅馬車」の人たちです。
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子供たちも参加した楽しいイベントでした。
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国際都市神戸らしく国際色豊かなお祭りでもありました。
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これはUCCからの参加です。
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航空会社も参加していました。
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神戸は韓国の方も多いのでパレードにも参加されていました。
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下の写真はフリー百科事典のウィキペディア(Wikipedia)から拝借した現在の神戸まつりの写真です。2013年の神戸まつりのホームページの画面も紹介いたします。
現在のメインフェスティバルは「おまつりパレード」を中心にマーケットイベントやステージイベントなどが各所で繰り広げられます。なかでも京町筋で行われる「サンバストリート」では神戸サンバチーム等のサンバダンサーの華やかなコスチュームを目当てにカメラを持った多くの観客で賑わいます。
おまつりパレードのコースは三宮の東遊園地を起点にフラワーロード・三宮中央通りを経て元町の神戸大丸前が終点となっています。またパレードコースであるフラワーロードの中央分離帯はパレード当日に撤去できるよう可動式となっているそうです。そしてメインフェスティバルの前日には各区でも下記のようなお祭りが行われます。
  区    まつり名称         開催場所
 東灘区 東灘うはらまつり      住吉公園
 灘区   六甲ファミリーまつり    王子競技場前広場
 中央区 ふれあい中央カーニバル 東遊園地
 兵庫区 はっぴいひろば       湊川公園(鉄人広場)
 北区   きたきたまつり        毎年異なる。2013年はフルーツフラワーパーク
 長田区 長田フェスティバル     新長田駅前広場
 須磨区 須磨音楽の森        須磨離宮公園
 垂水区 たるみっこまつり       マリンピア神戸
 西区   みどりと太陽のまつり    西神中央駅プレンティ広場
  現在の画像はこちら→Yahoo Google 24時間以内 2013年5月18日~今日 
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男明神と女明神 [思いで]


写真を追加したので再掲載いたします。
学生時代の白川郷の写真を紹介したのを機会に、もっと昔の写真を紹介いたします。幼稚園から小学校4年生まで広島市の井口という場所に住んでいました。その時の住所は広島市井口町で今の住所は広島市西区井口です。私が住む以前の地名は佐伯郡井口村でした。1956年11月1日に広島市に編入されて広島市井口町となったそうです。「井口」は戦国時代以来の古い地名で、当時は広島湾に突き出す半島であった鈴ヶ峰が「猪の口」の形に似ていたことに由来するという説と、隣接する古江の入り口すなわち「江の口」が転じたという説があるそうです。

防波堤が先端まで写っている写真を、実家のアルバムで見つけたので追加させてもらいました。私の生まれた家の写真や祖母と祖父の写真も見つけたので、後ろの方に追加させてもらいました。
その井口では昔は海岸に面しており、私が住んでいた家も海に面していました。上の写真も下の写真は住んでいた家の庭から撮った景色で真中の島のように見えるのが小己斐明神(こごいみょうじん)で別名で男明神(島)です。昔は女明神(島)という小山もあり夫婦島として有名でした。


今は、この海は埋め立てられて海岸線は遙かかなたですが、赤い線(━━)が私が住んでいたころの海岸線です。通っていた広島市立井口小学校と聖モニカ幼稚園などの近所の場所も記載いたしました。
私の住んでいたころには男明神の横は漁港でした。上の写真でも小舟が沢山停泊しているのがわかってもらえると思います。
クリックするとWeb Mapを表示

Google地図に直接マークを入れました。赤色マークが住んでいた家があった場所で、緑色マークが男明神や女明神や庭の小山のあった場所です。赤色ライン(━━)が昔の海岸線で青色ライン(━━)が防波堤のあった場所です。マークやラインをクリックすると説明文が表示されます。

左が男明神で左が女明神と思われた小山の写真です。実は女明神と思われる小山が家の庭にありました。庭と言っても国道と庭との間にありました。この山の上に登ったり、くりぬいて作られた防空壕に入ったりして遊んだ記憶があります。


女明神の明確な写真がなかったのでネットで探して拝借して掲載いたしました。この写真の角度はよくわからないのですが、2つの明神の接近ぐあいから見て、庭にあった小山は女明神ではないかもしれません。さらに調べると女明神は1933年に姿を消したそうなので庭にあった小山は女明神ではないことがはっきりしました。


もう一枚、1924年の写真を拝借いて紹介いたします。右が男明神で真中が女明神です。左の線路の向こうに見えるのが庭の中にあった小山だと思います。上の写真は東から撮られたもので、この写真は西の方角から撮られたものようです。それにしてもずいぶんと海岸に近いところを線路が走っていたものです。


こちらの写真も家の庭から撮った男明神です。近所の子供たちが、このコンクリートの壁の上から海に飛び込んでいました。実は冒頭の写真を見てもらうとわかるようにこの壁から海までは高いだけでなく距離もありました。


コンクリートの壁がどのくらいの高さであったか知ってもらうために、この写真をを掲載いたしました。コンクリートの壁の下には人が通れる段がありました。この上から海に飛び込むのは勇気が必要だったと思います。この右の壁の上に我々の住んでいる家が建っていました。
この段の部分ではよく親父が夜釣りをしていました。チヌ(黒だい)が目的で潮が引いた時に餌のゴカイを一緒に採りました。アサリもよく採れたので、お袋とはアサリ採りでした。そんな思い出の場所でした。
我々(姉と私)のバックに男明神が写っているのがわかってもらえると思います。男明神と一緒に撮った我々にとっては、たった一枚の貴重な写真でもあります。

瀬戸内海の島々もきれいに見えました。近所の同級生の写真ですが、庭から海の方を撮った写真はこの一枚だけだったので使わさせてもらいました。右の方の綺麗な稜線の山は安芸小富士です。


こちらが住んでいたです。幼稚園から小学校4年までの短い7.2年間でしたが海の近くの生活を体験できました。この後、神戸市東灘区の岡本に引越しました。小学校は神戸市立本山第一小学校です。突然に生徒数が6倍の学校に変わるなど田舎から突然に都会に出てきて戸惑うことが多かったです。電車が空中を走る(高架)は絵本の中の世界だけのだったが現実になったのが印象的でした。


このころから写真を撮っていたようです。家の感じがわかりやすいと思うので紹介いたしました。


庭は結構、広かったです。


聖モニカ幼稚園で山口県の錦帯橋に遠足に行ったときの記念写真です。
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聖モニカ幼稚園での学芸会の風景です。真中が私ですがなぜか男の子は私一人です。


下の写真が小学校の入学式の記念写真です。黄色い丸の部分が私です。この写真に写った先生が小学校の先生全員です。一学年一クラスだったのです。
右の写真は入学式の日に家の門の前で撮った記念写真です。
数少ない家が写った写真ですが家の塀は板塀でした。小学校ま低学年の記憶は断片的なものになってしまっていますが写真を見ると小学校の頃のことを思い出します。
4年生の夏に神戸に転校したわけですが、担任の先生から2冊の本を餞別にいただきましたことは鮮明に記憶に残っています。右端に座っている若い先生が担任の先生でした。


懐かしく思い最近、引越ししてから初めて井口に行きました。そのときに小学校にも寄りました。写真の大きな桜の木が上の写真の花が咲いている桜の木だと思います。長い間に大きくなったようです。新しいシーソーも昔のシーソーと同じ場所か近い場所にありました。


男明神の昔の写真と最近訪問した時の写真を比べてみます。松の形は変わってしまったようです。


現在の男明神の大きな写真も掲載いたします。


男明神の裏側からの写真です。昔は海でしたが男明神の周りは池として残されていました。白い建物のあたりが私が住んでいた家が建っていたあたりです。鳥居は昔もありました。


クリックすると拡大こちらが昔の鳥居です。どうやら朱色ではなく白木のようです。右の写真が私と姉の記念写真です。下の写真の野球帽の男の子は私の同級生でした。
平安時代の終わりごろ、平清盛が厳島神社や鳥居を新築した際に鈴ケ峰から木を切り出して、井口で製材し、刻印をうち、いかだに組んで厳島に向けて送り出した由緒あるところで「刻印の明神」と名付けて祀ったそうです。18世紀末、新開地造成の時、己斐・旭山神社の分身がその守護神としてここに合わせまつられ、小己斐明神と呼ばれるようになったそうです。子授けの神としても敬われ、子乞(ご)い明神ともいわれてきたそうです。この写真は私が4年生なので神戸に引越しが決まったので小己斐明神(男明神)で記念撮影をしたのだと思います。


海が近かったので海水浴にもよく行きました。


ちょっとした悪ガキでもありました。裏山の鈴ケ峰のハイキングは近所の人たちとよく行きました。後ろの真ん中は姉で両サイドが近所のお友達です。


ブログのアイコンに使っている写真はこの頃の写真です。
写真のピントが姉の方に合っていることから、おそらく写真を撮る瞬間に私が前に乗り出したのだと思います。これも今となってはいい思い出になります。撮ってくれた親父に感謝です。


私が1歳のときの写真です。私は9ケ月で歩いたそうです。私は2歳の時に兵庫県西宮市夙川から広島市平野町に引越してきたので、こちらは夙川に住んでいたころの写真だと思います。左の建物は野球場だと思いますが場所は思い出されませんが1歳から2歳までは兵庫県西宮市夙川に住んでいたのでネットで画像を探した結果、2004年に取り壊された阪急西宮球場の可能性が高いです。実家に帰った時にでも確認してみます。阪急西宮球場は阪神甲子園球場に対抗して1937年に完成した大きな球場で完成当時で57000人収容の日本屈指の球場だったとそうです。もし阪急西宮球場だとしたら昔の貴重な写真になるかもしれません。そして右手に見える山は六甲山ということになります。


お揃いの服です。これは手作りかな。上の写真よりも少し大きくなりましたが年齢からみて、これも夙川時代だと思います。この後に広島に引越したのでした。


こちらは会社のクラブハウス(宝塚)で撮った家族の記念写真です。1月生まれなので私は6~7ケ月目ぐらいだと思います。これ以降の写真も今回追加したものです。

こちらが山口県熊毛群周防久保にあった父方の祖母と祖父の家です。子供のころはよく行いった思い出の家です。写っているのは祖父です。


こちらが祖父と祖母です。今は亡くなっていませんが私の大切な写真なので掲載させてもらいました。


こちらが母方の祖母と祖父です。右端が祖母で左の2人が母の妹でその右側が祖父です。それ以外は私と姉と母と父です。母の兄弟にはここに写っている以外に弟が2人います。この写真は山口県岩国市にある母方の実家の家です。今は母の弟である長男(私の叔父さん)が住んでいます。

息子の子供のころ [思いで]



我が家の子供は3人です。構成は男・男・女です。長男と長女の子供のころは紹介したので、次男の子供のころのスナップ写真を紹介いたします。
上は生まれてすぐの写真です。
   長男 → ポチッ
   長女 → ポチッ

こちらは歩きはじめたばかりのころの写真です。


少し大きくなりました。


山登りも出来るようになりました。神戸市の須磨区に住んでいた時に近くの山に頻繁に登りました。


クリックすると拡大娘が生まれる前に従姉(いとこ)たちと兵庫県の姫路セントラルパーク(サハリパーク)に行ったときの記念写真です。私の姉の子供は女の子ばかりの3人でした。一番後ろが次男です。こちらの写真は私の親父が6×6の2眼レフで撮った写真(右)から切り取ったものです。両方ともにクリックすると拡大写真が出るように設定いたしました。


娘が生まれた時の写真です。
赤ちゃんの娘の真似をしています。小さな子供が3人となり大変でした。おもちゃも沢山になりました。
こちらも神戸の家での写真です。このころはフローリングではなくてジュータンをオーダーで床に敷き詰めました。


神戸市須磨区から船橋市に引越してきました。お兄ちゃんが小学生の時の運動会に参加しました。幼稚園児のかけっこです。1人だけ裸足でした。このころは遊ぶ時は裸足が大好きでした。場所は船橋市立三山小学校の運動場です。こちらの写真もクリックすると拡大写真を表示するように設定いたしました。
クリックすると拡大
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どの写真も無邪気で楽しそうです。こちらでも裸足であそんでいます。


お兄ちゃんの前でポーズをとっています。


船橋三山の社宅内の公園での一コマです。


3人の子供たちです。左から長男、次男、長女です。関東に引越してきて1年が経ったころの写真です。その前は神戸市須磨区に住んでいました。


もうすぐ一才 [思いで]


もうすぐ一才といっても昔の写真です。息子も今では大きくなりました。
以前、娘の小さい時の写真を照会いたしました。→ポチッ
そのうちに残りの二人の息子の小さい時の写真を照会するつもりでしたが先ずは長男の方から照会いたします。写真は一才の誕生日前の写真だと思います。

さらに小さい時の写真です。はいはいが出来たころでしょうか。


そのころの従姉(いとこ)達との記念写真です。生後6ケ月です。
そのうちに次男の小さい時の写真も照会いたします。


2013年5月25日に結婚しました。→ポチッ


学生時代の思い出の一品 [思いで]


もうすぐ新しい自転車を買って4年目になります。→ポチッ
そこで、自転車に関しての思い出の一品を紹介いたします。学生時代にクラブの後輩から送られたものです。クラブはサイクリング部でした。西暦XXXX年のことでした。その学生時代4年間の自転車の走行距離は6万kmになりました。夏休みの時など一人で走るときの一日の走行距離は平均260km程度で長いときは350kmでした。たくさんの思い出があります。それにしても寄せ書きは、もらった時よりも時代が経つと値打ちが出てくるものだと実感いたしました。

夏休みと春休みにクラブの合宿として走ったコースを紹介します。基本的にすべての合宿の待ち合わせ場所へは1人で走っていき、帰りも合宿の解散場所から一人で走って帰りますが、3年の夏だけは広島の因島で実習があって時間的な理由から列車(大阪→猪苗代湖 青森→大阪)を利用しました。ただし宝塚から因島へも自転車で行きました。
<1年生の夏> http://goo.gl/maps/qA1az 
宝塚(家)→京都→大津→敦賀→小浜→天橋立→丹後半島一周→久美浜→豊岡→和田山→福知山→宝塚(家)
<1年生の春> http://goo.gl/maps/SSV9J 
宝塚(家)→岡山→笠岡→広島→岩国→下関→行橋→平尾台→飯塚→福岡→唐津→長崎→諫早→雲仙道路→雲仙→島原道路→島原→(フェリー)→天草王橋→熊本→阿蘇→大観峰→日田→羅漢寺→下関→広島→笠岡→岡山→宝塚(家)
<2年生の夏> http://goo.gl/maps/JolKf 
宝塚(家)→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→乗鞍岳山頂→前川渡→松本→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→静岡→名古屋→宝塚(家)
<2年生の春> http://goo.gl/maps/2ibxZ 
宝塚(家)→京都→名古屋→寝覚ノ床→諏訪湖→杖突峠→駒ヶ根→権兵衛峠→駒ヶ根→飯田→温田→新野峠→渋沢温泉→木ノ実峠→保古ノ湖→馬篭峠→保古ノ湖→名古屋→宝塚(家)
<3年生の夏> http://goo.gl/maps/0LV3f 
猪苗代湖→檜原湖→白布峠→南陽→蔵王→名取→仙台→鳴子→鬼首峠→横手→田沢湖→玉川温泉→十和田湖→八甲田山→青森
<3年生の春> http://goo.gl/maps/XXZqN 
宝塚(家)→彦根→中津川→塩尻→軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅→静岡→宝塚(家)
<4年生の夏> http://goo.gl/maps/xX1MM 
宝塚(家)→敦賀→金沢→羽咋→七尾→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→乗鞍岳山頂→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→宝塚(家)

下の写真は乗鞍山頂を目指して松本近くの奈川渡ダムあたりの急坂道を登っているところでした。通常は体力の低い人のペースに合わせて隊列を組んで走りますが峠が近づくとフリーランとなります。自分が撮っているため自分自身が写っていないのは残念です。青いユニホームは私の次の学年までで、その後の年代からは黄色のユニホームになりました。4年生の夏の合宿でした。
クリックすると拡大 クリックすると拡大乗鞍岳山頂 3026m 学生時代に2度行きました。
乗鞍岳を下りるところです。 このときのコースは次の通りでした。
宝塚→大津→敦賀→福井→金沢→羽咋→七尾→糸魚川→白馬→長野→志賀高原→渋峠→新鹿沢→地蔵峠→車坂峠→青木峠→松本→乗鞍岳→白樺峠→野麦峠→高山→岐阜→彦根→草津→宝塚 
左端に小さく写っています。右端の建物が2800mのところにある山小屋です。ここまでは車で登れます。この時代は舗装していない道もありました。わざわざ舗装していない方の道を登り降りしたのでした。その下りですがあまりの振動で一人の自転車のフレームが真っ二つになってしまいました。その後、その1年生の西野さんはバスと電車で帰りました。

この時の記念写真を6枚ほど掲載します。
左上から順番に長野 渋峠 車坂峠 地蔵峠 乗鞍岳山頂 野麦峠です。 
上で紹介の奈川渡ダムあたりの急坂道の写真もこの時に撮りました。
     


この写真は権兵衛街道です。卒業の年である4年生の春です。単独で走りましたが、3月15日でもこんなに雪が残っていました。雪崩の跡もありました。今は車が通れる道になっています。2003年には標高1162mの位置にトンネルも開通してさらに便利になりました。しかし、このときはまだ舗装すらされておららず車は通れない昔のままの道でした。有名な野麦峠もこの時代は車は通れませんでした。

クリックすると拡大権兵衛街道を登りつめると権兵衛峠(標高1522m)があります。上りだけでなく下りも大変です。
今は写真のような景観も見れないかもしれません。右の写真のように私は左側の雪の上に座って記念撮影いたしました。その写真から切り取ったのが下の写真です。


8月12日~14日の2泊3日写真は蓼科のあたりです。
走ったコースは八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧が峰(霧ケ峰)→諏訪→島々→徳本峠→上高地→安房峠→平湯峠→高山でした。


3年生の春です。写真は信州峠です。 下の写真のように南側の下り道は、雪が解けた後の泥に悪戦苦闘でした。北斜面の登り道は右の写真のようにようにアイスバーンで、こちらも大変でした。
宝塚→彦根→中津川→塩尻→軽井沢→和美峠→内山峠→下仁田→塩ノ沢峠→十石峠→小海→馬越峠→信州峠→甲府→裂石→柳沢峠→青梅→静岡→宝塚


私は信州峠の下り坂で車輪のシャフトを折ってしまいました。麓の鉄工所のおじさんに溶接でつないでもらいました。写真は修理したシャフトです。今となってはいい思い出です。


2年生の時の夏休みに行った白川郷もいいところでした。コースは下記で(甲府→東京)だけ友達の車で後は自走でした。
宝塚→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→乗鞍山頂→前川渡→松本→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→小田原→静岡→浜松→名古屋→鈴鹿峠→大津→宝塚
東京からは、その友達と自転車で伊豆を走りました。

3年生の夏です。
猪苗代湖→檜原湖→白布峠→南陽→蔵王→名取→仙台→鳴子→鬼首峠→横手→田沢湖→玉川温泉→十和田湖→八甲田山→青森
写真は玉川温泉です。雨と霧の中で玉川温泉に着いて、この露天風呂に入りました。実は、この露天風呂は地獄めぐりのコースの中にあることが霧が晴れて判りました。霧が晴れてしばらくすると沢山の観光客の人が見て廻っていたため露天風呂から出れなくなりました。長時間の入浴になりました。
青森からは夜行列車で家に帰ったあと、家から因島まで自転車で走りましたが250kmを食事やトイレや信号待ちの時間も入れて8時間で走ったのは長距離単独走行の中では私の記録です。今のようにスピードメーターがないのですが、国道なので沢山の信号で停まらなければならないため、実際には、かなりのスピードで走ったことが想像できます。

今までに通った峠で記憶に残っている名前を掲載します。 宮城県と秋田県の県境にある鬼首峠での、むさい鬼首ばかりの記念写真です。少し洒落たつもりでした。徳本峠は上高地に入る昔の登山道にある峠です。     ( )内数値は標高です。
鬼首峠(820) 西峠(460) 野麦峠(1672) 小笠峠(419) 三本峠(239) 切詰峠(245) 大阪峠 白川峠(190) 木見峠(250) 小部峠 鈴鹿峠(357) 水越峠(517) 紀見峠(400) 竹ノ内峠 蔵王峠(550) 鍋谷峠(670) 河梨峠 和田峠(1531) 宇津ノ木峠 吉坂峠 武石峠(1830) 己斐峠 松本峠(1087) 小鳥峠(1002) 鯰峠 船坂峠 中山峠(310) 山中峠 古々山峠 武平峠(820) 吸上峠 山伏峠 風速峠 中峠 美女峠 天田峠 白樺峠(1640) 鳥尾峠 日見峠 椿峠 塩津峠 新軽岡峠 古坂峠(470) 関峠 佐夜ノ中山峠 平尾峠 万ノ峠 人形峠(583) 新小屋峠 蒲生峠 春来峠 八木谷峠 遠坂峠 鹿食峠 鳥居峠 塩尻峠(1055) 新野峠 杖突峠(1267) 十曲峠(500) 木ノ実峠(768) 馬篭峠(801) 内津峠 白布峠(1094) 船坂峠 発荷峠(631) 清滝峠 花背峠(750) 江文峠 鍵掛峠 穴虫峠(129) 大土峠 猪ノ子峠 坂井峠 浮峠 名月峠(270) 仏坂峠 逢坂峠 暮坂峠 堀越峠 野間峠 高見峠(899) 棒峠 小坂峠 荷坂峠(241) 榎峠(340) 添谷峠 長谷峠 仁科峠(900) 洞ケ峠 和美峠(984) 内山峠(1170) 塩ノ沢峠(1061) 十石峠(1356) 馬越峠(1650) 信州峠(1464) 柳沢峠(1472) 宮峠(782) 地蔵峠(1733) 車坂峠(1968) 渋峠(2172) 青木峠 笠取峠 桜峠 暗峠(455) 花折峠(591) 坂坂峠 桃観峠 比治山峠(230) はらいがため峠(580) 天王峠 夜久野峠(190) 徳本峠(2135) 水坂峠 姥神峠(1280) 権兵衛峠(1522) 河合峠(458) 麦草峠(2185) すずらん峠(175) 安房峠(1812) 平湯峠(1684) 百井峠(730) 旧花背峠(837) 御経坂峠(216) 笠峠(447) 栗尾峠 深見峠 堀越峠 地蔵峠 長峰峠(1503) 大門峠(1442) 八草峠(74) ホハレ峠(814) 冠峠(1050) 駒止峠(1135) 沼山峠(1784) 三平峠(1762) 金精峠(1843) 武石峠(1780) 評評峠 女寄峠(380) 傘松峠(1020)
地図にプロット中  http://goo.gl/maps/zlWof

あのころは西日本大学サンクリング連盟(略して西サ蓮)では各学校のサイクリング部から数百人が集まるラリーが年一回、各学校の持ち回りで行われていました。全体でも行動しますが小グループに分かれて行動もするのですが、そのメンバーで書いた寄せ書きも思い出のものとなりました。偶然ですが私が1年生の時に我々の学校が主催となりラリーが行われました。下記の写真は、その時の寄せ書きです。


その西サ蓮ラリーの小グループのメンバーでの記念写真です。いろんな学校のメンバーと一緒に走るのも楽しかったです。


西サ蓮ラリーで全体で並んでいるところの写真です。


西サ蓮ラリーでは気に入ったどうしで個別に写真を撮ることもありました。


一年間の主なイベントを思い出しながら記載しました。(公式レースは省略) 
なんと言っても夏合宿と春合宿がメインイベントです。
  新入生歓迎サイクリング        高野山サイクリング
  東京の学校との対抗戦とサイクリング  夏合宿サイクリング
  西サ蓮ラリー参加           秋の公開サイクリング
  学園祭のぜんざい模擬店        500km耐久レース
  他校との合同サイクリング       近隣地域の月例サイクリング
  伊勢神宮初詣サンクリング       春合宿サイクリング

自転車などの倉庫前              倉庫前で記念撮影

西サ蓮ラリー                   西サ蓮ラリー整列

西サ蓮ラリー行進                他校との合同サイクリング

一年夏合宿 海上自衛隊舞鶴基地にて   高野山の裏道 他校と

学校前で 二年                 合同ハイキング

秋の公開サイクリング             近隣地域の月例サイクリング

東京の学校との合同サイクリング      一年春合宿 島原

三年夏合宿 檜原湖にて           近隣地域の月例サイクリング

途絶えていた「ぜんざい」が復活しました。 [思いで]



2011年01月30日掲載 タイトル:途絶えていた「ぜんざい」が復活しました。

昨日(2011年1月29日)にサイクリング部のOB会(現役も参加)に行きました。
学校は関西なので関東に引っ越してきてから、ご無沙汰していたので懐かしい人達に会えてよかったです。学校内で行われることからアルコールはありませんがそれもなかなか良かったです。
昨年の12月に「先輩から受け継いだ伝統の味 ぜんざい」というタイトルで毎年学園祭で作られていた「ぜんざい」を紹介しましたが、実は途絶えていたことを、今回知りました。
ところが昨年から再開したそうです。その時の看板が上の写真です。500杯ほど売れたそうです。ネーミングは、腹がでてすけ「ぜんざい」だそうです。

おでんや合宿名物のカレーライスを食べながらOB同士、現役との交流に加えて楽しい催しも沢山ありました。


そして、その伝統のぜんざいをOB会で現役の人達が作ってくれたのです。そのぜんざいが下の写真です。ぜんざい以外にも、伝統の「合宿カレー」も出してくれました。これも懐かしい味でした。



2010年12月19日掲載 タイトル:先輩から受け継いだ伝統の味 ぜんざい

学生時代の遠い昔の話です。
すでに照会した500km耐久レースは秋の学園祭の時に行います。サイクリング部では、その秋の学園祭で「ぜんざいの模擬店」を出すのが代々の伝統なのです。評判の伝統の味なのです。それが終わると翌日はクラブ員だけで行う500km耐久レースです。写真の奥の方を見てもらえると判るように、この時から自転車の整備をしている人がいます。

模擬店の周りでは、本当に真剣に整備をしています。写真の人は今でも家に行ったりして親しくしている方です。


ぜんざいに入れるお餅を焼いているところです。道具もクラブで代々受け継がれてきたものです。このお餅もクラブの備品の臼と杵で作ります。もちろん蒸篭やぜんざいを作る大釜もサイクリング部に代々受け継がれた備品なのです。ぜんざいを作る大釜を撮った写真がないのが残念です。餅を入れている箱に昭和三十一年十二月吉日と書かれているのが歴史を感じさせてくれます。昭和31年は1956年なので今から54年前の箱になります。写真をクリックするとこの箱の拡大写真を掲載いたします。
クリックすると餅の部分を拡大

ここから下の写真は2011年1月30日に追加しました。模擬店の光景です。子供たちにも人気がありました。もちろん女性の方にも人気がありました。


左はぜんざいを器に入れているところの写真です。女子大から応援にきてもらいました。右はぜんざいを食べながら一休みしているところです。


楽しい雰囲気が伝わってきます。後輩の山田君も頑張っていました。古い写真だけれども偶然にもネガが残っていたので鮮明な写真を掲載出来ました。



2013年01月31日掲載 タイトル:2月2日はサイクリング部のOB会
クリックすると我が自転車を紹介
正門からの校内の景色今度の日曜日2013年2月2日は学生時代のサイクリング部のOB会が学校内の交流会館であります。
昨年は都合で参加できなかったのですが、関西ではありますが実家への帰省も兼ねて今年は参加する予定です。正式名はOB交流会で現役の人も参加します。学校内はアルコール厳禁なのでアルコール抜きの会食を交えて交流会が行われます。交流会の終わった後にOB同士で二次会も計画しております。

第2回 500km耐久レース [思いで]



またまた学生時代の思い出に引き続き古い話で申し訳ありません。
学生時代の3年生の時にサイクリング部で500km耐久レースと言うイベントを始めました。自転車で約500km(このときは539km)を走ります。クラブ内だけの年に一回のお祭りのようなものです。前日は先輩から受け継いだ伝統の模擬店で資金を稼いでいました。部室から午前5時に出発して決められたコースを各自の体力にあわせて走って帰ってきたら部室の壁の紙に名前と時間を書きます。6位の人が書いているところです。写真は第2回のときの部室での写真です。私は第1回が3年生だったので、第2回は4年生と言うことになります。

コースは「大阪→京都→小浜→久美浜→城崎→豊岡→浜坂→多紀→池田→大阪」でした。チェックポイントの小浜駅と浜坂駅を通ればルートは自由なのも、この500km耐久レースの特徴です。このときも姫路を通って帰ってきた人もありました。ただし反対周りはだめです。チェックポイントでスタンプを押すか駅の入場券を買います。
ちなみに第1回のコースは「大阪→紀見トンネル→橋本→五条→天辻→新宮→熊野→松坂→高見峠→大阪」でした。
小浜駅では下のようにスタンプを押しました。


浜坂駅では入場券を買いました。
偶然にも記念入場券でした。11月5日の日付が入っていました。


到着した順に書き込んで行きます。冒頭の写真の時点で書き込まれている名前は私、木冶、桑垣内、松島、山田、橋本です。


後半は雨も降ってきたようですが、みんな満足そうでした。



下の写真から参加者を数えてみると25名でした。遊びでトトカルチョもやります。レース参加者は1枚買うのです。馬券で言えば連勝複式で1位と2位の枠を当てるのです。今回は一枚のみ2-2で残りはすべて1枠流し(1-?)でした。当たりは1-2で3名が当たっていました。ちなみに黒塗りで消しているところが私(枠は1)です。残念ながら投票した馬券(1-6)は当たりませんでした。レースの方は結局は前年に引き続き私が1位となりました。2-2を買った人はなかなかの読みでした。私が3位以下ならば2-2でした。すなわち木冶-桑垣内でした。買ったのは木冶です。
1-1 1枚  1-2 3枚  1-3 4枚  1-4 5枚  1-5 4枚  1-6 5枚  2-2 1枚


娘の晴れ姿 [思いで]


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今日は11月15日です。
昔は旧暦の11月15日が七五三だったそうですが明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになり、現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土日・祝日に七五三を行なうことも多くなっています。

昔、三歳のときに七五三に行った時の写真です。
初めて着る着物で、やっぱりうれしそうです。場所は船橋市の二宮神社 で写真の社殿は安永年間(1772~81)に再建されたものだそうです。


初めての着物に楽しそうです。本を見て着付けをしているところです。
七五三をネットで調べてみました。
男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事。本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合が多い。 現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。 尚、上方発祥の習俗としては十三詣りがあり、これも徐々に全国に広がりつつある。


やっぱり、はしゃぎたくなるようです。


千歳飴も買いました。記念撮影には神妙になりました。

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