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2017年08月| 2017年09月 |- ブログトップ

セーヌ川クルーズ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。 [パリ]

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セーヌ川クルーズのその1(乗場から東方向の折り返し点まで)の記事で紹介したようにセーヌ川クルーズの楽しみの一つが、橋の下をくぐることですが、もう一つの楽しみが、橋の上から我々のために手を振ってくれる姿に出会えることです。ここでは特別編として、その「うれしい笑顔」を紹介したいと思います。その2、その3は後日紹介したいと思います。
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで
 ③ その3 乗場付近から西方向
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。

こちらの地図の中央付近の茶色のマーク( )のバトー・ムーシュ乗降場でクルーズ船に乗って先ずは上流方向(右方向)に進み、Uターンして下流方向(左方向)に行き、元の場所に戻ってきます。笑顔で手を振ってくれた人たちに多く出会えたのは沢山の人が来ているシテ島周辺( )でした。シテ島はノートルダム寺院サント・シャペルコンシェルジュリーがあるパリの中心的存在の中州です。
 ━━ セーヌ川クルーズ
 セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
 泊まったホテル



最初に手を振る姿に気が付いたのはこちらのプティ・ポン(Petit-Pont)です。
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上の写真では手を振る姿は写っていませんが、クルーズ船が近づくと手を振ってくれました。
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写真の左端に移っている男性のようにこたえて船上からも手を振る方がおられました。このあとさらに手を振る方が橋の上からも船上からも増えていきました。歓声も大きくなっていきました。橋からが先なのか船上からが先なのかは分かりませんでしたが、沢山の人たちが手を振ることで楽しんでいるようでした。
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次のドゥブル橋(Pont au Double)です。かなり遠くからズームで撮っているので、まだ手を振っている人は見かけませんでした。
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最初に気が付いて手を振ってくれたのがこちらの女性でした。拡大しているので大きく写っていますが、まだかなりの距離です。でも船が通り過ぎる最後まで手を振ってくれました。右の女性は我々の船の写真か動画を撮っているようです。
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船が近づくと手を振る人が増えてきます。こちらが冒頭の写真が、手を振っていない人もみんな笑顔でした。
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手を振っていなくも笑顔でこちらを見てくれています。
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上の写真では右端の2人の男性は手を振っていませんでしたが、船が近づいたこちらの写真では手を振ってくれました。
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橋をくぐる寸前の写真です。赤いスカーフの女性のように最後まで手を振ってくれひとも多かったです。
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ノートルダム寺院の川沿い人たちも笑顔で迎えてくれていました。右端の家族と思われる人たちは手を振ってくれています。
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船がUターン戻り始めて2つ目の橋のマリー橋( Pont Marie)です。シテ島の隣のサン=ルイ島と川の北側を結ぶ橋で観光客もさほど多くはありません。それでも20名くらいの人がこちらを見ていました。
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マリー橋でもクルーズ船が近づくと手を振ってくれました。
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近づくと手を振る人も増えてきます。
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真ん中の男性と左端の女性は船が橋をくぐるまで手を振ってくれました。
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マリー橋の次のアルコル橋(Pont d'Arcole)でも手を振る人たちに出会えました。ただしこの写真を撮った時は遠いのでこちらに気が付いておらず皆さん歩いておられました。
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我々に気が付いて手を振ってくれる方もあらわれました。
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やっぱり笑顔で手を振ってくれると嬉しいです。
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今回、笑顔で手を振る人たちの写真を紹介した橋を拡大した地図で紹介します。書いている橋名の順番に紹介いたしました。
 プティ・ポン Petit-Pont
 ドゥブル橋  Pont au Double
 マリー橋   Pont Marie
 アルコル橋  Pont d'Arcole

タグ: セーヌ川
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カシス・マロンとイチジクのタルト [千葉]

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久しぶりに貝殻亭のケーキをいたただきました。
2017年9月19日に山口県の墓参りに行くときに叔父さんに渡すお土産のクッキーを買うついでに自分たちが食べるケーキを買いました。
カシス・マロンとイチジクのタルトです。

ケーキは紅茶でいただきました。
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カシス・マロンケーキの断面を紹介します。中心部が栗のクリームです。周囲がカシスクリームです。2つのクリームがタルトの上に乗っていました。マロングラッセが中や外側やタルトの中に入ったおいしいケーキでした。
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イチジクのタルトの断面も紹介します。イチジクのケーキはよく食べるのですが、今年始めた食べたイチジクのケーキでした。正式名はタルト・フィグフランポワーズです。
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断面を紹介するのも目的で半分に切りましたが、両方を食べるのも目的の一つです。
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ケーキ以外にこちらも買ってきました。一つ50円です。名前は「ミニカヌレ」です。
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こちらも紅茶でいただきました。
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叔父さんへのお土産です。左が私の家の近くの貝殻亭で買ってきたお土産のクッキーで、右がいつものお土産の宝塚の実家の近くの佃煮屋さんで買った昆布の佃煮です。
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実家用に買ってきた貝殻亭のクッキーです。下の写真は4種類ですが、上の叔父さんへのお土産用の箱には1個づつ10種類ほど入れてもらいました。
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2019年9月19日の日帰りで実家の母と行く墓参りも無事に終わり実家の宝塚に戻ってきました。
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前日の2017年9月18日は台風が通過した後なので空気が澄んでいて新幹線から見える富士山もきれいでした。
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今までに紹介したイチジクが使われたスイーツを紹介したいと思います。最初の2枚は同じ貝殻亭のイチジクのタルトです。左が2015年で右が2016年です。毎年進化してきているのかもしれません。お店の名前をクリックするとその時の記事を表示します。写真をクリックすると拡大いたしました。
  貝殻亭(2015年)           貝殻亭(2016年)
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  御影高杉              ポッシュ・ドゥ・レーヴ芦屋
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セーヌ川クルーズ その1 [パリ]

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7日間のフランス旅行で最後に楽しんだのがセーヌ川クルーズとなりました。その7日目は最初にオルセー美術館に行き館内でランチを食べた後にサント・シャペルとコンシェルジュリーと見学いたしました。シテ島の中で乗船場を探しましたが結局見つからなくて、WiFiのつながるところに行き、娘がスマホでクルーズの乗場を検索してなんとかセーヌ川クルーズが実現いたしました。着色文字をクリックすると今までに掲載した記事を表示します。
 1日目 JL415 到着 セーヌ川散策 ノートルダム寺院 ルーブル美術館周辺
 2日目 モンサンミッシェル オンフルール
 3日目 モンサンミッシェル
 4日目 ルーブル美術館 ノートルダム寺院 凱旋門 シャンゼリゼ通り
 5日目 ヴェルサイユ宮殿 パリ チョコレート店2ケ所
 6日目 ロワールの城めぐり 
 7日目 オルセー美術館 サント・シャペル コンシェルジュリー
 セーヌ川クルーズ 帰国・JL416・パリ→成田

下記の地図で茶色のマーク( )のところがセーヌ川クルーズ乗降場で、エッフェル塔の近く近くでした。シテ島からは地下鉄で行きました。フランス旅行も7日目ともなると地下鉄の移動もスムーズに出来るようになったので無駄な時間は少なくて済みました。他のマークは7日目に行ったところです。セーヌ川クルーズのルートも書き込みました。
 ━━ セーヌ川クルーズ
 セーヌ川クルーズ乗降場(バトー・ムーシュ乗降場)
 オルセー美術館
 サント・シャペル
 コンシェルジュリー
 泊まったホテル


クルーズ船の会社名はBATEAUX-MOUCHES(バトー・ムーシュ)で、パリの遊覧船としてはもっとも有名な会社だそうです。 Bateaux(バトー)はボートで、Mouche(ムーシュ)はハエ(昆虫)なので直訳するとハエ・ボートという意味になります。この名前は、当初ボートがリヨンのMouche地区で製造されていたことに由来するそうです。
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こちらがチケット売り場です。表示から次の船は33分後の15時15分でした。その次は16時00分(16:00)で、その後は16:45,17:30,18:00,18:30,19:00,19:30,20:00,20:30,21:00,21:20,21:40,22:00,22:30,23:00でした。今は45分ごとの出航ですが、17時30分からは30分ごとの出航になり21時からは20分ごと出航になっていることから人気の時間帯がわかります。写真をクリックすると時刻表が分かると思います。
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こちらがチケットです。時間は90分間と十分楽しめるクルーズでありながら、料金は13.5ユーロ(1790円)でした。今回の旅行で唯一安く感じた価格でした。
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改札機を通ったところが船を待つ場所です。我々はいい席に座りたかったので最初に乗れる位置に陣取りました。
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こちらが船の待合広場です。
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乗船を待つ場所からはエッフェル塔がよく見えました。
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我々が乗る船が付いて前のお客さんが降りているところです。目の前の階段を下りて船に乗りますが我々が先頭集団に陣取っていることが分かってもらえると思います。
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進行方向の一番前の席に座りました。それも右端の2つです。右側にするか左側にするか迷いましたが右端にいたしました。
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積に座って船が出発前に進行方向を撮った写真です。
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動き始めて振り返ると周囲はほぼ満席でした。
セーヌ川クルーズでこれから掲載させていただく写真は約150枚になることから4つの記事で紹介したいと思います。
本記事では①の乗場から東方向の折り返し地点までを紹介します。途中にオルセー美術館やノートルダム寺院があります。
 ① その1 乗場から東方向の折り返し点まで
 ② その2 東折り返し点から乗場付近まで
 ③ その3 乗場付近から西方向
 ④ 特別編 橋の上は笑顔で溢れていました。
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こちらは出発して最初の橋であるアンヴァリッド橋(Pont des Invalides)です。1855年のパリ万国博覧会のために1854年建設が始まり丹前に完成したのは1856年でした。
 橋名 アンヴァリッド橋(Pont des Invalides)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 152m
 幅  18m
 建設 1854年~1956年
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橋の右側にはガラス張りの建物であるグラン・パレ(Grand Palais)がありました。1900年のパリ万博万国博覧会のために建てらました。
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もともとこの場所には1829年に完成した吊り橋がありましたが老朽化で架け替えられましたが、その時の中央の橋脚を新しく作ったそうです。両側の橋脚は吊り橋時代の橋脚を利用したそうです。クリックすると橋の両端も入れた全長を表示しのす。
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3つの橋脚の中央の部分の飾りです。この飾りは「海の勝利」と名付けられていて反対側の上流側には「陸の勝利」と呼ばれる像が同じように飾られています。上流側が「陸」に対して下流側がだから「海」と名付けられたように思えました。
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セーヌ川クルーズの楽しみの一つが橋の下をくぐる(潜る)ことです。大きなクルーズ船が橋の下ギリギリをくぐるときは迫力があります。
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それでは橋の下をくぐっている時の写真を紹介します。セーヌ川の上流に向かっています。
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次の橋はアレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)です。1900年のパリ万国博覧会にあわせて建設された橋です。川に橋脚を建てることなくセーヌ川を一跨ぎしているのが特徴です。4本の柱の上に金色の像が飾られているのが印象的でした。この写真はクリックすると特別に大きく拡大するので是非とも大きな写真で橋の景観を楽しんでみてください。
 橋名 アレクサンドル3世橋(Pont Alexandre III)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 115m
 幅  40m
 建設 1896年~1900年
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中央の「セーヌ川の妖精(Les Nymphes de la Seine)」と名付けられた装飾は見事でした。作者はGeorges Réciponだそうです。アールヌーヴォーの街灯も見事です。パリ万博のために作られた贅を尽くした橋でした
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見事な作品なので拡大いたしました。
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橋の4隅の高さ17mの上の金色の像には下記の名前が付けられています。後ろの名前は作者です。それぞれ別の芸術家がデザインしたものでした。
 芸術 Emmanuel Frémiet
 農業 Gustave Michel
 闘争 Pierre Granet
 戦争 Clément Steiner
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大きな写真で金色の像を紹介します。
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アレクサンドル3世橋の下をくぐる写真も掲載いたします。我々の前の手摺も一緒に写しました。橋に手が届きそうです。もちろん届きません。
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次の橋はコンコルド橋(Pont de la Concorde)です。ここまでの3つの橋の中では一番古い橋です。1791年は江戸時代の寛政3年です。明治が始まったのが1868年1月25日なので明治時代が始まる77年前に、この橋が作られたことになります。コンコルド橋の交通量は非常に多いので1930年~1932年にかけて橋の幅を2倍にする拡幅工事が行われたそうです。
 橋名 コンコルド橋(Pont de la Concorde)
 形式 アーチ橋
 材料 石・コンクリート
 全長 153m
 幅  34m
 建設 1787年~1791年
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ここに来ると観覧車が大きく見えてきました。
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コンコルド橋に近づいてきました。
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コンコルド橋をくぐる写真も紹介します。
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コンコルド橋をくぐってすぐに振り返って撮った写真です。
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コンコルド橋の次は斬新なレオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)です。ソルフェリーノ橋(Pont de Solférino)とも言われています。右側の建物がこの日の午前中に行ったオルセー美術館で、記事でも紹介いたしました。このあたりから歴史的建造物が多く出てきます。
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この橋は1999年に歩道橋として作られたものです。元々ここにはナポレオン3世が除幕(1861年)した大きなソルフェリーノ橋がありました。ソルフェリーノ橋の名前は1859年のソルフェリーノの戦いでの勝利を記念したものでした。その橋が川船の衝突などで脆くなってきたために1961年~1992年まで歩道橋に架け替て使われていましたが、さらに今の橋に替わったようです。この橋の設計者は、この斬新な橋により1999年の銀の定規賞(Équerre d'Argent)を受賞したそうです。
 橋名 レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Léopold-Sédar-Senghor)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄・木材
 全長 106m
 幅  15m
 建設 1997-1999年
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この橋をくぐる雰囲気を味わってください。
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橋をくぐるとオルセー美術館の全体が見えてきました。オルセー美術館の建物は1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅でした。1900年に出来たオルセー駅はパリからオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルで、かまぼこ状の大屋根(トレイン・シェッド)の下の地下に10線以上のホームを備えていたそうです。
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オルセー美術館の外観で魅力的なのがこの大時計が2つあることです。こちらの大時計はセーヌ川で言えば下流側の大時計です。
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上流側の大時計と駅舎の外観を残す景観です。
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こちらが上流側の大時計です。駅舎自体はエッフェル塔の7500トンの鉄骨をしのぐ12000トンの鉄骨で出来ていますが、セーヌ川に面した正面は化粧石で覆われて、今の景観になったそうです。
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こちらが次のロワイヤル橋(Pont Royal)です。クリックすると橋の全長の拡大写真を表示します。その全長の写真はレオポール・セダール・サンゴール橋をくくる前に橋の下から撮ったものです。是非ともクリックしてほしいです。こちらも日本の江戸時代の橋で明治時代に入る179年前の橋です。今から328年前の橋になります。
 橋名 ロワイヤル橋(Pont Royal)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 110m
 幅  16m
 建設 1685年~1689年
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左側の建物はルーブル美術館です。ルーヴル美術館はフランス王フィリップ2世が12世紀に建設したルーヴル城(ルーヴル宮殿)です。見えているのは巨大な建物の本の一部です。
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橋脚は4つの橋です。その橋脚部分です。こちらは下流側ですが上流側も同じ形なので橋脚の保護だけでなく川の水をスムーズに流すための三角形の構造物だと思われます。
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ロワイヤル橋をくぐる雰囲気をお伝えします。
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橋の下をくぐっているところです。次のカルーゼル橋(Pont du Carrousel)も橋の下からだと全長が撮れます。カルーゼル橋は次の通りです。新しい橋ですが元の橋は1831年に作られましたが幅が狭く、危険なほどぐらぐらしていたために今の橋が作られました。橋脚は2つです。
 橋名 カルーゼル橋(Pont du Carrousel)
 形式 アーチ橋
 材料 コンクリート
 全長 168m
 幅  33m
 建設 1935年~1939年
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我々が1日目の夕刻にカルーゼル橋から撮ったクルーズ船です。別のタイプですが、似たクルーズ船で椅子の色もオレンジ色なので我々が乗ったバトー・ムーシュ社のクルーズ船だと思われました。我々が乗った船は、この船より2階席が長くて前に下りる階段が無いタイプでした。見えている橋はロワイヤル橋(Pont Royal)で、左に見えている建物はオルセー美術館です。
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橋の左側はルーブル美術館です。
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ルーブル美術館の建物を拡大いたしました。
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カルーゼル橋をくぐっている写真です。潜っているカルーゼル橋を含めて5つの橋が写っています。4つの橋は手前からポンデザール、ポンヌフ、シャンジュ橋、ノートルダム橋です。
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こちらが1984年に作られたポンデザール(Pont des Arts)です。最初の橋も歩道橋として1804年に9連のアーチ橋として作られましたが、1918年と1944年の2回の爆撃と、1961年と1970年の2回の船の衝突で1977年に橋は閉鎖されていましたが、1979年のさらなる船が衝突で60mにわたって崩壊したために新しい橋が作られたそうです。輸送船の往来が多いところは頑丈な橋にすることが重要なことだと認識した事象でした。
 橋名 ポンデザール(Pont des Arts)
 形式 アーチ橋
 材料 鋼鉄
 全長 155m
 幅  11m
 建設 1982年~1984年
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この建物はフランス学士院(Institut de France)で、フランスの国立アカデミーです。学士院の前身はフランス王立アカデミーで、17世紀に絶対王政のもとでそれぞれ個別に設立された組織だそうです。
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ポンデザールをくぐる寸前の写真です。
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ここでセーヌ川は2つに分かれます。川の中州であるシテ島によって川が分かれるのです。我々のクルーズ船は右側の川を進みます。島を貫いている橋はポンヌフ(Pont Neuf)です。ポンヌフは410歳とパリに現存する最古の橋です。こちらの写真はクリックすると特別に大きく拡大します。
 橋名 ポンヌフ(Pont Neuf)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 238m
 幅  22m
 建設 1578年~1607年
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右側の幅の狭い方のセーヌ川に入っていきます。帰りは左側の川を通って戻ってきます。
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小さい方の橋でも4つの橋脚があります。この頑丈さによった410年間も耐え抜いてきたのではないかと感じました。
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ポンヌフに近づきました。これより先がパリの中心になっていきます。
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沢山の顔の彫刻がありました。全て違う顔のようです。写真には4つの顔が写っていますが、クリックすると6つの顔の彫刻が写った写真が表示されます。
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橋の下をくぐる写真です。
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さすがパリの中心です。古い建物が並んでいます。川は左に曲がります。
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川の右側の景色です。
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こちらは左側の景色です。
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次の橋が大きくなってきました。
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この橋はサン=ミッシェル橋(Pont Saint-Michel)です。1378年に初めて橋がかけられて以来、数回架け替えが行われて現在架かっている橋は1857年に作られました。
 橋名 サン=ミッシェル橋(Pont Saint-Michel)
 形式 アーチ橋
 全長 62m
 幅  30m
 建設 1857年
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見事な建物が続きました。内装は新しくしても、建物の外観は昔のままに使い続けられているそうです。マンションとして使われることが多く古いほど高額だそうです。
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サン=ミッシェルに近づいてきました。
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ここでも橋をくぐる雰囲気を味わってください。
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橋をくぐると次の橋とノートルダム寺院が見えてきます。
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橋の名前はプティ・ポン(Petit-Pont)です。
 橋名 プティ・ポン(Petit-Pont)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 32m
 幅  20m
 建設 1853年
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セーヌ川の右横の道路の下には不思議な空間がありました。
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ノートルダム寺院も大きく見えてきました。
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橋の上とバスの上から我々のクルーズ船を見ています。橋をくぐる寸前です。
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橋をくぐるとノートルダム寺院が目の前に現れました。
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立ち上がって写真を撮ったりする人も急に増えました。
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次の橋はドゥブル橋(Pont au Double)です。
 橋名 ドゥブル橋(Pont au Double)
 形式 アーチ橋
 材料 鋳鉄
 全長 45m
 幅  20m
 建設 1881年~1883年
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沢山の人がこちらを見てくれていました。
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ドゥブル橋をくぐるとノートルダム寺院が真横から大きく見えてきました。
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皆さん立ち上がって写真を撮っていました。
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一番歓声が上がっていたと思います。
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ほぼ真横です。
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川岸の人もにこやかにこちらを見ていました。スマホで写真を撮っている人もおられました。
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尖塔の高さ96 mです。尖塔の先端を撮りました。
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私はこの角度が好きです。地上からは何度も撮りましたが、クルーズ船に乗って川の中から撮ったのは初めてでした。
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船は離れていきます。
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名残惜しい瞬間です。
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次のアルシュヴェシェ橋( Pont de l'Archevêché)は補修工事中でした。
 橋名 アルシュヴェシェ橋( Pont de l'Archevêché)
 形式 アーチ橋
 材料 石
 全長 68m
 幅  17m
 建設 1828年
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アルシュヴェシェ橋をくぐっている写真です。
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橋をくぐると次の橋であるトゥルネル橋(Pont de la Tournelle)が見えてきます。上の写真に比べて橋が小さく写っているのは広角で撮っているからです。座っている席から広角で撮ると手摺が写ってしまいます。
シテ島の最後部分が写っています。シテ島の先にサン=ルイ島(île Saint-Louis)が写っています。トゥルネル橋の左の陸地がサン=ルイ島です。
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船の後ろ方向を見るとノートルダム寺院がまだ見えました。
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ノートルダム寺院を拡大いたしました。
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トゥルネル橋です。
 橋名 トゥルネル橋(Pont de la Tournelle)
 形式 アーチ橋
 材料 鉄筋コンクリート
 全長 122m
 幅  23m
 建設 1928年~1930年
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橋をくぐってきた輸送船は左に曲がっています。我々が通ってきた水路は幅が狭いので広い方に移っているのだと思います。
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サン=ルイ島(île Saint-Louis)にも沢山の古い建物が建っていました。見えている橋はトゥルネル橋です。
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トゥルネル橋をくぐっている写真です。見えている橋はシュリー橋(Pont de Sully)です。
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シュリー橋は川を45度で斜めに横断しています。左側はかなり遠くになります。シュリー橋はサン=ルイ島を貫く形で2つの橋で構成されています。この橋が出来る前も歩行者用の吊り橋がありましたが、1つは1848年革命のときに破壊され、もう1つは1872年にケーブルの腐食で崩壊したそうです。今は車が通れる大きな橋です。鋼鉄製の橋はよくありますが、鋳鉄製の橋は珍しいです。
 橋名 シュリー橋(Pont de Sully)
 形式 アーチ橋
 材料 鋳鉄
 全長 256m
 幅  20m
 建設 1874年~1876年
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アルシュヴェシェ橋、トゥルネル橋、シュリー橋あたりの地図です。シュリー橋が斜めに横断していることやシテ島とサン=ルイ島の関係も判りやすいと思います。


橋が川を斜めに横断しているのが分かってもらえるでしょうか。
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シュリー橋をくぐる写真も掲載いたします。
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シュリー橋の次はオステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)でした。このあたりになると建物も新しいものになってきました。
オステルリッツ橋は新しく見えましたが建設は1800年代と、意外と古かったです。鉄骨に見えたのはもう一つ奥にあるシャルル・ド・ゴール橋(Pont Charles-de-Gaulle)でそちらは1996年に完成いたしました。驚いたことにオステルリッツ橋は煉瓦(レンガ)で出来た橋でした。
 橋名 オステルリッツ橋(Pont d'Austerlitz)
 形式 アーチ橋
 材料 煉瓦
 全長 173.8m
 幅  30m
 建設 1801年~1805年 1854年 1884年~1885年
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煉瓦造りのオステルリッツ橋の一部を拡大いたしました。クリックすると全長を表示します。
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古い建物群でなくなってきたので、皆さんも座って落ち着いてゆったりとされていました。遠くに、くぐってきたシュリー橋が見えます。
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記念写真もゆっくりと撮れる雰囲気でした。もう少し進んだ川幅が広い場所でクルーズ船がUターンいたしました。
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Google地図でセーヌ川の源流から河口までを紹介します。左下のマイナスのアイコンをクリックするとフランス内の位置関係が分かると思います。
クリックすると拡大右の写真はセーヌ川の源(Sources de la seine)に設置された石像です。
 ━━ セーヌ川本流(源流~河口)
  セーヌ川の源(Sources de la seine/翻訳)
  パリ・シテ島(ノートルダム寺院)
  セーヌ川河口
  バルビゾン ミレーが暮らして絵を描いた場所

追伸
2017年9月18日早朝から9月23日まで関西に行っています。その間は皆さんのところに訪問できないことお許しください。

新千歳空港でお土産を買いながらランチとソフトクリーム [北海道]

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先日の記事で紹介したように初めてJR北海道に乗って新千歳空港に行きました。フライトは13時35分発だったので長男家族が私を送ってくれることを兼ねて空港でランチとアイスクリームを食べるのも目的でした。車で出発しましたが空港まで行かなかったのは、この日が千歳基地航空祭で道が渋滞していたために3駅手前の長都駅(おさつ駅)に車を駐車して、確実に行くためでした。

空港に着いて、先ずはチェックインカウンターに行きましたが、今回のLCCの場合はチェックイン開始は2時間前だったことからアイスクリームを食べるためにアイスクリーム店に向かいました。こちらが最初に食べたアイスクリームでした。「最初に」と書いたのは、いくつもアイスクリーム店を回るつもりだったからです。
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せっかく北海道に来たのでランチはジンギスカンにいたしました。入ったお店は松尾ジンギスカン新千歳空港店でした。メニューの中から2種類3人前を頼みました。注文したのはラムリブロースジンギスカンと特上ラムジンギスカンでした。
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さっそくいただきました。
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食べている間に、私だけ抜け出してチェックインを済ませてきました。
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息子は車の運転があるので私だけビールをいただきました。
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沢山のお土産店を見て回って今人気の焼きたてチーズタルトを買いました。早朝にmorimptoでお土産を買ってあったので、空港での土産はチーズタルト(洋菓子きのとや)だけになりました。まだ時間があったのでStarbucksでコヒーを飲みながら第2弾のアイスクリームを買ってきてもらいました。
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こちらが2個目のアイスクリームです。いくつも食べるつもりでしたが、ランチも食べてしまったこともあり、食べれたのは2種類だけになってしまいました。
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朝食はmorimotoのパン [北海道]

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北海道ツアーから帰る日の朝食は千歳で評判のお店で焼きたてパンを買ってきて長男宅で食べることになりました。朝8時に開店なので丁度8時に着くように出発いたしました。上の写真が焼きたてパンを調達したお店morimotoです。こちらで、それぞれが好きなパンを買いました。
このmorimoto(もりもと)は戦後の食糧難だった時代に配給された材料でパンやお菓子を作ったことから始めたそうです。

クリックすると拡大家に帰ってきて朝食は8時30分からとなりました。小さな子がいると家で食べると落ち着きます。買ってきたパンがこちらです。2歳児もいるのでサンドイッチも買ってきました。余談ですがこちらのお店は焼きたてパンを打っているお店では珍しくカードが使えるので便利でした。
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いろんな種類のパンを食べたかったので包丁で切って4人(大人3人 2歳児1人)で食べました。
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カレーパンだけは切るわけにいかないので私がいただきました。
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クリックすると拡大2歳児用のパンも買いました。小さい子でも両手で持てる器に牛乳が入れられていました。最近は幼児用の便利なグッツが沢山あります。我々の時代にはなかったです。パンが乗っているトレーはアヒルの子供の形のようです。
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我々はコーヒーでパンをいただきました。朝食をとった後に空港に向かいました。そして珍しい駅名の長都(おさつ)駅から電車に乗る機会がありました。
我家でも正月など、みんなが集まった時にはパンを買ってきて食べたり、みんなでお店に行って食べました。
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広い店内には焼きたてパンだけでなくスイーツも沢山売られていました。お土産も買うことにいたしまクリックすると拡大した。
買ったお土産を紹介します。こちらはトマトのゼリーとメロンのゼリーとジャガイモのスイーツです。
右の店内の写真は酪農学園大学のホームページの写真を転用させていただきました。
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どら焼きも充実したのでいろんな種類を1つづつ買いました。スイート類も全てmorimotoのブランドでした。スイーツのお土産に関してはあらためて紹介したいと思います。クレジットカードが使えたのはこのようなお土産も買えるお店だったからかもしれません。空港にもお店(新千歳空港店)を出していました。ただし、そちらはパンはなくてスイーツだけでした。
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お店と、お店の場所を紹介します。
 もりもと本店 焼きたてパンと土産
           住所 北海道千歳市千代田町4-12-1
           電話 0123-23-4181
           営業 8:00~19:30
           定休 無休
           創業 1949年10月
 味の一平   味噌ラーメン
 うおはん   夕食用の食材の調達
 新千歳空港  ランチとアイスクリーム
 ━━ 長都駅→新千歳空港駅

タグ:北海道 バン
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北海道でもパスモが使えました。 [北海道]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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北海道旅行から家に帰る日は新千歳空港で長男家族と昼食を一緒にクリックすると拡大食べることにいたしました。お土産を買ったりアイスクリームも何種類か食べる予定でした。普通の日であれば車で空港に行くところですが、この日は毎年4万人以上が訪れる千歳基地航空祭が行われており、渋滞で到着時間が読めないので3駅手前の駅に車を駐車して電車で空港に向かうことにいたしまクリックすると拡大した。
驚いたことに新千歳空港駅の3つ手前の駅は無人駅でした。そして私が持っているICカード乗車券PASMO(パスモ)もちゃんと使えました。関東と関西以外で使ったのは初めてですがICカード乗車券の共通化が全国的に広まっていることを実感いたしました。
クリックすると拡大JR北海道のICカード乗車券はKitaca(キタカ)でした。調べてみると2013年3月23日からKitacaSuicaPASMOTOICAmanacaICOCAPiTaPaSUGOCAはやかけんnimocaの10種類の相互利用が出来るようになっていました。札幌市営地下鉄のSAPICAは使えないようでした。

私のエリアのICカード乗車券はSuica(スイカ)とPASMO(パスモ)です。
PASMOは鉄道26社とバス75社の計101社が加盟しているICカード乗車券です。ちなみにSuicaは鉄道7社とバス1社の計8社加盟です。


こちらがPASMOに残されていた記録です。JR北海道(北海道旅客鉄道株式会社)で使ったことが確認出来ました。残念ながら駅名までは表示されませんでした。2駅ですが距離があるようなので乗車券代は360円(=4769-4409)でした。


新千歳空港駅の3つ手前の駅は長都と書いて「ながと」ではなく「おさつ」でした。地図で駅名は長都と知っていましたが言われるまで「おさつ」とは読めませんでした。長都駅の駅名の由来はアイヌ語のオ・サッ・ナイで、その意味は「川尻の渇いている川」だそうです。長都駅が開業したのは1958年7月1日だそうです。空港方面の次の駅は千歳で、反対方向はサッポロビール庭園でした。ちなみにサッポロビール庭園駅が開業したのは1990年7月1日で、新しい駅でした。サッポロビール庭園駅も無人駅だそうです。
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こちらの電車に乗って空港に向かいました。この日行われる千歳基地航空祭のためか電車内はかなり混んでいました。さらに電車の窓からは望遠レンズ付けたカメラを持っている沢山の人が確認出来ました。考えてみたら北海道で、地下鉄以外の鉄道に乗ったのは初めてでした。新千歳空港までの距離は9.1kmで乗車時間は11分でした。Yahoo路線情報→ポチッ
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クリックすると拡大我々の乗る電車の前に通過電車がありました。
先頭の表示板を拡大したのが右の写真です。その表示板に北斗七星の星座とHOKUTOの文字が書かれていたので183系の特急北斗で、写真を撮った時間から札幌9時30発の函館行の北斗8号と思われました。
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長都駅(おさつ駅)のホームから新千歳空港方向を見た景色です。
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ルートは長都→千歳→南千歳→新千歳空港です。

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日本ではちょっと手に入りにくいパリのチョコレート Jacques Genin と Patrick Roger [パリ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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娘とのフランス旅行の5日目にお土産のチョコレートを買うために2ケ所のチョコレート店に行ってみることにいたしました。
パリの沢山のスイーツ店は日本に出店していてパリの有名なチョコレートも日本で簡単に手に入るようになっていますが、今回紹介する2つのお店のチョコレートは手に入れにくいのです。
クリックすると拡大両方ともにパリで1・2を争う評価もあるほどの人気のチョコレート店でありながら日本では未出店の貴重なお店です。その中の1店は日本でもよく知られて話題性のあるチョコレート店です。そこでこの2店のチョコレートをフランス旅行のお土産に買うことにいたしました。
クリックすると拡大この日は朝からヴェルサイユ宮殿に行きパリに戻ってきましたが、シーフードレストランのディナーの予約時間19時まで十分に時間があったのでチョコレート店に行ってみることにいたしました。

ホテルで2つのチョコレート店をパソコンに表示してその画面を写真に撮って地図代わりに地下鉄に乗ってお店を探しに出かけました。幸いにも2店ともにホテルから近い場所にありました。
 ジャック・ジュナン Jacques Genin
 パトリック・ロジェ Patrick Roger
 泊まったホテル   Opéra駅の近く


こちらが地図代わりにカメラで写真に撮ったパソコンの画面です。
      Jacques Genin          Patrick Roger
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ホテルの近くの地下鉄のQuatre Septembre駅から乗り換えなしで1本で行けました。Quatre Septembre駅から6駅目のRépublique駅から420mの距離の静かな場所にお店がありました。泊まっていたホテルから車で行くとしたら2520mの距離です。
こちらの建物一番手前の部分に目的のチョコレート店Jacques Genin(ジャック・ジュナン)がありました。地下鉄の駅を降りて地図代わりのカメラの画面を見ながらなんとかたどり着きました。初めての場所は太陽が出ていないと南北方向が判らないので地図と道の形から方角を見定めて進んでなんとかたどり着きました。古い建物であることは雰囲気から分かりました。
 店名 Jacques Genin fondeur en chocolat
 住所 133, rue de Turenne 75003 Paris, フランス
 電話 01-4577-2901
 営業 平日:11:00~19:00 土・日:11:00~20:00
 定休 月曜日
 最寄 République駅 420m
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その古めかしい建物の正面を紹介します。その建物には文字が書かれていました。クリックすると特別に大きく拡大するので文字が読めると思います。
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文字が読める大きさに拡大いたしました。1699年に建てられたことや建築家の名前が書かれているようです。調べてみると実際に噴水が作られたのは1697年で、Bouchera首相がなくなったのが1699年でした。Fontaine Boucheratは1925年3月17日に歴史的建造物として登録されていました。
FONTAINE BOUCHERAT
ERIGEE PAR L ARCHITECTE
JEAN BEAUSIRE
EN 1699
ET AINSI DENOMMEE EN L HONNEUR DU
CHANCELIER BOUCHERAT
 噴水名  Fontaine Boucherat Bouchera噴水 
 名の由来 Louis Boucherat首相の名前を使用
 建築家  Jean Beausire  1651年2月26日~1743 年3月20日(92歳)
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きっと、こちらも気になると思い拡大いたしました。ライオンは本物の像ですが、男性は壁に書かれた落書きだと思います。なかなかの雰囲気なので、そのまま残されているのではないかと感じました。318年前の歴史的建造物に落書きとは、信じられませんが、これが芸術の都、パリなのかもしれません。
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落書きかどうかを確認するためにGoogleマップのストリートビューで確認いたしました。驚いたことにライオンの胴体も落書きでした。現在(2017年9月11日時点で)見れるストリートビューには Date de l'image : avr. 2016 と書かれていることから2016年4月(フランス語:avr. 2016)に撮影されたと思われます。つまりストリートビューが撮影された2016年4月以降に落書きされたことが分かりました。ここはライオンの口から水が流れ出る泉だったようです。
ストリートビューは、いつかは更新されることから、現状の画面のハードコピーを保管しました。→ポチッ  クリックすると拡大


上で紹介したような歴史的建造物の中にお店がありました。こちらがお店の中です。娘がチョコレートを選んでいるところです。
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チョコレート店の中にも318年前(1699年)の建物一部を表に出しているところがありました。Jacques Geninはオーナー・パティシエ(ショコラティエ)のJacques Genin氏の名前そのものです。
クリックすると拡大右の写真のJacques Genin氏は日本の丸の内、六本木、青山などに出店して有名なラ・メゾン・デュ・ショコラ(La Maison du Chocolat)の元シェフパティシエで、ホテルGeorge V, Meuriceなどにチョコレートやキャラメルを卸して評判が広がったことがきっかけで2008年12月1日に、このお店をオープンさせたそうです。彼はアルゼンチン出身のようです。
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こちらが買ったチョコレートです。
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金属製のケースに入っていました。
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これがJacques Genin(ジャック・ジュナン)のチョコレートです。このチョコレートがパリのチョコレートBEST10で2位のボンボン・ショコラです。
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Jacques Genin(ジャック・ジュナン)の動画がネットに掲載されていたので紹介します。写真と動画の組み合わせで構成されています。


地下鉄のOpéra駅から1駅の場所に2軒目のチョコレート店Patrick Roger(パトリック・ロジェ)がありました。
クリックすると拡大距離はホテルから940mなので歩いて買いに行きました。Patrick Rogerカラー(青緑色)のお店でした。こちらのお店の名前もオーナー・ショコラティエであるPatrick Roger氏の名前です。
 店名 Patrick Roger Madeleine店
 住所 3 place de la Madeleine 75008 Paris
 電話 01-4265-2447
 営業 10:30~19:30
 定休 無休
 最寄 Madeleine-Tronchet駅 250m 
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ショーウインドウにチョコレートのオランウータンがクリックすると拡大飾られていました。上の写真でも、このウランウータンのチョコレートを確認できると思います。Patrick Roger氏はチョコレートの彫刻家と呼ばれておりオランウータンを初めとして、チョコレートで、いろいろな彫像を作っているようです。右の写真では沢山のカバが群れているところが表現されています。
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こちらがPatrick Rogerカラーのチョコレートの箱です。
パリで選ばれたチョコレート人気ランキングBEST10はつぎの通りです。今回紹介の2店のチョコレートが1位と2位でした。6位のチョコの名前は「ボンボン・ショコラと板チョコ」です。
 1位 Patrick Roger のクルール
 2位 Jacques Genin のボンボン・ショコラ
 3位 Jean Paul Hévin のショコラ・アペリティフ・ド・フロマージュ
 4位 La Maison du Chocolat の ボンボン・ショコラ
 5位 Jean Charles Rochoux のボンボン・ショコラ
 6位 Le Chocolat Alain Ducasse Manufacture à Paris のチョコ
 7位 Henri Le Roux のボンボン・ショコラ
 8位 Les Marquis de Ladurée のローズフレーバーチョコ
 9位 Hugo & Victor のスフェール
 10位 Chapon のボンボン・ショコラ
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そして、こちらがPatrick Roger(パトリック・ロジェ)のチョコレートです。飛行機の中で一部のチョコレートが壊れてしまいましたが、味は美味しかったです。壊れた緑のチョコレートは甘酸っぱい味のお店を代表するチョコレートでした。真ん中の壊れた丸いチョコレートが上で紹介のパリBEST10で1位のクルールです。同じものをお土産として実家に持って行きました。
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チョコレートの下には紙が敷かれていると思ったら、それもチョコレートでした。この板チョコも抜群に美味しかったです。Patrick Rogerはフランスに7店舗(パリ6店舗 )とベルギーのブリュッセルに1店舗を展開しています。日本には未上陸です。
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チョコレート以外のお土産です。
パリではチョコレート以外ではシャンゼリゼ通りのLADUREEでマカロンを買いました。マカロン以外はモンサンミッシェルで買った塩とクッキーと飴です。
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参考にマカロンのお店を紹介します。
こちらは日本に進出している有名なお店です。
 店名 LADUREE ラデュレ
 住所 13 Rue Lincoln, 75008 Paris, フランス
 電話 01-4075-3825
 創業 1862年 パリ( Paris )
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お店の中は高級な雰囲気であふれていました。沢山の人が入っていました。
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こちらがマカロンが入った箱です。
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アルコール類は下記の3種類をお土産に買いました。ただしフランスで買ったのは左端の赤ワイン、2010年産のMargauxだけです。
2010年産のMargauxは長年パリに住んでいる知り合いの方にワインバーに連れて行ってもらって教えてもらいました。→ポチッ
 焼酎    機内販売 森伊蔵
 純米大吟醸 成田空港 井筒屋 伊兵衛 3割5分磨き
 赤ワイン  CDG空港 Château Marsac Séguineau Margaux 2010
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本ししゃも と カラフトししゃも [北海道]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事の「手巻き寿司」と、父の日の「プレゼント」の記事で「本シシャモ」を紹介しましたので、比較のために家の近くのディスカウント・スーパーで通称「ししゃも」と呼ばれているカラフトししゃもを買ってみました。
左が本シシヤモで右がカラフトシシャモです。
北海道で安く売られていることで有名なお店でも、本ししゃもが1980円(10匹)だったのに対してカラフトししゃもは178円(10匹)でした。
シシャモである通称「本ししゃも」は世界中でも北海道の太平洋沿岸の一部でしか獲れない上に、漁獲高が減少したために、今回紹介するカラフトシシャモキュウリウオが、シシャモの代用品として1970年代から売られるようになりましたが、代用品の方が圧倒的に流通量が多いことから、今ではカラフトシシャモやキュウリウオがシシャモと呼ばれ、本来のシシャモは本シシャモと呼ばれるようになったそうです。

本シシャモと他の通称シシャモの分類上の違いを紹介します。
本シシャモは鮭のように、川に遡上して産卵しますが、カラフトシシャモは川には遡上せずに海の浅瀬で産卵するそうです。キュウリウオは川に遡上して産卵するそうです。
通称 本ししゃも ししゃも
動物界 Animalia 動物界 Animalia
脊索動物門 Chordata 脊索動物門 Chordata
亜門 脊椎動物亜門 Vertebrata 脊椎動物亜門 Vertebrata
条鰭綱 Actinopterygii 条鰭綱 Actinopterygii
キュウリウオ目 Osmeriformes キュウリウオ目 Osmeriformes
キュウリウオ科 Osmeridae キュウリウオ科 Osmeridae
シシャモ属 Spirinchus カラフトシシャモ属 Mallotus
シシャモ S. lanceolatus カラフトシシャモ M. villosus
英名 シシャモ Shishamo カペリン Capelin
産卵 川に遡上 (10月~12月) 海の浅瀬 (春から初夏)
キュウリウオ属 Osmerus
O. mordax
亜種 キュウリウオ O. m. dentex
英名 Arctic rainbow smelt
産卵 川に遡上 (4月下旬~5月下旬)


こちらが178円(10匹)のカラフトシシャモです。この日は特売で特別に安く178円でしたが通常は200円~300円の間だったと思います。Wikipediaでのカラフトシシャモの記載内容の一部を枠内に転記いたします。今回は商品名で「カラフトししゃも」と書かれていることから良心的な商品と言えます。
食味は本ししゃもと大きく異なるが、姿は両者とも非常に似ており漁師以外は外見だけで見分けるのが困難なこと、本シシャモの味を知らない人が多いことを利用し食品偽装の引き金になることがある。2003年の農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律改訂にともなう販売表示の厳格化を受けた行政指導により、原材料名にはカラフトシシャモと表記される様になったが、商品名は対象外。
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本シシャモと比べる機会がなければ、確かにシシャモでした。
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卵も沢山入っていました。本シシャモでなくても子持ちシシャモは美味しかったです。
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子持ちシシャモ(カラフトししゃも)は純米大吟醸でいただきました。
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この日のメインデッシャはカレイの煮付けでした。
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オクラを混ぜるのは私の役目です。
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定番のサラダはアボガトサラダでした。
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味噌汁も用意してもらいました。
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FAOのデーターから1950年~2014年のカラフトシシャモ(カペリン)の世界の漁獲量のグラフを作ってみました。他の漁業資源同様にカラフトシシャモも、乱獲のために漁獲量は急速に減ったようです。クリックするとFAOのオリジナルデーターを表示します。最高漁獲量であった1977年は4,008,746トン/年でした。2014年は282,833トン/年で1977年の7.06%です。日本人がシシャモの代用品としてカラフトシシャモを食べ始めた1970年代に漁獲量が増えたのは偶然ではない気がします。
クリックするとオリジナルデーター表示

比較のために本シシャモの大きな写真も掲載いたします。こちらが北海道で買ったシシャモ(通称:本ししゃも)です。味や食感は別物ですが、値段差から特別の時にしか食べれないと感じました。
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こちらが焼きあがった本シシャモの写真です。父の日のプレゼントとして送ってもらった本シシャモをガスオーブンで焼きました。シシャモの名前はアイヌ語のsusam(スサム / 楊の葉)に由来するそうです。シシャモに関するアイヌ民族の伝説ではシシャモには複数の種類があったそうです。
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やはり本物のシシャモは、卵で膨らんだおなかの張りは最高でした。本シシャモは北海道勇払郡むかわ町の町魚だそうです。本シシャモが北海道の太平洋沖にしか回遊しない詳しい生態は未だ謎のままだそうです。
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全てのシシャモはぎっしりと卵が入っていました。このようなシシャモを食べたのは久しぶりでした。シシャモに近いのがワカサギです。ワカサキの分類は次の通りです。本シシャモやカラフトシシャモと同じキュウリウオ目キュウリウオ科の魚です。
クリックすると拡大  目:キュウリウオ目 Osmeriformes
  科:キュウリウオ科 Osmeridae
  属:ワカサギ属   Hypomesus
  種:ワカサギ    H. nipponensis
 英名:        Japanese smelt 又は Wakasagi smelt
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本シシャモのグラフも作りたかったけれどもデーターが見つからなかったので、釧路市漁業協同組合さんのホームページに掲載されていたグラフを転用させていただきました。クリックすると転用先の記事を表示します。カラフトシシャモの漁獲量に比べると少ない量ですが、本シシャモの漁獲量が安定しているのは、資源保護対策のふ化事業が長年行われてきたためだと思います。
1989年~2003年の本シシャモの平均漁獲量が約1,300トン/年なのに対してカラフトシシャモは1,330,279トン/年と約1000倍です。
クリックするとオリジナルデーター表示

本シシャモの漁場近くの漁港にマークを入れてみました。左方向から胆振~鵡川~日高~十勝~釧路です。マークの漁港が本シシャモを取り扱っているかどうかは未確認なのでエリアとお考え下さい。

タグ: ししゃも
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北海道の長男宅では、北海道限定サッポロクラシックで手巻き寿司 [北海道]

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北海道旅行2日目の夕食は長男家族の家で手巻き寿司をすることになりました。元々は3日目の夕食で手巻き寿司をすることを考えていたそうですが、私の方の都合で帰る日を1日早めて3日目に帰ることになったので、2日目の夕食に変更となりました。そこで食材を調達のために積丹から直接、こちらの「うおはん」に寄ってから長男宅に帰りました。

クリックすると拡大父の日などに北海道の食材を送ってくれていましたが、こちらのお店からよく送ったそうです。
お店の中央あたりに宅急便を申し込む大きなエリアが置かれていることから、沢山の人が北海道の食代を送っているのだとおもいます。正月用の蟹を送ってもらったのもこちらのお店でした。→2016年の蟹 2017年の蟹
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下記の地図の青色ライン(━━)が島武意海岸(丹出岬灯台)から長男家族の住む千歳までの車で走ったルートです。ルートの終着点(B)が、その晩の夕食の食材を買うために寄った「うおはん」です。みさき( )で赤ばふんうに丼を食べて、積丹出岬灯台( )から、うおはん( )までのマーク( )の場所に立ち寄りました。夕食の食材を調達したあと長男宅に直行いたしました。
 みさき       赤ばふん生うに丼
 積丹出岬灯台
 ホームメイドアイスクリーム店
 きのこ王国     きのこ汁
 いちむら      手打蕎麦
 ニセコ髙橋牧場   羊蹄山の景色
 うおはん      夕食用の食材の調達
             北海道恵庭市住吉町1丁目5-1 0123-33-7000


手巻き寿司の材料が並びました。北寄貝、赤貝、つぶ貝、ヒラメ、マグロ、玉子、キュウリ、山芋、貝割れ、シソ、いくら、キムチ、納豆、チリメンジャコ、梅肉など沢山の食材が並びました。
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3種類の殻付きの活きた貝は最高の贅沢でした。殻付きのまま家まで持って帰って開いて切ったのでした。上が赤貝で左が北寄貝で、右がツブ貝です。
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特に北海道ならではの大きな活きた北寄貝は値打ちがありました。
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クリックすると拡大そして、今回のもう一つの目玉が北海道限定のサッポルクラシックでした。私がビールが好きなので用意してくれていました。油断したら写真のピントは後ろの皿に合ってしまいました。食事が用意出来る前に飲んだのは右の写真のサッポロラガービールでした。
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さっそく北寄貝の手巻き寿司を作っていただきました。やっぱり格別の美味しさでした。酢飯はシソの葉の下にあります。
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今年の父の日に送ってもらった、幻の北海道産のシシャモが美味しかったので、お店で探して買いました。ホッケもマホッケやシマホッケなど、グレードもいろんな種類が売られていて、さすが北海道と感じました。
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やはり本物のシシャモの卵で膨らんだおなかの張りは最高でした。
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お味噌汁も用意してもらいました。手巻き寿司はワイワイ話しながら食べれるのでやっぱり楽しかったです。
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コンシェルジュリー(Conciergerie) [パリ]

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世界最高峰のステンドグラスが見れるサント・シャペル(Sainte chapelle)の次に訪れたのはコンシェルジュリー(Conciergerie)でした。訪れたのはフランス旅行の最終日(7日目)であり帰国日でもありました。
コンシェルジュリーはカペー朝(987年~1328年)の王の宮殿として建てられ10世紀から14世紀にかけて王宮として使用されました。パリのセーヌ川の中州であるシテ島に建っていたことからかシテ宮(palais de la Cité)と呼ばれていました。シテ島にはノートルダム寺院があるなどパリの中心的存在の島と言える場所です。宮殿と使われたてましたがヴァロワ朝第3代王であるシャルル5世らによって放棄され、ヴァンセンヌ城に居城が移された後の1370年に牢獄として使われ始められ、セーヌ川に沿って建つ建物の地上階と2つの塔が牢獄(ろうごく)に割り当てられたそうです。コンシェルジュリーは宮殿として約400年使われましたが、観光名所として有名なのが牢獄として使われたことでした。上の写真はセーヌ川クルーズの時に船の上から撮ったコンシェルジュリーです。

且つては王宮であったことから大きな建物のためGoogleマップの3D航空写真で全景を紹介します。すでに紹介したサント・シャペルが左下に写っているのが分かってもらえると思います。サント・シャペルの献堂が1248年4月26日であることから、コンシェルジュリーが王宮として使われていた時代に世界最高峰のステンドグラスのサント・シャペルが建てられたことになります。これだけ近い場所にあることから王宮と教会堂の密接な関係が伝わってきます。王宮と教会堂の間にあるのがパレ・ド・ジュスティスの中庭(cour du Mai)があります。


王宮(palais de la Cité)だったころの絵を紹介します。Wikimediaから転用させていただきました。西側から見た景観です。上の3Dの画像と見比べてほしいです。この絵からサント・シャペルは王宮の城壁の中に建っていたことが分かりました。
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パレ・ド・ジュスティス(Palais de Justice de Paris)の中心的存在の中庭とファサードです。ファサードはフランス革命期の1793年4月6日~1795年5月31日に革命裁判所が置かれたそうです。ここの左側がサント・シャペルで右側が牢獄として使われたコンシェルジュリーでした。つまり裁判所の隣が監獄(牢獄)だったわけです。パレ・ド・ジュスティス自体はコンシェルジュリーなども含めた広い施設で、現在は破毀院、パリ控訴院、パリ重罪院、パリ大審裁判所、検察局及び弁護士会など複数の主要司法機関が多くの建物の中に置かれています。
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こちらがコンシェルジュリーへの入口です。
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非常に広い空間でした。その空間を利用した展示が行われていました。この広い部屋は「憲兵の間」と呼ばれています。床面積は1800㎡だそうで、兵士たちの食堂として使われていたそうです。
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展示物の少ない見通せる一からの写真です。
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中央の螺旋階段が印象的でした。
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かつては王宮だった建物ですが、飾はほとんどありませんでした。そんな中でメドゥーサ(Medousa)が彫られた石板は印象的でした。
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この建物が牢獄として使われたことが関係しているかどうかは分かりませんが、各所に鉄格子が使われていました。大広間を仕切るように設置された鉄格子も印象的でした。この鉄格子の奥に牢獄エリアがありました。
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鉄格子を拡大いたしました。巨大で見事な鉄格子でした。
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石の天井を支える柱の構造も印象的でした。
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さらに奥に進むと牢獄がありました。
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古い大きなテーブルが置かれた部屋がありました。
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こちらが牢獄です。ベッドはなく藁の上に寝ていたのだと思います。
調べてみると最も貧しい囚人パイユー(Pailleux)が多数で入った雑居房だそうです。藁が敷かれた床に直接寝るしかなかったので、この囚人のことを「わら族」と呼ばれたそうです。
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部屋は罪の重さではなく経済力で決まったそうです。
ベットがある牢獄もありました。このような牢獄は有料で経済力に応じてその待遇が異っていたそうです。支払った額で囚人は3つに分けられたそうです。こちらの部屋はピストリエ(la pistole 中流層の囚人)の部屋でした。
 パイユー         貧困層の囚人 雑居房 藁敷き 不衛生 
 ピストリエ        中流層の囚人 雑居房 ベッドあり 
 プリゾニエ・ドゥ・マーク 富裕層の囚人 独居房 ベッド・机あり
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上の写真は雑居房ですが、プリゾニエ・ドゥ・マーク(prisonnier de marque 富裕層の囚人)は、さらにお金を払うことで、独房(一人部屋)が与えられ、読書や書き物をすることも許されたそうです。
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沢山の牢獄の中で特別な部屋がありました。有名なマリーアントワネットが投獄された牢獄です。
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こちらがマリーアントワネットが投獄された部屋です。ここに2ケ月半投獄された後にコンコルド広場にて処刑されたそうです。ここに投獄される前はタンプル塔に投獄されていました。フランス革命の後の恐怖政治時代には隣接された革命裁判所で死刑判決を受けて処刑された人は2780名にもなったそうです。旧体制派の多も死刑となりました。マリーアントワネットも、恐怖政治の犠牲者の一人だったようです。
 1792年08月10日 タンプル塔に投獄(幽閉)
 1793年08月08日 コンシェルジュリー監獄に移送 
 1793年10月15日 死刑判決
 1793年10月16日 死刑   集団墓地に埋葬
 1815年01月21日 王政復古により歴代の王が眠る大聖堂に改葬
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頑丈で大きなカギが印象的でした。
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兵士の詰め所も横にありました。厳重な監視が行われていたようです。
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曰くありげな石も展示されていました。
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その曰くありげな石の横では、プロジェクターでコンシェルジュリーに関する説明が行われているようで、熱心に皆さん聞かれていました。フランス語が分かれば、この石がなんであるかが分かったのかもしれません。
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排水溝の出口と思われる部分にも鉄格子が取り付けられていました。
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階段で2階にも上がれました。


2階には、いろんな展示がありました。この部屋には処刑された人物の名前が書かれていました。ルイ16世やマリーアントワネットの名前もあるそうです。
そして2階にも牢獄がありました。実は上で紹介した3種類の牢獄は2階で撮ったものです。
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当時のことを説明した絵も展示されていました。
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貴重な資料が沢山展示されているようで沢山の見学の方がおられました。
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別の階段で1階に下りました。


神聖な雰囲気の場所ですが2階部分には鉄格子がはめられていました。
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鉄格子を拡大いたしました。
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ここは「贖罪のチャペル」と呼ばれている礼拝堂のようでした。
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ここは唯一鮮やかな色合いの場所であったことから、特別な場所のようにクリックすると拡大感じました。MとAを組み合わせた紋章であることからマリーアントワネットと関係しているように思われ、気になって調べた結果、マリーアントワネットの独房のあった場所で、王政復古の1年後である1815年に「贖罪のチャペル / マリーアントワネット記念礼拝堂」が作られたことが分かりました。すぐに作られたことからみんなが気にしていたのだと思います。また、上で紹介したマリーアントワネットの独房の写真はすぐそばの場所に復元されたもので、本来はこの礼拝堂の場所に同じものがあったわけです。
フランス革命によって犠牲となったマリーアントワネットのために王政復古後に礼拝堂が作られたと知って、少し報われた気がしました。
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マリーアントワネットと同じように革命の犠牲となった夫のルイ16世や、ルイ16世の妹のエリザベート(Elisabeth)の像も飾られていました。
我々の間ではあまり知られていませんが、エリザベートは慈愛溢れる性格で、多くの人にしたわれていて、フランス革命の中、兄ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家と最後まで運命をともにしたそうです。この時、マリー・アントワネット 37歳、ルイ16世 38歳、エリザベート 30歳でした。
    À LA MÉMOIRE           À LA MÉMOIRE
    DE LOUIS XVI         DE MADAME ELISABETH
    ROI DE FRANCE          SOEUR DU ROI.
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この礼拝堂にはいろんな空間が作られていました。
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この空間には絵が飾られていました。調べた結果、マリーアントワネットの絵であることも判りました。
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中庭もありました。女性囚人の中庭と言われているようです。男性囚人の中庭もあるそうですが、女性用に比べると狭かったそうです。
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女性囚人の中庭には洗濯場もありました。ここで女性囚人達は話をしながら洗濯をしていたのかもしれません。
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こちらの中庭は断頭台(死刑台)への馬車が出発する場所だったそうです。コンシェルジュリーはサント・シャペルと2枚セットにすると安くなることも訪れた理由の一つでしたが、実際に見てみて有意義な場所であることを知りました。
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今回のフランス旅行でコンシェルジュリーの建物の外観を撮ったのはセーヌ川のクルーズ船の上からの冒頭の写真のみなので、2005年12月3日に撮ったノートルダム橋の上からのコンシェルジュリーの写真も紹介します。初めてフランスに来た時にセーヌ川を散策して撮った写真でが、今回が8回目のフランスとなりました。
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コンシェルジュリーと周辺の訪問場所を紹介します。
 コンシェルジュリー Conciergerie
 サント・シャペル  Sainte chapelle
 ノートルダム寺院  Cathédrale Notre-Dame
 ━━ セーヌ川クルーズ

タグ:パリ 宮殿 牢獄
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高橋牧場からの羊蹄山とニセコアンヌプリ [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で車で走った車内から撮った羊蹄山(えぞ富士)の写真を紹介しましたが、その羊蹄山の姿がきれいに見れる場所に行った見ました。その場所はニセコ町にある高橋牧場の放牧場でした。この日の前後は雨模様でしたが、幸いにも上の写真のように見事に晴れました。
 名前 高橋牧場 放牧場
 住所 北海道虻田郡ニセコ町曽我888-1
 電話 0136-44-3734

羊蹄山の反対側にはスキー場で有名なニセコアンヌプリ(山)がそびえていました。この高橋牧場はニセコアンヌプリの麓にあるのです。写真の中央少し左の円錐形の形をした山がニセコアンヌプリです。ニセコアンヌプリはニセコ火山群に属しニセコ連峰の主峰で、周辺にはイワオヌプリ、ニトヌプリ、チセヌプリ、シャクナゲ岳、白樺山、モイワ山、ワイスホルンがあります。
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この写真のように沢山の施設がありました。中央の山がニセコアンヌプリです。上の写真よりも建物に近づいて撮った写真です。
前記事で羊蹄山を紹介したのでここではニセコアンヌプリを紹介します。ニセコアンヌプリはアイヌ人が付けた名前ではなく和人がアイヌ語で名付けたものだそうです。推測だそうですが「家の屋根の形をした山」の意味であるチセネシリが本来の名前だそうです。そして各地にチセネシリ山と名付けられた山が北海道にはあるそうです。約70万年前から約25万年前に活動した火山で、安山岩質の溶岩流を繰り返し噴出しましたが、25万年前以降は活動は見られないそうです。その後はチセヌプリやニトヌプリ、イワオヌプリなどに噴火活動は移動したそうです。似古安岳は「にせこあんだけ」と読むようです。
  名前 ニセコアンヌプリ
  標高 1308.2 m 一等三角点(点名:似古安岳 1307.97m)
  山系 ニセコ連峰
  種類 成層火山・活火山(警戒レベル対象外)   
  名山 日本三百名山
  元名 チセネシリ(アイヌ語:cise-ne-sir 意味:家 or 等脚台形)
  所属 ニセコ積丹小樽海岸国定公園
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ニセコアンヌプリが大きく写った写真を紹介します。山の上の方に写っている建物はコンドラ乗降場所です。ゴンドラで登った山の上からの羊蹄山もきれいだと思います。冬のスキーの季節に特に活躍するのだと思います。
ニセコアンヌプリや羊蹄山の山頂近くには一等三角点や三等三角点があります。その北海道の三角点の数を紹介します。北海道は一等三角点の割合が多いことが分かりました。
区分 一等 二等 三等 四等 合計 電子基準点
 全国合計 974 5,061 32,392 69,410 107,837 1,240
 北海道 224 932 3,808 9,098 14,062 167
23.0% 18.4% 11.8% 13.1% 13.0% 13.5%
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牧場がニセコアンヌプリの麓にあることが分かる地形図紹介します。の位置に、そば畑がありました。ゴンドラやリフトが沢山あるようにニセコアンヌプリには歴史のある4つのスキー場があります。オープンの年を頭に書いています。カッコ内( )の名前はオープン当初の名前です。
 1961年 グランヒラフ       (ニセコ高原比羅夫スキー場)
 1972年 ニセコアンヌプリ国際スキー場
 1982年 ニセコビレッジ      (ニセコ東山スキー場)
 1991年 ニセコHANAZONOリゾート (ニセコひらふスキー場花園コース)
  高橋牧場     255m
  ニセコアンヌプリ 1308.2m  
  スキー場のゴンドラおよびリフト  
 ━━ 車で走ったルート


高橋牧場には昼食の手打蕎麦「いちむら」を出て真直ぐに向かいました。その途中の道ですがニセコアンヌプリが写っていました。ただし、写真を写したときは、この山がニセコアンヌプリであることは知りませんでした。ニセコ連峰の火山の活動時期は次のとおりです。これらの火山は古期火山群(古)、中期火山群(中)、新期火山群 (新)に分けられています。
 区 火山       標高   火山活動時期
 古 雷電山      1211m 160万年~100万年前
 古 ワイスホルン   1045m 150万年~100万年前
 古 目国内岳     1220m 110万年~65万年前
 古 岩内岳      1085m 73万年~50万年前
 中 シャクナゲ岳   1074m 80万年~30万年前
 中 白樺山       959m 70万年~30万年前
 中 ニセコアンヌプリ 1308m 70万年~25万年前
 新 チセヌプリ    1134m 30万年~2万年前
 新 ニトヌプリ    1080m 2万5千年前
 新 イワオヌプリ   1116m 3万年~7千年前
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北海道の2017年9月時点の火山の警戒レベル等を紹介します。
ニセコ火山群および羊蹄山は噴火警戒レベル対象外の火山ではありますが活火山であることに留意する必要がある山です。下記の着色文字をクリックすると最新の各地方の警戒レベルを表示します。警戒レベル設定火山→ポチッ
 北海道 東北 関東・中部 伊豆・小笠原諸島 中国地方 九州 沖縄 
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放牧場について最初に見た景色でした。
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トラクターには沢山の人たちが集まることもありました。


近くには蕎麦打ちの体験場らしき建物もありました。
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羊蹄山を背景にした干し草ロールも写真撮影ポイントとなっていました。この干し草ロールを作る機械がロールベーラーです。
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冒頭の写真ですが広さが分かってもらえると思います。
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羊蹄山から右に目をやるとさらに広さが伝わってくると思います。
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羊蹄山を中央にした写真です。
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羊蹄山の部分を拡大いたしました。
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上の写真でも拡大すると分ると思いますが、ひまわり(向日葵)も植えられていました。ヒマワリと羊蹄山のコラボ写真です。この写真はヒマワリの方にピントを合わせています。
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ヒマワリは持ち帰っていいのです。ここでいただいたヒマワリの花で記念写真を撮りました。持ち帰り自由は珍しいのではないでしょうか。


ヒマワリと羊蹄山共にピントが合うように離れて撮った写真です。雲の形も刻々と変わっていきました。
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雲がすばらしい形を見せてくれていたので雲を中心に撮りました。
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別方向の雲です。こちらも見事な姿を見せてくれました。
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この場所の雰囲気を感じてもらいたいので、一緒に行った長男家族の写真を紹介します。2歳児はトラクターの運転席が気に入ってしまって、なかなか離れようとしませんでした。



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羊蹄山 車からの景色 [積丹 余市 ニセコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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赤ばふんうに丼を食べた積丹(しゃこたん)から千歳に帰るときに、上の写真の羊蹄山(ようていざん)の近くを通りました。羊蹄山は別名・蝦夷富士(えぞ富士)と呼ばれている北海道を代表する成層火山です。
アイヌの人たちはマッカリヌプリあるいはマチネシリ(雌山)と呼び、南東にある尻別岳((1,107m)をピンネシリ(雄山)と呼んだそうです。すぐ近くのニセコアンヌプリのようにアイヌ語風地名が正式名になった山も沢山ありますが、この山に関しては明治ごろから日本書紀に記されている地名の後方羊蹄(しりべし)に由来して、後方羊蹄山(しりべし山)が正式名となりました。
しかしながら後方羊蹄山を「しりべしやま」と読むのは難しかったことから、地元の倶知安町が羊蹄山への変更を求めたのが聞き入れられて、1969年11月発行の地形図から羊蹄山と書き換えられて羊蹄山(ようていざん)が定着したそうです。ちなみに後方羊蹄は後方(しりべ)+羊蹄(し)なのです。2文字の漢字の「羊蹄」を1文字の「し」と発音するのも難読の一つだったのだと思います。ただし日本百名山に登録されている呼び名は羊蹄山ではなく後方羊蹄山(しりべしやま)です。羊蹄山の羊蹄は植物のタデ科スイバ属のギシギシで、漢字名が羊蹄なのです。和名は「し」ですが、生薬名はヨウテイとよびます。
  名前 羊蹄山
  標高 1898m
  山系 独立峰
  種類 成層火山・活火山(ランクC 警戒レベル対象外)   
  火口 直径700m、深さ200m
  名山 日本百名山
  別名 蝦夷富士(えぞ富士) 後方羊蹄山(しりべしやま)
  元名 マッカリヌプリ(アイヌ語)
  所属 支笏洞爺国立公園(しこつ・とうや国立公園) 羊蹄山地域

左上から青色ライン(━━)を走ってきて最初に羊蹄山を見ることが出来たのがの位置です。前および横方向で最後に羊蹄山を見ることが出来たのはの位置です。本記事では車の中から撮った写真の11枚をを紹介したいと思います。ただしのみ車を止めて外に出て撮りました。右の写真は高橋牧場から撮ったニセコアンヌプリ(1308.2m)です。住所は撮影位置です。
  北海道岩内郡共和町小沢
  北海道虻田郡倶知安町峠下155
  北海道虻田郡倶知安町琴平
  北海道虻田郡倶知安町南11条東1
  北海道虻田郡倶知安町岩尾別135-12
  北海道虻田郡倶知安町山田
クリックすると拡大  北海道虻田郡倶知安町樺山
  北海道虻田郡ニセコ町本通
  北海道虻田郡ニセコ町近藤
  北海道虻田郡真狩村社
  北海道虻田郡留寿都村豊岡
  羊蹄山      1898m
  尻別岳      1107.27m
  ニセコアンヌプリ 1308.2m  
  高橋牧場     255m


岩内郡共和町小沢  山頂までの距離:18.2km 13時13分
この場所で初めて羊蹄山を見ました。
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虻田郡倶知安町峠下155  山頂までの距離:13.1km 13時18分
羊蹄山は約6-5万年前に古羊蹄火山が活動を開始し、小規模なプリニー式噴火を繰り返し、活発に軽石や火山灰、溶岩流、火砕流を噴出したそうです。この活動によって、約4万年前までに標高1,700m程度の成層火山を形成したそうです。最新の噴火は約1,000年前に発生したものと推定されています。
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虻田郡倶知安町琴平  山頂までの距離:10.6km 13時22分
道路の進行方向が開けてきたので大きく見えるようになってきました。
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虻田郡倶知安町南11条東1  山頂までの距離:8.55km 13時28分
ここの信号は以前に紹介した場所です。→ポチッ
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虻田郡倶知安町岩尾別135-12 山頂までの距離:9.03km 13時30分
唯一、車を止めて撮った羊蹄山の写真です。電線が写っていな写真でもあります。冒頭の写真は同じ場所から撮った羊蹄山です。クリックすると特別に大きく拡大するように設定いたしました。
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虻田郡倶知安町山田  山頂までの距離:8.62km 13時31分
車の中でしたが、山頂付近がよく見えたので写真を撮りました。
こちらの写真もクリックすると特別に広範囲を大きく拡大いたします。山頂付近が確認出来ると思いますので是非ともクリックしてみてください。ただし見ている方角から考えて最高峰点自体は手前の外輪に隠れているようです。
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山頂には直径700m・深さ200mの火口(父釜)があり、その火口の淵(外輪)に現在の山頂(1,898m)と旧山頂(1,892.7m 真狩岳)と三等三角点(1,843.7m 北山/雲泉)があります。西北西斜面にも側火口(母釜、子釜)があります。上の山頂付近の写真は北西方向(左上方向)から見ています。
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クリックすると拡大山頂の火口部分をGoogleマップの地形図と航空写真で表示させました。同じ位置、同じ縮尺で表示させています。
右の写真はネットから転用させていただいた火口(父釜)の写真です。
 山頂  1898m
 旧山頂 1892.7m 一等三角点 真狩岳
 北山  1843.7m 三等三角点 雲泉  



虻田郡倶知安町樺山  山頂までの距離:8.58km 14時19分
前記事である手打蕎麦の記事の中で紹介した、そば畑のある景色です。そば畑以外に、トウモロコシ畑、麦畑、ジャガイモ畑などがありました。上の写真と時間差があいているのは昼食に蕎麦を食べたからです。
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虻田郡ニセコ町本通  山頂までの距離:10.6km 15時01分
この写真は我々が進んでいく方向ではなく交差点で左側の道の方向を撮ったものです。高橋牧場に寄ったので上の写真との時間差があきました。
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虻田郡ニセコ町近藤  山頂までの距離:7.62km 15時04分
これは進んでいく方向の写真です。山腹にはキタキツネ、エゾクロテン、エゾリス、エゾシマリス、エゾモモンガ、エゾユキウサギなどの哺乳類が生息しているそうです。野鳥は130種類以上が確認されているそうです。
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虻田郡真狩村社  山頂までの距離:5.70km 15時10分
開けた場所で撮りました。頂上付近は雲で覆われてきました。今回の写真の中で最も近くから撮った羊蹄山です。
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虻田郡留寿都村豊岡  山頂までの距離:8.88km 15時16分
最後に羊蹄山を撮った写真です。これ以降は木が多くなって羊蹄山を見ることが出来なくなりました。左の写真が家内で、右の写真が私です。山の名前に使われている羊蹄の植物としての分類を記載いたします。
  界 植物界      Plantae
  門 被子植物門    Angiosperms
  綱 真正双子葉類   Eudicots
    コア真正双子葉類 Core eudicots
  目 ナデシコ目    Caryophyllales
  科 タデ科      Polygonaceae
  属 スイバ属     Rumex
  種 ギシギシ     Rumex  japonicus
 漢名 羊蹄
 和名 ぎしぎし し(古来の呼び方)
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こちらは初めて北海道旅行に行ったときの羊蹄山(エゾ富士)の写真です。


北海道の2017年9月時点の火山の警戒レベル等を紹介します。
ニセコ火山群および羊蹄山は噴火警戒レベル対象外の火山ではありますが活火山であることに留意する必要がある山です。下記の着色文字をクリックすると最新の各地方の警戒レベルを表示します。警戒レベル設定火山→ポチッ
 北海道 東北 関東・中部 伊豆・小笠原諸島 中国地方 九州 沖縄 
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タグ: 北海道
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