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ベトナムは田植えの季節でした。 [ベトナム]



7月31日からベトナムに行っていたときの写真です。その間に車で約800km走りました。家がないところは、ほとんどが水田の景色で、田植えを行っている景色によく出会いました。機械は使われておらず、全て手作業でした。

すでに田植えが終わった水田も沢山あり草抜きなのか、沢山の人が農作業を行っている景色も沢山出会えました。8月は雨の多い時期なので稲の生育にはいい時期なのかも知れません。ちなみに雨季は5月~10月です。


全て車の中から撮影したものですが、道が悪く振動が多いので写真は鮮明ではありませんが雰囲気わかってもらえると思います。いずれもハノイから200km圏内の写真です。
車を停めてじっくりと撮るとといい写真が撮れそうでした。


農作業をしている人のほとんどが、あの三角笠・ノンラーをかぶっていました。ノンラー(Nón lá)とは、ベトナム全土で用いられる円錐形の藁でできた帽子でベトナム人(キン族)の伝統的な葉笠です。Nónは笠でLáは葉の意味です。
ベトナムの水田と三角の笠は不思議と似合っている気がします。
ベトナムらしい風景でした。


ベトナムは南北に長い国なので場所によって天気の傾向は違います。
今回、訪れたハノイ辺りでは1月が雨が最も少なく18.6mmに対して8月は318mmと最も雨の多い月です。8月の降水量は東京の2倍です。
クリックするとベトナムの天気を表示

ハノイの普通の街並み [ハノイ]



フランス統治時代のきれいな街並みが沢山残っていますがベトナムの街の景色はなんといってもバイクなくしては語れません。インドネシアのジャカルタも多かったけれど今まで行った町の中ではハノイがもっとも多いです。ものすごい数です。それにヘルメットはほとんどかぶっていないのも特徴です。その替わり野球帽の人が多いですね。
昔は車はほとんどいなくてバイクばかりでした。

バイクの洪水です。


お巡りさんも大変です。


緑も沢山あります。でもバイクは多いです。


ヘルメットの代わりが帽子!帽子屋さんも欠かせません。


ハノイには意外と池が多いんです。


jinnさんコメントで「水曜どうでしょう」の『原付ベトナム縦断1800キロ』と言う企画を紹介されたので調べてみました。下記がその企画の縦断のスケジュールのようです。 リストから読み取れる場所はヴィン、フエ、ハイヴァン峠、ダナン、ホイアン、クイニョン、ニャチャン、ファンラン、ダラットと懐かしい名前が並んでいますが、ハノイ⇔ホーチミンの間は飛行機での移動で寄ることはありませんでした。ハノイより北東方向、ホーチミンより南西方向の町にはよく行きました。

木蘭(ムーラン)湖畔でワイルドな昼食 [湖北省]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

中国湖北省の木蘭(ムーラン)山を紹介しましたが近くに木蘭湖があります。昼食のためにその木蘭湖の中の島にあるリゾートホテルにモーターボートで行きましたが食事が出来ないことがわかりました。

これがリゾートホテルです。洒落た建物が沢山ありました。クリックすると航空写真を表示します。鮮明ではないけれど雰囲気がわかってもらえると思います。

そこで同じ島の中にある高級レストランに行きました。中華料理だけれど建物は日本風でした。
クリックすると航空写真を表示

本館と3つの別館で成り立っており別館には日本の名前がつけられていました。「松の屋」「竹の屋」「梅の屋」です。
   
その本館に入りお茶出してもらいました。そこからの景色はきれいでした。
念のため冷えたビールはありますかと聞くと「ない」との答え。さらに聞くと「これから冷やします。」との答えでした。
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  で
出発地点に戻ってきました。⇒

結局、高級レストランでの食事を断念してまたモーターボートに乗って陸地に戻り、下の写真のお店に入りました。モーターボートに乗る前から電話していたので冷えたビールが出てきました。この手のお店では考えられないことなのです。

運転手さん自らが料理の献立を考えてくれ、おしながきまで書いてくれました。そして料理が出来上がるまで厨房で見張ってくれていたのです。
下の写真はそれで出で来た料理のすべてです。

理由はこのあたりには日本人はほとんど来ないためこのあたり普通の味は日本人には合わないことを州都「武漢」に勤めている運転手さんは知っているのです。
だから下に出てくる料理は見かけと違いものすごく美味しかったです。素材は新鮮なこともあったと思います。味も薄味にしてくれているのです。
クリックすると航空写真

これは、日本でも食べたことのあるなまず料理です。 もちろん料理の方法は違いますが、味付けも気を使ってくれたため我々の口に合う味でおいしかったです。


このナマズを料理したのです。


肉団子と里芋の料理です。


チゲ チヂミと同じです。


木蘭湖の小魚です。干した魚で日本的な味わいです。塩味なんです。ビールのつまみに最高でした。
写真をクリックすると干している魚が出ます。
クリックすると干している魚が出ます。

焼き豆腐の料理 中国にも焼き豆腐があるのには驚きでした。


鶏肉のスープ 見かけによらずおいしい!素材が新しいこと判ります。


イノシシの肉です。こちらでも貴重な肉です。


この食感の野菜は日本にはないです。セロリとウドの中間のようなおいしい野菜です。


5分前には地面に植わっていた野菜です。チンゲンサイだと思います。


ウズラです。


お店の雰囲気と違い料理はおいしかったです。冷たいビールもあったし! 運転手さんのおかげだったのですが良く聞くとこのお店は運転手さんの出身の実家だそうです。家の人に色々仕切っていた謎が解けました。日本人のことも良く知っているので味付けに関しても細かく指示したのだと思います。いずれにしても取れたて新鮮なものが食べれました。
この湖が木蘭湖です。複雑な形をした湖です。


新しい胴輪(ハーネス) [犬]

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我が家のワンコ(むさし)のために、新しく胴輪を買いました。左の黄緑色の胴輪(ハーネス)が新しく買ったもので赤色が今まで使っていた胴輪です。色違いで形は同じです。引綱(リード)もお揃いの黄緑色にいたしました。前回のリードはもちろん赤色でした。

こちらが以前から使っていた赤色の方の胴輪です。こちらの胴輪はまだ使えるのですが、梅雨の時期に長雨で乾かないことが何度もあったので、新しいものを買いました。
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買ったとたんに梅雨が明けてしまったので、使う機会はなかなかありませんでしたが、夕方の散歩で、お披露目をさせることにいたしました。いつも通り散歩督促鳴きがすごかったです。玄関前でドアが開くのを待っているところです。


門のところまで出て待っているところです。


待ちきれなくて玄関まで戻ってきたところです。


玄関ドアが開いた瞬間に猛ダッシュです。


リードをつなぐと、もちろん猛ダッシュで走って散歩に出ていきました。
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こんな車でツアーはいかがですか? [ベルリン]

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ドイツ・ベルリンのブランデンブルク門から大通りウンター・デン・リンデンを歩いていると、こんな車を見つけました。ベルリンにもアメリカ的なリムジンがありました。車体の横にCITY TOURと書かれているので、どうやら観光ツアー用の車のようでした。観光客の人が見学に行っている間、待っている様子でした。クリックすると拡大するので見るとWebのアドレスが書かれていました。下のアドレスがツアー会社のホームページのリムジンのページです。なんとHummer H1のリムジンでした。
  http://www.berlin-limoservice.de/spekakularste_stadtrundfahrt_berlins.html

私だったら、こちらの方で観光ツアーをしてみたいです。皆さんはどちら派ですか? どちらがいいかと聞かれると、意外と迷う人が多いのではないでしょうか。


最も多かったのが二階建てバスです。二階はオープカーのように天井はありません。全員、二階に座られていました。
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次に多かったのが自転車でした。観光バスとセットになっているツアーもあるのかもしれません。
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99回目の訪問になります。 [中国]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

今日、2015年7月27日から8月1日まで中国に行って来ます。フライトは9時40分成田発の上海行きのJL873です。実は今回の訪中は99回目になるのでです。中国訪問100回まであと1回となりました。訪問回数には99回には香港(6回)とマカオ(3回)は含まれていません。今日の日本時間13時(中国時間12時)には99回目の訪問が実現していると思います。
初めて中国に訪問したのは、今から21年前の1994年9月19月で、成田から北京に入り2泊した後に南京に飛んで、車で、今回と同じ訪問地である安徽省に行きました。その時のフライトは次の通りですが、その後、上のグラフのように中国に訪問することになりました。しかし、この時に99回も中国に訪問することになるとは想像すら出来ませんでした。
右の写真は21年前に南京と安徽省を往復したSタイプ6000ccクリックすると拡大のベンツですが、この時代はSタイプのベンツは6676万人の安徽省で写真の2台しか存在しませんでした。
  1994年9月19日 成田→北京
  1994年9日21日 北京→南京
  1994年9日23日 南京→広州
  1994年9月24日 広州→香港
  1994年9日24日 香港→成田

これまで訪問ごとに「レトルトカレー」、「生ラーメン」、「納豆」、「佃煮」、「京漬物」、「ソーセージ」、「ふりかけ」、「ビール」と、いろんなお土産を持って行きましたが、毎回、入れているのがレトルトカレーと生ラーメンです。今回も生ラーメンを入れましたが、真夏の訪問なので初めて冷麺を持って行くことにいたしました。少し少ないのではないかと思い、当日に7時開店の近所のスーパーで、写真以外に生ラーメンを8個購入して持って行きました。
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出発当日に追加した生ラーメンです。菊水のラーメンを中心にして、とみ田のつけ麺も入れました。
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こちらか今回持って行くレトルトカレーの中の高級の方のカレーです。こちらのカレーの中の目玉は「佐賀牛カレー」です。佐賀牛カレーは、以前に何種類か高級なカレーを試食をして決めたカレーなのです。
この写真の中のカレーは、佐賀牛カレー、道産牛の牛すじカレー、神戸牛カレー、ふらんす亭・伝説のカレー、富山ブラックカレー、欧風ビーフカレー、ビーフマサラカレー、人形町今半すじカレー、浅草ハヤシビーフ、神戸はいから食堂・牛すじカレーです。
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こちが少しお得な方のカレーです。上のカレーと合わせて47個ほど持って行きます。キーマカレーを沢山入れているのは試食した結果、価格のわりに美味しかったからです。ただしキーマカレーの中で試食したの銀座キーマだけです。
この写真の中のカレーは、LEE辛さ×20倍、LEE辛さ×10倍、LEE辛さ×10倍ブラックカレー、LEE辛さ×30倍レッドカレー、軽井沢欧風カレー、タイ風グリーンカレー、ドライキーマカレー、エチオピア・ビーフカリー、銀座キーマ、スリランカ風キーマカレー、南インド風マサラカレー、ガヴィアル・欧風ビーフカレー、バターチキンカレー、東京神田・バターチキンカレーです。
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レトルトカレーの中でもう一つの目玉こちらのカレーです。 この「辛さ×10倍」、「辛さ×20倍」、「辛さ×30倍」のカレーを入れてみました。
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さすがに辛さが心配なので「辛さ×20倍」カレーを試食してみることにいたしました。家内はマサラカレーにしてもらい味見だけさせてもらいました。
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こちらが「辛さ×20倍」カレーです。見た目は普通のカレーです。最初の一口、二口までは少し辛いと感じる程度でしたが、確かに徐々に辛さを感じてきました。いつもはカレーを食べる時に水は無くてもたべれるのですが、こちらのカレーは水か必須でした。さらに食べ終わった後も、辛さが口の中で続くので、食べ終わった後にも水を何杯も飲む必要があるカレーであることが判りました。お土産で持って行くと話題になりそうなので3個、持って行くことにいたしました。
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こちらが南インド風マサラカレーです。骨付きチキンが入って本格的でした。中辛と書かれていましたが「辛さ×20倍」を食べながら試食したので甘く感じました。
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「辛さ×30倍」カレーも試食いたしました。家内は佐賀牛カレーを食べました。
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こちらが「辛さ×30倍」カレーです。名前の通り真っ赤な色で見るからに辛そうでした。「辛さ×20倍」カレーは見ただけでは普通のカレーのようで辛さは食べてみて初めて辛いことが判るカレーでしたが、こちらは見た目も匂いからも食べる前から、辛いことが判るカレーでした。辛さの感じ方は「辛さ×20倍」カレーと同じでした。「辛さ×20倍」カレーは辛さにコクがありましたが、「辛さ×30倍」カレーはストレートな辛さでした。ルーの中の具も少なかったです。
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こちらが佐賀牛カレーで、やはり美味しかったです。以前よりも、さらに味がよくなっているように感じました。日々研究しているのかもしれません。今回はカレーを47個持って行くわけですが、試食用も含めて計53個買いました。
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今回は初めて日本茶も持って行くことにいたしました。これは中国の人のお土産にしようかと思っています。なお、中国訪問中はネット事情の関係から皆様のところへの訪問が滞ることお許しください。
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到着したので99回目訪問の記念の搭乗券の写真を追加掲載させてもらいました。
上海の空港に12時少し前について、車で400km走って安徽省のホテルに到着いたしました。ホテルの部屋に入ったのは16時30分頃でした。

観光案内に載っていない立派な建物 [ベルリン]

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ドイツの首都ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿のあたりから地下鉄のR.WAGNER-PL.駅の方を撮った写真です。大きな大聖堂のような建物が見えます。R.WAGNER-PL.駅の前に建っています。

地下鉄の駅の近くから大聖堂のような建物を撮りました。旅行ガイドブックを見ても記載が、ありませんでした。
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ネットから航空写真を拝借しましたが、大きな建物であることがわかりました。
名前を知りたい場合はネットの地図が便利です。→大きな地図で見る(クリック)
「Berliner Kabarett Klimperkasten」クリックすると拡大と言う名前が読み取れましたが、これは建物ではなさそうです。「Bzirksamt Charlottenburg」で検索すると、この建物の写真が出てきました。どうやら大聖堂ではなくシャルロッテンブルク・ヴィルマースドルフ区区庁舎のようです。
右の正面からの写真はネットから拝借しました。
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シャルロッテンブルク・ヴィルマースドルフ区 (Bezirk Charlottenburg-Wilmersdorf) は、ドイツの首都・ベルリン特別市にある行政区 (Bezirk) です。
旧西ベルリンの中心地区で、2001年1月1日にシャルロッテンブルク区とヴィルマースドルフ区が合併し、現在の区となったそうです。


立派な建物は「連邦議会議事堂」でした。 [ベルリン]

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ドイツ・ベルリンのフランデンブルック門の近くで、一際目を引く建物がありました。とりあえず写真を撮って調べてみると連邦議会議事堂(国会議事堂)でした。実は左奥の向こう側に広い庭があり、クリックすると拡大そちら側から見ると観光ガイドによく載っているガラスドームのある威厳のあるネットから拝借した右のような建物の姿なのですが、写真を撮った時点では、そのことは判らなかったため、今回の構図になりました。私が撮ったのは右裏側からの写真だったのです。
この建物は1824年に建造されドイツ統一後は1999年にボンから本建物に連邦議会が移転してきて現在に至っているそうです。

こちらにも沢山の観光客の人が訪れていました。
ドイツは連邦制なので日本語では連邦議会・議事堂と呼ばれるのが一般的ですが、ドイツ語ではReichstagsgebäude(国会議事堂)となっているのは歴史が絡んでいるようです。
東西ドイツ統一の後、旧ドイツ国会議事堂は全面的に修復され、1999年にライン河畔のボンにあった連邦議会がこの建物に移転した。この際、建物の名称を Reichstagsgebäude (国会議事堂)から Bundestagsgebäude (連邦議会議事堂)と変更する動きがあった。しかし、歴史と伝統を重んじるドイツ国民は Reichstagsgebäude am Sitz des Deutschen Bundestags (訳語として無理があるが 「ドイツ連邦議会の置かれた国会議事堂」)という表現を考え出し、Reichstagsgebäudeという歴史的名称を残したそうです。
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ツアーバスも沢山駐車していました。この連邦議会議事堂の写真には有名なガラスドームが写っています。
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もう一枚、ガラスドームが写った写真を紹介します。沢山の観光客や観光バスが行きかうわりに人が少ないと思っていましたが建物の裏側だったのです。でも観光客の人があまり写真を撮らない角度だと思います。それにしても、現役の連邦議会議事堂(国会議事堂)ですが、柵もなく開放的なのには驚かされました。ドイツのお国柄なのでしょうね。
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ネットでのwikipediaの本議事堂の説明は下記の通りです。
修復の設計を担当したのは1992年の建築設計競技で勝利したイギリス人建築家ノーマン・フォスターである。
クリックすると拡大修復工事では、外壁以外のすべてが一旦取り払われるほどの大改造を受けた。中央の巨大なガラス張りのドームは19世紀末の議事堂建設時のガラスドームの存在を意識しているが、シンボル的かつ斬新なデザインで、国会議事堂の見学に訪れる観光客も非常に多い。
ドーム中は見学者のための通路がめぐらされており、屋上からはベルリン市街が望め、かつ眼下に議場がのぞけるようになっている。また、ガラス張りの議場にも上のクリックすると拡大ドームから天然光が降り注ぎ、石造建築の屋内にもかかわらず開放感があり、ドーム内の見学者にもいつでも会議を見せて開かれた議会政治をアピールしている。ドームのガラスは太陽の動きにあわせて常に角度を変え、直射日光を議場に入れず、かつ議場を常に明るい光で満たすようプログラミングされている。ドームはベルリン観光の目玉である。セキュリティーチェックは厳重であるが、観光シーズンには入場待ちの長蛇の列ができる。午後10時までも開館しているということからドイツが如何に開かれた政治を目指しているかが理解出来る。
クリックすると拡大また、国会議事堂内部は明快で簡素な現代風オフィスとなっており、重厚さや重苦しさ、閉鎖的な印象はない。大きな壁面を利用したりして現代美術家たちの作品が各所に展示され、さながら現代美術館のようになっている。これらすべてを含め、環境に配慮し文化的で、軽快で、市民に開放された今日のドイツ政治を議事堂の建物自体が象徴しているといえる。 クリックすると拡大

戒めのモニュメント [ベルリン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大ドイツのベルリンで朝に散歩をしていると(鷲)のモニュメントが乗った石の塔を見つけました。ドイツの国章は鷲なので国章にちなんだものであることは感じ取れました。

下の写真をクリックすると判ると思いますが、石の塔の部分に2つの年号が刻まれていました。一つが1914年で、もう一つが1918年でした。この年号から、1914年から1918年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である第一次世界大戦に関係したものであることは判りました。おそらく第一次世界大戦戦没者の慰霊碑のようなものであると思います。
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その第一次世界大戦慰霊碑の下に、もう一つのモニュメントがありました。中央に剣が配置されその周りに四角い石が7つ置かれていました。影は最初に紹介した鷲の塔です。
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最初の石には1939年と刻まれていました。次の石には1940年と刻まれ、最後の石には1945年と刻まれていました。この年は第二次世界大戦の期間と一致しています。こちらは第二次世界大戦の慰霊碑だったようです。写真をクリックすると1939年~1942年と刻まれた石が確認できます。
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第二次世界大戦は1939年から1945年にかけ、ドイツ、イタリア、日本の三国同盟を中心とする枢軸国陣営とイギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争です。1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻とともにヨーロッパ戦争として始まりました。戦火は文字通り全世界に拡大した悲惨な戦争でした。
剣(つるぎ)の部分を正面から撮りました。
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斜めからの剣も紹介いたします。ドイツのモニュメントは他の国とは違う気がします。戦争慰霊碑と言えども勇ましさが伝わってきます。クリックすると1943年、1944年、1945年と刻まれた石碑が確認できると思います。
7つの石碑の意味は何でしょう。7年間も続いた悲惨な戦争を表しているのか。それともそれぞれの年に亡くなった人たち慰霊しているのでしょうか。いずれにしても戒めや警告を表しているのだと思います。
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この航空写真の中央に剣のモニュメントがあり、その左下に鷲のモニュメントがあります。航空写真の中のプラスのアイコンを2回クリックすると、かろうじて剣を確認出来ると思います。左上の茶色の屋根は以前紹介したSIEMENS社の建物Siemens-Forumです。建物の住所はRohrdamm 85 Berlinです。 のマークは地下鉄UバーンのSIEMENSDAMM駅(ジーメンスダム駅)です。


モニュメントのそばに欧州旗ドイツ国旗ベルリン市旗が立っているのが確認できます。一番右の旗は旗の順番と色合いからSIEMENS Flagのように感じました。

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シュプレー川 [ベルリン]

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クリックすると拡大前記事で紹介したシャルロッテンブルク宮殿の横を流れている川の畔の景色が、あまりにも美しいので紹介いたします。
川の名前はシュプレー川でベルリンの町の中央を蛇行しながら流れています。私の立っているあたりには大型のリスも走り回っていました。リスの写真をクリックすると公園の広い範囲を表示します。

シュプレー川(Spree)は、ドイツ連邦共和国を流れる川で、ハーフェル川の支流です。ザクセン州、ブランデンブルク州、ベルリンを流れる全長は約400キロの川です。ベルリンの中ではいくつかに分かれて流れるため、写真のように川幅が狭いところもあります。
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上の写真で遠くに見えた橋がシュロッス橋です。
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写真を拡大すると遊覧船らしい船が見えます。
シュプレー川沿いには世界遺産に登録されているベルリン国立博物館など魅力的な建物が沢山あることから遊覧船もあるそうです。有名な建物ではなくても我々にとっては、すべてが魅力的な景観なのです。
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これが空中から見た写真を撮ったあたりのシュプレー川です。
チェコとの国境に近いラウジッツ山地に源を発し北へ向かいます。バウツェン、コトブスといった都市を流れ、西へ転じベルリンに入り、ベルリン郊外のベルリン・シュパンダウでハーフェル川に合流します。ヒュルステンヴァルデの付近ではオーデル・シュプレー運河によってポーランド側の水系であるオーデル川と結ばれています。数値だけ見ても規模が判りにくいと思い、ライン川と比較してみました。括弧内( )の数値は水系全体のエルベ川を示しています。
         シュプレー川               ライン川
  水系     エルベ川                 ライン川
  延長     約400 km (1,091km)      1,233 km
  平均流量  36 m³/s (711 m³/s河口)    2,300 m³/s河口 
  流域面積  10,105 km² (148,268 km²) 185,000 km²
  水源     ラウジッツ山地          アルプス山脈 トーマ湖(スイス)
  河口     ハーフェル川           北海(オランダ)
  流域     チェコ、ドイツ            スイス、ドイツなど6ケ国


シュプレー川K流れているポーランドとチェコの国旗用近くの地図を紹介します。ハーフェル川につながっていることが判っていただけると思います。ハーフェル川は下流でエルベ川につながります。
ベルリンの上流にはコトブス(Cottbus)があります。クリックすると拡大
コトブスは10世紀にシュプレー川の中州にソルブ人が居住地を築いたのが起源とさています。


シャルロッテンブルク宮殿 [ベルリン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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これはシャルロッテンブルク宮殿(Schloss Charlottenburg)で、すばらしくきれいな建物でした。1695年にブランデンブルク選帝侯フリードリヒ(のちに初代プロイセン王)が、妃シャルロットのために建てた離宮が起源で、その後フリードリヒ大王などが増改築をし、今日のように長さ約500メートルに及ぶ長大な宮殿になったそうです。どっしりした樫(かし)材を使った内装や、多数の陶磁器を壁にはめ込んだ部屋などがあります。ポツダムやベルリンの他の歴史的建造物と一緒に世界文化遺産として登録されています。

最初は「リーツェンブルク宮殿」(Schloss Lietzenburg)と呼ばれていたが、ゾフィー・シャルロッテの死後に改名されました。1943年に空襲で大被害を受けたが、復元されて現在の姿になっています。
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ドーム状の屋根の上の金色の像が一際輝いていました。
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シャルロッテンブルク宮殿は横に長い建物でした。幅が長すぎて全体を撮る事は出来ません。
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庭園から見える、周りの建物も絵になる景色でした。
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ヨーロッパの他の宮殿と同様に広い庭園があります。庭園側から見た宮殿です。
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庭園の中央あたりには噴水がありました。上の写真同じような構図ですが、上の写真は噴水より宮殿に近いところから撮りました。こちらは噴水から遠く離れて撮りました。でも同じように見えるのは宮殿がすごく大きいからです。
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空中からの写真をネットから拝借いたしました。これが宮殿の庭園です。下(南)側に宮殿の建物があり上(北)側に池が広がっています。左(西)側には大きな森が広がっていました。右(東)にはシュプレー川が流れ、きれいな景観を見せてくれます。噴水は幾何学的な庭園の中央です。画面内ののアイコンを一回クリックすると建物全体を見ることが出来ます。

遠くからズームで撮りました。
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庭園の中に大きな池もありました。こちらの宮殿の池は自然な雰囲気のある池でした。
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庭園には沢山の花が咲いておりました。
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池の辺りから宮殿を撮りました。
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シャルロッテンブルク宮殿( Schloss Charlottenburg)にはブランデンブルク門( Brandenburger Tor)の後に行きました。泊まっていたホテルは廃線の駅( )の近くにありました。
クリックすると拡大  シャルロッテンブルク宮殿
  ブランデンブルク門
  廃線の駅
  YORCKSTRABE駅
  ROHRDAMM駅
  UNTER DEN LINDEN駅


ベルリンの地下鉄 [ベルリン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ドイツのベルリンでは地下鉄が発達しています。地下鉄は2種類があります。UバーンとSバーンです。Uバーンは完全に地下を走りますがSバーンは高架線の部分が多く町の中心に入ると地下になる電車です。これはSバーンの駅です。ただし、随分と前に廃止になったようで電車は通っていませんでした。フクロウ保護の標識を紹介した記事の中の通りの遠くに写っていたのがこの駅です。

航空写真で見ても駅は残っていますが線路の部分は緑地になっていました。
画面内の を数回ほどクリックすると周りの雰囲気が判ると思います。

こちらは今も活躍しているSバーンの駅です。Sバーンの駅は道路を横断する高架の部分に作られているいるようです。確かに利用するのに便利ですね。ホテルの近くを通っているROHRDAMM駅からUバーン(U7)に乗り17つ目の、このYORCKSTRABE駅でSバーン(S1)に乗り換えてUNTER DEN LINDEN駅で降りてブランデンブルク門に行きました。UNTER DEN LINDEN駅は地下でした。SバーンのYORCKSTRABE駅の古さは冒頭の廃墟の駅と同じ感じでした。鉄骨は、すべてリベットで止められているところに歴史を感じました。
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クリックすると拡大Uバーンから乗り換えたSバーン(S1)のYORCKSTRABE駅のホームです。古い駅の雰囲気が伝わって来る気がします。
自転車も、ちゃんといました。大きな箱がキップの自動券売機で、自転車のすぐ横の赤い箱がチケットの刻印機です。ホームに券売機と刻印機があるのです。つまり駅は基本的に無人でも大丈夫ということになります。ただし駅員さんはいたと思います。
一番下での説明の通り、駅に改札はありません。自転車と刻印機の部分を写真から切り取っ他のが右の写真です。写真をクリックすると刻印機がよくわかると思います。
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これがSバーン(S1)を走っている電車です。沢山の人が利用されていました。ここから3つ目の駅がUNTER DEN LINDEN駅でした。
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電車の中の自転車を掲載いたします。


これがUバーン、Sバーン、バスおよびトラムの共通1日券です。6.1ユーロで1日乗り放題なのでお得です。ベルリンの地下鉄は改札がありません。自分で切符に最初に乗るときに刻印機に切符を入れて刻印します。後は乗り降り自由です。ヨーロッパの鉄道は乗客の良識で成り立っているのです。下の切符にはROHRDAMM駅で15時25分に押した刻印が残っています。最後にROHRDAMM駅に帰ってきたときに裏面に記念のため刻印いました。時間は18時5分でした。その刻印が右上のものです。ROHRDAMM駅で刻印したことも記録されているのでいい記念になりました。
地下鉄の1回の料金は2ユーロなので4回以上乗れば1日券の方が安くなります。今回は5回乗りました。

紹介した地下鉄の駅を紹介します。目的地はブランデンブルク門(Brandenburger Tor)でした。ホテル→ROHRDAMM駅→YORCKSTRABE駅→UNTER DEN LINDEN駅→ブランデンブルク門、と行きました。帰りにはシャルロッテンブルク宮殿に寄って帰りました。
クリックすると拡大  YORCKSTRABE駅
  ROHRDAMM駅
  UNTER DEN LINDEN駅
  廃線の駅
  ブランデンブルク門
  シャルロッテンブルク宮殿

ドイツの巨大企業が駅名になっていました。 [ベルリン]



上の写真はネットから拝借したベルリンの上空からの写真です。泊まっていたホテルからベルリンの中心街に出るためにROHRDAMM駅から地下鉄Uバーン(U7)に乗ったことは、すでに報告しましたが、ROHRDAMM駅の隣の駅が従業員36万人、総売上10兆円、総純利益8500億円のドイツの巨大企業シーメンス(SIEMENS)社の名前がついたSIEMENSDAMM駅(ジーメンスダム駅)でした。航空写真の中の が、そのSIEMENSDAMM駅(ジーメンスダム駅)で、カーソルを持って行くと駅名を表示します。シーメンス(独語読みはジーメンス)社の本社はドイツのミュンヘンですが、ベルリンが発祥の地だったのです。ちなみにトヨタ自動車は総従業員34万人、売上27兆円、純利益2兆円です。 マークのSIEMENSDAMM駅の西側(左側)にある立派な茶色の屋根の建物がSIEMENS社の建物の一つです。こちらの建物に入らせていただきました。歴史ある建物であることが空の上からも判ります。

朝、ホテルの散歩をしているとSIEMENSの看板がありました。木の奥の外壁を修理中のレンガ造りの建物が創設した時代の建物ようです。
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補修中の建物の辺りを拡大いたしました。どんなにお金がかかっても、古い建物は外観は、昔のままに残して内部は最新の状態にして使い続けるのがヨーロッパです。歴史ある国立競技場を簡単に壊してしまう、どこかの国とは違います。
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右の建物もSIEMENS社です。設立は、ここベルリンで168年前の1847年でした。このあたりは地下鉄2駅分程度の範囲でSIEMENS社の敷地でした。朝の散歩のときは、まさかSIEMENS社の中に入れる機会があるとは想像もしていませんでした。
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ここには創業当初の古い建物があり、その中に入ることが出来ました。階段は鉄骨リベット構造の古い頑丈そうなつくりでした。建物の内部も百数十年前にこんな立派な建物を作っていたとは信じられないほどの出来栄えでした。その建物の中の写真を撮らなかったのは後悔しています。この門から車で入りました。SIEMENS社の人が手続きをしてくれたのですが、突然だったので、かなり時間を要しました。
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その建物の中の社員食堂で昼食をご馳走になりました。これは何種類メニューの中から選んだ肉料理です。
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記念にもらったUSBです。結構使いやすく無くしにくいタイプであることがわかって貰えると思います。


SIEMENS社とはドイツ国内での発電プロジェクトを一緒にやりました。SIEMENS社には、タービンと発電機と電気品と計測機器を発注した関係なのです。

タグ:ベルリン

開封は鳥を飼う人が多い町でした。 [河南省]

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中国河南省の開封の大相国寺の境内で、鳥籠を沢山見かけました。いい雰囲気の趣味ででした。鳥の種類は「画眉鳥(ガビチョウ)」のようです。画眉鳥は中国南部から東南アジア北部にかけて広く生息しています。右下の画眉鳥の写真はネットから転用させてもらいました。クリックすると拡大日本では、ペットとして輸入された個体が逃げて定着して南東北、関東、中部、九州北部で沢山見られるようです。我家の近くでもよく見かけるようになりました。そんなこともあり、日本においては、画眉鳥は特定外来生物に指定されていて、届出をしなければ飼育することは出来ません。場所が違えは扱いも違いますね。
本種が多く観察されるポイントとして、東京都内では高尾山が有名だそうです。体長約 22-25cmで、嘴と尾が長いく、体色は全体的に茶褐色でかなり地味であるが、眼の周り及びその後方に眉状に伸びた特徴的な白い紋様を持ちます。嘴の色は黄色で、 かなり大きな音色で美しく囀ります。ウグイスやキビタキ、オオルリ、サンコウチョウといった他種の囀りをまねることがあるそうです。

鳥売りかな? それとも自分の鳥を運んでいるのかな?
これを見ただけでも開封は鳥を飼う人が多い気がします。
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日本だと、高そうな立派な籠でした。
ガビチョウ(画眉鳥)の鳴き声に興味をもたれた方も多いと思います。そこで、別の場所で撮影した動画をYouTubeに登録いたしましたので、鳴き声を右の動画で紹介します。見ての通り画像は良くありませんが、鳴き声はよく聞こえると思います。是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。
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これはカナリアのようです。いろんな鳥がいました。やはり鳴き声を楽しむために愛好家が集まっているようでした。
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タグ:開封 画眉鳥

開封で最も有名な寺院 大相国寺 [河南省]

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大相国寺は大きなお寺です。敷地も広く僧侶の数も多く見かけます。北斉の西暦555年に建国寺として創建されたそうです。後に寺院は戦火で壊され、唐の西暦711年に再建されました。クリックすると拡大そして唐の睿宗が西暦712年に相王から皇帝になったことを記念して大相国寺という名前をつけたそうです。右の写真の扁額の文字から想像するに、上の建物は蔵経楼(藏經樓)のようです。

北宋時代は相国寺は皇族に深く尊崇され、何度も拡張され敷地面積は33ヘクタールとなり、64の禅院・律院、そして千人以上の僧侶がいたそうです。現在は、それほど大きくありませんが天王殿、蔵経楼、大雄宝殿、山門殿、牌坊、八角瑠璃殿(羅漢殿)などが、残されており、八角瑠璃殿の中には、高さ7mの大木で彫刻された千手千眼観音像があり、古代木彫り芸術の傑作と言われています。1992年以後、仏教活動が復活し、鐘楼・鼓楼などが再建され、この鐘楼のなかには清時代に作られた大鐘が今でも保存されています。こちらが天王殿です。33ヘクタールは0.33k㎡、つまり330m x 1000mの広さです。
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ここが入口です。門の扁額には「大相國寺」書かれています。大相国寺は、黄河の氾濫15回、兵火にかかること11回、大火6回など、大きな災害のたびに開封城と盛衰を共にしたそうです。
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こちらが入場券です。
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京都の相国寺と友好関係にありました。石碑の除幕式は1994年9月27日に行われたと、ネットで書かれていました。石碑には「佛暦二千五百三十七年佛吉祥日」と書かれていました。釈迦が入滅した翌年が元年となる佛暦2537年から543年を引くと西暦1994年になります。釈迦が入滅した年を元年とするミャンマーやスリランカでは、佛暦から544年を引くと西暦になります。
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広い敷地には沢山の建物がありまいた。この建物と同じ形の建物が左側にもありました。鐘楼と鼓楼と思われます。こちらは、清時代に作られた大鐘が保存されている鐘楼です。
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この屋根を見ると大きなお寺だと感じてしまいます。
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敷地の大きさも感じます。
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僧侶の人です。まだ若い人が多いです。
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「東京」と呼ばれた北宋の古都「開封」 [河南省]

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開封の町の入口にそびえる城壁です。この町の代表的景観です。朝日に輝く城郭がみごとでした。ここは北宋の時代に「東京」と呼ばれていた古都「開封」です。開封の記事はいくつか掲載する予定にしています。鄭州を朝早く出発して開封に8時4分に着きました。上の写真は8時35分の城壁の写真です。

開封は日本で言うと京都のような町で、あちらこちらに古いお寺が点在しています。京都と特に違うのは黄河が氾濫し都が何度も泥に埋まったために、京都に比べると昔のままに残っている建物は掘り出されたか復元されたもので、古い街並みは少ないのですが、歴史のある観光都市であるところは同じです。
ガイドさんや三輪自転車で町を案内してくれる人が沢山います。でも中国はあまりにも広いので訪れる日本の観光客の人は少ないと思います。クリックすると拡大それだけに、ここに来れたことはすごく有意義でありました。それでもネットで見ると開封を訪れた記事がいくつか出ていました。やっぱりすごいです。写真は城壁西門の大梁門と思われます。
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冒頭の城壁の朝もやの中の写真です。
開封は河南省の省都・鄭州から東に70kmです。北には殷の都の遺跡「殷墟」のある安陽があり西の龍門石窟のある洛陽とは反対側です。車で1時間半です。
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霞む門を拡大いたしました。
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鄭州のホテルから開封の大相国寺までの車のルートです。
クリックすると拡大実は鄭州から開封に向かうときに以前に紹介した幻想的な太陽に出会ったルートなのです。鄭州の町でタクシーと交渉してこの町に訪れました。半日貸切で250元でした。ところが帰りにタクシーの運転手さんに悲劇が! 
前の車に付いて変則ローターに入った途端におまわりさんに呼び止められました。進入禁止だったのです。罰金は200元! もちろん前の車も同じでした。半日も我々に付き合ってガソリン代と駐車料金を考えるとどう見ても儲けは0円です。なんとなくがっくりしていました。ホテルに着いて50元をプラスしてあげると、ものすごくうれしそうでした。もともとの相場は300元なのでお互いに気持ちよく別れるのもいいものです。
   鄭州(郑州) Hotel Sofitel Zhengzhou
   開封(开封) 大相国寺
   鄭州~開封


鄭州から上海のフライトが午後だったので早起きしてここまで足を延ばしてみる価値がありました。タクシーの運転手はこの町には詳しくないので最初に訪れた「包公祠」から地元の、この三輪自転車に乗って町を廻ることにしました。タクシーとはこの町で最大の寺院である大相国寺で待ち合わせることにしました。これに私が乗っています。

ここは開封府と言われ北宋時代の役所にあたるところです。入口を正面から撮ったものです。開封府の文字が印象的でした。
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斜めから撮りました。城壁に囲まれていました。建物自体は最近復元されたものです。
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開封も観光に力を入れ始めたようです。昔の建物を復元した施設です。洋風に言えばテーマパークです。ここは外から撮りました。沢山の建物があることが分かってもらえると思います。


そのテーマパークの中に入りました。その時の入場券です。
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左の地図の赤色に塗られた部分が河南省で、右の河南省の地図で橙色に塗られたところが開封市です。安陽市の人口は527万人で、人口密度は818人/km²の町です。驚いたことに、日本の戸田市と伊賀市と伊勢市と下諏訪市の4つの市が姉妹都市となっています。
河南省には、中国八大古都のうち、4つの古都があります。殷の都の安陽と、東周から長く都が置かれた洛陽と、宋の都であった開封と、殷の都邑であった鄭州です。
ちなみに中国八大古都とは西安、洛陽(洛阳)、南京、北京、開封(开封)、杭州、安陽(安阳)、鄭州(郑州)です。開封は宋の時代には東京と呼ばれていました。西京に相当する西安は漢代(BC200年)に長安と命名され唐代の7世紀には世界最大の都市に成長しました。西都、西京、大興、中京、京兆、奉元と呼ばれた時期もありました。明の時代から西安と呼ばれるようになりました。
  四大古都 : 西安、洛阳、南京、北京
  六大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州
  七大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳
  八大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳郑州
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開封が首都であった北宋は960年から1127年まで167年間続きました。その頃の開封は世界最大級の都市でした。国号は宋ですが、金に開封を追われて1127年に首都を臨安(現在の杭州)に遷都した後の南宋(1127~1276年)と区別して北宋と呼び分けています。北西には西夏(1038~1227年)で、北東には遼(916~1125年)がありました。南西方向には大理(938~1253年)があり、西に吐藩と書かれているのは633~877年に繁栄したチベットの王朝で、滅亡後もチベット地域を表す言葉です。南の大越は1054~1804年までのベトナムの正式な国号です。

働き者のアリ [動物]

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ワンコの散歩の時に鳥の羽を軽々と運んでいるアリ(蟻)を見つけました。こんな大きなものをどうするつもりなのか気になりましたがとりあえず写真に撮りました。

軽々と運んでいるところを知ってもらうために動画も撮りYouTubeに登録しました。是非とも、プレーボタン( )をクリックしてみてください。バックの音楽の長さは2分0秒です。曲名はVacation Ukeでアーティスト名はALBISです。

中国の紅茶の名産地 [広東省]

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ここは中国・広東省の英徳と呼ばれる場所です。 広州から車で2時間です。こちらで有名なのが英徳紅茶です。中国全体では広東省の英徳紅茶(えいとくこうちゃ) と安徽省の祁門紅茶(きーまんこうちゃ or きーもんこうちゃ)の2つが有名です。もちろん英徳紅茶を買って帰りました。ネットで調べると英徳紅茶は品質がいいことが有名ですが沢山作られていないことから市場ではほとんど流通していないそうです。
現地に来たおかげで貴重な紅茶を買うことが出来たわけです。
上の写真はクリックするとすこし拡大します。

上の写真の後の3人が近づいてきました。このあたりの民族衣装です。この民族衣装の人たちは鍾乳洞の近くで観光客の人たちに踊りを披露している方々でした。


上で紹介の鍾乳洞は寶晶宮(宝晶宮)と呼ばれており燕子岩山脈にある石灰岩の鍾乳洞で、馬壩人より古い原人の頭蓋骨が発見されています。
その鍾乳洞の写真を紹介いたします。左上の写真が寶晶宮の入口で右上が入口付近からの景色です。下の2枚は鍾乳洞の内部の写真です。



国内線のYクラスでもビールがありました。 [機内 CY]

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日本の国内線では飲物だけです。一方、中国の国内線では箱に入った簡単な機内食と飲物が出されます。でもビールなどのアルコールは出ません。

ところが、2015年6月3日の銀川→南京のフライトCZ6963では飲物としてビールを選ぶことが出来たし、温かい機内食も出されたのです。おなじルートの行きのMU2789(南京→銀川)ではビールも温かい機内食もありませんでした。フライト出発時刻13時25分に対して搭乗時刻は12時55分です。
  CZ  中国南方航空 488機
  MU 中国東方航空 378機


中国には沢山の航空会社があり、競争も激しくサービスも様々です。
少し古い資料かもしれませんが中国の航空会社を紹介します。
中国の航空会社は沢山ありますが、その多くは大手航空会社と資本提携を結んでグループを形成しています。
つまり4大グループへの集約が進でいる過渡期と思われます。4大航空グループとは中国南方航空、中国東方航空、中国国際航空、海航集団の4社です。
グループ企業名グループ企業名
中国南方航空中国南方航空海航集団海南航空
アモイ航空大新華航空
珠海航空中国新華航空
貴州航空香港航空
重慶航空天津航空
スワトウ航空香港エクスプレス航空
中国貨運郵政航空祥鵬航空
四川航空中国西部航空
中国東方航空中国東方航空首都航空
上海航空格安航空春秋航空
中国貨運航空その他吉祥航空
中国連合航空華夏航空
上海国際貨運航空奥凱航空
幸福航空中国飛龍専業航空
中国国際航空中国国際航空英安航空
深セン航空中信通用航空
コン鵬航空西蔵航空
山東航空 
マカオ航空 
キャセイパ゙シフィック 

中衛を朝に出発して銀川空港に着いたのは11時40分で搭乗までは時間がありました。空港の正式名は銀川河東国際空港(银川河东国际机场) です。入口料金所には銀川河東機場(银川河东机场) と書かれています。
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南京へのフライトの搭乗口(登機口)5の場所を確認いたしました。


機内でビールが飲めるとは思っていなかったので空港のレストランでビールを飲みました。


2015年6月3日の銀川→南京のフライトCZ6963のエコノミークラス(Yクラス)のサービスを紹介します。
先ずはペットボトルの水と「おしぼり」が一人一人に配られました。特に「おしぼり」が出されたのには驚かされました。これは日本の国際線のビジネスクラス(Cクラス)のサービスと同じだからです。単独の回収はないので、使い捨てのようです。


次に飲み物が配られます。10種類程度の中から選択しますが、その時からビールがワゴンに乗っておりビールを選択することも出来ましたが、とりあえずはオレンジジュースを頼みました。


次に機内食が配られました。例の機内食ボックスに加えて温かい料理とパンが出されました。温かい料理は2種類から選択できました。ここで飲み物としてビールを選びました。温かい食事があったら、やっぱりビールです。


ボックスの中には簡単な料理と果物とパンが入っていました。
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さっそくビールをいただきました。中国のビールのアルコール濃度は2.5%の物が多いのですが、珍しく4%の青島ビールが乗せられていました。ビールを頼む人は、ほとんどいないので、この一種類でした。
Yクラスではなく上のクラスのFクラス(国際線のCクラス相当)では国内線でもビールやワインがある上、料理も国際線なみの物が出されますが、Yクラスでは珍しいことでした。
中国国内線のFクラス→ ポチッ ポチッ
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赤色ラインが銀川~南京のフライトのルートです。距離的には関空~上海ほどあるのですが、やはり国内線でビールや温かい料理が出されたサービースには驚かされました。食事の途中にもさらに追加の飲物ワゴンが来てくれましたが、夜の食事のこともありビールの追加はいたしませんでした。

大当たり! [日々]


近所の宝くじ売り場に、こんな垂れ幕が!
宝くじ当たりたい!  でも最近は出ていないみたいです。当たると垂れ幕が替わるかも

タグ:宝くじ

南京空港でロシアの飛行機に出会いました。 [機内 CY]

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2015年5月27日から6月5日まで中国に行っていたことはすでに報告いたしましたが、その間に寧夏回族自治区の中衛市に行く機会がありました。行きのフライトは5月31日で南京空港→銀川空港のMU2789でした。MUは中国東方航空です。

飛行機への搭乗はランプバスを利用しました。ランプバスの中から前を見ていると珍しい形の飛行機があったので写真を撮りました。今までにロシアやウクライナに何度か行ったことがあるので、飛行機の形を見てすぐにロシアの飛行機だと直感いたしました。ウクライナではなくロシアと感じたのはウクライナの航空会社はアメリカやヨーロッパの飛行機を多く使っているからでした。
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ランプバスはその飛行機の横を通過したのでロシアの飛行機と確信いたしました。航空会社の名前と思われるVolga-Dnepr の文字が書かれていました。調べてみるとロシアのウリヤノフスクを本拠地とするヴォルガ・ドニエプル航空(Волга-Днепр / Volga-Dnepr Airlines)でした。この航空会社で有名なのは量産された輸送機としては世界最大のアントノフ An-124を使用した特大貨物輸送を行うことです。今回の飛行機も窓がないので貨物機(輸送機)のようです。
ヴォルガ・ドニエプル航空の保有機は次の通りです。
  アントノフ An-124   10機 ( 10機 )     
  イリューシン Il-76TD  5機 ( 4機 )
  ボーイング 747     14機 ( 0機 )  括弧( )内は2006年時点の数値
  ボーイング 737      2機 ( 0機 )
  ヤコヴレフ Yak-40    0機 ( 7機 )  1976年の生産終了
  アントノフ An-148   2006年時点では8機発注(キャンセルされた模様)
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下の2枚の写真はWikimediaから拝借したヴォルガ・ドニエプル航空が保有する世界最大(量産機)の輸送機であるアントノフ An-124です。今回の飛行機もエンジンが4つで、形も似ていますが、これほどの大きさはないように感じます。よく見ると水平尾翼の位置が違います。
右の写真はドイツのベルリンからロシアのサンクトペテルブルクにエア・ベルリンで着いた時に撮った写真です。この時が初のロシア訪問でした。
アントノフ An-124の仕様を紹介します。
 全幅       : 73.3m
 全長       : 69.1m
 全高       : 21.1m
 空虚重量    : 175t
 最大離陸重量 : 405t
 最大積載量   : 150t
 運航乗務員   : 6名
 搭乗者      : 88名
 最大速度    : 865km/h 
 巡航速度    : 800km/h 
 上昇限界高度 : 12,000m
 エンジン     : イーウチェンコ=プロフレース製 D-18T
            ターボファン(229.5kN / 23400kg)x4基
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ロシア語で書かれたコックピット下の文字の中の「76」が飛行機の機種を特定するヒントになりました。保有機の中で「76」が付くのはイリューシン Il-76TDです。
ロシア語と文字数と数字が一致するIl-76TD-90VD(イリューシン76TD-90VD / Ил-76ТД-90ВД)です。この航空機はヴォルガ・ドニエプル航空のために開発されたIl-76TDの改良型で、ヨーロッパの騒音規制を満足するためにS-90エンジンを採用し、グラスコックピットを部分的に装備しているそうです。


ロシアの飛行機から離れた後、我々が乗る飛行機のところに到着いたしました。
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我々の飛行機が移動中にもイリューシン76TD-90VDの横を通りました。
Il-76TD型の仕様です。
 全幅       : 50.5m
 全長       : 46.59m
 全高       : 14.76m
 空虚重量    : 92t
 最大離陸重量 : 190t
 最大積載量   : 48t
 最大速度    : 850km/h 
 巡航速度    : 750km/h 
 上昇限界高度 : 15,500m
 エンジン     : ソロビョヨーフ D-30KP シリーズ 2
            ターボファン(122kN)x4基
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アントノフAn-124とイリューシンIl-76TDの視覚的な大きさの違いを紹介します。
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せっかくなので我々が乗ったMU2789の機内を紹介します。
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飛び立ってしばらくすると紙箱を渡されます。


箱の横には「清真」のシールが張られています。イスラム教の人が食べることが出来るハラル料理であることを示したシールでした。寧夏回族自治区は名前の通りイスラム教(回族)の人が多く住んでいるのです。


こちらが中身です。食べ物としてはパン、ケーキ、ナッツ、クッキーが入っていました。飲み物はオレンジジュースを頼みました。
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目的地の銀川に近づきました。荒涼とした砂漠が広がっていました。
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空港に下りると空軍のマークが付いた軍用機らしい飛行機が止っていました。
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km45さんのコメントで、軍用機は西安飛機工業公司が製造した運7型輸送機(Y-7)であることが判りました。検索の結果、ネットで類似の写真(Y-7H)が見つかりましたので転用させていただきました。
クリックすると拡大 全幅      : 29.67m
 全長      : 24.22m
 全高      : 8.85m
 空虚重量   : 14,988kg
 最大離陸重量: 21,800kg
 巡航速度   : 476km/h
 航続距離   : 1,982km
 エンジン    : 2× 渦奨WJ5A(en)(2,790shp)

こちらが銀川空港です。 ここから車で中衛のリゾートホテルに向かいました。
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赤色ラインが南京~銀川のフライトのルートです。

ハノイのパトカー [ハノイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
IMG_1827-960.jpg
意外とパトカーは洒落ています。汚れていなければヨーロッパのパトカーかと思ってしまいます。ベトナムは美的感覚が優れている国なんです。

夕方の通勤ラッシュの交通整理のために来ているんです。


交通整理(手信号)のお巡りさんを拡大いたしました。よく見ると2人で交通整理をされていました。


mimimomoさんからコメントがあったアメリカのパトカーを掲載させてもらいました。
このパトカーはピッツバーグで撮ったものですが、確かに横の青いラインがそっくりです。ベトナムのパトカーのデザインは先進国並なのですね。 

niceをクリックしていただいた方が8000人に到達いたしました。 [SNS]



2015年7月12日の19時ごろにniceをしていただいた方が8000人に到達いたしました。その8000人目はFabergeさんでした。その方のniceは229,899(=229902-3)目でした。Fabergeさんは初めての訪問となるわけです。ありがとうございます。
So-netブログで最初の記事を掲載したのが2009年5月5日です。それから6年と2ケ月目ということになります。同じ方が何度もniceをしていただいても、本数値は1人として計算されるので8000人は貴重で嬉しい数値です。2015その年7月12日9時10分の累計アクセス数は6,844,910です。
8000人目のniceを頂いた記事はタイトル「三種類の蕎麦を食べました。」です。この写真をクリックすると記事を表示いたします。
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その記事へは7月12日19時10分時点で85のniceを頂きました。本報告させていただいた7月13日10時の時点で、その記事には156のniceをいただきました。また、その記事へのアクセス数は544でした。
niceをクリックしていただいた方も15時間で8012人になりました。

記事「三種類の蕎麦を食べました。」に85のniceを頂いた方を紹介いたします。下の画面は2015年7月12日19時10分時点の画面のハードコピーです。現在はこちら→ポチッ

累計nice数とniceをくれた人の累計数のグラフです。niceをくれた人は、初めてniceをクリックした人だけの累計なので人数が増えてくると、なかなか伸びてこない傾向にあります。その中でniceをくれた人が8000人になったのは価値のあることだと感じます。


累積コメント数とniceをくれた人の累計数のグラフも紹介します。累積コメント数には私の返信も入っているので、約半分が頂いた累積コメント数です。


2009年5月5日からの累積アクセス数と累積nice数のグラフです。皆様のおかげで、ここまで来れました。
偶然ですが2015年7月13日11時に累積niceがキリ番の230001になりました。
   累積アクセス数 6,846,965
   累積nice数     230,001

クリックすると数値を表示

こちらのグラフは毎日のアクセス数とnice数をプロットしたものです。日によってばらつきがありますが、沢山のアクセスとniceを頂いています。


月ごとのアクセス数と訪問者数のグラフも紹介します。訪問者数とは1ケ月の間に複数回のアクセスを頂いても1人として計算した数値です。


毎日のアクセス数と訪問者数のグラフも紹介します。


2009年5月5日に初めてSo-netに掲載した記事「自転車が完成しました。」の冒頭の写真です。写真をクリックするとその記事を表示します。
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三種類の蕎麦を食べました。 [蕎麦]

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三種類のお蕎麦を家で食べました。
左から「鴨せいろ」、「にしん蕎麦」、「天ぷら蕎麦」です。

と言っても、下の写真の三種類の即席袋麺を使いました。いずれも5袋入りを特売の時に買いました。
  マルちゃん  正麵 鴨だしせいろそば
  日清食品  どん兵衛 生そば食感
  明星食品  江戸蕎麦
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先ずは「鴨せいろ」です。こちらにはマルちゃんの即席袋麺を使いました。
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先ず用意するのは具です。今回は鴨ではなく鶏のモモ肉を使いました。モモ肉は皮がわを焼いた後、スライスして、長ねぎと一緒にフライパンで焼きました。
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茹であがった麺を氷水でしめて、温かいタレに具を入れると見事な鴨せいろが出来ました。
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麺をアップいたしました。
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温かいタレもアップいたしました。温かいタレを見て、味は全く違いますが、つけ麺と同じ食べ方が、昔からあったことに気が付きました。
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タレに麺を入れました。最近の蕎麦の即席めんのレベルが上がっているのには驚かされました。
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次は「にしん蕎麦」です。こちらの蕎麦には日清食品の即席袋麺を使用しました。この「にしん蕎麦」が最も手間がかかるのです。
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にしん蕎麦に入れる身欠きニシンの甘露煮を作るのが手間なのです。ここまでに一週間ほど、かかりました。固く乾燥した本身欠きニシンを使いました。本身欠きニシン2枚で甘露煮を作るために採用したレシピを紹介します。
①米のとぎ汁に身欠きニシンを入れて冷蔵庫で1週間入れて柔らかくします。
  米のとぎ汁は何度か取り換えます。
②身欠きニシンを適当な大きさに切って臭みをとるためにお茶で30分煮ます。
③下記の汁で煮込みます。汁がなってきたら火を止めて冷えたら完成です。
  ただし、すぐに焦げ付くので、汁が残っているうちに火を止めます。
  ここで、焦がしてしまったら一週間の作業が台無しです。
  水(100CC) + 醤油(大さじ3) + みりん(大さじ3) + 砂糖(大さじ2)
  + 酒(大さじ2) + 酢(小さじ2)
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にしんの甘露煮を乗せて「にしん蕎麦」の完成です。蕎麦の袋麺も開発に力を入れていることが実感できます。ツユが、少し濁っているのは甘露煮を作った時の汁を少し入れたためです。
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自信作の、にしんの甘露煮を拡大いたしました。にしんの油が出て美味しかったです。時間が無い時は、値段は高いけれども甘露煮あるいは姿煮の完成品を買うのもいいかもしれません。
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最後が「天ぷら蕎麦」です。これには明星食品の即席袋麺を使用しました。
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天麩羅を乗せると「天ぷら蕎麦」の完成です。トッピングのかき揚げはスーパーの総菜売り場で買ってきてオーブントースターで温めました。三種類の蕎麦の中では一番簡単に完成いたしました。
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かき揚げの部分を拡大しました。
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タグ:蕎麦 即席

世界遺産 殷墟  甲骨文字発掘の町 安陽 [河南省]

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安陽は古代中国殷王朝(BC1600 - BC1046)後期の遺構である「殷墟」があった場所で甲骨文字発掘の町でもあります。その安陽に2度来る機会がありました。今回の報告は1回目の時です。ちなみに2回目は「霧による大渋滞を経験してしまいました。」の記事で紹介したのが鄭州から安陽に車で行く途中のことでした。上の写真は車馬坑です。高貴な人の古墳で、馬車や馬とを副葬した竪坑を車馬坑と言います。馬車は殷の時代より前の時代から存在ようですが、発見された中では殷墟の車馬坑が中国最古の馬車遺跡だそうです。

中国最古の車馬坑をもう少し紹介します。ここには6台の馬車が展示されていました。
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馬車の遺跡からは馬骨も発掘されました。


これは甲骨文字(こうこつもじ)の発掘の状態を再現したものです。ここの人に聞くと、ここにある甲骨文字は、すべてレプリカで、本物は、台湾や北京などに持っていかれたと言っていました。2006年7月に世界遺産に登録されてからは北京などに保管されていたものが、併設されている博物館に徐々に戻ってきているようです。
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こちらが甲骨文字ですが、Wikipediaから転用させてもらいました。
甲骨文字は、殷の後期に使われていた漢字書体の一つで、現在確認できる最古の漢字です。古代中国で生まれ発達してきた漢字と、獣骨を用いる占い(占卜)とが結びついて文字記録となったもので、亀甲獣骨文字や甲骨文ともいうそうです。甲骨文字は古来から農民により発見されていたそうですが、価値を知らないため大部分は捨てられたそうです。清の国子監祭酒(文部長官相当)であった王懿栄が竜骨と呼ばれていた骨に刻まれた文字を1899年に発見したことで、価値あるものとして発掘が行われはじめたそうです。
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甲骨文字(BC1600年~)とその後の時代の文字の比較です。金文(きんぶん)は青銅器の表面に鋳込まれた文字で、殷・周のものが有名で、年代的には甲骨文字の後(BC1300年頃~)にあたるそうです。さらに後の小篆(しょうてん)の起源は戦国期(BC403年~BC211年)の石鼓文に用いられた書体・大篆が直接の起源と言われています。BC221年に中国統一を成し遂げた秦は、各地方で独自に発達していた文字を小篆に統一したそうです。
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こちらのケースの中をよく見てください。 ご安心をレプリカです。殷墟からは人骨も沢山発掘されたようです。
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建物跡です。柱が再現されています。他の世界遺産に比べて見た目では迫力はありませんが、殷墟は約3500年前から3100年前の遺跡であることから残っているものが少ないので仕方だないのだと思います。その古い歴史に世界遺産としての価値があるのだと思います。
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発掘場所も公開されていました。
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殷墟からは沢山のものが発掘されたようです。発掘した時の状態も残されていました。
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写真の右端の石碑には「甲骨文発現地」と書かれていました。日本語だと「甲骨文字発見場所」というところでしょうか。


大型の青銅器も発掘されました。その中で最も有名な「司馬戊」鼎の大きなモニュメントも入口にありました。実物は長さ1100mm、幅780mm、高さ1330mm、重さ875kgです。北京の博物館から、こちらの博物館に移設したと聞きました。


併設された博物館は景観に配慮してか半地下になっておりました。
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左の地図の赤色に塗られた部分が河南省で、右の河南省の地図で緑色に塗られたところが安陽市です。安陽市の人口は533万人で、人口密度は719人/km²の町です。埼玉県草加市が姉妹都市になっています。
河南省には、中国八大古都のうち、4つの古都があります。殷の都の安陽と、東周から長く都が置かれた洛陽と、宋の都であった開封と、殷の都邑であった鄭州です。
ちなみに中国八大古都とは西安、洛陽(洛阳)、南京、北京、開封(开封)、杭州、安陽(安阳)、鄭州(郑州)です。開封は宋の時代には東京と呼ばれていました。西京に相当する西安は漢代(BC200年)に長安と命名され唐代の7世紀には世界最大の都市に成長しました。西都、西京、大興、中京、京兆、奉元と呼ばれた時期もありました。明の時代から西安と呼ばれるようになりました。
  四大古都 : 西安、洛阳、南京、北京
  六大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州
  七大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳
  八大古都 : 西安、洛阳、南京、北京、开封、杭州、安阳郑州
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殷墟を訪れた、初めて安陽に来た時は、初めての在来線での長距離列車の旅でした。今まで飛行機か車ばかりだったので8時間の列車の旅は新鮮でした。冷えた缶ビールを駅で買いこんで乗り込みました。つまみは日本から持ってきたスルメです。
ビールを飲んでいるのは我々だけ(日本人は一人)でした。外では、中国の人は宴会や会食以外は飲む習慣がないと言っていました。列車の写真は出発した湖北省の武漢の駅で撮ったものです。武漢の駅の売店でも冷えたビールは少ししか置いてなく、そのお店の人が別のお店に買いに行ってくれました。列車の中で飲む習慣がないのは事実のようです。驚いたのが、大型のスーツケースが網棚(荷台)に置けることでした。寝台ではなく軟座です。座り心地は新幹線よりはいいです。ただし座席は対面で、方向は変えられませんでした。対面の椅子の間に机があります。
途中から赤ちゃん連れの人が前に座り、その赤ちゃんにおしっこを少しだけかけられてしまいました。田舎はオムツなしなのです。安陽から北京も列車で移動いたしました。
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霧による大渋滞を経験してしまいました。 [河南省]

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この日は車で中国の鄭州から殷墟のある安陽への1時間50分の移動の移動の予定でした。1時間20分は霧も薄く順調に走ってこれました。しかし急に霧が濃くなってきました。そして突然渋滞です。今回の記事では上の写真だけクリックすると拡大写真を表示するように設定いたしました。
上の写真は渋滞直後30分ぐらいの9時51分の写真です。少し霧が晴れてきましたがトラックの後ろは見えません。渋滞直後の霧は、さらに濃かったです。そしてこの同じ場所で4時間15分停まったままでした。
そのため1時間50分の道のりのはずが7時間かかってしまいました。
あまりに長い渋滞だったので我々が外国人であることから閉鎖されている反対車線を別の車で迎え来ることも段取りしてくれていましたがその前に何とか動き始めました。

われわれの直前にいたパトカーも渋滞で走るのあきらめました。


少し霧が晴れてきました。すごい車の数です。ほとんどが長距離大型トラックです。


さらに霧が晴れてきました。我々の後ろにもパトカーがいました。この時、10時42分で渋滞から1時間半が経過したところです。この後晴れてきましたが、さらに同じ場所に2時間45分停まったままにとなりました。不思議に思い、知り合いの中国の人に歩いて前に歩いて見に行ってもらいました。


すると500m先で追突事故がありました。ここから下の写真は前を見に行った人に撮ってきてもらったものです。私は車の廻りから離れないようにしていました。
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結構、激しく壊れている車が沢山ありました。
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トラックだけでなく乗用車も沢山被害にあっていました。
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乗っていた女性が運転手に対して文句を言っているようでした。事故当初はもっと激しいやり取りもあったかも知れませんが、見に行ってもらったころにはあきらめた雰囲気でした。
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高級車も被害にあっていました。これはドアの窓が壊れている程度の軽い接触事故度のようでした。
最初は「この事故処理のために渋滞しているのかな」と思っていましたが実はこの事故のためだけで渋滞しているのではないことが後でわかりました。この先10kmも渋滞が続いていたことが先に進んで判りました。
こんな追突事故が沢山あったための渋滞だと思います。
事故に巻き込まれなかったのは「ラッキーの中のラッキーの中のラッキー」だったかもしれません。
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鄭州のHOTEL [河南省]

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ここではホテルの人が笑顔で特別に2階建の部屋にアップグレードしてくれました。
部屋代は普通の値段(数千円)で!
オープンの階段が豪華に感じますが!意外と不便なこともあります。上の写真が2階の寝室です。

こちらが1階です。もちろんトイレ、テレビ、シャワー(バスは上だけ)は両方にありますが着替えを取に行くのに階段を上り下りするのでチョットだけ不便でした。贅沢言うなと言われそう!
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2階建も珍しいのですが地方でもサービスが良くなっているのにのがすごい!
河南料理も満喫していたのでこの日は中国で初めてイタリアレストランで食事をしました。
味も良かったのでビールをおいしく飲めました。
地方都市では数年前以前は考えられない。
あのころは中華料理以外ではケンタッキーフライドチキン店を探すのが精一杯!
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泊まったホテルは前記事の「中国の地方都市でのイタリアン」で紹介したHotel Sofitel Zhengzhou(ソフィテル)です。中国名は索菲特鄭州国際飯店です。
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タグ:ホテル 鄭州

中国の地方都市でのイタリアン [河南省]


場所は中国河南省の鄭州です。
地方都市でも、ホテルの中でスパゲッティーなどの洋食は食べれれるし、ファーストフード店ではピザが食べれますが、本格的なイタリアン専門のレストランは、この町ではたぶんここ一軒だけです。人口は約752万人の大きな町ですが地方では中華料理以外の普及はまだまだです。したがってイタリアンレストランは簡単には見つからないのでこのときは驚きでした。
このイタリアンレストランは高級ホテルの中にありました。お客さんもほとんどが欧米人でした。
上海や北京では洋食の専門店は沢山ありますが地方に行ったとたん、ほとんどのレストランが中華料理です。今回は非常に稀のケースなのです。

このビールはたいしたものでした。こんなビールもなかなか飲めないです。何杯も飲んでしまいました。


前菜としてサラダを注文しました。


生ハムもあります。 やはり本格的です。 中国の地方都市に行った人ならこれらの写真を見ると驚きだと思います。もちろん味は前記事のパッキア(Pacchia)の足元にもおよびませんがかなりのレベルです。


さらに追加で牡蠣と烏賊のフリッターです。完全に追加追加のビールのつまみ状態でした。


最後にスパゲッティーも味わってみました。ちゃんとボンゴレビアンコ(あさりのパスタ)がありました。


イタリアンレストランがあったホテルはHotel Sofitel Zhengzhouでした。中国名は索菲特鄭州国際飯店です。Sofitel(ソフィテル)は、フランスに拠点を置く高級ホテル・チェーンで、1964年に創設され、1974年にフランスのストラスブールに最初のホテルを開業しました。1997年にアコーホテルズ・グループになり、世界各国に192のホテルを展開しているそうです。
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鄭州のある河南省の場所を紹介します。黒い点(・)が鄭州の場所です。河南省の人口は9869万人と、中国で一番人口の多い省で、人口密度は591人/km² (6位)です。世界遺産は次の4つあり、私は龍門石窟と殷墟に行きました。
  洛陽の龍門石窟
  安陽の殷墟  登封の史跡群(少林寺を含む)
  シルクロードの一部
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洛陽 龍門石窟 [河南省]

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鄭州に昼ごろ着きました。着いたのが日曜日の昼ごろで時間があったので、日帰りで洛陽(らくよう)に行ってみることにしました。泊まった Hotel Sofitel の前でタクシーを止めて交渉した結果、高速道路代、駐車料金をすべて込みで400元(7880円)で契約成立です。高いように思われがちですが110元の高速代や320kmのガソリン代(150元)等を引くと手元に残るのは130元くらいですから夜の7時まで6時間も付き合ってもらったことを考えると安いかな。この写真は一番大きい奉先寺洞の廬舎那大仏像(るしゃな・だいぶつ)です。昔は建物で覆われていたそうです。川の対岸から撮りました。
川から見て西側の石窟なので我々が着いた午後3時過ぎでは、逆光の上に石窟が影でかなり暗くなってしまいました。これは、下の写真を撮った200m離れた位置からのズーム写真で、且つ暗くなりかけた時間帯の写真なので解像度はこれが精一杯です。朝ならば日が当たり解像度のあるきれいな写真が撮影出来ると思います。ここに行くときは朝をお薦めします。

龍門石窟(りゅうもんせっくつ)は中国の中で山西省大同にある雲崗石窟(うんこうせっくつ)と並び称される石窟で、河南省洛陽市の南方13キロにある伊河の両岸にある石窟寺院で「龍門石窟」の名で世界遺産(文化遺産)に登録されていjます。龍門石窟、雲崗石窟に敦煌石窟を加えたのが中国三大石窟で、いずれも世界遺産となっています。
洛陽は紀元前770年に周の都が置かれて以来、北魏、隋、唐など9王朝の都が置かれたそうです。そして龍門石窟が造られ始めたのは西暦494年と言われており、絶頂期の石窟が675年に完成した後も作られ続けたそうです。ここは1500年前の古代先人が築いた素晴らしい仏教芸術の場所でした。
下の写真は奉先寺洞の廬舎那大仏を中心に川の対岸から撮ったものです。川の名前は伊川(伊河)で、その両岸に石窟があります。写真を撮っている側に東山石窟があります。迫力がある写真を沢山掲載しているのが西山石窟です。
この写真は是非クリックしてほしいですね。大部分が写っています。
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廬舎那大仏像を近くから撮った写真です。龍門石窟はやはり世界遺産の雲崗石窟(460年-494年)より後に作られました。龍門石窟の特徴は、その硬さ、すなわち雲岡石窟の粗い砂岩質と比較して、緻密な橄欖岩質であることから北魏においては雲岡のような巨大な石窟を開削することが技術的にできなかったそうです。
絶頂期の上元2年(675年)に完成した石窟がこの奉先寺洞で、龍門最大の石窟です。
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奉先寺洞の本尊が、この廬舎那大仏です。高さ17.14mで、ふくよかな顔つきで、眉と目が細く、口の端がそり上り、すずしげな微笑をして、あたたかく、やさしく、叡智を秘めた表情です。かつては全身に金箔が貼られていて、燦然と光り輝いてたと言われています。
その顔は当時既に実権を掌握していた中国史上唯一の女帝となった武則天の容貌を写し取ったものと言う伝説があリましたが、文献に書かれている寄進などの時期と合わないため今では否定されています。
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廬舎那大仏像前の広場の風景です。岩山の山腹に幅33.5m、奥行38.7m、高さ40mという空間を切り開き、高さ17.14mの盧舎那仏を中心として、三方の壁に、迦葉・阿難の二大弟子、二菩薩、二天王、二力士の合わせて9尊の大像を彫り出しています。この大きな空間が当時は建物に覆われていました。


近くからの写真です。奈良の東大寺の大仏は遣唐使達がこの仏像を模写して造営されたと言われています。東大寺盧舎那仏像が完成したのは、奉先寺の大仏完成(675年)から77年後の752年ことでした。仁王像らしいものもあります。
廬舎那大仏の両側に謹厳荘厳な迦葉、温順敬虔な阿難、端正矜持の菩薩、蹙眉怒目の天王、威武剛健な力士などの弟子わ配しいずれも円熟した彫りで、唐代彫刻の代表作です。


龍門石窟は494年から唐代にかけ約400年にわたって造営された仏教遺跡で、石窟群は古い順に古陽洞 賓陽洞 蓮華洞 薬方洞 敬善寺洞 恵簡洞 万仏洞 奉先寺洞 浄土洞 看経寺洞があります。石窟や石がんは2100以上あり、大小約10万体の仏像が安置されていました。奉先寺洞の廬舎那大仏も魅力的ですが、沢山の石窟、石がん、仏像があるのも龍門石窟の魅力です。そのうち約3割が北魏、約7割が唐時代に造営されたものだそうです。下記の写真は薬方洞の一部部分です。
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これが全体のパノラマです。この右側(北側)にも少しあります。3枚の写真をつないでみました。クリックして拡大すると、つなぎ目は判ってしまいます。
パノラマ写真の中の① ② ③あたりの写真を下に掲載しています。
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小さな石窟が無数に集まっています。この写真はパノラマ写真のあたりので蓮華洞および万仏洞の近くです。


ここにはパノラマ写真のあたりので仏像が残っていますが、なくなってしまったものも多いです。それは文化大革命時の仏教否定によって破壊されたものですが、文化財を大切にする気持ちを持っている人によってまもられた仏像のおかげで廬舎那大仏像やこの仏像のように今も見ることが出来るのです。


そしてここがのあたりで龍門石窟のもっとも南に位置するところです。ここにも仏像がいくつか見れます。
すごい数の石窟群であることが感じてもらえたでしょうか?


これがパノラマ写真に写っていない北側にあった石窟群です。下の地図のです。中心にある大きな三つ石窟が賓陽洞で、中に仏像がありました。この石窟は龍門石窟の中でも最初期の古陽洞の次に作られた賓陽洞です。三つ石窟は左から賓陽南洞、賓陽中洞、賓陽北洞です。景明2年(500年)に、宣武帝が勅願し、写真のものよりも、もっと巨大な三窟を造営しようとししましたが果たせずに規模を縮小して24年を費やし、延べ80万2366人を動員して、賓陽中洞が完成したそうです。その後、唐代に賓陽南洞と賓陽北洞が完成しました。
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賓陽洞を近くから見た写真です。二つの入口は賓陽中洞と賓陽北洞です。
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上の北側の三つの石窟の中にあった仏像の2体を紹介いたします。壁や天井には装飾された痕跡が残されており造られた当時の極彩色の絵を、うかがわせてくれました。三つ石窟は賓陽南洞、賓陽中洞、賓陽北洞で左の写真が賓陽中洞のお釈迦さまで、右の写真が賓陽南洞の阿弥陀さまです。賓陽北洞も阿弥陀さまだそうです。いずれも北魏の時代に彫られたとのことです。
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クリックすると拡大2枚上の写真の大きな三つの石窟の右側のお寺が潜渓寺です。場所は下の地図のです。唐代の開窄で洞内を泉水が流れているので潜渓寺と言うそうです。写真の主佛の阿彌陀佛は須弥壇に端坐し、バランスが良い豊満な顔つきで、英知と慈悲に溢れる表情をしていると書かれていました。写真をクリックすると中の石仏を拡大します。
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この地図の左上の部分が廬舎那大仏像で右の方が北側にあった大きな三つ石窟があった石窟群です。


対岸にも石窟とお寺があります。お寺は香山寺です。
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対岸の石窟です。上の写真のお寺の下の石窟群を近くから撮りました。
奥にも石窟がありますが遅くなり時間がなかったので東山石窟の方には入りませんでした。


航空写真も紹介しておきます。
下の写真で伊川(伊河)に架かる2つの橋の間の両岸に沢山の石窟があります。
右の写真は龍門石窟で最大の大仏である廬舎那大仏像がある奉先寺洞の広場です。この広場の部分に建物が建てられていたと思われます。この大きさから見て東大寺の大仏殿のような雰囲気があったのではないでしょうか。

よく映画に出てくる少林寺も近い場所にあります。黄河も近くを流れています。古都の開封も近いです。ここは河南省です。

上海で一番モダンな日本食店 KOTA'S KITCHEN [上海]

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一か月前ですが2015年5月27日から6月5日まで中国に行っていました。帰国の前日に上海の親しい人たちに、今、上海の日本食店でも最も人気と言われているお店に連れてきてもらい、6時20分から9時35分まで計4人での楽しい食事をいただきました。6月は初孫が生まれたことや家の犬が脾臓の摘出手術を受けたことで1ケ月後の報告となりました。今回のお店は日本の有名な芸能人が食事に来たということで話題になっていました。中国の有名人もよく来るお店だそうです。上の写真は看板メニューのフォアグラ大根です。

こちらが店内の写真です。この時間帯は空いていましたが帰るころには満席となっていました。私は上海のお店をすべて知っているわけでは無いけれども、経験から上海で一番モダンな日本食店だと感じたことから、今回の記事のタイトルを「上海で一番モダンな日本食店」とさせてもらいました。「モダン」のところを「お洒落」にしようかと思いましたが、「お洒落」に関して、それぞれの感性で違うので「一番お洒落」と言い切れないことから、「モダン」とさせていただきました。お店のコンセプトは「博多串焼き」と「ビートルズ」だそうで、店内の音楽、映像、ポスターは、すべてビートルズでした。
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上海の日本食店は、純和風のお店がほとんどでしたが、こんなモダンな日本食店が出来たのに驚きました。お店にはバーもあり、待たされている間に飲むことが出来ます。見た目は洋風ですが、間違いなく日本の料理です。ただし、刺身とにぎり寿司はありません。巻寿司は4品ありました。お店の雰囲気もモダンですが、実はモダンな日本食が有名なのです。
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こちらが「お通し」です。野菜のステックです。日本でもモダンなお店として通用します。野菜はラディッシュとキュウリとニンジンとダイコンです。器の底のドレッシングをつけて食べます。
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調味料の器もお揃いでした。
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ここは美味しいビールがそろっていました。外国のビールが主体でした。メニューは日本語、中国語、英語の順に書かれています。それも日本語が一番大きく書かれています。写真も沢山乗っていました。
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ビールが4つそろいました。4人とも別のビールを頼みました。
私はアサヒの生ビール580mlにいたしました。そのほかの人はブルワーズ白生ビールとカシスビールとアサヒ生ビール300mlです。


最初に料理が出てきましたが、テーブルの横でバーナーを使って焼いて仕上げてくれました。
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焼きしめ鯖です。ネーミングは「究極炙りシメサバ」です。ここから、出された順番に料理を紹介します。
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焼きしめ鯖を拡大いたしました。
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ドームを割ってくれているのはサラダです。名前は「ドームなほうれん草サラダ」です。
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パリパリの割れたドームと野菜の食感が良かったです。
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銀杏も頼みました。器が雰囲気を出してくれます。メニューでの名前は「銀杏塩炙り」です。
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こちらのお店は焼き鳥などの串焼きが充実していたので1本づつ頼みました。これは牛タンです。
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こちらは豚肉のアスパラ巻です。
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こちらもお店の看板メニューではないかと思います。ずばり、フォアグラ大根です。店員さんに頼むと目の前で4つに切ってくれます。うれしいサービスです。
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切る前のフォアグラ大根の拡大写真です。白髪ネギの上に乗っている赤い糸のようなものはサフランのようです。こちらが記事の冒頭の写真です。
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ソーセージも頼みました。多少は洋風の物もありました。ただし串焼きの中の一つでした。
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こちらは「玉とろっコロッケ」です。英語ではHot Spring Egg Croquetteでした。
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コロッケを割った写真です。
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オーソドックスに、だし巻き玉子も頼みました。ふわふわで、これを食べると日本食を食べている気分にさせてくれました。
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こちらは鶏の唐揚げです。名前は「若鶏ばか旨揚げ」です。
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こちらはロールキャベツだと思います。こちらも定員さんに頼むと4つに切ってくれました。この料理と、後で出てくる包焼きだけはメニューの中になかったので正式名称は判りません。
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切る前の丸いロールキャベツを拡大しました。挽き肉だけでなくいろんな具が入っていました。
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沢山頼んだ串焼きの中の一本です。鶏のモモだと思います。
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こちらは焼きナスです。名前は「茄子豪快一本焼き」です。確かに豪快でした。
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こちらはチーズの串焼きで、名前は「ゴルゴンゾーラ串」で香味野菜と一緒に包焼きになっていました。ゴルゴンゾーラチーズ以外にカマンベールチーズとモッツァレラチーズの串焼きもありました。
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串焼き2品です。左が豚バラ肉で、右がウズラ玉子の豚肉巻です。
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アルミホイルの野菜と肉の包焼きも頼みました。
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〆はご飯物を頼みました。
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だし鯛茶漬けです。ダシが効いて美味しかったです。
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デザートは焼きマシュマロ添えのアイスクリームでした。
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お店の入口です。入口からモダンで洒落ています。お店を紹介いたします。
  店名 KOTA'S KITCHEN
  住所 中国上海市徐匯区宝慶路10号1F
  電話 021-6404-2899
  営業 18:00~25:00 (L.O. 24:30)
  定休 なし
  店主 KOTA TSUBUKI  日本人 オーナーシェフ
  創業 2008年
  会社 http://www.kotaskitchen.cn/company.html
  動画 XNzI2Mzk2NzA4  読み込みに時間がかかります。
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入口の看板に店主のKOTAさんの写真があったので紹介します。看板に「KOTA owner / chef」と書かれていたのでオーナーシェフであることが判りました。中国でKOTA'S KITCHENを4店舗を展開していました。また日本ではBLUE BOOKS cafe というお店を展開していました。
 上海 复兴路店  今回紹介 本店
 上海 南京路店  上海市南京西路688号L102
 厦門 轮渡店    厦门市思明区鹭江道18号
 厦門 磐基店    厦门市思明区嘉禾路199号
 東京 自由が丘店 東京都目黒区自由が丘2-9-15 BLUE BOOKS cafe
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上海でいくつかの賞にも選ばれ、報道もされたようです。
 CNN Shanghai's Best Eats Winner 2010
 CITY WEEKEND Shanghai's Best Ramen
 Media Coverage featured on SIX CHANNEL and Smart Shanghai


メニューの料理を紹介します。 1元=19.7円で日本価格を計算しています。
アペタイザー、アラカルト 18~88元(355~1734円)
枝豆、氷水冷奴、氷山トマト、沢庵納豆、キムチの王様、銀杏塩炙り、アボガド刺身、珍味種盛り、だし巻き玉子、炎の蛤酒蒸し、焼き餃子、明太子の玉子焼き、蛤のクリームビール蒸し、究極炙りシメサバ、アボガドと魚介のタルタル、フォアグラ大根、炙り豚角煮
サラダ 38~48元(749~946円)
アンチョビポテトサラダ、ドームなほうれん草サラダ、豆腐とアボガドサラダ、山芋と納豆のトロトロサラダ
串焼き 鶏、豚、牛 13~58元(256~1143円)
かわ、鶏もも、ねぎ間、ささみ涙、ささみ梅しそ、肝レバー、タンドリーチキン、つくね 温泉卵添え、手羽中、手羽明太、フォアグラパイン
豚バラ、豚トロ、豚キムチ、豚生姜焼き、骨付きウインナー3本
牛タン、ハンバーグ、カルビ、すき焼き串、ハラミ
串焼き 豚肉巻、その他 17~38元(335~749円)
アスパラガス、激熟トマト串、れんこん明太、うずらの卵、しそ巻き、山芋、えのき巻き、ラムチョップ、ラムもも、モッツァレラ串、カマンベール串、ゴルゴンゾーラ串、しいたけ、エリンギ、とうもろこし、じやがバターベーコン、茄子豪快一本焼き、アボガド
シーフード焼物 32~128元(630~2522円)
本ししゃも、イワシ明太、エイヒレ、焼き明太子、さんまの網焼き、海老串、サーモン串、白マグロ串、フランス牡蠣の漁師焼き、鰤の照り焼き、キノコとサーモンのホイル焼き、鯵の一夜干し、銀鱈の西京焼き
揚げ物 24~58元(473~1143円)
串揚げ盛り合わせ 8本(258元/5083円)、ささみ串揚げ、豚バラ串揚げ、豚トロ串揚げ、カルビ串揚げ、海老しそ串揚げ、サーモン串揚げ、白マグロ串揚げ、しいたけ串揚げ、アスパラガス串揚げ、アボガド串揚げ、モッツァレラ串揚げ、カマンベール串揚げ、豆腐と海老のふわっと揚げ、スパイシーポテトフライ、若鶏ばか旨揚げ、玉とろっコロッケ、バッファローチキンウイング
鉄板焼き 42~88元(827~1734円)
豆腐ステーキ、レバニラ玉炒め、和牛サイコロステーキ、ホタテのクリームソテー
鍋 148~248元(2916~4886円)
キノコ鍋、横綱ちやんこ鍋
巻寿司 128~188元(2522~3704円)
牛たたき、サーモン、スパイシーツナ、コンビネーション
ごはん物・麺類 28~68元(552~1340円)
だし鯛茶漬け、焼きおにぎり、石焼焼き飯、釜炊き五目ごはん、とろろご飯、石焼味噌ラーメン、ソーキうどん、焼きうどん、横浜家系豚骨ラーメン
デザート 38~48元(749~946円)
各種アイスクリーム 焼きマシャマロ添え、フレンチトースト
メニューの料理のページを紹介します。クリックするとページ全体を表示します。
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タグ:上海 日本食