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笹の輪くぐり [日光]

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今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
世界遺産に登録された日光の社寺の一つである二荒山神社の門をくぐったところに大きな輪が置かれていました。

説明書きには「笹の輪くぐり」とありました。そこには「正面に向かってくぐり左に回り、次にくぐって右に回り、次に正面真中をくぐる」と書かれていました。
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願いごとが書かれた紙が沢山結ばれていました。これは「結び札」と言うそうです。「古より当社境内にある縁結の笹に因みあらゆる良縁を願う」とありました。写真をクリックして出てきた拡大写真の右端に「笹の輪くぐり」のくぐり方が書かれています。
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二荒山神社の本殿や拝殿です。☆けめさんのコメントのおかげで「笹の輪くぐり」の由来がわかった気がします。
二荒山神社の「笹の輪くぐり」はどうやら全国で沢山残っている神事「茅の輪くぐり(ちのわくぐり)」に由来しそうです。二荒山神社にはもともと『縁結び笹』があり、これに願いを込めると男女の縁はもとより、あらゆる良い縁に恵まれると言われていることに因んで2004年に『笹の輪』をつくったそうです。新しい風習ですが、茅(かや)を使った「茅の輪くぐり」とは、また違う雰囲気がありました。
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東照宮側(東)参道に建つ楼門の額には「正一位勲一等 日光大権現」と書かれています。二荒山神社の本殿が遠くに見えます。
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タグ:神社 日光 大祓

清荒神清澄寺 [宝塚]



清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)が正式名ですが一般的には清荒神と呼んでいます。兵庫県宝塚市にある清荒神の滝である龍王滝を紹介した機会に清荒神自体を紹介いたします。清荒神清澄寺は今から1118年前の寛平8年(896年)に創建された真言三宝宗のお寺です。本堂が降りてこられたお坊さんです。

正面の建物が本堂で、安政年間に旧清(もときよし)の寺域より移築上棟された建物でしたが、当山開創千百年記念事業として、平成元年より5年の歳月を掛けた平成の大改修により、面目が一新されたそうです。正面には本尊大日如来、向かって左に不動明王、右に弘法大師が祀られています。
大きな立像は一願地蔵尊で頭上にまで水を掛けて一つの願いを念ずれば、ご利益があると言われています。 明治24年に信者の方々の寄進により建立されたそうです。右の方の建物は案内図によれは百錬堂と呼ばれるところで渡り廊下で本堂とつながっています。富岡鉄斎と清荒神は関係が深く鉄斎美術館が境内にあるほどですが鉄斎の一時期の名前が百錬とのことなので関係があるのかもしれません。


拝殿(天堂)の方に上がっていく階段です。


本堂と違いこちらは雰囲気的には神社に近いです。


これが拝殿で三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られているそうです。


拝殿の奥にあるのが護法堂です。


拝殿横の沢山の火箸が奉納されています。三宝荒神は火の神であり古来より厄年には厄除を願って、荒神さんの火箸を家庭でまつり、厄年が開けたら御礼に新しい火箸をここに納めるそうです。


護法堂の横の練掘に、このような一角がありました。折鶴と紙が吊るされています。


吊り下げられていた紙がこれです。結構な枚数のものですが、この中で判るのは「家内安全」「大願成就」だけでした。これがどういうものか調べていますが、まだわかりません。日付から今年の4月1日に下げられたものでした。
ゆんさんのコメントでこれが写経であることを知りました。清荒神のホームページにも「参詣の方々の願いを込めた絵馬・写経・千羽鶴等が奉納されています。絵馬を奉納する習わしは、本来は神社に神馬を奉納したことから始まり、やがて馬の代わりに鞍となり、次第に願い事を書いた小さな木の札になりました。」とありました。


拝殿のある広場には、このような洞穴の観音さんがありました。名前は神変大菩薩(役小角)と書かれていました。


この通路を登っていくと龍王滝があります。鉄斎美術館も、この奥にあります。


途中に仏足石(左)と辰馬悦叟君徳碑(右)があります。辰馬悦叟君徳碑は鉄斎が書いたものだそうです。


これが鉄斎美術館の聖光殿です。荒神清澄寺所蔵の鉄斎作品は絵画、書をはじめ、鉄斎が絵付を施した器物、或いは手造りの陶器などで1200点を超えるそうです。


清荒神は鉄斎以外の芸術にも力を入れており、このような史料館あり、このときも芸術品の展示が行われていました。


これが境内の案内図です。兵庫県警の予想によると、清荒神清澄寺の2015年正月(1~3日)の初詣の人数は36万人で宝塚市でトップです。兵庫県では5位と予想されています。ちなみに宝塚市の2位は中山寺で、兵庫県の1位は生田神社です。数値はあくまでも予想人数です。
  1位  150万人 神戸市 生田神社
  2位  90万人 神戸市 湊川神社
  3位  72万人 神戸市 長田神社
  4位  37万人 西宮市 西宮神社
  5位  36万人 宝塚市 清荒神清澄寺
  6位  34万人 姫路市 播磨国総社
  7位  20万人 宝塚市 中山寺
  8位  19万人 西宮市 広田神社
  9位  14万人 淡路市 伊弉諾神宮
 10位  13万人 赤穂市 大石神社


境内には樹齢が約500年と推定される2本の大銀杏があり、沢山の実が膨らんできていました。秋には沢山の銀杏が落ちてくるものだと思います。宝塚市の天然記念物に指定されているそうです。


この山門の内側が境内です。


山門の向かって左手前に「大界外相(たいかいげそう)」と刻まれた石碑が立ち、ここからは聖域であるという意味を表しているそうです。右手前には宇多天皇より賜った称号「日本第一清三寳大荒神王」の石標がありました。ここまでが参道で、この奥が聖域の境内という雰囲気がありました。


うれしいことにワンちゃんも境内に一緒に入れます。


こちらかすでに紹介した龍王滝です。

ヴェルサイユ宮殿 / ベルサイユ宮殿 [ヴェルサイユ宮殿]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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日本語でベルサイユ宮殿とヴェルサイユ宮殿のどちらが正しいのかとYahooで検索すると、ほぼ同数なので両方を使わしてもらいます。
前日にモロッコのカサブランカからリヨンを経由してパリに入りました。この日は日本に帰国する日でしたが午後便であったことから午前中にパリを見学したいと思っていました。何度かパリに来ているけれどベルサイユ宮殿はパリから離れていることもあり、まだ訪れたことはなかったために、思い切って行くことにしました。

ルーブル美術館近くのホテルを出発したあと、ベルサイユ宮殿に行くまでも含めて順に追って報告いたします。


ホテルの近くの地下鉄の駅に行ってベルサイユ宮殿い行きたいと乗り換え方とキップの買い方を駅員の人に尋ねました。一緒にいた人が学生時代にフランス語を専攻していたので、何とかこちらの意図は伝えることが出来ましたが聞き取りが難しいので乗り換え方を紙に書いてもらいました。親切なことに外に出てきてもらい一日券を自動販売機で買ってくれました。これは助かりました。9.6ユーロで地下鉄と郊外電車が一日乗り放題なのです。ベルサイユ宮殿までの往復の切符より、かなり安く行けました。
地下鉄を2本乗り継いで、更にベルサイユ宮殿行きの郊外電車に乗るので事前に調べていないと難しいと思います。
この写真はパリの街からベルサイユ宮殿のある駅に向かう郊外列車の窓からの景色です。


電車からの住宅街の景色です。セーヌ川に沿って走る部分もありました。


駅は終点なので電車を間違わなければ確実に行けます。地下鉄から郊外電車に乗り換えるときに行き先がいろいろ表示されていたので、ホームで女性の人に乗る電車を尋ねると丁寧に教えてくれました。その人は我々が間違いなく乗るまで見届けてくれました。お陰でベルサイユ宮殿への終点の駅に無事に着きました。


これは駅の看板です。
駅の名前はVERSAILLES RIVE GAUCHE(ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ)です。下にヴェルサイユ宮殿(CHATEAU DE VERSAILLES)と書かれています。これを見ると着いた気になりました。


駅から道路に出たところです。大きな建物の向こう側を左に曲がるとベルサイユ宮殿に真っ直ぐに向かうメープル並木の2枚下の写真の道に出ます。


これはベルサイユ宮殿ではありません。駅前通りに立派な建物もあったので撮りました。


この道が真っ直ぐにベルサイユ宮殿に向かっています。メープル(カエデ)がきれいな季節でした。
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カエデの並木道を過ぎるとベルサイユ宮殿が見えてきました。しかし残念ながらベルサイユ宮殿は霧に霞んでいました。非常に大きな建物群なので全体を見て初めて実感出来ると思うと晴れた日にもう一度来てみたいような気がします。でも、ここに来れただけでも幸せなので満足です。


もう少し歩くと最初の門が見えてきました。やはり霧で霞んでいます。


これが最初の門です。次の金色の門が遠くに見えます。クリックすると反対側からの写真です。


最初の門と2番目の門との間の建物です。向かって右側の建物です。もちろん、これもベルサイユ宮殿の一部です。
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2番目の門の前では沢山の人が記念撮影をされていました。


門の上の飾りを拡大しました。ここまでがチケットなしで自由に入れる部分です。向かって左の建てもの中でチケットを売っていますが、すごい人でした。買うのにかなり時間がかかりました。チケットの種類いろいろありました。私の前に並んでいたフランス人が買ったのと同じチケットにしました。おそらく、すべての場所に入ることが出来るチケットだと思います。
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入場券を買って中に入って正面の建物です。艶やかな建物です。
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すこし宮殿の中を紹介いたします。豪華なシャンデリアが沢山並んでいます。
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中は沢山の人たちでいっぱいでした。沢山の部屋に分かれている部分です。
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こちらも豪華な絵に装飾品で飾られています。どの部屋も特徴のある飾りが施されていました。


絵画が数多く飾られていました。まるで美術館のようでした。
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部屋の壁紙も我々の家のものとは大違いです。
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絵画だけでなく、いたるところに彫刻が置かれていました。特に廊下は数mおきに飾られていました。
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建物から庭に出ました。建物は非常に大きくて残念ながら全体を収めることが出来ません。次の空からの写真の左下の方から建物の中央を撮ったものです。
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ベルサイユ宮殿の中央の建物の航空写真をネットから拝借しました。


庭からの正面の写真です。上の航空写真の左上から撮ったものです。冒頭写真の彫刻と一緒に撮った部分でもあります。


建物の上には沢山の彫刻が飾られていました。


これも敷地内の建物です。宮殿とは少し雰囲気の違う建物も並んでいました。
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右側と左側の雰囲気が違うのがおわかりですか。
左側が中央部分と同じように彫刻で飾られています。
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ベルサイユ宮殿は建物もすばらしいし内部も豪華絢爛ですが、最も驚かされたのが広大な敷地の沢山の庭園でした。ここからいくつかの庭を紹介いたします。


中央の広場から南南西に広がる庭園です。この写真を含めて下の3枚を見て初めて全体がわかるほどの広さです。
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これが南南西に広がる庭園の中央部分です。
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同じ庭園を横方から見ました。
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庭園と庭園の間にある小道です。紅葉がきれいです。
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これがベルサイユ宮殿で最大の庭園です。西北西方向に広大な敷地に広がる庭園でベルサイユ宮殿に来られたら是非見てほしい場所です。参考のために東京ドームの面積を記載しましたが、その東京ドームの2000倍の敷地です。想像出来ないほどの広さには驚かされました。


この場所では盛んに記念撮影をされていました。憧れの場所と言えるかもしれないですね。こちらの3人の女性の方は中国の人でした。
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庭園に下りてベルサイユ宮殿を撮りました。遠くまで離れて撮りたかったけれど帰国の飛行機の時間も迫ってきたので、この程度で離れさせていただきます。
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ネットでヴェルサイユ宮殿を調べてみました。
ヴェルサイユ宮殿(フランス語:Château de Versailles) は、1682年、フランス王ルイ14世(1638年 - 1715年 在位1643年 - 1715年)が建てたフランスの宮殿。ベルサイユ宮殿とも表記される。 パリの南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。主な部分の設計はマンサールとル・ブランによっておこなわれ、庭園はアンドレ・ル・ノートルによって造営された。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。
 面積      核心地域 10,700,000㎡ 緩衝地域 94,670,000㎡
 世界遺産名 ヴェルサイユの宮殿と庭園
 建設の沿革
  1624年       ルイ13世の狩猟の館として建てられる
  1661年-1665年 ルイ14世が建築家ル・ヴォーを招き、増築
  1667年-1670年 ル・ノートルによる造園
  1675年-1682年 セーヌ川にダムを築き噴水工事
  1668年-       ル・ヴォーによる第二次の増築
  1699年-1710年 礼拝堂建設
  1753年-1770年 オペラ劇場建設
参考 東京ドーム
 建築面積   46,755㎡
 グランド面積 13,000㎡

砂漠の土産物屋さんのお祈りの時間 [エジプト]



クリックすると拡大エジプトのギザの三大ピラミッドのお土産屋さんです。午後の1時30分ごろです。突然、砂漠の中のお土産屋さんの人たちがお祈りを始めました。エジプトはイスラム教の人が90%と多い国なのです。憲法では国教に指定されていますが、現在では宗教政党の活動ならびにイスラム主義活動は禁止されているそうです。その他の宗教は、エジプト土着のキリスト教会であるコプト教会の信徒が9%、その他のキリスト教徒が1%です。
エジプトは紀元前3000年には、すでに高度な文明をもった中央集権国家を形成していました。しかし約3000年の古代エジプトの諸王朝の盛衰を繰り返した後は、外から征服される歴史でもありました。紀元前525年にアケメネス朝ペルシアに支配され、紀元前332年にはアレクサンドロス大王に征服され、紀元前30年にはローマ帝国の属州となり、639年にイスラム帝国に征服されました。それによってイスラム教が広まったのだと思います。その後も1517年にはオスマン帝国の属州となるなどの歴史が続きました。

上のように立った状態と、ひざまづく状態を何度か繰り返していました。お祈りしている方向は東のほうでした。確かにここからはメッカは東です。よく見ると木の枝と綱で囲まれたエリアと単に敷物をしているエリアがあります。これはどうしてかな?


普通より遅い時間のお祈りです。全員が、お店からいなくなるのはまずいので、お土産屋さんの人たちは、少し残っていました。交代でお祈りしてるのでしょう。
ネットでお祈りの時間を調べると、基本的には早朝5:00(日の出前)ごろ、昼の1:00(日中)ごろ、夜の8:30(日没後)ごろの3回だそうです。

モスクワ川からの赤の広場へ [ロシア]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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モスクワの赤の広場の南側にはゆっくりとモスクワ川が流れています。朝の赤の広場の散策の時はそのモスクワ川に架かる橋を渡りました。その橋の上からのモスクワ側の景色です。川の右側に広がっているがクレムリンでクレムリン大会宮殿、大統領府、大統領官邸、大砲の皇帝、鐘の皇帝、ウスペンスキー聖堂、グラノヴィータヤ宮殿、ブラゴヴェシェンスキー聖堂、イヴァン大帝の鐘楼、アルハンゲリスキー聖堂、テレムノイ宮殿付属教会、祭服教会、武器庫、大クレムリン宮殿などがあります。

モスクワ川を越えたところから赤の広場に戻ってくる景色を何枚か紹介いたします。この写真から徐々に近づいていていきます。正面に見えている教会は聖ワシリイ大聖堂です。


橋の上には2箇所ほど展望できるように出っ張った部分があります。そこからの景色です。
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同じ場所から倍率を上げて撮った写真です。聖ワシリイ大聖堂や国立百貨店グムなどの建物が良く見えます。


橋は一旦下がっていきます。


橋を渡りきったところから赤の広場を望んだ景色です。すばらしく広い石畳に驚かされました。これで赤の広場シリーズの報告を終了いたします。
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久々に美味しいシーフード料理に出会えました。 [ベトナム]



今までベトナムのホーチミンハノイの高級なシーフード料理をいくつか紹介しました。
今回は安くて美味しいシーフード料理に出会えました。ベトナムは海岸線が長い国なので本来シーフード料理が美味しい国なのです。
上は写真は二枚貝のスープです。水管長い種類の新鮮な貝の身が沢山入った美味しいスープでした。貝のダシだけのシンプルなスープでした。また食べたい料理の一つになりました。

変った形の二枚貝の身でした。この身がぎっしりと入っていました。スープも貝の濃いだしが出ていてすばらしかったです。これだけ濃い貝のスープは初めての経験でした。


場所はベトナムのハノイから国道一号線を約160km南に走った町のレストランでした。町の名前は以前にベトナム戦争で有名になった鉄橋の町として紹介したタンホアです。

これはシンプルにイカを茹でたものですが、新鮮なためかこれも美味しい料理でした。料理と呼ぶのは正確な表現ではないくらいシンプルな料理でした。これをベトナム独特のタレや塩やコショウやライムをつけて食べるのです。
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これがイカを食べる独特のタレです。


やっぱりビールを飲みたくなります。


キュウリのサラダです。ベトナム流の食べ方が新鮮でした。


牡蠣の入った玉子焼きでするこれも美味しかったです。


この不思議な香辛料に付けて食べました。コショウと塩とキナコを混ぜたようなベトナム独特の味わいのものでした。もちろん他のタレに付けても美味しいです。


冬瓜のスープだと思います。シンプルな味わいがベトナムの特徴です。


これがメインデッシュの魚です。生簀で泳いでいた魚を唐揚げにしたものです。


上と同じ写真ですが魚の部分を拡大しました。


ハサミで食べやすく切ってくれました。いろんなタレに付けて食べます。シンプルにライムと塩とコショウを混ぜたもので食べるのも美味しいです。


ハゼのような魚の唐揚げも出てきました。


最後は締めでゴハンとスープが出てきます。ごはんにスープをかけて食べるのが標準的ですが、スープにごはんを少し入れて食べても美味しいです。
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デザートはザボンでした。剥いて出てくるのがいいですね。すっきりとした味わいが良かったです。


この生簀の中の新鮮な食材を料理してくれました。


お店の入口です。お店の名前はda lanでしょうか。
飯店の漢字が書かれているのも印象的でした。


地図の住所からレストランを探し、お店全体の写真をネットから転用させていただきました。
 店名 Công Ty Cổ Phần Dạ Lan ( Restaurant Dalan )
 住所 01 Phan Chu Trinh, tp. Thanh Hoá, Thanh Hoá
 電話 037-385-2004
 URL http://thanhhoaonline.net/threads/nha-hang-da-lan.4331/

モスクワでビーフストロガノフを食べました。 [ロシア]



ロシアに行ったことはすでに紹介していましたが、モスクワで食べたビーフストロガノフ(Beef Stroganoff / бефстроганов)を紹介し忘れていたので記事を掲載いたします。実はロシアに入って数日が経過していたのですか、日本から到着した日しかホテルに泊まっていなかったのです。実はモスクワから列車で12時間のスタールイ・オルコスという町まで往復共に寝台特急で行っていたのです。その強行スケジュールのおかげて夜行でモスクワに帰ってきて仮眠が目的で赤の広場の近くのホテルに半泊(午前中)しました。この日の午後のフライトで日本に帰るためにホテルで昼食を食べることにいたしました。ここはホテルのレストランです。

先ずはボルシチ系のスープを頼みました。
必ずスープを頼むのがロシア流の食事でした。
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そしてメインで頼んだのがビーフストロガノフでした。高級レストランで本場のビーフストロガノフを食べてみたかったことが実現できました。上のスープもビーフストロガノフもクリックすると拡大するので是非とも拡大写真を見てください。高級レストランとは思えないタイプのお皿との印象でした。合理的と言えば合理的でした。いろんなピクルスとジャガイモも美味しかったです。よく考えてみると、これらを別のお皿で出すのも不自然な気がしました。やっぱり、本場のビーフストロガノフは美味しかったです。ビーフストロガノフは16世紀初頭にウラル地方で成功した貴族ストロガノフ家の家伝の一品であったとさていますが、考案者と生まれた時代については諸説存在するそうです。
サンクトペテルブルグで食べたビーフストロガノフはこちらです。→ポチッ
是非とも比べてみてください。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載しました。この写真をクリックすると広範囲を表示します。
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こちらのレストランの天井は素晴らしかったので紹介いたします。高い天井でした。


こちらがホテルの全景です。大きくて立派でした。こちらの写真もクリックすると拡大いたします。宿泊したホテルを紹介いたします。
 名前 Hotel Metropol Moscow ホテル メトロポール モスクワ
 住所 2 Teatral'nyy proyezd, Moscow
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こちらがロビーです。


廊下の広さにも驚かされました。赤の広場まで歩いて5分の距離のホテルでした。半泊だけなのがもったいないくらいでした。もちろん1泊分の料金ですが、2日連続の夜行の疲れはとることが出来ました。


黄色いマーク( )が宿泊したホテルで赤いマーク( )が赤の広場です。クレムリンも目の前でした。

より大きな地図で モスクワ を表示

ベトナム戦争のユニークなモニュメント [ハノイ]


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10年以上(諸説により10~14年)続いたベトナム戦争が1975年4月30日にサイゴン(現在のホーチミン)が陥落して終戦となってから39年が経ちました。最新の近代兵器を沢山投入したアメリカが負けた戦争としても有名です。ハノイには敵国の兵器の残骸で作られたユニークな戦勝記念モニュメントがありました。上の写真はクリックすると拡大します。

クリックすると拡大ここは以前紹介した右の写真のフラッグタワーのそばの軍事博物館で、いろんな昔の兵器が飾られていました。悲惨な戦争だっただけにいろんな思いが込められたモニュメントのような気がしました。戦争のことを忘れかけていたことを思い出させてくれるモニュメントでした。単にユニークという表現は適切ではないのかもしれません。ベトナム戦争の悲惨さを感じていただくために犠牲になった数値を紹介します。下記は死者の数ですが負傷者は膨大な人数になると思います。北ベトナムに対する北爆は約223万トンの爆弾が投下され死者5万人以上の被害が出ましたがアメリカ側も1000機の航空機を失いました。戦闘で失った数を含めると2700機を失いました。
ちなみにWikipediaによると太平洋戦争での日本の犠牲者は1,740,955人(戦闘員)+393,000人(民間人) =2,133,955人です。一方、厚生労働省は戦没者を240万人としており、1963年の閣議決定および同年8月15日の全国戦没者追悼式のでは、戦没者を310万人(戦闘員230万人+民間人80万人)としています。原爆を含む本土空襲では588,561人(Wikipedia 一説では100万人)の命が失われました。沖縄戦では94,000人の住民が亡くなりました。
                南側        北側         合計    アメリカ軍
   推定戦死者     285,000   1,177,000    1,462,000    58,245
   行方不明者   1,490,000     604,000    2,094,000    約2,000 
   民間人死者   1,581,000   3,000,000    4,581,000
   合計        3,356,000   4,781,000    8,137,000


モニュメントの近くには中世の石の砲弾と大砲も置かれていました。
史上最大の死者数の戦争は戦闘員+民間人総計で5000万~8000万人の死者となったとされる第二次世界大戦です。民間人が3800万~5500万人と戦闘員の死者2200万~2500万人よりも多く亡くなったのも第二次世界大戦です。数値からも近代兵器の恐ろしさを感じます。石を大砲の弾に使っていた昔には戻れない、戦争は起こしてはならない域になってきたと実感いたします。
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ハノイのベトナム料理 [ハノイ]

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このときはハノイは2泊だけです。後悔しないように詳しい人に教えてもらっていったお店です。ここでもやっぱり海老を注文してしまいました。でもメニューを見てもなかなか判らなかったです。

ベトナムはやっぱりこれらの調味料ですね。好みでいろいろ混ぜます。


鳥料理です。丸いのは揚げパンです。
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これは豚肉料理です。


生春巻きを頼んだつもりでしたが揚げたものが出てきました。これも名物ですね。これがおいしいお店は他の料理もおいしいですね。
ベトナム料理はいろいろあるんです。宮廷料理とか海鮮のシンプルな料理などがありますがこのお店は最もオーソドックスなベトナム料理でした。
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店内の雰囲気がわってもらえると思います。フランスの雰囲気があるような気がします。お客さんはベトナムの人が圧倒的に多かったです。
      

ハノイのビールです。これで! ビール×6本と上の料理合計で2500円でした。
お店のネームカードをもらってきました。ベトナム料理のお店でした。
  店名 Lan Vien (Lan Viên)
  種類 Vietnamese Restaurant
  住所 37 Ly Thuong Kiet Hanoi → 地図
  電話 042-936-1789

充実のデザートワゴン [機内 CY]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この時もベトナムのハノイにはベトナム航空を利用して入りました。7月31日に出発して8月5日に帰ってきました。
ここ1年くらいの間は不思議なことに1Hの席が多いです。!H以外では4Hと2Kがありました。ここからの景色が多いです。
実はベトナム航空の機内食は最後に出てくるデザートワゴンが充実しているのですが、今まで遠慮して写真を撮っていませんでした。でも今回は思い切って撮らせてもらいました。そのデザートワゴンが上の写真です。

ベトナム航空の飛行機は下の写真で遠くに写っている深い青色ですが、今回はグレーの機体に大きくSKY TEAMと書かれた飛行機でした。


最初はいつも通りアミューズ・ブーシュ(Amuse Bouche)とビールです。シャンペンにすることも出来ましたが冷たいビールにいたしました。


ただし食事は赤ワインにしました。赤ワインは2種類ありましたが、先ずはボルドー地方のChateau Gravet Renaissance 2007を頼みました。


食事は和食を頼みました。さよりの握り寿司やサザエが美味しかったです。


前菜の部分を拡大いたしました。


もう一種類の赤ワインを頼みました。銘柄はSavigny-Dominode Premier Cru 2008です。ブロゴーニュの石灰岩の地層で作られた葡萄が使われた赤ワインだそうです。


和食でもメインは魚料理と肉料理の2種類の中から選べまました。肉料理はすき焼だったので、そちらを選びました。
食事のメニューはこちらです。→ポチッ

メインが終わるとデザートワゴンが運ばれてきます。


これがデザートワゴンです。果物にチーズにケーキなどのスイーツにアイスクリームに和菓子など種類が豊富です。写真はクリックすると拡大するので何種類あるのか数えて見てください。
クリックすると拡大

上の段がフルーツなどで下段にスイーツが並べられていました。こちらの写真は下の段の写真です。和菓子あり、洋菓子ありでした。


私は、まだ到着まで3時間近くあったので食事の後もビールを楽しみたかったのでチーズにいたしました。野菜のスティクも入れてくれました。
今回はビール→赤ワイン①→赤ワイン②→ビールの順で楽しんだことになりました。


クリックすると拡大ビールを飲み終わったら、親切なことにスイーツも持ってきてくれました。日本茶に似たベトナム茶を頼んだので和菓子も入れてくれました。沢山の種類があるし量があるので希望すればいくらでも食べることが出来る雰囲気でしたが食べすぎになるのでここまでにしておきました。

追伸
今日(2014年12月22日)から関西に行きます。16時55分のフライトです。12月30日に家に戻ってくるまではネット環境が不便なため、皆様のところに訪問できないことをお許しください。

旧市街 [ハノイ]

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現在、カザフスタンウクライナの記事を掲載中ですが、7月31日からベトナムに行く予定です。そこで前回行った時(2011年6月8~12日)のハノイの町の様子を紹介します。前を走っているのはハノイの観光用の自転車タクシーです。このあたりは旧市街地と言われている場所で、ベトナムらしい風情に出会えることで観光客にも人気の場所です。この自転車タクシーはシクロと呼ぶそうです。ちゃんとナンバープレートが付いています。

こちらは旧市街地近くの路地です。こちらもベトナムらしい風情のある場所でした。
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旧市街地の比較的大きな道です。沢山のお店がありました。土産物屋さんや仏具のお店が目立ちました。
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4kmのタイル画 [ハノイ]



空港からハノイ市内に入る道沿いに気になるタイル画がありました。このタイル画は、2010年がハノイ遷都1000年にあたることから、いろんなイベントの一つとして建設されたそうです。空港からハノイの町の中心に向かうと左側に見えます。総延長は4kmにもなり一番長いところは2kmを超えると聞きました。

反対車線側なので鮮明な写真ではありませんが、何枚か紹介いたします。
タイル画もすごいけれども建物が印象的でした。5階建の建物が密集している様子は迫力があります。


タイル画は川の昔の堤防に描かれていました。今は堤防の向こう側にも家が建っておりこの堤防は昔のなごりです。


夕方に近く暗くなりかけていたのでシャッタースピードは長くなるため反対車線のバイクの画像は流れています。


いろんなタイプの絵があるのに驚かされました。


いろんな団体の方々が、それぞれの区画を担当して競い合って作ったと聞かされました。中には芸術的なタイル画も沢山ありました。


貝殻亭の焼き菓子 [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大前記事で紹介したように2014年12月7日に10人で食事をしたフランス料理の貝殻亭のガーデン内には貝殻亭経営の洋菓子店ソレイユがあります。上の写真の建物が洋菓子店ソレイユです。2階がカフェになっています。食事会の後に焼き菓子店ソレイユでクッキーやフィナンシェを買いました。食事をする貝殻亭を知ってておきたかったので料理の予約のために11月20日に貝殻亭に行った時には、ケーキも買ったので焼き菓子店ソレイユを紹介いたします。

下記の航空写真の青色マークが焼き菓子店ソレイユです。店名のLe Jardin du Soleil は「太陽の庭園」という意味のようです。
つまりSoleil = 太陽で、Le Jardin = 庭園です。
 店名 ル・ジャルダン・デュ・ソレイユ / Le Jardin du Soleil
 住所 千葉県八千代市勝田台北2-4-2
 電話 047-484-1717
 営業 10:00~18:00
 定休 火曜日 火曜日が祝日の場合は別の日を設定
 URL http://www.gpi-group.co.jp/soleil/
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焼き菓子店ソレイユの店内の写真を撮らせていただきました。季節がら、クリスマスバージョンのものも、いくつか並んでいました。
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ケーキの写真も撮らせていただきました。クリックすると拡大写真を表示するのでケーキの価格が判ると思いますが、ショートケーキで300円~550円の範囲で平均的には450円というところです。写真を見ていて食べたくなったのが生クリームたっぷりのソレイユロール(850円)でした。私がケーキを買った時もバースデーケーキの予約に来られている人がおられました。チラリと写真を見ると洒落たバースデーケーキでした。
拡大写真からケーキの名前を下段の右から読むと「ソレイユロール」、「ショコラ・フランボワーズ」、「エクアトゥール」、「モンブラン」、「苺のショートケーキ」、「マルショレーヌ」、「苺のタルト」、「タルトタタン」、「かぼちゃのタルト」、「フレジエ」、「ヴェルジェ」、「フロマージュ」です。上段を右から読むと「なめらか牛乳プリン」、「ソレイユロール」、「生チョコロール」、「ロールデコレーション」、「フレジエ(プチデコ)」、「エクアトゥール(プチデコ)」、「タルト フレーズ 4号」、「純正デコレーション 5号」、「純正デコレーション 4号」でした。
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ケーキの箱を入れてもらえた袋です。表に貝殻亭が1930年創業であることが書かれていました。クリックすると文字が読みやすいと思います。
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この時に買ったのはカボチャのタルト(左 480円)とモンブラン(右 450円)でした。
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私はモンブランを紅茶でいただきました。
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これがモンブランの断面です。さくさくのメレンゲとフランス産のマロンクリーム、コクのある生クリームで作られていました。甘酸っぱいカシスのジュレが印象的でした。甘さひかえめの人気商品だそうです。フォークで切ったので少しきたなくなってしまいました。次からはナイフで切ることにいたします。
クリックすると拡大カシス(右の写真)はユキノシタ目スグリ科スグリ属に分類される日本語名クロスグリ(黒酸塊) の実です。カシス(Cassis)はフランス語ですがカシスの呼び名の方が知られている気がします。カシスの世界最大の産地はポーランドで世界全体の収穫量の約50%を占めており、日本国内では青森県が90%を占めています。
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かぼちゃのタルトの中にもたっぷりと生クリームが入っていました。かぼちゃは北海道産だそうです。ぶ厚いタルトのサクサク感と滑らかなクリームが印象的でした。
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左側が料理の予約のために11月20日に訪れた時に買ったケーキのレシートです。右側が12月7日の食事会の時にフィナンシャなどをお土産として買ったレシートです。


こちらが2014年12月7日に買った焼き菓子です。フィナンシャが3種にクッキーが3種と焼きドーナツが1種の計7種類を買いました。
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こちらがクッキーです。ディアマンバニラとディアマンフレーズとサブレショコラです。
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こちらはフィナンシャバニラとフィナンシャコヒーとフィナンシャ抹茶と焼きドーナツです。
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これはディアマンバニラです。皿は貝殻亭で沢山使われていた砥部焼を使いました。
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これはサブレショコラです。皿は砥部焼を使いました。
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これが焼きドーナッツです。焼きドーナッツはフィナンシャのドーナツと思っていただいたらよいと思います。こちらの皿も砥部焼です。
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こちらがフィナンシャ抹茶です。こちらも砥部焼の皿に乗せさせていただきました。
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親しい仲間とフランス料理をいただきました。 貝殻亭 [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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私が会社に入社したのは神戸の事業所でした。その神戸時代の仲間と奥さんで2014年12月7日(日曜日)にフランス料理(仏蘭西料理)をいただきました。神戸からの流れ者軍団での食事会が、やっと実現しので報告いたします。写真は肉料理のスプリングラムのローストです。

仲間の内訳は1年先輩が1名、同期が1名、1年後の入社が2名で私を含めて5名です。 クリックすると拡大その奥さんを入れて右の記念写真の10名で食事をいただきました。この仲間は数百人単位で組織ごと、神戸から大阪へ、さらに大阪から東京に転勤になった親しい仲間で、今までは結婚や家を購入した時に、それぞれの家に集まって食事をいたしました。関西から関東に引っ越してきたときは全員が同じ社宅に入った関係でもありました。今回は皆で初めての外食となることから、それぞれの家に近い場所として千葉県八千代市の勝田台駅に近いレストランでランチを食べることにいたしました。東葉高速沿いが2組、京成電鉄沿いが3組のため、勝田台がベストポジションなのです。
クリックすると拡大そして勝田台と言えは貝殻亭です。貝殻亭は、ちょっと有名なフランス料理のレストランです。屋根一面を覆う「ナニワイバラ」は毎年春に純白の可憐な花をつけ、地域の観光名所になっているそうです。右の屋根一面にバラの咲いている写真はネットから転用させていただきました。右の写真でも屋根の天辺の風見鶏が確認できると思います。
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レストランの屋根の上には立派な風見鶏がありました。
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こちらは海をイメージしたレストランで、有名人がお忍びで食事をされることもあると聞いたことがありました。
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ジャン・コクトー( Jean Cocteau, Cannes V )の有名な詩 Mon oreille est un coquillage Qui aime le bruit de la mer (私の耳は 貝の殻 海の響を懐かしむ)が刻まれたスクリューのモニュメントが印象的でした。お店に入る前から、雰囲気を大切にするレストランであることが伝わってきました。
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レストランの中にはそれぞれに雰囲気の違う大きな部屋がいくつかありますが、こちらが我々が食事をした部屋の写真です。こちらの部屋は帆船のキャビンを再現したそうです。建物自体は築300年以上の古民家を移築して作ったそうです。
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下の2枚の小さな写真はネットから拝借した別の部屋です。左の写真には名物の磨き抜かれた全長9メートルの一枚板のテーブルが写っています。築300年以上の古民家の雰囲気も伝わってくると思います。
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こちらが我々が食事をしたテーブルです。お店の人に写真を撮っていただきました。
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 住所 千葉県八千代市勝田台北2-4-1
 電話 047-484-0711
 営業 11:30~15:00 17:30~22:00
 定休 火曜日
 創業 1980年
 最寄 勝田台駅 徒歩5分
 URL http://www.gpi-group.co.jp/kaigaratei/top/
 備考 ワイン持ち込みOK(1本 1500円)
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料理は事前に皆さんの希望を聞いて< メゾンコース > と < 貝殻亭フルコース >を頼みました。
貝殻亭フルコースはメインは魚料理と肉料理があり肉料理は3種類から選択することになり価格は税込みで4900円、5400円、5700円となります。メゾンコースはメインは1つで魚料理が2種類、肉料理が2種類の計4種類の中から一つ選びます。価格は3900円と4400円となります。ネットから拝借した右下の写真のように結婚披露宴でも利用できるため、出席者に美味しい料理が喜ばれるかもしれません。
 < メゾンコース > メイン料理の選択
    3900円 本日の鮮魚料理
    4400円 貝殻亭名物ブイヤベース
    3900円 本日のお肉料理
    4400円 和牛ホホ肉の赤ワイン煮込み
 < 貝殻亭フルコース > メイン肉料理の選択
    4900円 和牛ホホ肉の赤ワイン煮込み
    5400円 スプリングラムのロースト
    5700円 和牛イチボのステーキ
ディナーだと4900円か7900円か10900円のコースになるのでランチはディナーに比べるとお手軽です。
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最初はシャンパーニュを頼みました。久しぶりの食事会 乾杯~~ィ
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クリックすると拡大10人で4種類のコースとなりました。私の選んだ料理は貝殻亭フルコースで、肉料理はスプリングラムのローストを選択いたしました。出てきた順番は次の通りでした。
 ① アミューズ-1
 ② アミューズ-2
 ③ オードブル イベリコ豚のスペアリブ
 ④ 季節野菜のクリームスープ
 ⑤ 魚料理メイン 貝殻亭名物ブイヤベース
 ⑥ 肉料理メイン スプリングラムのロースト
 ⑦ デザート
 ⑧ コーヒー
 ⑨ チョコレート
 ⑩ コーヒー 追加
最初の①アミューズ-1は玉子型の陶器の器に入った玉子料理でした。
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中身はこちらです。具の入ったスクランブルエッグ料理でした。
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2番目に出てきた②アミューズ-2です。炙った刺身をソースで食べました。
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やっぱりワインを頼みたくなります。フルボディーに近いミディアムボディーの赤ワインを最初に頼みました。一般的には料理が進んでいくにつれてライトボディー→ミディアムボディー→フルボディーと重りのあるものを選んでいくとワイン通の人に教えていただいたことがあります。
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これは貝殻亭オリジナルのワインだそうです。ワインは5500円から数万円までそろっていました。1本1500円かかりますが、ワインの持ち込みもOKなので、いいワインがあれば持参するのもいいかもしれません。
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次に③オードブルとして出てきたのはイベリコ豚のスペアリブです。これだけでもメインになりそうです。粒のマスタードが2種類使われていました。
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拡大いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
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この時点で2本目のワインを頼みました。
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今度はフルボディーの赤ワインです。結局、さらに同じワインを頼んで計3本の赤ワインを飲みました。
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こちらが④季節野菜のクリームスープです。見ての通りクリーミーなスープでした。
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こちらが⑤魚料理の貝殻亭名物ブイヤベースです。香ばしくローストした白身魚とホタテ貝柱にアサリとハマグリとムール貝が入っていました。
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こちらも拡大いたしました。
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こちらが⑥肉料理のスプリング・ラム肉のローストです。野菜がきれいに並べられているのが印象的でした。
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肉の部分を拡大いたしました。
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別の人が選択した⑥和牛ホホ肉の赤ワイン煮込みです。これ以外に和牛イチボのポワレもありました。
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肉の部分を拡大いたしました。
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最後は⑦デザートです。クリスマス季節のためかイチゴはサンタクロースをイメージしたものでした。
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デザートは⑧コーヒーでいただきました。
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⑨チョコレートもついていました。
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12時に食事を初めて終わったのが15時25分でした。話が弾んで⑩コーヒーを追加いたしました。3時間25分の食事と会話を楽しませていただきました。
コーヒーの器は砥部焼です。実は敷地内にある山椒房で砥部焼を販売しているのです。今までに食べたフランス料理の記事はことらです。→ポチッ
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貝殻亭は広い敷地内に下の4つの施設とガーデンとカフェで構成されています。ソレーユで右下の写真のようにクッキー3種とフィナンシェ3種と焼きドーナツ1種をお土産に買って帰りました。最終的にお店を離れたのは15時42分でした。
クリックすると拡大クリックすると拡大   貝殻亭  フランス料理店
   ソレイユ  焼き菓子店
   山椒房  砥部焼販売店
   清祥庵  グリルレストラン
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場所を地図で紹介します。京成勝田台駅と東葉勝田台駅北口からの道順を青色ラインで示しています。クリックするとGoogle地図(航空写真)を表示します。
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ホアンキエム湖の湖畔で生ビール [ハノイ]

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上の写真はホアンキエム湖の中の小島に建てられている亀の塔 (Tháp Rùa) です。ライトアップされた亀の塔は昼間と違った雰囲気を出しています。
ホアンキエム湖はベトナム・ハノイの人気スポツトで沢山の外国の観光客が訪れています。ベトナムに到着した当日に、そのホアンキエム湖の湖畔を散策しました。日本からのフライトがついてホテルのチェックインを済ましてすぐに散策に出ましたが、すぐに暗くなってきました。やっぱりライトアップされた景色を見ると、のんびりとビールを飲みたくなります。そこで、散策しながら湖畔のレストランを探して入りました。

体重200kgの大亀が住むホアンキエム湖の湖畔のレストランで、湖のすぐそばの屋外のテーブルで飲むことにしました。
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夕食は別の仲間と約束したレストランがあるのでその時間までここでゆっくり過ごすことにしました。食事は別のところで食べるのでこちらのレストランではビールだけでした。この日の成田からハノイへの飛行機の中でもワインやビールを飲んできましたが、やっぱり有名なホアンキエム湖の湖畔でTiger Beerを飲むのは格別でした。


では~~!乾杯!
やっぱり湖畔で飲む生ビールは美味しかったです。現地通貨ドンをあまり持ってきていなかったのと、メニューには値段が書いていなかったので、支払いに関して心配しましたが一杯が200円程度で手持ちのドンで十分に足りました。でも一般的なレストランと比べるとかなり高いと、後で食事をしたメンバーに言われました。確かに、この湖畔のレストランは観光客と思われる外国人ばかりでした。でも我々にとっては200円は安かったので大満足でした。
タイガービール(Tiger Beer)はオランダのハイネケン(Heineken)社とシンガポールのフレイザー・アンド・ニーヴ(Fraser and Neave)社が合弁で作ったアジア・パシフィック・ブリュワリーズ(Asia Pacific Breweries)社のビールです。シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、カンボジアに醸造所を構えており、東南アジアを代表するビールですが、中国、ニュージーランド、パプアニューギニア、インド、スリランカでも造られています。


湖畔のレストランの正面には玉山祠 (Đền Ngọc Sơn) が建っている島が見えました。玉山祠 には13世紀の元に対する戦いで活躍した陳興道、文昌帝や1864年に寺の修理を担当した儒者者で作家の阮文超らが祭られています。
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湖畔のレストランに来る前には、その島にある玉山祠にも行ってみました。そこからの対岸の景色です。つまり湖畔のレストランがあるあたりが見えています。

ハノイのイタリアン Osteria IL GRILL [ハノイ]

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クリックすると拡大このお店の紹介なくしてはベトナムの掲載は終わらないです。2階の席から入口を撮りました。ここのイタリアンは評判なんです。初めて食べた時は美味しさに驚きました。ネットで調べるとイタリア人夫婦がやっているお店だそうです。
料理だけでなくてお店の雰囲気もいいのです。このときは我々が最初で一番いい席に座りましたが欧米人の人が沢山食事に来られました。

最初は生ハムを頼みました。
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肉系の別のものを頼んだつもりが、またもや生ハムとハムの盛り合わせになってしまいました。この次は十分に研究してから前菜を頼むことにします。沢山の種類があるのに残念でした。
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生ハムばかりでは! と追加でチーズを頼みました。イタリア料理では定番の前菜ですね。モッツァレラチーズとトマトとバジルにオリーブオイルをかけただけのシンプルな料理です。イタリア国旗の色です。名前はカプレーゼです。本格的でした。
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もちろんピッツア(ピザ)も頼みました。
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この席がもっとも気に入っている席です。2階で見晴らしがいい席なんです。
ここでハプニングが!! 隣の席に数年前に会ったことのある日本の人が来られました。こちらから声を掛けると、もちろん驚いていました。広いようで狭いです。やはり人気店なのだと改めて関心してしまいました。その人は何度も来ているようなので料理の選択を頼むと良かったのですがこちらの方はもう終わりかけでしたので頼む訳には行きませんでした。
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最後はパスタです。 オリジナル麺の酸味の効いたトマトソース味です。パスタの味でお店の評価が決まります。是非、ここのパスタを食べてみてください。
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笑顔が素敵な店員さんが応対してくれます。


お店の名前は「Osteria IL GRILL」と言います。お勧めの、お店なので紹介しておきます。メニューはすべてUS$表示なのでクレジットカードをお忘れなく。もちろんドル札でもOKですね。
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お店を紹介いたします。
 店名 : Osteria IL GRILL
 住所 : 116 Ba Trieu Str,Hanoi
 電話 : (ハノイ)-822-7720
 営業 : 10:00-14:00, 17:00-22:30
 休業 : 日曜日午前中

ホアンキエム湖の大亀 [ハノイ]

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前記事でホアンキエム湖の大亀のことを記載しましたが、その一か月後の11月23日から11月25日までベトナムのハノイに行っていました。一ヶ月前の10月28日~10月30日のホアンキエム湖を散策では肝心な場所に行っていないことをネットを調べていて知りました。今回、ハノイに来る機会があったのでその場所に行ってみることにしました。その行き忘れた場所は玉山祠(Đền Ngọc Sơn / ゴック・サン・テンプル)です。
そこには、このホアンキエム湖(還剣湖 / Hồ Hoàn Kiếm / 湖還劍)で捕獲された巨大な亀の剥製(はく製)が保管されているのです。その亀の剥製が上と下の写真です。
伝説では、「15世紀に農民出身の反乱指導者レ・ロイ(Le Loi)は魔力を持つ剣を駆使して中国軍を追い返し、自らの名をつけた王国を築いた。王となったレ・ロイがある日、ホアンキエム湖で小舟に乗っていると1匹のカメが姿を現し、レ・ロイから魔剣を受け取ると、湖底に消えて行ったという。カメはベトナムが次に存亡の危機に立たされるときまで魔剣を安全な場所に保管している。」と伝えられています。

この剥製の亀は1968年にホアンキエム湖で捕獲されたシャンハイハナスッポンと推定されている大亀で、捕獲時の体重は250kgだったそうです。大きさは長さ210cm、幅120cmで、伝説の亀とされて、ここに祭られたそうです。湖に生息していると言われているシャンハイハナスッポンおよびいくつかの種の大型の軟殻亀は絶滅の危機にあると言われていますが、湖面に大型の亀の浮上が確認され、現在はシャンハイハナスッポン(あるいはホアンキエムハナスッポンという説)の雄の2頭が生息していることが定説なっています。シャンハイハナスッポンは中国・蘇州の動物園のつがい2頭と合わせて世界で4頭しか確認されていない貴重な亀です。野生ではホアンキエム湖の2頭だけです。このうちの1頭が釣り針などでケガを負い、首と脚の皮膚に潰瘍ができている事から、2011年に治療目的のため捕獲されました。
クリックすると拡大200kgの個体を捕獲するのに軍の特殊部隊50人がかりだったそうです。治療後は元の湖に戻されてたそうです。2014年4月にも治療のために捕獲もされました。その亀の推定年齢80~100歳で、体長200cm、体重は200kgでした。右の写真はホアンキエム湖で治療のため捕獲した時の大亀です。
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はく製(剥製)が保管されている建物です。シャンハイハナスッポンの分類を記載します。
   門      : 脊索動物門  Chordata
   亜門    : 脊椎動物亜門  Vertebrata
   綱      : 爬虫綱  Reptilia
   目      : カメ目  Testudines
   亜目    : 潜頸亜目  Cryptodira
   上科    : スッポン上科  Trionychoidea
   科      : スッポン科  Trionychidae
   亜科    : スッポン亜科  Trionychinae
   属      : ハナスッポン属  Rafetus
   種      : シャンハイハナスッポン  Rafetus swinhoei
   学名    : Rafetus swinhoei
   日本語   : シャンハイハナスッポン (上海ハナ鼈)
   中国語   : 斑鱉             鱉(中国語) = スッポン(鼈)
   ベトナム語 : Rùa Hồ Gươm


ここは玉山祠(Đền Ngọc Sơn)と呼ばれている場所で、10000ドン(55円)の写真のチケットを買って中に入ります。


左の写真がチケットの表紙に使われている玉山祠の入口です。右の写真が玉山祠の内部です。


玉山祠の、さらに奥の内部です。玉山祠は18世紀に建てられたそうです。そこには13世紀の中国・元との戦いで活躍した陳興道、文昌帝や1864年に寺の修理を担当した儒者者で作家の阮文超らが祭られているそうです。


この赤く塗装された木製の橋が島と岸を結ぶフク橋(Cầu Thê Húc, 棲旭橋)です。


水面がざわついているのでフラッシュを使って写真を撮ると沢山の小魚がいることがわかりました。亀さんは餌には困らないようです。夕刻の暗くなった時間帯でした。この後に湖の周りを歩いて対岸の湖畔のレストランに入り生ビールを飲みました。


玉山祠とフク橋を航空写真で紹介します。地図内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。

かつてはシャンハイハナスッポンは中国の長江・太湖・雲南省およびベトナムの一部地域で広く生息が確認されていましたが人間による乱獲(食用&漢方薬)および開発による自然環境の変化により、激変してしまいました。現在は世界で中国2頭、ベトナム2頭の計4頭しか確認されていないことから国際自然保護連合のレッドリスのト絶滅危惧種の区分で CR 絶滅寸前に分類されています。4頭の内、雌は中国・長沙動物園から人口繁殖の目的で2008年5月に中国・蘇州動物園へ移送された1頭(約80歳)のみのため2008年から懸命に人工繁殖を試みて産卵は何度か行われましたが孵化にはいたっていない状況です。そして4頭の亀たちはいずれも高齢(80~100歳)であることから予断が許されない状況のようです。下の写真はネットから拝借したホアンキエム湖の大亀です。ベトナム語「"Rùa Hồ Gươm" "Hồ Hoàn Kiếm"」で検索すると沢山の写真や動画が表示されます。 → 写真 動画
  EX  絶滅
  EW  野生絶滅
  CR  絶滅寸前
クリックすると拡大  EN  絶滅危惧
  VU  危急
  CD  保全対策依存
  NT  準絶滅危惧
  LC  軽度懸念
  DD  データ不足
  NE  未評価

巨大な亀の住む還剣の湖 ホアンキエム湖 [ハノイ]

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ベトナムのハノイでシーフードを食べた後、泊まっているホテルまで歩いて帰ったときの写真です。ベトナムの街の中は沢山のイルミネーションで飾られていました。特に有名なホアンキエム湖のあたりはきれいです。この写真は10月28日に撮りました。

この写真の左の遠くに見える青い光がホアンキエム湖の周りのイルミネーションです。あのレストランはホアンキエム湖の近くにあったのです。ただしこれがホアンキエム湖のイルミネーションであることは翌日の夜に知りました。その時は車に乗っていたので残念ながら写真を撮ることが出来ませんでした。
もう一つ、写真が撮れなかったけれど、すごいものが作られていました。道路沿いにある昔の堤防跡にタイル絵が作られたのです。そのタイル絵のある道を車で走りましたが、きれいないろんな絵が永遠と続いていました。ベトナムの人に聞くと総延長は4kmだそうで、確かにそれくらいの長さがありました。このタイルアートもハノイ遷都1000年事業(2010年)で作られたそうです。
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夜のホアンキエム湖のイルミネーションは撮ることが出来ませんでしたが、翌日の朝の景色を撮ったので紹介いたします。こちらの写真は2010年10月29日のものです。
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ホアンキエム湖の周りはウオーキングの人たちが沢山来られていました。不思議なことに、ほとんどの人が湖の周りを反時計回り歩かれていました。
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エアロビクスや体操をしている方が多いいのにも驚かされました。ほとんどが音楽に合わせて体を動かされていました。
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湖の真ん中に亀の塔があります。ホアンキエム湖(Hồ Hoàn Kiếm)はハノイの主要な景観スポットです。伝説では、黎利が湖の宝剣を手にし、その剣によって明との戦いに勝利し、その後、黎利は湖の上で金の大亀 (Kim Qui) から平和になったので持ち主である竜王に剣を返すように啓示され、湖の中心近くにある小島で剣を返しました。それゆえ、湖は「剣を返還した」と言う意味のホアンキエムと言う現在の名前で呼ばれるようになったそうです。漢字表記では還劍湖となります。現在のベトナム語と漢字の関係は、おそらくHồ(湖) Hoàn(還) Kiếm(劍)ではないでしょうか。小島にはその後、亀の塔 (Tháp Rùa) が建てられました。
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航空写真でホアンキエム湖を紹介します。下の方(南側)の小さな島に亀の塔が建っています。湖の北岸の近くにあるもう一つの島には、18世紀に創建された玉山祠 (Đền Ngọc Sơn) が建っています。それは13世紀に、中国・元との戦いで活躍した陳興道、文昌帝 (Văn Xương Đế Quân)、1864年に寺の修理を担当した儒者者で作家の阮文超 (Nguyễn Văn Siêu) らを祭っています。島と岸の間には、赤く塗装された木製のフク橋(Cầu Thê Húc, 棲旭橋)が架けられています。
地図内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。

湖の中のシャンハイハナスッポンなどの大型の軟殻亀は、皇帝の名誉たる "Rafetus leloii" と名づけられています。その種は危機にさらされていて、湖の中の個体数は不明です。1968年には湖で体重250キログラムの大亀が発見され、伝説の亀とされて玉山祠に剥製が祭られています。その剥製の大きさは長さ210センチメートル、幅120センチメートルです。2014年4月には、体重約200キロの傷ついたシャンハイハナスッポンが治療の目的で捕獲されたそうです。海亀では200kgを越える亀は珍しくはありませんが、淡水では珍しいと思います。シャンハイハナスッポンは淡水亀の最大種で、世界にはベトナムの野生の雄2頭と中国・蘇州の動物園のつがいの、計4頭のみしか確認されていません。
下の写真がネットに掲載されていたホアンキエム湖で治療のために捕獲されたシャンハイハナスッポンです。ホアンキエム湖に住むんでいるシャンハイハナスッポンは、別種であるという説があります。仮に本当であれば、野生のシャンハイハナスッポンとされる個体はいなくなり、シャンハイハナスッポンは野生絶滅している事になります。ホアンキエム湖のカメは雄だけなのでホアンキエム湖のカメは絶滅してしまうことになります。ホアンキエム湖のカメには、Hà Đình Đứcによって2000年に Rafetus leloii という学名が付けられており、ベトナム語名 "Rùa Hồ Gươm" に基づけば「ホアンキエムカメ」または「ホアンキエムハナスッポン」という名になります。別種であるという主張は形態や遺伝子の差によって示されていますが、その反論として、形態の違いは個体差や年齢に起因するものであるという主張や、遺伝子配列の決定の妥当性に疑問が残るという主張もあり、今のところ結論は出ていません。
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卒業記念写真 [ハノイ]

ハノイで出会った風景です。ほほえましい感じなので撮らせてもらいました。
卒業写真を撮っているところです。もちろんプロのカメラマンです。
ベトナムではプロのカメラマンに写真を撮ってもらう風景を良く見かけます。台湾でもよく見かけました。
有料プライベートビーチでもベトナムの女性が水着姿をプロのカメランに撮影してもらっていました。
それ以外でも教会の周りでは結婚式衣装で何組もプロによる撮影をしている風景を見かけました。何れも2人だけなので、ここで結婚式をしているわけではなく撮影だけだと思います。
この卒業写真撮影では風船が使われていました。可愛らしい雰囲気を出していました。
Dscf0018 卒業記念写真撮影風景-960.jpg

ハノイは相変わらずバイクは多いです。道を渡るのに苦労しました。
Dscf0022 ハノイ-480.jpg

民族博物館にあった建物です。日本の縄文時代にもこんな建物があったような。⇒三内丸山遺跡
Dscf0021 ハノイ民族博物館-480.JPG


こちらは日本食店を紹介したホーチミンです。同じ場所からの夜と夕方の景色です。
   夜のサイゴン川                      夕方のサイゴン川
Dscf0002-230.jpg DSCF0001 サンゴン川 昼230.jpg

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ハノイ市内の踏切 [ハノイ]

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ハノイから南に105kmの位置にあるベトナムの踏切を以前の記事で紹介したことがありますが、今度はハノイ市内にある踏切を紹介いたします。ハノイの名所である旧市街あたりを散策している時に偶然、列車が通る踏切に出会えました。反対車線(対向車線)にまでバイクで溢れています。

同じ場所から動画も撮ったので掲載いたします。ここからハノイ駅まで700mの距離です。この列車は北から(左から)ハノイ駅(右方向)に向かっているところです。
興味のある方はプレーボタン( )をクリックしてみてください。


列車が行き過ぎて遮断機が開くと対向車線側に入り込んだ沢山のバイクも一気に渡ろうとするので大変な混雑となっていました。


踏切から北の方向(ハノイ駅と反対方向)を撮りました。このように民家の軒先を電車が走るのです。実はベトナムの鉄道はハノイ駅の近くでも単線なのです。ネットで調べてみると営業キロは合計2,600kmの中で複線なのが2kmだけだそうです。これには驚きました。おそらくですが、ベトナムの鉄道は建設当初のまま、現在に残っている貴重な鉄道だったのです。ベトナムの最初の鉄道はハノイから北北東の方向に直線距離で550kmにある中国の昆明からハノイまでを結ぶ線路でベトナム国内で最初に開業したのは1905年だそうです。昆明~ハノイの全線(764km)が開業したのは1910年だそうです。この踏切の部分の景観は開業した1905年当初のままなのかもしれません。
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上の写真と同じ方向ですが少し角度を変えた写真です。この線路が中国の昆明につながっています。今でも走っているようで32時間だそうです。週に2便で金曜日と日曜日の出発だそうです。一方南側のハノイ - サイゴン(現、ホーチミン)間を結ぶ南北鉄道が1935年に全線開通したそうです。電化区間はまったく存在しないため全てディーゼル機関車だそうです。


こちらはハノイ駅の方向の線路です。ここから700m進めばハノイ駅です。
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航空写真で、今回の踏切の場所を紹介いたします。クリックすると地図を表示します。
ハノイ駅の近くの踏切

寧夏新華国際飯店のディナー [寧夏回族自治区]

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寧夏回族自治区の中衛市を訪れたのは次の2回となります。2007年に銀川市だけ訪問したので、寧夏回族自治区への訪問は3回目となります。
  0回目 2007年10月25日~10月27日 銀川
  1回目 2014年08月28日~09月02日 銀川 中衛 石嘴山
  2回目 2014年11月25日~11月27日 銀川 中衛
銀川河東国際空港から中衛市への移動は空港でタクシーを頼みましたが、2度目となの今回は、泊まるホテルに車を頼んで迎えに来てもらいました。
ホテルの運転手さんは前回の時に、お世話になった方でした。泊まったホテルの名前は寧夏新華国際飯店でした。

前回(8月28日)は、到着した日の夕食は羊料理専門店に行きましたが、今回(11月25日)は泊まったホテルのレストランで食事をすることといたしました。お世話になった運転手さんと、運転手さんの彼女も一緒に計7名で食事をいたしました。


名前は判りませんが寧夏ではよく出てきた食材でした。葛に似た食材で似た料理へのコメントでは粉皮ではないかとのことでした。ネットで粉皮を使った料理を検索した結果、似ていました。→ポチッ
粉皮は春雨と同じ原料の緑豆から作られるものが多いそうです。
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こちらの料理は寧夏や蒙古独特の食材「砂漠のネギ」です。正式には砂葱(沙葱/シャーツォン)というそうです。これは砂漠という過酷な環境でも育つ野菜で、温かな春や夏に育つものですが、今は冬でも工夫をして「砂葱」をクリックすると拡大食べることができるそうです。牛や羊も食べるものだそうです。食材の少ない草原の恵みの野菜のようです。
右の写真が砂漠に生えている砂葱です。砂葱はネギ(葱)の名の通り、ネギ科ネギ属で標高800m~2800mの荒漠地帯に生えています。生えている姿もネギに似ていてネギ属ですが、我々が食べるネギと食感が違うのは表面から水分が蒸発しないような特性からくるものだと思われました。
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食感を感じていただくために「砂漠のネギ(砂葱)」の料理の拡大写真を掲載いたします。日本では砂丘や砂浜に生えているオカヒジキを太くしたような食感でした。何も聞いていなければ海藻と間違えるかもしれません。


キュウリとニンジンと大根と長ネギを味噌につけて食べます。長ネギを丸まま生で食べるのは初めてでしたが結構いけましたが、口だけでなく頭がヒリヒリするほどの辛さでした。是非とも試しに食べてみてください。
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これは牛タン料理のようでした。タレにつけて食べます。人気がありました。
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こちらの料理も拡大いたしました。


小エビの料理です。飾り付けが凝っていました。
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ビールは青島でした。


肉とオクラの料理です。ニンニクと唐辛子が入ったビリ辛の料理でした。
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こちらも肉料理でした。
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羊肉が柔らかく煮込んでありました。寧夏らしい料理でした。
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豆腐が入った野菜のいためものです。
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この料理は写真を撮り忘れていました。テーブル全体の写真から切り取りました。野菜とキノコの料理です。


料理が沢山、並びました。
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一人一人に取り分けられたお粥も出てきました。
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料理につけられていた飾りです。さすがホテルのレストランという感じでした。
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最後に果物が出てきました。寧夏は西瓜の産地ですが、今は極寒の季節で西瓜は採れないようで西瓜以外の果物が出てきました。中国では温かい地域もあることから一年中、西瓜が出てきますが、寧夏は西瓜の産地であることから、他の土地の西瓜は出されないのかもしれません。
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締めは寧夏独特の麺を頼みました。
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寧夏回族自治区の中衛市の場所を紹介します。青色マーク( )の場所が中衛市です。今回は家(2014年11月24日)→成田→上海→南京→銀川→中衛→銀川→上海→成田→家(11月28日)と移動いたしました。
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世界遺産 旧ハノイ城跡 [ハノイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真は旧ハノイ城跡の端門(Doan Mon)です。端門は城を囲む第1城壁に一つだけ配置された正門で見るからに立派な門でした。敬天殿への入口とされています。
世界遺産という文字をタイトルに入れましたが、旧ハノイ城跡と言う名の世界遺産はありません。でも今回紹介する建物などは世界遺産なのです。世界遺産の名称は「タンロン遺跡」です。
実はタンロン遺跡は、旧ハノイ城跡周辺とタンロン城跡をあわせたエリアを指し、7世紀から19世紀頃にハノイの行政中心地だった場所なのです。ベトナム諸王朝がここに都を置いたため各時代の遺跡が重なっているのです。
ベトナム最初の長期王朝を築いた李太祖(リー・タイトー)が1010年に今のハノイへ遷都を行った際、1匹の黄金の龍が現れたことから、都をタンロン(昇龍)と名付けたことに由来しています。つまりタンロン(昇龍)はハノイの旧称です。タンロン遺跡のベトナム語は「Di tích Hoàng Thành Thăng Long」です。ベトナム語として漢字が使われていた時代(1945年以前)では「遺跡皇城昇龍」となります。漢字の正式廃止は1954年で比較的最近でした。この年から紙幣から併記されていた漢字も消えました。

タンロン遺跡そのものは現在発掘中で時々公開されているようなので、その敷地の周りを廻りましたが残念ながら入口はありませんでした。今はだめだったようですが塀越しに写真を撮りましたが工事現場のような雰囲気でした。タンロン遺跡は一番下に掲載している地図のレーニン廟と後楼の間にあります。
基本的には自分で撮った写真しか掲載しないようにしているのですが、現在のタンロン遺跡を紹介するためにネットの写真(下記2枚)を使わさせていただきました。
タンロンの王城は11世紀に李王朝によって築かれたものであり、大越の独立を示すものだそうです。紅河のハノイのデルタ地帯を埋め立てた干拓地の上に7世紀に建てられた、中国の要塞跡の上に建設されたそうです。13世紀の間絶えることなくこの地域の政治的権力の中心であり続けたそうです。北は中国、南はチャンパ王国の影響がある交差点に位置していることから、紅河渓谷下流に特徴的な、独特の東南アジア文化が生まれたのであり、タンロンの王城の建築と18のホアン・ディエウ遺跡がそれを反映しているそうです。

[発掘場所は大きな屋根で覆われています。]       [屋根の下の発掘場所です。]

近くから見た端門です。門は3段になっており一番上まで上がってみました。


端門の前から左側の城壁を撮ったものです。右側も同じでした。
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分厚い木の門の下には車がついていました。


内側から門の通路を撮ったものです。城壁の厚みが実感してもらえると思います。
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門の上の建物に上がる階段です。


門の上は広い庭のようになっておりそこに2階建ての建物が建っていました。


2階(地上からだと3階)に上がるとなにかが祭られていました。


部屋の中からの景色です。国旗掲揚台が広場の向こうに見えます。


屋根には龍が飾られていました。
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2階(地上からだと3階)に上がる階段です。急な階段でした。


歴代の皇帝が居を構えた宮殿跡である敬天殿(Dien Kinh Thien)には1467年につくられた写真の龍の階段が残っています。この階段を登ったところは龍の丘と呼ばれているそうです。その丘に建っている現存の建物はフランス統治時代のフランス軍司令部だそうです。
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敬天殿の後ろ側の後楼との間に、このようなものがありました。クリックすると拡大昔は地下に入る入口だったのでしょうか。関係は不明ですが、近くには右の写真の「D67の家」と呼ばれる建物があります。ベトナム戦争時に重要な会議が行われた建物には大きな地下室があったそうです。「D67の家」の写真は撮っていなかったのでネットから拝借いたしました。


これは後楼(Hau Lau)です。皇帝に仕えた側近たちが控える場所とされたところです。この建物はフランス統治時代に復元されたそうです。
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後楼の屋根の瓦も趣があるので掲載いたしました。
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後楼の中にも、なにか祭られていました。


クリックすると拡大最も北側の壁です。小さな門の出入口はコンクリートで塞がれていました。このような壁で敷地全体が囲まれていました。この塞がれた門の奥に北門があります。一旦、外に出て道路を歩いて行くと右の写真の北門に行けたのですが、そのことを知らなかったために写真を撮ることが出来ませんでした。右の北門の写真はネットから拝借いたしました。
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紹介の建物の位置関係を地図で紹介します。すでに紹介したホーチミン廟も近くにあります。クリックすると航空写真を表示します。
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ホーチミン廟 [ハノイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大4月28日に訪れた右の写真のモスクワのレーニン廟を前記事で紹介いたしましたが、こんどは6月11日にホーチミン廟を訪れました。帰国の飛行機が23時30分だったため、こちらに来る時間が出来ました。
ホーチミン廟(ホーチミンびょう)はハノイにあるホー・チ・ミンの霊廟です。

ホーチミン廟(ホーチミンびょう)は、広い広場の中にありました。ホーチミン廟の左右にはレーニン廟と同じように観客席が設けられていました。


現存している霊廟は次の4つで、撤去された霊廟は2つです。
上の段の左側の写真のモンゴルのスフバートル廟は2004年遺体撤去され2005年に解体され、右側のブルガリアのディミトロフ廟は1990年遺体撤去され1999年に解体されました。下の段の左側が毛主席紀念堂で、右側が錦繍山太陽宮殿です。年数は建立された年を示しています。ここの4枚の写真はネットから拝借いたしました。
  撤去 1921年 モンゴル   スフバートル廟
  現存 1930年 ロシア     レーニン廟
  撤去 1949年 ブルガリア  ディミトロフ廟
  現存 1975年 ベトナム   ホー・チ・ミン廟
  現存 1977年 中国      毛主席紀念堂
  現存 1995年 北朝鮮    錦繍山太陽宮殿
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ホーチミン廟の正面です。
このホーチミン廟は2年の歳月をかけて1975年9月2日に完成したそうです。兵士によって厳重に警備されていて、一年中冷房の効いた内部の部屋にホー・チ・ミンの遺体がガラスケース中に安置されています。廟の中は軍人により警護されており、クリックすると拡大私語厳禁で立ち止まることは許されないそうです。また、事前にカメラなどを預けておく必要もあるそうです。
初代の主席であるホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh / 胡志明)は1890年5月19日に生まて植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導し、1969年9月2日に亡くなりました。ホー自身は存命中に自己顕示的行動におよぶことは殆どなく、その死に際しても本人は火葬および北部(トンキン)、中部(安南)、南部(コーチシナ)に分骨を望んでいたそうです。
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全体がわかるようにパノラマ写真を掲載します。この写真もクリックすると拡大します。2010年はハノイに遷都して1000年になることを記念する行事の一環として、公式発表で約4万人が参加の最大規模な軍事パレードが、このホーチミン廟の前で行われました。共産党幹部らはホーチミン廟の上に設けられた席から、行進する兵士や警察官らに手を振っていたそうです。そんな点で赤の広場に似ています。
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広場の前には道路があり沢山のバイクと車がひっきりなしに通っています。上の写真はバイクが途切れる瞬間に撮ったもので、気にせずに撮るとほとんどの写真にバイクや車が写るはずです。
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レーニン廟と決定的に違うのが訪れる人の数です。
クリックすると行列を表示霊廟を中心に左側(南側)に長い行列が出来ていました。この写真をクリックしてもらうと、そのすごさがわかってもらえると思います。
ホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh 胡 志明)は1890年5月19日に生まれて1969年9月2日に突然の心臓発作によって死去し79年の生涯を閉じたベトナムの革命家であり政治家です。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導して、初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席となり、多くの人に、したわれた人です。
クリックすると行列を表示

航空写真でホーチミン廟を紹介します。クリックするとオリジナルの航空写真を表示します。
Iクリックすると行列を表示

バスの数も圧倒されました。一つの場所でこれだけ沢山のバスを見たのは初めてでした。この写真に写っているバスは、ほんの一部です。


子供たちも沢山見に来ているようでした。
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巨大な駐車場の奥からホーチミン廟を望んでいます。
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ちなみにベトナム戦争は1960年12月~1975年4月30日(サイゴン陥落)でした。

レーニン廟 [ロシア]

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上の写真のようにクレムリンを囲む高い壁に近いところの赤の広場の中に大きな石の建造物がありました。これは1924年に死去したウラジーミル・レーニンの霊廟であるレーニン廟(Lenin's Mausoleum)です。レーニン廟(レーニンびょう)の内部には保存処理(エンバーミング)が施されレーニンの遺体が安置されています。
レイニン廟は建築家アレクセイ・シューセフの設計により1930年に恒常的な施設として完成しました。当初は木造の簡易的な施設が建てられていたそうです。
1953年に死去したヨシフ・スターリンもレーニン廟に安置されたが、スターリン批判により1961年に赤の広場の別の場所に埋葬されたそうです。
過去の赤の広場で行われる国家的行事に際しては、共産党・政府の首脳はレーニン廟のひな壇から観閲し、演説を行うのが慣例となっていました。レーニン廟に並ぶ指導者の顔ぶれや序列は、西側諸国のジャーナリスト・研究者にとって、ソ連指導部の動向を知る手がかりの一つであったそうです。

ソビエト連邦解体後は、何度もレーニン廟の撤去案が持ち上がっりましたが、その都度反対も多く、現在にいたっています。2011年1月に政権与党の「統一ロシア」が廟撤去の賛否投票を行えるサイトを立ち上げました。サイトの投票結果と2011年12月のロシア下院選挙と2012年3月のロシア大統領選挙の結果次第ではレーニン廟の撤去(移設)もありうる状況になったそうです。でも2014年12月時点で赤の広場に存在するということは、撤去案は無くなったようです。
ロシアの国旗下の写真はクレムリン側の全景写真です。遠くに見える塔はスパスカヤ塔です。壁の向こう側のドームは大統領官邸です。
レーニン廟の両側には観客席が設けられていますが、その観客席は右のロシアの国旗と同じデザインでした。写真は4月28日に撮りましたが、軍事パレードは写真を撮った11日後の5月9日に行われたそうです。この観客席が使われたのでしょう。
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赤の広場の全景です。左の方にレーニン廟があります。
この写真は赤の広場の広さを実感してもらうために、いつも以上に大きく拡大するので是非ともクリックしてみてください。
ところで、レーニン廟の正面からの写真が一枚も掲載されていないことを不思議に思われた方もおられるかもしれませんが、実は赤の広場に行った時はレーニン廟が、赤の広場の中にあるとは想像もしていませんでした。知ったのは日本に帰ってからネットで赤の広場を調べて知りました。そのために、いくつかの撮った写真の中からレーニン廟を切り取って掲載いたしました。
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レーニン廟は赤の広場の中でも大統領官邸(クレムリン内)に最も近い場所にありました。この建物はソ連時代の1932~1934年にかけて建設されたそうです。
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航空写真でもレーニン廟を紹介します。
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レーニン廟がある赤の広場は驚くほどモスクワの中心にあることが下記の地図でわかってもらえると思います。マークを立てているところが赤の広場の中心です。地図をクリックするとGoogle地図を表示します。実は、今まで赤の広場がモスクワの真ん中にあり、そこを中心に道路が、いくつも環状に走っていることを、知りませんでした。
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赤の広場 [ロシア]

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少し前の記事から4月25日から4月29日にロシアに行ったことはすでに紹介していますが、4月28日はスタールイ・オルコスから12時間かけて寝台特急でモスクワに帰ってきました。その前日も夜行列車と強行スケジュールだったために仮眠が目的で赤の広場の近くのホテルに半泊(午前中)しました。でもせっかく赤の広場の近くに来たので仮眠の前に赤の広場を散策することにしました。
上の航空写真に①~⑬の番号を書いていますが、写真を撮った場所です。矢印は写真を撮った方向を示しています。赤の広場はクレムリンの横の細長い広場でした。細長いと行ってもかなりの広さです。文字がわかりにくい場合は航空写真をクリックすると拡大するので読みやすくなります。

写真-①
泊まったホテルの方から赤の広場を目指しました。高い塔の間の道を登っていくと赤の広場です。道の右側がクレムリンで左側が国立歴史博物館です。目の前に広がっているのはマネージ広場です。
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写真-②  道の正面から撮りました。
写真番号と航空写真の番号と照合するのはやりにくい場合は別画面にすると判りやすいと思います。→ポチッ
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写真-③  道を登っているところです。教会らしいものが見えてきました。


写真-④
赤の広場に出ました。これが赤の広場です。正面に見えるのは聖ワシリイ大聖堂です。この時は8時4分なので朝日で逆光のため少し全体が暗くなっていますが広さは実感してもらえると思います。右側がクレムリンですが高い塔の手前にレーニン廟があるのがわかってもらえると思います。ほんとうに広い石畳でした。
赤の広場(Красная площадь)は、地図で見てもらうとわかりますが、ほんとうにモスクワの真中に位置する広場でした。「赤」はソビエト連邦の社会主義に起因するものではなく、元々ロシア語では「美しい」という意味もあり、広場の名前は本来「美しい広場」というものであったそうです。広場は北西から南東に長く、南西側にはスターリンや片山潜などが眠るクレムリンの城壁とその中の大統領官邸、城壁に接しているレーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟、北東側にはグム百貨店、北西端には国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門、南東端には葱坊主の屋根の聖ワシリイ大聖堂と処刑場・布告台だったロブノエ・メストがあります。
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写真-⑤
これが聖ワシリイ大聖堂側から見た赤の広場です。太陽を背に撮っているので上の写真より明るくて鮮明な写真になっています。この写真では左側がクレムリンですが、赤の広場を挟んでクリムリンの反対側が国立百貨店である、グムがあります。「グム(GUM)とは「国立百貨店」の略です。この百貨店はロシア最大級のデパートだそうです。
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写真-⑥  ほぼ同じ場所からモスクワ川の方を撮りました。
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写真-⑦  クレムリンのスパスカヤ塔です。
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写真-⑧
モスクワ川の上からクレムリンを撮りました。クレムリンの中には沢山の建物があります。
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写真-⑨
モスクワ川の橋を対岸まで渡ってクレムリンを撮りました。少し角度が変わっただけで雰囲気が違います。
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写真-⑩
これが聖ワシリイ大聖堂(聖ワシーリー聖堂)です。1552年10月、イワン3世の孫イワン4世(雷帝)がモンゴルのカザン・ハン国の首都カザンを陥落させます。イワン4世はカザン攻略を記念して、この聖堂を1555年から建立しはじめて1560年に完成しました。この聖堂はカザンを攻略した日が生神女(聖母マリア)の庇護祭にあたったことから「ポクロフスキー聖堂(聖母マリアの聖堂)」と呼ばれました。
後にイワン4世が崇拝していた聖人ワシリーの祭室がつくられると、この聖堂は、聖ワシリイ聖堂と呼ばれるようになりました。
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聖ワシリイ大聖堂の広場側にミーニンとボジャルスキーの像があります。1612年の動乱時代はモスクワはポーランド軍によって占領されていました。ポーランド軍を追放するために、この二人は大きな働きをしましたそうです。ミーニンはニジニ・ノヴゴロドの市民で、多額の軍資金を集めて軍隊を組織したそうです。ポジャルスキー公はその軍隊の指揮者でした。1612年12月、ポジャルスキーの軍隊はクレムリンを攻撃してモスクワをポーランドから解放したそうです。この二人は、ロシアの国民的英雄で、二人を顕彰するために、1818年にこの像が建てられました。現在の場所に移されたのはスターリン時代の1930年でした。


写真-⑪
赤の広場を挟んで,聖ワシリイ大聖堂と遠く聖ワシリイ大聖堂に対置して立派な建物が建っていました。それは国立歴史博物館でした。石器時代から19世紀までのロシアの歴史的資料30万点が展示されているそうです。
19世紀に建てられた赤いレンガが特徴的な建物で、内部には古代の装飾品やコインをはじめとして30万点を超えるコレクションが展示されているそうです。
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その建物の上にはロシアを象徴する双頭の鷲(わし)が金色に輝いていました。


写真-⑫
国立百貨店の北側には趣のある小さな教会と思われる建物もありました。
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写真-⑬
国立歴史博物館の横にはヴァスクレセンスキー門がありました。この門は赤の広場からマネージ広場への出口にありましたがソ連時代には赤の広場での軍事パレードのじゃまになる、という理由で撤去されていた。ソ連崩壊後、復活したそうです。それが今の門です。
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朝に門は閉まっていましたが、ホテルに帰るころには通れるようになっていました。この時、8時49分でした。
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赤の広場を拡大してみました。軍事パレードのためなのか線が沢山引かれていました。

Hiyoko-Onigiriさんのモスクワの街角からにトラックバックしています。

教会が景色になったゴルフ公園 [ロシア]



ロシアっぽい真っ白な教会の手前に広がっている緑はゴルフ場です。ゴルフ場というよりはゴルフが出来る公園と言った方がいいかもしれません。モスクワから700km離れたロシアの地方都市スタールイ・オスコル(Старый Оскол / Stary Oskol )には、このような場所もありました。一見しただけではゴルフ場とはわかりませんがよく見るとグリーがあり旗(ピン)が立っていました。

小学生か中学生くらいの子供さんがゴルフを楽しんでいる光景に出会いました。将来はプロゴルファー?


近くにはマンション群もありました。ここは新しいスポーツ施設でゴルフ以外にパターゴルフなど、いろんな娯楽施設がありました。
夜行の寝台列車に乗ってモスクワに戻るまでにたっぷりと時間があったので、チーズのフライでビールを飲んだ後に、クリックすると拡大地元出身(モスクワ在住)の方に、この場所を案内してもらえました。
この時の時刻が16時23分で、右の写真の寝台列車の発車時刻18時00分まで1時間37分でした。寝台列車はスタールイ・オルコスを4月27日18時00分に出発し12時間かけて翌日(4月28日)の6時00分にモスクワへ戻ってきました。
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ランチでも、前菜とサラダとスープが付いていました。 [ロシア]

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モスクワの南東250kmにある田舎町でランチを食べる機会がありました。ロシアでの食事はスープが大切なことを今回のロシアで知りました。すべての昼食で特徴のあるスープが出てきました。先ずは前菜です。

そしてサラダです。上の前菜はロシアの人の真似をして黒パンに乗せていただきましたが、美味しい食べ方でした。


そしてスープです。タマネギのスープだと思いますがボルシチを食べた時のようにサワークリームが一緒に出てきたのでお好みで入れました。サワークリームと言ってもバターとクリームの中間程度の硬さのものでした。
ロイア料理はメインがスープだと実感させてくれる一品でした。一般的に料理の量が多くメインだけでも十分ですがスープだけははずせないので、どこでも基本的にスープとメインの組み合わせを頼みました。
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そして、こちらがメインデッシュです。
肉は豚肉で付け合せは、じゃがいもとアンティチョークのピクルスだと思います。どれもなかなかの美味しさでした。ロシア料理の美味しさを田舎町で知ることになりました。
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この食事を食べた小さな町の風景です。このような家が道沿いに並んだ田舎の町でした。もちろんビルはありませんでした。


黄色い円のところが、今回のランチを食べた小さな町のあるところです。町の周りのカラフルなパッチワークのような模様はすべて大きな畑です。

こちらの昼食も3点セット [ロシア]

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少し前にロシアの田舎町のランチを紹介しましたが、その翌日(4月27日)は寝台列車で着いたスタールイ・オスコルから、さらに田舎に行って食べた昼食も紹介いたします。決して豪華ではありませんが、ロシアらしい食事を味わうことが出来ました。先ずは豪快な新鮮なサラダです。前日のランチでもサラダが出てきました。

そして必ず出てくるスープです。今回はキャベツと細いパスタが入ったスープでした。パスタが入ったスープは初めてだと思います。やっぱりロシアはスープです。入っているお肉は鶏肉でした。


メインは鶏肉と豚肉の料理でした。
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揚げチーズでビール [ロシア]

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この日(4月27日)はロシアのスタールイ・オスコル(Stary Oskol / Старый Оскол)から寝台特急に乗ってモスクワに帰りましたが、出発の18時まで少し時間が出来たので、レストランでビールを飲むことにしました。その時に頼んだのがチーズのフライでした。熱々でトロトロのチーズがすばらしく美味しかったので掲載することにしました。ナイフと比べると大きさがわかってもらえると思います。

生ビールも美味しかったです。こちらの町でも格式が高そうなレストランでした。そのためなのか、こちらのレストランではロシアのビールはなくて、デンマークのカールスバーグ(Carlsberg)でした。寝台特急の中でもカールスバーグが多かったです。これだけいろんなところで出来来ているのでロシア国内で製造しているのだと思います。


チーズのフライはお皿に、こんな形で盛り付けられて出てきました。ボリュームがあったのでつまみはこれだけでした。写真はでは6個ですが出てきた時は7個でした。


レストランです。この町出身の人につれてきてもらいました。自慢できるレストランだったようです。


生ビールは一杯140ルーブル(309円)でf5杯飲みました。
チーズのフライは上で紹介の量で160ルーブル(354円)と、意外と安かったです。レストランの格式から見ても安かったです。美味しいチーズがこんなに安いとは、さすがロシアでした。2皿頼みました。
カプチーノ1杯が80ルーブル(177円)も、日本やヨーロッパと比べると安い感じがしました。生ビール5杯、チーズフライ2皿。カプチーノ2杯の合計は1180ルーブル(2608円)でした。でもこれは地方都市ならではの値段で、モスクワではこれほどの安さはなかったです。

日本円の価格は2014年12月5日の為替レート2.21円/ループルで計算しています。

上海で本格イタリアン DA MARCO [上海]

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上海に泊まった2014年11月27日は上海で評判の本格レストランで懐かしい仲間と食事をいたしました。中国での外国のレストランで一番多いのが日本食店ですが、その他の外国のレストランは圧倒的に少なくなります。おそらくですが、上海の洋食店の数は東京の数十分の一かもしれません。特に数年前までは顕著でした。その中でもイタリア料理(イタリアン)の美味しいお店はありましたが、日本の高級店より値段がはるかに高かったのです。値段が高いのは店数が少ないために競争がないためだったのだと思います。高級店と言えども、それなりに気楽な値段で食べれるのがイタリアンなので、どんなに美味しくても値段が高いお店は、私的には本格的とは認められないのです。今回のお店はリーズナブルな値段でイタリアンが食べれることから本格的なイタリアンレストランと認めたわけです。

レストランは4星ホテル相当のホテル兼アパートメントの維景酒店公寓(Metropark Service Apartment)の中にあります。入口は一階でレストランの中の階段を上がって2階で食事をいたしました。写真はレストラン内の一階でバーも併設されていました。席が満席の場合はバーでお酒を飲みながら待つことも出来そうです。この辺りも本格的なところです。
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こちらが食事をした2階です。人がいて写真が撮れなかったのでネットの写真を転用させていただきました。
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テーブルのセッティングです。量が多いということなのでスープ以外はシェアー形式で食べることにいたしました。こちらのお店に初めて来たのは2014年9月4日でした。その時の料理の写真も織り交ぜながら紹介したいと思います。前回は4人で今回は3人で食事をいたしました。


席につくとすぐにパンが出されました。小皿に入っているのはオリーブオイルです。ちょっとイタリア気分にさせてくれます。
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小さなパンを拡大いたしました。トマト系のソースをつけて食べます。


クリックすると拡大ヨーロッパのビールが飲めるのもうれしいです。下の写真はベルギーのSTELLA ARTOISで、右の写真はドイツのPAULANERです。昔は本格的なヨーロッパのビールはなかなか飲めませんでした。最近では限られた場所ですが本格的なビールが飲めるようになりました。
やっぱりヨーロッパの本格的なビールは美味しかったです。何杯も飲んでしまいました。右の写真はクリックすると拡大いたします。


イタリア料理の前菜「アペタイザー」で外せないのがこれです。モッツァレラチーズとトマトにオリーブオイルとバジルをかけただけのシンプルな料理です。名前はカプレーゼです。これを見ただけで本格的と感じさせてくれます。
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スライスされたパルメザンチーズがたっぷり乗ったサラダです。
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やっぱり生ハムも外せないです。
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上り写真はクリックすると拡大しますがクリックの面倒な方のために生ハムサラダの拡大写真を掲載します。


これはイベレコ豚のハムでしょうか。濃厚な味がビールに合います。
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スープは一人一人頼みました。こちらが9月に頼んだ野菜スープです。今回も別の方が頼んでいました。
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こちらが今回(2014年11月27日)、頼んだシーフードスープです。ムール貝、蟹、海老がたっぷりと入ったスープーで、これだけで結構な量がありました。
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トマトソース系パスタです。
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トマトソース系のパスタの拡大写真を掲載します。


クリーム系のスパゲッティーも頼みました。カルボナーラですね。
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こちらのスパゲッティーも拡大写真を掲載します。


ピッツアも頼みました。これはマルガリータだと思います。本格的な味でした。
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マルガリータの拡大写真も掲載します。2014年9月4日に4人で利用した時の合計金額は821元でした。現在の為替レート19.39円/元だと15919円となることから一人当たり3980円です。もちろんビールを沢山飲んでこの値段です。上海で、この値段は非常に安いです。


いろんなチーズが使われたピッツアです。確か7種類のチーズ使われていると話していました。前回も今回もステーキ等のメインは頼んでいないので、一度食べて追加掲載したいと思います。
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こちらのピッツアの拡大写真も掲載します。翌日の11月28日に帰国したので今回の旅行の最後の晩餐だったわけです。


もらったネームカードから、今回のお店以外に上海市内で2店舗あることが判りました。クリックするとそれぞれの住所が判ると思います。その2店舗は見ていないので、先ずは今回のお店に行ってからにすることをお薦めします。ブログを見ていると上海NO.1と書かれたブログをいくつか見つけました。私は上海では、ここでしか食べたことがないのでNO.1とは断言出来ませんが、一緒に食事をした上海の人の話では、価格のリーズナブル度も評価に入れると人気度NO.1と言えるのではないかと話していました。逆に言えば上海でDA MARCO以外で美味しいイタリアンを食べようと思うと高い値段になってしまうとのことでした。お店を紹介いたします。
 名前 DA MARCO italian restaurant
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 住所 上海市東諸安浜路103号
 場所 ホテル・維景酒店公寓1階
 電話 021-6210-4495
 営業 11:30〜24:00
 最寄 地下鉄 江蘇路駅
 シェフ Marco Barbieri
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お店の名前にもなっている総料理長(主厨)のMarco Barbieriさんです。彼の経歴等を紹介いたします。
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Barn in the pictures village of Orino in the vicinity of Lake Maggiore , in the pre-Alpes surroundings.
Chef Patron Marco Barbieri worked in kitchens throughout high school and culinary college , eventually working in a restaurant in Switzerland.
History
And upon his travels he went to shanghai in 1995 he immersed himself in the burgeoning shanghai restaurant renaissance.
"Da Marco Italian restaurant" dream began in a small front lobby restaurant in Metropole service park , with a small bar and enormous hearth and great number of followers thus becoming the favorite to Italian community , eventually growing to the current headquarters , a 4500 square meter facility in Minhang district.
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