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ベトナムの焼肉 [ベトナム]

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ベトナムのBIA HƠI(ビール)に関しての記事を書いたことで、昔のことですが、この記事を掲載することにいたしました。この中で出てくる2リッターの地ビールがBIA HƠI(ビアホイ)だったのです。そのため再度、この記事を掲載いたします。
上の写真はカンボジア国境の町ティエンHaTienの近くのtt. Kiên Lươngという町(村)でNO.2のレストランです。
プラスチックの椅子はショボイけれど味はバッグン

右の写真の地ビールは2リッターボトルで100円、もちろん焼肉は炭火焼きです。
牛肉以外は野生動物の肉でした。日本では珍しい肉が5~6種類ありました。意外なことに牛肉よりもおいしかった肉がいくつかありました。
どれも一皿150円で野菜も豊富!
10人で飲んでも全員で2000円は超えませでした。つまり一人200円以下でした。


お店を忘れないように看板の写真を掲載しました。 
どれがお店の名前かな。GIĂN HĂNGかな それともBI VAかな? 
GIĂN HĂNGをネットで訳すと「ブース」「売店」「仮小屋」「露店」が出てきました。
看板の中にBIA HƠI(ビアホイ 生ビール)の文字があることを今回見つけました。クリックすると拡大

焼肉店の場所を紹介いたします。緑色のマークの場所が紹介の焼肉店です。黄色いマークがすでに紹介したフーコック島です。緑色のマークの下に赤色と空色のマークが隠れていますが、赤色マークがすでに記事で紹介したtt. Kiên Lương村でNO.1レストランで、空色が宿泊した場所の近所です。
赤色ラインはホーチミン空港からの車でのルートです。ホーチミンからは335kmで車で8時間ですが、初めてここに来たころはメコン河に橋が無く、フェリーで渡ったために11時間かかりました。フェリーの場合は青色ラインです。

より大きな地図で ベトナムの焼肉店 を表示
橋が無いころには2度フェリーで渡りますが、それぞれで1時間待ちだったのです。でも可愛い子供たちが飲み物を売りに来るので退屈することはなく、かえって楽しかったです。もちろん冷たいビールを頼みました。買い物をするとすごく喜んでくれて、笑顔が清々しかったです。2度のフェリーの内、大きい方のフェリー渡し場の航空写真を紹介します。

BIA HOI ( BIA HƠI / ビアホイ ) てなに? [ハノイ]



旧ハノイ城跡からタンロン遺跡の周りを廻ってホーチミン廟の前を通って国旗揚揚台まで歩いたので汗を沢山かいたのでビールが飲みたくなりました。ちょうど国旗揚揚台の近くに洒落た屋外カフェがあったのでビールを飲むためにさっそく入りました。沢山の人が入っていました。タイトルではBIA HOIと書いていますがベタナム語ではBIA HƠIです。よく見てもらうとわかりますがƠにヒゲが付いています。

生ビールはありませんでしたが冷えた缶ビールが、ちゃんとありました。昼間からビールですが、この後は夜行便で日本に帰るだけなので気にせずに飲みました。
車で幹線道路を通っていると「BIA HOI」と書かれた看板をよく見ました。これはビールが飲める場所のことなので、この場所は洒落たBIA HOIと言うことになるようです。ただしほとんどの人がパフェやジュースやコーヒーなのでCafeの方が正確かもしれません。Cafeはベトナム語でもCafeでした。


昆野誠吾さんから「つまみ」のご質問があったので、「つまみ」の拡大写真を掲載いたしました。


我々の席からの景色です。


車でハノイとホーチミンを結ぶ一号線を走っていると頻繁に BIA HƠI (ビアホイ) の看板が出てきます。ビールが飲める場所であることは聞いていました。そしてBIAはビールのことなのでBIA HƠI (ビアホイ)はビアホールのことかなと思っていましたが、ネットで詳しく Bia Hơi を調べてみるとHơiは英語でFreshのことでした。つまりBia HơiはFresh Beer(生ビール)のことでした。
その点から見ると冒頭のお店は生ビールがなかったのでBIA HƠIとは呼べないことになります。日本でも「越南酒飯 BIA HOI(ビアホイ)」などBIA HOIビアホイ)と名前をつけたベトナム料理の居酒屋さんがあることもネットで知りました。




ホキ美術館 写実絵画専門美術館  [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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関西の親しい知り合いが娘さんたちの関東の住まい探しのために2014年1月17日~21日まで、我が家(千葉県佐倉市)に泊まりました。1月19日に住まいの目途がたったことから、関東で行きたいところはないかと聞くと「ホキ美術館」という聞きなれない美術館の名前を言われました。そこで家内と3人で、そのホキ美術館に2014年1月20日に行ってきました。私は、初めてホキ美術館を知ったわけですが、関西の方はテレビで紹介されたことで、知ったとのことでした。上のホキ美術館の写真は加工をほどこしています。10秒後に1秒だけオリジナルが表示されます。
クリックすると拡大ホキ美術館は2010年11月3日に開館した世界的に珍しい写実絵画専門美術館です。もちろん日本初の写実絵画専門美術館です。ホキ美術館の「ホキ」は創設者である保木将夫氏の名前からとられたもので保木将夫氏が収集した約350点の作品の中から常時、約160点が展示されているそうです。右の写真は島村信之が描いた保木将夫氏の写実絵画でタイトルは「館長」です。

展示されている作品もすばらしいのですが、写真を見てもらってわかるように美術館の斬新な建物もすばらしいのです。この写真は建物の東側から見た景観です。
地上1階、地下2階の湾曲した回廊型の躯体が3層に重なり、回廊の総延長は500メートルにわたる回廊型ギャラリーで、写真のように1階のギャラリー部分の一部鉄骨造によって30m程度ほど跳ね出し構造になって、空中に浮いているのです。本建築は2009年にスペイン・バルセロナで開催されたWAF(World Architecture Festival)のfuture project 部門で最終審査まで残った建物だそうです。日本においては以下の様々な賞を受賞しています。
    2011年 日本建築家協会 「日本建築大賞」
    2011年 千葉市 「千葉市都市文化賞 優秀賞」
    2011年 千葉県 「千葉県都市文化賞「優秀賞」
    2012年 社団法人日本建設業連合会 「第53回BCS賞」
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上の写真とは反対側から撮った建物の写真です。つまり西側から建物を見ているわけです。冒頭の写真は南東方向から見た美術館です。我々が見学を終る頃に学生風の外国人の沢山の人が来られていました。
ホキ美術館には下記の約50名の作品が展示されていました。
 森本草介 野田弘志 中山忠彦 磯江毅 青木敏郎 原雅幸 大矢英雄
 島村信之 生島浩 諏訪敦 石黒賢一郎 五味文彦 小尾修 大畑稔浩
 羽田裕 藤原秀一 李暁剛 塩谷亮 松澤茂雄 横尾正夫 永田英右
 木原和敏 藤井勉 福井欧夏 山本大貴 高橋和正 津地威汎 安彦文平
 松村卓志 渡抜亮 曽根茂 卯野和宏 岩本行雄 石田洋一 永山優子
 廣戸絵美 中根寛 井澤幸三 向井潤吉 林武 芳川誠 吉田伊佐
 伊勢崎勝人 黒澤信男 松田一聡 山木章 曽剣雄 冨所龍人
 Adolf Sehring  Dario Campanile  Jean-Pierre Bédarrides 他

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外部も内部も斬新です。少しカーブした回廊の組み合わせで作られています。特に展示室に入って最初に目に入ってくる細長い回廊のGallery 1 は圧巻です。クリックすると他のフロアーも含めたフロアマップを表示します。
クリックするとフロアマップ

航空写真でもホキ美術館を紹介します。形がよくわかってもらえると思います。

こちらが美術館の入口です。入って右側にレストランがあり左に進むとガラスの壁全体がスライドし美術館の内部に進めるのです。
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入場券のデザインには建物の形が使われていることが判ってもらえると思います。
   名前 ホキ美術館
   住所 千葉県千葉市緑区あすみが丘東3-15
   電話 043-205-1500
   料金  一般 :1800円  高校生・大学生・65歳以上:1300円
       中学生:900円  小学生以下無料
   休館 火曜日(祝日の場合は翌日)
   時間 10:00~17:30


残念ながら内部の写真撮影は禁止されているためネットに掲載されている写真で展示室(Gallery)を紹介いたします。この写真は一階のGallery 1 を入口側から進んでいく方向を撮ったものです。Gallery 1 には第1回ホキ美術館大賞展での入選56点が展示されていました。
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Gallery 2からGallery 9 はすべて地下になります。こちらがGallery 2 とGallery 3 です。Gallery 2 と 3 もGallery 1と同じように長い回廊になっています。Gallery 2からGallery 9の写真をクリックすると展示内容を表示いたします。
Gallery 2 には森本草介をはじめ、島村信介などの中堅作家の代表的な作品が展示されていました。 Gallery 3 は野田弘志を中心に、中堅作家の大型作品が展示されていました。
 Gallery 2                    Gallery 3


Gallery 4 は五味文彦の静物画を中心に紹介されていました。Gallery 5 は陶芸のギャラリーでした。Gallery 5 だけが写実絵画以外のコレクションのギャラリーでした。
 Gallery 4                    Gallery 5


Gallery 6 は吹き抜けのホールが利用された展示で中山忠彦などの作品が飾られていました。Gallery 7 はエジンバラに住んでいる風景画家の原 幸が展示されていました。
 Gallery 6                    Gallery 7


Gallery 8 には14人の巨匠と中堅作家の100号以上の14点が音声ガイド付きで展示されていました。Gallery 9 には若手女性作家の大作2点が展示れていました。
 Gallery 8                    Gallery 9


写実絵画が展示された部屋に入ると一見すると写真展の会場に入った錯覚に陥ります。しかし人物が描かれた大きな大作に近づいて瞳を見て、写実絵画の一端を感じることが出来ました。どこまでも近づいても写実なのです。到底写真では感じることが出来ないもののような迫力が伝わってきました。この精密さはなんだろう、おそらく1年に数作品、あるいは1作品しか描けないほど精密に細かく描かれているのです。残念ながら作品を写真に撮っても写真としか見えないのが写実絵画なのですが、雰囲気を感じていただくために作品を紹介いたします。ただし館内は撮影禁止なのでパンフレットとネットの写真で紹介いたします。作品の写真はクリックすると拡大します。
この3つの作品は展示されている約50名の作品の中で代表する3名の作品です。
         森本草介             野田弘志         中山忠彦
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こちらはHP掲載で、作品名は
 左 横になるポーズ
 中 アナスタシア
 右 燭台のある部室  です。

こちらは島村信之の「幻想ロブスター」です。
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こちらは森本草介の「休日」です。ホキ美術館は、森本草介(1937年生まれ)の作品が32点コレクションされていることでも有名だそうです。これは日本最大の数だそうです。これも含めてパンフレットから4点を紹介いたします。
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こちらの2点は森本草介の「未来」(左)と「光の方へ」(右)です。
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森本草介の「田園」です。このような風景画も描かれていました。


こちらは野田弘志の「聖なるもの THE-IV」です。
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HPに掲載されていた作品をいくつか紹介します。
 生島浩の「Box」             大矢英雄の「春の風の理由」
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 塩谷亮の「耀」             島村信之の「日差し」
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 大畑稔浩の「川尻港」  五味文彦の「レモンのある静物」
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 原雅幸の「ナローカナルのボート乗り場」    青木敏郎の「椿・レーマ杯・染付図」
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 小尾修の「南瓜」          羽田 裕の「サン・ジョルジョ・マッジョーレ島」
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第1回ホキ美術館大賞の受賞作品です。左から大賞、準賞、館長賞です。
山本誠「4月3日の記憶」   川原田亜紀子「九十年」 小木曽誠「巡界する刻の中で」
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ホキ美術館の動画がInternet Museumのサイトにあったので紹介いたします。これを見ると写真と写実絵画の違いかを感じてもらえるかもしれません。
3つの動画のプレーボタン( )をクリックして、同時に見てもらうと効率的だと思います。映像時間の関係で下から順番にクリックすることをお薦めします。
動画は上から1F「Gallery 1」 B2F「Gallery 8」 B1F「Gallery 2」です。




こちらは写実絵画ではありません。ホキ美術館に隣接する「昭和の森」の写真です。
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すばらしい美術館ですが、残念なのが昭和の森の敷地の中にホキ美術館を建てることが出来なかったことです。公的な敷地の中に私的な美術館を建てることは難しいとは思いますが、この広い敷地の中に冒頭の斬新な建物が建っていたら、すばらしい景観になっていたと感じるのは私だけではないと思います。
相乗効果で、もっともっと沢山の人が訪れることになるのだと思います。
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こちらは写実絵画でしょうか? 写真でしょうか?
答えは昭和の森に咲いていた水仙の写真です。中央の水仙のみにピントが合っているのが写真の証拠です。写実絵画であれば、遠くの水仙も近くの水仙も鮮明に描かれるのが一般的なのです。写実絵画と写真には外見的にも内面的にも多くの違いがある中の一つの差に過ぎません。クリックすると拡大するので写真であることが実感されるのではないかと思います。
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ホキ美術館の場所を地図で紹介いたします。赤色マークのところです。


タンホア鉄橋 [ベトナム]



6月9日にハノイから南に車で230km走った時に途中に、タンホアという町がありました。その町の近くに写真の鉄橋がありました。この橋はソンマ川に架かっているタンホア鉄橋です。この橋はベトナム戦争で大変に有名になった橋なのです。ただし、これは当時のものではなく再建されたものです。
この鉄橋がベトナム戦争中、北軍の兵站輸送路であったため航空機の最重要目標の一つであるタンホア橋(Thanh hoa)でした。第1回目の攻撃が1965年4月3日に、下記通りの総数79機の大攻撃部隊編成で、このタンホア橋に対して行われましたがほとんど被害を与えることは出来ませんでした。
 F-105x46機(15機:防空網制圧, 31機:橋への攻撃)
 F-100x21機(4機:MIGCAP, 2機:天候偵察, 7機:防空網制圧, 8機:RESCAP)
 RF-101x2機(写真撮影)
 KC-135X10機(空中給油)
翌日には第2回目が、ほぼ同じ編成での攻撃が行われましたが、一ヶ月後には鉄道路が修理開通する程度の被害しか与えることが出来ませんでした。一方で米軍側も3機のF-105が失われました。
第3回目の攻撃は1965年5月7日に行われました。さらに半月後には第4回目が行われ、この時点で合計1000発の爆弾とミサイルが投下されました。
その後、1968年の空爆停止(パイロットの被害が大きすぎたため停止)までの3年間に延べ800機の攻撃が行われたにもかかわらずタンホア橋はソンマ川に存在しつづけ「不死身のドラゴンジョー(龍の顎)」と呼ばれました。

クリックする記事下の写真の右側にタンホア鉄橋が写っています。旗が立った丘も有名です。この丘の上に対空砲やミサイルが設置されタンホア橋を守り続けたのです。そのために遠くからの攻撃になり、周りの地面が右の写真のように月面のごとくクレーターだらけのようになりましたが、橋には致命的な損害を与えることはありませんでした。
撃墜されたアメリカ側の航空機の数も40機を越えたと、ベトナムに長く住んでいた日本人が話してくれました。ベトナム戦争全体では米軍機は約2700機(海軍1000機 空軍1700機)を失っているので、不自然な数字ではないようです。この写真はクリックすると拡大します。
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この丘の上に対空砲AAAや対空ミサイルSAMが設置されていたそうです。
タンホア鉄橋は米軍呼称で、場所がタンホア省にあるのでタンホアにある鉄橋というような意味です。ベトナム側ではHam Rung(ハム・ラン)橋と呼ばれており、英訳された"Dragon’s Jaw"(竜の顎)の方がよく知られたそうです。


この丘は記念の場所らしくベトナム国旗が立てられていました。
多くの攻撃を受けながら橋が7年間も存続出来たのは防衛網だけではなく橋自体が極めて頑丈だったことも一因だったそうです。他の橋はフランスの技術によって作られたために強度的な無駄がなかったことから簡単に破壊されたそうです。この橋はヨーロッパの技術で作られたのではなく中国の設計によることから極めて(無駄に)頑丈なため小さな爆弾が当たっても橋が落ちるほどの危害にはならなかったそうです。


当初の精密誘導兵器はミサイルに頼っていたので弾頭威力が足りなかったそうです。この橋が破壊できたのは4年間の北爆停止後の1972年4月27日の最新鋭のTV誘導弾とレーザー誘導弾を使った攻撃でした。上空には雲がかかっておりレーザー誘導弾は使えませんでしたが5発の大型のTV誘導弾(AGM-62「ウォールアイII」EOGB)が発射されて初めてタンホア鉄橋の橋桁を落すことに成功したそうです。攻撃機も当時最新のF-4DファントムIIでした。4年前以前の攻撃でも2000ポンドのTV誘導弾が使われても破壊できなかったことから見て4年間でTV誘導機能が進歩したものと想像されます。
しかし三年後の1975年4月30日に北ベトナム軍によって南ベトナムの首都サイゴンが陥落してベトナム戦争が終わりました。


現在の航空写真です。丘と鉄橋が判ってもらえると思います。2本の橋の上側がタンホア鉄橋です。下側は道路用の橋で、この橋の上を車で通過する時に冒頭の写真を撮りました。


Google地図でタンホア鉄橋(Thanh hoa Bridge)とポールドゥメ鉄橋(Paul Doumer Bridge)の場所を紹介いたします。
   タンホア鉄橋    Thanh hoa Bridge
   ポールドゥメ鉄橋  Paul Doumer Bridge

より大きな地図でタンホア鉄橋 を表示
ベトナム戦争の悲惨さをわかってもらうために死者および不明者数を紹介します。死者および不明者は合わせて813万7千人になります。この内、アメリカは58,245人の戦死者と約2,000人の行方不明者が出しています。
クリックすると拡大         南ベトナム側  北ベトナム側
   推定戦死者   285,000   1,177,000
   行方不明者   1,490,000   604,000
   民間人死者   1,581,000  3,000,000
   合計      3,356,000  4,781,000
タグ:ベトナム

フーコック島 [ベトナム]

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この雲の写真が気に入っています。普通の雲なのが特に!
これはホーチミンからフーコック島(Phú Quốc)へのプロペラ機から撮った雲です。ジェット機と違いプロペラ機は低い高度を飛行するので雲が横に見えます。
実はフーコック島への着陸回数は4回になります。当然飛び立った回数も4回なので、この辺の海は上から8回見ていることになります。

信じられないかもしれませんが空気と海がきれいなので飛行機から海の中の海亀が見えるんですよ!
気をつけていると何匹も見ることが出来ます。
海亀はベッコウの材料になるタイマイという種類だと思います。
初めて、この島に初めて来たときは一週に2便でしたが、今は毎日で一日に4~5便も飛ぶようになりました。リゾート地として注目され始めたのだと思います。初めての時は、もし飛行機に乗り遅れると次のフライトまで3日間ほど島で、過ごすことになるので緊張しました。写真の飛行機が飛びました。
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フーコック島の空港の待合室は欧米人ばかり、このゆったりとした時間の雰囲気は、あこがれます。


フーコック島? 知らないのは当然ですね。ベトナムの西の端にある島です。
記事「ビーチでシーフード料理」で紹介したビーチから真西の位置にあるしまです。
タイランド湾(シャム湾)に浮かぶベトナム最大(561km²)の島でベトナムでありながらカンボジアの沖合にあります。ハティエンと書かれたところの白い線がカンボジアとベトナムの国境です。
人が少ないところをご希望ならば、このフーコック島(Dao Phu Quoc)を、お勧めします。ここは魚醤ヌックマムの産地で、年間600万リットルが生産されているそうです。胡椒の産地であるとともに漁業が盛んで、特に南洋イカ漁が有名です。南洋イカのスルメは美味しいですよ。プライベートビーチの木陰て寝そべっているとスルメ焼きのおばさんが来ます。そこでビールを飲みながら焼きスルメを食べるのが最高の贅沢な時間です。(値段は、めっちゃ安いけど)
クリックすると拡大地図を表示のマークがフーコック島の飛行場の場所です。

さっそく「京きさらぎ漬」を頂きました。 [話題]

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先日(2014年1月17~21日)、我が家に来られている時に、「美味しい京漬物を見つけたので、送ります。」と言われた人から、さっそく漬物が2014年1月25日午前に届きました。

下記の箱でクール宅急便「冷蔵」で届きました。
小さな箱ですが、づっしりとした重さがありました。


箱を開けると沢山入っていました。お店は旬の野菜にこだわっているそうです。
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漬物の種類は「はくさい塩漬」「赤かぶ塩漬」「かぶ塩漬」「しょうゆ漬(刻み)」「だいこん塩漬」で、全部で5種類入っていました。しば漬けのような「しょうゆ漬(刻み)」だけは通年の漬物のようでしたが、他の漬物の材料は「白菜」と「蕪」と「大根」が主体で、確かに旬の野菜でした。
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賞味期限は「しょうゆ漬(刻み)」が2月7日で他の漬物は1月31日でした。
説明書に「保存の仕方と美味しい食べ方」が書かれていました。「京きさらぎ漬」はナイロン袋から必要量を取り出して、水でサッと洗って食卓に出して、クリックすると拡大残りは漬汁とともに封をして氷温(チルド室)で保存するそうです。
  はくさい塩漬     389g
  赤かぶ塩漬     255g
  かぶ塩漬      159g
  しょうゆ漬(刻み)  170g
  だいこん塩漬    257g
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すぐにの1月25日の昼食で2種類を食べてみることにしました。一つが「赤かぶ塩漬」です。新鮮さが伝わってくる見事な色でした。器は砥部焼です。
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拡大写真を掲載いたしました。クリックするとさらに拡大いたします。
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「はくさい塩漬」も開封いたしました。これも美味しそうです。
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拡大いたしました。どうでしょうか。
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ご飯と一緒にいただきました。食べてみて美味しさの秘密は、少し酸味があることでした。発酵によって出来た酸味の味で、これが絶妙な味わいを出しているのだと思います。
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「赤かぶ塩漬」も酸味が美味しさを作り上げている気がしました。確かにこの味なら人気がでるわけです。お店を紹介いたします。京都で作られていますが、直営店はすべて大阪です。
  店名 有限会社 丹波
  名前 京きさらぎ漬
  野菜 主に自家農園
  住所 淡路店    大阪市東淀川区淡路4-13-21
      本社・製造  京都府亀岡市千代川町小林前田39番地 
  電話 06-6815-3380
  HP  http://www.tanba-web.co.jp/
  店舗 淡路店 十三店 黒門店 他に姉妹店が4店舗あり  
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追伸 2014年1月26日
1月26日の朝食は、こちらの「だいこん塩漬」と「しょうゆ漬(刻み)」にいたしました。美味しい漬物には似合う器を用意いたしました。ごはん茶碗も向井窯・佐賀栄次さんの砥部焼を使いました。
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こちらが「だいこん塩漬」です。是非ともクリックして味わってみてください。
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ごはん茶碗には漬物が似合います。炊き立てご飯です。
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こちらが「しょうゆ漬(刻み)」です。しば漬けに似ています。味わいは醤油の味がすこし残った上品なシバ漬けという感じでした。
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こちらも、ごはん茶碗に乗せて写真を撮りました。
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追伸 2014年1月28日
1月28日の夕食は、最後の「かぶ塩漬」を食べました。 5つの漬物の中でも1~2の美味しさでした。旬の美味しさと発酵酸味のバランスがお石を作り出していることが感じられました。
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もちろん炊き立てのご飯で頂きました。
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美味しさを感じて抱くために拡大写真を掲載いたしました。
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ベトナムの巨大手長エビ [ベトナム]

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クリックすると拡大ベトナムの記事を掲載中です。そこで前にベトナムに行ったときに、食材で印象的な記事を再掲載させてもらいました。
この手長エビが出てきたのは、ホーチィミンから車で1時間くらいの場所にあるミト(Mytho)と言う場所で大きなバスがクリックすると拡大沢山訪れる有名なレストランです。日本人の人も沢山、見かけます。この大きな手長エビが印象的でした。この手長エビはビックリするほど大きいのがわかりますか。つめだけ持って帰りました。つめの長さは30cmくらいありました。写真をクリックしてもらえると迫力が判ってもらえると思います。エビの種類は、おそらく「オニテナガエビ」です。生きている姿をネットから拝借して右に掲載いたしました。手の長さを入れた大きさでは世界最大の淡水エビだそうです。ネットでは手の長さを入れた大きさは1mとかかれていましたが、確かに私の食した手長海老も1m近くありました。
車で走った記憶で想定されるレストランです。
 店名 Nhà hàng Trung Lương (Trung Luong Restaurant)
 住所 Ngã ba Trung Lương, Phường 10, Mỹ Tho Tiền Giang, Việt Nam

丸いお餅の風船も有名です。どうやって食べるのかな? 
行った人は知っていますが、壊して食べるしかありません。生春巻きに入れたりして食べたと思います。ここはいろんなものが食べれます。近くにヘビ園もあり、大きなヘビで有名なニシキヘビだって食べれます。もちろん食べてはいません。首に巻いて写真を撮っただけです。右の写真が私で、記念の一枚です。すでに紹介したエリファントフィッシュも、こちらのレストランで食べました。でも写真を撮り損ねたので、下の方で別のレストランで食べたエレファントフィッシュを紹介いたします。
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餅の風船を作っているところです。 油で揚げながら丸くしていきます。すばらしいテクニックです。薄い皮だけの丸いボールになります。グレートボールという名のようです。
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ここまでで紹介したのが緑色マークのミトのレストランです。ここから下で紹介する料理はカンボジアとの国境の町であるハティエンに近い「tt. Kiên Lương」にあったレストランです。こちらは赤色マークで場所を表示しました。赤色ラインがハティエンからホーチミンに車で戻るときに走ったルートで、ミトの町が丁度、昼食時間になるのです。青色マークはこの辺りでよく利用したカントーのホテルです。黄色マークはハティエン近くで、よく利用したホテルです。
   Mythoのレストラン
   tt. Kiên Lươngのレストラン Nhà Hàng Trung Lương
   宿泊したカントーのホテル
   宿泊したハティエン近くのホテル
   シーフードを食べたビーチ
   蟹を食べた蟹の養殖場
   カンボジアとの国境
   有料プライベートビーチ

より大きな地図で ベトナムのレストラン を表示
このあたりでもう一つ有名なのがエレファントフィッシュです。エレファント・イヤー・フィッシュとも言われています。
パーティーでは必ず出されます。ここからが赤色マークのレストランでした。
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これも有名でどこに行っても食べれます。メコンデルタのどこにでも中に住んでいるのだと思います。
やっぱり生春巻きで!!
シーフード+ハーブの生春巻きもおいしいけれど、ハーブだけの生春巻きが絶品です。
これを食べた人は少ないと思います。お皿の上にその生春巻き山盛り出てきますが見た目もおいしそうなのです。
もちろん癖のないハーブ(沢山)+癖のあるハーブ(少し)
ただしお店の人に組み合わせを頼んだ方がいいですよ。
生のドクダミのように強烈なのもあるので!!
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日本でハーブだけの生春巻きを作るとしたらレタスとハーブを適当に巻いたら出来きそう! でもタレが重要ですね。
ハーブの乗った皿の上に日本製のワサビがあるのに気が付かれましたか。? 
実は海老の刺身と一緒に出されたものです。カンボジアとの国境近くのレストランでも、あるものだなと関心していました。
それよりエビの刺身? もちろん海のエビですがチョット抵抗感あり!氷の上にラップを引いてその上に並べてありました。
生牡蠣もありました。南国で生牡蠣?
でも良く考えるとここの海はものすごくきれいな海です。だから大丈夫なのだろうと自分に言い聞かせて沢山食べてしまいました。
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これだけの料理が並ぶと飲みたくなるのが、やっぱりビールです。ビールを飲みながら、わいわい食べると楽しさも増しますね。
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ハチィエン近くのレストランはお祝いごとの昼の大宴会でした。


宴会の雰囲気をお伝えしたいので掲載写真を追加いたしました。



こちらは一緒に苦労した人たちだけの夜の宴会です。4枚目の写真で真中に座っているのが私です。



一番、お世話になった人たちです。特に真中の人(Vice Director)にはいろんな面で助けてもらいました。美味しくお酒が飲めました。


カンボジア国境のハティエン辺りの地図です。訪れた場所にマークをしています。国境の検問所は残念ながら写真は撮らせてもらえませんでした。
プーコック島は近いうちに紹介します。
   tt. Kiên Lươngのレストラン
   宿泊したハティエン近くのホテル
   シーフードを食べたビーチ
   蟹を食べた蟹の養殖場
   カンボジアとの国境
   有料プライベートビーチ
   フーコック島の飛行場

より大きな地図で ハティエン辺り を表示
ホテルで見つけたミトへの日帰りツアーのパンフレットです。値段は25ドルと50ドルかなり違います。25ドルは団体(集合場所に集合)で50ドルの方はプライベト(宿泊ホテルまで送り迎え)に近いイメージだと思います。
50ドルの方には{ビエンチャン寺見学」と「手漕ぎボートで島の周り巡り」が入っています。パンフレットを見ていて上で記載していた「御餅の風船」の名前がわかりました。グレードボールです。
上が「アオザイツアー」で下が「チュウちゃんツアー」です。ツアーでは行ったことがないのでどちらがよいかわかりませんが一応両方の電話番号を紹介しておきます。どちらも現地からの電話番号で、日本語OKだそうです。
 アオザイツアー 08-3823-5405      チュウちゃんツアー 092-338-4649
クリックするとパンフレットを表示クリックするとWebを表示

エレファントフィッシュ ( Elephant Fish ) [ホーチミン]

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ホーチミンに来て二日目の夕食はドンコイ通りにあるベトナム料理店「VIETNAM HOUSE」を訪れました。洒落たお店で沢山の外国人や地元の人が食事をされていました。生演奏もされており雰囲気のあるお店でした。最初に頼んだのが生春巻きと揚げ春巻きです。上の写真が生春巻きです。

こちらが揚げ春巻きです。我々外国人にとっては生春巻きが有名ですが、オーソドックスな春巻きは、この揚げ春巻きなのです。見た目では判りませんが一流店の揚げ春巻きは美味しいです。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックするのが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。揚げ春巻きの皮も生春巻きと同じライスペーパーなので小麦粉を使った中華の春巻きとは見た目も食感も違います。これがベトナムの揚げ春巻きなのです。


生春巻きや揚げ春巻きにつけて食べるタレがこれです。ゴマダレのようなタレと甘みと酸味と辛味のあるタレです。どちらで食べても深みのある味でした。
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やっぱりワインを飲みたくなります。さっそくお薦めを頼みました。
チリ産のワインで「MAPU CABERNET SAUVIGNON CARMENERE 2008」で検索すると以下の通りでした。
クリックすると拡大  名前      MAPU マプ
  製造年    2008年
  生産国    Chile チリ
  地域      Central Valley セントラル・ヴァレー
  生産者    Baron Philippe de Rothschild
  タイプ     medium body ミディアムボディ
  分類      RED WINE
  葡萄の品種 Cabernet Sauvignon 、Carmenere
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今日のメインディッシュはエレファントフィッシュ(Elephant Fish)です。
クリックすると拡大下で紹介しているメニューには英語で「DEEP FRIED "GIANT GOURAMI" FISH」と書かれており、日本語では「鯛ぞ魚のもろく揚げ物」とかかれていました。ミト料理で有名な通称エレファントフィッシュと思われたために、店員さんに聞くと、そのエレファントフィッシュとの答えでした。以前にベトナム来たときに。ミトで食べて、また食べてみたかったので念願がかないました。やっぱり記念写真を撮りたくなります。
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店員さんが食べやすいように身をほぐしてくれます。我々が注文したのを見て隣のテーブルの3名の女性の方(おそらくフランスの人)も注文されていました。なかなかの迫力の料理でした。エレファント・イヤー・フィッシュとも言われています。


エレファントフィッシュの食べ方を紹介します。一緒に出されてくるライスペーパーにハープと一緒に包んで食べるのです。つまり生春巻きを作るのです。
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これが完成した状態です。生春巻きの完成です。上で紹介した春巻きのタレ2種類をつけて食べました。
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エレファントフィッシュ料理のメニューを紹介いたします。19万9千ドンは魚料理の中では一番高かったです。クリックすると魚料理のメニュー全体を表示します。
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野菜も頼みました。空心菜だと思います。
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ビールもいただきました。こちらではサイゴンビールにしました。


ビールやワイン以外の飲み物も頼みました。
いずれも不思議で、さわやかな色合いの飲み物でした。
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昨日は渡り蟹だったので、この日はマングローブに住んでいる硬い甲羅の蟹を頼みました。これはちょっと高級な蟹です。
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ここも紹介に値するお店でした。
 店名 VIETNAM HOUSE
 住所 93-95 Dong Khoi St., Dist. 1, HCM City
 電話 08-3829-1623
 HP  http://www.vietnamhousesaigon.com/home/en.html

日本人オーナーの人気ベトナム料理店 Huong Lai Restaurant [ホーチミン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ホーチミンの最後の日(9月9日)の夕食はガイドブックに載っていた日本人オーナーがやっているベトナム料理のレストランに行きました。早い時間帯(18時13分)だったので予約なしで行きましたが座ることが出来ましたが帰る時間帯(20時05分)ころには満席になっていました。日本人と欧米人のお客さんが多かったように感じました。特に日本の女性同士のお客さんは何組も見かけました。

こちらがベトナム料理の最初のセッティングです。中華料理のセッティングに似ていますが、皿ではなく深い鉢なのが中華と違うところです。


一品料理もいいのですが3人以上で行くときはセットメニューがお得なのでセットメニューを頼みました。頼んだのは一人13ドルの「シーフード中心コース」です。このコース意外に8ドルと11ドルと15ドルのコースがありました。メニューの中の赤枠が選択した料理ですが「エビのカレー・ココナッツミルク風味」を追加で頼みました。
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これが「えび入り揚げ春巻き」と「生春巻き」です。前日と同じように2種類のタレが出てきました。揚げ春巻きは何度も食べましたが、今回の海老が丸ごと入った揚げ春巻きは一番美味しかったような気がします。俗に言う絶品揚げ春巻きでした。
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これは「エビと花にらのオイスターソース炒め」です。これ以外の選択肢としては「エビのココナッツジュース蒸し」と「エビのカレー・ココナッツミルク風味」です。「エビのカレー・ココナッツミルク風味」は食べてみたかったので次に書いている通り追加で注文いたしました。
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こちらが追加で頼んだ「エビのカレー・ココナッツミルク風味」です。まろやかで風味豊かなカレーでした。これは是非とも食べてみたかったのでセットを頼むときに同時に注文いたしました。いろいろ食べれるので追加したのは大正解でした。
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「イカの炒め物t辛味サテー風味」です。こちらの場合のもう一つの選択肢は「白身魚の自家製さつま揚げ」です。
IMG_1817-960.jpg

これは「ポークスペアリブのから揚げレモングラス風味」です。こちらの場合のもう一つの選択肢は「豆腐のひき肉めトマトソース」ですが悩みますね。いっそのこと追加で注文すればよかったと今頃後悔しています。
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これは「ティンリー(花)のつぼみの炒め物」です。これ以外に二種類が用意されていました。その二品は「空心菜のガーリック炒め」と「ナスのグリルねぎ油風味」でした。
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これは「むらさき山芋のスープ」です。選べるスープは「チキンの酸味のスープ」もありました。
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クリックすると拡大「シーフード土鍋ごはん」です。
写真をクリックすると蓋を開けられます。
「シーフードチャーハン」も選ぶことができました。
クリックすると蓋の中身が見れます。

かき混ぜてから、みんなに分けます。日本人ですね。やっぱり土鍋のごはんは美味しいです。使われている皿類はベトナム独特のもので、こちらも見ごたえがありました。
IMG_1827-960-1.jpg

昔ながらの味が美味しい「ホームメードプリン」です。料理と違いデザートは全員違うものを選択出来ます。
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飲み物はベトナムコーヒーです。ベトナム独特のコーヒーの入れ方です。クリックすると拡大します。
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レシートの一番上がセットメニュー(Set menu)の13$×3=39$(764000ドン)です。一番下が追加の料理「エビのカレー・ココナッツミルク風味」です。値段は89000ドン(4.54$)です。残りの5行が飲み物です。6杯飲んだのがビールですが1杯が25000ドン(1.28$)は安いです。飲み物が全部で278000ドン(14.19$)でした。
すべてで1131000ドン(57.7$)と、美味しい食事がこの値段とは、やっぱりベトナムはいいですね。


昆野誠吾さんからドンは桁が多くて混同しやすそうだとコメントを頂いたので1万ドン札と10万ドン札を参考に掲載しました。チップで間違えたことがあります。同じホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh)の肖像画なので混同しやすいです。外国人にとって使い慣れていないお札なので色でのお札の識別感覚はないのです。
さらに2万ドン札と20万ドン札も掲載いたしました。
さらに、さらに5万ドン札と50万ドン札も掲載いたしました。
10000ドン100000ドン
20000ドン200000ドン
50000ドン500000ドン

店を紹介いたします。
右の写真はホームページから拝借させていただいた写真です。
クリックすると拡大右端がオーナーの白井尋さんです。我々が食事をしているときも店内を見てスタッフに指示をされていました。客への心遣いを説明している感じでした。
 店名 フーンライ Huong Lai
 住所 38 Ly Tu Trong Q.1Saigon  (2階)
 電話 08-3822 6814
 店主 白井尋
 HP  http://www.huonglai2001saigon.com/
 営業 12:00ー15:00 (L.O 14:00) / 18:00ー22:00 (L.O 21:00)
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ホームページの内容を記載します。
フーンライはサイゴンの中心部にある、こじんまりとしたベトナム家庭料理レストランです。社会的に恵まれないベトナムの若者達に新たな人生のチャンスを与えたい、ベトナム家庭料理を外国人にもっと知ってほしい、というふたつの想いで2001年にOPENいたしました。彼らと共にお客様に満足や喜び、素敵な思い出を与えられるよう日々がんばっています。
今では数少ないフレンチコロニアルの落ち着いた雰囲気の中で、彼らの心のこもったサービスと共に、こだわりのベトナム家庭料理をお楽しみください。
Huong lai オーナー 白井尋

パッションフルーツが食べ放題 [ホーチミン]

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ホーチミンのホテルの朝食はバイキングです。和食に洋食にベトナム料理があります。野菜や果物も沢山置かれていました。果物の中にパッションフルーツがあったために、さっそく食べました。石垣島で食べて以来お気に入りの果物になっていたのです。ベトナム独特の塩をつけて食べるのもいいと思います。

甘酸っぱい味がいいですね。結局半割れのものを4個も食べてしまいました。黒いのは種ですが、食べても食感的に気にならないので、そのまま食べます。
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パリからの帰りはFクラスでした。 [機内 F]



フーストクラスには滅多に乗ることが出来ないので全て紹介するようにしています。今までに6往復(12フライト)を紹介いたしました。→
数値をクリックすると記事表示
すべて紹介したつもりでしたが、掲載し忘れているフライトがあることに気が付きましたので少し前のことですが紹介いたします。このときはパリ⇔成田を往復いたしましたが、帰りの便だけアップグレードが出来ました。このときは飲み物はビールにいたしました。

このときは和食を選択いたしました。前菜は海老にイクラにモロキュウにホタテにチーズに栗でした。


焼き魚が入った椀物でした。


次は蟹が沢山入ったあんかけが入った魚料理でした。手前の鴨ロースもよかったです。


メインディッシュの拡大した写真を紹介します。


この日の最後の料理はお寿司でした。飛行機でお寿司もいいですね。


お寿司も拡大いたしました。


最後の飲み物はいつも通り紅茶を頼みました。フレッシュな果物も付いていました。


デザートはいろんなチョイスが出来ますが、和食らしいく栗羊羹を頼みました。


成田・パリ線はたっぷりと時間がありました。ビールを飲むのもいいですね。


着陸前の食事は、いろんなチョイスが出来ます。このときは天丼を頼みました。



出発便はファーストクラスではありませんでしたが比較のために紹介します。ここから下はビジネスクラス(Cクラス)の料理です。最初の飲み物としてはシャンパンを頼みました。


こちらはサラダや前菜です。


メインデッシュはシーフードを選びました。


ご飯は飛行機の中で炊く、炊きたてのご飯が出てくるようになってからは、おいしいご飯が食べられるようになりました。


最後のデザートには、いつも通り紅茶を頼みました。
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いろんなワインを飲んでみました。 [機内 F]

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少し前のことですが「Fクラス」シリーズを掲載いたします。この時は2010年6月27日に成田を出発して、7月1日にロシアのサンクトペテルブルグからフランクフルシト経由で7月2日に帰国しました。
長距離線はワインの、いいものが提供されるので、帰国便ではフランクフルトのラウンジではアルコールを控えていました。いつもは飛行機に乗ると、ビールを主体に飲むのですが、今回の帰国便ではビールは飲まずにシャンペンとワインだけにしました。そうしたくなる雰囲気でした。その帰国(フランクフルト→成田)便の雰囲気を紹介するために、飲み物を中心に紹介いたします。

これは最初に飲んだ「シャンパーニュ ドラピエ・グラン・サンドレ 2002 (Champagne Drappier Grande Sendree 2002)」です。1808年の創業で現在は8代目だそうです。今まで飲んだことがなかったので、お願いいたしました。
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シャンパンは2種類用意されていたので、2杯目に飲んだのが「シャンパーニュ・キュヴェ・ルイーズ ポメリー・ブラン 1999(Champagne Pommery Cuvee Louise 1999)」です。数あるシャンパーニュの中でも、もっとも華麗な話題に恵まれたシャンパーニュ・ハウスだそうです。長距離線では食事が出されるまでたっぷり時間があるので飲み物を楽しむことが出来るのです。
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食事に入ると赤ワインにいたしました。赤ワインは「シャトー・レオヴィル・ポワフェレ2004」と「ブシャール・ペール・エ・フィス シャンボール・ミュジニー 2006」と「アンジェリーニ ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ ヴィーニャ・スプンターリ2003」と「クスダ・ワイン シラー ニュージーランド」の4種類が用意されているので、その中からイタリアワインの「アンジェリーニ ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ ヴィーニャ・スプンターリ2003(Angelini Brrunello di Montalcino Vigna Spuntali 2003)」を飲んでみました。最初の2種類は飲んだことがあるので、このイタリアワインにいたしました。このワインは完熟した葡萄の濃い紅色から、黒いカカオやバルサミコなど複雑な香りで、熟成してなお清涼感のある甘美な果実味とスパイシーな余韻が特徴の銘酒だそうです。食事は、最後まで、このワインで楽しみました。
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食べすぎが気になっていたので食後のデザートは食べないで、白ワインを楽しむことにしました。白ワインはフランスの「フレデリック・マニアン ムルソー2007」とカルフォルアの「ドライクリーク・フュメ・ブラン2007」とドイツの「アウグスト・ケスラー リースリングR 2008」と日本の甲州ワインの「アルガブランカ ヴィニャル イセハラ 2009」が用意されていました。これはさすがに迷いましたが、カルフォルニアのワインが、コンテストでもフランスワインを押さえて優勝したことがあると聞いていたのでカルフォルニアのワインの「ドライクリーク・フュメ・ブラン2007(Dry Creek Fume Blanc 2007)」を飲んでみました。カリフォルニアではまだ無名だったソー ヴィニョン・ブランの栽培に没頭して、香気あふれる新鮮なワインを 発表しました。いわば、本家の意気込みがこめられたのがフュメ・ブラ ンだそうです。白ワインを頼むと、その肴としてキャビアを出してもらいました。最高の組み合わせでした。
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食事の内容も少し紹介いたします。この時に選択したのは「帆立とピーマンのサラダ」に「ほろほろ鳥のグリル」でした。今回の記事は小さい写真にさせていただいておりますので料理の写真をクリックすると料理全体が拡大して表示するに設定しておりますので、試してみてください。
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白ワインにはキャビアを出してもらいました。キャビアは食事の中の一つのメニューなので、こちらから言い難くかったのですが、キャビン・アテンダントの人からキャビアを薦めれたので、すぐにお願いいたしました。キャビアの写真はクリックすると拡大します。白ワインには、すごく合ういます。やっぱり美味しかったです。右側が着陸寸前の食事として頼んだのがオニオンチキンカレーでした。着陸寸前まで寝ていたので、食べようかと思っていた、寿司の盛り合わせは、なくなっていました。カレーに関しては行きの経験を生かして、ご飯は少なめにしていただきました。やっぱりカレーは美味しいですね。はずれはありません。名前は「東京香味カレーライス"オニオンチキン"」です。
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ここまでは帰国便での飲み物の紹介ですが、行きに関して下に記載いたします。


行きの成田→フランクフルトでの飲み物も紹介します。シャンパンはすでに紹介したシャンパーニュ・キュヴェ・ルイーズ ポメリー・ブラン 1999を飲みました。すでに上で掲載していますが行きの雰囲気をお伝えするために写真を掲載いたします。
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食事が出始めたのは出発してから2時間15分後でした。それだけ食事の前の飲み物を楽しむ時間があったわけです。行きの食事の飲み物は、この赤ワインを飲みました。飲んだのはフランス・ボルドーの「シャトー・レオヴィル・ポワフェレ2004(Chateau Leoville Poyferre 2004)」です。オー ナーのディディエ・キュヴリエ氏が、コンサルタントにミシェル・ロラン を招いて、複雑味を帯びたスタイルが注目されており、収穫から6年の熟成をして、肌理細やかなタンニンの味わいが楽しめる時期になっているそうです。メニューの最初に書かれているので、このワインを頼みました。なかなか美味しかったので、最後まで、このワインを飲みました。
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料理はイベリコ豚の生ハムのサラダ」に「和牛のフィレ肉のステーキ」を選択してしました。ステーキは塩だけで、いただきました。こちらの写真をクリックすると料理全体を表示します。
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食事の最後は紅茶でデザートをいただきました。写真はアイスクリームですがフルーツもいただきました。この時点で搭乗してから3時間50分です。まだまだ先は長いです。
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窓からの景色はバルト海です。同じ場所あたりのバードビューも紹介しておきます。左の景色はワルシャワあたりと思われます。
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このあたりで食事を聞かれたので天ぷら茶漬けにしました。長距離を体を動かさずに乗ってきた身としては、少しご飯が多かったかな。食べ終わったころの窓の景色です。窓の景色はクリックすると拡大します。
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いよいよドイツの領域に入りました。普通は着陸前にアルコール類は飲むことはないのですがフランクフルトに着いたあと、2時間20分待ちの後に、さらにベルリンまで飛ぶので、飲み物はビールをいただきました。着陸直前にビールを頼んだ経験はないので、それもいい経験になりました。そしてフランクフルトのルフトハンザのラウンジでもビールを飲みました。(笑)
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日本のお酒も、いいものが用意されていました。
大吟醸酒では山口県の「獺祭 磨き二割三分」と福島県の「飛露喜」があり、焼酎では鹿児島県の「森伊蔵」と大分県の「焼酎屋兼八」がありました。ラベルをクリックすると、お酒の説明文が表示されます。
クリックすると説明文を表示クリックすると説明文を表示クリックすると説明文を表示クリックすると説明文を表示

今朝のワンコの散歩は雪でした。 [犬]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

今朝(2014年1月19日)、ワンコの散歩に出ようと玄関を開けると上の写真のように雪が積もっていました。この冬最初の本格的な雪の日となりました。昨晩、21時20分に車で出かけた時に外の気温が、夜にしては珍しくマイナス( -1℃)だったのが、この雪の兆候だったようです。
ワンコは雪が大好きなのでカメラを撮りに家の中に戻ると、ワンワンと吠えていました。いつもは朝の散歩の時は待たされても吠えることはないのですが、早く散歩に行きたかったのだと思います。

まだ暗いのでクリアな写真ではありませんが、薄らと一面が雪に覆われていることが判ってもらえると思います。


いつもと同じ道ですが興味津々です。


やっと顔の写真が撮れました。やはり暗いので、少し手振れしています。


動画も撮りました。こけませんでしたが、撮影中に凍結した路面で滑ってしまったことが判ると思います。


近くの小学校の校庭も雪に覆われていました。結構、寒かったです。
この写真はクリックすると拡大いたします。
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追伸
ワンコの散歩の時は暗かったので8時30分に雪の写真だけを撮りに出かけました。上と同じ小学校の校庭の写真です。
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見事に晴れました。
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街角で記念撮影 台北より [台湾]

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場所は台湾の台北です。ベトナムと同じように街角で記念撮影!
この建物は結婚式場とは全く無関係! 
某大手会社の本社ビルです。
この建物に使われている花崗岩(御影石)は日本産と聞きました。
街行く人の目線など二人の眼中にはなし。
入口に小さな看板が立てられているのがわかると思いますが、そこには写真撮影禁止と書かれています。この建物が結婚記念の撮影によく使われている証拠ですね。
月曜日の15時ごろでした。上の写真はクリックすると拡大します。

追伸
無関係ですが下記の果物は何でしょう? 台湾にあったものです。


割ってみました。

タグ:結婚 台湾 台北

鞍馬寺 奥の院 [京都]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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上の写真が鞍馬寺の「奥の院」です。2013年12月25日の鞍馬寺と貴船神社に行き、正月の記事で貴船神社を紹介し、2014年1月14日の記事で鞍馬寺を紹介いたしました。1月14日の鞍馬寺の記事では叡山電鉄の鞍馬駅から鞍馬寺本殿金堂までを紹介したので、本記事では鞍馬寺の奥の院の領域を紹介いたします。

下記の地形図で赤色ラインが今回歩いた鞍馬駅から貴船に抜ける道です。本記事では紫色マークの鞍馬寺本殿金堂から緑色マークの貴船神社までを歩いた順番に紹介いたします。途中の青色マークが僧正ガ谷不動堂と義経堂の位置で臙脂色マークが鞍馬寺・奥の院(魔王殿)の場所を示しています。

より大きな地図で 鞍馬寺 を表示
前記事の最後の写真です。ここをくぐると奥の院への参道です。
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奥の院への参道のの入口です。ここから山の中に入っていきます。
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奥の院への参道を登り始めて最初に鐘楼(しょうろう)がありました。参道から少し登ったところにありました。
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鐘楼に下がっている梵鐘は寛文10年(1670年)の銘文を持った古いもので、「扶桑鐘銘集」にも紹介される名梵鐘だそうです。毎年、除夜の鐘を撞くしとが列を作るそうです。横の説明に軽く撞く(つく)ときれいな音が響くと書かれていたので、軽く撞いてみました。確かに素晴らしい音が響きました。これは是非とも撞いてみてください。お勧めです。軽くです。音が広がっていきます。
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梵鐘の撞き方のコツの説明を紹介いたします。「一呼吸して心を鎮め、やさしく静かに撞いてください。やさしく撞くと良い音が出ます。」と書かれていました。
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IMG_8129-50.jpgこれは与謝野鉄幹と与謝野晶子歌碑です。鞍馬弘教を開宗した信楽香雲管長は与謝野晶子の直弟子で、大正時代から交流があったそうです。縁が深かったようです。霊宝館には与謝野鉄幹・与謝野晶子の遺品等を展示されているそうです。右の写真はケーブルカーの山門駅の待合室に飾られていた与謝野鉄幹と与謝野晶子の写真です。


「ここより奥の院へ」と書かれているようにこの門より奥が、奥の院の領域というようです。左の建物は東京から移設された与謝野晶子の書斎「冬柏亭」です。門の名前は「御山の門」です。
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奥の院への御山の門をくぐって上から撮りました。
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御山の門から少し進むと水飲み場がありました。牛若丸が東光坊から、毎夜、奥の院への兵法の修行に通う途中、ここの清水を汲んで喉の乾きをうるおしたと伝えられている「息つぎの水」です。八百余年を越えた現在も水が湧き続けているのです。
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こちらは「屏風坂の地蔵堂」です。別名を「革堂の地蔵堂」とも呼ばれています。
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参道脇には「ここから奥には入らないでください。 クマやマムシや毒虫がいます。」の表示がありました。


その入ってはいけない道の方向です。
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山道を上り詰めた峠には「背比べ石」がありました。奥洲へ下る牛若丸が、鞍馬山と名残りを惜しんで、この石と背比べをしたと言われています。右の奥へ行く道は鞍馬山の山頂方向ですが、こちらも進入禁止のロープが張られていました。
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「背比べ石」からは大杉権現社と奥の院に道が分かれていたことから奥の院へ進みました。この時は奥の院から帰りに寄るつもりでしたが、奥の院から貴船の方に下りて行ったことから木の根道や大杉権現社には行けませんでした。ここを訪れられたら大杉権現社によって~奥の院に行くことをお勧めします。別のルートがあり「背比べ石」に戻ってくることなく奥の院に行けることが、この石柱で判りました。
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背比べ石からは下りとなります。少し降りたところに「僧正ガ谷不動堂」がありました。不動堂はその昔、伝教大師が天台宗開宗の悲願に燃え、一刀三礼の札を尽くして刻んだと伝えられる、不動明王が奉安されています。
ここは鞍馬天狗が牛若丸と出合ったと伝えられる場所でもあります。
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僧正ガ谷不動堂の前には義経堂がありました。義経堂は、奥洲衣川で若い命を散らした源義経公の御魂は、幼少時代を過ごしたなつかしい鞍馬山に戻って来たと信じられ、遮那王尊としてお祀りされているそうです。
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義経堂および僧正ガ谷不動堂は本殿金堂から711mの位置で、奥の院までの距離は241mでした。この表示を見て奥の院に行った後は、鞍馬駅に戻るのではなく貴船に向かうことを決めました。


奥の院への山道です。


木の根が見事な景観を見せてくれました。
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奥の院(魔王殿)が見えてきました。
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奥の院(魔王殿)は、磐座・磐境とも称され神々が降臨された場所として崇拝され、太古より宇宙の力が満ち溢れ、その波動がご開山・鑑禎上人を初め多くの修行者を鞍馬山へと導き、宇宙の真理に目ざめさせたといわれています。
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奥の院(魔王殿)の正面の大きな灯籠が印象的でした。中心位置より少し右側に設置されているのが不思議でした。
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中に入って見ると、さらに奥に建物がありました。これが奥の院魔王殿の本殿(小堂)だと思われます。つまり大きな建物は拝殿ということになります。鞍馬寺は寺ですが神社のような配置です。拝殿の中から拝めるのはいいですね。
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その小堂の中に650万年前に金星から地球に降り立ったと言い伝えられている護法魔王尊を祀っているそうです。
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建物(拝殿)の中には長椅子が置かれておりゆっくりと休むことも出来ました。独特の不思議な雰囲気でした。
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ここから貴船神社までは647mです。ここまで来たら仁王門まで戻ることは考えられません。


貴船側への道からみた奥の院(魔王殿)です。
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貴船への道はジグザクの急坂でした。逆のルートは大変だと思いました。
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奥深い場所でした。少し進むと貴船の辺りを流れる川の水の音が聞こえてきました。
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途中には石の社があり尊天と刻まれた石柱が立てられていました。鞍馬寺の本尊は毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体で、寺では本尊を「尊天」と称しています。それと関連があるのかもしれません。
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見事な倒木も見ることが出来ました。
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石の上の苔も見事でした。
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鞍馬寺への西門です。ここから入る場合も愛山費200円を払います。
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西門の前には清流・貴船川が流れており、清流に架かる橋を渡ると貴船です。貴船川は鞍馬川に道隆してやがて鴨川となっていきます。
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西門から川上に少し登ると貴船神社の入口です。赤い鳥居をくぐって石段を上ると貴船神社の本宮(本殿)があります。
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1月14日は青菅のどんどれえ 2014年 [風習]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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毎年1月14日に、千葉県佐倉市青菅地区では正月飾りなどを燃やす「どんど焼き」が行われています。江戸の初期から続く小正月の伝統行事ですが、この青菅地区では「どんどれえ」と呼ばれています。規模が大きく一般には「青菅のどんどれえ」と呼ばれています。わが家からは歩いて10分くらいの距離なので昨年初めて見に行きましたが吹雪のような大雪と強風で本来の「青菅のどんどれえ」ではなかったと聞きましたので、今年2014年は是非とも見に行くつもりでした、天気も良く見事な「青菅のどんどれえ」を見ることが出来ました。中々の伝統行事であったことから紹介いたします。
   2013年の青菅のどんどれえ → ポチッ

「どんどれえ」の全景は夜は見えないので昼の間に撮った「どんどれえ」の写真を紹介します。元々は「どんどれえ塚」を建てるところを撮りたかったのですが2014年1月11日に見に来た時にはすでに、この写真の状態でした。「どんどれえ塚」は「ドウシンボク」と呼ばれる1本の竹を中心に、9本の孟宗竹を直立に立てて作られるそうです。
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どんどれえ塚には太い竹を切ったものが組み込まれています。これが爆発すると、どんという音するから、どんどれえの名前になったようです。これはかなりの迫力でした。これが本当の爆竹なのでしょう。
一般には、「どんど焼き」と言われるこの行事ですが、青菅の「どんど焼き」が「どんどれえ」と呼ばれる理由をネットで調べてみると、この竹が破裂する音にあるそうです。称念寺の先代の御住職・小島令考氏(故)によって記されたものに爆竹の「どんど」に「払い」が訛って「はれえ」となった語が続き、「どんどはれえ」が「どんどれえ」となったもので、言葉の意味としては、「爆竹の大きな音で、悪魔払いをする」そうです。この「どんどれえ」の呼び名に悪魔払いの意味が含まれているようでした。
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わが家から持ってきた今日月飾りも燃やしてもらうために置きました。この大小の2つの正月飾りが我が家から持ってきたものです。


Googleの航空写真で「青菅のどんどれえ」が行われた場所を紹介いたします。航空写真でもはっきりと「どんどれえ塚」がわかります。
赤色マーク( )の場所です。

より大きな地図で 青菅のどんどれえ塚 を表示
毎年18時きっかりに点火するそうなので家を17時30分に出発して、どんどれえ塚に17時40分に到着いたしました。ここからは時間の順番に写真を紹介いたします。
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お願いの表示があったので、初めての方のために紹介いたします。ダルマ、人形、ゴム製品、ゴミはだめです。門松、注連縄、お札などを持ってきて焼いてください。


18時が近づいてきたので、どんどれえ塚に、お神酒をかけていました。これが最初の行事でした。


18時にお孫さんと思われる小さな子供さんと二人で火を着けます。灯油を湿らせた松明に火を着けました。青菅のどんどれえは2007年6月に市指定無形民俗文化財になりました。
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どんどれえ塚に点火です。
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点火は2人だけで行ないます。塚の周りを回りながら周囲に火を着けます。
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火はすぐに大きくなっていきます。
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点火して2分で、火はこの勢いになりました。大雪だった昨年とは大違いでした。
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この時は見ている方は比較的近い位置で火が大きくなっていくのをみまもられていましたが、火がさらに大きくなってくると遠くに離れました。皆さんが持っているのは先端に餅が付けられた竹や木の棒です。
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高く積み上げられた部分に火が上って行きました。
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遠くから撮った写真です。
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クリックすると拡大火の近くの人は減ってきました。皆さん熱いので遠くに離れたのです。ちょうどこのころが冒頭の写真の時間で、18時3分でした。つまり火を着けて3分でここまで火が大きくなるのです。
以前は1月14日に小正月の行事として男の子を中心として行われていましたが、現在では区の行事として大人とともに行われています。そんな伝統があることから子供さんが火を着けていたのだと思います。周囲から燃え上がった火が、中央の竹の「ドウシンボク」に移り地面に倒れると、その倒れた方角で一年の豊凶を占います。
火が下火になった頃に、ザンマタ(二股)の栗の枝に一個ずつ餅を刺し、焼いて食べると一年間風邪を引くことがないと言われています。また、門松の燃えさしを、家の門口に立てて盗難除け、魔除けとするそうです。
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火の粉も舞い始めました。これから炎が最も迫力を増してくる時期になってきます。この時が18時4分です。火を着けて、たった4分しかたっていないのです。
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木の枝や竹が積み上げられた部分が本格的に燃え上がり始めました。
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炎に包まれました。この後、迫力のある竹が破裂する音が続きました。
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爆竹の音を紹介したくて動画を掲載いたしました。動画のプレーボタンをクリックしてもらうと竹が破裂する音を聞くことが出来ます。爆竹の「どんど」という大きな音で悪魔を祓う意味があるようです。


火の粉もさらに舞い上がる勢いを増しました。
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こちらの動画でも竹の破裂音を聞くことが出来ます。


高く立てられていた竹が焼けて倒れ始めました。
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迫力の炎の伝統行事です。
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満月が出ていたので満月と青菅どんどれえのツーショットも掲載いたします。
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竹はすべて焼け落ちました。この時、18時11分でした。
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遠巻きに皆さんは見ておられました。


餅を焼くために竹の先に大きな餅を刺して待っておられました。皆さんつきたてのお餅で焼かなくても食べれるほど柔らかな餅ばかりでした。


二股の栗の木の枝に餅を刺して焼くのが正式な焼き方だそうです。簡単には長い栗の枝は手に入らないためか、ほとんどの方が竹を使われていました。


360度を紹介する動画です。全体の雰囲気が判ってもらえると思います。


まだ火が大きいことが判ってもらえると思います。皆さん、餅を焼くために近づくことが出来るまで火が弱まるのを待っているのです。


心なしか、炎が小さくなってきました。
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炎は、まだ強いけれども餅焼きが始まりました。焼いた餅を食べると一年間、風邪を引かずに健康に過ごせるそうです。


完全に焼かなくても炙る程度でよいと話されていました。何しろ熱いので餅が焼けるほど近くに居続けるのは大変なのだと思います。


沢山のお餅が焼かれ始めました。


地元のテレビ局の人が「青菅のどんどれえ」を取材に来られていました。女性のキャスターの方が小さな子供さんにインタビューをしているところを撮っているところです。放送は2月16日(日曜)の朝の番組だそうです。静止画だと完全防寒の小さな男の子が判りにくいので簡易動画にいたしました。手に持っている餅の動きでインタビューを受けている青い服の男の子が、わかってもらえると思います。


まだ火の勢いが結構あることを紹介したいので、この写真を掲載いたしました。


テレビ局の方も餅焼きの光景を撮られていました。
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偶然照明が当たった写真が撮れたので掲載いたしました。決死の覚悟で餅を焼いているのが判ってもらえると思います。この時、18時26分でした。19時に近くなると比較的楽に焼くことが出来ます。見学に来られた方は、つきたてのお餅を一つもらえるので、家内は竹を貸してもらい焼きました。それを、その場で食べたので今年は風邪を引かないと思います。
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餅を焼いている場面の動画です。


少し炎が小さくなってきました。
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短時間なら、餅を焼くところを近くで撮ることが出来るくらいの熱さになってきました。
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でも時々、崩れて炎が大きくなることもありました。
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皆さんが餅を焼き終わったのが19時53分でした。火がおさまると地元の消防団の方が水をかけるということなので、我々も家に引き上げました。
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翌日の早朝にワンコの散歩を兼ねて来てみると、どんどれえ塚はきれいに燃え尽きていました。中心の「ドウシンボク」が確認できました。青菅区自治会の方、ならびに消防団の方、ありがとうございました。遅くまでお疲れ様でした。
 So-net内の「どんど焼き」の記事→1週間 6ケ月 1年 無制限 どんどれえ
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千葉県佐倉市青菅地区で米の生産・販売IMG_8129-50.jpgされている方のホームページ「らいすぼうい」の中に「青菅のどんどれえ」に関する詳しい説明があったので、そのまま枠内に転記する形で紹介いたします。ホームページの会社も紹介します。
 【会社名】   有限会社 らいすぼうい
 【代表者】   三門 増雄
 【所在地】   千葉県佐倉市青菅272
 【電話番号】  043-487-6965
 【特徴】     あいがも農法 冬みず田んぼ
青菅の「どんどれえ」 
青菅(あおすげ)の「どんどれえ」は、千葉県佐倉市青菅で行われる小正月の行事です。江戸時代初期にこの地を知行した旗本川口氏の頃に始まったと伝えられています。市内でも数少なくなった民俗行事です。 1月14日の夕方に、正月の門松やしめ縄を「どんどれえ塚」と呼ばれる場所に一か所に集め、高く積み上げて焼きます。以前は、14日に小正月の行事として男の子を中心として行われていましたが、現在では地区の行事として大人とともに行われています。
この青菅の「どんどれえ」について、佐倉市文化財審議会委員の長さんが、昭和60年代当時、お年寄りから聞いて書き留めたもの、またご自身で調査された結果をまとめた貴重な資料がありますので、それをもとに詳しく紹介したいと思います。

◆ なぜ、「どんどれえ」?
一般には、「どんど焼き」と言われるこの行事、どうして「どんどれえ」と言うのでしょう。称念寺の先代の御住職・(故)小島令考氏によって記されたものによると、爆竹の「どんど」に「払い」が訛って「はれえ」となった語が続き、「どんどはれえ」が「どんどれえ」となったもので、言葉の意味としては、「爆竹の大きな音で、悪魔払いをする」とあります。実はこの名称は、この行事の本質を最も端的に表している言葉だったのです。

◆ 九本のご神木
青菅の「どんどれえ」では、「どんどれえ塚」に、「どうしんぼく」と呼ばれる 1本の竹を中心に、9本の孟宗竹を直立に立てて火をつけます。その一本一本は上部に枝葉を残してあとはきれいにとってしまいます。これは、神様の依り代(よりしろ)を表しています。依り代とは、神様が降りてこられる所のことです。真ん中に立てる竹を「どうしんぼく」と言いますが、「中心にある神木」の意味です。
全国のどんど焼きや左義長では、割合多くのところで一年12ヶ月を表す12本の竹を立て、うるう年には、1本多く立てています。つまり、月々の悪魔払いをして一年の無病息災・五穀豊穣を祈願しているのです。他に36本というのもあり、これは12ヶ月と24節気を合わせた数だそうです。つまり、この行事は、暦数や天体、吉凶を占うことと深く関連があります。
青菅の場合の「9」という数についてですが、「九曜」ととらえられています。九曜に対する信仰は日本では平安時代にさかのぼります。「七曜」とは、「日・月・火・水・木・金・土」のことで、「九曜」はこれに「羅ゴウ(漢字は目へんに侯)・計都」という想像上の星を加えたものです。

◆「どんどれえ」の歴史
小島令考氏によって記されたものによると、その歴史は、青菅に旗本の川口氏がおかれた江戸時代初期にさかのぼるようです。初期の「どんどれえ」は、「小陣屋口の全戸がクズ束を持ち寄り夕暮れに点火したと伝わる」と記されています。つまり、この行事の始まりは、陣屋口からということになります。
(『佐倉市史』には、青菅は慶長 11年(1606年)から元禄11年(1698年)8月までの約93年間、徳川幕府の直轄地で、川口宗勝・宗信・宗次・宗恒の四代にわたる知行地(治めた所)であり、四代目の宗恒が出た後に、佐倉藩領になった事が記されています。この時、数人の家臣がとどまり、後に「陣屋口五姓」「郷口二姓」と言われるようになったようです。)
明治時代中ごろには、すでに子供の行事としてほぼ現在と同規模になっており、大正時代末ころまでに辺田の子供たちの参加も自由になったようです。戦時中、米軍機が飛来した数年間も日没前にごくささやかに行われ、戦後次第にかつての盛大さを取り戻していったと記されています。記録で見る限り、この行事を行わなかった年がないということになります。

  ◆昔の「どんどれえ」の様子
青菅には、幕府時代から、火災予防のため薪(たきぎ)置き場の共有地があり、そこに「木小屋(きごや)」がありました。今は電気やガス・石油など使い便利になりましたが、以前はカマドや風呂焚きなどに使う一年分の燃料(クズ)を集めるために、冬場の作業として山の中に入りました。燃料は、山林の下枝や下草で、これを刈って束ねたものを木小屋に蓄えたのです。木小屋は、通称「出土」に十数棟、「大和田台」に数棟ありました。子供たちは一軒につきクズを二束ずつもらい、荷車で「どんどれえ塚」まで運びました。(もっと前は、三束ずつ集めたようです)
子供たちは、正月三日から「どんどれえ」の孟宗竹9本分の穴掘りを始めました。周辺の竹林から孟宗竹を切り出し、一本を4~5人で運び、9つの穴に立てました。竹の間にクズ束を積み上げてその上に2人の子供が上がり、竹2本をレールにしてさらに下からクズ束を引き上げて重ねていき、最後に各家から集めた門松などを頂上に積み上げます。「どうしんぼく」に青菅側に倒すための引き綱が結ばれてこれで完成です。
14日当日、午前中にそれぞれの家で新年最初の餅つきをします。前日までに適当な大きさの栗の木を準備しておきますが、14日この木を家の大黒柱に結わえます。ついたお餅は丸餅にして12個を枝にさしたり戸主の年齢の数だけさしたりします。12個というのは、一年12ヶ月が実りある年でありますようにということなのです。これを「成り木」といい、このお餅を「成らせ餅」といいます。栗の木は、一年間繰り回しが良いようにと祈念して使われます。この時に、「どんどれえ」で焼くお餅を、また焼くときに使う長さ2~3mで先が二股に分かれた栗の木の枝も準備します。
夜6時、最上級生の男の子により点火され、炎が上空に上がると子供たちは「どうしんぼく」を青菅側に倒そうと懸命になったようです。一年の吉凶を占っているのです。青菅側に倒れると青菅が豊作、先崎側に倒れると先崎が豊作と言われています。その年一年、豊作でありますようにという祈りがこめられています。

◆無病息災・五穀豊穣を祈願
火が下火になった頃に、ザンマタ(二股)の栗の枝に一個ずつ餅を刺し、この火にかざして焼きその場で食べますが、これで、一年間風邪を引くことがないと言われています。また、門松の「燃えちゃれ(=燃えさし)」をいただいて帰り、門口にさします。こうすると、「盗難除け」「魔除け」になると言われます。また他にも、「どんどれえ」を行えば火災は起こらない、正月の焚き火は「どんどれえ」前にはやらない、正月にとった燃料は、「どんどれえ」前には燃やさない(これを犯せば火事になると信じていた)、などの言い伝えがあります。
「青菅には心から誇れる歴史も伝統行事もございます。一つの行事が、長く続いて来たということには、やはりそれなりの確かな意味を伴っております。その意味を知ってこそ、行事にたずさわる意欲そして大きな喜び、さらに郷土への誇りも湧いてくるのではないでしょうか。」と、佐倉市文化財審議会委員の長さんは、最後をこう結んでいます。
古くから青菅にある家から、小学校に通う子供は非常に少なくなってしまいましたが、今は大人が中心になって、現在もこの伝統行事を続けています。

青菅村の歴史  
印旛沼に注ぐ青菅川の北に先崎村、南に青菅村と相対している。 ・慶長十一年(1606年)以来、旗本川口宗勝領で印旛・葛飾両郡で領した二千五百石のうちの一部(宗勝は初め織田信長に任う)。
・承応二年(1653年)葛西郡青菅村田畑改帳を集計すると、田畑屋敷合わせて一町歩以上が六名、八反部以下四名(当時の佐倉領内の地村と比べて富裕である)
・元禄十一年(1698年)、治世4代で宗勝は采地が香取郡に移される。その跡は佐倉城主戸田忠昌の領となり、初めて地名に印旛郡を冠した。
・元禄十四年(1701年)、佐倉領となったのを機に、城主戸田忠昌の役所に差し出した「青菅村差出シ帳」に、「村高百四十一石六百九十五、田方十四町四反三畝二十歩、畑屋敷合四町三反一畝十五歩、御林八ヶ所」(この内訳を延享三年(1746年)、掘田城主に看わした青菅村明細帳より摘記すると「御林八町八反二畝・御塚村三町四畝・木ノ宮林二町四反五畝・西山林四反六畝・向原林三町二反六畝・別所林七反・稲荷林一町五反一畝・妙見林一反九畝」)で藩有林となった面積、争数が多いのが注目される。なお延亨三年の差出シでは他に馬数二十九疋、家数二十六軒(内、本百姓二十二軒、水呑四軒)となっている。
・天保三年(1832年)の免定(割付)では村高百四十五石七十三、納合米五十八石二百三十二、永一貫八百九十一文(野銭)、鐚四貫十三文(山銭)。寺社では浄土宗鎮西派称念寺(天正五年(1577年)創建)、真言宗正福寺(領主川口氏の菩提寺)がある。
・明治22年(年)で面積一四三町一反三畝、世帯三三、人口一九五人あった。
(出典:佐倉市史・第一章 社会生活 P41-42)

青菅どんどれえ塚の位置をGoogle地図で紹介します。
 どんどれえ塚         住所:千葉県佐倉市青菅69-2
 ユーカリゴルフプラザ駐車場  住所:千葉県佐倉市先崎233
 ━━ ユーカリが丘線中学校駅からの徒歩ルート 1.4km
 ━━ ユーカリゴルフプラザからの徒歩ルート  740m

おでんBAR [韓国]

が表示された写真はクリックすると拡大します。
ソウルで焼肉を食べた後にホテルに帰る道で気になる看板「おでんBAR」を見つけました。HOF&SAKEがお店の名前でしょうか。ハングルが書かれていないのが特長の看板でした。
最近、このようなお店が韓国で流行っていると聞いていたので入ってみることにしました。
カウンターで少人数で「おでん」を楽しみながらお酒を楽しむ感じの場所でした。
入口に「紀文のおでん」の、のれんがかかっているのが、わかりますか。
最初はすいていましたが、時間と共に席はほぼ満席になってきました。若い人が中心で、皆さんお酒の肴の追加はほとんどなく、会話を楽しんでおられました。我々は生ビールを頼み、いつもの習慣で沢山おかわりもしました。
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お通しはラッキョとタクワンでした。


さっそく「おでん」を頼んでみました。これで24000ウォン(2400円)と意外と高いです。このような雰囲気がいいのかもしれません。ビールも一般のお店より高かったです。
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牛肉のタタキも頼んでみました。焼肉を食べた後の帰る途中だったので、さすがに量が多かったです。
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タグ:韓国 日本食

鞍馬寺 [京都]

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昨年の暮れ(2013年12月25日)に鞍馬寺と貴船神社に行きました。貴船神社は正月の挨拶の記事につかわさせていただきました。クリックすると拡大そこで、ここでは鞍馬寺を紹介させていただきます。上の写真は叡山電鉄の鞍馬駅の広場です。遠くに見える建物が鞍馬駅の駅舎です。鞍馬と言えは鞍馬天狗が有名です。大きな天狗のお面が鞍馬天狗の里に来たことを感じさせてくれました。鞍馬天狗は、鞍馬山の奥の僧正が谷に住むと伝えられる大天狗で、牛若丸に剣術を教えたという伝説で知られています。鬼一法眼と同一視されることがあり、別名が鞍馬山僧正坊です。なんといっても鞍馬天狗は映画が有名です。有名になったのは、鞍馬天狗が1924年に第1作の小説が発表されて有名になり沢山の小説や映画が作られたためだと思います。

ここから順番に紹介していきたいと思います。駅前広場の出口のお店です。店名は「かどや」さんで名前の通り角にあります。右の奥に鞍馬駅があります。


「かどや」さんの向かいが多聞堂です。看板には神虎餅多聞堂と書かれています。神虎餅と牛若餅が有名な甘味処のようです。
左の写真はネットから拝借したものですが左側のヨモギ餅のが神虎餅で右側が牛若餅です。左方向に鞍馬駅があり右の道路を進むと鞍馬寺です。
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鞍馬寺の仁王門が正面に見える参道です。左端のお店が上で紹介した多聞堂です。
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鞍馬寺の正面玄関にあたる仁王門(鞍馬山門)の正面の石段前に来ました。仁王門に向かって左側に見える建物は修養道場だそうです。
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石段を半分程度進んだ場所から見た仁王門です。
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最後の石段前から見上げた仁王門です。仁王門はクリックすると拡大寿永年間(1182~1184)に建立されたが明治24年に火災で焼失し、明治44年に再建されたものです。昭和35年に移築修理が加えられたそうです。クリックするとオリジナル記事向かって右側の扉一枚は寿永の頃のものだそうです。右側の柱には「鞍馬弘教総本山鞍馬寺」と書かれていました。この「鞍馬弘教総本山鞍馬寺」の書は、とりのさとZさんのご友人の書道家である田中心外さんが書かれたものだそうです。右上の田中心外さんの2枚の写真はネットから拝借させていただきました。
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大きな鞍馬寺の文字を見て初めて鞍馬寺に来た実感がわいてきました。


仁王門の名になっている仁王像が左右に2体あります。仁王像は運慶の長男である湛慶(たんけい)作と伝えられています。


仁王像は近づいて見ると迫力があります。
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仁王門をくぐるり愛山費200円を払って鞍馬山に入山します。浄域の看板が印象的でした。


鞍馬寺境内には無料の小さなケーブルカーがあります。歩いて登る道は倒木の危険があることから通行止めになっている為、本堂に行くためには、このケーブルカーを使う必要があります。始発は8時25分で毎時10、25、40、55分に運転されていました。歩いて降りることが出来ないため下りの最終時間は確認しておく必要があります。この時は16時50分でした。ここが山門駅でケーブルカーは牛若号です。
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ケーブルカーの正式名は鞍馬山鋼索鉄道で宗教法人鞍馬寺が運航しています。鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては唯一の、宗教法人が運営しているケーブルカーであり、日本一短い鉄道でもあります。単線で行き違い設備のない巻き上げ式のケーブルカーです。


上の多宝塔駅が大きく見えてきました。鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては、現在唯一の運賃が無料の鉄道でもあります。愛山費200円の一部が運賃と言えるかもしれません。
  路線距離 : 191m
  軌間    : 800mm
  高低差  : 89m
  開業    : 1957年   1975年: 2代目車両  1996年: 3代目車両
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多宝塔駅の脇には羅生門天が祀られていました。この羅生門天は多宝塔建立のときに草むらから出現した石仏で、開運の羅生門天と言われています。
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こちらが多宝塔です。多宝塔はもともと本殿本殿東側にあったとされていますが、江戸時代に焼失して、現在の塔はケーブル開通後に現在の場所に再建されたそうです。
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別の角度から見た多宝塔です。枝垂桜でしょうか。桜の季節にはきれいな景色を見せてくれるのだと思います。
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多宝塔駅から本堂への参道です。


途中に鞍馬山七福神の一つである弥勤布袋尊がありました。鞍馬寺は、寺とはいえ神仏習合(混合)の様式が見られました。
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弥勤布袋尊から参道が続きます。


途中に「急告!」文がありました。ケーブルカーのところで説明させていただいた通り「倒木の危険があるため徒歩での参拝は出来ません。」とありました。


こちらが今は通れない徒歩で昇り降りする参道です。
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多宝塔駅からの参道での最初の石段です。


石段脇には「巽の弁財天」がありました。本殿の南東(巽)の方向にあるので「巽の弁財天」と呼ばれています。福徳・知恵・財宝・技芸を授かる神として信仰されています。
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階段を少し登った左側には寝殿と呼ばれる場所がありました。大正13年に基礎の御料林の檜材の払い下げにより、平安時代の寝殿造を忠実に再現したものだそうです。作られた年に皇后が休息されたそうです。
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寝殿の向かいにある手水舎です。後ろの建物は転法輪堂という道場です。ここからさらに石段を上ります。
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石段を見上げた景色です。
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石段にはもみじの落葉が沢山落ちていました。


登ってきた石段の方向です。
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やっと本殿金堂にたどり着きました。鞍馬寺は鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりと伝えられています。山号は鞍馬山で、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体を本尊としています。寺では本尊を「尊天」と称しています。
鞍馬寺と言えば源義経の幼名である牛若丸が修業をした場所とし有名です。鞍馬寺に預けられた牛若丸は遮那王と呼ばれていたそうで、鞍馬寺ではその後、衣川で亡くなった義経の魂は鞍馬寺に戻ったとされ、神格化され、護法魔王尊の脇侍となり、遮那王尊として奥の院の義経堂に祀られているそうです。
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翔雲臺と呼ばれる板石です。ここが平安京の擁護授福のため本尊が降臨した場所とされています。この板石は本殿後方より出土したもので平安時代より鞍馬寺に伝えられた妙法写教会の経巻を埋納した経塚の蓋石です。板石の下から発掘された経塚遺物二百余点がことごとく国宝に指定されたそうです。今は板石は本殿の正面に置かれています。つまり写真を撮っている私の背中側に本殿正面があります。


鞍馬寺は狛犬ではなく虎なのです。本殿の左右に置かれていました。阿吽の虎というそうです。右側の虎が大きく口を開けていました。左の虎は口を閉じていました。虎は御本尊の一尊でもある毘沙門天のお使いであるといわれる神獣で、毘沙門天ご出現が、虎の月・虎の日・虎の刻であったことから、鞍馬山では特に大切にされているそうです。
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本殿金堂の標高は410mで、鞍馬山山頂は570mとの表示がされていました。


本堂前には雪が残っていました。丸く石が並べられたところは金剛床(こんごうしょう)です。内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものと一体化するという鞍馬山の教えの理想を表現しているそうです。
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本殿の左側にあるのが光明心殿です。光明心殿は護法魔王尊が祀られており、護摩供を修する道場です。
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本坊金剛寿命院の横に本坊と渡り廊下でつながった舞台がありました。舞台の脇には奥の院参道の表示がありました。
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ここをくぐると奥の院への参道です。奥の院への続きは別途記載いたします。
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鞍馬天狗の映画を動画で紹介いたします。
1951年作の「鞍馬天狗 角兵衛獅子」です。

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日本の世界遺産 古都京都 [京都]

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今までにインドの世界遺産など世界の世界遺産を紹介してきました。日本にも沢山世界遺産があります。12月に世界遺産の一つである京都に行く機会がありましたので紹介いたします。京都観光は、おそらく小学校の遠足以来だと思います。関西に住んでいたにも関わらず、あまりにも身近なためか長く訪れたことがありませんでしたが、外国人を案内することで経験することが出来ました。あらためて来てみるとすばらしいところであることを実感させられました。
世界遺産としての京都は紹介しきれないほど沢山の見どころがあります。今回は外国人の案内なので有名なところだけとなりました。これは清水寺(きよみずでら)の本堂で一般的に清水の舞台(きよみずのぶたい)と呼ばれています。

清水寺は奈良時代末の778(宝亀9)年に立てられました。清水の舞台からの景色も良いですね。京都市内が見渡せます。
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清水の舞台を下から見上げてみました。
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清水寺の入口の仁王門(室町後期再建)と西門(江戸初期再建)と三重の塔(江戸初期再建)です。いずれも重要文化財に指定されています。
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境内には沢山の建物がありました。三重の塔から本堂までの間にも経堂、開山堂(田村堂)、轟門、朝倉堂などの重要文化財の建物が数多くありました。ここからが拝観料を払って入る場所です。
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縁結びの神社である地主神社(じしゅ神社)です。階段の上には「恋占いの石(LOVE STONE)」と「恋の願かけの絵馬」があります。
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「恋占いの石(LOVE STONE)」と「恋の願かけの絵馬」の写真も掲載させていただきます。恋占いの石の説明文(写真をクリックして拡大すると読めると思います。)には
ご本殿前の左右にある守護石で両目をとじて反対側の石にたどりつくことができれば恋の願いがかなうという。 一度でできれば願いも早くかない、できなければ願いがかなうのも遅れるという。また友人などのアドバイスをうけると願いを成就するにも人の助けがいるという。
と書かれています。お試しあれ。
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地主神社(じしゅ神社)の恋占いおみくじは女の子に人気があるようです。清水寺に行ったときは是非、清水寺境内にある地主神社によって見てください。
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地図を拝借いたしました。

参道は沢山の人が行き交っており土産物屋さんも沢山ありました。

ネットの地図です。→マップ

地図に載っているよりもっと沢山のお店がありました。

お店の皆さん、趣向を凝らしており、一軒一軒見て回るのも楽しかったです。


お土産も七味唐辛子、京漬物、黒胡麻生八橋など沢山買ってしまいました。
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京都では人力車が流行っています。清水寺の参道でもきれいな人力車が活躍していました。近くにお住まいのakimineさんはこのお兄さんをよくご存知だそうです。
以前に行った湯豆腐を食べた嵯峨野にも人力車が走っていました。


清水寺から金閣寺に移動しました。
金閣寺【正式名称:鹿苑寺(ろくおんじ)】です。広い境内に金閣(舎利殿)があるために金閣寺と呼ばれていますが、実際に見て、その美しさに驚かされます。
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裏側からの舎利殿(金閣)です。
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沢山の観光客の人が来ていました。特に外人の方が多く見にこられていました。こちらの建物は金閣寺(鹿苑寺)境内の不動堂です。
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広い金閣寺(鹿苑寺)境内ではお茶が飲める趣のある場所が用意されていました。

女人禁制の湯豆腐屋さん ???? ? [京都]

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冬は湯豆腐の季節です。上の写真は「嵯峨野の湯どうふ」です。
中国の豆腐料理の代表格は麻婆豆腐ですね。 一方、日本の豆腐料理の代表格は湯豆腐だと思います。
湯豆腐で有名なのが京都ですがその中でも特に嵯峨野が有名ですね。そこにずばり湯豆腐嵯峨野と言う名の湯豆腐では超有名なお店があります。是非、一度は経験してみたいと前々から思っていました。

これが湯豆腐嵯峨野の表構えです。廻りの雰囲気もいいところにあります。


お店の中を通って奥に行くと中庭にさらに門があります。
下の写真の右側の方にある石碑に「女人牛馬結界」の文字が読めます。その石碑を拡大したのが右の写真です。しかしこのお店の最大のお客さんは女性のはずです。このときも女性のお客さんが圧倒的に多かったです。
それなのに「女人禁制」のような石碑は不思議ですね。女性の方、怒らないでください。差別的な意味よりも寺院の修業の観点から肉類や刺激の強い俗界と寺の境内を区切る役割を持っていたようです。この石碑(石柱)を見ると、若いお坊さんも多かったと想像してしまいます。ここに食べに来られて「女人牛馬結界」の石柱に気が付かれた方はおられるでしょうか。 ? 
中庭の景色に目を奪われて、たぶん気が付かれた人は少ないと思います。私も自分で撮った写真を後から見て初めて気が付きました。
この石碑はもしかしたらめったに手に入らない古くて価値があるものかもしれません。この石碑以外にも小さな石像などが置かれていました。
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結界石の門をくぐって日本庭園を通っていくと


奥に建物があり、その座敷から庭園を見ながら食事をしました。 ここで食べるには当然予約しておく必要があります。奥の離れ屋の中は雰囲気がある上に楽器の琵琶(ビワ)が沢山飾られていました。庭園の苔が印象的でした。中庭には毛氈を引いた床机席があり季節の良いときは屋外の席も利用が出来そうです。
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上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックするのが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
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庭の苔は印象的でした。温かくなると緑の絨毯のようになるのだと思います。
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湯豆腐以外にも精進揚げも含めて10品ぐらいがついていました。なんといっても湯豆腐がメインなので料理そのものは質素にまとめられています。


でもやっぱり湯豆腐ですね。嵯峨豆腐で一番有名な「森嘉」の豆腐を使用していると書かれていました。湯豆腐は豆腐とタレしだいと実感いたしました。外国人の方は雰囲気を味わうことが出来ても味が判る人は少ないでしょう。


楽器の琵琶(ビワ)も飾られていました。部屋の雰囲気も紹介いたします。
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湯豆腐嵯峨野は雰囲気のあるところにあります。結構遠くにもお店の奉納の石碑がありました。地域にかなり貢献している感じがしました。 
車の中からこんな風景も見れました。


航空写真で見てもお店の立派な日本庭園がわかります。
湯豆腐嵯峨野の住所は「京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町45」です。マイナスのアイコンを数回クリックすると場所がわかります。


叡山電鉄の車両は個性的でした。 [京都]

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鞍馬寺に行くために初めて叡山電鉄(えいざんでんてつ)に乗りました。乗ったのは行きが出町柳→鞍馬で、帰りが貴船口→一乗寺です。乗った範囲では出町柳~宝ケ池までが叡山本線で宝ケ池~鞍馬までが鞍馬線でした。宝ケ池~八瀬比叡山口も叡山本線です。
二軒茶屋~鞍馬の間は単線(緑色)です。
上の写真は出町柳駅の改札口です。
叡山電鉄の正式名は叡山電鉄株式会社(Eizan Electric Railway Co., Ltd.)で略称は叡電(えいでん)です。
これらの路線は京都電燈により1925年9月27日に出町柳⇔八瀬(現在の八瀬比叡山口)が開業し、1928年12月1日に鞍馬電気鉄道により山端(現在の宝ヶ池)⇔市原間が開業し、1929年12月20日に鞍馬まで 鞍馬電気鉄道が全線開通して、京都電燈および鞍馬電気鉄道により運営されていました。電力事業の戦時統制による再編後は1942年3月2日から京福電気鉄道が運営していましたが、沿線の交通事情の変化に伴い1985年に京福電気鉄道の完全子会社として現在の叡山電鉄㈱が設立(分社独立)されて、さらに1991年11月に京阪電気鉄道が筆頭株主となったのちに、2002年3月からは京阪の完全子会社となりました。
1989年10月5日に京阪鴨東線が開業し出町柳駅で連絡するようになり、11年ぶりに他の鉄道路線との連絡運輸が復活した結果、大阪方面からの利便性が向上し、利用者も一気に増え再び活気を呈するようになったそうです。

こちらの2両編成の電車に乗って鞍馬まで行きました。
競合する地下鉄やバス路線が充実してきたことから2004年1月からは全路線で一部列車を除いて終日ワンマン運転行うなどの経費削減策が行われているようでした。
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こちらが出町柳→鞍馬(410円)までの切符です


こちらの電車は我々の鞍馬行きの電車の前に発車した修学院行きの電車です。こちらは一両の車両でした。PATRAINの文字が印象的でした。青色を基調にした車両です。732と書かれていることからデオ700系のデオ732形(1988年)だと思われます。いくつか紹介する車両の色に注目してください。
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出発前に1両編成の電車が入ってきました。ひらがなで「えいでん」と書かれています。色はクリーム色にグリーンのラインが入っています。ミラーに映っているのが私と乗った電車です。車体形式はデオ700系だそうです。
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ワンマンカー用の設備で降りる人は先頭の扉から出ます。クリックすると拡大いたします。
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クリックすると拡大出発して最初にすれ違った電車です。後でわかったことですが、この車両は新型のデオ901形-デオ902形で愛称が「きらら」です。色違いのデオ903形-デオ904形と合わせてデオ900形は2編成が在籍しているそうです。右の写真はWikimediaから転用させてもらった「きらら」の車内の写真です。
景色を楽しむための車両であることが判ります。
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次にすれ違った車両はクリーム色に赤色ラインでEIDENの緑の文字が印象的でした。
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修学院駅の横には車庫がありました。今まで紹介した車両とは、また違ったデザインの車両です。オリジナル写真で確認すると801と書かれていることからデオ801形-デオ802形の2両編成のようです。
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ここで鞍馬方面と八瀬比叡山口方面に分かれます。真っ直ぐが八瀬比叡山口方面で、左側が鞍馬方面です。見えている駅は宝ケ池です。
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鞍馬線側の宝ケ池には、また違ったデザインの電車が停まっていました。本線側の宝ケ池駅は1925年に出来たそうです。電車は色合いからデオ815形-デオ816形の2両編成のようです。愛称は「ギャラリートレイン・こもれび」だと思われます。
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ワンマンカーで運転されており、2つの駅を除いて無人駅でした。一つが写真の「二軒茶屋」と一つ手前の「京都精華大前」です。京都精華大前駅は新しく1989年に出来たそうです。二軒茶屋駅の方は1928年です。「二軒茶屋」にも京都産業大学があるために通学時間帯の朝だけ自動改札機が稼働するようです。二軒茶屋の先から単線になります。左側の線路は行き止まりで、右側の線路のみ先に伸びていきます。
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カーブを曲がると単線になりました。


急カーブの急勾配になってきました。
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叡山電鉄は全国登山鉄道‰会に加盟しています。線路脇に勾配50‰の表示がありました。通常の方式(粘着式)で日本で一番の急こう配の箱根登山鉄道のは最大勾配80‰なので叡山電鉄も、かなりの急勾配であることが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大50‰とは1000m進むと50m登る勾配のことです。
 全国登山鉄道‰会
  南海電気鉄道   50‰(高野線)
  神戸電鉄     50‰
クリックすると拡大  富士急行     40‰
  大井川鐵道    90‰(アプト式 右の写真)
  叡山電鉄     50‰
  箱根登山鉄道   80‰


単線の、すれ違いの駅は二ノ瀬でした。すれ違った電車には811の数値が確認できることからデオ811形-デオ812形のようです。クリックすると811が確認できます。
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貴船口を過ぎると鞍馬線で唯一のトンネルをくぐりました。


トンネルを出ると鞍馬駅が見えてきました。
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私が乗ってきた電車です。車体形式はデオ800系だそうです。拡大すると814の数値が読み取れます。おそらくデオ813形-デオ814形の2両編成だと思われます。
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こちらが鞍馬駅の駅舎です。鞍馬駅は1929年に出来たそうです。
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終点の鞍馬駅も無人駅でした。駅舎の待合室です。


二ノ瀬→貴船口の動画も撮ったので紹介いたします。車内放送を聞いていただくとワンマンカーのシステムが判ってもらえると思います。電車のゆれが大きいでガラスにカメラが何度か当たりました。


帰りは貴船口から乗りました。こちらが貴船口→一乗寺410円のキップです。


先頭車両です。やはり運賃箱が置かれていました。


こちらが一乗寺駅です。電車は私が乗ってきた電車です。見ての通り改札口はありません。電車には811の数値が書かれていることから朝に二ノ瀬で、すれ違ったデオ811形-デオ812形のようです。


クリックすると拡大一乗寺駅で反対から来た電車です。こちらのデザインも初めて見るものでした。個性的な電車が沢山ある叡山電鉄でした。852と書かれていることからデオ851形-デオ852形の2両編成の電車だと思われます。
車体のデザインは沢山ありますが、車体の形は大別してデオ700系(1987年~1988年)、デオ800系(1990年~1995年)、クリックすると拡大デオ900系(きらら 1997年~1998年)の3種だそうです。これは89年前の1925年からデナ1形、デナ11形、デナ21形、デオ200形、デオ300形、デナ500形、デオ600形が引き継がれてきた結果です。右上の写真がWikimediaから転用させていただいた1925年製のデナ1形の車両で、右下が1929年製のデナ21形の写真です。

タグ:京都 鉄道 電車

特殊乗車証で京都に行ってきました。 [京都]



実家のある兵庫県宝塚市の逆瀬川駅の近くのビル(アピア)のチケット売場で前々から気になる表示がありました。それは「阪急電車 京都まで510円→400円」でした。2013年12月25日に京都に行くつもりだったので前日に、その売場で聞いてみると阪急電車のどの区間でも1回乗れるチケットのことでした。当日出発は営業時間(10:00~20:00)より前なので即、往復分の2枚を買いました。ネットで調べた結果、一般では売られているものではなく阪急電鉄の株主優待乗車証の一種の特殊乗車証のようです。阪急電車全線に1回限り有効の乗車券なのでした。逆瀬川から京都では110円(=510円-400円 往復220円)ほど得となりますが、神戸三宮からだと200円(=600円-400円)も得することになります。

逆瀬川を7時1分の電車に乗るために朝早く実家を出発しました。この時6時49分でした。曇り空のため暗かったです。


逆瀬川駅です。まだ12月25日でしたが、すでに初詣の幟が立てられていました。幟は伊和志津神社のものですが、逆瀬川駅近くには宝塚神社と平林寺もあります。


自動改札機に特殊乗車証を通すと印字されました。今回は鞍馬あたりを散策するつもりで右のルートの通り阪急今津線→阪急神戸線→阪急京都線→京阪本線→叡山電鉄を利用して鞍馬に9時10分に着きました。


阪急電車です。これは今回の写真ではなく2013年9月18日に撮った写真です。
新型1000系も昨年末から投入されました。→ポチッ
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阪急京都線に乗るのは久しぶりでした。おそらく学生時代以来だと思います。阪急京都線の電車の窓からの景色です。
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阪急・河原町駅から京阪・祇園四条までは歩きます。


予定通り8時25分発の「出町柳」行きに乗れました。


京阪電鉄は関東のICカードのPASMOも使えるのですが、叡山鉄道との接続があるかもしれないのでキップを購入いたしました。実際には出町柳では一旦京阪の改札を出るのでICでも問題はありませんでした。


クリックすると拡大京阪電鉄の改札口のところに叡山鉄道の電車の出発表示がありました。すごく親切な心遣いです。出町柳でも余裕で予定通りに8時40分発の「鞍馬」行に乗ることが出来ました。8時45分には八瀬比叡山口への電車あります。終点からケーブルカーとロープウェイで比叡山山頂に行けます。次の機会には比叡山に行ってみたいと思います。


こちらが叡山鉄道の出町柳駅です。不思議と2013年9月18日に乗った能勢電鉄と似ているところがありました。
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こちらの電車に乗って鞍馬まで行きました。
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叡山鉄道はワンマンカーで関東のICカードは使えないようなのでキップを購入いたしました。叡山鉄道には1日フリー乗車券があるので何度も乗る人はお得です。私の場合は「出町柳→鞍馬 410円」と「貴船口→一乗寺410円」の2度の乗車だったので結果的には個別にキップを買った方が、お得でした。いろんなところで降りる時は利用させていただきます。

タグ:京都 鉄道 阪急

迷惑コメント投稿者は「 お名前 (必須) 」 [SNS]


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So-netさん
 頻繁に迷惑コメントが届きます。
 全て次の2つの特徴ががあります。
 是非とも対処をお願いいたします。
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今のところ古い記事だけにこの形式の迷惑コメントが入ります。
So-netさんの記事
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迷惑コメントがあまりにも頻繁になった場合は画像認証コードを複雑にするかもしれません。その時は皆様にお手間をおかけすることをお許しください。


2014年2月11日追伸 タイトル:コードを4桁にいたしました。
認証画像コードを、1桁(9)から4桁(sori)にいたしましたが、相変わらず迷惑メールが入ってきます。とりあえずコードを3桁(999)にして、もう少し様子を見てみます。様子を見た結果、迷惑メールの頻度は変わらないので画像認証コードは1桁(9)に戻しました。
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スパムフィルタは「半角英数のみのコメント」は「受付しない」に設定していますが関係なく入ってきます。

砂湖 ( 沙湖 ) [寧夏回族自治区]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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前記事で寧夏回族自治区の銀川を紹介いたしましたが、銀川で最も有名クリックすると拡大なのがネットから拝借した右の写真の、幻の西夏王朝(1038年~1227年)が残した貴重な遺跡で、東方のピラミッドとも呼ばれている西夏王陵です。残念ながら、今回は時間がなかったために、空港の近くにありながら、西夏王陵にはいけませんでした。その代りに内モンゴル自治区からの帰りの高速道路の途中にあった、有名な湖に行きました。名前は「砂湖」です。日本では知られていませんが写真のようにアシ(ヨシ) が湖面に生えた幻想的な湖です。中国では省略文字なので「沙湖」と書かれています。
砂漠が湖の南側に広がっているために砂湖の名前がついたのだと思います。

寧夏回族自治区の首都の銀川のあたりは砂漠に囲まれています。しかし黄河のおかげで緑の豊かな場所なんです。エジプトのナイル川沿いは農業地帯になっているのと似ています。
衛星写真で見ると黄河沿いが緑豊かなのがわかります。そのオサシスのような緑豊かな場所の中にも砂漠が広がっているところがあり、そのような場所に砂湖がありました。
          黄河(銀川)                  ナイル川(カイロ)


この船で湖に渡り幻想的な湖を味わいながら砂漠地帯に移動します。


アシが湖面に生えている風情がなんともいえません。天気が悪いのが残念です。鮮明な写真だとすばらしかったと思います。ここは鳥の楽園としても有名なようです。
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みんな、写真を撮っていました。


アシが島のように点々とあるのが特徴です。
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アシの鮮明な写真も掲載しておきます。夏は緑に囲まれた湖と想像してしまいます。
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湖を縦断すると砂漠に着きます。衛星写真で砂漠と湖の境界部分見てみました。クリックすると拡大するので見てみてください。
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砂漠地帯は観光化されていました。特にラクダが人気があるようです。
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砂漠から見た砂湖です。アシが緑の季節は、また違った幻想的なすばらしい景色が見れると思います。
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今までにも何度もラクダに乗る機会があったのですが、見るだけで乗ったことはありませんでした。今回は乗りました。(右の写真)
我々が乗ると、中国の人たちも乗りました。きっかけを与えたことになりましたが、皆さん楽しそうでした。そのラクダの上から私の後ろの中国の方を撮りました。ラクダは7頭が一組でラクダ同士は一列につながれており先頭のラクダを引いていくと全員が一列に歩いていました。おとなしいくて、かなり訓練されている感じでした。
エジプトはヒトコブラクダでしたが、ここはフタコブラクダです。


この写真の前から3頭目のラクダさんに乗りました。
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ラクダに乗ための券です。乗車料金は20元(約300円)でした。国家AAAAA級と書かれています。観光地をランク付けしているようで5Aは一番上のクラスのようです。


湖と反対方向の砂漠の方です。砂漠が続いているのが判ります。でも、この砂漠はオアシスの中の砂漠なのです。黄河で出来た銀川と呼ばれる町(オアシス)が大きいことが想像してもらえると思います。


沙湖(砂湖)のチケットです。ここのチケットも絵葉書になっていました。この券で船に乗れます。


こちらが裏側です。 はがきになっているのが面白いです。


下記の衛星写真の空色マークが今回紹介した砂湖です。緑色マークが前記事で紹介したモスク「東関清真大寺」で、青色マークはモスク「南関清真大寺」で、紫色マークが西夏王陵で赤色マークが空港です。赤色ラインは車で走ったルートです。

より大きな地図で 銀川 を表示
サンダーソニアさんからタバコの話題が出たのでラクダのパッケージのキャメル(Camel)の写真を追加させていただきました。タバコの写真はWikimediaから転用させていただきました。
クリックすると拡大クリックすると拡大

クリックすると拡大ムサシママさんから西夏文字のコメントを頂いたので調べた結果を記載いたします。西夏文字(せいかもじ)は西夏王朝の初代皇帝・李元昊の時代に制定された文字です。
クリックすると拡大長らく未解読であったが、日本の西田龍雄によってほぼ解読がなされました。漢字と、それを作った漢族を強く意識して作成されており、中国人を表す「漢人」に当たる文字は「小偏に虫」という文字で表記されています。上が漢字で下が西夏文字です。西夏文字は6,000文字ほどの文字数を持ち、冠や偏・旁等漢字に似た構造を持っています。基本的に一字一音節です。漢字とは異なり象形文字起源ではないそうです。

「西夏」の都 銀川 [寧夏回族自治区]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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最初はタイトル「シルクロードの町 銀川」で掲載とようと思いましたが、銀川を調べているうちに、もっと、この町にふさわしいタイトルが、あることに気づきました。
ここは中国ですが、なんとなくイスラムの雰囲気があります。内蒙古(内モンゴル)自治区に接する小さな自治区である寧夏回族自治区の区都(首都)の銀川です。

今回の目的地は内モンゴル自治区の南の端にある小さな町でした。飛行機が飛んでいる内モンゴルの包頭や呼和浩特からは遠いため、寧夏回族自治区の銀川から車で内モンゴルに入ったわけです。
        寧夏回族自治区                内蒙古自治区


銀川? 
馴染みの薄い名前ですが、四川省北部・青海省などで活動したチベット系民族のタングート(Tangut)の首長李元昊が建国した王朝西夏(1038年~1227年)の首都(興慶)だったそうです。と言うことで今回のタイトルをつけさせてもらいました。
東方のピラミッドと呼ばれる西夏王陵があることで有名です。西夏王陵はSMAPの香取慎吾主演映画西遊記のロケ地となったところでもあります。シルクロードの町としても知られています。
上の写真はイスラム寺院、いわゆるモスクですがクリックするとエジプトやトルコなどのイスラム圏にあるモスクとは、ちょっと雰囲気が違う事がわかってもらえると思います。
近づいて見学させてもらいました。瓦が使われているのが特徴ですね。イスラムと東洋の合体のような独特の建物でした。


これがミナレットに相当する塔だ思いますが、塔にも瓦が使われている上に漢字が書かれていました。独特の雰囲気ですね。


正面の門からの写真です。中国の漢字の省略文字(东关)はよくわからないのですが、「東関清真大寺」だと思います。
ネットで見ると銀川では「南関清真大寺」が有名のようです。「東関清真大寺」もネットで銀川にあることを見つけました。間違いなかったです。
ネットで検索すると東関清真大寺はいろんな町にあるようです。西寧(青海省) の東関清真大寺が有名のようです。


特別に、お願いして、お祈り風景の写真も撮らしてもらいました。やはりトルコやエジプトなどのモスクのお祈り風景とは大違いのような気がします。白い帽子が独特です。


見学させてもらっていると、この人が来られてイスラムの戒律やこのお寺のことを詳しく説明してくれました。もちろん中国語なので、まったく判りませんでした。通訳の人に説明してもらいながら案内してもらいました。ここは無料でした。
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さらに、ここの人たちが住んでいる部屋も見せてもらいました。なんとなくパオの中のような感じでした。家に入る時は右足からで、出るときは左足からと説明を受けてから家に入れてもらいました。


下記の衛星写真の緑色マークが上で紹介したモスク「東関清真大寺」で赤色ラインが車で走ったルートです。青色マークはモスク「南関清真大寺」です。空色マークが次に紹介する砂湖で、紫色マークが西夏王陵で、赤色マークが空港です。

より大きな地図で 銀川 を表示
白い帽子の回族の人を町の中でも時々見かけました。西夏はシルクロードを押さえて強盛を誇ったが、モンゴルに滅ぼされた。その後、西方民族が流入してイスラム化が進行したそうです。


ここに来る前は銀川はイスラムの町と言われていたのですが、意識しないで写真を撮るとほとんど回族の人は写ることはありませんでした。これでも回族の人を意識して撮った写真なんです。他の街では雰囲気が一変すると言われました。
ネットで調べると自治区全体では回族の人は三分の一を占めているそうです。ネットの内容は「回族はイスラム教徒で長年の混血のため外見上は漢族と見分けがつかないが、起源は元代に中国に流入したトルコ人、ペルシャ人、アラブ人などの西域民族とされている。回族が自治区人口の三分の一を占め、残りは殆どが漢族である。」でした。


クリックすると拡大北京から銀川のフライトでは機内食が出てきました。すべての料理に「清真」のシールが張られていました。お気づきでしょうか?
東関清真大寺の中に「清真」の文字がありました。「清真」はイスラムの意味のようです。東関イスラム大寺となりますね。
機内食には豚さんが使われていない事を表現しているのです。中身はオムレツとソーセージとハッシュドポテトとパンとデザートでした。今から思えば、ソーセージは少しあっさりした味だったので鶏のソーセージだったと思います。食べたときはシールのことは気にしていなかったので豚のソーセージと思っていました。後でシールに気づき中国の人に聞き納得しました。銀川はイスラムに関係の深い町と飛行機の中から感じてしまいました。

今日の朝食は七草粥でした。 [料理]

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今朝2014年1月7日は念願の七草粥(ななくさがゆ)をいただきました。
七草粥は七種粥とも呼ばれて、5節句の一つである人日(じんじつ 1月7日)に食べられている日本の行事食ですが、今までは、ほとんど食べることはありませんでした。そこで是非とも七草粥を食べてみたいと、昨年の1月7日に買いに行ったところ、驚いたことに七草を売っていませんでした。1月6日には沢山売っていたのに不思議に思って調べてみると1月7日の朝に食べるものであったことから1月6日に売り切ってしまい1月7日には置かれていなかったことが判りました。
今年は、ちゃんと1月6日に買って1月7日の朝に念願の七草粥をいただきました。七草粥は、一年の無病息災を願って食べられるそうで、祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われています。

上の写真はクリックすると拡大しますがクリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。


買ったセットに入っていた春の七草はつぎのとおりですが、地域により様々です。また「ほとけのざ」としてシソ科ではなく「ヤブタビラコ(キク科)」または「コオニタビラコ(キク科)」が使われていると書かれていました。コオニタビラコ(小鬼田平子)は別名としてホトケノザ(仏の座)と言われています。一般的に七草としてのホトケノザはキク科のコオニタビラコが多いようです。
   名前        一般名 / 別名       科 属
   はこべら      はこべ        ナデシコ科 ハコベ属
   ごぎょう       ははこぐさ      キク科 ハハコグサ属
   すずしろ(蘿蔔)  だいこん(大根)    アブラナ科 ダイコン属
   せり         せり           セリ科 セリ属
   すずな(鈴菜)   かぶ(蕪)       アブラナ科 アブラナ属
   なずな       ぺんぺん草      アブラナ科 ナズナ属
   ほとけのざ     ほとけのざ      シソ科 オドリコソウ族
      または
   (ほとけのざ    こおにたびらこ     キク科 ヤブタビラコ属 )
これ以外にそれぞれの地域の七草粥に入れらる野菜としては、蕗、イタドリ、ウワバミソウ、ミヤマイラクサ、ウド、ギボウシ、ワラビ、ゼンマイ、キノコ、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、さやいんげん、ササゲ、ワラビ、ジャガイモ、高菜、ずいき、ユリ根、じんだ、ミツバ、ダイコン葉、タラの芽、白菜、山東菜、ネギ、小松菜、ニラ、ハクサイ、ホウレンソウ、かけ菜、冬菜、青菜、とう菜、オギョウ、京菜、サトイモ、蕪の葉、ウド、タンポポ、水菜、すじ菜、ユキノシタ、オオバコ、春菊、ニンジン葉、カツオ菜、サツマイモの蔓、ニンニクの葉、エンドウマメなどがあります。
野菜以外に餅、豚肉、煮干しの粉、凍り豆腐、油揚げ、豆腐、蒲鉾、イクラ、焼き豆腐、納豆、昆布、クリックすると拡大ホンダワラ、コンニャク、糸コンニャク、栗、蜜柑、豆、小豆、麦、干し柿、鯨肉、鶏肉、味噌などが入れられる地域があります。
ちなみにパックに書かれている三浦七草会というのは1988年に横須賀市と三浦市の5つの農家で作られた組織で、当初は5万パックでしたが、今は日本一の100万パック以上を出荷しているそうです。右の写真はレポーターの櫻井彩子さんが七草会を訪問された記事から拝借したネットの写真です。
パックに書かれていた七草粥のレピシの材料は、次のとおりでしたが、わが家では前日に炊いたご飯を使いました。
クリックすると拡大 材料
  七草    1パック
  白米    2カップ
  水      7カップ
  塩      少々
  醤油    少々
  餅      お好み


三浦七草会のホームページから七草の写真を拝借いたしました。
クリックするとHP

カサブランカの巨大モスク [モロッコ]

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先日、カザフスタンのモスクを紹介させていただいたので、ここではモロッコのモスクを紹介いたします。上の写真はモロッコのカサブランカで泊まったホテルの窓からの景色です。カサブランカ(Casa Blanca)は「白い家」という意味だそうです。なるほど白い家が沢山ありますが、海(大西洋)を背景に高い塔がある大きな建物が目を引きました。これがモロッコ最大のハッサンⅡ世モスクです。ほとんどの写真はクリックすると拡大します。
塔(ミナレット)の高さは世界一の200mです。モスクの大きさの定義は難しいようですが世界でも2~3番目に位置するようで、かなり遠くですが近くに見えてしまうほどの大きさでした。モスクと言えばドーム型を思い浮かべます。
エジプトのカイロでもトルコのイスタンブールでもドーム型でしたがモロッコのカサブランカでは今回のモスクだけではなく、ほとんどのモスクが四角い形をしていました。

ホテルからの写真を拡大してみました。コンパクトカメラで精一杯のズームですが空気がきれいなためにクリヤーに撮れました。
ネットで調べてみると1986年から8年がかりで1993年8月に完成したモロッコ最大のモスクて、大西洋に面し、全敷地には8万人、内部には2万5千人が収容可能。ミナレットは200mと世界一の高さを誇るそうです。
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夜になるとライトアップされて、違った雰囲気を見せてくれました。これもホテルの窓から撮りました。
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真夜中から朝方にかけては頂上だけがライトアップされています。
これも幻想的でした。同じ景色を見たい方は「Hotel Idou Anfa Casablanca」の海側(北側)の部屋へどうぞ
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翌日の午後に歩いてモスクのところまで行って見ました。ホテルの窓からは近く見えましたが、後で衛星写真で見ると迷いながら片道で約3km歩いたことが判りました。直線距離で約1.5kmです。
モスクに近づけば近づくほど巨大なモスクであることが判ってきました。是非、写真をクリックしてみてください。大きさが実感してもらえると思います。
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海岸から見たモスクです。西日に照らされてまばゆく輝いています。


同じ海岸からの海の景色です。ここは大西洋です。


衛星写真を拝借いたしました。海のそばのモスクであることが実感してもらえると思います。海のそばのモスクも珍しいと思います。写真の中にいくつか競技場が写っていますが、その競技場と大きさを比べてもらうとわかりやすいと思います。

                           
モスク内部です。中に入ろうと思いましたが許可してもらえなかったので入口から内部を撮らしてもらえました。
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ここのモスクの大きさには驚かされますが、世界一の高さを誇るミナレット(塔)の大きさには圧倒されます。写真をクリックすると頂部の写真を表示するので是非見てください。
      
             
ミナレット(塔)の根元部分です。扉の大きさにも驚かされます。
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モスクの建物部分の扉は更に大きくきれいな飾りで覆われていました。
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モスクの前の広場です。広い広場には沢山の建物が建っていました。塔をバックに記念撮影をするには絶好の場所です。


モスクの広場の沢山の建物です。


広場の建物からのミナレット(塔)の姿もすばらしいです。


塔の廻りの複雑な構造がわかってもらえるでしょうか。
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衛星写真で見ると大きさが判りますが、回りの広場の広さにも驚かされます。


ホテルからモスクへの道の景色です。沢山のヤシの木に圧倒されました。


冒頭の写真は、このホテルの部屋の窓からの景色でした。

カザフスタンの教会 [カザフスタン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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カザフスタンのモスクを紹介したら教会も紹介しなければなりませんね。紹介したアクトベの中央モスク(Central Mosque)の敷地と道路を挟んだ場所に教会が建っていました。その教会が上の写真です。
イスラム教が47%に対して正教会が44%とモスクと教会の両方が沢山あるのがカザフスタンでした。
この教会をネットで調べるとSt. Nicholas Orthodox Church in Aktobe (Aktobeの聖ニコラス正教会)と出てきました。

Central Mosque(中央モスク)からはこのように聖ニコラス正教会が見えました。広い公園に隣接して建っていました。


教会からモスクを見るとこのように見えました。間にはさえぎるものがありませんでした。


青色のマークがモスクの場所で赤色のマークが教会の場所です。緑色のマークに関しては後日報告いたします。

より大きな地図で Aktobe を表示
公園の中の配置は教会を意識したデザインのようでまっすぐにフラワーロードが教会に向かっていました。


斜め前からの教会です。ヨーロッパの教会と違いタマネギ型の屋根があるのが特徴ですがロシアのロシア正教の教会がこのようなタマネギ型の屋根でした。そしてこれよりももっとカラフルな色が使われていました。


正面から見た教会です。屋根が金色なのは紹介したモスクと同じでしたが、天辺の飾りは違っていました。教会は十字架でしたが、ちょっと特徴のある十字架が使われていました。


モスクワの赤の広場のロシア正教の教会の屋根の天辺にも十字架の飾りがありましたがシンプルな十字架でした。カザフスタンでは横棒が2本の十字架で、さらに下には斜めの横棒もある特徴的な十字架の飾りでした。ろしあでもサンクトペテルブルグの教会の十字架は今回のものと同じでした。
これは八端十字架と呼ばれて東方正教会で最も多く使われる十字で、縦1本、横3本の4本の棒から成ります。ラテン十字の横棒の上に加えられた短い横棒はイエスの罪状書き、残りの横棒は処刑台の足台を意味していると言われています。「八端十字架」の名称は8箇所の先端部分が存在することに由来するそうです。


窓には絵が描かれていました。クリックすると拡大するので絵の細部がわかると思います。翼のある女性が十字架の棒と盾を持っています。
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カザフスタンのモスク [カザフスタン]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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カザフスタンはイスラム教とキリスト教が半々の国です。クリックすると拡大そして、これがカザフスタンのモスク(イスラム教の礼拝堂)です。世界にはいろんな形のモスクがあります。トルコやエジプトのような丸いドーム状のようなモスクは良く知られていますが、これもモスクなのです。今までに掲載したモスクの記事です。
興味のある国のモスクと比べてみて下さい。
   エジプト       → ポチッ
   トルコ        → ポチッ
   モロッコ       → ポチッ
   インドネシア     → ポチッ
   中国 寧夏回族自治区 → ポチッ 
右の夜のモスクの写真はネットから拝借いたしました。残念ながらライトアップされたモスクは見ませんでした。

カザフスタン共和国(通称カザフスタン)は中央アジアの国で首都はアスタナで最大都市はアルマトイです。1991年12月16日にソ連から独立し国です。時差は日本と3時間と4時間の地域があります。
宗教の割合はイスラム教が47%、正教会が44%、プロテスタントが2%、クリックすると拡大その他7%のためモスクと教会があります。
イスラム教の人が多いといっても宗教の自由は認められているようでお酒も自由に飲めるし、女性も普通の服装の人がほとんどでした。どちらかと言うと、髪を隠す右の写真ようなスタイルの人は稀な存在でした。もちろん顔隠すような黒い服装の人はいませんでした。朝の時間帯の通勤風景です。近くのオフィスに行くのだと思います。60~70%がアジア系の感じでした。


ここはカザフスタンのアクトベ州の州都であるアクトベ(Ақтөбе)です。日本とは4 or 3時間差でした。人口は32万人ですが人口1560万人のカザフスタンとしては大きい町だと思います。カザフ人やロシア人を始めとして、ウクライナ人・タタール人・ウイグル人・チェチェン人・アルメニア人・ユダヤ人・ギリシア人などいろんな民族が住んでいるそうです。


入口のドアは木で出来ていました。これもいろんな国のモスクとは違う珍しいものでした。


屋根には金色のドームがありました。このような形式のモスクも始めて見ました。


屋根の上の飾りを拡大して見ました。カザフスタンの教会の屋根の上のシンボルは十字架でしたが、モスクは新月でした。イスラム暦(ヒジュラ暦)は新月から新月までを1ヶ月とし、12ヶ月で1年となる純粋太陰暦でとしているのが関係しているのかもしれません。イスラムの国の国旗は新月と星を使ったものが多いことから新月とイスラムの関係は強いようです。4本のミナレットの先端の飾りも新月でした。


カザフ語かロシア語だと思いますがモスクの説明でしょうか。アクトベという名はカザフ語で「白い丘」を意味し、19世紀の入植地であった丘に由来するそうです。 1869年3月、ロシアはオレンブルクからのキャラバンルートに当たるこの地に軍事要塞を建設、周囲にスラブ人が農業のために入植を開始したそうです。要塞は拡張され町も大きく整備されました。1891年、アクチュビンスクという名の市に昇格した。1901年にはトランス・アラル鉄道も開通した。 ロシア第一革命ではボリシェビキが活発な反政府活動を展開、ロシア革命で完全にアクチュビンスクを掌握したそうです。その後、戦略的に重要なアクチュビンスクをめぐって赤軍と白軍が激しい争奪戦を展開、1919年4月、アクチュビンスクは白軍の手に落ち、ボリシェビキの中央アジアへの連絡路は断たれたそうです。しかし、9月になるとミハイル・フルンゼのボリシェビキ軍は激戦の上、アクチュビンスクを奪還、以降、タシュケントへの鉄路は赤軍の掌握するところとなったそうです。1920年、キルギス自治ソビエト社会主義共和国が誕生し、その後、カザフ・ソビエト社会主義共和国のアクトベ州となったそうです。
クリックすると拡大

モスクの近くには教会がありました。その教会から見た今回のモスクです。


Googlear地図では「Central Mosque Aktobe」と名前が書かれていました。このあたりの航空写真は鮮明ではありませんでした。

より大きな地図で Aktobe を表示
Aktobe以外のカザフスタンの代表的な町ごとのモスクの写真をネットから拝借いたしました。写真の左上の文字は、そのモスクがある都市の名前です。写真はクリックすると拡大します。これらの写真を見るとドーム型の屋根の色は金色かスカイブルーが多いようです。高い塔であるミナレットの数は1本と2本と4本のものが見られます。
 Astana          Almaty         Atyrau
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
 Aktau           Pavlodar        Kyzylorda
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
 Uralsk           Zharkent        Karaganda
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
 Aktobe-1         Aktobe-2        Aktobe-教会


上の10つの都市の位置を地図にマークしました。マークをクリックすると都市の名前とモスクの写真を表示します。赤色マークは訪問した町です。

より大きな地図で カザフスタン を表示

カラガンダのロシア料理店 [カザフスタン]



カザフスタンのカラガンダの町で昼食に入ったレストランです。
料理の種類はロシア料理でした。カザフスタンは今から22年前の1991年12月16日に旧ソ連から独立したこともあり、今のロシア的なところが見受けられます。そんなこともあり、美味しいロシア料理のお店があるそうです。

入口では大きな木彫りの熊さんが迎えてくれました。


店内です。コートなどは預かってもらう格式あるレストランでした。すでに12時30分ですが我々が最初のお客さんでした。ところが食べ終わって帰るときは沢山のお客さんでいっぱいでした。どうやらこちの昼食は遅いようでした。


レストランで店員さんも急いでテーブルの飾り付けをされていました。


これは有名な飲み物です。少し甘みのある飲み物で原料は野菜のようでしたが名前はわかりませんでした。


ヨーロッパ同様にパンは必ず出てきます。
黒パンも入っていました。おいしそうなパンでした。


サラダです。上の飲み物同様に赤い色彩の野菜が多かったです。


豆の入ったサラダです。


ガーリックトーストにトマトとオリーブが添えられていました。これもどうやら有名なもののようでした。


ロシア料理と言えばボルシチに代表されるようにスープです。今回はすすめられた透明なスープを頼みました。


私以外の日本の人はビーフストロガノフを頼みました。
やっぱり本場では食べてみたくなりますね。ご飯がついているとカレーのように感じてしまいますが、もちろん別物です。
ビーフストロガノフを調べてみると16世紀初頭にウラル地方で成功した豪商・ストロガノフ家の家伝の一品であったとされています。食事と料理が好きな当主が深夜、小腹が空いて起きたものの家人や使用人は全員眠っていたため有り合わせの材料で料理を作ってみたら旨かった事から出来た料理だと言い伝えがありますが、実際は貴族のたしなみであった『開かれた食事会』のために雇われ料理人が作ったのが真相のようです。19世紀に帝政ロシアのストロガノフ伯爵のフランス人コック長が広めたそうです。


私はステーキを頼みました。これもロシア料理ということで頼んでみました。やっぱり一流レストランの料理はおいしいです。ご飯が出てくるのが新鮮でした。


Google地図でレストランの場所を探したので紹介しておきます。マイナイのアイコンを数回クリックすると町の中のレストランの位置がわかると思います。緑のマークのところの文字は冒頭の写真の看板の文字と一致するのでレストラン名だと思います。類似の文字を探して店名を書いてみました。
若干違うようですが、こんな感じです。→TPAKTИPБ MEДBБДЬ