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ダルビーシュ・ダンス [エジプト]

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エジプトでダンスと言えばベリー・ダンスが有名ですが、もう一つ有名なダンスがあります。それが今回紹介するダルビーシュ・ダンスです。
イスラム教神秘主義(スーフィズム)の修行者をスーフィーと呼び、スーフィー・ダンスと言われるものがものがあります。ぐるぐる旋回し続けることで一種のトランス状態となり、より神に近づけると考えられているそうです。これらのダンスをステージ化しナイト・クルーズなどで見せているのをダルビーシュ・ダンスと呼ぶそうです。野球のダルビッシュ選手とはなんら関係がありません。

カイロ市内のナイル川のナイトクルーズで行われたダンスの一つとしてダルビーシュ・ダンスを見ことが出来ました。踊り手は約30分間一定方向にものすごいスピードで廻り続ける踊りです。ダルビーシュの意味が気になっていましたが はーしさんに教えてもらいました。ペルシャ語で神秘主義(の僧侶)転じて「貧しきものこそ高貴なり」だそうです。
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食事をいただいたたテーブルから撮ったダルビーシュ・ダンスの動画です。音楽も聴けます。プレーボタンをクリックしてみてください。窓の外の夜景でナイトクルーズの雰囲気も味わってみてください。So-NetとYouTubeの両方に登録いたします。


身につけた何枚もスカートを取り外しながら色んなスタイルで廻り続けます。我々から見ると神業としか思えない踊りでした。この後にベリーダンスもありました。


これらの写真はフラッシュを使っているので止まって見えるのが残念です。すでに上で紹介の動画も撮りました。写真をクリックすると別画面で見ることが出来ます。
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クリックすると拡大フラッシュを使わないで撮った写真です。回転の正確さとスピードが判ってもらえると思います。この写真以外はすべてフラッシュを使った写真です。この写真は船の中の柱にカメラを押し付けて極力ぶれないように撮りました。右の写真から一部を切り取ったのが下の写真です。写真はクリックすると拡大いたします。
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テーブルを回っている場面をいくつか紹介いたします。
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クリックすると拡大青いマークの場所がナイトクルーズ船が出る桟橋です。桟橋の陸側に船のように見えているのは、船の形をしたレストラン(右の写真)で船のように川を走ることはありません。沖側にこの時に乗ったクルーズ船が接岸します。黄色のマークが宿泊したホテル(Cairo Marriott Hotel )です。

より大きな地図で ナイトクルーズが出る桟橋 を表示

やっとエジプト料理が食べれました。 [エジプト]

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エジプトについて数日目にしてやっとエジプトらしいものが食べれました。それまではイタリア料理だとか日本料理などでした。
1人10ドルのエジプト料理の昼食です。普通はツアーでセットで出される料理です。2人だけでしたが、そのツアーと同じ価格で用意してもらいました。
我々の後に20名くらいのフランス人のツアーの人が入って同じものを食べていました。
最初は定番のモロヘーヤのスープです。これを食べた日本人のほとんどの人がおいしいと感じるスープだと思います。おいしいスープーなので家でも作ってみたくなります。具は入れないで作ることをお薦めします。
ネットで調べて一番近そうな内容は枠内です。
まずはモロヘイヤの茎を落として、葉の部分をみじん切りにします。茎の部分は固いのでちょっともったいない気もしますが、使わない方がよいでしょう。ニンニクは薄切りにスライスするか、同じくみじん切りにしておきます。
次に、200ccほどの水を鍋で火にかけ、鶏がらスープの素を加えます。沸騰してきたら、先にニンニクを投入して茹でていき、火が通ってきたのを見計らってモロヘイヤを投入します。モロヘイヤが鮮やかな緑色になったら、塩コショウで味を整え、最後にバターを加えたら完成です。

次に前菜などが出てきます。「生野菜サラダ」と「豆料理」さらに「えんどう豆のコロッケ」と「各種ペースト」です。これ以外にもう一皿豆料理が机の上に乗りました。パンのようなものに挟んで食べます。これ以外に豆料理も出てきました。
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この中で特においしいのが写真の下の方に写っている緑色をした「えんどう豆のコロッケ」です。ペーストも4種類ありますがゴマのペーストすごくおいしいのです。ガイドさんも一緒だったのでおいしいものを教えてもらいました。一番おいしいものどうしをパンのようなものに挟んで食べます。えんどう豆のコロッケはターメイヤという名でガイドブックにも掲載されていました。


そのほかの料理もパンようなものに挟んで食べました。


最後はカレーが出てきました。野菜と牛肉です。エジプト風シチューのような感じでした。


これを御飯に混ぜながら食べます。


最後はデザートです。表面には焼き跡がありますが冷たいデザートです。プリンのようなババロアのようなエジプト独特のデザートだそうです。満足でした。




違う場所でのエジプトらしい料理を紹介します。
機内食です。 おいしそうでしょう。
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ホテルのラウンジに置いてあった料理です。


これもホテルのラウンジです。

ムハンマド・アリ・モスク [エジプト]

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ムハンマド・アリ・モスクです。このモスクはイスラーム地区の南東にあるモッカムの丘に建つシタデル(Citadel=砦)と言う名の城砦(城塞)の中に建てられたモスクです。シタデルは十字軍を阻止するために1176年(アイユーブ朝)に建設されました。立地条件の良さと堅固さからアイユーブ朝~マムルーク朝~ムハンマド・アリ朝~イギリス統治時代に城砦兼住居として使われたことからモスクもいくつか作られました。

ネットから航空写真を拝借いたしました。広い大理石の庭があるのが判ってもらえると思います。その庭は下で紹介いたします。


反対側から見たモスクです。ムハンマド・アリ・モスクはムハンマド・アリ朝時代に建設されたビザンチン(オスマントルコ)様式のモスクです。ムハンマド・アリにより1824年に起工し息子のサイード・パシャにより1857年完成したそうです。
高い塔が特徴ですね。これはミナレットと言われていろんな形式があります。ここのは鉛筆を思わせる尖ったトルコ式です。このモスク自体がトルコの有名なモスクを参考にデザインされたものだそうです。


町の道路から見たムハンマド・アリ・モスクです。エジプトのカイロの主要道路の雰囲気が出ています。


最近は肌を出した女性が多いためか中庭の入口で女性は緑のマントを渡されていました。見ていると強制ではないようです。でもほとんどの女性が受け取っていました。肌が出すぎている女性だけかな?
靴もここで脱いで裸足で中に入ります。入れる袋があると便利です。
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中庭の真中には水が出るような大理石の構造物があるのが特徴です。この構造物は泉亭といわれるもので信者が身を清める場所です。右の時計塔は1846年にフランス国王から送られたものですが、これは1830年にムハンマド・アリがルクソール神殿ラメセス二世のオベリスクを贈った返礼だそうです。


中庭からモスクの中に入ります。これがモスクの内部です。教会との違いは内部に柱がないことでした。朝一番に来たのでまだ人が多くありませんでした。天井から吊り下げられたランプがきれいです。
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観光ツアーの人たちは輪になってじゅうたんの上に座ってガイドさんの説明を聞いています。例の緑のガウンをはおった女性も見受けられます。
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窓の飾りです。


シタデル城砦内には「ムハンマド・アリ・モスク」も含めて4っのモスクがあります。これは「エン・ナーシル・モスク」です。あとの2っのモスクは「アフマド・エル・ケトホダー・イル・アサブ・モスク」と「ソリマン・パシャ・モスク」です。


緑のマークの場所がムハンマド・アリ・モスクで黄色のマークが泊まったホテルです。紫色のマークはハン・ハリーリ・バザールの場所を示しています。

より大きな地図で ムハンマド・アリ・モスク を表示

ギザの三大ピラミッド [エジプト]

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今、エジプトが大変なことになっていますね。早く沈静化してもらいたいです。その願いをこめてエジプトの記事を掲載させていただきます。
エジプトを代表するピラミッドとスフィンクスの写真です。エジプトのカイロに来るとギザのピラミッドには是非とも来たいですね。背景のピラミッドは有名なギザの三大ピラミッドの真中に位置するカフラー王のピラミッドです。

少し角度が違う写真です。バックのピラミッドは紀元前2520年~2494年(紀元前2558年~2532年の説もあり)に在位したカフラー(Khafra)王のものです。四角錐の頂上部分には石灰石の化粧石が残っているのが特長です。高さは143.87m(現在の高さ136m)、底辺は215.29m、勾配は53度10分の巨大なピラミッドです。参道の入口には、スフィンクスがピラミッドを守護するように建っています。ただし、スフィンクスの建てられた時代には諸説あるそうです。
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下の写真がキザの三大ピラミッドです。ピラミッドの西から東をとったもので、これもよく出てくる構図ですが、3っのピラミッドが展望出来る場所(下の衛星写真で展望場所と書かれたところ)からの景色です。自分達の車でクフ王のピラミッドの近くから展望場所まで砂漠の道を走って来ました。一番左が世界最大石造建造物であるクフ王のピラミッドです。真中の化粧石が天辺に残っているのがカフラー王のピラミッドで、一番右側がメンカウラー王のピラミッドです。道路の真っ直ぐ向こう側が東の方向になります。スフィンクスはそちらの方向の丘を下りたところにあります。
                    現在高さ   建設当時高さ
  クフ王のピラミッド         138.8m   146.60m
  カフラー王のピラミッド     136.0m   143.87m
  メンカウラー王のピラミッド    62.0m     66.50m
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全体の配置を判ってもらえるために衛星写真を拝借させてもらいました。ピラミッド以外にも沢山の遺跡があるのが判ってもらえると思います。


小さくて崩れかけているのがクフ王の王妃たちのピラミッドです。展望場所とは反対側から撮ったもので、写真の右端にクフ王のピラミッドの一部が写っています。化粧石が天辺に残っているのがカフラー王のピラミッドです。その左側のピラミッドはメンカウラー王のものです。その左側の小さなピラミッドはその王妃達のものです。


ピラミッドの廻りにはいろんな遺跡があります。スフィンクスの頭の部分が写っているの判りますか。
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メンカウラー王のピラミッドです。化粧石が下の方に残っています。メンカウラー王は古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオです。このピラミッドをネットで調べると高さ65.5m(現在の高さ62m)、底辺105m、勾配51度20分と三大ピラミッドのうち最も小さく、他の2つのピラミッドと比較して長さで半分、体積で8分の1ほどの大きさだそうです。その理由には諸説あるそうですが、何らかの事情で財政が逼迫していたため建設費用を節約したとの説が一般的ださそうです。北面には大きな傷跡が残っていますが、これはピラミッドを破壊しようとしたものが破壊できずに終わったものの名残であるといわれています。1837年に玄室から遺体の一部が発見されましたが、ロンドンの大英博物館への輸送中に船が沈没し、石棺もろとも失われてしまいました。この遺体がメンカウラー王のものであるかは不明なままとなりました。


クフ王のピラミッドを背景にスフィンクスを撮りました。この構図もよく見ますね。


クフ王のピラミッドは化粧石は剥がれてしまい石を積み上げられたことが良く判ります。下の方の石は一個13トンの重さだそうです。ピラミッドは赤花崗岩と石灰岩の組み合わせで作られているそうです。ピラミッドにより構成は違います。


これが化粧石です。石灰岩で出来ています。ピラミッド全体が化粧石に覆われている姿はまるで鏡のピラミッドのように神秘的だったと思います。


クフ王のピラミッドの北側正面からの写真です。駐車の奥まで下がって精一杯遠くから撮りましたが全体を入れることは出来ませんでした。クフ(Khufu)王は紀元前2589年~2566年に在位した古代エジプト・古王国時代のファラオです。今から約4600年前と聞くとすごい歴史を感じてしまいます。このピラミッドは紀元前2560年に建てられたと言われています。一辺230m(現在は220m)・傾斜角51.50の四角錐は、その面が正確に東西南北を向いています。
今回、クフ王のピラミッドの内部に入ることが出来ました。内部に入れるのは一日に300人に制限されているため、近年は観光客が増えているので事前にチケットを手に入れてもらう必要があります。


入口部分を拡大いたしました。真中の大きな入口からではなくて白い警備員が立っている右下の小さな穴から入ります。この穴は9世紀に盗掘によって開けられた通路です。


カメラも最近は持ち込み禁止となりました。唯一の記念が下の右側のチケットです。これが内部に入るためのチケットです。左側はピラミッドエリア全体に入るためのものです。全体のチケットが50エジプトポンド(約1000円)に対して内部に入るチケットが100エジプトポンド(約2000円)です。
大回廊に到達するまでは無理な姿勢で急勾配を上るので結構登るのが大変です。そこの天井は人の高さより低く急坂のトンネルが続きます。登る人と下る人がすれ違うことが出来ないほど狭いところもある上に、かなりの距離を、かがんで登らなければならないので体力に自信がない方はゆっくりと時間をかけて登ることを、お薦めします。それだけに登りきったて大きな部屋に出ると感激すると思います。
今回は突然カイロ近郊の観光をすることになりました。カイロに住んでいる日本人の方から観光会社に段取りお願いしました。
8人乗りの車代が100ドル 日本語ガイドさん代が100ドル 昼食が1人あたり10ドルです。このときは2名で利用したので観光会社への支払いは1人あたり105ドルでした。各観光地の入場チケット代は結構かかります。丸一日観光地を廻るのであれば10000円をエジプトポンドに両替しておくことをお薦めします。


クフ王のピラミッドの断面を紹介いたします。番号2が我々がピラミッドに入った盗掘孔です。クリックして出てきた断面図の番号(112)の説明です。
 1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.下降通路 5.未完の地下室 6.上昇通路
 7.女王の間 8.水平通路 9.大回廊 10.王の間 11.控えの間 12.脱出孔
ピラミッドの内部では23691110と王の間に入りました。
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クス王のピラミッド内部にはカメラ持ち込み禁止のため、ネットから下の写真を拝借いたしました。内部の大回廊(断面図の9)です。ピラミッドに入る時、カメラは車に置いてくる事をおすすめします。入口でしつこくカメラ、カメラと聞かれます。見つかると預けることになりますが、正式な預け場所でない場合はカメラは戻ってこないと、思ったほうがいいとガイドの人に言われました。内部で歩くのが急坂で狭くて、さらに低くいために、登ののが非常に苦しかったのが6の場所でした。

スフィンクスの全景が1枚の写真では撮れないので、つなぎ目が気になりますが2枚の写真を合成しました。


スフィンクスを後から撮りました。東を向いています。スフィンクスやピラミッドは広大な砂漠の中にあるように思われている人も多いと思いますが東側はすぐに街に接しています。カイロの中心からも30分くらいでこのギザのピラミッドエリアに来れるのには驚きました。カイロ市内からも天気がよければピラミッドが見れます。
実はこの写真にはスフィンクスの正面に作ったことで話題になったKFC(ケンタッキーフライトチキン)のお店が写っています。クリックすると拡大するので探して見て下さい。ヒントは三つの白い三角テントの少し上の赤い看板が目印です。
IMG_7795-1640.jpg

スフィンクスの前にスフィンクス神殿がありその横に、この写真の河岸神殿があります。この河岸神殿は王の遺体をミイラにする場所だそうです。ピラミッドに付随して河岸神殿と葬祭殿が作られたそうです。河岸神殿はピラミッドから離れた場所に作り葬祭殿はピラミッドのすぐ側の正面に作られます。葬祭殿はミイラを埋葬する前にファラオ(王)の再生と復活を祈った場所だそうです。写真はファラオをミイラにした河岸神殿です。


河岸神殿の中です。


ここに来て驚いたのがカイロからこんなに近い場所に世界最大のピラミッドがあったことです。他の多くのピラミッドはこの大ピラミッドから南にナイルの肥沃地帯に接する砂漠の端につぎつぎと建設されていったようです。

猪苗代町の十割手打ち蕎麦 [猪苗代]

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クリックすると拡大2013年22日~23日に福島県の猪苗代湖の近くにあるボナリ高原ゴルフクラブに仲間8人で泊まりがけでゴルフに行ってきました。猪苗代湖の北の磐梯山の裾野に広がる猪苗代町は蕎麦粉十割の手打ち蕎麦が有名なことから7月22日の昼食は手打ちそばを食べることにいたしました。

この辺りには十割蕎麦を食べさせてくれるお店が沢山あることから、出発前に調べて評判のお店をピックアップしたのが下記の表と地図です。表のお店はブログなどを丁寧に調べたので、いずれのお店も美味しいことは間違いないのですが、どうせ食べるのであれば一番おいしい蕎麦を食べたくなります。一番おいしいというレベルになってくるとネットの評判はあてにならないことが多く、初めての地域であることから実際に食べてみないとわからないのが実態です。
店名種類お店開店閉店
 三四郎手打ち更科系十割そば専門11:0014:30
 まるひ手打ち田舎風十割そば専門11:0016:00
 おおほり手打ち更科系十割そば専門11:0017:00
 おおほり 分店手打ち更科系十割そば専門11:0015:00
 きまぐれそば七手打ち更科系十割そば専門11:3014:30
 蕎麦物語 遊山手打ち更科系十割そば専門11:0016:00
 ラ・ネージュ手打ち更科系十割レストラン11:3014:15
迷った末に紫色のマークの「蕎麦物語 遊山」で食べることにいたしました。

より大きな地図で 猪苗代町の蕎麦屋 を表示
こちらのお店の特徴がゆったりとした敷地の中で美味しい蕎麦を食べれることなのです。写真の長居門を通った奥にお店の建物がありました。


入口の長居門の下から奥の蕎麦が食べれる建物を撮りました。長居門の大きさが判ってもらえると思います。
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こちらの建物の中でお蕎麦をいただきました。お店を紹介します。住所は2つ書いていますが、どちらかが古い呼び方なのだと思います。
  名前 蕎麦物語 遊山
  住所 福島県耶麻郡猪苗代町清水前2772 又は
      福島県耶麻郡猪苗代町清水前遊山1
  電話 0242-72-1800
  営業 11:00~16:00
  定休 水曜日
  特徴 7500坪の敷地 地下407mの湧水使用 大正時代の器 
  HP  http://www.yu-zan.com/contents.html


入口です。こちらでも食べれますが、奥の部屋に案内されました。奥は座敷机が4つにテーブルが一つありました。


このような座敷机がいくつか並べられていました。


こちらがテーブル席です。ここには古いジュークボックが飾られていました。アンティークな調度品にも目を魅かれました。


こちらのお店の特徴の一つが地下407mの湧き水を使った蕎麦がいただけることです。最初にお茶ではなく、その自慢の水が出されました。


私は写真の天ざる蕎麦を頼みました。冷たい蕎麦の種類は次の通りです。温かいお蕎麦も食べれます。
 ざる蕎麦    840円
IMG_8536-153.jpgIMG_8534-153.jpg 鬼おろし蕎麦  950円
 山菜蕎麦   1260円
 きのこ蕎麦  1260円
 地鶏蕎麦   1260円
 天ざるそば  1580円
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天婦羅を拡大いたしました。山菜が2種類に海老、しそ、ししとう、茄子がカラッと揚げられて美味しかったです。天婦羅は塩でいただきました。
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胡麻だれが乗った蕎麦団子が珍しかったです。


蕎麦粉100%(つなぎ無し)でありながら、こしのある真白の更科系のお蕎麦でした。会津産の一番粉と呼ばれる中心部分を使ったのが更科系の蕎麦で、透き通るような真白の蕎麦が特徴で、すばらしい喉ごしでした。蕎麦の全粒を使ったのが田舎風の蕎麦で蕎麦の香りを楽しむのに対して、更科系は喉ごしを楽しむお蕎麦だと思います。
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喉ごしを感じてもらうために、そばを拡大いたしました。
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風車とヒマワリ 佐倉ふるさと広場 [千葉]

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千葉県の佐倉市にも約3万本のヒマワリを見ることが出来るところがあります。オランダ風車のある佐倉ふるさと広場です。このひまわり畑は「佐倉ふるさと広場・風車のひまわりガーデン」と呼ばれています。

佐倉ふるさと広場と言えば左側の写真の4月に行われるチューリップ祭り(チューリップフェスタ)が有名ですが、チューリップ祭りが終わった後にヒマワリが植えられて7月にヒマワリ(向日葵)が見ごろを迎えるのです。ヒマワリが終わって、秋には右の写真のコスモスの花を見ることが出来る場所なのです。
  チューリップフェスタ(4月)         コスモスフェスタ(10月)
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つまり4月と7月と10月に花を楽しむことが出来るのです。
   4月 チューリップ 50万本
   7月 ひまわり    3万本
  10月 コスモス    50万本
ヒマワリは見晴らしを考えて、鮮やかな色の少し背の低い種類が植えられているようでした。
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さすが、3万本、見事でした。
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人間だけでなくミツバチも沢山訪れていました。
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ミツバチとヒマワリの花が写った写真を紹介いたします。
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7月16日は見事に満開でした。2013年7月10日(水)~23日(火)がイベント期間で7月20日からは、お気に入りのひまわりを摘み取ることができるそうです。
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ひまわりの花は正面ばかりが注目されるようなので花の裏側の景色も紹介いたします。
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昨年(2012年)の「佐倉ふるさと広場・風車のひまわりガーデン」の動画がホームページに掲載されておりましたので紹介いたします。「



2013年7月24日追記 タイトル:翌日には刈り取り作業が始まりました。
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佐倉市のフラワーフェスタのイベントの一つとして佐倉ふるさと広場で行われていた「風車のひまわりガーデン」は2013年7月23日(火)で終了いたしました。おそらく翌日の7月24日には次のイベント「コスモス・フェスタ」のために刈り取られるのではないかと思い7月24日の朝に来てみました。予想通りヒマワリの刈り取りが始まっていました。時間は9時55分でした。

トラクターなどを使って一気に刈り取るのかと思っていましたが、4人の方で1本1本抜かれていました。全部で3万本あるので大変な作業です。一人当たり7500本です。
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写真のような機械もありましたが、見ている間では使うところはお目にかかれませんでした。
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花はかなり成熟していました。最初に掲載した写真を撮ったのは7月16日なので、花の見ごろは終了日(今年は23日)から一週間前までと考えた方がよさそうです。来年の参考としてください。


黒い種もしっかりと出来ていました。丁寧に一本一本抜いていたのは、おそらく種を取るためだと思います。ヒマワリは見せるだけが目的ではなくてヒマワリ油の原料となる種を取るのも目的の一つだと思いました。

ホテル火災の教訓と反動 [パキスタン]


教訓
すでに「自分のホテルが火事」でご報告の通りパキスタンで深夜に泊まっていたホテルで火事に遭遇しました。そこでの経験で最大の教訓は煙やガスが予想以上にすごいことでした。このような状況では煙やガスを避けることに最大の努力を払うことが大切だと感じました。さらに強盗やテロに対する安全だけではなく防火設備の整ったホテルを選択することも大切だと実感させられました。
記事の下の方に火事のオリジナルの報告は添付いたしました。

私は火事のあった4階に泊まっていましたが、知り合いは最上階の6階に泊まっていました。私は煙で火事を知ったけれど廊下は煙と熱気で逃げられない状況でした。逃げ道確保と煙から逃れるために私が、窓の外の小さなスペース(以降はベランダと呼びます。)への窓をこじ開けようとしている時に部屋の電話が鳴りました。やっとホテルの人からの電話かなと思い、急いで取ると6階の知り合いからの電話でした。彼はこの街の人から携帯電話に「お前の泊まっているホテルが火事だぞ」と伝えられて知ったそうです。その彼から「状況判っているか。俺は屋上へ逃げる。おまえは?」と伝えられました。私は「とても廊下からは逃げられないのでベランダに出て状況に応じてそこから下に降りる。」と答えました。下の写真のようにベランダの外側にはコンクリートの格子があるので、つたって下に降りれるのです。煙が多量に進入してきていたのでベランダや格子がなかったら難しい選択を迫られたと思います。


今回はパキスタンなのでテロに一番気を使って、このホテルを選択しました。なんといっても地元系のホテルなのでターゲットにされる可能性は少ないためです。その上に入口では車の検問があります。


空港のような安全検査もやっていました。安全には気を使ったつもりでしたが火事に関しては無防備のホテルでした。

反動
翌日、イスラマバードからラホールに移動しました。ラホールのホテルで気になったのが火災に対する防災です。ここは部屋にはちゃんとした火災検知器が付いていました。


スプリンクラーもついていました。


さらに、いざと言うときに逃げられるように2階にしてもらった結果、高級な部屋になってしまいました。大理石のバルコニーがあるのですぐに逃げれます。


バルコニーからの写真です。


ベッドまで高級仕様でした。


浴室まで立派でした。ちょっと反動で気にしすぎたかもしれません。



オリジナル記事 タイトル:自分のホテルが火事

パキスタンのイスラマバードに来て最大の事件がこれです。私にとって海外経験で最大の危機だったかも知れません。
ホテルの部屋で寝ている時に、煙たいのに気がつきました。目を開けると天井が霞んでいました。もしかしたら火事と直感! 時間は午後11時(日本時間 午前3時)ごろで、すぐに廊下を確認すると、ものすごい煙なので火事と判りました。有毒ガスのような煙がすごすぎる上に、熱すぎて廊下からは逃げられる状態ではありませんでした。いざとなったら窓から逃げる覚悟で部屋に戻りました。 しかし一番危険な煙が相当に部屋に入ってきたので、身の危険を感じて部屋にもいられないために、ついに窓の外の小さなスペース(人が行く場所ではないけれど以降はベランダと呼びます。)への窓をこじ開けて窓を乗り越えて避難しました。開けるときに煙で見えないので窓の取っ手を無理やり壊して開けました。火事がおさまってから冷静に見ると壊さなくても開けられる構造でした。
私は4階のRoom No.411 でベランダから見ると火事は同じ4階でした。上の写真はベランダから撮った写真です。良く見ると飛び降りなくてもコンクリートの格子をつたって降りれる構造でした。この状態になって、とりあえず火事が大きくなっても逃げられると感じて、初めて冷静になれました。それで息を止めて部屋に入ってカメラを取ってきてベランダに再度避難しました。

火もかなり出ていました。このときは消防自動車はまだ来ていませんでしたが15分位してから放水が開始されなんとか沈火することが出来ました。それから30分くらい経ってからすごい数の消防自動車が来ましたが、おそらく出火から一時間以上経っていました。火が消えてから初めて非難誘導で一階に降りたわけです。


避難した時に状況をお客さんの一人が以下のように話してくれました。
火事はRoom No. 404だったそうです。 隣の部屋Room No.402に日本人の新婚さんが泊まっており窓から飛び降り(つたって降りる時に落ちたのか動転して飛び降りてしまったのか)て女性が怪我をしたと話してくれました。
これが事実であれば日本人が怪我をしたことから日本でもニュースになるかもしれません。ネットで調べたけれどまったくありませんでした。 
2時間経ってから部屋に戻してもらいましたがススだらけでした。紙を置いていた部分は真っ白なのですごい煤だこと判ってもらえると思います。
とても寝れる状況でないので別の部屋へ変更してもらいました。


ホテル名はPearl Continental Hotel Rawalpindi Pakistanです。防火設備(スプリンクラーや火災報知機)を強化することを期待します。→ポチッ

火事のときの地上です。こちらを見ている人も沢山いました。


4階の人はやっと鎮火してから避難誘導されて1階に下りました。1階は避難した人たちや外から帰ってきた人たちでいっぱいでした。やっと別の部屋は入れたのは3時過ぎでした。一旦自分の部屋に戻って荷物をまとめて別の階の部屋に移動しました。


火事になる前に撮ってあった部屋の写真を紹介いたします。火事のあとは白い部分は全て真黒になったことを想像してください。

パキスタンのお人形 [パキスタン]


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パキスタンに行ったときに可愛らしい人形をパキスタンのラホールのホテルで見つけました。ショーウィンドウの中のためフラッシュが反射してきれい写っていないのが残念です。青い服のお人形の値札には3000ルピー(約3000円)と書かれているのが読み取れます。上の写真はクリックすると拡大します。

こちらも可愛らしいです。これは男女の人形ですね。


大砲の飾ってある家 [パキスタン]

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パキスタンは広大な土地に立派な建物が建っている施設が沢山ありました。
その中で大砲が飾ってあるところがありました。パキスタンの第二の都市ラホールの軍の本部だそうです。写真はクリックすると拡大します。

なんとなくイギリスぽい気がしませんか?
インドの大統領官邸にも大砲が飾ってあること思い出しました。
パキスタンはアフガニスタンと国境が接していることからインドなどと比べても危険な地域が多いですね。ラホールは比較的安全ですが火事にあったイスラマバードはさらに気をつける必要がありました。

ひまわりの花を拡大してみました。 [植物]

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今日(2013年7月21日)は15日ぶりに車で1時間くらいの、いつものゴルフ場に行ってきます。幸いにも、数日は暑さが小休止です。でも暑さに気を付ける必要がありそうで暑さ対策として冷たい麦茶を3リットルほど、用意いたしました。
そして明日(7月22日)からは会社の連続休暇を利用して会社関係の8名でゴルフツアーに行ってきます。8名の内、4名は今日と同じメンバーです。鷲倉温泉(福島市土湯温泉町鷲倉山1番地)に泊まって猪苗代湖近くのボナリ高原でゴルフをいたします。なお、7月25日~29日には関西の実家に帰省しているのでブログの方も少しだけ小休止になりそうです。
先日、ウクライナのヒマワリを紹介したので、近所のヒマワリを紹介いたします。
ひまわりの花をよく見ると沢山の花の集合体であることが判ります。写真をクリックしてじっくり見てください。その集合体を作っている小さな花を管状花(筒状花)と言うそうです。一番外側の小さな花に黄色い大きな花びらがついています。その小さな花を舌状花と言うそうです。勉強になりました。

花を拡大してみました。外側が花粉を出している状態で中央の部分はまだ咲いていません。真中はこれから開花のようです。周辺の管状花が咲いているところですね。
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花をさらに拡大してみました。管状花(筒状花)の形がさらに良くわかると思います。
詳しい説明がネットがありました。⇒ポチッ
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パキスタンでビールを飲む裏技 [パキスタン]

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パキスタンは国全体が禁酒なのです。豚肉が食べれた町の中華レストランでもビールは飲むことは出来なかったので、禁酒に関してはかなり厳格な国であることは実感させられました。ただし外国人が、お酒を飲んでも罰せられることはないのでパキスタンに駐在している外国人の人たちはビールなどのお酒を手に入れる方法(法律違反ではありません。)は沢山あるため、家で飲むのには不自由しないそうです。
問題なのはレストランにお酒が置かれていないことなのです。したがって一般の観光客がお酒を飲むのはかなり不便です。
イスラマバードで言えば3っの高級ホテルは、あるルールのもとにビールが飲めます。ただしホテル内のレストランでも普通はビールが飲めません。部屋の冷蔵庫にも入っていません。ところが唯一ビールが飲めるレストランがありました。我々が泊まったホテルのステーキハウスです。ここではビールを注文できました。もちろん外国人のみです。
料理はホテルにチャージできますが面白いのはビールだけはカードもだめで現金払いです。それも従業員が現金とビールを直接交換する形で購入します。購入したあとにプライベトに飲んでいることで法律には触れないようです。したがって領収書もレシートもありません。残念ながらワインやウイスキーはありませんでした。このビールが禁酒の国パキスタン製なのに驚かされました。まだ完全には国のシステムが理解できていません。

付きだしが変わっています。ニンニクとパンにキャビヤに似たものです。ビールが飲めてよかったです。何杯もいただきました。大満足でした。
一つ忠告を忘れていました。普通のレストランはお酒を持ち込んでも法律に触れます。ここのレストランは外国人ばかりで個室に近い状態で隣のテーブルから見えないようになっているから許されているようです。ホテルと言えども廻りから見えるテーブルでお酒を飲んでいるとレストランに物凄い罰金が科せられると教えてもらいました。


ステーキの種類は輸入と国産があります。部位もフィレ、サーロイン、・・・といろんな部位があるのでステーキのメニューは多いけれどステーキ以外は2種類程度です。
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その一つのシーフードのグリルです。イスラマバードのお店はステーキ以外は2種類でしたがラホールの同系列のステーキハウスは刺身や御寿司も置いてありました。ただしステーキ以外は食中毒の確率が高いのでお薦め出来ません。
ラホールでは刺身や御寿司も食べたけれど!(笑)
つまり、イスラマバードでもラホールの事情を説明しているということは、同じ系列のレストランでビールを飲んだわけです。 
ただし、お客さんが少ない時期は生ものは危ないと思います。
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パキスタンでスパゲッティー [パキスタン]

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メニューからナポリターナを選びました。出てきたのは我々のいつも食べているミートスパゲッティーでしたがパキスタンでこの味が、食べれたのは感激でした。味は本格的でした。

左の奥のレストランです。洋食からパキスタン料理まで幅広く食べれます。これでビールが飲めたらいいのですが、パキスタンでは、皆が見ることが出来るようなレストランでアルコールを提供することが、法律で禁止されています。違反するとレストランに対して高額の罰金が科せられることから、美味しい料理を前にしてビールを飲むことが出来ないのです。

海外で食べるインスタントラーメンは格別 [パキスタン]

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パキスタンの記事をいくつか掲載していますが、ちょっとした出来事を紹介いたします。パキスタンの御馳走の話です。何度かパキスタンに来ている人が、中華三昧を持参しました。必ず、あっさりしたものが食べたくなるとの読みでした。
問題はホテルの部屋に電気ポットがなかったことです。ホテルの中で料理させてほしいといろんなレストランに頼みました。中華料理店にも行きました。すると「うちでは無理だけどあちらのレストランなら大丈夫でしょう。」と言われてそちらに行くと「あちらのレスラン(その前に言われたレストラン)なら大丈夫でしょう。」と言われてしまいました。いずこも同じと苦笑してしまいましたが簡単にはあきらめないのが中華三昧を持参した人! そこで「たらいまわし」にならないように、そこのレストランの人を連れて言われたレストランに行きました。

結局はそこのレストラン(喫茶店)でOKとなりました。が鍋がないのです。写真の入れ物に入れて電子レンジで作りました。結構、うまく出来ました。
おいしかったです。食べ終わった後にお礼の意味でコーヒーとケーキを頼みました。

リバーサイドレストラン [ウクライナ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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クリックすると拡大ウクライナの地方都市であるドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)でNO.1のレストランと聞いて教えてもらったレストランです。本当にNO.1かどうか判りませんがリバーサイドにある素敵なレストランでした。上の写真がレストランの入口です。リバーサイド・レストランと書きましたが、湖と言ってもいいようなところなのでレークサイド・レストランと呼んでもいいかもしれません
すでに紹介したセレブなパーティーが行われていた湖畔のレストランとはまた違う雰囲気のレストランでした。Dnepropetrovskで一番のレストランを教えてほしいとお願いして、紹介してもらったレストランでした。
クリックすると?右の写真で真中に座っているのが私です。私の左側がウクライナの女性でウクライナ国内を案内していただきました。下の写真が店内の写真です。テーブルが満席の時はバーでお酒を飲みながら待つことも出来ます。遅い昼食(ランチ)だったので、幸いにも店内はすいていました。ランチでしたが、お店には13時15分に入り15時45分まで2時間半ほど食事や会話を楽しみました。この日は遅いフライトでキエフに戻るのでディナーを兼ねたランチでした。
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お店の方の服装も洒落ていました。


クリックすると別場面お店の方に記念写真をお願いしました。食事は右の写真の5人でいただきました。右の写真をクリックすると洒落た服を着たお店の方も写った別場面を表示します。
このレストランのすばらしいところはレストランから見える川の景色です。レストランから見て右側の景色です。こちらが下流側です。この橋の上をすでに紹介したように電車が走っていました。
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こちらが上流側の景色です。我々が食事をしたのは屋内でしたが、この写真を撮った屋外にもテーブルがあって、食事をすることが出来ました。屋外でも雨はかからないので、まるで船に乗っているような雰囲気で食事が出来るのです。
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レストランの正面にも素敵な建物がありました。
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やっぱり日本人ですね。最初は冷たいビールで乾杯です。


さすが一流レストランの雰囲気を感じさせてくれる前菜でした。
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ちょっと拡大してみました。チーズとトマトは合いますね。
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こちらのレストランはウクライナ料理店ではないけれども、やっぱり短い滞在期間なので日本人はウクライナの料理を頼みましたニシンの塩漬けです。ほとんど刺身の新鮮なニシンなので追加でさらに頼んでしまいました。
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新鮮さを判ってもらうために拡大写真を掲載します。
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こちらはローストビーフです。何気ない一品ですが、飾り付けが一流店の雰囲気を感じさせてくれます。
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こちらの一品も拡大いたしました。
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これだけの料理になるとワインが欲しくなりますね。赤ワインを頼みました。


赤ワインは2種類の見ました。こちらが後から頼んだ赤ワインです。


メニューの中でウクライナの料理は一割程度ですが、その中でウクライナ特有の料理を頼んでもらいました。ウクライナのスープと言えばボルシチですが、こちらもウクライナで有名なスープです。私が頼んだスープです。
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こちらがボルシチです。サワークリームがたっぷり付いてきました。隣の人が頼んだスープでした。
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有名なキエフ風カツレツです。ロール上の豚肉の真中に溶けたバターがたっぷりと入ったウクライナ名物料理です。
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切るとバターが流れ出てきました。こちらが隣の人のメインデッシュでした。
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ウクライナ風のロールキャベツです。地元料理のページから選んだウクライナ料理です。
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こちらのロールキャベツの断面も紹介いたします。日本から来た日本人だけがウクライナ料理を注文してウクライナに住んでいる方は一般的な料理を注文されていました。そちらもすばらしかったです。
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レストランを紹介いたします。ホームページから料理やデザートの写真を拝借いたしました。お寿司がメニューの中にあるのには驚きました。お寿司は世界的になってきているのですね。カザフスタンの地方都市のホテルでもお寿司を食べました。
  店名  COAST RESTAURANT AND LOUNGE
  住所  Dnepropetrovsk,Naberejnaya Lenina str., 61
  電話  056)-375-5050
  HP   http://www.coast.dp.ua/
  料理  Specialties
       Cuisine
       Porch Menu
       Banquet menu
       Japanese cuisine
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クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。
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航空写真で場所を紹介します。真ん中あたりのナイフとフォークのマークがレストランです。紹介の鉄橋は電車のマークのところです。

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レストランから見える列車の走る風景 [ウクライナ]

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ドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk または ドニプロゼルジンシク)の町の記事を掲載中です。ここで機関車の写真を紹介いたします。次に掲載予定のウクライナのクリックすると拡大Dnepropetrovskのリバーサイドレストランの食事を終わって外に出たときに、ちょうど列車が橋を通りました。2両のディーゼル機関車だけで客車は引いていませんでした。

列車が通った橋の全景です。レストランの中からの景色です。
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ラッキーなことに食事中にも列車が通りました。ウクライナで機関車や列車を見たのはこれが最初で最後でした。
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橋とレストランの位置関係を航空写真で紹介いたします。

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何気ない町の風景 Dnepropetrovsk [ウクライナ]

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ウクライナの地方都市であるDnepropetrovskの朝の風景を紹介いたします。すでにこの町の路面電車教会などを紹介いたしましたが何気ない町並みを紹介いたします。こちらは石畳です。急な坂道の石畳で向こうからこちらに向かって登っています。車のタイヤで石畳がつるつるに磨かれているようでした。

古い建物が大切に使われていました。いったい何年前の建物なのでしょうね。


これが普通の景色なのです。Dnepropetrovskは日本語ではドニプロペトロウシクですが、一回では覚えられませんね。


広い歩道に、豊かな緑があふれる町でした。


このような感じの建物があふれていました。


大きな建物もありました。昔から豊かな町だったことを窺うことが出来た気がしました。


おばさんたちが掃除の合間に鳩たちに餌を与えていました。スカーフを頭に巻いているのは姿は、ウクライナを感じさせてくれる景色でした。
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上のおばさんたちと道路を挟んだところの小さな学校らしい建物の壁に女性の先生らしい像が取り付けられていました。下の文字が読めると像の由来がわかるのでしょうね。クリックすると拡大します。ロシア語かウクライナ語だと思いますが1868年と1872年が読みとれます。さてどのようなことがかかれているのでしょうね。
クリックすると台座の文字を拡大

ウクライナの地方都市のホテル [ウクライナ]

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クリックするとホームページ表示ウクライナのドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)という町に泊まりました。人口は100万人でウクライナでは第2あるいは第3の町だそうです。ちなみに首都キエフは250万人です。
泊まったホテルは、こじんまりとしたホテルですが清潔できれいなホテルでした。
手前から2軒目の建物です。
名前はReikartz Hotelで四つ星のホテルです。

泊まった部屋の窓からの景色です。緑が沢山ありました。こちらの町では超高層ビルはありませんでした。


こちらが部屋です。ネットで見る限り一番評判が良かったです。→ポチッ


浴室はやたらと広かったです。


朝食は豪華な感じではありませんが、なんとなく品質の高いものが並んでいました。
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気に入ったのがチーズです。


これが自分のさらに取り分けたものです。


パイ生地の変わったパンがあったのでさっそく食べてみました。甘みのある美味しいパンでした。
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航空写真でも緑が多いことがわかってもらえるとと思います。写真の中のマイナスのアイコンを数回クリックすると町全体がわかってくると思います。緑の家のマークがホテルの場所です。

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シドニーのダウンタウン [オーストラリア]



シドニーの話題を紹介しているので、少ない写真の中から続編としてオペラハウスあたりからのダウンタウンの景色を紹介いたします。最初は夜の景色です。

こちらは昼間の景色です。オペラハウスの側から撮っていることがわかってもらえると思います。オペラハウスの一部が左端に写っています。


シドニーで有名なハーバーブリッジも目の前にありました。


海面近くに下りてハーバーブリッジを撮った写真を紹介いたします。


ハーバーブリッジとオペラハウスの位置関係を知ってもらうために航空写真を掲載いたしました。ダウンタウンはこの写真の南に広がっています。マイナスのアイコンマイナスを数回クリックしてもらうとわかると思います。

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昔の白川郷 [日本]



学生時代にサイクリング部(自転車部)の仲間と白川郷に車で行きました。昔の白川郷です。今も建物は変わらないと思いますが、すべての場所が観光化されておらず素朴そのものでした。
右の写真のように2年生の時の夏休みには自転車でも行きました。コースは下記で(甲府→東京)だけ友達の車で後は関西まで自走でした。
関西→敦賀→福井→高岡→白川郷→御母衣ダム→高山→朝日ダム→野麦峠→奈川温泉→白樺峠→乗鞍山頂→前川渡→松本→武石峠→美ヶ原→和田→小諸→松原湖→甲府→(車)→東京→関西
東京からは、その友達と自転車で伊豆を走りました。

上の写真の左側の方を拡大いたしました。


こちらは右の方を拡大した写真です。


近くで水芭蕉を見かけたのでとりました。


つい、その水芭蕉の前で記念撮影をしました。


近くのダムの写真です。ネットで調べた結果、このダムは鳩谷ダムです。途中で九頭竜ダム御母衣ダムにも寄りました。

ウクライナの地方都市でドイツビール [ウクライナ]



ウクライナについて2晩目はドイツの居酒屋風のレストランになりました。ホテルの近くで簡単に食べようかといろんなレストランに入ってみましたがクレジットカードが使えるお店がなかなか見つかりませんでした。クレジットカードが使えるお店を探したのは現金をあまり持っていなかったためです。そんな時に上の写真のポールが立っているのを見つめました。
これは見覚えがあります。→ポチッ
もっと巨大なポールでしたがドイツの田舎の村で見かけました。マイバウムと呼ばれるお祭りで建てられるものです。ここはドイツ料理店だと直感して入口まで行ってみました。一応クレジットカードのマークもドアにあったのでさっそく入りました。

さっそくビールを頼みました。ドイツの無濾過のビールでした。


これはチーズをジャガイモに包んでフライにしたものです。これはビールに合います。


これは?
カザフスタンに着いた初日のカザフスタン料理で食べた裂きチーズに味が似ていました。見た目は違いますが裂きチーズです。


鶏肉の乗ったサラダです。これもビールに合いました。


ドイツと言えばソーセージです。ドーンと出してもらいました。


スモークサーモンに玉葱の料理です。なかなかウクライナのドイツ料理はいけました。


これがすばらしくビールに合いました。黒パンを揚げたものです。少し味がつけられていてビールに合うのです。


途中でスープを飲むのもいいですね。ビールばかりなので暖かいスープがより美味しく感じられました。


野菜の揚げ物に!


ジャガイモも頼みました。


ナイフとフォークのマークがドイツレストランの場所です。緑のマークが泊まったホテルです。ホテルから目と鼻の先でした。小さな写真は、すでに紹介した教会です。

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パンタグラフ [ウクライナ]



こちらはウクライナに入って最初に泊まったドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)です。この町には赴きのある路面電車が走っていたので紹介します。
上の路面電車で目立っているのが、大きなパンタグラフ (Pantograph)です。パンタグラフは菱形の集電装置のことですが、今ではパンタグラフと形のものは見かけなくなり専門家の間では電車の集電装置のことをパンタグラフと呼ばなくなったようです。でもこちらの町では今でもこの菱形のパンタグラフが活躍していました。
Dnepropetrovskは日本では長らくロシア語名に基づいてドニエプロペトロフスク、ドニェプロペトロフスク、ドネプロペトロフスクなどと表記されていたが、ウクライナの独立後はウクライナ語名に沿った表記が広く使われるようになってドニプロペトロウシクとなりました。ただし日本国内におけるウクライナ語の認知度が低いため現在でも「ドニエプロペトロフスク」と表記されることが多いそうです。
線路の雰囲気から、この町では古くから路面電車があったように思えました。右の航空写真の中心あたりが路面電車の写真を撮ったところです。
この町は人口は資料により110万から130万の間といわれおり、ウクライナ第2の都市または第3の都市と呼ばれています。ドニエプル川の河畔に位置する工業都市で兵器の生産やエネルギー産業などの重工業を主産業としているそうです。ソ連時代を含めて多数の人材を送り出しています。特に独立後の首相を4名(レオニード・クチマ、パーヴェル・ラザレンコ、ワレーリー・プストヴォイチェンコ、ユーリヤ・ティモシェンコ)も輩出していることには驚きです。より大きな地図で見る場合→ ポチッ


路面電車の後姿です。上の線路を走っているところです。ここは町の中でも丘の上で高いところを走っています。


こちらは町の中の路面電車の線路と架線です。


町のいたるところに路面電車が走っていました。


下の写真のように前から見るとパンタグラフの大きさが実感できると思います。冒頭の写真の丘の上の路面電車とは、かなりの高低差があったのでつながっていないかもしれません。より大きな地図で見る場合→ ポチッ
この地方で確認されている人間の居住は15万年前だそうです。いくつかの民族の交代があり、紀元後1世紀ごろからスラヴ人が住むようになったそうです。9世紀にキリスト教が伝わり、修道院が建てられたが1240年にタタール人に破壊されたそうです。タタール人の勢力がこの地方に進展したころには、ドニエプル川の東岸にタタール人、西岸にスラヴ人が対峙し、12世紀にコサックがこの地域を勢力下におくまでこの状態が続いたそうです。16世紀には、ポーランド王国、オスマン帝国、モスクワ大公国の勢力が角逐する場となったそうです。最終的にロシア帝国領となり、1775年現在の都市が建設されたそうです。当時の名は、ロシア皇帝エカチェリーナ2世の名をとって エカチェリノスラフ(Екатеринослав)と命名され、ロシア革命後に現在の名に改称されたそうです。


この町(ドニプロペトロウシク / Dnepropetrovsk)では路面電車だけではなくトロリーバスも発達していました。


さとけさんのプラハの路電にトラックバックしています。←車体がそっくりです。

レンガ造り [ウクライナ]



すでに紹介したとおりウクライナのドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)は石作りのビルが多かったけれども、レンガ(煉瓦)造りのビルも目立つ町でした。レンガ造りも趣のある雰囲気がありました。

煉瓦造りの風景もドニプロペトロウシクの町の風景の一つなのでいくつか紹介いたします。煉瓦の建物は3階までのようでした。


煉瓦造りのビルは石造りのビルは半永久的ですが煉瓦造りのビルは寿命があるようです。取り壊し寸前のビルもいくつかありました。



この円筒はなに? [ウクライナ]


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ウクライナのDnepropetrovskの街角に円筒形のものが建っていました。
これは何でしょう?    クリックすると拡大します。

  答えは 売店(キオスク/kiosk)でした。

雑誌や新聞などを売っていました。

キオスク(Kiosk)はJR東海の販売店の名前だと思っていましたが、奥の深い語源でした。キオスクとは現在のヨーロッパ、ロシア、アメリカなどでは、仮設小屋の一種を示す言葉で、ロシアなどでは、道端や公園など場所問わず設置されている小さな商店を指すそうです。ネットでのキオスクの説明は下記の通りです。
キオスクとは、地中海沿岸や中東などで発達した、庭園の簡易建造物。東屋やガゼボなどと同じく小さな建物で、全面または一部の面に壁がなく、外に開放されている。
キオスクはイランからインドにかけての庭園によく設けられていた。13世紀にはペルシャ人からトルコ人に伝わり、オスマン帝国では宮殿や庭園などにキオスクが建てられた。イスタンブルのトプカプ宮殿の周囲には多数のキオスクがあるほか、オスマン帝国の支配下にあった地域、例えばギリシアなどにもキオスクのある庭園が残る。
キオスクという語はペルシャ語のクシュク(kušk)に由来し、「日陰をつくる物」を指していた。これがトルコ語でキョシュク(köşk)になった。「キョシュク」は現在でも、オスマン建築の中でも宮殿や邸宅の離れといった住宅建築を指すのに使われる。当初は木造で、後には石造などでも建てられたキョシュクは、表面は石や金属やタイルなどで覆われ、2階建て以上の高さがある建物であった。トルコなどには、皇族や貴族が夏や冬に住みかえて過ごすための邸宅や離れが多数残っている。特に夏用の邸宅は風を取り入れるために開口部が大きい。18世紀にはヨーロッパにオスマン文化の影響が及び、庭園に「キオスク」と呼ばれる休憩用の建物が建てられるようになり、造園に際しての重要な要素となるに至った。
ギリシアの都市によくみられる型のキオスク現在のヨーロッパ、ロシア、アメリカなどでは、キオスクとは仮設小屋の一種で、一方の壁面に大きく開いた窓があるものを指す。キオスクを使う商人も多く、道路や公園などにキオスクを設置して新聞、雑誌、地図、ライター、タバコ、菓子など安いものを売っており、新聞スタンド・雑貨屋・駄菓子屋の機能を果たしている。ロシアでは、道端や公園など場所問わず設置されている小さな商店を指す。ソ連崩壊・ロシア市場経済成長と共に、大手スーパーチェーンの進出や浸透により数は少なくなりつつある。日本では駅売店がキヨスクと呼ばれている。
キオスクと呼ばれるものの中には、催し物を紹介する無料のパンフレットや地図などを配布したり、観光客の案内所として使われるもの(information kiosk, information booth)もある。またキオスク端末やインタラクティブ・キオスクと呼ばれる、コンピュータやインターネット端末を置いた小屋やブースを、路上や店舗内などに置いて公的サービスを提供したり情報を提供したりしている国もある。
各国の言葉は下記の通りです。
 ペルシア語  : کوشک‎ kušk
クリックすると拡大 アラビア語   : كشك‎ košk
 トルコ語    : köşk
 タガログ語  : kyos
 ウルドゥー語 : khoka
 フランス語   : kiosque
 ギリシア語  : κιόσκι
 ドイツ語    : Kiosk
 ポーランド語 : kiosk
クリックすると拡大 英語      : kiosk
 チェコ語    : kiosek
 ポルトガル語 : quiosque
 ルーマニア語 : chioşc
 ブルガリア語 : кьошк kyoshk
 クロアチア語 : kiosk
 セルビア語  : киоск or kiosk
 スペイン語   : quiosco or kiosco
 日本語     : キヨスク or キオスク  クリックすると拡大

ドニプロペトロウシクの教会 [ウクライナ]

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湖畔のレストランでウクライナ料理セレブなパーティーをを紹介したウクライナの100万人都市であるドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)の町を早朝に散歩をしているときに撮影した教会です。この教会は前日の夕方にレストランを探している時に見かけた教会でした。気になったので朝の散策の時に探してみました。時間は5時27分でしたがすでに人が集まりつつありました。ウクライナは朝が早かったです。
 
こちらが前日の夕刻に撮った同じ教会です。こちらの時間は18時47分でした。


道路を挟んで建っていた教会関係と思われる建物でした。5時28分と早朝でしたが中から神父が2名ほど出てきて車に乗って出かけました。教会に出勤のような雰囲気でした。建物の雰囲気は学校あるいは宿舎のような感じでした。
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教会と教会関係の建物の位置関係をGoogle地図に写真のアイコンで示してみました。小さな写真のアイコンがわかってもらえるでしょうか。

より大きな地図で Dnepropetrovskの教会 を表示
地図上に写真のアイコンを作る方法を紹介いたします。
 1. 事前にso-netにアイコン用の小さな写真(jpg gif)を登録しておきます。
   作るアイコンのサイズは64×64以下
右が32×32 で下が50×50
IMG_0091-50.jpg 2. Googleにユーザー登録をします。すでに登録してある場合は不要
 3. Googleをログイン状態する。
 4. 「地図」をクリック
 5. 「マイプレイス」をクリック
 6. 「新しい地図を作成 」をクリック
   すでにマイマップを登録してある場合は対象をクリック
 7. 地図の目印付けるのマークのアイコンをクリック
 8. 対象場所にマークをドラックしてクリックする。
 9. マークのタイトルを入力
10. 左のマークのアイコンをクリックして、出た画面の「追加」をクリック
11. 事前にso-netに登録した写真のアドレス(URL)を入力してOKをクリック
12. マーク登録のOKをクリック
13.マイマップにタイトルを入力した保存をクリックし完了をクリック
手順説明 以上
こちらが編集中の画面です。直線を引いたり道なりの線を引くことも出来ます。航空写真の画面だとアイコンがわかりにくいので地図の画面にしています。

セレブなプライベート・パーティー [ウクライナ]

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ウクライナのドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)という町の湖畔のレストランで食べたウクライナ料理を紹介いたしましたが、そのレストランで見るからにセレブな人たちプライベートなパーティーが行われていました。
単なる食事会でないと思われた理由は後で紹介するとします。ヨーロッパと同じ習慣だとすればこちらに背中を見せて座っている男性の何らかのお祝いだと思います。雰囲気からして誕生日のお祝いかもしれません。
白いジャケットの背中の模様も気になります。娘さんと思われる女性が一眼レフを持っているのもIMG_9835-248.jpg印象的でした。

パーティーを撮影する人も雇われていました。そのおかげで私も写真が撮りやすかったです。気になっていたジャケットの背中の模様を右に紹介します。クリックすると拡大するので是非と拡大写真をじっくりと見てください。MONDOの文字が気になります。


レストラン大きな敷地の中で一番景色のいい場所に特別にテーブルをセッテングされていました。クリックすると拡大するので雰囲気が少しわかってもらえるかもしれません。
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我々のテーブルの場所からの景色です。


ウクライナの農家をもとにしたレストランだそうです。湖の畔の素敵なレストランでした。極寒の冬の季節はこの建物の中で食事をするのでしょうね。


前にも紹介しましたが湖畔からの景色を紹介します。この景色の目の前手にテーブルがセッテングされていました。この写真はクリックすると拡大するので景色を楽しんでください。
クリックすると拡大

これはレストランのイベントではなく、上のパーティーの方がプライベーに依頼した踊りだそうです。確認したところウクライナの民族衣装でもないしウクライナの民族的な踊りとは関係ないそうです。先ほどのテーブルからこの踊りの会場に移動して皆さん楽しまれておられました。動きと迫力を実感してもらうために連続9枚の写真を掲載いたします。その次に掲載させていただいた動画を見てもらえればわかりますが女性や子供さんも興味深く(?)、見ておられました。8枚の写真はクリックすると拡大いたします。
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クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

動画も掲載いたしました。動画の最後にセレブなパーティーの人たちも登場しますので是非とも、最後まで見てほしいです。踊りの種類はサンバ系?
上の写真は4名で踊っていますが、この動画を撮った時は3名で踊っていました。上の8枚の写真のスライドショーはこちら→ポチッ


クリックすると拡大上の連続8枚の写真の後ろから2枚目の写真から切り取ったものです。髪の流れ方からも動きの大きな踊りであることがわかってもらえると思います。夕刻(18時44分)で暗くなってきている上に動きが早いので鮮明な写真ではありませんがクリックすると拡大するように設定いたしました。
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ウクライナの前大統領の演説はじまったとの事なので我々も見に来ました。でも我々と一緒に食事をしていたウクライナに住んでいる人が前大統領と顔が違う、本物ではない、と言い出しました。実は、これもプライベートのパーティーのメンバーが依頼した物まねのタレントの方だったのです。
右の画面が動画です。プレーボタン( )をクリックすると物まねを聞くことが出来ます。画面が小さいので画面の中のYouTubeの文字の部分、或いは右下の [  ] をクリックすると大きな画面で動画を見ることが出来ます。我々にはわかりませんが、しゃべり方が似ているのでしょうね。これ以外にもいくつかのイベントがあったので、かなりのセレブな人たちのパーティーであると判断したわけです。

エジプトのパトカー [エジプト]



これがカイロのパトカーだと思います。 
町の中をパトカーのような白黒の車が沢山走っているので最初は沢山パトーカーがいるんだな。と思っていました。実はタクシーでした。カイロのタクシーは白黒だったのです。
聞くところによるとタクシーは町によって色が違うそうです。
パトカーの後ろににも警察か軍隊関係の車が駐車しています。

その車を拡大いたしました。ここはムハンマド・アリ・モスクの近くです。おそらく観光地を警備する警察(軍隊)のたちだと思います。

湖畔のレストランでウクライナ料理 [ウクライナ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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この日はカザフスタンのアルマトイ(アルマティー Almaty)からキエフにウクライナの航空会社であるアエロスヴィット航空で6時間25分のフライトでウクライナの首都キエフに着きました。本来は町で昼食をとることにしていたのですが、カザフスタンから飛行機が遅れていることもあり空港で昼食をとった後、すぐにウクライナの国内線でドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk)という町に着きました。
ウクライナに着いたらやっぱりウクライナ料理です。さっそく夕食は湖畔にある素敵なウクライナ料理のレストランに行きました。上の写真がレストランからの景色です。

オープンな雰囲気のレストランでした。ここでいろんな肉を焼いて出してくれました。


レストランからの別の角度の景色です。


こちらがレストランの入口の門です。これがレストラン? ワイルドナ雰囲気の入口に驚きましたが中に入って納得でした。


レストランの中ではプライベートなパーティーも行われており、そのパーティーも素敵な景色になっていました。
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レストランは広大な敷地の中に個室が建てられている形式でした。この建物で食事を楽しみました。


個室の中のテーブルです。遠くからは個室は小さいように見えましたが実際に席に着くと結構広いテーブルでした。


分厚い皮張りのメニューにはPECYOPAHの文字とXymipの文字が読み取れます。一つがお店の名前でしょうか。もう一つがメニューの意味かもしれません。


さっそくビールです。民族衣装の方が持ってきてくれます。


ここから料理の紹介です。と言っても料理の名前は判りません。こちらはいろんなピクルス(日本流で言えば漬物)の盛り合わせです。ハーブも一緒に食べました。


これがウクライナの名物です。塩付けや燻製など5~6種類のいろんな肉が、出されました。カザフスタンと違い豚肉が自由に食べれるので豚肉も入っています。特に有名なのが豚の脂身の塩漬けサーロ(ウクライナ語:Сало 英語:Salo)です。サーロはボルシチやヴァレーヌィクと並んで、ウクライナの代表的な伝統料理とされています。


上の写真からサーロの部分を拡大しました。これが本場のサーロです。
サーロは、高カロリーの脂肪源として古来より重視されたそうです。農家や、戦争に出かけるウクライナ・コサックはいつもサーロを保存食として持参していたといわれています。18世紀初めのヘーチマン国家における忠心隊の1 日分の糧食にはサーロの割合が30.8 %を占めており、ウクライナの食文化におけるサーロの重要度を物語っているるそうです。ウクライナ人によるサーロへのこだわりは、東欧諸国においてしばしば笑いのネタにされており、ウクライナ人を「サーロ食い」と呼ぶこともあるそうです。
ウクライナ人の食生活では、以前はサーロはパンとならぶ主食の一つでしたが、生活様式の変化と、現代の人々の間に広まった低カロリー志向から、前菜的な役割のみ担うようになったそうです。


ウクライナ料理は自然な農村の中で食べるコンセプトのようです。以前ロシアでウクライナ料理を食べた時はレストランの中に農家を作って実際の動物や農夫がその中に居ました。
こちらではまさに自然の中にレストランを作ったのだと感じました。出てくるものも自然なものでした。生野菜がドーンと出てきました。


いかにもウクライナ人という雰囲気の方が民族衣装で沢山の料理を持ってきてくれました。


これがニシンの塩漬けです。ほとんど刺身状態と言えるほど新鮮でした。ニンニクやハーブと一緒に食べました。


写真を撮る前に2個食べられてしまいました。これもウクライナの独特の料理だと思います。なぜならばウクライナ独特の料理を選んで欲しいと頼んだからです。


ウクライナと言えばウオッカです。これは生姜を原料にして作ったウオッカです。初めて見ました。単にウオッカに生姜を入れたものではなく珍しいものだそうです。透明な普通のウオッカより飲みやすい気がしました。


ジャガイモ料理です。単に揚げたものですが味付けが良かったです。


春巻きのような料理でした。卵で巻いた物を揚げた料理でしょうか。


いよいよメインの登場です。最初に紹介した湖畔で肉を焼き始めました。


テーブルに出されてきました。やはり一番高級な牛肉だと思います。沢山出てきました。


カザフスタンでは肉はカリカリに焼きましたがウクライナでは多少ミディアム的な焼具合でした。タレは必要なく調理の時の塩と胡椒だけの味付けですが肉に含まれる脂の味だけて美味しくいただけました。クリックすると拡大します。
クリックすると拡大

レストランの位置を探し当てました。フォークとナイフのマークの位置がこのレストランです。地図内のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。もっとアイコンをクリックすると、この町ドニプロペトロウシクの位置もわかると思います。

より大きな地図で Dnepropetrovskのレストラン を表示

チェルノブイリ原子力発電所の場所 [ウクライナ]

福島第一原発の事故(2011年03月11日)から5ケ月目(8月27日)の報道で、事故で放出されたセシウム137が広島に投下された原子爆弾の168倍にあたるとのショッキングなニュースが流れました。そんなに多かったのかと改めて感じてしまいます。最近の最新情報はまだ調べていませんが、その時のニュースの内容は下記の枠内です。
保安院の試算によりますと、福島第一原発の事故で1号機・2号機・3号機から、これまでに放出されたセシウム137の量はあわせて1万5000テラベクレルに上ります。これは、1945年に広島に投下された原子爆弾の168倍にあたる量だということです。セシウム137は半減期がおよそ30年と長く、長期間の影響が心配されます。
原子爆弾と原発事故では、放射性物質の放出の状況は大きく違い、保安院は「単純に比較することは合理的ではない」としていますが、事故で放出された量が膨大であることが改めて示されました。(27日02:26)
2013年3月時点で福島第一原発から放出されたセシウム137総量はチェルノブイリ原子力発電所事故の4倍、広島原爆の約4023個分であると発表されました。
今、ウクライナの記事をいくつか書いています。→ポチッ
ウクライナと原発と言えば27年前に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故を思い出しますが、チェルノブイリ原子力発電所がウクライナに行っている間もはっきりしした場所のイメージがなかったために思い出す意味もあり場所を検索してみました。
左側のマークがチェルノブイリ原子力発電所です。事故が発生したのは4号炉(1883年竣工)ですが、2000年11月まで3号炉(1881年竣工)は運転をしていたそうです。ちなみに2号炉(1878年竣工)は1991年10月の火災をきっかけに停止し、1号炉(1877年竣工)は1996年11月まで運転していました。


ソ連崩壊に伴い1991年8月24日に独立したウクライナが事故処理を引き継いだそうです。放射能汚染はチェルノブイリ原子力発電所の北側が深刻な被害を受けたためにベラルーシの被害が文献などに多く取り上げられています。


ウクライナの首都キエフから直線で110kmですが風向き関係で放射能の影響は少なかったと記憶しています。


下の航空写真がチェルノブイリ地区です。チェルノブイリの町はこの航空写真より少し南にあります。大気に漏れた放射性物質(ヨウ素131とセシウム137の合計)と広島原爆を比較すると次の通りです。
  福島       37京ベクレルor 63京ベクレル
           セシウム137 広島の 168倍(2011年8月発表)
                  広島の4023倍(2013年3月発表)
           事故評価 レベル7
  チェルノブイリ  520京ベクレル
           合計放射能  広島の 400倍
           事故評価 レベル7
                         京=10000兆
福島原発からの放射能汚染はチェルノブイリ原発事故で放出された放射能汚染の数分の一から10分の一程度ですが、あのチェルノブイリと福島が同レベルになってきたことに驚いています。ただしチェルノブイリ原発事故で放出された放射能汚染でも20世紀中頃に行われた沢山の大気圏内核実験による合計汚染と比べた場合は、100分の1から1,000分の1に過ぎないそうです。


これがチェルノブイリ原子力発電所です。航空写真で見る限りは立派な発電所だったようです。ここで1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)に事故が発生いたしました。


Google地図も掲載します。アイコンをクリックして拡大および縮小が出来るのでいろいろと活用できます。

より大きな地図で Chernobyl原子力発電所跡 を表示
マークの位置が4号炉だと思います。下の写真の煙突がクリヤーに写っています。


これがネットから拝借した地上から見た4号炉です。煙突の奥が3号炉だと思います。
事故の初期にソ連当局が行った応急措置は次の通りです。
 ホウ素を混入させた砂5000tをヘリコプターで4号炉に投下
 水蒸気爆発を防ぐため下部水槽(高濃度汚染水)の排水
 減速材として炉心内へ鉛の大量投入
 液体窒素を投入して周囲から冷却、炉心温度を低下させる
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ネット上で掲載されていた三次元CGの画像です。向こう側の煙突の前後にあるのが2号炉と1号炉で手前の煙突の前後にあるのが4号炉と3号炉と思われます。
クリックすると別角度

チェルノブイリ原子力発電所の事故による放射能汚染の状況を紹介しておきます。この画像はセシウム137の汚染状況を説明したものです。画像をクリックすると各文字が読める画像が表示されます。距離の感覚がわからないと思いますが原子力発電所とキエフ(KIEV)は直線距離で110kmなので汚染は数百kmに、およぶことがわかってもらえると思います。
クリックすると拡大

ついでなので1979年3月28日にレベレ5の事故を起こしたアメリカ合衆国ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所の場所も掲載いたします。写真の中のアイコンを数回クリックすると、この位置が判ってくると思います。

より大きな地図で Chernobyl原子力発電所跡 を表示

ウクライナ国内線 ドニプロアヴィア [機内 CY]



より大きな地図で ウクライナ国内 飛行ルート を表示
ウクライナの首都キエフとヒマワリ畑に近い地方都市ドニプロペトロウシクを往復したフライトを紹介します。カザフスタンのアルマトイ(アルマティー Almty)からウクライナの首都キエフについた日は空港からウクライナの目的地であるドニプロペトロウシクには、空港から直接、国内線に乗り換えて向かいました。黄色のマークがキエフ空港で緑色のマークがドニプロペトロウシク空港です。オレンジのラインが飛行ルートです。ちなみに左上の赤い炎のマークは、今から27年前の1986年4月26日1時23分に最悪のレベル7の事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所の場所です。
その時に乗った飛行機はウクライナの飛行機会社ドニプロアヴィアです。乗った飛行機は、この飛行機会社が所有している飛行機の中では一番小さいエンブラエル ERJ 145でした。
 ドニプロアヴィア(Z6 ウクライナ)
  ボーイング737-300 2機
  ボーイング737-400 1機
  ボーイング737-500 3機
  ボーイング767-300 1機
  エンブラエル145   11機

エンブラエル ERJ 145はブラジルの航空機メーカーであるエンブラエルが開発した、ターボファン双発のコミューター路線用ジェット旅客機(リージョナルジェット)だそうです。この市場の航空機としてはベストセラーを記録しているとのことでした。赤の矢印が今回の飛行機です。航空会社が2つあるのは共同運航便です。


首都キエフト第二あるいは第三の都市であるドニプロペトロウシクとの間の飛行機にしては小さいのに驚きました。でも一日に3つの航空会社(Z6 PS VV)が6便ほど飛ばしていることから、たまたま小さい飛行機だったのかもしれません。

飛行に乗る風景です。写真に写っている乗客は21名ですが、その内、12名が女性です。女性が活躍している国なのでしょうか。


飛行機からの窓の景色です。ウクライナは農業が盛んで田園風景が広がっていました。こちらの写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

一応、食事も付いていたので紹介します。サラダに鶏肉です。スポンジケーキもついていました。


目的地のドニプロペトロウシクに近づいた景色です。川が印象的でした。
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ドニプロペトロウシク空港です。


ドニプロペトロウシク(Dnepropetrovsk または ドニプロゼルジンシク)からキエフへの帰りのフライトもドニプロアヴィア(Z6)でした。帰りの飛行機も小さい飛行機でした。これは偶然なのかそれとも全て小さい飛行機なのかは判りません。ドニプロペトロウシクの記事は下記の通りで今回で終了です。こちらの町でもいろんな記事が書けましたが一番印象的だったのは「ひまわり」でした。今後の掲載予定のドニプロペトロウシクの記事です。
  ウクライナと言えば! ひまわり畑 掲載済み
  ウクライナでドイツビール
  湖畔のレストランでウクライナ料理
  ドニプロペトロウシクの教会
  セレブなプライベート・パーティー
  パンタグラフ
  この円筒はなに?
  何気ない町の風景 Dnepropetrovsk
  ウクライナの地方都市のホテル
  レンガ造り
  リバーサイドレストラン
  レストランから見える列車の走る風景
将来ですが着色の文字をクリックすると、その記事を表示するようにいたします。
キエフへの帰りのフライト名はZ6 008(VV 4008)です。Z6は日本では航空券が買えなかったためにウクライナで買っていてもらいました。ちなみにVV(アエロスヴィット航空)やPS(ウクライナ国際航空)は日本で航空券を買うことが出来ます。出発は19時00分ですがまだ明るかったです。


キエフへの帰りの便の外の景色を紹介します。ウクライナの雲でした。


キエフ空港です。


キエフに着いたのは夕刻(20時)でした。20時になるとさすがに暗くなってきました。ホテルについた後、キエフの町を散策いたしました。

ウクライナと言えば! ひまわり畑 [ウクライナ]



以前にカザフスタンとウクライナに出発した記事を掲載しましたが、ウクライナで最も印象に残ったのがヒマワリ畑でした。
紹介の写真は農業地帯を車で走っている時のものです。
上の写真は車の後部座席から撮ったものですが、走っている車の周りに見渡す限りのヒマワリの畑が続く景色に出会えました。バックミラーにも「ひまわり」が写っているのがわかってもらえると思います。360度がヒマワリ畑でした。

これも車からの写真ですが110km/hでの走行のために鮮明ではありませんが雰囲気はわかってもらえると思います。


クリックすると?車を停めてヒマワリ畑の景色を楽しむことになりました。2台の車で走っていましたが前の車がこの場所で停まってくれたのです。
後ろのランドクルーザータイブが私が乗った車です。
ほんとうに一面ヒマワリだらけでヒマワリの香りを感じたのも初めての経験でした。昔、イタリア旅行に行ったときフィレンチェの近くで広大なヒマワリ畑を見て感激いたしましたが、こちらのヒマワリ畑は桁違いの規模でした。


ほんとうにヒマワリ畑がどこまでも続いていました。この写真はクリックすると拡大するので是非とも拡大写真を見てください。
クリックすると拡大

少し拡大した写真です。こちらもクリックすると拡大します。停車して写真を撮ったので花の形がよく判ります。花がこちらを向いてくれています。
クリックすると拡大

道路も紹介します。このように道路沿いにヒマワリの畑が続いていました。
一般道路ですが交通量が少ないので、この道を巡航速度110km/hで走りました。時には160km/hでも走りました。スピード感はありませんが路面が悪いので上下振動が大きいため写真を撮るのに苦労しました。そんな意味で、停まってもらえたのはラッキーでした。こちらの写真もクリックするとヒマワリ畑の広さを実感してもらえる共に道路の雰囲気もわかってもらえると思います。
クリックすると拡大

計250km走っただけの感想ですがウクライナは農地か豊富な場所でした。この時期で、最も多かったのが小麦畑で次がヒマワリ畑でした。その次はジャガイモで、その次がトウモロコシでした。この写真は緑の小麦畑でした。


刈り取りに近づいた小麦畑や刈り取った後の小麦畑があり、小麦畑は一斉に同じ景色ではありませんでした。そんなことから一斉に同じ景色であればヒマワリ畑が一番多かったと思います。


クリックすると拡大この場所はソフィア・ローレン主演の1970年3月14日に公開された映画「ひまわり」の舞台となった場所になった地域なのです。映画は戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、劇中幾度か登場する、地平線にまで及ぶひまわり畑の美しさと、もの悲しさが圧巻でした。その映画の音楽とともに悲しい名場面の動画を紹介いたします。
それぞれのプレーボタン( )をクリックして両方の動画を同時に見てみてください。その場合は片方のスピーカーボタンを押してミュートにすると聞きやすいと思います。画面の中のYouTubeの文字の部分、或いは右下の [  ] をクリックすると大きな画面で動画を見ることが出来ます。


映画のエンディングで撮影されたひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南南東へ500kmほど行ったヘルソン州で撮影されたものです。今回の場所の隣の州なので、ウクライナは広い国なので、非常に近い場所と言えると思います。
  今回のひまわりの写真を撮った場所
  映画ひまわりで、ひまわり畑が撮影されたヘルソン州

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