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ちょっと気まぐれなお蕎麦屋さん [蕎麦]

が表示された写真はクリックすると拡大します。

このお店も口コミで知った蕎麦屋です。ちょっと気まぐれで値段が高いけれど味では一番気に入っているお店です。久しぶりに行ってみましたが、残念ながら締まっていました。入口に「当分の間、休業します。」との張り紙がありました。その張り紙も色あせているところから長い間、休業したままのようです。したがって昔の写真でお店を紹介いたします。是非ともまたお店を開いてほしいです。
なぜ気まぐれか。結構前から、お店が閉まっていることが多かったのです。土曜日と日曜日の12時ごろは大丈夫だと思うのですが、もう一つ自信がありませんでした。駐車場に高級車が並ぶお店でもあります。ゆったりと蕎麦を楽しむお店です。

ざるそば(二段重ね)です。これが一番のお勧めですが量は少ないです。二段重ねで値段は1000円ですがもう二段ほしくなるはずです。
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天ざる(二段重ね)です。普通のお店と違うのは暖かい天つゆで蕎麦を食べるところです。価格は二段重ねで1800円です。天婦羅は大き目の海老だけのかき揚げです。
蕎麦をそばつゆとワサビで食べたい方は普通の天ざる(一段 1300円)と普通のざるそば(一段 600円)を頼めばOKです。合計して1900円となるため、100円アップで両方の食べ方が楽しめることになります。
IMGP8806-960.jpg

席はゆったりしています。中は広いのですがこのテーブルが3っと椅子のテーブルが2っあるだけです。


雰囲気のあるお店ですがこの建物が蕎麦屋とは簡単には判りません。道路の車からはまったく看板ものれんも見えないのです。




見えない場所に小さな看板が一つあるだけです。

これだけの味なのにネットにも出てきません。これだけ写真を沢山載せたブログもはじめてかも!? 
探せたら教えてください。
 見つけました。→ポチッ
  店名   手打蕎麦 斉藤
  住所   千葉県印西市大森2551-7
  電話   0476-42-5899
  最寄駅 JR成田線 木下(きおろし)駅

のれんの右側にも手打蕎麦と書いてありますが、写真のように奥の方にあるため見えません。
口コミの人しか来ないのは判る気がします。
ポチッとするとのれんを拡大

タグ:蕎麦 そば 木下

ネットでも、あの人の写真を見つけました。 [トルコ]

IMG_6187-50.jpg
偶然ですが、最近、下で記載のトルコ石のお店を紹介していただいた方に出会いました。その時に毎日新聞にギュルジャイさんの写真が出たことを、お話すると驚かれていました。さっそくにギュルジャイさんへ連絡をとってみるとのことでした。
そんなきっかけもあって、あらためてネットで検索すると毎日新聞のHPにその記事が載っていることを見つけたので、再度、カラー写真で更新掲載いたしました。
上の写真はネットに掲載されていた写真です。
写真が載っていたサイトはこちらです。→ポチッ ポチッ
イスタンブールのグランドバザールで宝石商を営むカラハン・ギュルジャイさん(35)は、アンカラ大学で日本語を学び流暢な日本語を話す。大きなトルコ石を手に「自分がデザインした宝石をお客様に気に入ってもらえたらうれしいわ」=トルコ・イスタンブールで2010年10月、松田嘉徳撮影

2010年10月29日掲載 タイトル:驚きました。 あの人が新聞に載っていました。


昨日からベトナムに来ています。
成田からハノイに来る飛行機の中の新聞を見て驚きました。
一年前にイスタンブールで行ったトルコ石のお店のオーナー兼デザイナーのギュルジャイさんが昨日(2010年10月28日)の毎日新聞にスマイル@トルコとして載っていて驚きました。新聞でギュルジャイさんは「デザインした宝石を気に入ってくれたらうれしい」と述べられていました。記事を書かれた記者は松田嘉徳さんでした。
私の知っている長くイスタンブールに居る人とギュルジャイさんは親しい方です。その方の紹介でお店に行ったこともあるので、その人が新聞に載るとうれしいです。
写真の中で手に持っているのはトルコ石の原石です。
ネットでギュルジャイさんを検索するとありました。→ポチッ


2009年12月1日掲載 タイトル:トルコ石を買ってきました。

先週の日曜日(2009年11月22日)からトルコに行って来ました。今まで海外に行って、お土産はよく買って帰りましたが宝石類は買うことはありませんでした。琥珀やサンゴや金や銀の装飾類はありましたが石はありませんでした。観光客はどんなに注意しても知識がないので偽者をつかまされたり市場価格より高く買わされてしまう可能性が高くあとで悔しい思いをしたくなかったからです。行く前に娘にお土産はなにがいいと聞くと「トルコ石」との答えでした。でも買える時間がないので無理だと答えましたが、6年間イスタンブールに住んでいる知り合いの日本人に相談したところ信頼できるところがあることがわかりお願いすることにしました。帰国の日に飛行場に行く途中に、その日本人の方に連れて行ってもらえました。この方がオーナー兼デザイナーの方です。右に立って一緒に写真を撮ってもらったのが私です。

これが買ったトルコ石です。トルコ石は深いスカイブルーが特長です。こちらのお店では不純物が混ざって独特の模様がある石を、おすすめられたので、そちらも買いました。
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全部で4個買いました。娘に買うのであれば家内にも買わないと不公平になることと模様があるとなると好みも違うと思ったことと、買えるチャンスはなかなかと思えたのが理由です。右端が普通のトルコ石で、そのほかの3っが模様のあるタイプです。石は全て金製か白金製の金具で取り付けられてありました。鎖はおまけの銀製で皮製のものも、もらいました。
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こちらが不純物が入った模様のあるタイプの代表格です。日本では模様のあるものは、扱っていないので、日本でこれをトルコ石と評価してもらうのは難しいかも知れませんが、独特の模様が気に入って沢山、買ってしまいました。6年間イスタンブールに住んでいる方の奥さんも気に入って十数個買ったそうです。オーナーとは家も近所なので親しい方でもあるとのことでした。
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お店の中は沢山のトルコ石でいっぱいでした。この方はオーナーですが男性従業員の方も3名おられました。
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お店の中から入口側を撮りました。 ここを出てすぐに車で空港に向かい帰国いたしました。有名なブルーモスクも近くにあり、空港に向かう時に車はすぐ横を通りました。


このお店はグラントバザール(GRAND BAZAAR)の近くにありました。イスタンブールを代表するBAZAARはエジプシャンバザールですが、そこは生活が中心の市場でグランドバザールは土産物が中心の市場です。
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200万アクセスに到達しました。 [キエフ]



昨日(2011年10月9日)未明にアクセス数が200万を越えました。
今日(2011年10月10日)の6時5分の時点でアクセス数が2,000,760でした。今日のこの時点までのアクセス数が512であるため、昨日の24時には2,000,248アクセスに到達したことになることから、昨日のある時間に200万アクセス目をいただいたことになります。これは皆様のおかげです。ありがとうございました。
100万アクセスに到達したのは2010年11月17日でした。100万から326日目の到達です。初めて記事を掲載した2009年5月5日からは887日目の到達となります。

タイトルキエフには沢山の教会がありました。
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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キエフから日本に帰国する日の早朝が唯一、明るいキエフを見ることが出来る時間帯だったので4時55分から朝の散歩を初めて世界遺産の聖ソフィア大聖堂ムィハイリフシキィ寺院を見ることが出来ました。さらに裏通りに入ってコグハウスのような不思議な教会にも出会いました。それ以外にも沢山の教会がありました。調べてみるとウクライナの宗教比率は下記の通りで、ほとんどの人がキリスト教であることから教会の多さに納得しました。今回の教会も散策したルートの中で目立つ存在でした。
   ウクライナ正教会・キエフ総主教庁    50.4%
   ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系) 26.1%
   ウクライナ東方カトリック教会        8.0%
   独立ウクライナ正教会            7.2%
   (西方典礼の)カトリック教会        2.2%
   プロテスタント                 2.2%
   ユダヤ教                    0.6%
   その他                     3.2%

こちらが教会の正面から見た姿です。きれいな教会でした。
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入口から内部を撮らせてもらいました。厳かな雰囲気が伝わってきます。


Google地図にこの教会は聖ヴォロディームィル大聖堂と書かれていました。どうやら名のある教会のようです。

より大きな地図で 聖ヴォロディームィル大聖堂 を表示

臼井八景を廻ってきました。 [千葉]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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より大きな地図で臼井八景 を表示→ポチッ (クリック)
私が住んでいる近くに印旛沼があります。その印旛沼の景観で臼井八景(うすいはっけい)と言われるものがあることを最近いただいたブログへのコメントで知り、さっそく自転車で日曜日(2011年10月9日)、八景すべて廻ってきました。臼井八景とは江戸から臼井村に隠棲した「信斉」と当時の円応寺住職であった「宋的」により中国の瀟湘(しょうしよう)八景にならって元禄11年(1698年)に印旛沼の美しい風景の中から臼井の八景を選び出したものです。
上の航空写真の緑のマークが臼井八景の場所で、そこには佐倉市の掲示板が立てられていました。赤いラインが自転車での散策ルートです。左側(西側)から来て臼井八景を廻ったあと元の道を戻りました。
 第一景 舟戸夜雨(ふなとやう)      船戸大橋近く
 第二景 遠部落雁(とうべのらくがん)  西印旛沼自転車道路沿い
 第三景 飯野暮雪(いいのぼせつ)    西印旛沼自転車道路沿い
 第四景 師戸帰帆(もろときはん)     船戸大橋近く
 第五景 瀬戸秋月(せとしゅうげつ)   西印旛沼自転車道路沿い
 第六景 城嶺夕照(じょうれいせきしょう)臼井城址(臼井城公園)
 第七景 光勝晩鐘(こうしょうばんしょう) 光勝寺
 第八景 洲崎晴嵐(すざきせいらん)   八幡台第一公園

これが第一景の舟戸夜雨(ふなとやう)の掲示板です。臼井八景には自転車で廻ったので記念のために自転車と掲示板を一緒に撮らせてもらいました。残りの掲示板に関しても全て自転車と一緒に撮りました。掲示板の写真をクリックすると、書かれているいる文字が読める大きさの画面が出るように設定いたしました。掲示板の下の写真は、掲示板の位置から見れる景色ですが城嶺夕照と光勝晩鐘と洲崎晴嵐の場所からは印旛沼が見れないので、近くの見晴らしのよい場所からの写真です。
 漁する船戸の浪のよるの雨 ぬれてや網の縄手くるしき
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こちらが第二景の遠部落雁(とうべのらくがん)です。臼井城からは最も遠い場所になります。西印旛沼自転車道路沿いにあります。
印旛沼の干拓は江戸時代に入ってから行われたことから臼井八景が選定された1698年ごろは自転車道路沿いは陸地ではなく印旛沼の中であったために、当時に景色を眺めたのは、もっと内陸の今の住宅地あたりだと思います。
 手を折りて ひとつふたつと かぞふれば みちて とおべに 落つる雁がね
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こちらが第三景の飯野暮雪(いいのぼせつ)です。こちらも西印旛沼自転車道路沿いでする。
 ふり積る雪の夕べを見ぬ人に かくと いひのの ことの葉もなし
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こちらが第四景の師戸帰帆(もろときはん)です。船戸大橋近くからの景色です。白鷺が沢山いました。景色の写真はクリックすると拡大します。
 もろ人の諸戸の渡り行く舟の ほのかに見えて かえる夕ぐれ
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こちらが第五景の瀬戸秋月(せとしゅうげつ)です。こちらも西印旛沼自転車道路沿いでする。
 もろこしの 西の湖かくやらん には照る浪の 瀬戸の月影
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こちらが第六景の城嶺夕照(じょうれいせきしょう)です。臼井城跡からの景色です。掲示板は臼井城跡である臼井城公園の入口に立っているため掲示板の位置からは印旛沼の景色は見えません。写真の景色は本丸跡から撮ったものです。
 いく夕べ 入日を峯に送るらん むかしの遠くなれる古跡
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こちらが第七景の光勝晩鐘(こうしょうばんしょう)です。掲示板は丘の中腹にある光勝寺に立てられていたので丘の上まで上がって景色の写真を撮りました。
 けふも暮れぬ あはれ幾世をふる寺の 鐘やむかしの音に響くらん
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クリックすると拡大こちらが第八景の洲崎晴嵐(すざきせいらん)です。 八幡台第一公園です。ここは住宅地の真中になるために、この公園からは右の写真のように印旛沼を見ることが出来ません。丘の上から降りて同じ方向の写真を掲載しました。この景色を高い位置から見たのが洲崎晴嵐です。
 ふき払い雲も嵐もなかりけり 州崎によする波も静かに
Iクリックすると文字を拡大


臼井八景発祥の地と呼ばれている円応寺です。今から300年以上前の円応寺二十四世住職の玄海(宋的)と江戸から隠棲した「信斉」によって臼井八景が考えられたことから、このお寺が「臼井八景発祥の地」と呼ばれているわけです。信斉の子孫は臼井城主となります。正式名を臼井秀胤と言います。
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光勝晩鐘のある光勝寺も趣のあるお寺なので写真を紹介いたします。


城嶺夕照である臼井城跡は臼井城址公園となっています。冒頭の航空写真で印旛沼の周りの水田は江戸時代以降に干拓されたために水田の部分が印旛沼であったと想像すると臼井城は南側以外は印旛沼に囲まれた堅固な城であったと想像できます。
一緒に撮らせてもらった私の自転車を紹介いたします。→ポチッ


下の3枚の地図はネットから拝借した昔の地図です。これは昔の臼井城です。今は水田の部分は印旛沼でした。つまり上の写真の位置からは、もっと手前まで湖があり大きく広がっていました。


さらに古い時代(約1000年前)は霞ヶ浦や北浦、さらには手賀沼とつながていて印旛沼のあたりは印旛浦と呼ばれ、香取海という汽水の内海の一部でした。江戸幕府の度重なる干拓および洪水対策の利根川治水工事(利根川の流れを東京湾から銚子から太平洋に注ぐ川に変える工事)、それに伴う土砂の流入、さらには近年の干拓および治水工事により徐々に現在の印旛沼に変わっていきました。


6000年前から5000年前の関東平野も紹介いたします。

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