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下書き体重の推移 2013年2月から現在まで
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タイトル:子供の結婚式 家族が増えました。

タイトル:戦国時代の城 先崎城

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先日、千葉県佐倉市小竹地区の小竹城と、その城を築城した小竹五郎高胤の墓を紹介いたしました。→ポチッ
小竹城があった戦国時代に隣の先崎地区も先崎城がありました。城があった周りで先崎城という表示を探した結果、上の写真のように「先崎城主 墓石」の標柱(墓守記念碑)を見つけました。

臼井城のあった東の方向から先崎城の方向を撮った写真です。赤い矢印のところに先崎城がありました。高台から平地に睨みを利かす形でお城があったことが判ると思います。今から400年前の戦国時代はどのような景色だったのでしょうね。
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先崎城があったあたりを拡大いたしました。写真の中央の高台に主郭があったものと思われます。


震災のあと、このあたりも、新しい家が増えましたが、昔からの家もたくさん残っています。タイムスリップした気分にさせてくれる場所です。



航空写真で先崎城を紹介します。青いマークのところが先崎城です。現在の先崎城のある場所の住所は千葉県佐倉市先崎1567番~1580番です。先崎の明確な経緯はネットでは記載されていないので千葉県や印旛郡や佐倉市の沿革から想定される経緯は次の通りです。
 江戸時代~             下総国印旛郡先崎村     佐倉藩管轄
 1871年07月14日(明治04年) 佐倉県印旛郡先崎村     廃藩置県
 1871年11月14日(明治04年) 印旛県印旛郡先崎村 
 1873年06月15日(明治06年) 千葉県印旛郡先崎村      
 1889年04月01日(明治22年) 千葉県印旛郡志津村先崎  1町7村が合併 
 1954年03月31日(昭和29年) 千葉県佐倉市先崎       佐倉市が設立       

より大きな地図で 先崎城 を表示
城があった高台の崖下に小さなお堂があります。これが先崎地蔵尊で、お堂の中に高さは90cmの丸彫りで一心に合掌する坐像の石仏が奉られています。
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先崎地蔵尊
 願主 友野河内
 一.慶安三年二月二十四日創建
 二.地蔵信仰と庚申信仰が習合の文化
 三.座像の地蔵尊は珍しい
    佐倉市文化財審議委員会談
慶安三年は1650年です。
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お堂の格子の間から地蔵尊を見ることが出来きました。右側のお地蔵さんは明治四十二年一月に友野富三郎さんによって収められたものです。お地蔵さんは「子供の守り神」のためか、左側に子供の人形も収められていました。


地蔵尊の左側に冒頭の写真で紹介の先崎城主の墓石がありました。墓石の右側には先崎城主墓石と書かれた標柱があり、標柱の裏には「慶安三年ニ月建立 (1650年)」と書かれていました。時代背景はよくわかりませんが1650年は江戸時代に入って47年目の年です。そして今から363年前です。
墓石に掘られている年代をは右から次の通りです。真ん中の墓石には桂岳道照と書かれています。この墓石は宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる形式だそうです。
 慶安三年四月四日   1650年
 慶安三年六月      1650年
 寛文二年八月十八日  1662年
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上で紹介の年代はそれぞれの台座に掘られており写真をクリックすると読み取れます。下の方は読み取れませんが戒名と思われる「楓早紅禅定門 」「禅定尼・ 」「禅定門霓・ 」の文字も見れます。
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上で紹介の墓石以外にも沢山の墓石がありました。明治三年四月廿二日に友野幸太郎さんが再建した石碑(墓石)などもありました。小竹城の場合は小竹五郎高胤が築城したものですが、先崎は人の名字ではなく印旛沼の中の岬(先崎)に由来する地名です。ネットで調べても築城者の当時の氏名は判りませんが、先崎地区で沢山ある名字の友野氏の祖先にあたるものと思われます。
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同じ場所に沢山の庚申塔もたてられていました。


さらに別の石碑も建てられていました。
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ネットで先崎城を検索した結果、歴史的背景の記載されたものはほとんどありませんでしたが謙信、下総臼井城攻めの章 関東騒乱(七)内で永禄8年(1565年)に臼井城を上杉謙信が攻めて敗退した時の記述に先崎城の名前があったので転記しました。戦国時代の厳しさが伝わってきます。少なくとも1565年以前に先崎城が存在したことになります。
剛勇の武士。その働きは北條家の赤鬼とまで異名されたと関八州古戦録にある。 此方から援軍に駆けつけるはずの大和田砦から、反対に松田孫太郎が援軍に来たのであれば、小田原からの援軍も期待できるとの思いを持った上野介胤貞、松田の援軍を臼井城に案内すると直ぐに自兵をその主要な支城である小竹城、先崎城、志津城、師戸城、岩戸城を固め、臼井城周辺に置かれた洲崎、仲台、宿内、手繰、稲荷台の各砦に人数を詰める事にした。...
謙信は先陣である長尾顕長、富岡重朝の手勢を印旛沼の北側に送り込み、岩戸城、師戸城を取り囲ませると、中備えの本庄繁長、北条丹後守、新発田治長の手勢を印旛沼南岸の西北方面から、先崎城に向かわせ、他国衆の本庄秀綱、三上兵庫介正秋、石毛平馬持之、森下三河守の手勢には臼井城南西にある志津城を囲ませている。...
印旛沼対岸でも先崎城から崩された原上野介の兵が仲台砦にばらばらと逃げ帰っており、志津城からも同様に越後兵に追われた城兵が手繰砦に逃げ込んでいた。 謙信本陣もこれを見て陣を動かし、目の前の小竹城に寄せると、これも三月十日までには総崩れとなって手繰砦へと入って行った。...

高台の淵は絶壁になっています。こちらが東側です。写真をクリックすると東方向の景色を表示します。
クリックすると東方向の景色

こちらが南側の絶壁です。写真をクリックすると崖下の景色を表示します。
クリックすると崖下の景色

絶壁の淵は土塁のように盛り上げられていました。写真の右側が絶壁です。当時の地形が残っているものと思われます。写真をクリックすると内側を表示します。
クリックすると内側を表示

高台から奥に入ったところにも古い墓石のような石碑がありました。左の墓石には寛文九年五月(1669年)先崎村と書かれておりました。形式は五輪塔(ごりんとう)で高野山の墓石でよく見かけました。右の石碑には享保十年十月四日(1725年)先崎村と書かれていました。
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古い墓石あるいは石碑がさらにありました。年代は宝永四年(1707年)、寛政六年(1794年)、天明六年(1786年)が読み取れました。


先崎城のそばには鷲神社があります。鷲神社の開創は承平七年七月七日(937年)とのことなので先崎城が出来る以前からあったものと思われます。ただし建物は応永年間(1394~1428年)に火災により被害を受けたことから1844年に再建されたものだそうです。石の鳥居は寛文十三年(1673年)に建立された当時のままだそうです。


先崎城、先崎城主墓石、地蔵尊、丘の上の墓石、鷲神社の位置関係です。
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タイトル:「小竹城」と「小竹五郎高胤の墓」

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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千葉県佐倉市小竹地区は、辻切り不思議な風習を紹介したとおり、伝統が残る歴史のある地区なのです。その中で貴重な文化資産なのが小竹五郎高胤(おだけ ごろう たかたね)によって1390年頃に築城されたと伝えられている小竹城(おだけじょう)の城跡です。この城跡は地元の住民の方によって代々守り継がれてきた文化資産なのです。ここが小竹城であったことを示す標柱が立てられています。

この小竹城跡は2011年3月1日に佐倉市市民文化財に選定されました。車道からの入口部分に小さな看板が立てられていました。資産名は「小竹城跡と小竹五郎の墓およびその周辺の里山風景」です。
佐倉市市民文化資産
小竹城跡と小竹五郎の墓およびその周辺の里山風景
  選定年月日  平成二十三年三月一日
  種     別  自然資産
  員     数  一件及び一基
小竹城は、明徳年間(1390年頃)小竹五郎高胤によって築城されたと伝えられています。現在では一辺約50メートルの土塁や空堀が残るみですが、城址を大切に思う住民により、一帯は墓とともに代々守り継がれてきました。周辺に残る樹林や湧水を含む豊かな里山風景と合わせて、貴重な自然資産です。
平成二十四年三月                佐倉市教育委員会
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車道からの入口です。
選定地は民有地であることから小竹城跡の周囲の限られた景観のみの紹介とさせていただきます。もし見に行かれるときは住民の方に配慮していただけるようにお願いいたします。ミラーの右側の桜の木の下の黄色の〇の部分に小竹城を築城した小竹五郎高胤の墓あります。クリックするともう少しよくわかると思います。
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こちらが小竹五郎の墓です。墓石の中央には「小竹五郎之墓」と書かれており、これが小竹城を築城した小竹五郎高胤の墓であることが判りました。しかし墓石の台座には高橋と刻まれています。ネットによると小竹氏はのちに帰農して名前を高橋に変えたようです。その時の当主が高橋惣兵衛さんだったようです。そのために台座には高橋が刻まれていると推察いたします。そんなこともあり、この地域は高橋の姓が多いのです。地域の案内板の高橋さんの数を数えると15軒でした。高橋さん以外でも山崎さんと秋元さん秋山さんの名前が多かったです。
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下の縦長の2枚の写真の左側が墓石の正面の写真で、右側が墓石の右面の写真です。裏面と左面には特に文字は刻まれていませんでした。下で紹介する文字は正面からだけでは読みにくいので右の写真のように2~3文字づつ角度をつけて撮った写真で読み取りました。
墓石の正面中央に「小竹五郎之墓」と書かれていることが判ると思います。その右上には「千葉六家之正跡」と書かれています。これは「千葉六家」の「正しい場所(正跡)」という意味で、重い意味がある墓標のようです。
墓石の右面には、次のように建てられた時期と経緯が書かれていました。
 時期 維明治廿六発巳年十一月穀旦
 経緯 先祖為菩提高橋弥右エ門建之
穀旦は吉日のことです。つまり築城から約500年後の明治26年11月吉日(今から120年前)に高橋弥右エ門によって先祖の菩提(冥福を祈って供養)のために建てたことを表しているようです。クリックすると拡大クリックすると拡大するので文字を見てみてください。
実は「高橋弥右エ門」の名前は、すでに紹介したことがあるのです。小竹の辻切りの記事で③番の辻切りが取り付けられていた右の写真の秩父三十四ヶ所参りを記念した石柱を立てたのが高橋弥右エ門さんでした。明治33年1月吉日に建てられたので年代的にも同じ人だと思われます。
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120年前に建てられた小竹五郎高胤の墓もすばらしいのですが、その右側に小さな2つの墓石があり、そちらも気になって近づいてみました。
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左の墓石には小さな子供を抱いた菩薩像が彫られていることから、小さな子供の墓石だと思われました。その像の右側には「子」の文字が読み取れることからも子供の墓石であることが伺えました。像の左側には寛延三年十月の文字が読み取れます。つまり、この墓石は寛延三年(1750年)のものであることから今から約263年前のもので現在の120年前の小竹五郎高胤の墓石より、はるかに古いものだったのです。
小さな子供の墓石が建てられていたということは、それより古い本体の墓石があったことを示してくれているのです。
一方、右側の墓石をよく見ると古い墓石の屋根の部分でした。クリックしてもらうとわかるように非常に古いものと思われました。もしかしたら小竹五郎高胤のオリジナルの墓石だったのかもしれません。墓石が壊れてしまったことから120年前に建て直した可能性はあります。今となっては史実を確認する手立てはありませんが、いずれにしても現在の墓石を建てる以前で、且つ寛延三年(263年前)以前にも、この場所に立派な墓石があったことは間違いなさそうで、ロマンを感じさせてくれる場所でした。
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車道から入っていく道を正面から見ました。2011年に佐倉市市民文化財に選定され説明文の看板が道り右側に立てられていることが判ると思います。この看板は昨年(2012年)に建てられました。


道を進んで左に曲がると冒頭の写真の標柱が見えてきます。この城は二重土塁で守られており、手前の盛り上がった部分が一文字土塁と呼ばれるものだと思われます。標柱は城郭への入口の虎口に立てられていたのです。 <写真①>


ここが小竹城の主郭への入口であった虎口です。虎口(こぐち)とは中世以降の城郭における出入り口のことです。「こぐち」には狭い道・狭い口という意味があります。虎口を「ここう」とよむ場合は、中世の戦場や陣地における危険な場所を意味することもあるそうです。虎口の両側に土塁が続いています。 <写真①'>
クリックすると拡大

クリックすると拡大土塁の内側の曲輪と呼ばれる部分には主郭が建っていました。現在は代々受け継がれてきた方の民家が建っています。ネットによると曲輪の土塁脇には妙見社などの祠があるようで、かつて城郭であった雰囲気がありました。右の写真はネットから拝借した祠の写真です。
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立派な土塁が曲輪のまわりに続いていました。<写真②>
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虎口に建てられた標柱です。いずれもクリックすると拡大します。
この標柱は23年前の平成二年(1990年)に建てられたもので、標柱には枠内の内容が書かれていました。
小竹城は小竹氏の居城としての伝承を残す。しかし臼井氏の一族が小竹氏を称するのは十三世紀のことと考えられるのに対し、遺構の構造から判断される築城時期は十六世紀初頭とされている。遺構としては土塁・空堀・虎口等があり、居館的性格を濃厚に有する中世城郭である。
ここでは築城は十六世紀初頭と書かれていますが、同じ佐倉市教育委員会の2011年の見解では1390年ごろ築城と、より具体的な説明になりました。ただし現在残されている遺構は、原氏が臼井城主にあった16世紀(1500年代)中頃から後半の時期のものと考えられいるそうです。
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土塁の外側の空堀もしっかりと残っていました。は二重土塁で土塁と土塁の間が空堀になっているのです。<写真③>


北側斜面の土塁です。ここは20m近い高さの傾斜になっていました。<写真④>


こちらは一文字土塁の手前から小竹城跡の東側の臼井側に降りていく小道の入口です。<写真⑤>


この小道は整備されていましたので降りてみることにいたしました。<写真⑥>


クリックすると拡大小道を降りてみるとこのような広場がありました。
この広場はボランティアの「佐倉里山ガーディアン」の方々が整備されているそうです。
上で紹介した小道の整備も佐倉里山ガーディアンの方により行われたとホームページに書かれていました。
すぐそばには右の写真の樹齢100年のグミの大古木があり佐倉市の保存樹に選定されていました。その木には昔フクロウも住みついていたそうです。正面の竹林の向こうに小竹城跡があるのです。
クリックすると拡大 佐倉里山ガーディアンの紹介
  設立 2003年
  活動 里山のためのボランティア
  会員 10名
  代表 飯田富雄 
  住所 千葉県佐倉市小竹785-3
  連絡 (有)飯田製作所
  HP  http://www.catv296.ne.jp/~satoyama/index.html


上の写真の小道を降りて少し離れた東の臼井側から小竹城跡の方向を見た景色です。この写真では確認する目標は写っていませんが中央より少し右側あたりの奥の丘の上が小竹城跡です。
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上で紹介した写真を撮った場所と方向を配置図に記載いたしました。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大 ①虎口と標注と一文字土塁
 ② 土塁
 ③ 空堀と二重土塁
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大 ④ 北側斜面と土塁
 ⑤ 東に降りる小道入口
 ⑥ 東に降りる小道

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新型スカイライナー [日々]


昨日(2010年5月21日)、ヨーロッパから帰国して成田空港の第二ターミナルの駅で電車を待っていると回送電車が通過いたしました。見ると新型のスカイライナーだったので鞄の中からカメラを取り出して写真を撮りました。カメラを取り出すのに時間がかかったため、最後尾の車両を撮るのが精一杯で、ピントも甘くなってしまいました。

2010年7月17日から新しい路線を開業するための試運転をしていたのだと思います。この路線が出来ると日暮里から36分で成田空港がつながるそうです。

パリ経由での帰国になりました。 [機内]



帰国が一日早まったのでパリ線に乗れることになりました。ちょっといいシャンペンが飲めそうです。成田に着くのは明日(5月21日)の14時15分です。


2010年5月16日 07:38:03 タイトル:再挑戦

先週の日曜日(2010年5月9日)にアイスランド火山灰の影響で、下のスケジュールのヨーロッパ行きを、仕方なく急遽中止しましたが、今日(2010年5月16日)からスケジュールを縮小した形でリベンジします。
行きの飛行機では右のような座席の配置なので景色が見える窓側になってほしいけれど、9つの座席のどこになるのかは空港に行くまで判らないので、少し早めに行ってみます。今回は飛行機に乗る回数は格段に少ないけれど5月17日から5月21日はドイツの高速鉄道(ICE)を利用いたします。今週は移動などでブログのアクセスが少なくなると思いますが、よろしくご了解のほどをお願いいたします。

2010年5月9日 8:24中止決定
アイルランドの火山噴火が再燃してきました。最初に行くスペインに、入れる見込みがないため今日の出発は中止いたしました。今日はゆっくり家ですごします。

スペイン、火山灰で19空港閉鎖=仏、ポルトガルでも欠航相次ぐ
- 5月8日21時42分配信 時事通信 -

 【パリ時事】スペインの民間航空当局は8日、国内第2の空港であるバルセロナをはじめ、ビルバオ、サンセバスチャンなど北部の19空港が閉鎖されたと発表した。アイスランドの火山噴火に伴う火山灰の影響で、閉鎖は少なくとも同日午後(日本時間9日未明)まで続くという。
 また、ポルトガルでもリスボンなど3空港で合わせて100便以上が欠航したほか、仏南部マルセイユでも欠航が相次いだ。欧州航空管制機関ユーロコントロールによると、火山灰がポルトガルからスペイン、仏南部にかけて広がり、この地域の空港は閉鎖の可能性がある。

2010年5月9日 5:00掲載記事「リヨン~マルセイユのTGVからの景色」
マルセイユの記事シリーズを本日終了しますが、成田から上のスケジュールで本日の11時05分発のパリ行きのフライトで出かけて来ます。移動中はブログの編集する時間が少ないと思うので、昨日、最近の出来ことなどの記事をまとめましたので明日からは、今回の旅行とは関係のない記事を掲載するかもしれません。今日から行くヨーロッパの報告は帰国後に報告いたします。時間があれば一部を掲載するかもしれませんが、先ずは前回フランスに行った時の最後の記事を読んでください。


マルセイユ(Marseille)にはリヨン(Lyon)からTGVに乗って入りました。TGVからの景色を紹介いたします。TGVはローヌ川に沿って走ります。したがってTGVからの景色とはローヌ川の景色を紹介することになるのです。
が表示された写真はクリックすると拡大します。


ローヌ川(Rhône)は、フランス4大河川の一つで、主としてフランス南部を流れて地中海に注ぐ唯一の川だそうです。全長812kmのうち、フランス国内を流れるのは581kmで、フランスを流れる川としては長さ・流域面積とも屈指のものとなっているそうです。
ローヌ川はリヨンでソーヌ川と合流してより大きな川となって地中海に流れていきます。途中には歌「アヴィニョンの橋 」で有名な町アヴィニョン (Avignon)もありました。
   
線路に平行して道路もあり沢山の車が走っていました。もちろんTGVの方が速かったです。
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川の向こう岸に小さな町がある風景です。
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タグ:飛行機

沢山のnice! ありがとうございました。 [SNS]



So-netブログをはじめて投稿したのは2009年5月5日21時42分です。すでに検索アクセスの記事で報告させていただいている通り、今日(2010年5月5日)は、最初にブログを掲載して一年目です。上の画像は今日(2010年5月5日)の21時42分のブログの管理ページのトップの画像です。投稿記事は600で、nice!は36,510で、今日の閲覧数(アクセス数)は1,791で、累積の閲覧数(アクセス数)は530,825で、読者数は145 で、アクセスランキングは286位で、ブログテーマ日記・雑記では62241人中6位というのが、So-netブログを始めてピッタリ一年間(365日×24時間×60分)の結果です。
沢山のnice!、沢山のアクセス、沢山のコメント、ほんとうにありがとうございました。

下のグラフは投稿してから今日までのアクセス数と頂いたnice数の累積の推移です。初めて掲載した記事はこれです。→ポチッ
今は沢山のniceをいただいていますが、2ケ月間はほとんどniceがなかったことはグラフで判ってもらえると思います。34個目の記事までniceはなく、ちょっと寂しかったけれど、2009年5月21日の35個目の記事に初めてniceをいただけて嬉しかったです。その後、niceを本格的にもらえるようになったのは2009年7月中旬からでした。それから沢山のniceをいただき現在は36,510に到達いたしました。アクセス数も530,825に到達いたしました。いい思い出になりました。ありがとうございます。皆様のおかげです。


ブログでは次のことを心がけています。
 ①いただいたコメントにすべて返信する。
 ②記事を1日に1つ以上掲載する。
 ③沢山記事を読んでniceをする。
 ④読んだ記事にコメントをする。
ところが土曜日と日曜日以外の普段の日は出勤前と帰宅後しか時間がなく①のコメントの返信で精一杯なのが現状です。そして②の記事は1日に1つ以上を掲載することを実現させるために土曜日と日曜日にまとめ書きしています。それに時間を費やしているために③と④が十分には出来てないので、ほんとうに心苦しく感じています。それでも出来る限りがんばりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

もう少し解析した結果を報告いたします。こちらは1日あたりの訪問者とアクセス数の推移です。徐々に増えてきているのが嬉しいです。最近では皆様のおかげで、訪問者は1日約600名となりアクセス数は約2000件になりました。ありがとうございます。


訪問者とアクセス数を月ごとに集計したのがこちらのグラフです。


月別のアクセス数をリンク元別にグラフにしたのがこちらです。


こちらはアクセス順位とに登録しているテーマの日記・雑感でまランキングの推移です。


2010年5月7日の朝にniceをいただいた方が3333人になりました。これも嬉しいです。ありがとうございました。

ブログを始めて一年 検索アクセスの推移 [SNS]


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近所でも沢山の鯉のぼりが泳いでいました。  クリックすると鯉のぼりが拡大します。
今日(2010年5月5日)は「こどもの日」ですが、実はSo-netブログを始めてから丁度一年目にあたる記念の日でもあります。2009年5月5日21時42分に初めてSo-netブログに記事を掲載いたしました。初めて掲載した記事はこれです。→ポチッ

このグラフは検索エンジンによって、私のブログ「まっくろクロスケ」が検索された件数を月別に集計したものです。徐々に増えてきて先月(2010年4月)は2550件ほど検索してもらえるようになりました。一年間の合計は18254件になりますが、ほとんどがYahooとGoogleからの検索でした。
最新のアクセス数の推移はこちらです。→ アクセス nice!


上のグラフは月ごとのものですが、一日ごとの検索される数をプロッも紹介いたします。1日ごとの集計だと、かなりばらついていますが徐々に増えてきています。この理由はGoogleは投稿ばかりの記事を優先しているため時間が経ったブログは検索しにくいのに比べてYahooは検索が繰り替えされたブログを優先しているためのような気がします。記事数が増えて来たのでYahooの検索数が増加したのだと思います。Googleは新しいブログを優先するので、このタイトル「ブログを始めて一年 検索アクセスの推移」で検索すると、記事が出てくると思います。→ ポチッ


上のグラフはばらついているので移動平均にしてグラフにしてみました。Googleはあまり変わっていませんが、Yahooが最近増えてきてきています。このあとどのようになっていくのかが楽しみです。波があるのも特徴です。


今までの累計を円グラフにしてみました。本数値は2010年5月5日 0時の時点です。


累計で昨日(2010年5月4日)までに検索エンジン(YahooやGoogle)により一年間で18254件ほど検索されました。先月2010年4月は2550件/月の検索をしてもらいました。同じ検索ワードで複数検索されているので検索ワードの数は4643個で内訳は1973種類でした。その2010年4月の1ケ月間の検索ワードベスト48です。頭の数値は検索回数です。
  76回 ブログ
  56回 お土産
  54回 伊丹空港
  50回 うなぎ
  48回 印旛沼
  42回 バハマ
  35回 北京
  34回 トルコ
  34回 ヤガラ
  33回 土産
  32回 沖縄
  31回 ジャカルタ
  29回 成都 ハノイ 世界遺産
  28回 石橋
  26回 神戸 小樽 写真 結婚式 北京ダック
  23回 中国
  21回 成田 エジプト
  20回 レストラン スイス 印旛 魚 神話
  19回 天津
  18回 韓国 ホテル
  17回 函館 沖縄旅行 卵
  16回 アトランティス コンク貝 鰻 サンカノゴイ 料理
  15回 リヨン
  14回 2010 旭山動物園 迪化街
  13回 台北 食べ方 自転車 戦場ヶ原

49番目(12回検索)~367番目(3回検索)の検索キーワードも検索回数の多い順番に紹介いたします。1回のみの検索だけで1320個あるのでとてもこれ以上は紹介できません。
  12 アメリカ イスタンブール さばき方 パリ 秦皇島 八戸
  11 7 ドイツ 地図 日光 ピッツバーグ エジプシャンバザール
  10 黄身 花輪 うに丼 からすみ 五大道
  9~3回検索の検索キーワードは下記の通りです。回数別に色分けしています。
カジノ カジノロワイヤル かどかわ たけのこ ベトナム ムンバイ モロッコ料理 ロケ地 景色 佐倉 鯖サンド 人気 飛行機 北海道
インド おいしい ステーキ パピルス店 マンモス天丼 羽田空港 画像 空港 小龍包 神戸空港 泥棒 白藤養魚
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我がチャリンコの1年目の誕生日 [日々]

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今日は2010年5月4日です。今の自転車が家に来たのがちょうど一年前の2009年5月4日です。
それ以来、よく通る自転車道路から見える、気になる橋がありました。それが上の写真の赤い橋です。印旛沼は北印旛沼と西印旛沼の2つに別れていますが、その二つを結ぶ水路(印旛捷水路)に添って自転車道路があります。その印旛捷水路(いんばしょうすいろ)を跨ぐ形で、その橋が架かっているのです。橋につながる主要道路はないと思われるため、このあたりの村を結ぶ生活橋のようですが、今まで一度も渡ったことがないので、一年目の記念に橋を渡ることにしました。上の写真は自転車道路から見上げた橋です。今回掲載した写真はクリックするとすべて拡大するので気になった写真があればクリックしてみてください。

橋に登る道を探し出して目的の橋に行きました。ここまでの道は細くて探すのに苦労しましたがなんとか来ることが出来ました。橋から北印旛沼の方を撮りました。霞んでいますが2010年7月10日に開業する京成成田新高速鉄道線がみえます。その奥に甚兵衛橋があり、その奥に北印旛沼が広がっています。自転車道路は水路の左側です。
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近くで見ると大きな鉄骨製の橋でした。路面はコンクリートで舗装されていました。
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橋の名前は市井橋(いちいばし)です。昭和41年7月埈功と書かれていました。昭和41年は1966年なので、今から44年前に出来たものだとわかりました。
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市井橋から南側の水路を撮った写真です。この先に西印旛沼が広がっています。水路の右側の細い道が自転車道路です。少し朝が早かったので自転車はあまり通っていませんでしたが、普段は沢山の自転車が連なって走っています。目の前の緑色の橋は山田橋です。こちらは幹線道路(県道65号)なので車が沢山走っていました。
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山田橋に移動して市井橋を撮りました。支柱がないので迫力があります。
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山田橋の横には「ナウマン象発掘の地」の看板がありました。よく見るとナウマンゾウが発掘されたのは市井橋の真下であることが判ります。発見されたのは昭和41年6月とかかれており市井橋が完成(昭和41年7月)したのと同じ年です。
 ナウマン像発見記述
   発見 昭和41年(1966年)6月
   場所 印旛村瀬戸字市ノ坪
   状況 印旛捷水路工事現場
   特色 我国最初に一固体が完全発掘
   保存 房総風土記の丘
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市井橋の航空写真をネットから拝借して掲載いたしました。

いつも通り、帰りは風車に寄って帰りました。風車の近くに自転車を置いています。クリックすると判ると思います。
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この日は風が強く風車が勢いよく回っていたので動画を撮りました。是非ともプレイボタンをクリックしてみてください。4枚の羽の内、2枚だけにシートを張っていますが、それでもよく回っていました。



下記は2009年5月5日に初めてSo-netブログに掲載した記事です。
   タイトル : 自転車が完成しました。 
           オリジナルの記事→ポチッ

今まで記事を掲載してきたゆびとまSNSが現在、トラブル復旧作業で停止中のため、本日(2009年5月5日)、so-net blogに初めて登録させていただきました。
今後は、両方に掲載させていただくつもりですので、よろしくお願いいたします。
本記事は4月25日の続きです。

5月1日~5月3日に関西に帰省している間に、4月25日にお願いしていた自転車が完成したとタキサイクルさんから留守番電話で連絡が入っていました。さっそく帰宅した翌日の5月4日の午前中に受け取りに行きました。下の写真が新しい自転車です。すでに紹介したように、この自転車が3代目となります。初代と二代目は下の方で紹介しております。写真をクリックするとすべて大きな写真を表示します。
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反対側から見た写真です。フレームはカーボン製です。ハンドル部分からクランク部へ斜めに下りる部分の断面はおむすび形の三角形の太いステーでした。
完成車で購入しました。PINARELLO製の型番 FP3 ULTEGRA-SL 10Sのホイールとハンドルを別のメーカーに交換してもらいました。ベダルは別売りでしたが下記の物を取り付けました。部品を紹介いたします。
 項目         メーカー名   型番         材料
 フレーム       PINARELLO 30HM3K        カーボン
 フオーク       PINARELLO ONDA FPK 30HM12K  カーボン
 ホイール       MOst     CHALL          AL
            SHIMANO WH-RS80-C24-CL    AL カーボン
 ハンドル       MOst    CURVA XYLON ALU RED  AL
            FSA    OMEGA Compact      AL
 ステム        MOst    TIGER MAX    AL カーボン
 シートポスト     MOst     TAIL       AL カーボン
 サドル        MOst    LEOPARDO    クロモリ レザー
 クランクギア     MOst     LINX Compact    カーボン
 コントロールレバー  SHIMANO ULTEGRA-SL ST-6600-G
 ブレーキ       SHIMANO ULTEGRA-SL BR-6600-G
 リアディレーラ    SHIMANO ULTEGRA-SL RD-6600G-SS
 フロントディレーラ  SHIMANO ULTEGRA-SL FD-6600-GB
 ギア         SHIMANO ULTEGRA-SL CS-6600
 チェーン       SHIMANO ULTEGRA-SL CN-6600
 ペダル        SHIMANO PD-A530
            AL はアルミ系材料
            MOstはPINARELLO(ピナレロ)の部品のブランド名
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後のギアが12-13-14-15-16-17-19-21-24-27枚の10多段で、前のギアはコンパクトタイプの50-34枚の2段です。
3大コンポメーカーはCAMPGNOLO(カンパニョーロ/イタリア) 、SHIMANO(シマノ/日本) 、SRAM(スラム/アメリカ)
リアディレイラー、フロントディレイラー、ブレーキ、ブレーキレバー、クランク、後ギア、チェーンであるメインコンポの合計値段を参考に比較しました。今回のメインコンポはSHIMANOの第二ランク品であるULTEGRA-SLです。ただしクランクだけはカーボン製の三大メーカー以外を使っていました。
         最高ランク品    第二ランク品    第三ランク品
 CAMPGNOLO 299,250円(1945g) 210,210円(2153g) 123,480円(2346g)
 SHIMANO    149,310円(2181g)  87,350円(2448g)  68,460円(2510g)
 SRAM     202,967円(2109g) 127,262円(2153g)

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昔と違うのがブレーキレバーです。コントロールレバーと呼ばれておりこの自転車の中でホイール(タイヤ+リム+ハブ+スポーク)の次に高い部品です。コントロールレバーはブレーキと変速機のレバーを兼ねています。灰色のブレーキレバーを内側に倒すと1段大きいギアに上がります。黒いレバーを内側に倒すと一段小さいギアに下がります。右側のレバーが後の変速機(リアディレーイラー)用で左側のレバーが前の変速機(フロントディレーラー)用です。
IMG_3367-1320.jpg
今回の自転車は完成車ですが、お店の方の判断で標準と違う部品に変えていただいたのがホイール(タイヤ+リム+ハブ+スポーク)とハンドルです。この写真はフロントのハブの部分です。
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こちらがリア側のハブです。
ホイールの型番はWH-RS80-C24-CLでSHIMANOのホームページでは新製品の中に入っていました。
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サドルとサドルステーです。お洒落なサドルです。
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ブレーキ
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自転車を受け取ってすぐに自転車ロードを慣らしで走ってみました。(5月4日)
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さっそく知り合いが自転車を翌日(5月5日)に見に来ました。その人も2ケ月前に自転車を買ったばかりでした。機種はFELT F4SL TEAM ISSUEです。
部品のメインコンポは私と同じSHIMANO ULTEGRA-SL 10Sです。
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2枚とも、その知り合いの写真です。左は初めて一緒に遠出したときの写真です。場所は木曽です。右は2009年5月5日の写真です。長い付き合いであることがわかってもらえると思います。右の写真はクリックしても変わりませんが、左の写真は拡大します。左の写真は時効と言うことで拡大掲載許可が出ました。
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2009年5月10日 自転車に乗りました。
5月4日に自転車を受け取り、当日に少し走っただけで昨日まで乗る機会がなかったので、今日(2009年5月10日)に印旛沼のあたりのサイクリングロードを走ってみました。自転車に乗るのは10年以上のブランクがあるので一般道路は避ける意味でも絶好の場所でした。

サイクリングロードが途絶えたので端まで来たのかなと思っていると対岸に道が続いていました。
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対岸に渡る橋の上で撮りました。
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さらに進んで長門川の水門まで来るとその先にはサイクリング専用ロードらしい道が見当たらなかったのでここでUターンいたしました。ちなみに釣り禁止と書かれていますが、沢山の人が釣りをされていました。近いようだけれども往復なので走った距離は50km程度になりました。
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帰る途中の公園で自転車の人たちが沢山集まっていました。これが噂の日曜朝練なのかな! 時間は8時17分でした。トイレ(左下)に立てかけているのが私の自転車です。
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今日は快晴で風車もきれいに撮れたので掲載いたします。
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自転車と風車の記念撮影もしました。
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もう一枚、記念写真を掲載いたします。
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自転車を買いました。 2009.04.25
2009年4月25日(土曜日)の午前中にスポーツサイクルのロードレーサーとマウンテンバイクの2種類だけの専門店に行き自転車を注文して来ました。一週間後に出来上がるそうなので楽しみにしております。
完成したらこのページに自転車の写真を掲載させていただきます。
先週の日曜日(2009年4月19日)に初めてお店に行き、いい自転車を選んでもらえました。敬意を込めて、お店を紹介いたします。
 店名 タキサイクル  http://www.takicycle.com/
 住所 千葉県佐倉市新臼井田22−2
 電話 043-461-7756  FAX 043-461-7724
 営業 10:00〜20:00
 休み 毎週火曜日
 店主 中務博司 (タキさん ) 下記の資格の持ち主です。
     ・ 自転車技士  ・ 自転車安全整備士  ・ 自転車組み立て整備士
     ・ スポーツBAA PLAS
     ・ 日本マウンテンバイク協会B級公認インストラクター

大昔ですが!こちらは会社に入社当時に買った自転車です。初任給の何倍かでした。
サドルだけは、重たいけれど初代の自転車のものを使っています。イギリスの鞍メーカーBROOKS のサドルです。
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別の角度の写真もあったので掲載いたします。この自転車を作ってもらったのは大阪のトモダサイクルというお店で今でも健在だそうなので店を紹介いたします。
 店名 トモダサイクル http://www.tomodacycle.co.jp/ 
 住所 大阪市天王寺区勝山3-12-1
 電話 06-6771-6153  FAX 06-6771-6154
 営業 9:00〜20:00(※日・祝 9:00〜18:00
 休み 毎週水曜日・第3日曜日
 店長 友田 明
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これが初代と二代目で愛用したBROOKSのサドルです。
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自転車の一部を拡大いたしました。
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今はとても手が出ないほど高価になりましたが、昔からイタリアのカンパニョーロ(Campagnolo)製の部品は高かったです。このときはハブと変速機とシートポストにカンパニョーロ製を使いました。そのほかの部品もほとんどがイタリアかフランスでした。
今は錆々になってしまいましたが取り外して記念に掲載しておきます。

これはハブです。保管が良くなくてかなり錆びてしまいました。この自転車の中で最も高価な部品だったような気がします。
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リア側の変速機です。
カンパニョーロ製はこれを売り出す前はロードレース用のレコードという機種しかありませんでした。
ツアー用の自転車のために初めて日本で売り出したものを取り付けました。
すでにに日本メーカーのシマノが同じ形のものを販売していたのでカンパがシマノを真似したように感じました。
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フロント側の変速機です。この時代はすごく洗練されたものでした。
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シートポストです。写真をクリックすると、カンパニョーロのマークが読み取れます。
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フレームに張ってあったシールです。フレームはオーダです。メーカー名は読み取れないのでCHAMPIONから検索してみましたが見当たりませんでした。
BUTTED TUBEと言うのは両端が厚く真中が薄く作られたパイプです。
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ここから下の写真は高校時代に買ってもらった初代の自転車です。つまり上の自転車は二代目の自転車でした。初代の写真は鮮明ではありませんが何枚かを紹介いたします。高校時代と学生時代に使いました。


この自転車は学生時代の4年間だけで6万Kmほど走ってくれました。
2万Km走った年もありました。200Km/日 x 100日と言うイメージです。夏休みは一日(一人で走るとき)の走行距離は平均260km程度(min.240km〜max.350km)でした。


この時代は山や峠が多かったです。学生時代はツーリング以外にロードレーサーに乗ったり競輪場のトラックでレースをすることもありました。


過酷な自転車旅行でした。


寝覚の床です。上の黄色い自転車は、この自転車が傷だらけになったのでフレームの塗装を塗り替えたものです。


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