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「小竹城」と「小竹五郎高胤の墓」 [千葉]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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千葉県佐倉市小竹地区は、辻切り不思議な風習を紹介したとおり、伝統が残る歴史のある地区なのです。その中で貴重な文化資産なのが小竹五郎高胤(おだけ ごろう たかたね)によって1390年頃に築城されたと伝えられている小竹城(おだけじょう)の城跡です。この城跡は地元の住民の方によって代々守り継がれてきた文化資産なのです。ここが小竹城であったことを示す標柱が立てられています。

この小竹城跡は2011年3月1日に佐倉市市民文化財に選定されました。車道からの入口部分に小さな看板が立てられていました。資産名は「小竹城跡と小竹五郎の墓およびその周辺の里山風景」です。
佐倉市市民文化資産
小竹城跡と小竹五郎の墓およびその周辺の里山風景
  選定年月日  平成二十三年三月一日
  種     別  自然資産
  員     数  一件及び一基
小竹城は、明徳年間(1390年頃)小竹五郎高胤によって築城されたと伝えられています。現在では一辺約50メートルの土塁や空堀が残るみですが、城址を大切に思う住民により、一帯は墓とともに代々守り継がれてきました。周辺に残る樹林や湧水を含む豊かな里山風景と合わせて、貴重な自然資産です。
平成二十四年三月                佐倉市教育委員会
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車道からの入口です。
選定地は民有地であることから小竹城跡の周囲の限られた景観のみの紹介とさせていただきます。もし見に行かれるときは住民の方に配慮していただけるようにお願いいたします。ミラーの右側の桜の木の下の黄色の〇の部分に小竹城を築城した小竹五郎高胤の墓あります。クリックするともう少しよくわかると思います。
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こちらが小竹五郎の墓です。墓石の中央には「小竹五郎之墓」と書かれており、これが小竹城を築城した小竹五郎高胤の墓であることが判りました。しかし墓石の台座には高橋と刻まれています。ネットによると小竹氏はのちに帰農して名前を高橋に変えたようです。そのために台座には高橋が刻まれていると推察いたします。そんなこともあり、この地域は高橋の姓が多いのです。地元の竜神橋さんからコメントいただいたように、分家に高橋惣兵衛さん(ネットで出てくる名前)が、おられたようです。地域の案内板の高橋さんの数を数えると15軒でした。高橋さん以外でも山崎さんと秋元さん秋山さんの名前が多かったです。
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下の縦長の2枚の写真の左側が墓石の正面の写真で、右側が墓石の右面の写真です。裏面と左面には特に文字は刻まれていませんでした。下で紹介する文字は正面からだけでは読みにくいので右の写真のように2~3文字づつ角度をつけて撮った写真で読み取りました。
墓石の正面中央に「小竹五郎之墓」と書かれていることが判ると思います。その右上には「千葉六家之正跡」と書かれています。これは「千葉六家」の「正しい場所(正跡)」という意味で、重い意味がある墓標のようです。
墓石の右面には、次のように建てられた時期と経緯が書かれていました。
 時期 維明治廿六発巳年十一月穀旦
 経緯 先祖為菩提高橋弥右エ門建之
穀旦は吉日のことです。つまり築城から約500年後の明治26年11月吉日(今から120年前)に高橋弥右エ門によって先祖の菩提(冥福を祈って供養)のために建てたことを表しているようです。クリックすると拡大クリックすると拡大するので文字を見てみてください。
実は「高橋弥右エ門」の名前は、すでに紹介したことがあるのです。小竹の辻切りの記事で③番の辻切りが取り付けられていた右の写真の秩父三十四ヶ所参りを記念した石柱を立てたのが高橋弥右エ門さんでした。明治33年1月吉日に建てられたので年代的にも同じ人だと思われます。
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120年前に建てられた小竹五郎高胤の墓もすばらしいのですが、その右側に小さな2つの墓石があり、そちらも気になって近づいてみました。
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左の墓石には小さな子供を抱いた菩薩像が彫られていることから、小さな子供の墓石だと思われました。その像の右側には「子」の文字が読み取れることからも子供の墓石であることが伺えました。像の左側には寛延三年十月の文字が読み取れます。つまり、この墓石は寛延三年(1750年)のものであることから今から約263年前のもので現在の120年前の小竹五郎高胤の墓石より、はるかに古いものだったのです。
小さな子供の墓石が建てられていたということは、それより古い本体の墓石があったことを示してくれているのです。
一方、右側の墓石をよく見ると古い墓石の屋根の部分でした。クリックしてもらうとわかるように非常に古いものと思われました。もしかしたら小竹五郎高胤のオリジナルの墓石だったのかもしれません。墓石が壊れてしまったことから120年前に建て直した可能性はあります。今となっては史実を確認する手立てはありませんが、いずれにしても現在の墓石を建てる以前で、且つ寛延三年(263年前)以前にも、この場所に立派な墓石があったことは間違いなさそうで、ロマンを感じさせてくれる場所でした。
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車道から入っていく道を正面から見ました。2011年に佐倉市市民文化財に選定され説明文の看板が道り右側に立てられていることが判ると思います。この看板は昨年(2012年)に建てられました。


道を進んで左に曲がると冒頭の写真の標柱が見えてきます。この城は二重土塁で守られており、手前の盛り上がった部分が一文字土塁と呼ばれるものだと思われます。標柱は城郭への入口の虎口に立てられていたのです。 <写真①>


ここが小竹城の主郭への入口であった虎口です。虎口(こぐち)とは中世以降の城郭における出入り口のことです。「こぐち」には狭い道・狭い口という意味があります。虎口を「ここう」とよむ場合は、中世の戦場や陣地における危険な場所を意味することもあるそうです。虎口の両側に土塁が続いています。 <写真①'>
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クリックすると拡大土塁の内側の曲輪と呼ばれる部分には主郭が建っていました。現在は代々受け継がれてきた方の民家が建っています。ネットによると曲輪の土塁脇には妙見社などの祠があるようで、かつて城郭であった雰囲気がありました。右の写真はネットから拝借した祠の写真です。
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立派な土塁が曲輪のまわりに続いていました。<写真②>
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虎口に建てられた標柱です。いずれもクリックすると拡大します。
この標柱は23年前の平成二年(1990年)に建てられたもので、標柱には枠内の内容が書かれていました。
小竹城は小竹氏の居城としての伝承を残す。しかし臼井氏の一族が小竹氏を称するのは十三世紀のことと考えられるのに対し、遺構の構造から判断される築城時期は十六世紀初頭とされている。遺構としては土塁・空堀・虎口等があり、居館的性格を濃厚に有する中世城郭である。
ここでは築城は十六世紀初頭と書かれていますが、同じ佐倉市教育委員会の2011年の見解では1390年ごろ築城と、より具体的な説明になりました。ただし現在残されている遺構は、原氏が臼井城主にあった16世紀(1500年代)中頃から後半の時期のものと考えられいるそうです。
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土塁の外側の空堀もしっかりと残っていました。は二重土塁で土塁と土塁の間が空堀になっているのです。<写真③>


北側斜面の土塁です。ここは20m近い高さの傾斜になっていました。<写真④>


こちらは一文字土塁の手前から小竹城跡の東側の臼井側に降りていく小道の入口です。<写真⑤>


この小道は整備されていましたので降りてみることにいたしました。<写真⑥>


クリックすると拡大小道を降りてみるとこのような広場がありました。
この広場はボランティアの「佐倉里山ガーディアン」の方々が整備されているそうです。
上で紹介した小道の整備も佐倉里山ガーディアンの方により行われたとホームページに書かれていました。
すぐそばには右の写真の樹齢100年のグミの大古木があり佐倉市の保存樹に選定されていました。その木には昔フクロウも住みついていたそうです。正面の竹林の向こうに小竹城跡があるのです。
クリックすると拡大 佐倉里山ガーディアンの紹介
  設立 2003年
  活動 里山のためのボランティア
  会員 10名
  代表 飯田富雄 
  住所 千葉県佐倉市小竹785-3
  連絡 (有)飯田製作所
  HP  http://www.catv296.ne.jp/~satoyama/index.html


上の写真の小道を降りて少し離れた東の臼井側から小竹城跡の方向を見た景色です。この写真では確認する目標は写っていませんが中央より少し右側あたりの奥の丘の上が小竹城跡です。
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上で紹介した写真を撮った場所と方向を配置図に記載いたしました。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大 ①虎口と標注と一文字土塁
 ② 土塁
 ③ 空堀と二重土塁
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大 ④ 北側斜面と土塁
 ⑤ 東に降りる小道入口
 ⑥ 東に降りる小道



参考にさせていただいた小竹城に関するネットでの記述を紹介いたします。
サイトによっては正確でないものもあるかもしれませんが、サイトに記載されている通りの内容で転記いたしました。

http://www.eonet.ne.jp/~yorisan/newpage133.htm
全国の城(千葉15) 小竹城
千葉氏の族臣小竹五郎高胤の居城跡で、小竹氏はのちに里見氏に属し、やがて帰農して姓名を高橋惣兵衛と改めたと言います。付近には高橋姓のお家が多いとの事です。小竹城は比高12~13mの舌状台地の基部にあります。東西70m、南北50~60mほどの方形の居館で、高さ3mほどの土塁が周囲を廻っており、空堀を設けてありましたが、現在南の部分は埋められて存在しません。東の空堀は、幅3m前後で外部にさらに土塁を築いています。
東南に郭内への入り口があります。中世もここが虎口であったようです。城は単郭構造の居館であったと思われます。遺構の西部は空堀道を隔てて土塁と同高に近い崖縁がめぐって南下し、その外はかなり低い窪地となっています。空堀道は東に折れて虎口に達し、反対の西の部分は広い舌地状をしていて、その下の空地は屋敷跡と言われています。 本郭内にある農家の奥様に偶然会うことが出来ました。専門的な事はお話になりませんでしたが、お名前を聞きましたら「高橋です」と仰っていました。冒頭の説明通り、小竹氏の子孫の方なのでしょうね(^。^) 曲輪の周囲を取り巻く立派な土塁。ずっとそのままの姿を残して欲しいと思います。
地元の竜神橋さんからコメントを、いただいたように、高橋惣兵衛さんは分家の方の名前で本家は別の名前だそうです。

http://www1.linkclub.or.jp/~part3/chiba/odake/odake.html
小竹城
小竹城のある地名“小竹”については「大椎権介」を名乗った千葉介常兼の子常康が臼井六郎を名乗り、その曾孫清胤が小竹太郎を名乗ったことに由来するとされる。小竹氏が必ずしも小竹城を居館としたという確証はないが、一説では千葉氏の族臣小竹五郎胤高の居城とされている。
小竹城は印旛沼の南西2kmのやや小高い丘に位置する単郭の居館跡で、ここから東北東1.5kmには臼井城があります。小竹城の虎口周辺。土塁によって構成された虎口が2つあり、道はこの先で右へ直角に折れています。
現在は民家の通路になっていますが、中世でも虎口として利用されたと考えられています。2つめの虎口脇の土塁。手前の虎口と併せて小規模な外枡形虎口を形成しているようです。曲輪の現状。当時の居館が現存するはずもなく、現在は立派な民家が建っています。ここの主人は犬好きなのか4匹ほど飼っており、一訪問者に過ぎない私は当然のごとく吠えられました。ようやく出てきた所有者に事情を話して快諾を得、のびのびと探索することができました(^^)
曲輪の周囲を取り巻く土塁。高さは2mほどで、とくに南西側で明瞭に確認できます。土塁脇の妙見社。千葉氏系の城館を裏付けるものでしょう。北側に土塁が欠落している部分を発見。しかし物置小屋のドアが見えることから虎口ではなく後世に削られたもののようです。土塁の外側には空堀が巡っています。かなりうずまっているものの、土塁との高低差は高いところで4m近くあります。
城址南に墓石を発見。墓標には『千葉本家之正跡 小竹五郎之墓 明治六年』とある。小竹城の城主が小竹五郎高胤とされることから、ここの所有者は代々「五郎」を名乗ったのだろうか?「小竹太郎」はどこへ行ったのやら。たしか住宅地図では民家の主は“小竹さん”ではなかったような・・・ちゃんと訊いておけばよかったなー(-_-;
現在の小竹城の遺構は戦国期のものと考えられており、おそらくは原氏臼井城の出城か、あるいは何らかの関係があったものと思います。

http://homepage2.nifty.com/mori-chan/sakusaku/1_3_2.htm
臼井城の支城(師戸城、志津城、志津大口館、上峠城、小竹城、井野城、先崎城)
中世城館の姿を残す、小竹城(佐倉市小竹字中内)
小竹城(おだけじょう)は、臼井城の支城であり、臼井城の西南方、印旛沼に注ぐ手繰川左岸の比高18m程の台地上にあった。小竹城のある小竹地区には、小竹城の北側の集落の中心に近い場所にも昭和46年に土取りで消滅した大原館がかつてあり、現在も小竹三叉路の東側竹薮の中に屋敷址がある。小竹三叉路付近は、「御門屋敷」という字名が残るが、関連したものか。小竹は、馬加城に対する「屋敷」(現千葉市花見川区屋敷)のように、あるいは臼井氏の家臣団の屋敷があった場所かもしれない。筆者の想像では「小竹」という地名も、タケ=館で「御館」の変化したものではないか。小竹は、かつて交通の要衝であり、城館があるのも、臼井への西からの攻撃に対して守りを固める意味があったと思われる。
小竹城址へは船橋方面から国道296号を東へ進み、ユーカリが丘を越え上座(じょうざ)の三叉路を左折する。その道が左へ屈曲する辺りの右側に二本路地があるが、二本目の路地すなわち(有)飯田製作所の看板のある建屋の横の小道を入ると、すぐに二重土塁の跡が見え、さらにその先の虎口跡が見える。単郭方形居館型の城址であり、台地の基部にあって、下総の戦国期の城址によくある舌状台地先端部や台地端という立地ではない。この小竹城がある場所は少し分り難く、筆者は初めて小竹城をたずねた際は迷った。小竹城址が台地基部にあるのは、もともと中世の豪族の居館として築かれたためか。現在の遺構は、戦国期のものと推定されるが、元々あった居館を改修整備したものかも知れない。
小竹城址には現在民家が建っており、城址は民家敷地と隣接する畑地となっているが、城址の保存状態は良好といえる。ここは土地の人から、城山と呼ばれていたそうだ。筆者は、平成15年8月2日に畑に出ていたその民家の方の許しを得て、土塁とその周囲にある空堀をほぼ一周歩いてみた。郭の北東側土塁の一辺は約70mで、上座三叉路から分岐する道に出る郭の南西側に虎口が開いている。北東側土塁は、実は中央部から郭の内側へ若干折れている。また、虎口の郭外からみて向って左側の土塁は、東へ少し寄り北側へ廻っており、郭の形は変形六角形である。この土塁の途中からの折れ歪みは、郭の周りの敵、あるいは虎口から郭内に進入しようとする敵に対して、横矢が掛けられるようにする工夫である。土塁は高さ約3mで、東南側の民家出入口付近が破壊されて欠落している以外は、ほぼ完全に残っている。北東側土塁の東寄りの一部、および南西側の虎口前は二重土塁となっている。また、土塁の外側には空堀がめぐっている。
空堀の底は南西側は平坦であるが、北西側の空掘は北へ向うにつれ緩やかに下っており、郭の北側角になっている地点では土塁の上から堀底まで8~9mはある。北西側空堀の外側の台地は屋敷址と言われ、少し狭いが平場がある。その北は斜面で低地へ落ち込んでいる。北東側は天然の斜面となっているため、空堀の東寄りの一部は犬走りのような細い道となっている。東南側も斜面が続くが、南へまわる辺りで斜面下から登る堀底道と合流し、南西の虎口付近まで空堀が続く。虎口の前では、空堀は埋められている。
北側の空掘の外側、斜面の下方の台地の立上り近くに腰郭があり、腰郭の周囲、特に東側の一辺の土塁が高くなっている。腰郭の下の低地は湿潤地であり、かつては清水が湧き出す水の手があったらしい。その腰郭には、水の手の防備のための小屋があったものと推察される。郭の南側低地も、同様である。
城主は小竹五郎高胤といわれ、また現に城址の南側の道沿いに小竹五郎の墓として、その子孫と称する高橋家が明治期に建てた墓があるが、実際の城主は不明である。ただ、城址近くに妙見を祀る星神社がかつてあり、後に四社大神に合祀されているため、千葉氏に関係する城主であったことは間違いない。年代的には中世に起源を持つとしても、現存する遺構は15世紀末から16世紀のものであることが、過去の測量調査で明らかにされている。表採遺物は、12世紀から16世紀のものが、採取されており、中世期の居館を戦国時代に改造して再利用したというのが、正しいであろう。
小竹氏は臼井氏の一族で、千葉氏系図を見ると臼井常忠の子有常に小竹太郎清胤、清胤の子には小竹信常、弥次郎という者がいる。小竹氏の苗字の地は、臼井庄小竹であることは伝承や臼井からの位置関係によって明らかである。小竹高胤が守っていたという仲台砦から西へ向い、手繰川を越えれば、小竹である。その勢力範囲は、千手院に井野の地を寄進していることから、小竹が苗字の地とはいえ、支配は小竹だけでなく井野や周辺部に及んでいたと思われ、臼井氏族の有力家臣であったと思われる。系図では、小竹太郎清胤など鎌倉時代の人しか分らず、明徳年間を生きたと思われる室町時代の人小竹五郎高胤が実在したかどうか、千手院の古文書が焼失した今となっては証拠がない。しかし、小竹城址から12世紀から16世紀の遺物が採取され、小竹城址の北には室町期にも存在した小竹大原館があったし、小竹高胤が井野の土地を寄進したという千手院の近くには井野城址があるなど、小竹高胤のような在地領主がいたことは想像に難くない。恐らく小竹氏は、当初は族臣として忠実に臼井氏に従っていたのだろう。その後、戦国期に臼井が戦乱に巻き込まれ、臼井久胤の代に大名として流亡するなどしてからは、小竹氏は伝承では里見氏についたようである。戦国期の小竹城の城主は、果たして小竹氏であったのか、臼井原氏の部将であったのだろうか。

http://tsenda222.web.fc2.com/siro-yukari.htm
城跡をあるく  -悠久の歴史散策-
小竹(おだけ)城址
変形の五ないし六角形をした単郭構造の城郭で、その規模は南北約75m、東西約85mで、曲輪の周囲には高さ3mほどの土塁と空堀がほぼ全体に巡っている。また、曲輪の内部はハードローム面まで削り出されているため、外側の台地より一段低くなっている。 出入り口の虎口は曲輪南側の中央にある。その前面には土塁が構築され、虎口の外側から内側を見通すことのできない構造となっている。 この小竹城跡からは12~16世紀代の遺物が採集されているが、現在残されている遺構は、原氏が臼井城主にあった16世紀中頃から後半の時期のものと考えられている。伝承では、小竹五郎高胤が小竹城主であったといわれているが、確実な史料から明らかではない。いずれにしても、臼井城との距離的な関係からも、臼井氏一族の居城と思わる。

http://jyokakuzukan.la.coocan.jp/007chiba/048odake/odake.html
小竹城/城郭図鑑
≪城郭の歴史≫
千葉一族で小竹五郎高胤の居城と言われるが正確なことはわからない。小竹氏は戦国時代には里見氏に属しているから中世の激動を生き抜いてきたことがわかる。現地に建つ小竹城の標柱には13世紀の頃の城という伝承があるも遺構は戦国時代のもので居館的性格が強いと記されている。
≪城郭ガイド≫
小竹城は道路地図にも記載されているが少しわかりづらい場所にある。成田街道の上座交差点を北上し山崎産業という会社の手前の小道を進むと写真の虎口に着く。城内には民家が建ち並び土塁と堀がわずかに残る程度の小さな城郭であった。

http://www42.tok2.com/home/hakubutukan/shimosa_kazusa_awa/otake.html
帝國博物学協会 下総國 小竹城
略 歴 臼井氏の一族で小竹五郎高胤の居城と言われている。何れにしても、臼井城を守る支城の一つであろう。
現 況 城址は表通りから少し入った台地上に存在しており、五角形の単郭と思われる。 取り付け道路の先に虎口が残されており、その脇には土塁が残されており、その前にはかなり埋まっているものの、空掘も良好に残されている。その虎口を入ると、結構広い空間が広がっており、民家が建っている

http://www.geocities.jp/sisin9monryu/chiba.simousa.toubu.html
佐倉市の城館
久々に訪れました。今回は佐倉市史の縄張り図を参考に見学をしてみました。以前は方形館だと思っていましたが五角形のような単郭の城なのだそうです。私は確認できませんでした。大きな土塁と堀が見学できますが城内は民家となっています。標柱が建ってはいますが見学はマナーを守りましょう。
小竹城は臼井城の支城として築かれた臼井氏家臣・小竹氏の城です。現地では戦国期以前の遺物も見つかっているようで古くから城、館があったと考えられますね。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~hatabo/meijyou/11_Chiba/otake/index.html
平八郎軍鑑 小竹城
◇歴史◇
小竹城の歴史については詳らかではないが、千葉氏の族臣である小竹五郎高胤の居城であると伝わる。 ◇攻城記◇
嘔吐・下痢・発熱という最悪のコンディションで寝ていたが、午後になって回復基調になり、天気も良いので近場の城を攻略に出掛ける。まずは佐倉市の小竹城を目指して国道296号線(通称:成田街道)を東進し、ユーカリが丘駅先の上座交差点を北上。300メートル程進むと山崎産業という工場があり、この脇の細道を入ったところが虎口で、二重土塁の前に城址標柱が建っている。また、細道の入口には城主と伝承される小竹五郎の墓石が建っていた。
訪問日:①2009.02.07
◇見どころ◇
小竹城の虎口は二重の土塁と空堀を備え、なかなか立派な造りとなっている。虎口から伸びる土塁と空堀跡。虎口から東側に伸びる空堀。この先はそのまま堀底道となって東側の低地へ続いて行く。 城址入口付近に建つ城主・小竹五郎の墓。

http://urashirobu.mitsu-hide.com/dassen/sirobu/odake/odake.html
千葉県の城 小竹城
形 式 平山城
遺 構 土塁
解 説 千葉市の族臣であった小竹五郎高胤の居城跡といわれており、方形の居館形式の城址。遺構の殆どは耕地になっており、土塁が残存している。

http://nihonnojoushi.digi2.jp/chiba/chibakotake.htm
小竹城
小竹城は小竹氏の居城としての伝承を残す。しかし臼井氏の一族が小竹氏を称するのは13世紀のことと考えられるのに対し、遺構の築城時期は16世紀初頭とされる、遺構としては土塁、空堀等がある”標柱から。地図は付近の道路。

http://homepage3.nifty.com/yogokun/kotake.htm
余湖くん 小竹城(佐倉市小竹字仲内)
小竹城虎口付近に建つ城址碑と土塁。空堀は一部埋められている。千葉氏の族臣小竹五郎高胤の居城と言われ、比高15mほどの台地上に位置している。単郭の居館形式の城で、曲輪内部は60m四方ほどである。規模は小さい。
中は一軒の民家になっていて勝手に入ることができないので、「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書」の測量図を基にして鳥瞰図を作成してみた。
 
http://www.geocities.jp/tanbou06/otakejyo.htm
歴史探訪記 小竹城
主な城主 小竹五郎高胤
遺構から小竹城の築城年代は16世紀頃と考えられており、小竹氏の居城と伝えられる。しかし臼井氏の一族が小竹氏を称するのは13世紀の事とされており不明な点が多い。

http://ncode.syosetu.com/n1302bl/46/
謙信、下総臼井城攻めの章 関東騒乱(七)
永禄8年(1565年)に臼井城を上杉謙信が攻めて敗退した時の記述に小竹城の名前があったので転記しました。戦国時代は大変だったことが伺えます。
此方から援軍に駆けつけるはずの大和田砦から、反対に松田孫太郎が援軍に来たのであれば、小田原からの援軍も期待できるとの思いを持った上野介胤貞、松田の援軍を臼井城に案内すると直ぐに自兵をその主要な支城である小竹城、先崎城、志津城、師戸城、岩戸城を固め、臼井城周辺に置かれた洲崎、仲台、宿内、手繰、稲荷台の各砦に人数を詰める事にした。...
謙信は本陣にいる。その本陣は臼井城西方にある小竹城を押えている。...
東に支城小竹城が見える丘に本陣を敷いた越後勢、馬防柵を陣周りにぐるりと施して刀八毘沙門天王の旗を上げ、本陣周りには笹に雀の紋を染めた指物をずらりと並べている姿は壮観でもある。...
印旛沼対岸でも先崎城から崩された原上野介の兵が仲台砦にばらばらと逃げ帰っており、志津城からも同様に越後兵に追われた城兵が手繰砦に逃げ込んでいた。 謙信本陣もこれを見て陣を動かし、目の前の小竹城に寄せると、これも三月十日までには総崩れとなって手繰砦へと入って行った。


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コメント 10

kazu

SORIさん、こんばんは。

小竹城の歴史を詳しく調べられましたね。素晴らしいです。

臼井城の西の守りの重要な場所だったのでしょうね。

米本城や下高野館、先崎城など、西の守りは堅固だったのですね。
でも上杉謙信勢や太田道灌らはここを破って、臼井城まで攻めて行ったのですから、その勢力は相当なものだったのでしょう。
by kazu (2013-05-16 19:08) 

SORI

kazuさん こんばんは
住んでいる周辺地域には昔からの歴史的な景観が残されているのに驚きました。周辺の方々が昔から歴史を大切にしてきたおかげだと思います。少し時間がかかるかもしれませんが下高野館と先崎城も調べてみて掲載したくなりました。
by SORI (2013-05-16 19:33) 

moto_mach

私は子供の宿題の手伝いで
志津城巡りをしたことがありますよ
by moto_mach (2013-05-16 20:41) 

なんだかなぁ〜。横 濱男です。

城跡が守られてきているのは、
リッパですね。
我が故郷も、城跡の標柱が立っていたのですが、
道路の拡張整備等の区画整理でなくなってしまいました。
歴史がひとつ消えてしまい、悲しい事でした。
by なんだかなぁ〜。横 濱男です。 (2013-05-16 20:47) 

SORI

moto_machさん こんばんは
志津城も前々から興味があり訪れたいと思っています。いろんな場所で歴史の証が残っていますね。
by SORI (2013-05-16 21:21) 

SORI

なんだかなぁ〜。横 濱男です。さん こんばんは
一度失われてしまうと、そこで途絶えてしまうのが歴史の遺産ですね。それだけに残念な決断のような気がします。
by SORI (2013-05-16 21:24) 

youzi

歴史の証拠として、いつまでも残って欲しい場所ですね。
by youzi (2013-05-18 08:15) 

SORI

youziさん こんばんは
ほんとですね。
周りの人たちに大切にされているので、大丈夫だと思います。
by SORI (2013-05-18 21:34) 

竜神橋

初めまして、地元民です。知人にこのブログを教えて頂き始めてコメントさせて頂きます。
マイナーな土地の事なのによく調べられていてびっくりしました。
ただこちらに書かれている高橋惣兵衛さんは分家の方で本家の方は別にいらっしゃいますよ。

by 竜神橋 (2013-09-10 16:40) 

SORI

竜神橋さん こんにちは
地元の方に見ていただきうれしいです。高橋惣兵衛さんの件、ご指摘いただきありがとうございます。さっそく本文に反映させていただきます。
by SORI (2013-09-10 17:01) 

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