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世界一周 [海外]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。


今までに北半球だけですが、世界一周をしたことが2度あります。初めての世界一周は東廻りで、2度目は西廻りでした。東廻りは時差で苦しみます。特にアメリカからヨーロッパに移動した時が最悪でした。マーク( :)は空港です。ラインは空港を最短で結んだ線です。
 1度目 1992年 東廻り 3ケ国 日本→アメリカ→ドイツ→インド→日本
 2度目 2005年 西廻り 5ケ国 日本→ヨーロッパ→アメリカ→日本

下のグラフは海外の年別の訪問回数です。日本の出国回数ではなく、日本以外の国の入国回数を海外の訪問回数と定義して作ったグラフです。したがって縦軸のタイトルは海外入国回数としています。
初めて海外に出たのは1988年2月29日(台湾)です。今から28年9ケ月前になります。その約29年間に28ケ国に271回訪問いたしました。グラフをクリックすると滞在日数のグラフを表示します。
 海外入国回数 271回 / 29年間 平均 9.34回/年 初1988年2月29日
 最多入国回数 24回 / 2006年 10ケ国 / 2006年
 最多搭乗回数 83フライト / 2005年
 最長滞在日数 93日/回 2002年12月10日~2003年03月12日 メキシコ
 二位滞在日数 15日/回 2000年09月03日~2000年09月17日 タイ
 三位滞在日数 14日/回 2002年10月27日~2002年11月09日 中国
 合計海外滞在 1477日/271回/29年 平均5.45日/回 平均50.9日/年
 上位海外滞在 131日/2002年 118日/2007年 105日/2005年
 訪問国数   28ヶ国 / 29年間
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国別回数のグラフを紹介します。右の写真は約29年前、初めて海外に行った時の写真です。撮ったのは1988年3月1日で、場所は台湾の羅東です。
 初めての台湾訪問の記事 ポチッ
クリックすると拡大 103回 中国
  37回 台湾
  18回 アメリカ
  16回 ベトナム
  16回 韓国
  13回 インド
  10回 ドイツ
   8回 フランス


参考に、今までに利用した空港を地図にプロットしてみました。数えてみると113の空港を利用したことになります。飛行機の利用回数は975回以上です。以上と書いているのは1999年12月30日より前の国内線は記録が無いからです。975回の内、国際線(海外の国内線も含む)は732回です。 
地図内のプラスをクリックすると拡大します。


今までに訪れた町も地図にプロットしてみました。目的を持った訪れた町で、通過する町は含めていません。上の地図ではアンカレッジアにマークが入っていますが、この地図には入っていないのは燃料補給のためだけに着陸したからです。したがって利用回数が多いシンガポールも入国していないのでプロットしていません。地図の中のマークの数は333でが、日本国内はプロットしきれていないので今後数値は変わると思います。


今までに自転車で通った峠もプロットいたしました。現在のプロット数は155です。マークをクリックすると峠の名前を表示します。本地図で概ね自転車で走った場所が判ってもらえると思います。北海道を自転車で走っていないのは熊が怖かったからです。
走行距離は学生時代の4年間で6万キロです。



最初の世界一周を紹介します。ルートは次の通りでした。この時は7回飛行機に乗りました。残念ながらフライト名は記録していませんでした。記録し始めたのは1997年4月14日以降なのです。
  7月11日 JL 成田→シカゴ
  7月11日   シカゴ → ルイビル
  7月14日   ルイビル → シカゴ
  7月14日   シカゴ → フランクフルト
  7月14日 車 フランクフルト → マンハイム
  7月15日 車 マンハイム → フランクフルト
  7月18日   フランクフルト → ニューデリー
  7月20日   ニューデリー → ムンバイ(当時:ボンベイ)
  7月21日   ムンバイ → 成田


ケンタッキー州のルイビルの町を流れるオハイオ川のクルーズ船です。川の向こう岸はインディアナ州です。写真の船に乗って食事をしながら夕刻のクルーズを楽しみました。その時の記事はこちらです。→ポチッ
IMGP5711-1120.jpg

マンハイムの隣りの町がハイデルベルグでした。そこを流れるネッカー川でもクルージングを楽しみました。その時の記事です。→ポチッ
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まだデジカメはありませんでした。写真の中の'92 7 20から1992年7月20日の写真と判ります。ニューデリーからムンバイに移動した日の写真であることが判りました。この時の記事はこちらです。→ポチッ
IMGP5711-1120.jpg


2度目の世界一周のルートです。この時はヨーロッパを細かく移動したので、ヨーロッパ部分を拡大した地図も掲載いたしました。
これだけ廻ってもパスポートの印はアメリカの入国審査時だけのため、世界一周の証拠が残りませんでした。フランス、イタリアはパスポートを見せる場所すらありませんでした。
この時の旅の移動のフライトを紹介します。この時に初めて世界一周チケットを活用いたしました。12月5日のAF1912のみ世界一周チケットでカバー出来ないので別途手配いたしました。飛行機には10回乗りましたが9回までが世界一周チケットでした。
  11月27日 LH711   成田 → フランクフルト
  11月27日 LH3732   フランクフルト → チューリッヒ
  11月27日 車      チューリッヒ → レンツブルグ
  11月29日 車      レンツブルグ → チューリッヒ
  11月29日 LH3723   チューリッヒ → フランクフルト
  11月29日 車     フランクフルト → ハイデルベルグ
  11月30日 車      ハイデルベルグ → フランクフルト
  11月30日 LH4232   フランクフルト → パリ
  12月02日 列車(TGV)  パリ → リヨン
  12月03日 列車(TGV)  リヨン → パリ ロワール
  12月05日 AF1912   パリ → ミラノ ベルガモ カサレ・モンフェラート
  12月08日 LH3919   ミラノ → デュッセルドルフ
  12月09日 UA436   デュッセルドルフ → シカゴ
  12月09日 UA7834   シカゴ → ルイビル
  12月13日 UA6884   ルイビル → シカゴ
  12月14日 UA883   シカゴ → 成田(12月15日着)


: 空港  : 飛行機以外で行った町  :クリスマスピラミッド
この時はすでにブログ「ゆびとまSNS」を始めていたこともあり、下記の29の記事を掲載いたしました。ただし、そのサイトは閉鎖してしまったことから、So-netに再掲載したのでした。タイトルをクリックすると記事を掲載いたします。下の写真はロワールのシュノンソー城です。シュノンソー城には、この時と今年2016年の2回行きました。
 11月28日 01. 冬のレンツブルク城
 11月30日 02. 冬のハイデルベルグ城
 11月30日 03. 素敵なドイツの家
 11月01日 04. 凱旋門の上からの景色
 12月02日 05. リオン(Lyon)の牡蠣
 12月03日 06. パリのワンコ
 12月03日 07. パリの牡蠣
 12月03日 10. エッフェル塔の下でのアクロバット走行
 12月04日 11. ミニシクラメンの原種
 12月04日 12. 川の上に建つ城 シュノンソー城
 12月04日 13. シャンポール城
 12月04日 14. 小船のある風景 ブロワ城
 12月04日 15. ロワールの森
 12月04日 16. ダ・ヴィンチが暮らした家
 12月04日 17. お城の見える古民家
 12月06日 18. 美味しいイタリアンカプチーノに出会えました。
 12月07日 19. ミラノから南西へ60km
 12月08日 20. ミラノの日本食
 12月08日 21. ミラノ中央駅
 12月08日 22. ミラノのグランデ運河
 12月08日 23. デュッセルドルフでもWeihnachtspyramideがありました。
 12月09日 24. ブロッケン現象
 12月10日 25. ケンタッキーはダービーとバーボン
 12月10日 26. アメリカに来たなら709グラムのNew York Strip Steak
 12月11日 27. ケンタッキーの朝
 12月12日 28. ちょっと変わった日本食が一番人気
 12月12日 29. 709gのステーキの翌々日の夕食はイタ飯でした。
IMGP5711-1120.jpg

ドイツとロシアへの旅 [機内]


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成田空港の航空会社のラウンジです。この日はカレーライスが食べれる時間帯だったので、さっそく人気のカレーライスをいただきました。

飛行機では食べ過ぎになってしまうので控えるつもりでしたが「梅肉おろしうどん」もいただいてしまいました。
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さらに明太子も一切れいただきました。なかなかいい明太子でした。
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成田が12時15分発のフライトです。家を出てからホテルに着くのは19時間後と予想しています。予定表のテーゲルはベルリンの空港の名前です。今日はベルリンまで行きます。ベルリンもサンクトペテルブルグも初めての場所なので楽しみにしております。ロシアには何度も行きましたが、この時がロシアに初めて訪問した時のことでした。その前は家族でイタリア旅行に行った時に経由地として一度モスクワに着陸したことはありました。

そのロシアの訪問先のサンクトペテルブルク(Санкт-Петербург サンクトピチルブールク)は、もとレニングラードできれいな町と聞いています。レニングラード州の州都で、かつてのロシア帝国の首都でありました。
第一次世界大戦以降(1914年-1924年)はペトログラード(Петроград)、ソ連時代(1924年-1991年)はレニングラード(Ленинград リニングラート)とよばれました。
下のサンクトペテルブルクの写真はwikimediaから拝借いたしました。
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デュッセルドルフでもWeihnachtspyramideがありました。 [ドイツ]

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この日12月8日にイタリアのミラノからドイツのデュッセルドルフに移動しました。ドイツではクリスマスが近づくと沢山の露店が並ぶクリスマスマーケットが開かれて4週間続きます。したがってクリスマスマーケットは11月25日頃から12月22日頃まで行われます。クリスマスマーケットのことを、ドイツ語ではWeihnachtsmarkt(ヴァイナハツ・マルクト)と呼びます。Weihnachtsmarktは2つの単語から出来ています。Weihnachtsとmarkt(マーケット)です。そのことからWeihnachtsがクリスマスのことのようです。クリスマスのドイツ語はWeihnachtenです。Weihnachtsmarktを日本語訳するとクリスマス・フェアでした。そのクリスマスマーケットの中心的な位置に上の写真の飾りが飾られているのです。
この飾りの名前はドイツ語でWeihnachtspyramide(ヴァイナハツ・ピラミッド)です。このことから、このWeihnachtspyramideをタイトルに使わさせていただきました。Weihnachtsがクリスマスのことなので、日本語で上の写真はクリスマスピラミットということになります。確かに日本語訳をするとクリスマス・ピラミッドと出てきました。
したがってタイトルを完全に日本語で書くと「デュッセルドルフでもクリスマスピラミッドがありました。」クリックすると拡大となります。
デュッセルドルフからはシカゴを経由してケンタッキー州のルイビルに飛びました。その記事はこちらです。→ポチッ
右はドイツからシカゴに向かった飛行機の中の写真です。

上と同じクリスマスピラミッドですが、露出を変えて撮りました。このすぐそばで夕食をいたしました。クリスマスマーケットではソーセージやホットワインも露店で売っていました。クリスマスピラミッドはエルツ地方が起源のドイツ特有のクリスマスデコレーションです。
ハイデルベルグでもクリスマスピラミッドを見かけました。スイスのホテルのテーブルの上にも小さなクリスマスピラミッドがありました。
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それではデュッセルドルフのクリスマスマーケットの雰囲気をお伝えします。
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クリスマスツリーもありました。


ソーセージが美味しそうでした。
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沢山の露店が並んでいることが判ってもらえると思います。
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全ての物がイルミネーションで飾られていました。


川沿いのイルミネーションもきれいでした。
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露店だけでなくドイツレストランも中に入れないくらいいっぱいで、みんな外で飲んでいました。
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なんとかレストランに入って食べたソーセージとサラダです。もちろんビールを沢山飲みました。
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こちらがハイデルベルグで行われていたクリスマスマーケットの中心にあったクリスマスピラミッドです。写真をクリックするとハイデルベルグの記事を表示します。11月29日
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こちらがスイスのホテルのテーブルの上に置かれていたクリスマスピラミットです。こちらもクリックするとスイスの記事を表示します。11月27日
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この時の旅の移動のフライトを紹介します。クリスマスピラミットに出会えたのはマークの11月27日と11月29日と12月8日で、いずれも夜でした。下の地図にもクリスマスピラミッドに出会えた場所にマーク()をつけました。
この時に初めて世界一周チケットを活用いたしました。12月5日のAF1912のみ世界一周チケットでカバー出来ないので別途手配いたしました。
  11月27日 LH711   成田→フランクフルト
  11月27日 LH3732   フランクフルト → チューリッヒ
  11月27日 車      チューリッヒ → レンツブルグ
  11月29日 車      レンツブルグ → チューリッヒ
  11月29日 LH3723   チューリッヒ → フランクフルト
  11月29日 車     フランクフルト → ハイデルベルグ
  11月30日 車      ハイデルベルグ → フランクフルト
  11月30日 LH4232   フランクフルト → パリ
  12月02日 列車(TGV)  パリ → リヨン
  12月03日 列車(TGV)  リヨン → パリ ロワール
  12月05日 AF1912   パリ → ミラノ ベルガモ カサレ・モンフェラート
  12月08日 LH3919   ミラノ → デュッセルドルフ
  12月09日 UA436   デュッセルドルフ → シカゴ
  12月09日 UA7834   シカゴ → ルイビル
  12月13日 UA6884   ルイビル → シカゴ
  12月14日 UA883   シカゴ → 成田(12月15日着)
: 空港   :クリスマス・ピラミッド


クロ・リュセ城からシャンボール城への道 [ロワール]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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フランス旅行6日目のロワールの城めぐりツアーで2つ目に訪問したクロ・リュセ城(Château Clos Lucé)の見学の後は、上の写真の駐車場から最後の訪問場所であるシャンボール城(Château de Chambord)に向かいました。写真の塀の右側がクロ・リュセ城の敷地です。

下記の地図でクロ・リュセ城(① )からシャンボール城(⑧ )へはに向かうルート(━━)を紹介します。そのルートから見ることが出来た景色を本記事に掲載いたしました。
   ━━━━━━ クロ・リュセ城 シャンボール城 58km
 ①  クロ・リュセ城
 ②    Centre d'Accueil et de Soins du CDSAE Val de Loire
 ③    ショーモン城(Château de Chaumont)
 ④    ブロア城(Château Royal de Blois)
 ⑤    サン・ニコラ教会(Eglise Saint-Nicolas)
 ⑥    サン・ルイ大聖堂(Cathédrale Saint-Louis de Blois)
 ⑦ ━━━ 水道橋のようなの構造物
 ⑧  シャンポール城


クロ・リュセ城(① )を出発してすぐにロワール川を南から北に渡りました。渡っている橋の名前はミシェル・ドゥブレ橋(Pont Michel Debré)です。この後、ブロアまでロワール川の北川岸沿いの道を走りました。
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ロワール川は車の右側にあります。景色の中で一番撮りたかったのがお城だったので、対岸の景色を注意深く見ていました。
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Centre d'Accueil et de Soins
かなりの時間、森ばかりでしたが、城らしい建物が、森の中にありました。
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ほぼ同じ場所で、もう一つ見つけました。撮影した時間から、場所をGoogle地図から探した結果リリ-・シュル・ロワール(Rilly sur Loire)という名の小さな町にあるCentre d'Accueil et de Soinsという施設の中央に建つ建物でした。上の写真の建物は、その施設に付属した教会(礼拝堂)でした。塔の上の飾り(風見鶏)をGoogleのストリートビューで探した結果、今回の施設名が判りました。
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Centre d'Accueil et de Soinsの航空写真を紹介します。中央の建物が上の写真で写っていた城のような建物です。左端に写っている建物が2枚上で紹介した教会(礼拝堂)です。この写真は回転させており左方向が北です。
中央に城のように立派な建物がある施設Centre d'Accueil et de Soinsは調べてみるとホームレス保護施設でした。根拠はこちらです。→ポチッ
さすがフランスです。広い緑の敷地の中に、すばらしい建物が点在していて、中央に城のような建物があるホームレス保護施設に驚かされました。クリックすると広範囲を拡大して表示します。
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ショーモン城(Château de Chaumont)
さらにロワール川沿いに進むと、念願の城を対岸に見つけました。城の名前はショーモン城(Château de Chaumont)です。11世紀の初めにブロワ伯爵のユーデス2世によって建てられたそうです。
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ショーモン城を拡大いたしました。
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上のショーモン城の2枚の写真はレンズをズームした撮りました。本来、目で見る景色はこちらの写真です。中央より少し右にショーモン城が写っています。
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ショーモン城があった町の名前はシューモン・シュル・ロワール(Chaumon sur Loire)のですが、その町の川沿いの景色を3枚紹介します。
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中央に教会があります。
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シューモン・シュル・ロワール側に渡る橋がありました。この先、ブロアまで橋はなく、深い森に覆われていて対岸に建物も見ることはありませんでした。
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ブロア城  ⑤ サン・ニコラ教会  ⑥ サン・ルイ大聖堂
ブロアの町まで来てミッテラン橋でロワール川を渡りました。そのミッテラン橋の上から見た景色です。私はバスの右側に座っていましたが、その席からレンズの焦点距離260mmで左側を撮った写真です。一眼レフだから撮れたと思います。中央の建物がサン・ニコラ教会(Eglise Saint-Nicolas)で左にブロア城(Château Royal de Blois)の一部が写っています。サン・ニコラ教会の右側に写っているのはサン・ルイ大聖堂(Cathédrale Saint-Louis de Blois)です。ブロア城は13世紀から17世紀にかけて造られた建物が中庭を囲むような形で構成されています。クリックすると文字なしの拡大写真を表示します。
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水道橋のようなの構造物
バスの前方に石造りの高架が見えてきました。直感的に水道橋ではないかと感じました。Googleの航空写真で水道橋のようなの構造物の痕跡がある部分に橙色ライン(━━)を引いてみました。
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原型を留めている部分で最も長い水道橋と思われる部分です。
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さらに水道橋と思われる部分に近づきました。バスは速いスピード走っているのでこれ以上鮮明な写真を撮ることは出来ませんでした。
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この橋が水道橋かどうかを確認するために断面となる部分をGoogleのストリートビューで探してみました。水を流すような構造に見えることから水道橋の可能性が高いと思われます。したがって、これ以降は水道橋と呼ばせてもらいます。この水道橋は、私にとって小さな発見でした。
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この水道橋はロワール川を渡っていました。現在は、川の部分では橋脚のみが残っています。航空写真上のアイコンマイナスを2回クリックすると拡大されるので判りやすいと思います。



水道橋からシャンボール城(⑧ )までの景色を紹介します。
立派な建物もありました。
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住宅地に入ってきました。
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長い石積み塀がありました。おそらくシャンボール城の境界の塀だと思われます。シャンボール城はロワール地方の城の中で最も広い敷地なのです。
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石積みの塀とつながって建物がありました。シャンボール城に関連した建物だと思われます。
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シャンボール城の駐車場に到着いたしました。ここでも小さな子供たちが沢山来ていました。
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待ちに待った洋ナシを2週間目に食べました。 ル・レクチエ [土産]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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長野県の蓼科高原に住んでいる学生時代(サイクリング部)からの友人が2016年11月21日に我家に泊まってくれたことを紹介しましたが、彼は沢山の長野県のお土産を持ってきてくれました。4つお土産の内、蕎麦と山芋とジャムの3つのお土産は紹介させてもらいました。今回、最後の洋ナシを紹介させていただきたいと思います。遅くなったのは理由がありました。上の写真が頂いた洋ナシで、傷がつかないように丁寧に梱包されていて気持ちが伝わってきました。
  土産品 記事のタイトル (タイトルをクリックすると記事を表示)
  蕎麦  お土産でもらった鴨セイロをいただきました。
  山芋  とろろご飯
  ジャム 完全自家製ブルーベリージャム
  洋ナシ 待ちに待った洋ナシを2週間目に食べました。

洋ナシの品種は高級ブランドの ル レクチエ でした。食べごろシールの袋に入っており、濃い黄色に変わると食べごろです。まだまだ食べ頃は先のようなので黄色くなるまで待つように友人からも念押しされました。
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下記の大きな方の円グラフは2010年の日本での洋ナシの栽培面積ですが、ラ・フランスが圧倒的です。ル レクチエ は、Wikipediaに掲載されていた左のグラフのように2004年には3位(6.5%)でしたが2010年は2位(7.9%)になったようです。和梨の栽培面積が10,805.7ha(2013年)or13,500ha(2013年)に対して洋ナシの栽培面積は1705.8ha(2010年) / 1650ha(2013年)です。洋ナシの国内生産量は約23,900トン(2013年)です。それに対して世界一の生産国のイタリアは日本の52倍の125万トンです。
クリックするとWikipediaを表示クリックすると拡大クリックすると拡大 1 ラ・フランス
 2 ル レクチエ
 3 バートレット
 4 オーロラ
 5 ゼネラル・レクラーク
 6 マルゲリット・マリーラ
 7 シルバーベル
 8 バラード
 9 マックス・レッドバートレット
 10 フレミッシュ・ビューティ
 11 プレコース
 12 ブランデーワイン
クリックすると拡大 13 グランドチャンピオン
 14 メロウリッチ
 15 レッドバートレット
 16 パスクラサン


数日後に一番黄色になったものを一つ食べてみました。上品な味わいの洋ナシで美味しかったけれども、友人が念押ししたように我慢して、もっと待った方がいいとの結論で、じっくりと待つことにいたしました。
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クリックすると拡大食べごろシールの部分を白い紙の上においてみました。この色を参考にしてください。洋ナシは収穫は固いうちに行われ、収穫後に追熟させることで初めて生食に適すようになることから食べの時期が大切なのです。右の写真がWikipediaから転用させていただいた追熟前の ル レクチエ です。この色で収穫して追熟させるので辛抱強く待つ必要があるのです。収穫農家でも約40日間ほど寝かせて追熟させてから出荷されるようですが、さらに最適な時期まで色を見て追熟させると一番おいしく食べれるようです。 ル レクチエ は大半は新潟県下越地方の信濃川下流域で収穫されているそうですが、年々増加しているそうで、もともと洋ナシ生産量全国2位の長野県も ル レクチエ を生産するようになったのだと思います。


全体が黄色くなったので2016年12月5日に食べることにいたしました。洋ナシをいただいたのが11月21日なので、14日目(ずばり2週間目)に食べることが出来たわけです。洋ナシは木で完熟させるのではなく固いうちに収穫して追熟させて食べるのが特徴の果物であることを初めて知りました。
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袋から出した洋ナシ・ル レクチエ です。
ル レクチエ (Le Lectier)は名前のイメージからわかるように原産国はフランスです。果皮に「さび」が少なく外観が美しいのも特長であることも、よくわかりました。ル レクチエ は1902年に新潟県中蒲原郡茨曽根村の庄屋小池左右吉が、ロシアのウラジオストクへ旅行した際にセイヨウナシに出会って、栽培を決意し、翌1903年に原産地フランスから苗木を直輸入したのが発祥とされています。一旦食べごろを迎えると一気に熟成が進むので注意が必要なところが日本の梨と違うようです。これは追熟によって生じるエチレンの作用により果実に含まれるデンプンが分解されて果糖、ブドウ糖などの糖となるとともに、ペクチンのゲル化により、甘みと滑らかさが増加するためだそうです。
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やはり2週間ほど待った甲斐ありました。他の洋ナシも黄色くなっているので、これからは毎日食べることが出来そうです。分類学的区分を記載します。食感と違う別の果物のような和ナシとはナシ属まで同じです。
  界:植物界      Plantae
   :被子植物     Angiosperms
   :真正双子葉類   Eudicots
   :コア真正双子葉類 core eudicots
   :バラ類      Rosids
  目:バラ目      Rosales
  科:バラ科      Rosaceae
  属:ナシ属      Pyrus
  種:セイヨウナシ   P. communis
 品種:ル レクチエ   Le Lectier
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タグ:果物 長野 洋梨

クロ・リュセ城(Château Clos Lucé) [ロワール]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日の記事で紹介した通りフランス旅行6日目のロワールの城めぐりで洞窟レストランでの昼食の後に行ったのがクロ・リュセ城(Château Clos Lucé)です。本記事でクロ・リュセ城を紹介したいと思います。この建物は15世紀半ばに建てられ、1490年にシャルル8世のものとなり王妃アンヌ・ド・ブルターニュが王族として最初に住みました。このクロ・リュセ城はフランス王フランソワ1世が幼年期を過ごした城でもあります。しかし、最も有名なのはフランソワ1世がイタリアから招いたレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)が1516年から晩年の1519年まで住んだことだと思います。
 ヴァロワ朝フランス国王
  第7代 シャルル8世  1470年生まれ 在位:1483年~1498年
  第8代 ルイ12世    1462年生まれ 在位:1498年~1515年
  第9代 フランソワ1世 1494年生まれ 在位:1515年~1547年 
 クロ・リュセ城の説明(Wikipedia) → フランス語 日本語翻訳

離れて広い庭の方からクロ・リュセ城を撮りました。
こちらのクロ・リュセ城には11年前の2005年12月4日にも訪れたことがあり、その時は「ダ・ヴィンチが暮らした家」というタイトルで記事を掲載いたしました。2005年はクルーの館(Manoir du Cloux)と呼ばれていたと思います。
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広い庭が南南東方向に広がっていました。
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城の敷地を紫色ライン(━━)で囲いました。ただし敷地境界線は航空写真で控えめに判断いたしました。森さらに広がっていることから、もっと広い範囲が城の領地である可能性があります。
  クロ・リュセ城(Château Clos Lucé)  ━━で囲った範囲 
  駐車場
  ━━ 駐車場~クロ・リュセ城(クルーの館) クロ・リュセ通り 337m


民家のような建物も敷地内にありました。こちらの建物も歴史がありそうです。
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見学は右の塔から入り2階の渡廊下を通って建物の中に入りました。
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2階の渡廊下は、このように城につながっていました。
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建物の反対側からの写真です。
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城に付属した建物を撮りました。
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角度を変えて撮ってみました。
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上で紹介した写真の場所が判るように、航空写真を3Dにしたものを紹介します。


城の中に入るために見学ルートの入口である塔を登り、2階の渡廊下を進んでいるところです。
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2階の渡廊下には可愛らしい小学生たちが並んでいました。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの寝室(La chambre de Léonard de Vinci)
いきなりレオナルド・ダ・ヴィンチの寝室(La chambre de Léonard de Vinci)に入りました。立派なベッドが印象的でした。
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暖炉の上の紋章が印象的でした。
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暖炉の上の紋章を拡大いたしました。王冠があることから、この紋章はヴァロワ朝の紋章だと思われます。ヴァロワ朝は中世フランス王国の王朝で1328年から1589年まで続きました。1328年にカペー朝が断絶したため、カペー家の支流でヴァロワを所領とするヴァロワ家からフィリップ6世が即位してヴァロワ朝が始まったそうです。
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マイバス社のツアーのガイドの方がいろいろと説明してくれました。ここにはルネサンス時代のベッドや戸棚がそのまま保存されているそうです。
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こちらの椅子もルネサンス時代だと思います。
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今回のバスツアーで最初に訪れたシュノンソー城と同じように生花が各部屋に飾られていました。
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沢山の見学者が来られていました。
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こちらの戸棚も見事でした。
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マルグリット・ド・ナヴァルの寝室(La chambre de Marguerite de Navarre)
レオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなった後のことですが、フランソワ1世の姉のマルグリット・ド・ナヴァルが住んでいた時代もありました。こちらの部屋は壁のレンガが印象的でした。
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天井の梁やシャンデリアが特にすばらしい部屋でした。
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マルグリット・ド・ナヴァルはクロ・リュセ城でエプタメロンを執筆したそうです。エプタメロン(七日物語)は72篇の短編から成る物語で、彼女の代表作でもあります。マルグリットはエプタメロンを1542年から執筆し始めたそうです。
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見事な皿や壺も展示されていました。クリックすると拡大いたします。
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美しい窓も印象に残りました。
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立っているのはガイドの高橋保さんです。
フランス文化・歴史、言語学に詳しい方でした。
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折りたたみの椅子が珍しくて写真に撮りました。これもルネサンス時代のものだと思われます。
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錫製の皿や蓋つきジョッキも展示されていました。このジョッキでビールを飲んでみたいです。
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1階の最初の部屋
2階から1階に降りました。
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階段を降りたところに置かれていた棚の説明も受けました。
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これが、その棚です。
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壁には見事なガラスの皿が飾られていました。
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その見事な皿を2つ紹介します。
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もう一枚の皿です。
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真白の生花です。
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廊下の天井の梁やレンガの壁や窓も芸術的です。
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天井の梁には飾り模様が描かれていました。
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小さな礼拝堂がありました。これは幼い子どもを亡くし悲嘆にくれていたアンヌ・ド・ブルターニュのために建設されたチャペルだとされています。壁にレオナルドの弟子にあたる人物が4つのフレスコ画を描き、そのフレスコ画のひとつが、城の名称である「クロ・リュセ」の由来ではとの意見もあるそうです。
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1階広間(La grande salle)
居間として使われたのでしょう。
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こちらのテーブルの上の生花も見事でした。
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クリックすると拡大レンブラントの像が置かれていました。
下の写真は上の写真と反対側です。
レオナルド・ダ・ヴィンチを紹介します。
 正式 レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ
    Leonardo di ser Piero da Vinci
 誕生 1452年04月15日 フィレンツェ共和国 ヴィンチ
 死没 1519年05月02日 フランス王国 アンボワーズ
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フランソワ1世の像も置かれていました。
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こちらの飾り棚も見事です。
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こちらの椅子も写真を撮りたくなるほどの物でした。
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沢山の昔の家具が置かれていました。
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キッチン(La cuisine)
こちらはキッチンです。子供たちも沢山見学に来ていました。
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広いキッチンでした。
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歴史を感じさせてくれるものばかりでした。
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こちらの金属の食器も印象に残りました。
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子供たちも印象に残りました。
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さらに下の階に降りる階段がありました。
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歴史を感じさせてくれる窓ガラスでした。
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レオナル・ド・ダビンチに関わる展示
半地下の階にはレオナル・ド・ダビンチに関わる展示が行われていました。
沢山の発明品がありました。こちらは大砲でしょうか。
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斬新な発明品に溢れていました。左は自転車のようです。
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子供たちは特に熱心に見ていました。
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建造物の設計図も展示されていました。
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地下に降りる階段がありました。レンブラントが住んでいたクロ・リュセ城とフランソワ1世国王が住んでいたアンポワール城は地下通路でつながっています。
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クロ・リュセ城( )をはじめとするロワールの城めぐりの訪問場所を紹介します。今回のパリからのロワール城めぐりツアーのルートはパリ(マイバス社)→シュノンソー城→La Cave aux Fouées (ランチ)→クロ・リュセ城→シャンポール城→パリ(マイバス社)でした。
 ━━━━━━ パリ→シュノンソー城 239km
   マイバス社パリ事務所
   シュノンソー城
    La Cave aux Fouées (ランチを食べたレストラン)
    クロ・リュセ城
    シャンポール城

タグ: ロワール

スパムフィルターは有効でした。 [SNS]



2016年12月3日から4日にかけて突然に迷惑メールが入ってきました。上のリストの1行目と3行目以降のコメントです。2行目は迷惑コメントではありません。迷惑コメントは一つの記事「自分の記事へのコメントでも画像認証コード入力」に集中していました。それも2013年10月31日に掲載した3年前の過去記事にです。

2014年1月にも英文(半角英数)のコメントが多数入って来たことがきっかけで、スパムフィルタの「半角英数のみのコメント」の設定を「受付しない」にしていました。→ポチッ
ところが2016年12月2日に自分記事にトラックバックが出来ない事象があったことからテスト的に「半角英数のみのコメント」と「半角英数のみのトラックバック」を「受付」にしてみました。すると翌日の12月3日から迷惑コメントが入り始めたのです。つまりスパムフィルターは有効だったことを証明したことになりました。


すぐに半角英数のみのコメント」と「半角英数のみのトラックバック」を「受付しない」に戻しました。


こちらが今回の全ての迷惑コメントの内容です。迷惑コメントは全て同じ記事に入ってきました。すでに迷惑メールは削除したので記事を見ても迷惑コメントはない状態です。



迷惑コメントが入ってきた記事「自分の記事へのコメントでも画像認証コード入力」の内容を紹介します。ラインから下がその記事を転記したものです。迷惑コメント防止をテーマにした記事だけに迷惑コメントが入ってきたのは、皮肉だし不思議です。オリジナル記事→ポチッ

クリクすると拡大今日2013年10月30日に自分の記事にコメントしようとすると下ののように「認証コードが一致しませんでした。」と認証コードを要求されたのでした。
もちろん正常なことですが他の人の記事にコメントする場合も認証コードが要求されます。 問題なのは自分の記事へのコメントまでコードを入力しなければならないことなのです。 で線のところに文字が来ると文字が判らなくて何度入力しても入力ミスになることがあるので、仕方なく線に文字が重ならないよう認証コードは9桁(a758k968q)のものを1文字(9)にいたしました。の部分に自分の認証コード「9」を入力すると、やっと受け付けてもらえました。
右の画面認証では仮に666666に設定してみましたが、2番目の文字が誤認してしまう可能性が高いことを判ってもらえると思います。実際に他の方の記事にコメントするのに2文字目が判らずに3回も入力しなおしてしまいました。
私の場合はすぐに認証コードを無効にしましたが、認証コードを入力しなければ受け付けてもらえないのです。


クリクすると拡大So-netのWhat's new?の内容では入力コードが「無効」に選択されて接続サービスIDでログインしている時は画像認証が非表示になるとかかれているにも関わらず、画像認証が表示される上に認証コードを入力しなければ自分の記事にもコメントできない状態です。もちろん下記の画面のように画面認証は「無効」にしており接続IDでログインしているにも関わらず入力を受け付けない状態なのです。個別の記事の設定を「無効」にしても同じなのです。これはSo-netのWhat's new?の内容と違う現象で、さらに困った状態なので早期改善を期待します。改善してもらえれば認証コードも長くすることが出来可能性があります。
どうやら説明の中の「接続サービスID」はいつも入力している「So-netユーザーID」とは違うようです。もし違うのであればSo-netのWhat's new?の記載内容には間違はないのですが、何らかの改善が無ければ、いつまでも1文字の認証コードとなることからセキュリーティーが格段に落ちた状態で使うことになってしまいます。
調べた結果、接続サービスIDを取得するためにはSo-netインターネット接続サービスに入会するか、「こんてんつコース」へ入会する必要があるようです。→ポチッ
原因は分かったので画像認証の設定だけは「有効」に戻しました。
初期詳細設定
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個別記事の設定 (記事の編集画面)
クリックするとすべて表示

さらに記事の一覧表でコメント(CMT)の数値が2ケタの場合は画面認証を無効にすると見えにくくなる不具合もあります。記事「きのこ畑」のコメントは29ですが9の字が読めないのです。「公園に巨大キノコ出現」のように有効に設定している場合は表示に関して問題はありません。


もう一つ不具合がありました。
画像認証が表示されない方の記事にコメントすると「認証コードが一致しませんでした。」と表示されて入力が受け付けられませんでした。→現在は入力可


参考に下記の枠内がSo-netのWhat's new?の内容を転記いたします。
【重要】コメント投稿での画像認証表示の仕様変更 [pickup]
いつもSo-netブログをご利用いただき、誠にありがとうございます。
コメント投稿でのスパム行為により、サーバー負荷やブログ開設者への迷惑行為が多発しておりますので、コメント投稿時における画像認証の表示方法を変更しました。
記事投稿時の詳細設定で画像認証を
・「有効」を選択時には、全員の方に画像認証が表示されます。
「無効」を選択時には、コメント投稿者が接続サービスIDでログインしている時のみ、コメント投稿時の画像認証が無効(非表示)となります。
コメント投稿時にお手間をかけるようになりますが、スパム行為を減少させる為の仕様変更ですので、ご了承ください。
大変ご迷惑をおかけしますが、今後ともよろしくお願いいたします。
 2013-10-29 11:32
 2013-11-01 09:45 改正

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